私の読書日記 2006年9月
24.警察vs警察官 原田宏二 講談社
著者は、北海道警の裏金作りについて退職後告発した元北海道警察釧路方面本部長(警視長)。この本は著者が告発後市民オンブズマンと組んで始めた「明るい警察を実現する全国ネットワーク」(警察ネット)での活動の過程で知った、警察と闘ってきた警察官3人の話をまとめたもの。1人は愛媛県警で裏金作りのための偽領収証の作成を拒否し続けたために勤続38年でも巡査部長のままの現職警察官。もう1人は長崎県警で拳銃摘発の際に上司と話し合いながら逮捕後に被疑者に拳銃を買わせて提出させて一人だけ起訴され懲戒免職とされた。もう1人は高知県警で部下が収賄で起訴された際にその部下に数回連れられてその店で飲食したことから依願退職させられ、その処分を争っている。書かれている警察官・元警察官たちの行為の正当性については判断が難しい点がありますが、それをおいて、警察が捜査や会計で違法すれすれ・違法そのものの様々なことをやっていることが書かれています。そのあたりがとても参考になりました。
23.歌舞伎町事変1996〜2006 李小牧、権徹 ワニマガジン
歌舞伎町の案内人として18年間歌舞伎町を見てきた在日中国人と歌舞伎町の写真を撮り続けてきた写真家が、歌舞伎町でのヤクザ、中国マフィア・「不良中国人」、アジア系外国人たちと警察の悲喜こもごもを文章と写真でつづった本です。歌舞伎町で、あるいは堂々と、あるいは片隅でこっそりと行われる暴力沙汰の話が中心で、迫力があります。写真の方もけんかと摘発関係が多いです。写真は、被写体への配慮から顔に修正がかかっていますが、テーマからして表情が見えると深み・凄みが出るものだけに、その点が残念。
22.下流喰い 消費者金融の実態 須田慎一郎 ちくま新書
消費者金融とヤミ金融の実情についての最近のレポートです。消費者金融については執拗な取立とともに押し貸しとも言える多重債務者への追加貸付セールスを論じています。消費者金融が好む客層は低収入の長くつきあえる、つまり完済できずに高い金利を払い続けてくれる人達という分析は納得します。そういう人達に多額の貸付をすること自体が多重債務者・自己破産予備軍を作り、ヤミ金融への借入に追い立てているわけです。消費者金融の標準的な貸付金利では毎月の返済可能額が4万5000円の人は借入総額が200万円になると「永遠に完済できない」ことが明確に指摘されています。そういう人達に平気で総額200万円はおろか300万、400万と貸し付けているのが、今の消費者金融の実情というわけです。著者はそれを「悪魔的ビジネスモデル」と呼んでいます。ヤミ金融については、債務者の女性を風俗店に沈めて売春させる「おんな市」の潜入レポート(123〜133頁)が圧巻。いまだにそんなことがあるんですね。ビックリしました。著者も論じているように、消費者金融が主張している、「上限金利を下げると借り手の多くはヤミ金融に流れる」というのはウソ。借り手がヤミ金融に借りざるを得なくなるのは、ほとんどの場合、消費者金融の高金利に返済ができなくなった末のこと。金利が低ければ、消費者金融が積極的にセールスして借金の額を増やさなければ、ヤミ金融からの借入に追い込まれる人はかなり減るはず。そのあたりも含めて、「グレーゾーン金利」問題など最近の諸費者金融をめぐる問題がコンパクトにまとめられています。
21.もう一つの鎖国 日本は世界で孤立する カレル・ヴァン・ウォルフレン 角川書店
オランダ生まれ・日本在住のジャーナリストによる日本政府・官僚の外交姿勢についての分析・批判の本。書かれている内容は概ね以下の通り。日本は、戦後一貫して、アメリカの保護の下で経済活動に専念し、国際政治・外交の場では何もしないという姿勢をとってきた。このことを著者は実質的な鎖国と評価しています。しかし、アメリカの側には既に日本を保護し続ける意志はない。戦後アメリカは、平和・秩序維持に努力してきたために国際的な権威を持っていたが、近年は国際秩序の破壊者となり、軍事力はあっても国際政治をリードするパワーは失われた。それでもアメリカの行動を支持し続ける日本の姿勢は国際的に理解されない。アメリカは常に外敵を求めており、ソ連崩壊後「ならず者国家」「国際テロネットワーク」を外敵と位置づけたが役不足で、今は中国をターゲットにしようとしている。中国の支配層はかなり変貌し開放的になって経済的成功を求めているが、中心的世代は文革などの記憶から秩序の崩壊を極度に恐れており、人民の蜂起の芽を感じると弾圧に走るという事情があり、中国に欧米のような意味での民主主義を求めても実現できない。