私の読書日記  2007年1月

20.ブルー・ムーヴィー テリーサザーン 早川書房
 ハリウッドの著名監督がトップスターを使ってハード・コアポルノを撮るというテーマのコメディ小説。ハリウッドの俳優とスタッフのルーズなというかただれた性関係が延々と描かれています。作者がハリウッド映画の脚本家だっただけに、映画制作の実務的な描写も多く、そういうあたりからするとゴシップ的な部分もそういうものかもと思ってしまいますね。コメディとして読むから、まあいいですけど、まじめに考えたら差別的な感覚の表現が少なからずあり、今時の出版としては疑問があります。書かれたのは1970年ですが、その頃でもこういう表現は疑問視されたと思うんですが。こういうハードコアポルノの作成に、観光客集めの目的でリヒティンシュタイン政府が出資するなんて設定やヴァチカンの僧侶が実力でフィルムを奪取するとかいう設定には、リヒティンシュタインやヴァチカンから文句出なかったんでしょうかね。

19.花ひらく王朝文化 平安・鎌倉時代 中村修也監修 淡交社
 平安・鎌倉時代の文化についてコンパクトに解説した本。和歌や音楽、遊び、祭り、茶、絵画と書、土器・陶磁器を取り扱っています。平安時代の蹴鞠の名手がリフティングをしながら清水寺の欄干を何往復もした(30頁)とか、ろくろとトンネル状の窯の発明で大量生産された須恵器が燃料である樹の伐採・枯渇のために平安後期に途絶えて焼き物文化が断絶した(86〜87頁)とか、なかなか興味深く読みました。昔も環境問題があったわけですね。鎌倉時代に大きな甕が大量生産されて庶民が利用できるようになったことが、種の保存や堆肥作成の技術につながって農業生産力を飛躍的に増大させた(92〜94頁)というお話も、貴族中心の文化論を超えて考えさせられました。内容が固いので薄さのわりに読むのに時間がかかりましたけど、教養本としてはいい感じでした。

18.小椋久美子&潮田玲子のバドミントンダブルスバイブル[レベルアップ編] 喜多努監修 ベースボール・マガジン社
 日本女子バドミントンのダブルスのエースコンビ、オグシオこと小椋選手と潮田選手の映像でバドミントンのダブルスのテクニックを紹介するDVDブック。フットワーク練習、ノック、試合映像と進んでいきますが、練習編では、どっちかというとオグシオより、プロのコーチのノック(特にレシーブ練習)のテンポの速さにビックリ。Chapter23で中島コーチのノックのフィードの映像が入っていてそれを見て納得。Chapter45でも2対1(1の方はハーフコート)のスマッシュ練習でのコーチのレシーブ技術が光ってたり・・・。試合映像は、ステップを踏んだ解説ではなく、2005年の全日本総合の決勝戦、日本リーグのヨネックス−三洋戦、デンマークオープンの決勝戦の映像を使ってオグシオの技術を解説しているものなので、それを見て参考にするというよりは、オグシオの名場面集みたい。それはそれでかっこいいけど。決勝で勝ったマッチポイントは戦術と関係なく収録されてるし。左奥へのロブを12本続けてミスを誘うChapter57とか、そんなことできる状態なら別に何やっても勝ってるとも思えますし・・・Chapter58なんてバドミントンのゲームではちょっと考えられない1分55秒のラリーとか・・・。練習用より、オグシオ人気でバドミントンに興味を持った人向けかも。

