私の読書日記  2007年7月

26.もっと知りたい歌川広重 生涯と作品 内藤正人 東京美術
 東海道五十三次で知られる浮世絵師広重の入門書兼解説付き画集。広重は下積み時代が長かったが故にいかにすれば売れるかを考え抜き、その結果主張を抑えた叙情的な絵を量産して幕末の売れっ子絵師になったそうです。そのあたり癖の強さ故に短期間に飽きられたという北斎との対比で語られています(18頁等)。広重が現実に旅をして書いたのは概ね関東地方で(58頁)後はまだ見ぬ風景を種本や想像で補って書いたそうです。広重の得意とした名所絵も実際には江戸の風景画が多いとか。西洋絵画と同様、浮世絵もベロ藍などの新たな絵の具の発掘が躍進につながった(24頁)という話も興味をそそられました。広重といえば風景画ですが、鳥獣画もわりと書いているそうで、かつて切手ブームで珍重された「月に雁」も広重だったんですね(46頁)。

25.エリートセックス 加藤鷹 幻冬舎新書
 一世を風靡した売れっ子AV男優によるセックス論。テーマはセックスなんですが、テクニックの話ではなく、基本的に精神論で、全体としてはむしろ人生論とかビジネス書の雰囲気。知識やテクニックはむしろ邪魔になる、相手にあわせることが大事、相手の気持ちを読む読解力と相手の反応を見る観察力が何よりも大事だそうです。これってお客様へのセールスに置き換えるとそのままビジネス書です。アダルトビデオなんか見るな、真に受けるなって(51〜53頁)って、そりゃそうだけどAV男優からそう言われても・・・。現場の経験からだそうですが、抗うつ剤を飲むとホルモンバランスが崩れて妊娠していなくても母乳が出る(60頁)って、知りませんでした。こういうことで勉強になるのは意外。

24.サリー・ロックハートの冒険1 マハラジャのルビー フィリップ・プルマン 東京創元社
 1872年のロンドンで、海運会社の経営者の娘として育てられた16歳の少女サリー・ロックハートが、父の謎の死と、インド大反乱の中で所在不明となった伝説のルビーをめぐる争奪戦に巻き込まれるというストーリーの小説。サリーは当時の基準では大胆で自立心の強い女性として描かれていますが、同時に不安やか弱さもあり揺れ動き、周囲の男たちに助けられながらピンチを切り抜けていきます。最初は女の子が楽しく読める読書ガイドで紹介しようかと思いましたが、冒険の場面での男たちとの位置関係と最後の資金捻出の場面も父頼みなのでパスしました。そういう視点はおいて、読み物としてみると、最後のヤマ場のルビーの謎と悪役ミセス・ホランドの関係がちょっとショボい感じですが、ユーモラスなアドベンチャーものとしてはまあいい線かも。訳文のセンスがちょっと私と相性が悪いので、読みの流れが悪くてちょっと時間かかりました。

23.父さんの銃 ヒネル・サレーム 白水社
 17歳で亡命したクルド人映画監督の少年時代の自伝的小説。相次ぐ戦争で故郷を追われ平和が来て故郷に戻り苦労して生活を再建したらまた戦争で難民となりと、戦争やフセイン革命に翻弄されるクルド人庶民の様子や、クルド人の独立運動に加わっていく父や兄の下でイラク兵や秘密警察からの暴力や圧力を受ける様子が、少年の視線からユーモアを交えつつも生々しく描かれています。ラジオ・モスクワやヴォイス・オブ・アメリカが一方がクルド人の味方をし他方が敵対し、それが政権が交代する度にころりと反転する様子がさらりと書かれているのも、アメリカとソ連のご都合主義をよく表していて辛辣です。ただここで描かれているイラクとクルドは1980年代初めまでですから、それを今頃になって(フセイン政権が崩壊してから)出版されても、出す方はそれまで出せなかったのでしょうけど、読む方にはちょっと今さらって感じはします。