しかし中国が対外的な(台湾は国内と考えられている)武力行使に至ることは想定しがたい。現在ではアメリカ経済(ドル)を支えているのは日本と中国(の大量のドル保有)であり、ブッシュ政権の中国批判は的はずれ。日本は、中国への不毛な批判・中国政府への侮辱をやめて、中国政府の立場を理解しつつ、東アジアの安定のために役割を果たすべき・・・。こういうことを少しまわりくどく、ちょっと論証不足な感じも残しつつ書いてあります。前半のもうアメリカの保護は期待できないし、アメリカに追随していると国際社会で尊敬されないという主張はよく理解できますが、後半の中国との友好にまず取り組めという主張と中国への評価はちょっと飛躍がある気がします。今時の日本にどっぷり浸かっている身には、著者の主張はずいぶんと中国寄りに感じられます。でも、アジアの他の諸国の中国の評価と日本の中国に対する評価の落差、特に「多くの面で日本よりも民主的な」韓国が中国には好意的という指摘は、ちょっとハッとします。
20.人口減少パニック 高橋乗宣編著 PHP研究所
人口減少問題を切り口にして、外国人エリートの争奪や外国人労働者の受け入れ問題、出産・子育て、高齢者のクォリティ・オブ・ライフや生き甲斐、自治体の過疎対策等を広く浅く紹介した本。後半は共同通信が配信した記事そのままのようで、連載記事で読めば読む日が違うから気にならない話のズレが、連載を同じ章にそのままつなげているために気になります。1つの読み物にするなら文章は少し編集する手間をかけてほしい。そして広くは人口問題でくくっているけど扱っている問題は様々で、やはり1つの読み物としては統一性が感じにくくなっています。それを補うのに前半をつけたのでしょうけど、これがまたいくつかのことを通り一遍に書いていてしっかりした芯になっていないように思えます。人口減少がいろいろなことに関わり影響していくのだなあということは感じられるでしょうけど、1つの読み物として読むにはまとまりや哲学を感じにくいと思いました。
19.ルーベンス ジル・ネレ タッシェン・ジャパン
17世紀前半に活躍した画家ルーベンスの画集+解説の本。「フランダースの犬」でネロが最後に聖堂に忍び込んで見る絵を描いた画家ですね。ルーベンスは商業的にかなり成功した画家で、工房を作りチームで大量の絵を生産したそうです(作品は1600点以上に及び、旅行や外交活動の時間を除けば32年間に毎週1点の割合で制作されたことになるそうです。54頁)。ルーベンスは得意な人物を自分で描いて動物や植物は工房のスタッフの画家に描かせることが多かったけれども、だれが何を書いたかは正確に記録しルーベンス自身が描いた割合で価格を決めていたそうです(43頁)。私は、ルーベンスの絵をまとめてみたのは初めてですが、得意の人物は、注文主を神話中の人物にしたりの媚びはありますが、体のふくらみ、たるみ、しわが必ず描かれていてあまり美化はしないタイプと感じました。意外だったのは、今回初めて見た「フランドルの村祭り」(73頁)とか「イタリア村の農民の踊り」(79頁)のような風景画・農民画の巧みさ・躍動感です。人物画だけじゃなくてこういうのも上手なんですね。スタッフが描いたのかも知れませんが。画集でじっくりと見ると、細部の描写がかなり丁寧で、展覧会が来たら現物で見たいなと思いました。
18.”ハリー・ポッター”の料理・お菓子CookingBook 魔法の料理会 コアラブックス
ハリー・ポッターに登場するイギリスの料理とお菓子を写真入りで解説し、作り方を書いた本。新しい本ではありませんが、私はこういう本を探していました。ハリー・ポッターを読んでいて、様々な料理やお菓子が登場しますが、どういうものかイメージできないことがよくあります。魔法のお菓子はしかたないですが(これは映画に期待したいのですが・・・)、せめて普通のイギリス料理はと思ってイギリスの料理を紹介する本を探しました。でも意外にイギリス料理を写真入りで紹介した本は見あたりません。ハリーのお気に入りのステーキ・キドニー・パイの写真は、この本で初めて見ました。他にもいくつかハリー・ポッターに登場する料理で初めてイメージできたものがあり、ハリー・ポッターファンとしては、収穫でした。魔法のお菓子の方は、ちょっと無理な想像が多い感じで、やめた方がよかったかなと思いますが。
17.金色の雨がふる 桐生典子 光文社