17.幻をなぐる 瀬戸良枝 集英社
 表題作(すばる文学賞受賞作だそうな)は、田舎から東京の美大に行ったものの夢やぶれて郷里に帰り実家の薬局で仕事もせずぶらぶらしている不器用な女が、元同窓生のエリート美青年と一夜を共にするが相手は新興宗教の勧誘目的で手当たり次第に女と寝ていることを知り、自己嫌悪に陥りつつもなお相手を求めている自分と戦い煩悶する様子を描いた小説。20代半ばの女性を、これだけ無様に屈辱的に描けるのは珍しいとはいえますが、なんか露悪的・自虐的で読後感がよくないですね。今風でない、どこかねっとりと絡むくせのある文体は、もう少し骨のあるテーマだったら、それなりに生きるかもしれませんが。幻と戦った後、エンディングが、ぶらぶらしていないで働けと言っていた兄から薬局の手伝いをしてくれと言われたのが優しく感じたというのでは、夢を追って敗れた者に、夢を追う前の敷かれていたレールに乗る普通の人生がやっぱりよかったという教訓を垂れているようで、いやらしい感じがしました。カップリングされている「鸚鵡」は、主人公の女子高校生が、弟の同級生男の乱暴で独善的な性交に辟易しつつ姉の同級生女のキスに陶酔しというように、受け身の性行為に翻弄されながらニヒルな考えに浸る、ちょっと70年代風の作品に見えます。しかし、マルクスやウェーバー、デリダなんかを並べて「足を引っ張ることはあったとしても、一度だって世の中の役に立ったことなどないのにね」(114頁)というあたり、夢やぶれた元左翼転向者の匂い。「確かな行為、確かな感覚、確かな言葉。そんなことより、こうして無防備であることの方が、よっぽど大切であると思う」(136頁)となると、結局のところ、体制順応ってことなんでしょうね。

16.また会う日まで 柴崎友香 河出書房新社
 大阪在住の25歳OLが1週間休暇を取って東京に行き、大学の写真部の同窓生男、元会社の同僚女のところを渡り歩きながら、高校の同級生男やそれにつきまとう後輩女と過ごすというような小説。同窓生との久しぶりの再会で、変わったような、しかしあまり変わらないような、違和感となごみ感をもちつつの会話と間の取り方は、こういう感じわかるとは感じます。でも、特段の事件も起こらず、東京を放浪し次々と人に会うだけの、旅先で昼間からぶらぶらしている点では非日常だけど中身は日常の話ばかりで1週間が過ぎて終わってしまうと、何だったんだ、これは?と感じてしまいます。それから、大阪人で関西弁しゃべり続けているのに、文章の端々に東京の方が大阪よりいいと匂わせているのが、少し卑屈な感じがして、ちょっと哀しい。

15.徹底図解 飛行機のしくみ 新星出版社
 飛行機のことを広く浅く解説した本。見開き2ページパターンで歴史や原理、機体のしくみや航空会社のことなど様々なことを書いています。飛行機の設計がかなりデリケートなことや主翼に付いているフラップやエルロン(補助翼)、スポイラ、尾翼が非常に重要な役割を果たしていることなどとても勉強になりました。フラップを拡げるだけで揚力が80%も大きくなって、乗客を乗せた状態ではフラップなしでは離陸できない(84〜85頁)とか、垂直尾翼がないと飛行機はまっすぐ飛べなくてへたをするとコマのように回転しかねないとか(88頁)知りませんでした。旋回時のエルロンやスポイラの動きとか知ると、翼の上の席に当たったときは翼を眺めて楽しめそうです。また、ふだん意識しませんが、航空機は低温(−数十度)低圧(0.2気圧)の中を高速で飛ぶわけですからかなり厳しい環境条件で、その中で経済性を追求するギリギリのラインを求められる設計・製造はかなり大変です。飛行機の構造試験では安全率を掛けた終局荷重で3秒持ちこたえることが求められるそうで、「航空機の場合、過剰な強度は重量の増加を招くので、規定どおりの荷重で壊れるのが最適な設計といえる」(138頁)だそうです。乗客としては、ちょっと複雑な気持ち。

