私の読書日記 2007年3月
27.ひとりで抱え込まない仕事術 リチャード・アクセルロッド他 ダイヤモンド社
仕事(プロジェクト)で他人に参加してもらうときの方法論についてのビジネス書。書かれていることは、具体的に何を助けてもらいたいか、役割分担、相手にかけてもらう労力等をはっきりさせる、仕事の目的と相手にとってのメリットをはっきりさせるというようなことで、人にお願いをするには、ある意味で当然のこと。でも実際の場面ではそういう目的意識を持っていないことが多いですからね。終わりをはっきりさせ、気持ちよく終わらせてまた一緒に仕事をしたいという気持ちを持ってもらう、これもなかなかできないんですよね。まあ、当たり前のことですが、改めて自覚しましょうという程度の本です。
26.九月の恋と出会うまで 松尾由美 新潮社
タイムマシン・パラドックス(タイムマシンで過去に遡って過去に干渉した場合未来自身が変わってしまい過去に干渉しなくなるはずというパラドックス)を小道具にしたSF仕立てのご近所恋愛小説。前半はご近所ものというかミニミニマンションものの軽めのタッチで話が進みますが、主人公がエアコン用の壁の穴から未来から話しかける声を聞くところからSFになっていきます。未来からの声の時点で十分荒唐無稽なわけですから、謎解きとかしてもしかたない感じですけど、作者はそれなりにこだわって最後に謎解きをしています。でもまあ、タイムマシンパラドックスの話とか、謎解きよりは、落ちつくべきところに落ちつく普通の恋愛小説って感じで読む話かなと思います。
25.チェルノブイリの森 事故後20年の自然誌 メアリー・マイシオ NHK出版
チェルノブイリ原発周辺の立入制限区域の最近の状況についてのレポート。著者の立ち位置は、草木も生えないあるいはネズミとゴキブリばかりの荒廃した世界という予想に反して(ゴキブリはそのイメージに反して放射能には弱いという指摘もありますが:191頁)、人間がいないことによって植物も動物も大いに繁殖しているということの方に力点が置かれ、その意味では原発推進側に近い感じがしますが、同時にその野生生物からはとんでもなく高濃度の放射性物質が検出されていることや先天性異常の動物が見あたらないのはすぐ死んでしまうから、野生生物の寿命が短くないか繁殖力が通常より低くないかは調査されていないためにわからないなどの指摘も各所にあり、考えさせられます。基本的に立証しがたい問題について、現実に厳密な調査がなされていない故に断定できないことを、だから事故の影響でない/影響はないと見るか安全とは言えないと見るか、その評価基準・価値観で読後感にかなり幅が出るかもしれません。最初の方の植物の繁茂の話は、日本人には(アニメファンには?)風の谷のナウシカの腐海をイメージさせます。でも現実には放射性物質は(半減期の長い放射性物質は)腐海の植物によっても浄化されずに植物の枯死・分解でまた環境に放出されますし、この本でも事故後時間がたって地中数cmのところに沈着した放射性物質がイノシシが掘り返したり車が通ったり建築作業をしたり湿地が乾燥したりでまた地表に現れて埃となって舞いあがってまた汚染が広がることが指摘されています。時間がたてば放射能汚染が収まっていくという単純なことにはならないのが、この問題の難しいところです。立入制限区域もウクライナ側は比較的調査され管理されているけど不法残留・立入者が多い、ベラルーシ側は調査も管理もろくにされていないけど人はいないとか、政治体制の違いに起因する話もいろいろ考えさせられます。立入制限の中で表面的には楽園に住む動物たちと故郷を捨てられずに不法残留する人びとと、現実に検出される高濃度汚染の数値の対比がもの悲しく切ない。
24.魚はなぜ群れで泳ぐか 有元貴文 大修館書店
魚についての動物行動学の本。表題となっている魚はなぜ群れで泳ぐかについては、保身(全体で大きく見せる幻影効果、襲われたときにちりぢりになることで捕獲者を混乱させる効果等)、餌や敵についての情報収集・学習効果、水流により楽に泳げる等の説明がなされているけれどもまだはっきりわかっていないようです。魚の群れにはリーダーはおらず先頭は交互に代わるけれども、確固たる動き(勝手気ままな動き)をする個体が先頭にいるとその個体に引きずられて群れが動きリーダーになってしまうそうです(33頁)。水の中では視界はあまり利かないので聴覚や嗅覚の方が大事とか、ドジョウやナマズのひげには味覚があって口に物を入れなくても味がわかる(45頁)とか、魚は巡航速度ではいくら泳いでも疲れず巡航速度で泳ぐときは血合い筋で泳いでいてそれ以外の筋肉(白身等の部分)は敵から逃げたり餌を捕獲するときにごく短時間全速力で泳ぐときに使う(133〜134頁)とかいうあたりが勉強になりました。