現代の42歳のバツイチ女性が35歳の嘘つき・暴力男に入れ込んで破綻していくストーリーと明治時代の足尾銅山での女郎と坑夫の果たせぬ恋のストーリーを絡めた小説。2つのストーリーは最初と最後に現代に明治時代の女郎の幽霊が現れるところでシンクロするだけです。400頁あまりの小説で、現代に明治時代の幽霊が出てくるのは最初の数ページの後は408頁から。いつになったらこの同時進行が交わるのかなと思って読んでいると、めげます。何のために同時進行させているのか、私には理解できませんでした。明治時代の女郎の方は、澄んだ眼の腕のいい坑夫に恋し、実業家に身請けされた後、安楽な生活の中で坑夫との再会を先延ばしにするうちに坑夫が落盤で死に、駆けつけなかったことを後悔し鉱山街に戻って死に、幽霊となります。現代の話は、財布を拾われたことを契機に知り合った自称司法書士・バツイチ、実際は性犯罪の前科あり・離婚歴3回・日雇い労働者の暴力男と知り合った主人公が、男の強引な言い寄り方に惹かれて2度目のデートで肉体関係を持ちその関係にのめり込み、次第に男の化けの皮がはがれて行き、さらには男が主人公と同じマンションに住む知人を強姦し殺害する事態になっても、あの人は誤解されている、可哀想な人、あの人を理解できるのは私だけ、私ならあの人を変えられるという、典型的な別れられないDV(ドメスティック・バイオレンス=夫婦・恋人間での暴力)被害者の心理で逃避行に付いていき逮捕されます。私がとても理解できないのは、作者が主人公にその行動をさせ・正当化しようとしていると見えること。明治時代の女郎が坑夫の死を知ってすぐに再会しようとしなかったことを後悔して幽霊となること、主人公が小学校の頃いじめに遭いそれをかばってくれた子を後に見殺しにしたことへの後悔、そういうエピソードを並べた上、最後にはこのDV男を明治時代のまじめで一途だった坑夫の生まれ変わりだとしています。私には、明治時代の坑夫と現代のこのDV男に共通点を見ることはできません。最後の方のこの言いぐさには違和感しか感じませんでした。しかし、現代のストーリーに明治時代のエピソードを並行させる意味は、この構成からすると現代の主人公とこのDV男を正当化することだけにあったと読めます。主人公は最後に逮捕されながら自分の選んだ道を後悔しない様子です。主人公の友人は、DV男から逃げろ、関わり合いになるなと正しいアドヴァイスをするのですが、主人公はそれを無視してのめり込む道を選び、しかもそれを後悔しないというエンディングです。光文社が「新刊案内」でつけたキャッチが「ふた組の男女の運命的な出会いを通して描く後悔から願いへの物語」「私は逃げない」です。かなり確信的に、DV男には関わるなという世間の常識に反して、DV男から逃げるなというメッセージですね。私はDVの事件はやっていません(断言しておきます)が、DVに詳しい弁護士の意見では、あの人を理解できるのは自分だけ、あの人には私が必要という心理がDV被害の深みにはまっていく典型的パターンとのことです。そういう心理にはまり破綻する主人公を美化するような小説には、強い違和感を持ちました。
16.なぜ紫の夜明けに 吉村達也 双葉社
非行少年に脅され続け高校時代にナイフで脅されてレイプに加わり、その後自殺を試みて奇跡的に一命を取り留めた過去を持つ主人公が、3人の女性とその親たちとの間で繰り広げる愛憎の心理ミステリーといったところ。この主人公、かなり読みが浅くて場当たり的なところがありますが、基本的にはそれほど悪人ではありません(レイプも、ナイフを突きつけられて加わったもの)。にもかかわらずその行動からまわりが次々と不幸になり精神を病んでいく展開には、話ができすぎとは感じますが、やりきれない思いがします。また、この主人公、死のうと思ってバイクでフルスピードで突っ込んでも、ナイフで腹を刺されて内蔵をえぐられても、火事で燃える建材の下敷きになっても死なず、ゾンビのように生きのびるのがまたいかにもウソっぽい。ちょっと、その昔読んだ竹宮恵子の「ファラオの墓」のサリオキスを思い出してしまいました(こんなこと言ってわかる人ほとんどいないと思いますが)。でも、ここまでこじれるかと思うほどぐちゃぐちゃにした後、こじれをほどいていく最後は、それなりに美しく感動的でもあり圧巻(あえて中身は書きませんけど、読んでいたら、こじれをほどくにはこれしかないよねってパターンではありますが)。ちょっと「愛と誠」と「タイタニック」を連想してしまいましたけどね。
15.愛闇殺 笹倉明 早川書房