22.新・極道の妻たち 家田荘子 青志社
 ヤクザの妻・愛人6人の半生の聞き書き。前書きによれば前回は派手な姐さんに焦点を当てたが今回は波瀾万丈の人生を幾度となく乗り越えながらもそれでも平然として何事もなかったように笑っている姐さんたちに焦点を当てたそうです。男の方は覚せい剤の売人や殺人や銃器所持で刑務所に行ったり逃げ回ったり金遣いも荒く愛人をたくさん作っている連中。そういう男に殴られたり、貢いだり、刑務所に行っている間苦労しながら待っていたり自分が身代わりで刑務所に行ったりした女たちがさんざんな目に遭いながら、それでも後悔していないとか言う姿が書かれています。著者の言うとおり、自分ならできないでしょうけど、それを賞賛したり持ち上げたりすることには、身勝手な男に尽くす都合のいい女になり我慢することを奨励しているようで、私は賛成しかねます。本筋には関係ありませんが、「懲役3年8ヵ月、執行猶予5年」(175頁)はノンフィクション作家ならチェックして欲しい(執行猶予を付けられるのは懲役3年まで)。

21.オシムがまだ語っていないこと 原島由美子 朝日新書
 元朝日新聞のジェフ担当記者が朝日新聞に2004年10月から2005年2月に連載した記事とジェフ番時代の蓄積に2006年12月のオシムへのインタビューと周辺インタビューを加えて構成したもの。書き下ろしになってはいますが、いくつかオシム本を読んだ後では目新しさは感じません。オシムが繰り返し日本代表へのメディアの期待が客観的条件を遥かに超えて高すぎることと負けると掌を返す報道ぶりを批判しているのに、メディアの一員としての答がないのもどんなものかと(オシムのその論評を報道すること自体で答えているつもりかも知れませんが)。インタビューで、著者が強調している点以外で目についたのは、「日本の多くの選手やその周囲に問題があるとすれば、我慢強くないということ」(182頁)という指摘。忍耐強さが日本人の特徴だったのはいつの話だったか、ちょっと考えさせられました。確かにメディアの論調とか、それに影響されてか若い人たちに我慢強さなんて感じられなくなってますもんね。こういうことは外国人の方が客観的に指摘しやすいものかと思いました。

20.英文の読み方 行方昭夫 岩波新書
 英文についてきちんと意味を取って読む(訳する)ための解説・演習本。なんとなく読んでいるとわかったようで実はよくわかっていないところを指摘して考えさせるというパターンの繰り返しで、ノウハウとかマニュアルの書き方ではないので、著者の姿勢はわかるけど、結局読んでいて疲れます。流し読みでざっと捉えたときに、主語とか代名詞の指す内容とか、言葉の意味(辞書的にはわかっていてもその文脈で適切か)とか、文脈や著者の思いとか、間違って捉えたり読めてなかったりするなあという、自分の英語力不足を再認識するにはよい本かと思います。う〜ん、今日はHARRY POTTER AND THE DEATHLY HALLOWSが来る日なんですが・・・

19.リサ・ランドール 異次元は存在する リサ・ランドール、若田光一 NHK出版
 私たちの暮らす3次元世界は人間の目に見えない5次元世界に組み込まれているという5次元理論を提唱したハーバード大学教授リサ・ランドールのインタビューで構成した番組(未来への提言)を単行本化したもの。私たちの暮らす世界は3次元の膜(ブレーン)のようなものでその外側に5次元世界があり、5次元世界の中には別の3次元世界も存在するという理論で、素粒子が姿を消す(量子力学の世界で当惑するところですね)その行き先が5次元世界と考えるとうまく説明できるというところに始まるそうです(12〜19頁)。SF・ファンタジーでおなじみのパラレル・ワールドですね。イリアム・オリュンポス(ダン・シモンズ)のブレーンホールとか、もろこの理論が下敷きって感じ。でも、後半では3次元世界と5次元世界を行き来できるのは重力だけとも言っているし(50〜51頁。52頁では他にも行き来できるものが明らかになる可能性もありますとは言っていますが)、ちょっと疑問。やはりこういうお手軽本ではなくちゃんとした本を読むべきでしょうか(元の本は2007年8月分07で紹介)。この理論を提唱した本はNHK出版から刊行予定とかで、その訳者の解説(3次元宇宙が別の3次元宇宙とバネのしくみでつながっているとかうさんくさいことが書かれていますが。90頁)も付けられていてその本を売りたいという姿勢がありあり。こういうのがメディア・ミックスなんですかね。

