庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「クロワッサンで朝食を」
 85歳のジャンヌ・モロー主演のヒューマンドラマ映画「クロワッサンで朝食を」を見てきました。
 封切り2週目土曜日、全国2館、東京で唯一の上映館シネスイッチ銀座スクリーン1(273席)午前10時の上映は8割くらいの入り(1階席はほぼ満席)。上映開始30分前に行ったのに既にチケット売り場前には長蛇の列。観客の大半は中高年層でした。

 エストニアで2人暮らししていた母を看取り1人になったアンヌ(ライネ・マギ)に、パリにいるエストニア出身の女性を世話する仕事が持ちかけられた。パリに憧れていたアンヌは、これを受け、夜パリに着き、鍵を渡され、簡単な引継を受けるが、朝になり、アンヌが朝食を持って部屋を訪れるなり、件の女性フリーダ(ジャンヌ・モロー)は、朝食はいらない、家政婦などいらない出て行けという。アンヌに世話係を依頼したステファン(パトリック・ピノー)は、フリーダの昔の愛人で、今はフリーダの出資でカフェを経営し、ときおりフリーダの元を訪れていた。ステファンに、フリーダは朝食にはクロワッサンと紅茶しか摂らないと言われ、あきらめるなと激励されたアンヌは、クロワッサンを買って翌朝フリーダに出すが、「プラスチックを食べさせるつもり?おいしいクロワッサンは、スーパーじゃなくてパン屋で買うものだ」と言われる…というお話。

 役者の格から言って、ジャンヌ・モロー主演なんですが、ストーリーはアンヌを中心に展開します。
 12年前に離婚した飲んだくれの元夫につきまとわれて適当にあしらい、2年前から勤務先の介護施設を退職して老母の介護に専念していたら母親も死に、葬儀に駆けつけた息子と娘にゆっくり話したいと言っても子どもたちにはすぐに帰らないといけないと言われ、孤独感を募らせるアンヌ。序盤はその流れを雪深いエストニアの灰色の背景で描き、閉塞感・喪失感を募らせます。そこから憧れのパリに場所を移しますが、対照的にカラフルな映像を配するのではなく、雪はなく、凱旋門やエッフェル塔といった観光地を撮しながらも、色を抑えめにし、アンヌが散歩する夜のパリの通りを中心に地味目の映像を続けて、穏やかな幸福感・好奇心という感じの心情へと移していきます。そのあたりが、ちょっと巧い。
 エッフェル塔の前で写真を撮る観光客に囲まれひっそり通り過ぎるアンヌ、ルーブルには行ってみたいとアンヌが言うとパリッ子はそんなところへは行かないと言い放つフリーダ、そのフリーダもエストニア出身で引きこもり状態と、エストニアとパリの間でフリーダ、アンヌの間合い、アイデンティティが微妙に映し出されます。
 原題の Une Estonienne a Paris は、パリにいる1人のエストニア人(女性)。フリーダを指すのか、アンヌを指すのか。たぶん両方なんでしょうね。

 その2人の主人公と別に、男性客には、ちょっと気になるステファンの立ち位置。若い頃に愛人関係にあり、出資してもらいカフェを持たせてもらった今は年老いたパトロン女性とどうつきあっていくべきか。ステファンは、別の女性との関係を繰り返しながら、フリーダを見捨てることもできずに、家政婦を世話し続け、時々様子を見に訪れるという状態を保っています。その状態で、家政婦が気に入らない、もっと会いたいと言われたとき、どうするか、いつまで続けるか。道徳観からも人情からもなかなかに難しい問題だと思います。

 ストーリーは比較的シンプルで、過去に周囲といざこざを起こし、パリでのエストニア人社会との交流も絶ち心を閉ざす孤独な老人と、その心を開かせようと試行錯誤する同郷の家政婦の心の交流を描いたものです。それぞれの場面での心情はよく描かれていますが、ストーリーとしてはもう少しあれこれあってもよさそうに思え、95分の作品ということもあり、ラストには、えっこれで終わり?という思いが残ります。ヨーロッパ映画にありがちなパターンではありますが。
 フリーダに「最後にセックスしたのはいつ?」と聞かれて「私は好きな人としかしないから」と答えていたアンヌ。ステファンとHしちゃったのかどうかが気になりました。

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