23.焼肉店開業マガジン 旭屋出版MOOK
焼肉店の開業のための情報をまとめたMOOK。焼肉店の場合、カルビとタンは原価率を上げ(客にとってはお買い得)、一品料理の石焼きビビンバ、冷麺、チヂミで儲けるとか、キムチの味が評判を左右するのでキムチの副材料はケチってはならないとか経営側の視点が参考になります。肉を軟らかくする調味料とかいうのもあるそうで、客としては複雑な思いがしますね。排煙設備等の設備投資に金がかかることや、リピーターの獲得に営業の成否がかかる、2〜4ヵ月目が売上が落ち込むがここで焦ってコンセプトを変えるのはよくないとか、当初は宣伝しないで休業日も決めないで試験的に営業してトレーニングをかねて顧客のニーズを見るというアドヴァイスとか、自営業一般としてみても参考になりそう。
22.ネパール王制解体 小倉清子 NHKブックス
ネパール在住のジャーナリストによる近年のネパールの政治情勢についてのレポート。ネパールでは長く続いた絶対王制が1990年の該当運動の結果立憲君主制と複数政党制へと移行したが、最大政党ネパール会議派を中心とする政党間の政争、山間部でのネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)の武装蜂起と国軍による弾圧、2001年6月1日の発砲事件で王族のほとんどが殺害された末に王位についた現国王への国民の不信と国王の強権介入、国王・ネパール会議派等の政党・マオイストの確執を経て、2006年4月主要政党とマオイストの共闘による首都圏ゼネスト・街頭闘争により国王が国民主権を認め下院復活、これから制憲議会選挙へと進んでいるそうです。現在は制憲議会選挙後に共和制が実現するか、マオイストの武装解除が無事にできるか等なお予断を許さない局面のようです。著者は基本的にマオイストへの潜入・インタビューを繰り返しており、基本的にはマオイスト側の視点でレポートされていると感じます。山岳地帯での毛沢東思想に基づく武装闘争とそれに対する国軍の弾圧、街頭での大規模デモ・街頭闘争による「革命」と続く流れは全共闘世代左翼が夢見たような展開とも言えますが、同時にマオイストの支配下の村人の苦渋やマオイストも彼らが敵視して殺害する警察官もともにネパールの貧民層出身という現実も身につまされます。
21.ぼくはアメリカを学んだ 鎌田遵 岩波ジュニア新書
高校生のうちからアジアの貧民街を旅していたバックパッカーの著者が高校卒業後アメリカに貧乏留学してスパニッシュの荒廃した街やアメリカ先住民居住地で自らも差別を受け命の危険にさらされながら底辺の移民やアメリカ先住民と暮らしつつ勉強してカリフォルニア大学バークレー校やUCLAに進学してアメリカ先住民研究者となるまでの経験を綴ったノンフィクション。底辺の人びととともに生きる著者の実践というか生き方には、グッと来ます。その人たちのその後の人生もあわせ読むと切ないけど。その環境で勉強を重ねて、大学に進学したことも驚きます。これ自体、1つのアメリカンドリームといえます。もちろん、著者の周りの人々が同じ夢を見つつ、おそらく夢を果たすどころかいつの間にか殺されたりアル中になったりしていったように大半の人には夢のままであることも事実ですが。高校でドロップアウトしていた著者をバークレー校が拾うのもアメリカの1面なら、著者や周囲のスパニッシュやアメリカ先住民が激しい差別を受けるのもアメリカの1面。そういったよく報じられるのと違ったアメリカを見せてくれる本です。
20.許される嘘、許されない嘘 アサノ知事の「ことば白書」 浅野史郎 講談社
元宮城県知事・現東京都知事候補のエッセイ集。雑誌に「新・言語学序説」のタイトルで連載していたものをまとめたそうですが、この時期に出されたら読むしかないですね。選挙演説について、街頭演説は歌、個人演説会は散文、選挙カーからの訴えは標語(199頁)というのは言い得て妙。消防も弁明も最初の1分が大事でそれを誤ると燃え盛る火は消せなくなる(93頁)とか、ネーミングは施策の中身と何をやろうとしているかがが一目でわかることが大事(25〜29頁)とか、なるほどと思います。一方でキャッチ・フレーズ、ワン・フレーズ・ポリティックスの怖さを指摘している(156〜160頁、173〜177頁)のもむべなるかな。両方あわせてじゃあどうするのとなったら難しいところですが・・・
19.一瞬の風になれ2 ヨウイ 佐藤多佳子 講談社