14.技術の伝え方 畑村洋太郎 講談社現代新書
 個人や組織が技術を伝えていくやり方について検討した本。ありがちな教育やマニュアルは、教える側の視点で教える側が言いたいことだけを言っているきらいがあって、それでは伝わらない、伝えられる側の視点が大事だというのは、技術に限らず、あらゆる場面で言えそう。まずやらせてみる(体験させる)、最初に全体を見せるというのも、大切なことですね。特定の部分の話を聞いているだけじゃ、知識としては詳しくなっても、やっぱり身に付きませんもの。それから、マニュアルが、こうあるべきことだけを書いていて、結局はこううまくいったらいいなということしか書いていないという指摘は納得もの。どうしてそうすることになったか、その裏にどんな失敗があったか、その指示を守らないとどんな危険なことになるのかをきちんと書いておくことが大事なんですね。全体の話とは別に、日立の原発でのタービンの設計ミスの原因論で、コンピュータによる設計(CAE)の発展で昔は試作品を作り実物実験をしていたのがコンピュータ上でできてしまうものだからそれを省くようになり、コンピュータの入力データに欠陥があると欠陥品を開発してしまう危険があるのにコンピュータできちんとシミュレーションしているから大丈夫だという気になってしまうのが落とし穴という趣旨の指摘(40〜44頁)があるのは、昨今の技術のあり方との関係で重要な指摘だと思いました。

13.お父さんはやってない 矢田部孝司、矢田部あつ子 太田出版
 痴漢冤罪事件の元被告人と妻が、逮捕から高裁での逆転無罪判決までの経緯をつづったノンフィクション。もちろん、著者の目的は無実であることと無実の者が突然逮捕されて1審で実刑判決を受ける恐怖やそれを覆すことの大変さを記録することにあるわけです。しかし、私の感覚では、前半の裁判前の話が、刑事手続を一般の人の目から理解し感じるのにとてもいい教材だと思いました。話者が逮捕された本人とその妻で交替に書かれているのも、同じことを塀の中と外から、違う観点から描かれているのが理解を深めます。前半から中盤の逮捕された本人と妻の考え・感情の違いも、被告人とその家族のズレ・行き違いとしてよくあることですが、刑事手続中の関係者の置かれた立場をよく表しています。そういう観点からは、この被告人の場合、友人に恵まれ、無罪立証のために大弁護団が組まれたり、運動が展開され、証拠のためのビデオ撮影やそのためのセット作りとかかなり大がかりに展開されていて、そこが、痴漢冤罪で無罪判決を勝ち取るためにはここまでやらなくちゃいけないのかと思わせて、読者が暗澹たる気持ちになるのが難点。弁護士の立場からは、1審で負けた弁護人も含め、弁護団の活動には、そこまでやるかと敬服します。それでも著者が弁護団に不満な様子を見せているあたりには、弁護士としては、悲しいというか、弁護士って因果な商売だなあと思います。

12.絵とき溶接基礎のきそ 安田克彦 日刊工業新聞社
 溶接の理屈と作業の解説書。前半は、溶接の基礎と炭酸ガス半自動アーク溶接、ティグアーク溶接、被覆アーク溶接の作業について、わかりやすく書かれています。上手な人の例とへたな人の例が出ていたり、溶接棒や電流の選択、距離の取り方や進める速度でできが違うとか、技術がいることがわかります。後半の各種材料の溶接になると、解説が一気にラフに(専門用語の羅列に)なり、金属材料によって溶接の難しさが違うことはわかりますが、なんか難しいのねって印象で終わってしまいます。最後も前半の水準で書いてくれるとよかったのですが。

11.アメリカの終わり フランシス・フクヤマ 講談社
 ネオコンの本流を自認する著者がブッシュ政権の政策、特にイラク戦争を誤りと指摘し、ネオコンが今や「先制攻撃」「体制転換」「一方的外交」「善意による覇権」といった考え方を密接に結びつけられてしまった現在ではネオコンを本来の意味に戻す努力をするよりネオコンをいう名称は捨てて新たな外交政策を打ち出した方がいい(著者は仮に「現実的ウィルソン主義」と呼ぶ)と論じている本です。著者の言いたいことは第1章(14〜24頁)でおおかた書かれています。第2章のネオコンの来歴は、ネオコンがニューヨーク市立大学の元左翼学生の右転向グループに端を発するというエピソードに始まり、後はひたすら関係者の名前の羅列で、よほど興味のある人以外には退屈。もっとも、この部分で、ネオコンはスターリニズムへの失望・反感が根底にあるので大胆な社会改造には懐疑的ということが展開されていて、ネオコンは本来外部から他国に民主主義を建設するということには懐疑的ということを裏付けているのですが。第3章で、アラブ人のテロリストはアラブの非民主的体制で育ったのではなくヨーロッパの民主社会で疎外されていると感じて聖戦主義に至ったのであり、アラブに民主主義をもたらすことはテロの解決に結びつかない(92〜93頁)と論じているのはなかなか示唆的で、考えさせられます。第4章以降は、アメリカ特別主義・例外主義を前提とする「善意による覇権」という考えはアメリカの独りよがりで先進諸国からも受け入れられなくなっており、軍事力での解決は最後の手段としてソフトパワーによる解決を目指すべきだったとしています。正統性と実効性の両立が困難であることを強調し、国連への不信感が強いことから、各種の国際機関の複合的な利用や民主的な国だけが参加する機関とかいうことを言っていて、今後の政策についてはわかりにくかったりご都合主義的だったりします。そのあたりの色彩を除くと、今後の方向性については、続けて読んだこともあり、「アメリカ外交の大戦略」と同じような感じに思えました。

