◆たぶん週1エッセイ◆
映画「私は確信する」
250時間の通話記録はなぜ存在するのか。盗聴捜査が可能な社会のおぞましさを感じる
死体もなく被害者の死亡さえ立証されていないのに被告人の不合理な弁解を材料に検察が優位という事態は嘆かわしい
フランスの実在の刑事事件ヴィギエ事件を題材にした法廷サスペンス「私は確信する」を見てきました。
公開3日目日曜日、ヒューマントラストシネマ有楽町シアター1(162席)午前11時30分の上映は、2〜3割くらいの入り。
2000年に発生したスザンヌ・ヴィギエの失踪をめぐり、夫ジャック・ヴィギエ(ローラン・リュカ)が殺人容疑で起訴されて2009年4月に行われた1審は無罪判決が出たヴィギエ事件で検察官が控訴し、2010年3月にその控訴審の裁判が始まろうとしていた。ヴィギエ夫婦の娘クレマンス(アルマンド・ブーランジェ)に息子フェリクスの家庭教師をしてもらっていた調理師ノラ(マリーナ・フォイス)は、腕利き弁護士デュポン=モレッティ(オリヴィエ・グルメ)にジャックの弁護を頼み込む。忙しくて受けられない、中途半端にやりたくないというモレッティは、ようやく開示された250時間分の通話記録をノラに渡し、書き起こすよう求めた。裁判の開始までに書き起こせなかったノラは、公判期日の都度、関連部分を整理した短縮バージョンやメモを作ってモレッティに渡し、モレッティはそれをその場で咀嚼して証人への尋問を続けるが…というお話。
私が、もう長らく刑事事件をやらず、裁判員裁判は経験がなく、そしてフランスの刑事裁判制度をよく知らないためかも知れませんが、多数の謎がある映画でした。
まず、そもそも1審が無罪なのになぜ必死になって弁護人を変えようとするのか。ふつうは、1審勝訴なら同じ弁護人に依頼するものだと思うのですが。その辺の事情はまったく説明されません。実在の事件なので1審の弁護士に何か問題があるとしても言いにくかったのかもしれませんが。
弁護士への依頼を、被告人本人や家族ではなく、娘の知人くらいのノラがするのはなぜか。モレッティ弁護士からも、弁護士を交代させたいなら本人が来いと言われていましたが。
このノラが、後で1審の参審員(陪審員と字幕で書かれていますが、フランスは「陪審」ではなく職業裁判官も評議に参加する参審制なので)であったことがわかります。ノラがジャックの娘クレマンスと知り合ったのが、1審判決前からなのか、1審判決後なのかは、説明がありませんでした。後者で、1審の審理を通じてジャックの無罪を確信したノラが、検察官控訴を不正義と考えてジャックの支援をする気になってクレマンスと接触したという流れならば問題ないといってよいでしょうけれど、もともとジャック(の娘)と関係がある人物が参審員として入り込んで無罪を強く主張して評議が無罪となったのだとしたら大問題でしょう。そこが説明されないのは、欲求不満が残ります。もっとも、実在の事件を題材にしているけれども、ノラについては創作らしいので、仕方ないかもしれませんが(それでも、そういう設定にする以上はそこまで考えろよとも思いますけど)。
そして、250時間分の通話記録(通話の録音データ)です。これはどうやって録音されたのか、ジャックのさまざまな人との通話だけじゃなくて、スザンヌの愛人(不倫相手)だったデュランデ(フィリップ・ウシャン)のさまざまな人との通話もあり、誰かが任意に提出したというものとは考えにくい。すると事件後警察が関係者の通話を盗聴して録音していた記録と考えるしかないでしょう。盗聴捜査が可能になると、こんなことになるのかと、まずそこでぞっとします。
その録音の作成の経緯はおいて、結果として生じた250時間分の録音、これ自体、弁護士にとってはぞっとするものです。およそ聞いて確認することが不可能なもの、しかし、その中に無罪の証拠が眠っている可能性があり逆に被告人に決定的に不利な証拠が眠っている可能性もあるもので、存在する以上は何らかの方法で確認する必要があるものです。弁護士の標準的な応答は、モレッティ弁護士がそう言ったように、依頼者に、書き起こしてくれということでしょう。ただ、これ、民事事件ならまず間違いなくそう言います。依頼者が書き起こさないなら、どんな録音があると言われても無視する、依頼者が書き起こす価値がないと考えるなら、書き起こす労力をかけないなら、それで宝の山を逃してもそれは依頼者のせい、で済みます。しかし、刑事事件では、なかなかそれで済ますわけにも…現実問題としては、労力的にはそうするしかないのですが…そこに良心の呵責を感じてしまうと、弁護士には過労死の道が待っているわけで、悩ましいところです。
モレッティ弁護士、依頼者がまとめて書き起こしてくれば、それを検討して弁護方針を立て、尋問に反映させるのが当然ですが、全体がまるで見えない中で、ノラが一部だけ書き起こしてきたのを録音自体に自分で当たらずに、その場で尋問に使っていく、これ、弁護士としてはかなり怖いと思うのですが。実話を題材としており、モレッティ弁護士は現実世界で膨大な数の無罪判決を取った腕利き弁護士なので、そういう綱渡りもこなせるということかもしれませんが。
そもそもスザンヌの死体も発見されず、スザンヌが死んだことさえ十分な立証がない中で、もっぱら、ジャックの行動が不自然で疑わしいということで検察官が有罪を主張し、弁護側が追いつめられていきます。モレッティ弁護士の最終弁論、弁護士として聞いていると、もう明らかに敗訴覚悟の弁論に聞こえます。日本の裁判や、マスコミ論調でも、被告人が「不合理な弁解」をすること自体が、有罪の証拠であるかのように扱われがちですが、フランスでもそうなのでしょうか。それは、本来、刑事裁判の原則に反するものだと思うのですが。無罪判決を多数取ったモレッティ弁護士が法相を務めているという現在のフランスの情勢なら、刑事事件がもっと原則に則ったものになるように変化させることも可能かと期待したいところです。
(2021.2.14記)
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