2年生になりインターハイ予選などを経てライバルや後輩ともつれたり、連の故障があったりで、タイムを順調に上げ力をつけながら県大会は通過できても関東大会では惨敗の春野台高校陸上部4継チーム。陸上部の部長になった新二が練習を積み、秋の関東大会は善戦して決勝に進みますが、新二の兄の交通事故の報で動揺して決勝は惨敗、新二は兄の右足の重症を見て陸上部から逃亡というあたりまでが2巻のお話。でも、読んでいて、兄のけがで新二が陸上部から逃亡する経緯が今ひとつしっくり来ません。試合会場から病院に駆けつけた新二に「そんな、チームジャージ着て、何してるんだ?」「そんな格好で病院に来るなっ。帰れ!」(235頁)という台詞は、それまでの兄の性格設定からすれば、私には「部長のお前が戦場から逃亡してきたのか」という流れに見えたんですが、その後の話からはそうじゃなくてサッカーができない俺の前でユニフォームを見せつけるなという意味のようなんですけど。兄が死んだわけでもなし、生活に影響のある事態でもなし、ましてや陸上部に関係ないことだし、それでこうなるのかなあ・・・って思いますけど。
18.一瞬の風になれ1 イチニツイテ 佐藤多佳子 講談社
陸上競技のスプリント(短距離)と4継(100m×4リレー)に挑む高校生の青春小説。主人公の神谷新二はサッカーのスーパーエリートの兄とスプリントの天才の友人一ノ瀬連の陰で目立たないサッカー選手だったのを高校進学を機に陸上競技に転向、そこからめきめきと力をつけていくという設定です。友人の連が天性の素質で練習嫌いで体力もないのに美しいフォームで走り中2で全国大会7位の結果を出しながら、中3では陸上をやめたり、高校でも合宿から逃走したり国体予選をすっぽかしたり、でも飄々と現れて練習不足でも新二より上の成績を出したりする中、新二は不公平だとぼやきながらハードな練習を積み重ねて行きます。ただ新二は凡人だと言いながら、サッカー選手時代の走り込みの成果か、素質はあると評価され、陸上の練習を始める前から陸上部では連に次ぐタイムをたたき出しますから、ひたすら努力でたたき上げってことはなくてやはりエリートの闘い。新二はあがり体質で大試合の本番前には腹を下すとか、そういう設定も含めて、暗い根性物にしないで軽いコミカル路線がとられています。元不良の天然パーマボサボサ髪の陸上部顧問三輪先生が、いい味出しています。
17.もう一日 ミッチ・アルボム NHK出版
仕事がうまくいかず酒浸りになり妻に愛想を尽かされて娘からも捨てられて自暴自棄になって自殺を試みたチャーリーが、死にきれず、昔母と住んだ故郷の家にたどり着いて、そこで母の亡霊にあって昔語りをして慰められもう一度やり直そうと立ち直るという小説。女手一つで育ててくれた母と時々やってきて野球への道に誘う離婚した父の間でふらふらしていたチャーリーは、結局母を裏切って大学をやめて野球の道に進みますがメジャーリーグで6週間プレイしただけで故障して後はパッとせずセールスマンになったり起業を試みたりしますがうまくいきません。チャーリーは母が死ぬときも母の69歳の誕生日を抜け出して野球のOB試合に出ていました。死んだ後になって、孝行をしたいときには親はなし。そういう思いもあって転落していく(でも、それはいかにもって言い訳に思えますがね)チャーリーが、死ぬときになって母への思いを強めたがために母の亡霊を呼び寄せるというわけです。それでも母は文句一つ言うでない、昔通りにつきあってくれて、それでチャーリーは生きる勇気を取り戻すって話ですから、ちょっと都合よ過ぎ。まあ、そういう勝手な思いででも生きる力になればそれはそれでいいんでしょうけど。チャーリー一人の回想でもできそうな内容の話ですが、母の亡霊を出して会話で展開し、そこここに回想を入れ、さらに「母が私に味方してくれたとき」「私が母の味方をしなかったとき」のエピソードをはさむ形式にすることで単調さを避けいいテンポで話が進みます。そのあたりの工夫が生きた作品と評価すべきでしょう。
16.ファイアブリンガー3 夏星の子 メレディス・アン・ピアス 東京創元社
グリフォンと和平を結び春に谷を出て聖なる丘の奪還に立ち上がることにしたユニコーンたちが、草原で荒れ狂うコーアを追って旅立ったジャンの不在のうちにテックを中心にまとまりワイヴァーンと闘い、ジャンと知り合った者たちの援軍を受けてワイヴァーンを倒し、聖なる丘を取り戻すまでのファンタジー。ユニコーンの中にも掟派(谷のユニコーンたち)と自由派(草原のユニコーンたち)があり、ワイヴァーンにも主戦派(毒針のある蛇たち)と和平派(毒針のない蛇たち)が対立するという構図で、一枚岩ではなく、やはりそれぞれの種族の中にもいろいろな考えの者がいるという設定となっています。和平を主導していたジャンがコーアを追い、さらにはコーアからテックの出生の秘密を聞かされてユニコーンの谷に戻る気を失いドラゴンの下で無為の日々を過ごして闘いが佳境に至るまでユニコーンの隊列に加われず、他方ワイヴァーンの中の和平派がワイヴァーンの王ライネックスの暴虐に耐えきれず逃亡するという前提で、ジャンを欠いたユニコーンと主戦派のワイヴァーンの間で闘いが始められました。