18.新装版 アメリカの日本空襲にモラルはあったか ロナルド・シェイファー 草思社
 第二次世界大戦中のアメリカの戦略爆撃について、米軍ないし同盟軍内部での意思決定の過程と議論を紹介した本。日本への空襲(特に東京と広島)が時期的にも最後であり、被害が大きかったことから、それを論じる部分が多くなっていますが、イタリアやバルカン諸国、ドイツへの爆撃も論じられていて、日本語タイトルは日本での販売用に付けたもの。冒頭で20世紀初めの航空隊では死傷率が50%以上にもなっており、絶えざる死の存在は敵国民の殺戮についてのパイロットの感じ方に間違いなく影響を与えたとの指摘(29〜31頁)が目につきます。現実の第2次世界大戦の過程では、自国の軍人の死傷を減らすことができるのならばそのために敵国の民間人多数が死ぬことを躊躇しない、住宅地の爆撃で労働者の殺戮により生産力を落とし恐怖によって敵国の士気を破壊することができれば戦争が早く終結する(でも実際には無差別爆撃で米軍への憎しみから結束が固まることの方が多い)、戦略爆撃や核兵器で戦争を早く終結できればそうしない場合に死ぬことになった軍人や民間人の命を救ったのだからかえって人道的、人道問題はそれ自体よりもそれによる世論(特に米国内の世論)が米軍の存立に影響しないかという観点から気にするというような考えが繰り返し語られています。日本に対してはバターンの死の行進等の残虐行為が無差別爆撃への抵抗感を減らしたとも。原爆の投下に当たって、京都が外されたのはけっこうギリギリの線だった(202〜204頁)ことも紹介されていて意外でした。バルカン諸国への無差別爆撃が米軍への憎悪を呼び、女性と子どもを攻撃しないと宣言したソ連に支持が集まった(83〜84頁)という話も興味深く読みました。戦略爆撃については、ドイツのロンドン空襲や日本の重慶爆撃が先行しているわけですが、アメリカ人が米軍の戦略爆撃をそれらへの報復という書き方ではなく、加害者としての米軍をその内部での議論を分析するという形で書いていることには、一種の潔さを感じます。著者自身は戦略爆撃を悪と断じて書いているわけではないのですが、当事者の言い訳を書き連ねる中で自ずから問題を浮かび上がらせています。ちょっと終盤がくどい感じですし、テーマからして重くて読みにくいですが、原爆投下はしょうがない発言とその顛末を見るにつけ、読んでみる価値があるかなと思います。

17.変身 嶽本野ばら 小学館
 自費出版した漫画本を街頭で売っていた不男の少女漫画家がある朝目覚めたら美男に変身していて途端に漫画が売れ出しメジャーデビューを果たして金持ちになる小説。この主人公、豊島園の回転木馬とコム・デ・ギャルソンにこだわり、自分は不男でも美にこだわっているので唯一のファン「ゲロ子」は好きになれないという、気持ち悪くて身勝手な奴。それで、美男に変身してからは、憧れていたバイト先の女子大生、美人編集者(陰の編集長)、アイドルと次々とアタックしては、そのオタクぶりなどを気持ち悪がられて振られ、そこで初心に戻ろうとゲロ子に声をかけて今度はゲロ子に変節を詰られるというさんざんな始末。まあ、この身勝手さと思い上がりからすれば当然とも言えますので、同情もできないけど。なんか、コメディにしては最後まで変に気取ったオタク的こだわりが(文体も寄与していると思いますが)ざらついて読み心地が今ひとつでした。

