◆たぶん週1エッセイ◆
旗にお辞儀は、ちょっと変
縁あって、都内の中学校の入学式に出席しました。
壇上には、左手に日の丸、右手に自治体の旗が飾られていました。
式が始まるや、「全員、起立」のかけ声で立たされ、「入学式を始めます。一同、礼」といわれました。座席はすべて舞台に向かって配置されています。起立すれば、当然舞台に向かって立ちます。無人の舞台に向かって立って礼をするとなると、何に対して礼をするのか、明示はされませんが、どう見ても旗に礼をしているとしか考えられません。
式が始まっても、壇上に上って挨拶する人々は、校長も、来賓も、みな舞台に上がるときまず、これは明確に日の丸に向かってお辞儀をしてから演壇につきます。日の丸に向かってお辞儀するときは、半ば、出席者には背を向けています。挨拶が終わって舞台を降りるときも降りる前にわざわざ振り返って、出席者に半ば背を向けて日の丸にお辞儀をしてから舞台を降ります。
式の終わりにも、やはり、「全員、起立」、「これで入学式を終わります。一同、礼」。
校長や来賓の挨拶の度に、「新入生起立、礼」とあわただしく礼をさせるのもなんだかなあと思いましたが、人にお辞儀をするのは、礼儀として理解できます。
でも、人じゃなくて、旗に礼をさせられたり人がそうしているのを見るのは、ものすごく違和感を持ちました。特に、わざわざ旗にお辞儀するために出席者に背を向けてお辞儀するのを見ていると、誰のために入学式をやってるのかなと思ってしまいます。挨拶でいろいろいいことを言っても、人より旗を大事にする学校じゃあなあと、しらけてしまいました。まあ、礼をしている人たちは、旗より教育委員会を気にしているのだろうけど、それはそれで情けない話。
もっとも、物にお辞儀するのだって、例えば仏像を拝んだりするのも、信仰心でやるのは自由。だから、日の丸教か何かを信じている人が、日の丸を拝んでもそれはいいと思います。でも、それは個人的にやればいいことで、新入生との初めての出会いでこれから信頼関係を作ろうって時には、新入生とのコミュニケーションを優先して欲しい。
もちろん、日の丸にお辞儀している人々は、信仰でお辞儀しているんじゃなくて、「国を愛する心」を教える一環だなんて言うんでしょう。
でも、 だいたい、「国を愛する心」にしても「郷土愛」にしても、教え込んだり押し付けたりするものじゃないと思うんですよ。自分や、家族や知人が国に守られているなあとか、尊重されているなあということを実感できたら、そういう気持ちは自然と生まれてくるものだと思います。それが、年金も保険料は取られ続けるのにまともにもらえそうにないとか、地震やサリン事件で被害を受けても「個人の財産のために税金は使えない」とかで国の援助は受けられないとか、その一方で財務省に天下り先を政治家には献金を提供する銀行には私企業なのにその救済のために何十兆円もの税金を惜しみなく投入するなんてことを見ていると、愛国心なんて生まれて来ようがないですよ。
いい政治をしてみんなが「ああいい国に生まれてよかったなあ」と実感できるような社会を作るという地道な努力をしないで、手抜きで安上がりな道を求める人々が、「国を愛する心」を教育しなさいなんて言い出すんだと思います。
そういう手抜きで安上がりなやり方で、植え付けた愛国心なんて、上っ面だけのものだと思いますよ。
まあ、愛国心の話は別にしても、入学式は、新入生とその家族が大事で、学校はそのことを第一に考えてるんですよってことを示すつもりなら、新入生に背を向けて旗にお辞儀するのはやめて欲しいですね。
(2005.4.8記)
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