私の読書日記  2007年11月

23.構想力 谷川浩司 角川oneテーマ21
 将棋の永世名人の筆者が、先をイメージし見通す力としての構想力というか大局観を育てることについて論じた本。どちらかというと「構想力」を論じている部分よりも、勝負師として長く生き残り続けることの方法論と読むべきところの方が多く、まあ一種の勝負師の1人としてはそちらの方が得るところが多かったと思います。定跡から外れる勇気がないとトップには立てない(73〜74頁)、攻め崩すために敢えて相手に攻めさせることも必要(99〜101頁)、相手に怖さを感じさせられることが重要(136〜139頁)、嫉妬は可能性の表れ(157〜159頁)など含蓄のある言葉が並んでいます。相手の立場で構想しろ(相手のためにではなく、相手から見たらどう攻められるのがいやかとか、相手から評価すれば自分の手はどう見えるかとか)ということが繰り返し言われていて、なるほどと思いました。

22.男はなぜ急に女にフラれるのか? 姫野友美 角川oneテーマ21
 男と女の思考パターンの違い・すれ違いを論じた本。男と女は思考パターン等が違うことを前提にそれを主要には脳の構造の差や狩猟生活時代からの本能などで説明しようとする、80年代以降性差を強調したがる人たちにありがちな議論パターンを俗受けする世間話で書いたものです。はっきり言ってこういう議論は、個性を軽視して人の自由な成長の可能性を減少させるもので、私は嫌いです。特にそれを脳の構造の差異とか学問的な装いの説明で宿命的・本来的なものと思わせる手法には反感を持ちます。しかし、世間話としては、よくある話で、また妙に納得してしまうのが困るところ。女は共感脳・男は解決脳(14頁)とか、男は閉じた脳・女は開いた脳(147〜150頁)とか、キャッチが妙にうまい。雑談として暇つぶしに読むには面白いのですが。

21.赤い春 和光晴生 集英社インターナショナル
 元日本赤軍でクアラルンプールアメリカ大使館等占拠事件の被告人として裁判中の筆者がレバノン南部地域でPFLP(パレスチナ解放人民戦線)のコマンド(戦士)として活動した時期について書いた手記。筆者の経歴からして、どちらかと言えば、日本赤軍時代の活動部分を読みたかったのですが、その部分は裁判中のためか、筆者が日本赤軍の活動方針に疑問を持って脱退した経緯からか、ほとんど描かれていません。描かれているのは1979年に筆者が日本赤軍に脱退届を出してPFLPのコマンドになってから1982年のイスラエルのレバノン侵攻の終戦処理でコマンドがベイルートから撤退させられるまで、その後1997年に筆者が逮捕されるまでの活動もほとんど出てきません。そのあたり、読者としては欲求不満が残ります。敵(イスラエル軍やレバノン右派民兵)との戦闘を振り返って、気がついたときには数十人の敵が周囲に散開しており銃撃すれば十人くらい倒せるであろうしその銃撃の音で仲間たちが敵に気づき態勢が取れるという状況にあって隠れたまま動けなかった仲間のコマンドの立場に自分がおかれたら自分は戦えただろうかという問い返し(165〜169頁)は、重く、考えさせられます。不発弾の先っぽを金のこで切り落として中の火薬をリサイクルする話(194〜195頁)とか、自動車爆弾の爆発時に偶然助かった話(65〜72頁)とか、派手な話もありますが、全体としてはコマンドの生活をわりと淡々と描いていて、内部での確執とか、文化的なことの方が多くなっています。

20.よくわかる雇用保険 労働調査会出版局編 労働調査会
 雇用保険(失業保険)制度についての解説書。雇用保険は、労働事件特に解雇事件をやっているとよく関係してくるのですが、法律の規定がけっこう細かく、しかもよく変わるので、詳しいことはハローワークに聞いてねと答えがち。で、こういう本も読んでみるのですが、やっぱり細かくて覚える気がしません。どうせ覚えてもまた変わるだろうし。基本の失業給付(基本手当)だけでもけっこう数字が細かい上に、現在では実に多数の種類の手当・補助金があることが紹介されています。たぶん、多くはこういう制度も作っていますという役所の言い訳のための制度で、申請主義で誰も知らないから申請がないか役所が要件に合わないとしてはねているのが多いんじゃないかと疑ってしまいますけどね。こんなにたくさん企業への補助金制度を用意できる予算があるなら、失業者に給付する基本手当をせこい適用制限しないでもっと広く手厚く出す方がいいと、庶民の弁護士としては、改めて思いました。