タイでの保険金殺人事件に端を発する一連の事件をめぐる、刑事が主人公の人情ものです。本のカバーには「直木賞作家による待望の長編書き下ろしミステリ」とありますが、謎やトリックはあまりなく、話の展開もおおかた見えてますから、ミステリーとして読むのはちょっと辛い感じがします。登場人物の人物描写に重みを置いた人情話的刑事娯楽小説として読むのなら楽しめます。ただ、最後に犯人を殺害した人物が逮捕を免れる作りにちょっと無理を感じます。逮捕されないのが正義に反するという意味じゃなくて、タイの警察をなめ過ぎ。深夜にゲストハウスのすぐ前で射殺されていて、呼び出されて出てきたところを打たれたと思われる状況で、警察が死者の携帯電話を押収・チェックしないなんて考えられません。今時は携帯電話は普通の事件でも重要な証拠物件として押収されます。ましてや呼び出されて打たれたと思われるときに、その携帯は死者が持ったままで、その携帯に直前の着信履歴が残っている人物にタイの警察が事情聴取もせずに迷宮入りなんて・・・そういうストーリーにしたいのならせめて死者の携帯を処分しておかないと・・・
14.真相 イラク報道とBBC グレッグ・ダイク NHK出版
イラク戦争問題をめぐるブレア政権との対立の中でBBC会長を退任したグレッグ・ダイクの自伝。日本語版のサブタイトルからするとイラク戦争報道をめぐる内部事情が書かれていると期待しますが、400頁を超える分厚い本の中で、イラク戦争報道関係は第8章、第9章の120頁足らず。大部分は著者のイギリステレビ業界での経歴の話。しかも、自伝の例に漏れず著者が書きたいと思うことだけピックアップして書かれているので、話が戻ったり飛んだり、読者には不親切。せめてBBCに入る前のことは大幅に削って、BBCの中での愚痴も残していいけどくどいところはもう少し簡素にすれば、半分くらいの厚さの普通の量にできると思うのですが。テーマとしては悪くないけど、興味を持って読み続けるには厚すぎると思いました。
13.ゆるしのステップ ジャン・モンブルケット PHP研究所
司祭兼心理学者が、痛みを与えた相手を許すことについて書いた本です。相手を許さずに恨み続けると、ストレスにさらされ免疫系が自分の体を攻撃するようになってさまざまな病気になる、過去に縛られ、痛みをいつまでも思い出し、復讐の連鎖を生むなどと脅かした挙げ句、著者の提示する許しに至るのに必要な12のステップのうち10くらいからは神の助けによらなければできない(266頁、277頁)というのですから、結局は宗教者による布教書になっています。しかし、この本が論じている、許すことは(被害を)忘れることではない、許すことは元の状態に戻ること(仲直りをすること)ではない、許すことは自分の権利を放棄することでも相手の責任を追及しないことでもない、許すことは相手への優越感を示すことでもない、許しは命令されたり義務的にするものではないという指摘は、いろいろ考えさせられます。そして第一のステップで復讐しないと誓うとともにこれ以上攻撃させないことが大切と説くことも実践的です。自分が傷ついていることを自覚し、心の痛みを誰かと分かち合うことが重要との指摘も大切です。犯罪被害者の権利の議論をしていて日本では犯罪被害者に付き添うボランティアのことが抜け落ちがちです。自分が失ったものを自覚し、自分の怒りを自覚し、そして自分自身を許すことが、相手を許す前提という指摘も的を射ていると思います。そして相手を理解し(それは免責することではないし、無理してステップを進むことはないと著者は強調しています)、と進んでいきますが、この後は相当キリスト教的な色彩が強くなっていきます。著者が、無理して許すこと必要はない、許すことで自分が得る(成長する)ことが大切としていることの方をかみしめた方がよさそうです。宗教的な色彩が強い本ですが、1つの人生論として読むと、考えさせられるところが多いと思います。
12.彼女の命日 新津きよみ 角川春樹事務所
帰宅途中の路上で刺し殺された女性が、毎年命日の度に山手線で寝込んでしまった女性の体に乗り移って1日だけ蘇り、その眼から家族(母と妹、恋人)のその後を見続けるお話。恨み、それも犯人だけじゃなくて妹にも恨みを残して死んだ主人公が、1周忌には、その妹とできちゃった結婚をしようとする自分の元恋人の様子を知り愕然とし、恨みを募らせます。しかし、毎回他人の体を使っているうちに、いろいろな人の人生を知り、時の経過や家族の変化に次第にあきらめというか容認に変わっていく、というような流れになります。他人の体を使うことで少し変わった視点が得られ、他人を体を使うことでさまざまなトラブルに巻き込まれと、よかれ悪しかれ、霊が毎年1日だけ他人の体を使って蘇るというアイディアに支えられた小説です。そのアイディアとコミカルな部分が気に入ればいいでしょうし、そのあたりに振り回されてバタバタしてちょっと味わいに欠けるかなと感じればいまいちだなとなるでしょうね。