10.アメリカ外交の大戦略 ジョン・ルイス・ギャディス 慶應大学出版会
 アメリカは大洋に囲まれ、ヨーロッパ諸国のように安全確保だけで疲れ切ってしまうことがなかったために楽観的な特徴を持っていた。アメリカが受けた3度の奇襲、1824年8月24日のイギリス軍の攻撃によるワシントンの炎上、1941年12月7日の真珠湾攻撃、そして2001年9月11日を機にそのナショナルアイデンティティが危機に瀕した。アメリカの19世紀における安全保障の基本は、先制・単独行動・覇権であった。先住民の拠点がある地域や現在は敵対していなくてもやがては敵対勢力に奪われるかもしれない地域を、安全確保のために占領する、アメリカの安全確保を他国の行動に決定的に依存しない(同盟はしない)、勢力均衡ではなくアメリカに近接する場所には他の大国の主権を持たせない。この行動原理に従いアメリカはアメリカの西海岸まで征服し(フィリピンまで占領したが)西半球の覇者となった。しかし、20世紀のアメリカは、戦争が避けられなくなっても最小限の犠牲で覇権を確立するために、同盟を用い、第2次世界大戦では戦闘はできるだけ他国にさせ、最初の一撃は相手にさせ、また戦後復興を提供することで、道徳的に、他国の同意の下に覇権を確立した。その背景には、他の「より悪い者」の存在が他国にアメリカを支持させたこともあった。9.11後のブッシュの戦略は、19世紀の行動原理への先祖返りで新しいものではない。「衝撃と畏怖」の効果は永続しない。ビスマルクに見られるように新たな現状の強化と周囲を安心させる再保証、つまり新たに押し付けたシステムの中で安住することの説得が重要である。「無能な戦略家はこの転換をいつ行うべきかをわきまえていない。彼らは衝撃と畏怖に魅了されるあまりそれだけで終わってしまうのである。」(102頁)・・・著者は概ねこのようなことを述べています。
 先制・単独行動主義では、19世紀のアメリカが、結局その行動原理の下にアメリカ全土を征服していったように(さらにはフィリピンまで征服したように)、理論的にはアメリカが世界制覇するまで戦闘が続きかねません。そのような行動原理は、帝国主義戦争が倫理的に許容されていた時代の、しかもアメリカ大陸に強国がなかったという事情の下でのみ可能なものでしょう。侵略戦争が許されない時代の、しかも他国の主権が確立されている世界で、このような野蛮な原理に復帰したアメリカは、むしろ世界の不安定化要因となっています。アメリカ政府は、そしてそれに追従する日本政府は、いつになったら目が覚めるのでしょうか。