第2巻までで平和主義者になったジャンとファンタジーとして、またストーリーの設定上どうしても欲しいワイヴァーンとの闘いを両立させる苦肉の策という感じです。3巻の前半は父と子、掟と自由、闘いと平和というような2項対立を軸に進む感じですが、読み終えてみると自由と平和と(自由な)愛というあたりにテーマがあった感じです。自らがかつて自由を主張し掟からはみ出していながら王子になるや厳しい掟を張り巡らせ掟を破る者を徹底的に弾圧し罵るコーアは、何を象徴しているのでしょうか・・・。タイトルとか第1巻からはジャンが主人公の物語のはずなんですが、2巻3巻でジャンは肝心なときにいないし、むしろテックやレルやジャンとテックの子どもたちやジャ=リラ、さらにはセスなど他のユニコーンが後になるほど魅力的に描かれ、主人公の特定しない群像物みたいな読後感です。ジャンが最後に神アルマに対してすねているのがよくわかる感じ。テックが実はジャンの姉ではなかったという落ちは、流れとしてはお約束みたいなものですが、そうでなくてもよかったような。
15.ファイアブリンガー2 闇の月 メレディス・アン・ピアス 東京創元社
ユニコーンの王子ジャンが、1つ年上の女戦士テックと結ばれた後すぐにグリフォンに襲われて嵐の海に流されて人間に捕らわれ、人間に捕らわれていた馬リエンナとともに人間の手を逃れてユニコーンの谷に戻りテックと子どもたちと再会するまでを描いたファンタジー。はっきりいってジャンが記憶を失って人間に囚われ、人間の文明の偉大さに圧倒される前半は、話も停滞気味でかなり読み続けるのがしんどい。ユニコーンの世界でも厳しい冬にジャンの父コーアが神の名の下に独裁を敷き批判者を弾圧し餓死に追い込んでいく様子は読んでいて寒々としますし。後半、テックがコーアの追っ手を振り切って母の洞窟に逃げ込み、ジャンが人間の手から逃れようとするあたりからようやく話のテンポがよくなりますけど。人間の世界でもユニコーンまがいの神をかたる者の狂信的な独裁とそれへのおそれと反発があり、それを利用してジャンが脱走することになりますが、そのあたり、人間にもユニコーンにも共通の性なのか、どちらの世界でも悪い者や問題はあるということで考えさせられます。そしてジャンはユニコーンの谷に戻る途中、ジャンを襲ったグリフォンのイリッシャーが傷ついて飛べなくなっているのと遭遇し、グリフォンの世界にも自分たちの伝説も仲間割れもあり、ユニコーンがワイヴァーンに聖なる丘を追われたようにグリフォンは餌場の谷をユニコーンに追われたこと、そのためにグリフォンは毎春ユニコーンを子どもの餌のために襲わざるを得なくなったことを知ります。ジャンとイリッシャーはお互いの種族の過去と伝説をかたり理解し、和解への道を模索することになります。他方、テックは母ジャ=リラが元は馬だった(月の泉の水でユニコーンになった)ことを知り、またジャ=リラが育てたパンの子どもたちに助けられていました。そのことを知ったジャンはパンとの和解の道も探ろうとします。こうして、闘いを指向していたファンタジーが話し合いによる和解を目指すことになり、焦点はワイヴァーン(人間も?)との決着が闘いによるのか否かということになりそうです。もっとも、狂信的な道を一人歩み続ける父コーア、テックが実はコーアの娘(まだ明かされていませんが、どう読んでもそうですね)でジャンの姉という問題が、なお火種として残されていますが。
14.依存症がよくわかる本 榎本稔 主婦の友社
アルコール依存症、薬物依存症、摂食障害、ギャンブル依存症、買い物依存症等の依存症の治療とその際に家族はどうすべきかについて解説した本。依存症の人は自分が依存症だという認識がなく(認めたがらない)本人は医者に相談に来ないので、まず治療の土俵に載せるために本人を現実に直面させる必要があり、そのためには家族が世話をしたり後始末をしたりしないで突き放す(冷静に距離を置いて見守る)必要があると著者は繰り返し述べています。著者は、依存症の治療は医師の力が1〜2割、家族の協力が3〜4割、そして患者自身が治そうとする力が5〜6割と述べています(186頁)。患者自身が本気で治ろうと自覚するためには、まず自分が引き起こしている事態に直面して困りどん底体験をしなければならないということです。そして依存症患者の反省したとかもう大丈夫という言葉は真に受けてはいけない、アルコール依存症など30年以上も断酒を続けている人でも、飲みたい気持ちは一生続くので心理的には今でも慢性のアル中と語っている(57〜58頁)とも。依存症については、家族が医師に相談してカウンセリングを受けて患者を突き放す、患者本人については集団ミーティング(患者同士で言いっぱなし聞きっぱなしの形で経験を語る)を受けるということが有効と著者は各種の依存症について述べています。アルコール依存症や薬物依存症だけでなく摂食障害やギャンブル依存症など他の依存症も。リストカットの場合も、注意は必要だし暖かく接する必要はあるけどやはり突き放す必要がある(123頁)そうです。ちょっと大丈夫かなあと思いますけど。