16.イビチャ・オシムのサッカー世界を読み解く 西部謙司 双葉社
 オシム監督下のジェフのゲームのレポートをベースにオシム監督の戦術を解説した本。ジェフ時代のオシム監督の戦術は、基本的に相手のフォーメーションに対応した布陣でマンマークで対応し1人リベロを余らせてボールを奪取したらすぐマーク相手を置き去りにしてカウンターに走り3人目4人目が走り込んで数的優位を創る、理想としてはトータル・フットボール(しかし、「実現することはできない」ともオシムは言っている:24頁)、そのためには圧倒的な運動量と賢く走ることが必要というもの。おおかたそういう内容のことを、過去のジェフのゲームを素材に個々の局面で具体的に説明するというのがこの本の勘所。それが有効に機能している面もありますが、どちらかというと過去の観戦記の2次利用の色彩が強く、イビチャ・オシムがやめた後のアマル・オシム監督下のゲームまで使っているのは、ジェフファンのマニア本・嘆き節という感じもします。内容から見ても、出すのなら(読むのなら)代表監督就任直後にすべきだったでしょうね。

15.売ったり買ったり はじめての株 ノマディック 中経文庫
 普通の人が比較的安全に少しずつお金を増やすという目的で株を買うための入門書。株を買わせることを当然に考えているので、預貯金などの元本保証の場合でもノーリスクではない(銀行倒産がなくてもインフレや円安で価値が減って損をするリスクはある)ことを強調して、ハイリスクへの抵抗感を減らす方向に話が行くのはちょっと要警戒。しかし、普通の人が投資する場合には、リターンをわずかに殖やすために努力するより、「手間をかけない」「時間をかけない」「心理的な負担をかけない」を重視する方がいい(51頁)とか、底値で買うことを考えるな(181頁)、完全に上昇トレンドになったと見えてから買っても遅くない(179頁)というアドヴァイスはよさそう。「手間をかけない」が専門家に任せましょうになるとまた危ない話になりがちですが、情報は自分で調べて自分で判断が基本(208頁)だそうですから、本自体の姿勢は穏当に思えます。もちろん、そこは「自己責任」の問題ですが。

14.アパルーサの決闘 ロバート・B・パーカー 早川書房
 無法者の牧場主が牛耳る町アパルーサにやってきた流れ者の保安官2人組の闘いを描いたウェスタン小説。超人的に速いガンマンだがときとして傍若無人になる保安官ヴァージル・コール、飄々としていて女好きだが腕のいいコールの助手エヴェレット・ヒッチ、コールを虜にした悪女アリソン・フレンチらの人物造形がよくできています。コールが単純な正義でもなく、流れ者で生きてきながらアリーに夢中になり定着しようとする心理の動きも出てくるあたりや、アリーの悪女ぶりとそれでもアリーを捨てられないコールのもどかしさ・陰影が、物語に深みを持たせています。ラストはちょっとほろ苦く、ちょっと渋めのウェスタンになっています。

13.「現代病」ドライマウスを治す 斎藤一郎 講談社+α新書
 口の中が乾く口腔乾燥症についての本。唾液の分泌が減少することでドライマウスになるわけですが、その原因はいろいろなものがあるようです。薬の副作用による場合が相当あり(88〜99頁)、安易に薬を出す医療の問題も指摘されています。唾液には消化作用、殺菌作用、粘膜保護作用、粘膜修復作用、歯の保護・再石灰化作用があるそうです(45〜54頁)。消化、殺菌、再石灰化はよく読みますが、粘膜関係の話は知りませんでした。まあ、口の中の傷は治りが早いということは経験的にわかりますが。唾液の分泌を促進することが老化の防止にも役立つということで、ドライマウスの治療が体の様々な機能にも影響するのだそうです。ビタミンCとか、錠剤で飲むよりもガムの形で噛む方が吸収率がいい(170〜171頁)というのも知りませんでした。ドライマウスそのものよりも唾液や口の粘膜の話が勉強になりました。