09.涙を売られた少女 ジェイムス・クリュス 未知谷
 両親の離婚の過程で悲しい思いをし続けて泣くことができなくなったハンブルグの歌のうまい11歳の少女ネレが、泣かないことを条件として世界的な成功をさせるという契約の下、「社長」の敷いたレールに乗って大スターとなっていき、16歳になって初めて涙を流し、社長の下を離れて普通の暮らしを始めるという物語。原書は冷戦時代の西ドイツで発表されていて、独裁と資本主義、独占資本と政治、それに翻弄される少女と周囲の人々というような政治的寓意があるように感じられますが、ネレも周囲の人々も語り手の「ボーイ」も今ひとつ一貫した態度でなく、作者の狙いがわかりにくい感じです。ネレ自身も金銭欲を見せたり傲慢になったりしていますし、ボーイや、さらには「社長」と敵対するティム・ターラーさえも、社長との距離感はお話の過程で変わっていますし。それが現実世界の複雑さ・奥深さと感じられるかというと、「社長」が神出鬼没で(アザラシになって現れたり)、そのあたりが現実感のないファンタジーっぽくて、そうも読みにくい。児童文学に分類されてはいますが、長すぎるしわかりにくいし、なんかちぐはぐな感じ。訳文も日本語としての流れがよくない感じで読みにくいと思いました。

08.夜明けの舟 山本音也 文藝春秋
 妻に逃げられた後、29歳の部下と関係を持ち続ける56歳の銀行マンと、乳ガンになり夫を裏切って淫蕩な不倫を夢見る30代人妻の身勝手な恋物語。主人公の興津は、知人の人妻に一目惚れして、知人から奪うことに夢中になり、しかしそのために疎ましくなった部下の女性を手放すこともなく、ただ性欲のはけ口として残し、その女性が職場の上司と関係を持った疑いを持つや激しく嫉妬し、その上司を卑劣なヤツだと思う始末。人妻のサトと思いが通じた後は、ただ性交を求め続けるだけ。居ても立ってもいられず、少し連絡がないだけでどうして連絡もくれないのかとだだをこねます。人妻の方は、どうして夫がいやなのかも描かれないまま、ただ病気で死ぬのなら好きにしたいというだけで、都合よく興津に一目惚れして夫の目を忍んで逢瀬を続けます。いい年してこんな身勝手な2人が、いい気なものだという逢瀬を重ねる様は、読んでいてばかばかしい限り。作者がインタビューで「ほんとの純愛を志向して書き下ろした」とか答えているようですが、純愛っていい年した大人が人間の品も格もなく身勝手にむき出しの性欲をさらけ出してだだをこねることをいうんですか。それに純愛というなら愛のために何か切り開いていこうとするものだと思いますが、この2人はなんだかんだ口先ばかりで状況を切り開こうとせずに安全な範囲で人の目を盗んで会っているだけ。ラストは、ろくに努力もしない二人に、嫌われ役の夫が身を引いていきなりハッピーエンドになりますが、これも唐突だし、サプライズというよりはなんか投げ出したようなラストで全く感動も共感も感じませんでした。「恋愛小説」とは別に、主人公の興津は、銀行の仕事に飽き「女と飯を食っているだけの人生」に憧れているという設定。そういう設定なら、食事のシーンが充実していそうなものですが、食事のシーンがおいしそうでない、読んでいて食欲をそそられたり香り立つものがない。この作者にとって「女と飯を食う」というのは性交すると同義のようです。露骨な性交シーンは多数あります。電車の中で読むには、まわりが気になるくらい。でも、主人公の身勝手ぶりに感情移入できないせいか、全然興奮もしませんでした。

07.二度目のパリ 斉藤由美 ダイヤモンド社
 パリ在住7年目の著者が、パリで地元民っぽく過ごすための情報を紹介した本。この種の本は、食生活とかふだんの散歩やレジャーとかの話を好んで読みます。チーズとかパンとか食べてる感じになれるし、カフェでボーッとしているような気分で読めると、なんか得したような気分になれます。最後の方のツアーコースの紹介になると、本気で行く気でないと読む気しませんけどね。でも、パリジェンヌの80%以上がTバックのショーツ着用(27頁)って本当なんでしょうか?

