庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

たぶん週1エッセイ◆
映画「黄金のアデーレ 名画の帰還」
ここがポイント
 強大な外国政府を相手に若手弁護士が活路を見いだしていく司法アドベンチャー的な作品
 仲裁を「調停」と訳してしまったところがクライマックスへの理解を損なわせる

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 クリムトの絵画“アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像T”をめぐる裁判を描いた映画「黄金のアデーレ」を見てきました。
 封切り3週目日曜日、シネ・リーブル池袋シアター2(130席)午前9時50分の上映は2〜3割の入り。

 1938年にナチス支配下のウィーンからアメリカへと亡命したユダヤ人のマリア・アルトマン(ヘレン・ミレン)は、1998年、姉の死を契機に、幼少期にウィーンでともに暮らした伯母アデーレ・ブロッホ=バウアーをモデルに伯父フェルディナントがグスタフ・クリムトに描かせた絵画「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像T」がナチスに不法に接収されて現在オーストリアのベルベデーレ美術館(オーストリア・ギャラリー)に保管されているのを取り戻すよう、友人の息子の弁護士ランディ・シェーンベルク(ライアン・レイノルズ)に依頼した。ランディは勤務し始めたばかりの事務所から1週間だけ許可を得てマリアとともにウィーンへ飛び、絵画は1925年に髄膜炎で死亡したアデーレの1923年の遺言により寄贈されたというオーストリア政府の主張を打ち破るべく、公文書館で遺言の原本を探し、遺言では伯父(夫)の死後に寄贈するとされていることを確認する。ランディは、さらに伯父のフェルディナントが1945年に死亡する前の1943年に財産を甥、姪に遺贈すると遺言していたこと、絵画の所有権はアデーレではなくフェルディナントにあることを確認し、絵画返還を判定する委員会に提出したが、結局は、返還しないという裁定が出された。ウィーンで絵画返還の裁判を起こすためには絵画の価格相当の保証金(約1億ドル)を積む必要があり、ランディとマリアは失意のうちに帰国した。諦めきれずにアメリカでの提訴の途を探るランディに、事務所は応じず、ランディは事務所を辞め、もう関わりたくないというマリアの意向も無視して強引に提訴するが…というお話。