12.How to 生活保護 [2007年度版] 東京ソーシャルワーク編 現代書館
 自治体の福祉課等の職員やソーシャルワーカーらが書いた生活保護のあるべき姿と実情の解説書。分担執筆のため、パートによって温度差がありますが、基本的には、今の生活保護制度が行政の裁量を広く認めていることで本来生活保護を受けてしかるべき人が申請をあきらめざるを得なくされている、昨今の「自立支援」と称する改革で生活保護がさらに受けにくくなっているという現状に批判的なトーンです。生活保護の資力調査(ミーンズテスト)の屈辱感とかよく指摘されますが、52頁からの説例での手続の流れの解説がわかりやすくて生活保護申請のイメージを持てました。この説例では申請者がきまじめで行政側も熱意がある人なので、実際にはもっと厳しいんじゃないかと思いますけどね。知らなかったんですけど、国民健康保険(自営業者とか)の加入者が生活保護を受給すると資格を喪失して、医療扶助の場合全額国庫負担になるのですが、資産が売却できたとかで返還請求されるときはその10割負担分を返さなくちゃならない、しかも意識不明状態で急迫のため職権で保護を開始したときなど本人の意思確認もないままそういう扱いをすることになる(14〜15頁)って、かなりひどい。生活保護を受けなきゃ3割自己負担なのに、勝手に10割負担しておいてそれを後から請求されるなんて。

11.グーグルを仕事で活用する本 山路達也、井上健語 秀和システム
 Gメールや、グーグルがサービスするウェブアプリケーションで文書を共有してネット上で共同作業したりするテクニックを解説した本。Gメールを利用していないので、ちょっとイメージしにくいところもありましたけど、共同作業で共有者全員が文書を編集できてどの段階にも戻せるというのは魅力的に思えました。グーグルトークのチャットが、自動的にGメールに記録されて残る(159頁)というのは、とても便利で、でもちょっと怖い。

10.LOVE LOGIC 密と罰 清流院流水 角川書店
 会員制恋人紹介クラブから招かれた10人が、制限時間内に自分と相手の提出したデータから理想の相手と決められた相手を正しく判別しないと殺されるという極限の事態に追い込まれ、知恵を絞って話し合うというストーリーの小説。後半はコンピュータゲームのパターンで、それぞれの局面での選択肢に従って次に進むページが示され、不正解に達する(登場人物が殺害される)と「BAD END」として元のページに戻されます。後半はページを行ったり来たりの方に忙殺されますし、戻されながら似たような話を読んでいくうちに読み飛ばすようになって、細部には集中しにくくて、本を読んでいるというよりゲームをしている感じ。設定も荒唐無稽で、「正解」に至った後語られる登場人物たちの「秘密」もそれがあるから今回のことを人に話せないというほどでもないし、その「秘密」をどうやって組織が知ったかもわからないし、終わり方も唐突で、エッこれで終わり?という感じ。まあ、ページを間違いなく指定する技術というか、本にするときに苦労したであろうことはわかりますけど。

09.Self−Reference ENGINE 円城塔 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 3世紀ほど未来の人類と「巨大知性体」と名付けられた人工知能が、おそらくはビッグ・バンのような事態を指す「イベント」により捩れてしまった時空を元に戻そうとする様子を1つの軸としつつ、種々のエピソードを錯綜させたSF。エピソードも登場人物もつながっているようなつながっていないような感じで、ストーリーとして読み切れる感じがしません。時折語り手として現れる「私」の正体も立ち位置も、最後の自己紹介を読んでも、何か釈然としませんし。観念的な、その上修辞的で饒舌な語りにあふれていますし、多次元宇宙の時空の流れやその破壊、演算と修正(書き換え)が語られたり、つながっていない感じのするエピソードの錯綜で登場人物のアイデンティティが怪しくなっていきます。私は、そういうアイデンティティクライシスというかアイデンティティの怪しげさがテーマと読みました。ともすれば「単語だけが暴走を始めた言葉遊び」(93頁)になりそうな語りに満ちたこの作品は、ぶん投げたくなる観念論と評価するか知的で新鮮な文学と評価するか、好みが別れるでしょう。ダイアナ・ウィン・ジョーンズがサラサラ読める人には好まれそう。唐突に人を食ったように登場するアルファ・ケンタウリ星人(163頁)とべらんめえ調の巨大知性体八丁堀(210頁)は、観念的すぎるとまずいと大衆受けを狙ったのかも知れませんが。

