◆たぶん週1エッセイ◆
映画「レスラー」
中年になっても落ちぶれながら細々と現役を続けるプロレスラーの生き様を描いたヴェネチア映画祭金獅子賞映画「レスラー」を見てきました。
封切り6週目日曜日、閉館が近いテアトルタイムズスクエア341席は3〜4割の入り。
かつては全米No.1のプロレスラーで今や伝説のプロレスラーでゲームのキャラクターにもなっているランディ(ミッキー・ローク)は、最盛期から20年後の今も現役を続けているが、観客の動員は減り、ギャラも減って、スーパーでアルバイトをしながら細々と食いつなぎ、家賃も滞っている状態。妻とは別れ、娘(エヴァン・レイチェル・ウッド)とも疎遠で、親しく話せる女性は、行きつけのクラブのストリッパー・売春婦のキャシディ(マリサ・トメイ)だけ。そんなある日、ランディは激しい試合の後心臓発作で倒れ、心臓のバイパス手術を受け、医師からプロレスをあきらめるよう言い渡される。ランディは引退を決意し、スーパーのアルバイトを増やし、娘にこれまでのことを謝罪してやりなおそうとするが・・・というお話。
プロレスラーの間では人当たりも良く、人望が厚いランディですが、プロレス以外の場面では不器用で、娘もほったらかしで愛想を尽かされ、家主やスーパーの雇い主ともぎくしゃくしています。
体の衰えは隠せず、心臓も悪くなりプロレスを続けられなくなったランディと、老けてきて客の指名も減りストリッパーとしての先行きも安泰ではないキャシディの関係も、晴れたり曇ったりでまっすぐには行きません。客としてではなく伴侶としたいランディに対し、客とは店以外では接触しないといいつつも揺れる思いを持つキャシディ。老いを感じる世代になりながらも不器用な2人のすれ違いが、切なく描かれています。
娘との関係も、拒絶を続ける娘に素直に謝罪したランディに、一旦は娘が心を開いてハッピー・エンドを期待させましたが、人間はそう簡単には変われないよねというパターンで破局が待っています。ここもねぇ、哀しいところです。
癇癪を起こして転げ落ちるようにすべてを失ったランディの選んだ道は、というのがラストの切なさにつながっています。
ヴェネチア映画祭金獅子賞映画で老いたレスラーの悲哀を描いた映画ということで見に行ったのですが、かなり露骨なストリップとセックスシーン(ベッドシーンと呼ぶのも無理)と流血シーンの連続で、R15指定も当然。そこは、ちょっと引きました。
そして、私たちのような80年代に青春時代を過ごした世代には、あの「ナインハーフ」のミッキー・ロークが・・・という変貌に驚き、若くして一世を風靡した者の落ちぶれた姿に涙します。
全体として、あまり品の良くないシーンがドタバタと続きますが、きれいには行かず不器用にジタバタ生きる様にしみじみとした哀感を覚える、そういう映画だと思います。
ところで、ランディがキャシディの勤める店で注文するとき、字幕で「とりあえずビール」って出て、えっと思って聞いていたのですが、台詞聞き取れませんでした。英語の翻訳をやっている人はよく、「英語にはとりあえずビールという言い方はない」(アメリカ人は「とりあえず」なんて注文をしない)といいますので英語で何というのか気になりました。英語ではどう言っているのか、誰か教えてくれるとありがたいのですが。
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