18.19.ダリ全画集 第1部、第2部 ロベール・デシャルヌ、ジル・ネレ タッシェン
 サルヴァドール・ダリについての解説付き画集。「全画集」と題するだけに2巻組通し頁で780頁、図版1648点(全部がダリの絵の図版というわけではありませんが)という大著(それにもかかわらず定価6900円というのはさすがタッシェン社というべきでしょうね)。2002年6月発行で絶版になっていたものをタッシェン社創立25周年記念事業の一環としてリニューアル再刊したそうです。ダリについては、君主制への信奉/憧憬、戦争・ヒトラーへの姿勢、上流社会へのすり寄り等その生き方には共感を持てませんし、絵や芸術についての傲慢で饒舌な語りを読まされると興ざめしてしまいます。著者の熱意によりダリの出版物からの引用や絵の背景が説明されますが、少なくともダリに関してはそういうのを聞かない方が絵として楽しめると、私は思います。元々そう思っていたんですが、ダリが広島への原爆投下に衝撃を受けて「精神分析学のダリ」から「核物理学のダリ」に変貌したとされ、それが要するに物体の浮遊と爆発(破片化)が描かれるようになったことだとなると、複雑な思いを持ちます。強烈な爆発力に感銘を受けたということですね。その下で殺戮された人々は目に入らないみたい。ダリは元々反戦の姿勢はとっていませんが、それでもスペイン内乱(市民戦争)を受けて描いたといわれる「戦争の顔」(第1部336頁)はどくろに満ちていて殺人への批判・嫌悪が感じられるのに、原爆に衝撃を受けて描いたとされる絵はいずれも美しく殺人のにおいがしないのは、祖国と日本の違いでしょうか。また、習作・デッサンも含めこれまで知らなかった作品を続けて見ると、ダリが絵を量産し、同じモチーフを少しずつ入れ替えて書き続けていた様子がよくわかります。商業デザインや興行への傾倒(ディズニー映画にまで手を伸ばしていたんですね)とあわせ、アンドレ・ブルトンからドル亡者(Avida Dollars:Salvador Daliのアナグラム=綴り換え)と嘲笑されたのも納得できます。そういう生き方といか姿勢には共感できないダリですが、描写力というか、絵の技巧のレベルの高さは、おそらくは自ら絵筆を取ってみたことがある者は誰しも、憧れ/驚異を感じると思います。作成年を追って見ていくと、時期により、ピカソ、ミレー、フェルメール、マグリッド、モロー、ベラスケス、ミケランジェロの影響というか意識していたことがよくわかりますし、晩年はかなり画風というかタッチが変わっていることも新発見でした。

17.キーワード検索がわかる 藤田節子 ちくま新書
 インターネットの検索エンジンやデータベースを利用した検索についての本。検索エンジンでの検索についても書いてありますが、中心は学者や研究者が研究対象の分野の関連文献をもれなく検索で拾い上げるという観点から、キーワードが人の手で整理された「シソーラス」を用いたデータベースでの検索の方におかれています。その場合の検索キーワードを試行錯誤して追加していく説明やデータベースの選択と利用については参考になります。でもよく利用する検索エンジンを使ってちょっとしたことの確認や考える手がかりが欲しい程度の「予備的知識を得るための検索」向きの本ではありません。情報検索の専門家の本ですから、索引には新書の索引とは思えないほど力が入っています。さらっと読み流せてしまうので、その充実した索引を使って読み返したいかというと疑問なのですが。

16.ロースクール交渉学[第2版] 太田勝造、草野芳郎編著 白桃書房
 ロースクール(法科大学院)用の交渉学の教科書兼資料集として作成されたもの。執筆者は6名で元裁判官が2名、弁護士(使用者側)が1名、学者が2名、コンサルタントが1名という構成。書き下ろし部分が少なく、執筆者が過去に書いた原稿の抄録や他の本の要約紹介部分が多く、実質的には教材集という感じ。交渉についての執筆者のスタンスが異なり、書き下ろしの6名分担の章など、1冊の本とは感じにくい。全体としてはかなり寄せ集めの印象を持ちます。むしろ、交渉というものは学問として確立しているものではなく、様々な視点・切り口のあるものと認識するのによい教材と言うべきでしょう。内容的には、日頃交渉を仕事としている者としては特に目新しいことはないのですが、概念として明確化されたり整理されている点では勉強になりました。もっとも、その点よりは、特に元裁判官や企業側弁護士執筆部分について、そういう人々の見方・考え方や事例部分が一番興味をそそられましたけどね。ただ、2005年初版・2007年第2版の本にしては、日弁連の懲戒件数の表が1999年までだったり(149頁)、労働審判法が「2006年5月までの間に施行される」(242頁)なんて記載が残っているのはお粗末。書き下ろしの少なさと合わせて、もう少し本作りに手をかけて欲しいと、読者としては感じます。

