庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「SNS 少女たちの10日間」
ここがポイント
 少女に群がり言い寄る男たちの行為が第三者の目からはいかに恥ずかしいかを実感させることには成功している
 メディアが映像表現での告発を超えて警察に引き渡すのは疑問を感じるし義憤が空回りしていると思う
    
 12歳の少女を装った偽アカウントに群がり局部を曝し裸の写真や性交を求める男たちの醜態を描いたドキュメンタリー「SNS 少女たちの10日間」を見てきました。
 3度目の緊急事態宣言初日となった公開3日目日曜日、全国7館東京3館の公開館中のメイン館ヒューマントラストシネマ渋谷シアター2(173席)11時25分の上映は7割くらいの入り。予想以上に入っているのは、大規模映画館が軒並み休館して映画難民が開けている数少ない映画館に集まったおかげでしょうね。己の無策・無能を糊塗するために一つ覚えに民に「欲しがりません勝つまでは」を強いる権力者のおかげで、ふつうにやっていれば観客が分散するのに一部の映画館がかえって密になってるんだと思います。

 SNSで「オオカミたちが子どもたちと巧妙にコミュニケーションを取りながら、騙したり操ったりする全てのトリックを事細かに、かつ正確に伝え」るため(公式サイトでの監督の発言)に、12歳に見える18歳以上の女性をオーディションで集め、3名を選んで偽のアカウントで12歳として登録させ、そこに連絡を取ってきた男たちとやりとりをさせてその様子を撮影したドキュメンタリー。

 初対面の女性に対して、いきなり局部を露出してオナニーを始める中高年男性たち、物欲しげに服を脱ぐように求め裸の写真を送ってくれと言い、セックスしようと言い寄る男たち、12歳なんだけどと言われても問題ないと言って続ける男たちを次々と見せることで、まぁ見る前から予想される展開ではありますが、こういう行為・姿が相手方、第三者、覚めた目から見たら、いかに恥ずかしいかを改めて実感させる、そういう点で、成功していると思います。

 しかし、こういった犯罪の告発という場面でメディアはどういう立ち位置を取るべきか、という問題で、この作品は躓いているように、私には感じられます。
 例えば、アフリカで飢餓に倒れたり猛禽類が死んだら死体をつつこうと待ち構えていたりする場面を撮影し報じた写真家・記者をなぜ助けないのかと詰る人々がいます(私は、目の前で死にかけている人を助けない、見殺しにするというレベルのものは、やや薄情だとは思っても批判する気にはなりません。日本にいたって、例えば冬の寒い時に路上で寝ているホームレスを見て一々「大丈夫ですか」と声をかける人などほとんど見ませんし、私もそうはしません)。こういうドキュメンタリーを見ても同じようなことを言う人がいるのでしょう。この映画の制作者たちは、映画自体の中でも、このような犯罪者たちを許せないと、糾弾し、警察に映像を提供したそうです。最後にそういう説明が入り、公式サイトのイントロダクションでも「児童への性的搾取の実態を描いた映像として、チェコ警察から刑事手続きのための映像が要求された。実際の犯罪の証拠として警察を動かした大問題作がいよいよ日本公開となる」と書かれています。
 メディアは、その表現の中で不正を、犯罪を、告発することにとどまらず、制作者が犯罪を告発すべきなのでしょうか。この作品の最後の説明を見て、万引き犯を映した監視カメラ映像を公開する店主を見るような、まぁ怒る気持ちはわかるけど、また万引き犯が悪いのはそのとおりだけど、しかしどこか感じる胸くその悪さ・不快感と同じようなものを感じました。
 出演した女性たちは、いきなり局部を露出してオナニーを始める姿を見せられたり、そういう連中が多数いることを思い知らされることでそれがトラウマになったり人間不信を引き起こすということはありそうです。また合成画像ではあっても顔は本人の顔のヌード写真を送ってそれをばらまくぞと言われれば恐怖を感じるでしょうし、実際にネットにアップされれば(現にアップされたという話になっています)嫌な思いをするでしょう。そういう連中、それも相手が12歳の少女だと聞きながらそういうことをする連中を放置できないと感じるのはある程度自然な感情だとは思います。その意味で観客がそう思うのは理解できます。しかし、実際には出演した女優は全員18歳以上の成人です。そして、男性の局部を見せつけられることも、さらに言えば裸体写真を送ればいつかはそれがネットにアップされたり脅迫に使われることも、わかっていたはずで、そうだとすれば、この作品中で行われた行為は「犯罪」と言えるでしょうか。出演した女性が局部を見せられることや送った写真がネットにアップされたりそれをネタに強請られることを理解して納得してやっていたら、その予期されたことがなされた場合にそれは「犯罪」と言えるでしょうか。少なくとも監督や制作スタッフは、局部の露出や送った裸体写真がネット上アップされたり脅迫に使われることは当然に予想し、さらに言えばそれを期待していたはずです。出演女性に監督や制作スタッフがそれを十分に説明して納得させていなかったとしたら、出演女性が感じた不快感や恐怖、受けた心の傷は、直接には相手の男の行為によるものではありますが、監督や制作スタッフの責任もかなり大きいのではないでしょうか。ライオンが待つ檻にそのことを十分に説明しないで人を誘い込んだら、それ自体犯罪じゃないでしょうか。
 この作品の構造は、行為者の主観・意図は悪い(犯罪そのものではある)けれども客観的には犯罪と言えるか疑問のもの、たとえて言えば空箱の商品を並べておいてそれを万引きした者を万引き犯としてその映像をネット上公開しているような、そういう後味の悪さがあります。SNSでの悪行を告発するという目的のために、自分たちもあまりフェアとは言えないことをやっているという、そういう自己批判というか苦渋に満ちた思い、謙虚な姿勢があってしかるべきだと思うのですが、この監督や制作スタッフはそういう意識・認識はまったくないようで、行為者の主観が悪い、けしからんと憤慨して、警察に引き渡そうというのですから、義憤の空回りを感じます。
 最初に述べたように、SNSで少女に群がる大人たちの行為の第三者の目から見た恥ずかしさを実感させるという点では(そこにとどめておけば)優れたものであったとは思うのですが、それを超えたところで残念に感じてしまいました
(2021.4.25記)

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