11.憂鬱なハスビーン 朝比奈あすか 講談社
大商社の取締役の息子の弁護士と結婚して結婚退職し広いマンションの部屋でリッチな暮らしをしながら、失業手当を権利としてもらうためにハローワークに通う30歳近いの女性のお話。はっきり言って、この主人公が、まわりの善意の人達に、内心で突っかかり毒づき続ける姿に、私はずっと違和感・不快感を持ち続けました。自分も家事を手抜きしているのに、実母の、それも歯科衛生士として働き続けて働かない父親も含めてめんどうを見続けて来た実母への見下しぶり。すごく性格がよくてかなりのわがままにも怒らずほぼ言いなりになっている夫(そういう弁護士って、仕事柄、結構目に浮かびます)への言いたい放題。年末風邪を引いて帰ってきてソファーに倒れ込んだ夫に「明日からずっと寝込まれてしまっては、せっかくの休暇が台無しだ。なんて間が悪いんだろうと思った。」(102〜103頁)とか。この女性、小学校から進学塾に入りトップを走り続けて東大に入りそのゼミの同窓生と結婚したわけですが、後半で就職後対人的な能力の不足で仕事がうまくいかず次第に干されて行ったことが明らかにされます。題名の「ハスビーン」はHas been。「かつては何者かだったヤツ。そして、もう終わってしまったヤツ」(42頁)からだそうです。まあ「なれの果て」ってやつですね。最後にその受験予備校の崩壊から主人公は何か吹っ切れて未来を見つめる予感で終わっています。でも、後半でそういう展開になっても、受験秀才でまわりのこと考えられない人間がコミュニケーション不足で落後していくというだけでこの主人公に同情する気にはなれませんでした。私には、どうもこの主人公には素直に幸せを願う気になれない。ただ最後までいやなヤツだなあと思うだけで、爽快感が得られませんでした。純文学系の受賞作(私は群像新人賞というと中沢けいの「海を感じるとき」を思い出す世代なんですが・・・)だし、タイトルでも「憂鬱な」と予告してるんだし、娯楽と期待して読むのが間違った態度だったんでしょうけど。
10.さよならを告げた夜 マイクル・コリータ 早川書房
私立探偵が死体で見つかり妻と5歳の娘が行方不明という事件の真相解明を被害者の父親から依頼された私立探偵リンカーン・ペリーが、事件を追い、街の有力者やロシア系マフィアと追いつ追われつ・・・というようなミステリーです。主人公と相棒、知人の新聞記者の人物造形と台詞回し、ストーリー運びの巧みさはかなりいい線行っています。法廷シーンもなく、弁護士が(殴られ役でしか)出てこないので、リーガル・ミステリーとは呼べませんが、そこを無視して評価すると、社会的な問題提起がなくカット割りがないグリシャムというか、プロットがややばたつくマルティニという感じです。これが大学在学中の21歳が書いたデビュー作というのはビックリです。アメリカでは既にシリーズ第2作が発売されているそうで、期待の新人です。グリシャムが、アメリカでは次々と新作を発表しているのになぜか日本語訳がぱったり止まっていて(アカデミー出版の超訳で「裏稼業」と「召喚状」が出た後リーガル・ミステリーはぱったり。私は白石訳のグリシャムの新作が読みたい!)、リーガル・ミステリーの新作に飢えている日本のリーガル・ミステリーファンには、一読の価値ありじゃないでしょうか。
09.ハピネス 嶽本野ばら 小学館
心臓病のためあと1週間の命と告知された高3の少女が、好きなロリータファッションブランドの購入と、恋人とのセックスと、好きなカレー三昧の生活を決意し、そうする1週間を恋人の高3少年の立場から書いた小説。少女の両親は金持ちで理解があって短い命ならと少女の希望をすべて受け入れて何をやっても文句を言わないし、少年の両親は子ども1人残してオーストラリア住まいと、2人の行動には全く障害がない、とても都合のいい設定。実際、2人にとって困ったことは、少女の病気が進行し、1日1〜2回発作が起きること以外には(タクシーが渋滞に巻き込まれるくらいしか)起こりません。ひたすらブランドショップで買い物をし、カレーを食べセックスし続ける日々が、時々発作が入り死を間近にしていることで正当化されながら書かれていきます。そして1週間が過ぎて予定通り少女が死に、少女も少年も、自分はこんなに愛する人と巡り会えてこんなに愛することができてウルトラ・ラッキーだったと評価します。短い命と告知されたとき、人はその後どういう生き方を選択するか。