13.夕張 破綻と再生 保母武彦、河合博司、佐々木忠、平岡和久 自治体研究社
夕張市の財政破綻問題を論じた本。著者の主張は、炭鉱がほぼ唯一の産業だった夕張で国のエネルギー政策の転換に伴い炭鉱が閉山した後跡地の住宅や上水道、公共施設の整備などの閉山後処理対策に583億円(国・道の補助金はうち185億円)も投じざるを得なかったこと、その後国・道の政策に沿って観光開発に投資したがこれが失敗したこと、さらに小泉改革で地方交付税が絞られたことが夕張市の財政破綻の主要な原因であり、夕張市側の問題は主に観光開発の無謀さと会計操作・情報非公開にあるというものです。そして国や道の責任を見ないで夕張市の「自己責任」を強調することで自治体再建法制を整備して中央官僚の統制を実質的に強める道具にされているのでは、という著者の指摘には、考えさせられます。夕張市は既に市としては65歳以上の高齢者の比率が最高であり15歳未満の若年者の比率も最低という全国一の少子高齢化の市になっています。その夕張に消防や医療などのサービスまで削るのでは住民は生きていけないでしょうし、税率を上げてサービスを削る国の求める財政再建計画に従えば若者はさらに出ていって移住できない高齢者だけの町になっていくでしょう。近年のこの国の政治はかなり露骨な弱肉強食路線ですが、ここまでやっていいのか政治と官僚のあり方の問題としても考え直す必要があると思います。
12.空 Chaco 小学館
原付で暴走する不良少年の恋人を事故で失った女子中学生/高校生の傷心と立ち直りを描いた小説。不良少年って設定ですが暴力シーンも全くなく、ごく単純な恋愛小説として読めます。テーマもありがちで、周りの友人や家族にも恵まれた設定です。むしろ私だけが悲劇のヒロインという感じで落ち込み、友人の気遣いや親の気遣いも無視して心を閉ざす主人公に、まわりのことも見てみなよっていうのがポイントなんでしょう。親との関係も、文句いっているけど、自分は親の理解を得ようとしたのかも疑問ですし。主人公より母親の方がかわいそうって思ってしまうのは、私が親だからなんでしょうか。
11.ファイアブリンガー1 炎をもたらすもの メレディス・アン・ピアス 東京創元社
故郷「聖なる丘」をワイヴァーン(毒蛇に似た架空の生物)に追われたユニコーン一族が故郷に帰還することを誓って訓練と闘いの日々を過ごすファンタジー。ユニコーン一族はかつて住んでいた聖なる丘に、一時の仮の住まいを求められて許したワイヴァーンが大量増殖しその数と毒と牙の威力に敗れ、故郷を捨てて草原をわたり谷にたどり着いて住みつき、いつか伝説のファイアブリンガーが一族に生まれてワイヴァーンを倒す日を夢見てその日に備えて戦士を育て多くの掟を作って規律の取れた生活をしています。主人公のジャンは、ユニコーン一族の王子コーアの息子ですが、いたずら者で外れ者への憧れもあり度々掟を破り、父親ににらまれます。1巻では掟を破り規律を乱したジャンが、そのために父親や自分の危機を招きつつ最後にはワイヴァーンの司祭とその卵を滅ぼしてワイヴァーンの洞窟から逃れるという話になっており、掟と掟破りが話の1つの軸になっています。一族の安全を守るためにコーアが張り巡らせた掟の意味と、その掟の外で自由に生きる「脱けもの」の存在やさらにはユニコーンの敵たちも環の1つと語る(265頁)大いなる神アルマの言葉。そのテーマで掟をめぐって考えこむところですが、一方でジャンの掟破りが魔法に操られたものであるように描かれ、それもワイヴァーンが操った(204〜210頁)のかグリフォンが操った(268頁)のかもあいまいで、ジャンの意思での掟破りでないとなるとそのあたりがぼける感じです。まあ、それが今度は夢見ることが邪魔で危険なことなのか能力なのかという問いかけにもつながるのですが。1巻は最後にジャンがファイアブリンガーであることがわかり、祖父の死に伴ってジャンが王子になるところで終わりますが、既に敵対する生物もアルマの環の1つとされていることで闘いによる解決以外の道が予測されます。ファイアブリンガーが誰かなんてもろネタバレなんですが、この設定でファイアブリンガーがジャン以外の者であると考える読者はいないと思います。また話し手が誰であるかについて冒頭で謎のように扱っていますが、話し手が誰であるかは、話にほとんど影響がなく、終わりの方で明かされても特段の感慨もありませんでした。ちょっとそのあたりの小細工はあまりうまくない作者だなと感じます。