08.晴れたらライカ、雨ならデジカメ 田中長徳 岩波書店
 晴れの日に芸術写真を撮るには銀塩写真(ライカ)、雨の日や日常の記録にはデジカメという使い分けを勧める写真家のカメラとライカへの愛着を語るエッセイ。前書きには「この本は実用書だ」(G頁)と書かれていますが、写真のテクニックとか書かれているところは最初の方のごくわずかだし、前中盤は1項目きっちり見開き2ページで書かれていて項目間がつながってなかったりかぶってたり、初出の表示はありませんがどこかに書いたエッセイをまとめたもののように見えます。本の本筋には関係ないんですが、まず引き受けたくないものは一に「民間の裁判員」で、二に「駐車違反監視員」、三に「公共放送の料金徴収員」、そして四に「ボランティアの結婚式スナップカメラマン」である(32頁)って・・・。ここでは結婚式の記念撮影を頼まれたくないということをいうために挙げられているのですが、それよりいやなものの筆頭として裁判員が挙げられているのはすごい。まだ制度も実施されていなくて誰一人なった人はいないのにこの嫌がられよう。やっぱり民から遠い人たちがこねくり回した司法改革が生み出した裁判員制度は無理があるかと、司法と全然関係ない本でまで考えさせられてしまいます。

07.インターネット消費者相談Q&A(第2版) 第二東京弁護士会消費者問題対策委員会編 民事法研究会
 インターネットオークションやショッピング、ウェッブ上の名誉毀損や情報流出、「ネットワークビジネス」、架空請求等のインターネットでよく問題となるトラブルについてのQ&A。弁護士が読む分にはさらっと読めて納得できます。しかし、弁護士が書いた法律解説書にありがちなように、法律用語がそのまま出てくるし、抽象的に書いて条文を引用するパターンがけっこうある(その条文は巻末に掲載されてはいますが)ので、「被害にあわれた消費者の方々に利用していただける」(前書き)にはちょっと厳しいかと思います。それに頻繁に犯罪になるという表現が出てきて、それ自体は誤りじゃないんですが、一般の方が読んだら告訴すれば警察が相手を逮捕してくれると思って相談に来るだろうなあと予測される部分がけっこうあります。理屈上は犯罪になっても実際には警察が動かないケースが相当あるわけで、そのあたりもっと慎重に書いた方がいいんじゃないかなと老婆心ながら感じてしまいます。私は、告訴の依頼は基本的には受けないことにしていますので知りませんけど。

06.西洋絵画の楽しみ方完全ガイド 雪山行二監修 池田書店
 ヨーロッパの油彩を中心に基本的には画家1人について1つの作品を取りあげて見開き2ページで解説した本。1人あたり見開き2ページですから、もちろん、深い解説はありませんが、この種の本では時々知らなかった画家や知らなかった絵を発見できるのが楽しみです。この本ではパルミジャニーノの「長い首の聖母」(90頁)とフリードリヒの「氷の海」(135頁)が拾いもの。キリコの「ヘクトールとアンドロマケーの別れ」(208頁)やラファエロの「サン・シストの聖母」(72頁)も改めて見るとああいいなと思いましたし(「サン・シストの聖母」は聖母よりも下側の天使の表情が気に入っていたんですが)。イタリア・フランス・スペインの画家が多く紹介されている中でヤン・ファン・エイク(80頁)、ブリューゲル、レンブラント、フェルメールと、オランダ・ベルギーにけっこう人材がいるのですね(ボスやゴッホはおいといても)と再認識しました。