06.昼は雲の柱 石黒耀 講談社
 富士山が噴火して山体崩壊し大規模火砕流により御殿場市が壊滅という災害シミュレーションをメインストリームにし、秦の始皇帝に派遣された徐福の日本上陸と記紀神話と火山信仰を絡ませた古代史ミステリーをサイドストーリーにした小説。作者は、後者の方を書きたかったようで、そちらに力入っていますし、そっちの方が読んでいて面白い。旧約聖書から記紀神話へのつながりを論じ、南方系の火山信仰も入れて、記紀神話を火山神伝説として描き、イザナギ・イザナミの国生み神話を中部地方の伝承と九州の天孫族のリンクで説明し、両者の接点を徐福の探検隊に求めるという構想は、綱渡りの感じはしますけど、読み応えがあります。私は、火山学も記紀神話も素人なんで、どの程度ほんとらしいのかわかりませんけど。タイトルになり、巻頭のエピグラフにも用いられている「昼は雲の柱」は旧約聖書の出エジプト記のシナイ山の噴火の様子。人物や状況の設定がやや模式的で都合よすぎるのが気になりますが、文章は読みやすいし、娯楽小説としては、いい線行っていると思います。けっこう字のつまった単行本で本文500頁近い分量なんですが、わりとすらっと読めました。

02.03.04.05.シンセミアT・U・V・W 阿部和重 朝日文庫
 地方都市の有力者たちとその子らの青年たちが繰り広げる悪巧みと抗争の顛末を描いた小説。文庫版で本文1100頁弱の長編です。最初の方は、登場人物の多さ(巻頭の主な登場人物の一覧表だけで3頁にも及んでいます)に、話について行くだけで疲れましたが、主だった人物がわかると切り替えが適当に効いて読みやすくなり、一気に読める感じです。というか、切れ切れに読んだら、場面が変わる度に、この人誰だっけということになって早晩投げ出すことになるでしょうね。出てくる主な人物が、悪者か変な人か薬物中毒か淫乱で、読者がその立場で読み通せる人物がいません。普通、これだけ多数の登場人物がいれば、まじめというか実直な人物がいるものですが。相対的にはましな田宮博徳が、主人公かと思えますが、それも途中で死んじゃいますし。物語冒頭の殺人の犯人は、一貫して「背の高い男」とあるだけで名前が出てこないので、その謎解きが最後に来るのかと思っていたらあっさり途中で(勘がよければU68〜70頁で、そうでなくてもU212頁とV180頁で、それでも気がつかない場合でもV183頁で)明らかにされてしまいます。結末は、人物としてたち悪く描かれている者はおおかた死んでしまいますが、事件の真相が知られることにはならず、別の事情でたまたま死んでしまうということですし、陰の支配者は結局生き残り、今ひとつスッキリしません。最後にまとめて悪者を破滅させるなら陰の支配者も失脚させた方が読み物としてスッキリしますし、世間はそんなに甘くないと言いたいなら悪者が次々と死ぬのは都合がよすぎる感じ。そのあたり中途半端な印象が残ります。舞台は作者の出身地で実在する山形県東根市神町。付いている地図も実在する町の地図(「パンの田宮」の所在地に現実に何があるのかまでは私にはわかりませんが)。実在の町を舞台にここまでおどろおどろしい人間関係を書いて大丈夫なんでしょうか。作中には作家の阿部和重も登場しますし。事実とフィクションを織り交ぜて作者としては遊んでいるのでしょうし読者に現実感とおちゃらけ感の錯綜を感じて欲しいんでしょうけど。

01.ライム 長崎夏海 雲母書房
 はずれ者の中学生ライムこと日向舞の日常を描いた青春小説。ライムの由来は、中1で自己紹介するときに何も言えなくなって「すきなものはライム。以上」とだけ言って座ってしまったことから。父親は小学校教師で同僚の女性のところに住み込みたまにしか帰らない上に帰ってくるといつも母親とけんかして暴力沙汰、母親はライムの帰りが遅いと怒鳴りつけるという荒んだ家庭に育ったライムが、反抗し、不良友達とつきあったり教師に反発する様子が描かれます。そうした日常の中でのライムの心の動きが、この作品の読みどころだと思います。最後には父親と母親は離婚し、高校に入学するとともに引っ越したライムの少し明るい気持ちで終わります。特に事件があってということでもなく、またあるところからはっきり変わるわけでもなく、何となしの日常の中で少し前向きになっていく。実際の人生はたいていそういうものですし、そういう受け止め方をする作品かなと思います。

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