◆たぶん週1エッセイ◆
映画「ヤング≒アダルト」
都会に出て行き詰まった田舎町の希望の星だった37歳バツイチ女性の幸せ探し映画「ヤング≒アダルト」を見てきました。
封切り4週目日曜日、新宿武蔵野館2番スクリーン(84席)は8割くらいの入り。観客層は、ターゲットのアラサー〜アラフォー女性とおぼしき人々が多数派、次いで多いのは、意外にも中高年男性一人客。アラフォー独身女性のイタい姿というイメージの予告編からは、カップルで見るのはリスクが大きいというところでしょうか。
田舎町では抜群の美人で憧れの星だったメイビス(シャーリーズ・セロン)は、今は37歳でバツイチ、ミネアポリスで自称作家、実際にはヤング・アダルト向けの青春小説のゴーストライターをしているが、そのシリーズも人気が落ち打ち切りが決定、最終話を書くハメになるがなかなか書けずにいた。そんなメイビスに高校時代の元彼バディ(パトリック・ウィルソン)から赤ちゃん誕生のメールが届く。仕事はうまく行かず、ベッドの相手には事欠かないものの恋人もおらず、行き詰まりを感じるメイビスは、故郷の町に帰って元彼とよりを戻して幸せになることを妄想し、突然故郷の町を訪ねる。妻と仲良く暮らし赤ん坊の世話をする子煩悩のバディの姿を見ても、本当は妻には愛想を尽かし生活に疲れていて自分とよりを戻したいはずと妄想するメイビスはバディに迫るがバディにかわされる。メイビスに憧れていたが相手にされず同級生たちにリンチを受けて障害者になったマット(パットン・オズワルト)は、メイビスの勘違いを指摘するが・・・というお話。
田舎町ではもてはやされ、希望の星だった者が、都会に出てみれば山のように上には上がいて芽が出ず、成功にはほど遠いが、故郷の人々の期待・羨望・嫉妬と自分のプライドから撤退もできないという、ありがちな事態でどう生きていくか。そういう意識を持たなくても、自分を信じて生きてきたが、ふと見回してみるとまわりの人々は平凡な幸せを手に入れて安住し自分の将来には不安ばかりというとき、どうするか。故郷の町に帰れば、都会の厳しい競争にさらされず楽な小さな幸せが待っているのではないかと思うか、自分の選んだ道なんだから、迷わず前に進むだけと思うか。つきつめれば、そういうテーマの映画なんだと思います。
それを、学園のアイドルだったプライドとそこから来る高飛車な態度、昔のもてはやされた自分の記憶への固執から来る妄想ともいえる勘違いで猪突猛進させ、かつて羨望を持っていた者たちの反感と失笑という反応で、高ビーな37歳バツイチ女のイタい姿という形で出しています。
そういう形で出したテーマは、メイビスを否定するのではなく、しかし、これから都会に行きたいというサンドラ(コレット・ウォルフ)にも、メイビスに憧れていたマットにも新たな未来は提示されないように、やや突き放した形で回収されます。自分の道は自分で選べ、選んだ道は自分で進めってことなのでしょう。メイビスへの暖かい視線とさめた突き放した視線が交錯するようなエンディングだと感じました。
元彼のバディに相手にされず、高校時代に相手にしなかったマットに慰められるメイビスという展開からは、虐げられ独身を通してきたマットに幸せがなんてエンディングもありそうな気がするところですが、メイビスが故郷に帰る映像と、マットの映像が重ね合わされるように、マットの思いは投げ捨てられます。そのあたり、美人のバツイチ女の生き様は肯定されても、ブサ面独身オタク男は報われないって感じがちょっと悲しい。もっとも、このシーンを見て高ビーな5股女が結婚を意識して勘違いに気がつくというテーマの「婚前特急」(吉高由里子主演、2011年:見たけど書いてなかった)でブサ面男が報われ結果的に男の妄想の方を肯定的に描かれたのとの対比を意識してしまい、それよりはこっちの方が健全かなというふうにも思いましたが。
メイビスのあがきをイタいと失笑するのではなく、いくつになっても人生まだこれからだよというメッセージで結ばれると、メイビスより15歳上のおじさんもちょっと心温まります。
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