◆子どもにもわかる裁判の話
  何のために人を罰する(ばっする)の?

 悪いことをした人を罰するのは、何となく当たり前のような気がするけど、考えてみるとなかなか難しい(奥が深い)話なんだ。
 1つは、人が犯罪(はんざい:悪いこと)を犯す(おかす)ことを防ぐ(ふせぐ)ため。法律(ほうりつ)で前もって、「こういう罪(つみ)を犯したらこういう罰を受けますよ」ということを決めておけば、人は罰を受けたくないから罪を犯さないようにするだろうということだ。例えば日本の今の法律では、人を殺したら死刑(しけい)か、無期懲役(むきちょうえき)か5年以上の懲役と決められている。死刑っていうのは罰として殺されてしまうことだ。懲役(ちょうえき)というのは刑務所(けいむしょ)に入ること。無期っていうのは期限(きげん)がない、つまり「ずっと」ってこと。こういう罰を受けたくないだろうから、人を殺さないようにするだろうってことだね。
 でも、罪を犯すとき、「罪を犯したらこれだけ得する(とくする)けど、刑務所にこれだけ入るのはなあ、うーん、どうしようかなあ」なぁんて落ち着いて考えて決めることは、あんまりないだろうね。
 どちらかというと、法律で犯罪を防ぐようなしくみができていてそれでみんなが守られているという、そのことをみんなが納得してそれはいいことだから守ろうという気持ちが生まれ、続くことが大事なんじゃないかな、と思う。
 もう1つは、犯罪を犯した人に、よく反省(はんせい)してもらって、その人がまた犯罪を犯さないようにしてもらうということ。
 でも、じゃあ刑務所で人の考え方を変えられるかというと、なかなか難しい。それに刑務所に行って出てくると、たいていの場合、出てきたときは仕事もない、お金も持っていない、刑務所に入っていたとわかると新しい仕事も見つからない。それでお金に困ってまた盗み(ぬすみ)とかをすることもある。なかなか理屈(りくつ)どおりには行かないところがあるんだね。
 そして被害者(ひがいしゃ)のかわりに仕返しをするという意味(いみ)もある。犯罪(はんざい)の被害(ひがい)を受けた人は、いろいろな面で大変なことになるしくやしい思いをしている。ほっといたら仕返しをしてやるということになりかねない。昔(むかし)はあだうちといって、仕返しを自分ですることがゆるされていたというか、すすめられていたんだ。でもそうしたら、あだをうたれた側はまたその仕返しということになってきりがないので、いまどきはあだうちは禁止(きんし)されている。その被害者のかわりに国が仕返しをしてあげるということだ。
 最近はマスコミ(新聞やテレビ)では、このことがずいぶんと強調(きょうちょう)されているね。被害者が犯人をにくいと思うのは、そのとおり。でも被害者が大変なのは、実際にはそこだけじゃなくて、傷ついた気持ちをいやすのに支える(ささえる)人がいてほしいけどそういうしくみができていないとか、働き手が殺されたり、働けなくなって生活に困っているとか、いろいろなことがある。そういうことで被害者を支えるのにはお金がかかるのでなかなか進まない。そちらに目を向けたくなくて、被害者の気持ちを犯人がにくいという方向に向けているということがあるような気がするなあ。
 考えていくと、簡単(かんたん)じゃあないけど、犯罪が少ないよい社会を作るためのしくみがあって、もっと言えば、被害者が守られるしくみもあって、こういういいしくみ(いい社会)を守っていきたいという気持ちが生まれ、続くことでみんなが法律を守ろうという生き方をするようになる、このことが大事なんだと思う。
 でも、いろいろな考えがあるから、みんなも考えてみようね。 

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