弁護士の視点
 強大な外国政府を相手に、若手弁護士が、国際的な司法の手続の合間を縫って活路を見いだしていく、司法アドベンチャー的なテーマが、私が同業者だからという面はあるでしょうけど、見どころです。
 ネタバレも含めですが、一般の方にわかりにくいところが多々ありそうなので、私がわかる範囲で法的な部分を説明します。1998年にマリアが絵画の返還請求をしたのは、映画では姉の死がきっかけになっていますが、この年にオーストリアが美術品返還法を定めて、返還請求が可能になったことがきっかけで、姉の死はおそらくはそれによってマリアが唯一の相続人となったということでマリアの請求権の正当性を基礎づけるのだろうと推測します。ウィーンでの美術品返還委員会(でしたかね。正式な名称は覚えていませんが)の手続は、行政手続です。オーストリア政府の見解は、アデーレ・ブロッホ=バウアーの遺言により寄贈されたものということですが、ランディの主張は、絵画の作成を依頼しクリムトに報酬を支払ったのはフェルディナントであるから所有権はフェルディナントにあり、所有者でないアデーレが寄贈するといってもそれは「願望」に過ぎず法的な意味はない、所有者であるフェルディナントは甥、姪に相続させると遺言しているのであるから、絵画はマリアが相続しており所有者はマリアであるというもの。相続人がマリア1人かに関して詰められているかはわかりませんが、法律論としてはランディの主張が正当のはずです。アデーレの「遺言」がフェルディナントの死後という条件付なのも、フェルディナントが先に死ねば自分が相続するからその時はという趣旨に取れますし。それでも委員会が不返還を決定するのは、役所がする行政手続ですから、道理が通らなくても政府の意向に沿うということでしょう。日本でも、役所が行う決定というのはそういうきらいがあります。ウィーンで絵画返還請求の裁判を起こすのに絵画の価格相当額の保証金を積む必要があるというのは、実際にそうなのか私にはわかりませんが、そういう法制度だとすると、裁判を起こさせないための嫌がらせとしか思えません。もっとも、日本の会社法も株主が役員の責任追及の裁判を起こすときには、役員の申立により裁判所が株主である原告に担保を積ませる制度を設けており、政府が起こさせたくない裁判にはハードルを設けるということはありがちとも言えますが。
 アメリカでの手続は、アメリカの法と司法を広く世界の紛争に及ぼそうという、アメリカらしい法と先例の元で、一定の要件があれば、アメリカでの裁判が可能となるという前提で、ランディが裁判を提起し、オーストリア政府代理人が、アメリカには管轄権がないという主張を行い、もっぱら管轄権の問題に絞った判決が出され、1審でも、最高裁でもランディが勝訴することになります。しかし、オーストリア政府側の徹底した引き延ばし作戦で、そこまで、つまりアメリカに裁判管轄があることを確定させるだけで肝心の絵画の所有権・帰属の問題はまだ判断されていない状態で、数年を費やしたために、最終判断を経るまでマリアが生きていられるかを危ぶんだランディが、和解の手続でオーストリア政府が補償は絶対拒否すると言ったのを受けて、ウィーンでの仲裁の受入を決断するに至り、マリアと決裂します。ここのところが、たぶん一般観客にはとてもわかりにくいと思います。日本語字幕は「調停」と訳していて、調停は、(少なくとも日本の制度では)調停案が気に入らなければ拒否すればよく強制力がありませんから、ダメ元でもやってみて(時間と費用の空費のリスク以外は)損はないのですが、仲裁は、予め仲裁人の裁定(仲裁)に従うという文書を出して行うものである上に出された裁定に不服申立もできないという、通常の裁判以上に一発勝負の手続ですから、まさしく賭けになります。しかもそれをアメリカではなく、オーストリア政府のホーム(マリアとランディにアウェイ)のウィーンでやろうというのですから、かなり思い切った賭けになります。そのあたりが、この時点でわかりにくい(特に「調停」と訳されると全然イメージできない)。
 ウィーンの行政手続で、理論と証拠で勝てたはずのところを、正義に反して蹴り出され、ようやくアメリカで苦労して活路を見いだしながら、オーストリア政府側の引き延ばし作戦のために年月を費やして、判決を待てずに和解で決着しようとして拒否された挙げ句、相手のホームタウンデシジョンが予想されるウィーンでの手続に戻るという流れを経てのラストになります。それを理解したかどうかで、マリアの怒り、ランディの前夜の緊張感、仲裁委員会でのスピーチの重さの捉え方がかなり違ってくると思いますが…

 ランディが、マリアの承諾を得ずに訴訟提起をする下り(アメリカでは当事者/弁護士が訴状を直接被告に渡すのがありなんですけど、それにマリアを連れて行っていますので、少なくとも黙認はさせたということでしょうけど)は、弁護士の感覚では、それはないだろうと思います。弁護士は本人から依頼されて初めて動くもので、本人からやってくれとも言われないのに先に訴状を出しちゃうなんて、私には考えられないし、懲戒ものだとも思います。事務所を辞めて借金生活しながらその裁判にかけるというのも、アメリカの小説ではよく登場しますが、ちょっと考えられません。こういうあたりを、弁護士はそうすると思われると、困るなと思います。
 この事件を経てランディが美術品返還を手がける事務所を作ったというところは、弁護士の専門性が偶然取り扱った事件に左右されるという現実に見合っているところです。
 ランディが事務所を辞めたときに詰った妻、その後はランディを支え励ましてくれます。ランディの子煩悩な姿とあわせ、支えてくれる家族がいればこそと、心温まります(リーガル・サスペンスに登場する弁護士は、家庭崩壊の弁護士が多いですから)。

 ところで、私が学生だった1980年頃、クリムトは、少なくとも日本では知る人も少なく、わりと西洋画が好きだった私が美大の学生と話していたときクリムトの名前を知っているだけで驚喜されたような状態で、せいぜい「接吻」「抱擁」「ユディトT」くらいが知られていた程度と記憶しています。クリムトが一般社会に知られたのは、まさにこの「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像T」が1億3500万ドルという史上最高価格で売却されたときで、「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像T」も名画/クリムトの傑作というよりも、世界で最も高額で購入された絵画として知れ渡ったものだったと思います。「オーストリアのモナリザ」とか「オーストリアの至宝」とか言われると、本当かなぁという気がします。(私は、もしクリムトの作品で、何か1つもらえるなら、「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像T」よりも、「ダナエ」か「水蛇T」かベートーベン・フリーズがいい)
(2015.12.13記)

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