◆たぶん週1エッセイ◆
フェルメール展・・・
東京都美術館で開催中の「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を見てきました。
昨年国立新美術館で開催された、「牛乳を注ぐ女」1枚だけでフェルメールを冠にした展覧会(私は行きませんでした)に比べれば、「7枚も」フェルメールを集めた今回はマシなんでしょうけど、主催者の1社TBSが第一生命スポンサーで「今世紀最多の来日」とかCM流してはしゃいでるの見るとイヤになりますね。現存する作品が三十数点しかないフェルメールですから、希少価値は希少価値ですが、1995年11月〜1996年6月のワシントンとハーグでのフェルメール展には20点出品されていますし、2001年のニューヨークとロンドンのフェルメールとデルフト派展ではフェルメール18点(全体で157点)出品されたそうです。確かに、「今世紀」(ってまだ9年しかたっていないこれまではねということですが)、「日本」に限定すれば、「最多」でしょうけど。
それも、今回の出品はいかにも数あわせって感じで、いかにもフェルメールっていう代表作はなく、私の中では当初出品予定だった「絵画芸術」が出品されないと報道された時点で、行かないという選択肢もかなり有力になりました。TBSと朝日新聞が煽りまくってひたすら入場者増を図ってるからいつ行っても混んでること確実で、人混みの中で遠くから落ちつかずに見る展覧会って最悪。それで来る絵が、フェルメール初期のフェルメールらしくない物語画の「マルタとマリアの家のキリスト」、フェルメールの真作か議論が絶えない「ディアナとニンフたち」、私の好きな作品だけどフェルメールの分野といいにくい風景画の「小路」、フェルメールのいい時期の作品だけど今ひとつ品がない「ワイングラスを持つ娘」、フェルメールの最盛期の作品の1つではあるけど華がない「リュートを調弦する女」、盛りを過ぎたといわれる時期の「手紙を書く婦人と召使い」、真作か疑問を呈する声があり小さい「ヴァージナルの前に座る若い女」ですもん。「小路」が来なかったらきっとやめたでしょうね。「絵画芸術」とか、元々予定もされてないけど「合奏」とか「天秤を持つ女」とか「デルフト眺望」とかが来るんなら混んでても何するものぞで行くんですが・・・
最初から、不満が長くなりましたが、一応、ひょっとして空いてないかなという期待で平日の2008年10月28日午前中に行ってみましたが、やっぱり混んでました。まずチケットを買うところから行列で、入場の列が20分待ち。TBSの展覧会サイトのトップにも開催62日で入場者40万人突破とか誇らしげに書いてますからね。1日平均6500人ですもんね。
20分並んで、ようやく中に入り、出品目録を手にしてまたビックリ(大々的に展覧会のサイト開くのなら出品目録くらいネットで公開して欲しいと、いつも思います。別に絵を掲載しろとは言いません。でも画家とタイトルくらいは公開してもいいでしょ)。わずか37点。それで1600円。同じ37点でも、全部フェルメールなら、つまりフェルメールの作品全部集めたら、たぶん1万円でも見に来る人いっぱいいるでしょうけど、フェルメールは代表作と言えるものなしの7点と、それほど有名ではないオランダ画家の作品を1人数点ずつで全部合わせて37点ですよ。まぁ17世紀オランダの風俗画には関心がありましたから、空いててじっくり心ゆくまで見れる、間近で見れるんならそれでもいいと、私は思いますけど、入る前から大行列ですからね。それにまたどうせ柵に阻まれて遠くから眺めるハメになるんでしょうし。絵を見る前にもう気持ちが萎えました。これだからマスコミ主催の展覧会ビジネスはイヤなんだって。
17世紀オランダの画家の作品を少しずつ、最初は風景画、肖像画、そして人物による物語画・風俗画と並べて、その後フェルメールに行き、その後また類似のテーマの風俗画という展示構成です。
そうして見ると、風景画では、ハウクヘースト、ウィッテの大教会室内の建築画が目を引きます。遠近法の教科書みたいな感じもしますが、美しく白い柱の存在感と細部の描写にうならせられます。
ファブリティウスが5点、出品目録に載っていて、ちょっと期待しましたが、肖像画以外は、「楽器商のいるデルフトの眺望」と「歩哨」だけでした。「楽器商のいるデルフトの眺望」は小さな絵で迫力不足。「歩哨」は今ひとつ細部に魅力を感じませんでした。
ピーテル・デ・ホーホ。フェルメールと同時代の風俗画家で類似のテーマの作品が相当数あり関係が議論されています。この展覧会で最多の8点出ています。ちょっと期待してみたのですが、並べてみると、デ・ホーホの作品は、部屋の風景・情景が描かれているというか、絵の中で人物の占める部分が小さい。フェルメールの作品は、物理的にも人物の占める割合が大きく、人物が遠目に見えるときも人物に関心が行く描き方をしています。そして、他のオランダ風俗画家も含めて、実際の、あるいは自然な光をそのまま描く技術ではむしろフェルメールより上の絵が少なからずあるのですが、上品で柔らかくしかし印象的な光を描く点でフェルメールの絵の方が魅力的なんだなと思いました。
さて、フェルメールです。予想通り、柵で1m以上は近寄れませんし、人だかりがなかなか動きません。遠目で哀しかったけど、「小路」は煉瓦の色が目に染みました。「ワイングラスを持つ娘」は遠目では顔もはっきり見えませんでした(私の目が悪いからですが)。スカートの赤ばかりが目につき、後景のかすみ具合というかボケ具合が哀しい。「リュートを調弦する女」も元々少しぼやっとした作品ですし、遠目ではあまりしっかり見えませんでした。暗め遠目になると、むしろ、フェルメールにしてはハイライトが目につきすぎる「手紙を書く婦人と召使い」の方がくっきり見えていい感じでした。会場の客もこれに一番集まっていたみたい。「ヴァージナルの前に座る若い女」は25cm×20cmの作品ですから1m離されたらねぇ。という具合。あぁ「小路」もっと近くでじっくり見れたらよかったのに。
フェルメールの後の風俗画で、コルネリス・デ・マンの「金を天秤にかける男」。細部の描写がしっかりしていていいんですが、それより感心したのは、保存状態がいいこと。17世紀の絵で個人蔵で、それですごくきれい。絵の具の褪色も感じられないし、ひび割れもすり切れも見えず細部がくっきりしています。
終わってみて、あっそう言えば17世紀のオランダ画家なのにハブリエル・メッツーがないと思ったら、メッツーはアムステルダムやユトレヒトで活躍してたので「デルフト」の画家じゃないからですね。残念。デルフト限定じゃなくて17世紀オランダでもっとたくさん集めてくれたらよかったのに。
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