数多くの文学・ノンフィクションで取り扱われてきたテーマですが、多くの場合、結局はこれまで通りの人生を地道に続けるというものが多かったと思います。これほどストレートにやりたい放題を選択するものは珍しいでしょう(やりたい放題といってもロリータファッションやカレーというのがかわいいというか小粒ですが)。作者もちょっと引っかかったのか少年の夢の中で世界の終わりが知らされても日常通り生活を続ける人々を出しています(118〜119頁)が、1シーン出しただけでそれについて深められたり追求されることはありません。人間は死ぬ前の1週間幸せならそれで幸せなのか。そして、この小説は死ぬ少女ではなく少年の立場から書かれていて、その立場で読むと、あんまり都合よすぎないか。文体への違和感も含め、旧世代としては最後まで違和感を感じてしまいました。
08.インドの時代 中島岳志 新潮社
最近のインドについて紹介した本です。「悠久の大地」とか「貧しくとも目の輝きを持った人々」というパターン化された紹介への反発を、著者が強く持っていて、書かれている内容は、富裕層・中間層のアメリカナイズされた生活と、その反省を含んだ心の豊かさ願望と癒しを求める人々に忍び寄るファッショナブルなヒンドゥーナショナリズム、新興宗教・カルトも含めた宗教事情と最後に最近の政治・宗教の動きに限定されています。リッチな中間層のお友達に取材して書きましたって感じの部分が多いです。なんか、バブル期とそれ以降の日本と通じるような話が多くて、インドも日本とあんまり変わらないのね、という読後感が著者の狙いなんでしょう。でも、インドの大部分を占める貧困層をほぼ視野の外においた紹介を読んで、これが現代のインドかあ、なんて思えるほど素直な読者じゃないもんで。新興宗教も含めたヒンドゥー教系の動きの紹介は興味深く読みましたが、後はインドにもそういう人達もいるのね(まあ、日本もそうだけど)というところですね。
07.海賊ジョリーの冒険2 海上都市エレニウム カイ・マイヤー あすなろ書房
生まれながらに海面上を歩行できる超能力を持つ海賊の少女ジョリーが、育ての親の海賊をめぐる陰謀、暗黒の海・大渦潮から派遣される怪物たちの襲撃に巻き込まれ、同じ能力を持つ少年ムンクとともに冒険するファンタジーの第2巻。第2巻ではジョリーたちが、昔、大渦潮を封じ込め監視のために設けられた海上都市エレニウムにたどり着き、そこで「原初の父」の指導で新たに魔法や海中での遊泳・歩行を訓練して大渦潮との戦いに備えますが、ジョリーはムンクの変貌への違和感や人々の期待の重圧等から疑問を持ちます。育ての親の海賊の問題の展開や「水の機織り女」の「邪悪とは何か」との問いかけや原初の父らの正体をめぐり、混沌として来つつジョリーが大渦潮との戦いに向けて気持ちを整理したところで3巻に続くとなります。ファンタジーとして言うと、敵が「暗黒の海」とか「大渦潮」とかイメージしにくいのがちょっと難点。2巻に入り、ジョリー、キャプテンウォーカー、ソールダッドら荒くれ者(ジョリーとソールダッドは女性)の海賊キャラクターがちょっとおとなしめになるのも残念な感じがします。どちらかというと2巻は謎を深めるところで、3巻で大展開があるのでしょうけど。原書では2003年〜2004年に3巻シリーズが発売済のものですから、日本語版を売り出すのに1巻を2005年12月に出して2巻が2006年8月発売、3巻の刊行時期未定というのは、読者としては不満があります。原書で完結してから翻訳するのなら同時発売か1〜2ヵ月で次が出せるように準備してから発売してほしいと思います。
女の子が楽しく読める読書ガイドで紹介しています。
06.オシムの言葉 木村元彦 集英社インターナショナル
ユーゴスラビアサッカーウォッチャーの手によるオシム監督のこれまでの紹介。今やベストセラーで、私もオシム監督がジーコ監督の後任に名前が出てすぐに図書館に予約を入れたんですが、2ヵ月半待ってようやく来ました。タイトルから感じるような「オシム語録」的な部分は少なく、選手時代、ユーゴスラビアのクラブチーム・代表チームの監督時代、ギリシャ(パナシナイコス)、オーストリア(シュトルム・グラーツ)での監督時代、そしてジェフの監督としての活躍を綴っています。サラエボ生まれのオシム監督が、ユーゴスラビアの代表チーム監督として優れた力量を発揮し確固たる姿勢をとりながら、民族対立・独立の動き・内戦に巻き込まれ翻弄されていく様子、妻がボスニア=ヘルツェゴビナ紛争のサラエボ包囲戦のさなかのサラエボにいたため2年半も会えない中でサラエボを包囲している側の民族のクラブチームを率いる葛藤は、サッカーものというレベルを超えて読み応えがあります。