10.天と地の守り人 第3部 上橋菜穂子 偕成社
新ヨゴ皇国で始まったタルシュ軍の侵攻で瀕死の重傷を負うタンダ、町人を戦火から避難させながらタンダを探し求めるバルサ、ロタ−カンバル同盟を成立させてロタ−カンバル混成軍3万を率いてタルシュ軍と戦いながら人の命を奪うことに悩み苦しむチャグム、新ヨゴ皇国宮廷内の策略とタルシュ帝国幹部の確執を順次展開させながら、政治の世界ではしたたかに成長したチャグムを中心に平和が訪れ、バルサは庶民として平和な生活へと戻っていくまでを描いたファンタジー。守り人シリーズの完結編として描かれ、特に虚空の旅人・蒼路の旅人から展開した南の大陸のタルシュ帝国と北の大陸諸国のドラマを完結させシリーズの総集編という位置づけになっています。それだけに構想が雄大で、登場人物・視点が多岐にわたり、それぞれの側からの進行を追う形になり、それだけでストーリー展開はおもしろいのですが、その分それで手一杯で人物の書き込みに若干物足りなさも感じました。異世界のナユグとの関係も、第1部の始めから気を持たせたわりには結局青弓川の氾濫・光扇京の水没を導く道具立てになっただけで、現世界と異世界の関係についての洞察というか踏み込んだ解明がないのは、読み終えて不満が残りました。第1部でバルサの衰えを強調したのも、第2部・第3部ではストーリーを進めるのに精一杯でその後の展開には影響ない感じでしたし。個人的にはもう少しタンダを幸せにしてやりたかったなと思います。チャグムが晴れ晴れとするのに対し、タンダやヒュウゴはちょっとかわいそう。庶民の男も幸せにしてやればいいのにと、庶民びいきの私は思ってしまうのですが。本の体裁がいかにも子ども向きなので大人が読むには抵抗があるかもしれませんが、守り人・旅人シリーズ全体としては、日本人が読む限りでは、指輪物語クラスには評価していい作品だと、私は思いました。 女の子が楽しく読める読書ガイドで紹介
09.個人情報「過」保護が日本を破壊する 青柳武彦 ソフトバンク新書
個人情報保護法が保護対象の情報を拡げ過ぎ例外が狭い悪法だということを論じた本。私も個人情報保護法はまじめに守ることがかなり困難な法律だと思っていますし、学校や同窓会の名簿もやめるとかいう過剰反応や個人情報保護法を口実にした行政の情報隠蔽には困ったものだと思っています。ただこの著者は保護対象はプライヴァシー権の範囲に限定してプライヴァシー情報はきちんと守るべきといいながら、住所や電話番号、メールアドレスはプライヴァシーではないとか、犯罪防止のために防犯カメラをどんどん設置すべきとか言っていてそういう主張には閉口します。著者はプライヴァシーは守れということと企業の正当な経済活動(勧誘・営業活動)を並べていますが、本音は営業活動のために住所や電話番号は自由に使わせろということにあると読めます。著者は個人情報保護法は保護対象となる情報を拡げ過ぎと執念深く言い続けていますが、企業の営業活動のおかげで多くの人びとが知らない企業から大量のDMが来る、執拗な無差別電話勧誘に会うという経験をして嫌な思いをし、その苦情が集積して住所や電話番号も保護対象となることになったのだと思います。今時、自宅の住所や電話番号は、プライヴァシー権の定義で考えても、普通人の感受性を基準にして公開を欲しない情報になっていると思いますよ。著者の擁護する企業の営業活動が執拗に行われた結果として。
08.他人を見下す若者たち 速水敏彦 講談社現代新書
他者の能力を低く見積もることによって、自分の過去の経験や現実に基づかないで自分を他人より偉いと感じる「仮想的有能感」を持つ者が増えてきているというテーマを論じた本。本来の経験や事実、信頼できる周囲の人間からの賞賛等に裏付けられた自信ではなく、見知らぬ他者(多数)を軽視することでお手軽に偽りのプライド・自己肯定感を生じさせているということです。こうした傾向は大人にも見られますが、若者に増えており今後どんどん増えていく、こうした社会は、誰もが競争に勝ち抜くためにまわりの相手を軽視したり軽蔑し人間同士の暖かみの伝わらない冷え切った社会になる(204頁)と著者は論じています。現在の人びとは、この厳しい世の中で自分だけが犠牲者でストレスを多分に受けていると思いこみ、自分が他者にストレスを与えていることには思い及ばず自分だけがストレスを被っていると考えている(205頁)とも。直観的には、思い当たることの多い本です。ただ論証としては、客観的データは少なく、データ解釈にも他の読み方ができそうな部分が少なくないように思えました。また同時に若者には他人を軽蔑もしないが自分にも自信がない「萎縮型」も意外に多い(209頁)とか。そうすると「他人を見下す」よりも本質的に「自信がない」ことの方が現代の若者の特徴になりそうですが。