15.マルシェ・アンジュール 野中柊 文藝春秋
 住宅地の中の24時間営業の高級食料品スーパーを訪れる男女の幸せなようなしかし儚げなラブストーリーの連作短編集。共通点は、高級食料品スーパー「マルシェ・アンジュール」がストーリーのどこかで現れることだけ。いかにも無理無理登場する作品もありますし。高級スーパーに非日常を求めて訪れる人、スーパーが日常の人、様々な人が登場しますが、舞台がら、小じゃれた小金持ちと少し背伸びした中流の住民たち。少し都会的でその分深く共感はできない感じのスタンスで読みました。主人公たちは基本的には幸せだけれどもどこか不安定さを感じさせ、しかし不幸や破局は落ちてこない、その意味でわりと安心して読める読み物です。スーパーの名前マルシェ・アンジュール(MARCHE UN JOUR)は直訳すれば「ある日/いつか市場」。寓意よりは小じゃれた雰囲気を優先したネーミングかも知れませんが。

14.北極のナヌー リンダ・ウルバートン他編著 日経ナショナルジオグラフィック社
 ホッキョクグマとセイウチの母子の生き様を描いた映画「北極のナヌー」の写真付きストーリーとメイキングストーリー。母子でさすらいながら子育てをするホッキョクグマと大群の中で子育てをするセイウチの獲物を狩り成長していく姿を追い、餌が取れなくなったホッキョクグマがリスクを冒してセイウチの群れを襲うクライマックスシーンとその後を描いています。その過程で、北極の気温上昇で結氷期間が短くなり、ホッキョクグマやセイウチの生活が変わり、生きにくくなっている様を訴え、地球温暖化問題につなげています。美しい写真が続き、最後にその写真を撮るまでのスタッフの苦労と孤独、襲われる恐怖などが解説されています。写真集としても十分かと思います。ホッキョクグマの餌になるアザラシの赤ちゃんがかわいくて哀れですが。

13.労働基準監督官の仕事がわかる本[改訂版] 法学書院編集部 法学書院
 労働基準監督官の仕事についての紹介と受験についての解説書。大部分を占める労働基準監督官の経験談が読みどころです。遮光性カーテンをかけて灯りが漏れないようにして不払い残業を続けさせる縫製工場(19〜20頁:女工哀史か・・・)、不払い残業の証拠となる労働者の日報を自宅の寝室に隠していた経営者(23〜25頁)、外国人コックに週1万円しか払わないインド料理店経営者(49〜55頁)、外国人講師の帰国間際になると給料を払わなくなる外国語学校経営者(57〜61頁)、タイムカードの機械があるのにタイムカードを隠し機械は壊れていて使っていないと平然と嘘をつく総務部長(66〜72頁)、労災の被害者を監督者と偽って責任を押し付けようとする実際の監督者(73〜76頁)など、労働基準法や労働安全衛生法を無視した上に証拠隠しを図る悪辣な経営者と労働基準監督官の闘いの様子が大変興味深く読めます。労働基準監督官の仕事の多くの部分は労働者からの相談・申告への対処、定期臨検・指導と思われますが、経験談では不払い残業や労災についての刑事立件の話が多いのも印象的です。労働基準監督官としてもそれが心に残り、また後輩に語るのに適していると感じるのですね。ならもっと頑張ってどんどん立件して欲しいと、労働者側の弁護士としては思ってしまうのですが。