この本の本領はむしろそのあたりにあるように思えます。そういう経験を超えてきたオシム監督の言葉、姿勢と思えば、なおさら含蓄があり、重く感じてしまいます。「言葉は極めて重要だ。そして銃器のように危険でもある。(中略)新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから。ユーゴの戦争だってそこから始まった部分がある。」(38頁)なんて重すぎる。純然たるサッカーファンの読み物としていえば、オシム監督が選手時代、「ハンカチ1枚分のスペースがあれば3人に囲まれても自在にキープできる」程のドリブルの名手でボールを持ちすぎる、球を離さないと評価されていたという下り(46頁)が一番興味深いかも。それをオシム監督にぶつけて「確かに自分が監督になったら絶対ああいう選手は使わない(笑)。実際に今まで使っていない。やはり選手と監督というのは別のものだ。」(47頁)と答えさせているところが一番笑えますね。
05.ミシェル・フーコー サラ・ミルズ 青土社
フランス現代哲学に大きな足跡を残したミシェル・フーコーについてのフェミニストによる文学研究者向けの入門書。著者の立場はフーコーを祭り上げることなく、偶像破壊的・挑戦的・どこまでも懐疑的な性格のフーコーがあらゆる立場から利用しうることに注意しつつ、フーコーの矛盾や男性中心主義的側面にも光を当てつつ解説するというもの。確かに権力を国家・市民間の垂直関係のみならずあらゆる関係の中に見いだすフーコーの権力観は、反権力闘争をやりにくくする面も、また国家権力を過大視しないことは闘争を容易にする面もあるでしょう。常に新しい思考方法を求める姿勢は、オルタナティブを志向する非主流派を勇気づける面も、常に自身をも疑い続けるべきことは運動に確固たる自信を持てなくする面もあるでしょう。著者はそういうことを述べているわけではありませんが、紹介されているフーコーの姿勢からは、私はそういうものを感じます。読み方に間違いがあるかも知れませんが。しかし、それでもあらゆることに疑問を呈し続けるという姿勢は、仕事柄かも知れませんが、私には魅力的に思えます。
いわゆるニューアカデミーブームの時期に学生・司法修習生を過ごしたこともあり、ミシェル・フーコーの名前はどこか頭に残っていて(でもまともに読んだことはなくて)手に取りましたが、現代哲学系の本は、慣れないと言葉からして取っつきにくい。言説とか言表とかもう少し平易な訳はできなのかと思います。まあ、これから関係する本を読むように勧める立場からは他の本がそういう専門用語的な訳をしている以上そうするしかないのかも知れませんが。でもfieldを「領野」と訳す必要はないと思いますけど・・・。巻末の訳者あとがきでは、訳者が著者をフーコーの主要著作以外の文献を反映してないとか近年のフーコーをめぐる議論を反映してないとか「勉強不足」と言わんばかりの指摘をしているのはビックリ(ダメな本だと思うなら訳さなきゃいいのにとも思いましたが)。
04.セキュリティはなぜ破られるのか 岡嶋裕史 講談社ブルーバックス
セキュリティに関する技術の本ではなく、セキュリティの基本的な概念と考え方を説明した本。書いてあることは大部分当たり前のことですが、守るべきもの(資産)とリスク対応コストのバランス、セキュリティシステムのメリット・デメリットを考えるなど、広い視野でバランスを考えることの重要性を指摘しているのは大切だと思いました。また、セキュリティの最弱のパーツは人間(内部の人間による侵害、操作する人間のミス)であること、しかし内部の人間を全く信用しないと組織自体が成り立たないしミスをしない人間はいないこと、だから完全なセキュリティはないし究極のセキュリティが構築されたら人間は幸せに暮らせないこと等の指摘は考えさせられます。そういう意味で、セキュリティのノウハウを学ぶのではなく、セキュリティの哲学を考える本といえるでしょう。各章に「この章のまとめ」の他に「この章で間違えそうなこと」が整理されているのは、この本のポリシーにもあっていることですが、親切です。
03.バグダッド・バーニング2 いま、イラクを生きる リバーベンド アートン