07.涼宮ハルヒの憂鬱 谷川流 角川スニーカー文庫
他人の迷惑を顧みないジコチュウ美少女高校生涼宮ハルヒが、不思議現象を求めてSOS団(世界を大いに盛り上げるための涼宮ハルヒの団)を結成し、ハルヒ自身は無自覚に不思議な現象を引き起こしているのにハルヒの前では不思議な現象は現れず退屈だと不満を述べ続けまわりのメンバーが振り回されるづけるというSF小説。ハルヒの気まぐれで、ハルヒが知らないうちに世界が創造・破壊されたり閉鎖空間が現れたりするという設定で、ハルヒは一種の怒れる神。ハルヒの前の席だったためにハルヒに気に入られて引き込まれたキョン(この人だけが普通の高校生)、何があっても動じないで本を読み続ける文学少女長門有希(実は宇宙人に作られた人造人間)、ロリータ系美少女でハルヒにコスプレを強要され続ける朝比奈みくる(実は未来人。「みくる」ってやっぱり「未来」なんでしょうね)、謎の転校生古泉一樹(実は超常的に現れる閉鎖空間で巨人と闘う超能力者)が、ハルヒの引き起こす異常を監視し、振り回されます。ハルヒの破天荒ぶり、朝比奈みくるの萌えキャラぶり、長門有希の無表情/闘うときのかっこよさの落差という女性キャラの造形で持たせる話だと思います。朝比奈みくるを脱がせたり触ったりの男性読者の願望を満たすシーンをすべて女性キャラの涼宮ハルヒにやらせることで後ろめたさを減らしているのでしょうけど、その辺の計算が見えてちょっといやらしい。
06.美の20世紀6 ムンク エリザベス・イングレス 二玄社
ノルウェーの画家ムンクの解説付き画集。ムンクの女性不信はよく指摘されていますが、「マラーの死」とか女性の殺人者が出てくる絵がいくつかある背景には、恋人に追い回された挙げ句の発砲事件があったのですね(44頁)。幼い頃肺結核で死んだ姉が「病める子」のモデルとされるなど母や姉の死が影を落とし、遊ばれた女性の存在が売春婦的な女性の絵の背景にあるようです。女性の絵では「マドンナ」「思春期」が有名ですが、今回初めて見た絵で「声」(19頁)とか「後日」(29頁)とか割りといい感じです。この絵のモデルは誰か、解説では触れられていませんけど、ちょっと気になります。私は「病める子(少女)」はリトグラフの方が好きなのですが、そっちは収録されていなくて残念。最後の方にいくつか労働者の絵があって、それほどムンクっぽくないのですが(ゴッホだといって見せられても納得しそう)いい線行っています。
04.05.愛の流刑地 渡辺淳一 幻冬舎
かつては売れっ子だった55歳男性作家村尾菊治と3人の子持ちの36歳人妻入江冬香が、肉体関係を持ちその快楽に溺れて逢瀬を重ね、菊治が冬香の求めるままに首絞めプレイにふけり誤って絞殺してしまい逮捕・起訴されるという小説。上巻全部と下巻の94頁あたりまでは、全体の半分ぐらいが濡れ場ばかりのただのポルノ小説。渡辺淳一って、私は小説は学生の頃読んだきりで(だから「失楽園」も読んでません)その頃は女性向けソフトポルノの書き手と思っていたんですが、今や男性向けハードポルノ作家なんですね。はっきり言って、今時スポーツ新聞だって宅配版には掲載できないような内容で、これが日経新聞に1年3ヵ月連載していたというのはあきれるばかり。日経新聞の読者層についてのイメージが変わります。家庭や通勤電車や職場で、一体どういう顔してこんなの読めるんでしょう。純愛とかいってますが、菊治と冬香の関係って、初めてのデートでいきなりディープキス、2度目のデートですぐホテルの部屋に入って性交、その後会うや直ちに性交の繰り返しでただひたすらやり続けるさかりの付いた猫や猿の世界。10代、20代ならわかりますけど、55歳と36歳でここまで余裕のない肉欲だけの関係って信じられないし、ましてやそれを純愛だなんて。性感を初めて開発されてのめり込んだ人妻が夫も子どももおいてただひたすら性交を重ねるために通い続け、旅行に出たり泊まりがけで出てきたりしてほとんど外出せずに部屋にこもって性交にふけり文句一ついわない、で夫には体にも触らせず菊治に操を立てるって、男性の性欲と願望を満たすために都合のいい、実際にいるとしたら非常識なわがまま女。そのわがままコンビが、快楽のために始めた首絞めプレイで冬香が死んでから、突然刑事事件物に変わります。