11.12.ウィキッド 上下 誰も知らない、もう一つのオズの物語 グレゴリー・マグワイア ソフトバンククリエイティブ
 ブロードウェイ・ミュージカルとなった(ユニバーサル・スタジオ・ジャパンでもその一部を上演している)「ウィキッド」の原作。「オズの魔法使い」の「西の悪い魔女」を主人公にしたファンタジーです。農民への布教に情熱を燃やす牧師と身持ちの悪い貴族の跡取り娘の間に産まれた緑の肌を持つ少女エルファバ(エルフィー)は、都会の大学で知り合った仲間たちとどこかなじめず距離を置きつつ、言葉を話す<山羊>のディラモンド先生に師事して言葉を話す<動物>の地位向上をめざす研究を進めますが、ディラモンド先生が暗殺され、学長から呼ばれて政府のスパイとなることを求められたのを機会に魔法使いへの面会を求めて<動物>差別の撤回を訴えますが拒否され、反政府活動家(テロリストと言ってもいい)になり、その過程で性関係を結んだ昔の仲間が殺され、殺された仲間とその妻への負い目から赦しを求めて放浪し、赦しを得損ねてついには魔女になっていくことになります。ヒットしたミュージカルの原作ということで手にしたので読みやすい作品かと思いましたが、主人公エルファバの内面はちょっとわかりにくく、ドタバタさせながらも意外に宗教とか悪についての観念的な問いかけが多く、読み通すのはけっこう骨が折れました(上下2巻で680頁ほどありますし)。エルファバが<動物>の差別・虐待に敏感というかテロリストへの道を歩んだのは、自らが肌の色故に差別されてきたからと思えますが、そのエルファバと放浪してからのエルファバが今ひとつ結びつかない感じで、どこかしっくりしません。また、エルファバが、父(生物学的には父でないようですが)が妹にプレゼントした靴にどこまでもこだわることにも、その父自身を放置して立ち去る姿と合わせ読むと、なんか釈然としないものが残ります。エルファバの人と距離を置いた突き放した態度や憎まれ口の中の哀しさにうまく共感できるかどうかが、この作品の評価の分かれ目になるでしょうね。

10.私は逃げない ある女性弁護士のイスラム革命 シリン・エバディ ランダムハウス講談社
 2003年のノーベル平和賞受賞者のイラン人女性弁護士の回顧録。パフラヴィー政権(王朝)下での最初の女性裁判官であった著者がイスラム革命で女性であるが故に裁判官の地位を奪われ、迫害を受けた知識人や女性の裁判を担当する弁護士として再起してイスラム法の解釈の中で闘う姿が描かれています。政権の暗殺リストに載っていながら(10頁、212頁)イラン国内で活動を続け、迫害された人々には無償で弁護活動を続ける著者の姿勢にはただただ頭が下がります。著者は、弁護士(法律実務家)としての条件の中で、イスラム法が誤っているのではなく現在の政権の解釈や実務が誤っているのだという立場で闘っています。過去の様々な時代の中でより現実的で緩やかな解釈がなされた例を示し、また現在の解釈の不合理を法律家社会の世論に訴えて行く姿はいかにも実務家的です。法体系が違うので理解しにくい部分が少なくありませんが、イスラム革命下で定められた刑法の下では男が少女をレイプした上で殺害し裁判を受けて死刑になると男の命の方が女の命の倍の価値があると評価されるために殺人犯の男の遺族は被害者の少女の遺族に命の値段の差額の賠償を請求できるそうです(174〜175頁)。裁判所は被害者の遺族に賠償金の支払を命じ(175頁)、しかも犯人の1人は処刑の数日前に脱走した上、裁判所が両被告人について再審を開始し(176頁)その段階で遺族に付いた著者に裁判所は「イスラム法を批判するな」と注意し(177頁)、再審で両被告人は一旦は無罪となったがさらに再審でそれが覆され、抗議した遺族に裁判所は法廷侮辱で罰金を科し、裁判は今も続いている(178頁)とか。いろいろな意味で理解できない法と裁判制度です。回顧録という形態、著者が政権の暗殺リストに載っているにもかかわらず今もイラン国内で弁護士として活動していること、イスラム法の枠内で闘う道を選択していることから来る制約かも知れませんが、政権や法制度についての評価が体系的にはまとめられていないので、読み物としては全体としてちょっとわかりにくい感じもします。著者がパフラヴィー政権をどう評価していたのか(末期に批判して裁判所内でイスラム革命を推進したことは書かれているのですが)、イスラム革命下で女性の高等教育が進んだこと(167頁)と女性の法的地位の関係、日本語タイトルになっている国外脱出問題で「子どもたちのために」脱出するという知人たちに反対したこと(122〜125頁)と娘のカナダ留学(268〜272頁)の関係とか、よく読めば一応触れてはいるのですがもう少し書き込んで欲しい感じがします。レイプ殺人の被害者が11歳(173頁)のはずがすぐ9歳(175頁)になったりという緻密さに欠けるところもわかりにくくなっている原因と感じます。貴重なテーマと著者だけにより丁寧に体系的に書いたものを読みたいと、読者としては思ってしまいます。

