庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

弁護士の仕事
松本智津夫の場合

  弁護士会からの依頼

 忘れもしない1995年5月19日午後3時頃、私は二弁の法律相談センター運営委員会の会議に出席するために弁護士会館に行きました。そこで黒田副会長から声をかけられました。10年前のことですから、完全ではありませんが、再現しますと・・・
「伊東くん、今日は頼みごとがあって待っていたんだ」
「何ですか」
「実は、昨日の夕方、オウム真理教から当番弁護士の派遣要請があった。麻原と井上(嘉浩)だ」
「確か、私は当番ではなかったと認識していますが」
「今日の当番が誰かという問題じゃない。行ってくるだけじゃ済まない。弁護人になって欲しいんだ」
「確か、二弁にはこういう時に活躍する刑事事件のエースがいたはずですが」
「神山くんなら井上を受けた」
(絶句)
「井上は神山くんの高校の後輩らしいんだ。それでもう受任したから、彼は利益相反で麻原は受けられない。で、麻原は君にやって欲しいんだ」
「しばらく考えさせてください」
 黒田副会長は、連合赤軍事件で一緒だった永田洋子さんの主任弁護人の大谷恭子さんと同じ事務所に所属しています。大谷さんから連合赤軍事件の話を聞いて、私なら断らない/断れないと思ったのでしょう。

  頭の中を駆けめぐる思い

 当時、5月16日に松本智津夫が逮捕され、テレビは1日のうち15時間くらいこの関連の報道をしていました。そしてそのテレビのワイドショーの関心は、松本智津夫の弁護人が誰になるかという点に集中していました。ついでにいえば、そのころテレビのワイドショーでさんざんコメントしていたのは、私と一緒に統一協会の霊感商法の事件をやっていた伊藤芳朗さん(彼は坂本弁護士と司法研修所同期)と、私と司法研修所同期の小野毅さん(オウム被害対策弁護団事務局長)です。
 率直にいって目の前が真っ暗になりました。もしこれを受けたらほとんどそれにかかりきりになるだろうし、真相に迫っていけば教団か闇の勢力の危機感から身の危険もあるだろう。子どもは幼稚園で石を投げられ、自宅と事務所の前はマスコミのカメラが24時間張り込みプライヴァシーなんてかけらもなくなるだろう。子どもが石を投げられるシーンを想像すると涙がにじんできます。その時本当に腹痛が生じました。その日委員会で何が議論されたか全く覚えていません。
 でも、このあたりでは、それでも受けざるを得ないのだろうかという思いがありました。もちろん、受けたくないですし、客観的には受けたら弁護士業務が破綻することは見えているわけですが、そこまではどの弁護士にとっても同じです。刑事弁護という制度がある限り必ず誰かが受けなければならないわけです。他の弁護士と同じ事情では、断る理由にならないと思いました。
 しかし、当時、私はある新興宗教団体の霊感商法というか詐欺的なお布施集めについて損害賠償請求をしていました。統一協会の霊感商法では単に事務局弁護士の一員でしたが、その宗教団体の事件では私ともう1人だけでやっていて私が被害者側の「顔」になっていました。オウム真理教は、刑事事件もひどいけど、強引なお布施集めでも有名でした。ここでもしそのオウム真理教の代表者の弁護を引き受けたら、相対的にはオウム真理教よりはましなお布施集めの事件で何を主張できる?この段階ではまだ何が起訴されるか全くわかりませんでした。お布施集めが詐欺や恐喝で立件されることも十分に考えられました。そして被告人がお布施集めは正当だったと主張したら、弁護人はそれに反する主張はできません。その新興宗教団体の事件の相手方の弁護士のあざ笑う顔がありありと思い浮かびました。ここで、「これは受けてはいけない」と思い至りました。すでに受けている事件との関係の「意地」が食い止めたのですね。

  お断りとその後

 それで黒田副会長にそのことを説明して断りました。ただ、それでも、受け手が誰もいなかったら(その当時受け手がいるとは想像できませんでした)という思いがあり、結局はやる羽目になるかもとも思っていました。
 弁護士会の弁護人選びは進みませんでしたが、私選弁護人がつくという話になったので、私はホッとしました。
 そこへ、統一教会の霊感商法の事件を一緒にやっていた紀藤正樹さんから、松本サリン事件の遺族の代理人を一緒にやらないかという話が来ました。こちらはうってかわって世間的にも正義の事件です。もっともまだオウム真理教の残党が活発に事件を引き起こしている時期ですから、今度は坂本弁護士の場合に近いリスクはあるわけです。それでなかなか受け手のない事件とも思い、紀藤さんからの誘いでもありましたので受けることにしました。
 その後、松本智津夫の私選弁護人には問題があるということでまた弁護士会で弁護人選びが再開されましたが、そのときには、それこそ利害相反がはっきりしていますので、今度は絶対大丈夫と安心して見ていられました。 
 でも、そういういきさつもありましたし、オウム真理教の事件では守るも攻めるも人権派の弁護士同士です。後日、松本智津夫の弁護人がマスコミで叩かれるのを見るのは忍びない思いでした。
(2005.5.3記)

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