05.炎の聖少女 ヴェヌスの秘録2 タニス・リー 産業編集センター
 中世のヴェニスを舞台に、自分の髪から炎を発することができる少女をめぐり、厳格な信仰生活を求めてそれに反する人々を処刑して人々を支配する「神の子羊評議会」、食事や美・官能の喜びも神の与えた贈りものと受け取るべきだと考え神の子羊評議会を打倒すべく潜入した大司教、少女を愛した「神の戦士」たちが繰り広げる駆け引きを描いた小説。奴隷として売られ虐待されてきた少女の姿を描く冒頭は、読んでいて心が痛みます。中世の女性の奴隷が置かれた立場を考えれば、そうなるでしょうけど、女性の作家が女性の主人公をそこまで貶めなくても・・・と感じます。中盤から一転して奇跡を起こす聖少女とあがめられる少女は、しかし、奴隷の心のまま。それをつつましき美徳とも描かれているのですが、少女を主人公として読むには、最後まで強い主体性を見せない少女には読者としてもどかしく思えます。異教徒の圧倒的な侵攻を少女の力で救ってもらいながら、自らの権力を守るために少女を魔女と告発して魔女裁判を行い少女を火刑に処する神の子羊評議会の悪辣さ、それを阻止すべく闘う大司教の姿・駆け引きが読ませどころとなっています。1巻(6月分 09.)とは、中世のヴェニスが舞台ということ以外は共通点はありません。1巻よりも2巻の方が洗練された感じがします。

04.自分が「たまらないほど好き」になる本 ジョージ・ウェインバーグ 三笠書房
 人間の行動が自分のしたことの動機となった考えを強める効果があるという観点から、人間が一貫した人格を創り続けること、その意味で人格は自分が選択した行動で強化され続け、他人がそれを強制的に変えることはできず、他方自分で何かきっかけをつかんで(考えをではなく)行動を変えることで変わることができるということを主張する本。嘘をつくことや、自分が本心から望んでいないのに無理をして人のために行動するとかうわべを取り繕うのは、本当の自分を知られたら嫌われるという動機があるので、その種の行動はそういう心理を強化し自分のためにならないということが繰り返し語られています。その意味で、無理をするなというアドヴァイスでもあるのですが、他方、まず行動を変えないと変われないということとの関係は理屈としてはフィットしない感じもします。考えが変わらずに行動を変えると本心と行動があっていないでしょうし。まあ、あれこれ言わずに、くよくよしないでまずできる範囲で前向きの行動を取ってみようよ、そうする中でおいおい自分が好きになれるような自分に変わっていけるよ、くらいの軽いメッセージとして気楽に読むといいんだと思います。

03.絵とき機械材料基礎のきそ 坂本卓 日刊工業新聞社
 鉄鋼を中心に機械材料の性質や製造について解説した本。鉄の性質や強度が炭素の量や熱処理で全然違ってくることがよくわかります。「鉄」と「鋼」も炭素含有量で区分けされているんですね(炭素が0.02%以下が「鉄」、0.02〜2.06%が「鋼」、2.06〜6.67%が「鋳鉄」だそうです:59頁)。原発でも製造過程の熱処理がよく問題にされますが、同じ材料でも熱処理を誤ると性質・強度がずいぶん変わり、熱処理が大事だと改めて感じました。非鉄金属の説明はかなり簡略ですが、鉄鋼などでは低温で脆くなるのにアルミニウム合金では低温で延び(靱性)がよくなる(151頁)のは不思議。基本部分を広く浅く認識できて勉強になりました。

