◆たぶん週1エッセイ◆
ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団(映画)
2007年7月14日、前日の青森での反対尋問の疲れと台風の接近もものともせず、小学生の娘を連れて「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」の「先行上映」に行ってきました。
(以下、ネタばれを気にせずに映画の内容に触れていますので、映画を見る前に知りたくない人は読まないようにしましょう)
今回は、魔法省での決闘を見せ場として、そこに結びつけるダンブルドア軍団の訓練を長めに入れ、原作のエピソードはかなりそぎ落とした感じです。ロンとハーマイオニー、マルフォイの監督生の件もクィディッチもなし、聖マンゴ病院も出てこないし。「重要人物」のマーク・エバンズもレギュラス・ブラックも出てこないし(マニアックな話ですからマニアの方以外は読み流してください)。
短いシーンを記憶場面でフラッシュさせる場面が度々あり、効果的ではありますが、何度もあるのでちょっとくどくも感じました。そのフラッシュシーンのうち2回、特に最後のハリーの愛と友情の想い出のトップがハーマイオニーとの抱擁シーンというのも、原作の感覚と、ちょっと違うんですよね。
「アズカバンの囚人」でも「炎のゴブレット」でも同じですが、映画では今回も、ホグワーツでは姿現わしも姿くらましもできないという言葉は登場せず。そのためか、魔法省での決闘の場面では、予言を守るために防護されているはずの神秘部の中にデスイーターや不死鳥の騎士団が次々と直接姿現わしして参戦してきます。原作でも、神秘部について姿現わしできないとは、書いてはいなかったと思いますが、ちょっと違和感感じました。
ストーリーで一番違和感を感じたのは、今回は、チョウ・チャンの役回り。前半でかなり長回しのネッチリしたキスシーンを入れて、原作よりもチョウ・チャンのハリーへの思いを強めたのは、まあ映画の売りとしていいでしょう。でも、アンブリッジにダンブルドア軍団の訓練に踏み込まれる原因となった「裏切り者」をチョウに変えたのはあんまり。さすがにそれではひどすぎると思ったのか、終盤でそれは真実薬で意に反してしゃべらされたのだということにしていますけど。マリエッタなんて端役を設定して紹介してなんてことするより時間が節約できるのと「不死鳥の騎士団」のうちにチョウと別れておくためそういう設定にしたんでしょうけど、これはやめて欲しかった。
エピソードをけっこう落として魔法省での決闘につなぐ構成にしたこともあって、ハリーとロンとハーマイオニーの関係は、破綻なく描かれたと思います。
新たな登場人物としては、アンブリッジは気持ち悪さ、いやらしさ、底意地の悪さ、カエル女と呼ばれたイメージはよくでていますが、愚かで滑稽な感じです。もう少し狡猾さ、したたかさも撮し込んで欲しい気がしました(すでに登場シーンが多すぎで、これ以上見たくないと思う人が多数派でしょうけど。削られたシーン=DVDの未公開映像でもアンブリッジのシーンが多くありましたが)。ルーナ・ラブグッドは、気持ち悪さは落として天然ボケっぽく描かれていて、登場シーンも多かったので、日本人受けするでしょうねと思いました。
原作では、ネビルがもっと活躍するしネビルの成長が印象づけられるのですが、映画では、これまでに比べるとネビルがよく登場しますし相対的には成長したのですが、まだドジでひ弱なイメージが強い。まあ、予言(映画では誰の予言かも示されていませんでしたが)の中身の説明もなくて、ネビルも選ばれた男の子であり得たことが出てこないのでそういう位置づけにならざるを得ないのかも知れませんが。
ハリーを主人公として、魔法省での決闘をクライマックスとし、それに向けたわかりやすい展開を心がけている感じなので、映画としてはわりとわかりやすい(原作のエピソードを無理に押し込むよりは相対的には、ですが)かなという感じではありますが、原作を読んで見に行くハリー・ポッターファンには、人物の関係、特にチョウとネビルの位置づけで違和感を感じやすいかと思います。
(2007.7.14記。2007.11.23DVDで確認して修正。)
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