また1つ、人気ブログの書籍化。でもアメリカ占領軍とイラク傀儡政権、イラク治安部隊には気に入らないでしょうけど。バグダッド在住のイラク人女性が「イラク戦争」開始直後からバグダッドの様子などを書きつづったブログの2004年6月から2006年6月までの分を本にしたのがこれ(それ以前は「バグダッド・バーニング−イラク女性の占領下日記」として出版済)。爆撃から爆破、治安部隊などの襲撃の恐怖が日常化していく様子が、読んでいて悲しい。その種の暴力の他に、戦後も続く(戦後さらにひどくなっている)停電や断水、石油の上に浮いているような国でのガソリンや灯油不足という生活の中からの不満・怒りが生々しい。そして、イラン型のイスラム国家化の進行とヴェールやヒジャーブ(スカーフ)に押し込められていく女性たちの様子、さらには次第に強まる内戦への危惧感が描かれています。アメリカ軍の侵略の前、中東ではありがちな独裁国家ではあったけど中央には珍しい非宗教政府だったイラクが、イラン型のイスラム原理主義国家に。これは、本来アメリカにとっても最も避けたい道だったはずですが。
ブログも見ましたけど、アラビア語かと思ったら英語なんですね。日本語訳サイトもできていて、本でなくても読めますけど。本の最後の方、なんとなく悲観的というかあきらめが強まっていく感じで気になりますが、続けてほしいブログですね(まあ、存在の必要がなくなることの方が望ましいんでしょうけど)。
02.イリアム ダン・シモンズ 早川書房
これはひどい。駄作という意味ではありません。しかし・・・。話は未来の改造された火星にあるオリュンポス山、イリアム平原で繰り広げられるギリシャ勢のトロイア攻囲戦、火星探検に向かう木星の半生物機械(モラヴェック)、地球に残された人類を中心にそれぞれ進んで行き、壮大なスケールの世界が展開されます。それで、日本語版で2段組の本文747頁、400字詰め原稿用紙換算2100枚(訳者あとがき)を読破して待ち受けているのは、大半の謎解きはお預け。これは実質的には上巻で、下巻の「オリュンポス」(原書2005年6月発売)に請うご期待という話。オリュンポス・イリアム平原とモラヴェックは合流するけど、地球人サイドの話はまだつながらず、別進行のまま。イリアム平原は一体どこにあるか(最初は火星だと思ってましたが、終わり間際で地球のように匂わせていて、でもたぶん地球ではないはず)、オリュンポスの神々の正体、地球サイドの話ではプロスペローの正体と「リング」での不可解な行動の理由などの基本的な謎が解かれないまま放置されています。それはないでしょう。まじめなSFファンならまず間違いなく欲求不満になりますから、まだ読んでいない人は今読まずに「オリュンポス」の日本語版が出てから一気読みすることをお薦めします。お話の中では、ホメロスの「イリアス」、シェークスピア、プルースト(失われた時を求めて)が度々登場します。特に最初の方で話になれるまで、イリアスやギリシャ神話に全然興味がないと、ちょっと読み進むのが苦痛でしょう。知らなくても一応読めますが、読みながら、知ってたらよりおもしろいんだろうなと感じます。英語圏では普通の教養なんでしょうか。でも、量子テレポーテーション(QT)とか人間をファックスで瞬間移動させる(送信先に情報だけが送信されて別の原子で瞬時に同じ人間が作成されるようです)なんていうことが頻繁に出てきて、それを量子力学や「量子の絡み合い」(アインシュタインが量子力学に対する批判的命題として指摘した概念)で説明したり、結構読者にハイレベルの要求をしている感じがします。量子論の世界がマクロレベルで実現したりワームホールで時空がつながったりするあたりは説明がなくて、SFらしくなりますが。話はイリアム平原の学師ホッケンベリーとモラヴェックのマーンムートと地球のディーマンを中心に進みますが、終盤までディーマンのわがままぶりにはどうも感情移入しにくいです。終盤でディーマンが突然勇敢になるのは、きっかけの説明もなくてあれっと思いますが、まあ終盤ではそれぞれに入りやすくなってはいます。それだけに話が融合せずに謎解きもなく、続編待ちにされるのはやっぱり、そりゃないよと感じます。
01.災害のあと始末 林春男監修 エクスナレッジ
サブタイトル「被災後3日目からの対処マニュアル」の通り、災害で生き残った後の生活再建に向けてのガイドブックです。幅広い分野について、コンパクトにまとめてあります。それぞれの項目を詳しく知るのには別の資料を探す必要がありますが、ああこんなことが問題になるんだとか、おおかたこういう方向に動けばいいんだというようなことを見るのにはよさそうです。支援金とか保険とか、どうなるんだろうとは思っても、あまり知りませんもんね。そういう観点で勉強になりました。防災の日の読書としては最適かも。
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