02.なぎさの媚薬 敦夫の青春/研介の青春 重松清 小学館
 先に完結編(4巻 きみが最後に出会ったひとは:6月分30.)を読んだ後第1巻を読んでみました。最初の設定は、不幸になってしまった女性のことで苦しみがあるからなぎさに会うということじゃなくて、単に昔に戻って本当はHできなかった女性とHできるとかいう噂を聞いてってことだったんですね。第1巻では、実際にはHしなかった女性とHすることで相手の女性が救われるって、いかにも中年男性サラリーマン対象の雑誌向けのお気楽で都合のいい設定。しかも敦夫の青春の方なんて、初恋の人に愛情に満ちた初体験をさせるって言いながら、自分はその初恋の人がレイプされるシーンを見ながら娼婦という設定のなぎさとHしたり、初恋の人の人生を変えるために少しずつ親しくなっていきながらその過程で何度もなぎさとHし続けるって、あまりに自分勝手というか(雑誌用の濡れ場設定の都合でしょうけど)ちょっとひどい。この話の主張なら、技術よりも気持ちだと思うんですけどね。研介の青春の方は、このストーリー展開で悦子先生が救われたって、かなり無理があると思います。愛人の死体の横で中学生に「生きてください」って言われてその中学生とその場でHしてそれで救われるなんて・・・。殺された愛人の事件がどう処理されたかの説明もないし。

01.イラク占領 戦争と抵抗 パトリック・コバーン 緑風出版
 インディペンデント紙記者による2006年秋までのイラク占領のレポート。湾岸戦争後の過酷な経済制裁が(サダムにはダメージを与えず)一般のイラク人を困窮させたことが、失うものは何もない敵意に満ちた危険な人間であふれる崩壊したイラクを帰結したこと(第2章:49頁)、1945年のベルリンではソ連軍は陥落前からベルリンの復興のため密かに担当可能なドイツ人を招集し(140頁)1991年の湾岸戦争では激しい空爆で破壊された発電所などのインフラをフセイン政権は数ヶ月で復旧した(140頁)にもかかわらずバグダッド陥落から3年たっても電力供給は戦前以下の水準でバグダッドでも1日3〜4時間しか電気が使えない(141、289〜290頁等)、治安は最悪の状態で今やイラクは内戦状態で全くの無法地帯・・・こういったことが、サダム政権を嫌っていたイラク人を反米に向かわせているという指摘には納得します。アメリカのシンクタンクが2006年2月に行ったイラク人の意識調査でも、米軍に対する攻撃を容認するという答はスンニ派では88%、シーア派でも41%、クルド人で16%だそうです(272頁)。イラク暫定政府はバグダッドの米軍厳重警備下の「グリーンゾーン」から出ることもできず、近時は著者も、治安が回復しているというアメリカ・イラク暫定政府の見解は全く間違いだろうが今や地方は怖くて行けないから検証できない状態だとか。昨今のイラクでは、占領、テロに加えて汚職がイラクを破壊しており(282頁)、イラク政府軍に旧式の中古の武器しかわたらないのは米軍が最新兵器が武装勢力の手に渡ることを恐れているためだけでなく13億ドルもあった兵器購入費が国外に持ち出されて消えているためだそうです(291〜293頁)。同様に電力省などでも5億ドルが消えており、慢性的な電力不足の一因だとか(293頁)。アメリカ政府とコネのあるアメリカ企業とイラク亡命者たちの政権運営の立派さには泣けてきますね。第15章で著者が紹介している事例もとても象徴的。イラク警察の重要犯罪取締部門のトップは米兵に自爆者と誤認されて射殺され、タラバニ大統領直属の儀典長はブッシュ大統領との会見のために空港に向かう途中に米軍の装甲車に突っ込まれて負傷して会見に臨めなかった(326頁)。イラクでは誘拐が成長産業になっているが、被害者はほとんど警察に通報しない。その理由は警察に通報してもほとんど何もしてくれないし通報したら誘拐犯が何をしでかすかわからないし、誘拐犯と警察がグルかも知れない(324〜325頁)。あるイラク人医師が誘拐され、珍しく警察の検問で引っかかり誘拐犯が逮捕され誘拐グループは数え切れないほどの誘拐事件を自供したが、その誘拐犯の1人は現役の幹部警察官だった上、なんと誘拐犯を米軍の憲兵グループが警察から引き取り、釈放したといいます(329〜332頁)。これでは誰も米軍やイラク政府を信用しませんね。こういったディテールが生々しいというか説得力のあって、読み応えのあるレポートでした。

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