刑事事件物としては、東京地検では捜査検事が公判も担当することはないのに同じ検事が公判を担当(下178、200頁)、証拠請求に弁護人の意見を聞かない(下222頁)、検察官が証拠の要旨の告知で解剖報告書の内容に加えてそこから明確な殺意があるという意見を述べる(下223頁)、証拠の要旨の告知の後にまた冒頭陳述に戻る(下223〜224頁)、前回証人申請に「しかるべく」と答えている弁護人に証人尋問の当日重ねて意見を聞く(下249頁)とか、ちょっと現実の手続では考えられない記載が目につきます。証拠の要旨の告知と冒頭陳述の合体は、裁判員裁判になるとそういうやり方になっていきそうですけどね。でもボイスレコーダーの非公開審理決定(下285〜286頁)とか細かいところではたぶん経験してないとわかりにくいようなことまで書いてますから弁護士に取材したと思うんですけどね・・・。こういう首絞めプレイで誤って死んじゃったケースについては、確か私が学生の頃、現実に裁判で問題になって中山研一先生(刑法)が判決の論評をした文章を読んだ覚えがあります。そのときは殺人じゃなくて過失致死か傷害致死かって問題だったかと思います。この作品のケースも素直に行けば過失致死だけど実務的に据わりのよさを考えたら傷害致死かなってところなんだと私は思います。でも昨今のマスコミの煽る厳罰主義の風潮と検察の強気傾向からすれば、今起こったら殺人罪になってこの作品通りの量刑にもなるかもしれませんね。
03.だまされない<議論力> 吉岡友治 講談社現代新書
日本人の苦手な、議論の仕方、小論文の書き方について、具体例を挙げながら解説した本。真理に到達したり議論力をつけるには負けて屈辱を味わう必要がある、「負けることでしか新しく高い真理に到達できない。なぜなら、勝つだけなら自分がはじめから持っていた真理と出会うだけだからだ。新しい真理と出会うためには、積極的に負けねばならない。負けてはじめて、こういう考え方があったのか、とわかる。負けて感謝できる、それが議論の仲間だ」(95頁)う〜ん、深いですね。もっとも、この本、本論の議論の仕方そのものよりも、議論になっていない悪い例、統計等を悪用したごまかしの議論の例を具体例・実名入りで批判しているのが、おもしろい。そっちの方が読みどころかも
02.百姓から見た戦国大名 黒田基樹 ちくま新書
戦国時代の戦争が行軍の経路の住民への略奪・人さらいを伴い、戦争が作物・田畑等の破壊・略奪等による飢饉を生み、飢饉が口減らしと他国での略奪(食料調達)を兼ねた戦争を生むという悪循環を生じていたこと、村と村との戦争が近隣の村への支援要請、領主・有力者への支援要請から大規模な戦争へと容易につながっていったこと、大名の家中への統制が進むことにより村と村との戦争が上位者に波及しなくなると共に、大名側でも村・町の自力救済(暴力による解決・報復)を禁じて領主への訴訟(直訴)を認めて訴訟というよりコストの低い解決へと導いていったこと、さらに大名の権力が統合されていって秀吉の天下一統、江戸幕府の成立で平和な時代となっていた経過が説明されています。やはり自力救済(実力行使)の禁止と民事訴訟の普及は表裏一体で進められたのですね。弁護士としてはそうだろうなあと思います。こちらが著者のテーマと思いますが、さらに村側が安全確保のためにより有力な支配者を選択していったこと、大名も村からの年貢がなくなると困るので飢饉の際には年貢の減免や徳政令等を行い、村と大名側の間で事実上の減税交渉が進められたことも語られています。民衆側のしたたかさを認識するのはいいと思いますが、でもやはり民衆側には選択の余地や余裕は少なかったと思われ、それを過大に見るのはちょっと疑問を感じます。文書が豊富にある小田原北条氏の例が中心なので、他の大名にどこまで一般化できるかも慎重に見た方がいいかも。
01.図説 浮世絵に見る江戸吉原 佐藤要人監修、藤原千恵子編 河出書房新社
浮世絵などの図版付きの吉原解説本。医師以外は例外なく駕籠は禁止で歩いて入るしかない、武士も帯刀禁止とか、身分を振り回しても通じないのはちょっと気持ちいい。大火の度に大店が潰れたり復旧までに街中で許される仮店で大もうけする業者が出たりという話(30頁)や、遊女が心中立て(客へのまことを示す)の極みに指切り(小指をつめる)をする痛ましい話とその際に受刑者の指や模造品などを10人の客に渡すのが普通という話(58頁)など、したたかな駆け引きの話が興味深く読めます。花魁は、禿(かむろ。遊女屋に奉公する少女)や新造(禿が13、14歳になったもの)が「おいらの姉様」と呼び習わしていたのが短縮されて「おいらん」になったのだとか(9頁)。吉原で育てられて高い教養を身につけ、金や世俗の力になびかない誇りを見せた高級遊女も出る一方、酷使され病気になり無惨に死んでいった多くの遊女たちの姿が簡潔に紹介されています。
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