09.魔使いの呪い ジョゼフ・ディレイニー 東京創元社
 魔使いシリーズの第2巻。第2巻では、魔使いの弟子になって半年のトムが、かつて全盛期の魔使いが勝てなかった古代の邪悪な霊ベインと対決したり、無実の者を魔女と決めつけて処刑し続ける権力者魔女狩り長官に捕まった魔使いとアリスを助け出したりすることになります。また第2巻では魔使いが弱っており、トムは多くの場面で魔使いの力に頼らずに自分でボガートや霊と戦わざるを得なくなっています。第2巻になって、厳しいことを言う魔使いが女性関係で過ちを犯したり魔女を助けたりした過去や、魔女だったトムの母親の過去が明らかにされ、物語が大きく展開します。正と邪の間から邪の方に踏み出したアリスが、しかし結果的には魔使いが邪と指摘するアリスの選択によって魔使いや多くの人が救出されるという形で描かれ、魔使いがかつて犯した過ちや、トムの母親も魔女だったという展開から、正と邪の関係が大きなテーマとなってきます。「すべてが善の者も、すべてが悪の者もいない。わたしたちはみな、そのあいだのどちらか寄りにいるの。ただ、どの人生にも重要な一歩を踏み出す瞬間がある。光の側に行くか、闇の側に行くかの瞬間よ。」(252〜253頁)というトムの母の言葉、「悪はおれたちひとりひとりの中にあるものだ。ちょうど、火花さえあれば、ぱっと燃えあがる小さな火種のようにな。」(371頁)という魔使いの言葉など考えさせられます。物語はトムの視点から語られていますので、トムの成長は読み取れますが、アリスは強い意志やしたたかさを持つと同時に川を渡れない場面でのか弱さや終盤での従順さが併存して理解しにくいキャラクターになっています。

09.魔使いの弟子 ジョゼフ・ディレイニー 東京創元社
 農場の7番目の息子の7番目の息子トーマス・J・ウォード12歳が魔女や精霊を封じる「魔使い」に弟子入りし修行中に、誤って魔使いが生きたまま封じ込んでいた魔女マザー・マルキンを復活させてしまい、マザー・マルキンと対決するというストーリーのファンタジー。魔法が使えるわけでもなく自信なさげな主人公と、腐れ縁になっていきそうな正と邪の間をさまよう魔女少女アリスの微妙な関係が読ませどころでしょうか。シリーズの第1作で日本語版は2冊目まで翻訳されています。ただ、アリスの性格設定や母親の強さで薄められてはいますが、「女とボガートはいつでもおだてにのる」(86頁)、「女を信じるな」(90頁)、「男は料理や掃除をしないものだ」(230頁)とか(短い引用ができるところだけじゃなくて少しまわりくどいものも含めるとかなりある)、今時のイギリスでこんなに性差別的な表現が頻繁に出てくるのは、ちょっと驚き。

08.技術者に必要な岩盤の知識 日比野敏 鹿島出版会
 岩盤工学についての教科書的解説書。電力中研の研究者が主として揚水発電所の建設のために地下に巨大な空洞を掘削するための解析をしたり現場を見てきた経験から書かれています。「専門書にしては」読みやすい方と思います。人工材料と異なり「天然材料」の岩盤はばらつきが大きく、特に地殻変動や火山活動の活発な日本では地質が複雑で岩盤はいろんな種類が入り交じってモザイク様になっていること、岩盤試験や地圧測定は労力や費用がかかるので試験個数が少なく分散や標準偏差は求められないのが現状(72頁)、平盤載荷試験等の岩盤試験は載荷板のサイズや験体のサイズで結果が異なる(28〜34頁)とか、岩盤の内部は切削切羽から10mも離れればどうなっているかは正確にはわからない(148頁)、ボーリング間隔約30mの間で局地的に地質が急変していたりする(149頁)とか、現場での悩みがいろいろ描かれています。災害列島といわれる日本では自然災害が一年中起こっているが調査団の報告書は事故と施工責任との関係が絡まるからであろうか往々にしておざなり(147頁)という嘆きも共感できます。第V編の「岩盤の動きを予測する」は岩盤に空洞を開けたときの岩盤への影響を有限要素法で解析する過程が語られていて、素人には付いていけませんが、解析方法で結果がだいぶ異なること(132〜133頁)とか、計算の前提となる数値を決める(仮定する)ときにはその不確定性に悩んだにもかかわらず解析結果がきれいに図化されて出てくると確定的な顔をしている(144頁)とか、興味深く読ませてもらいました。

07.クローズド・ノート 雫井脩介 角川書店
 おっちょこちょいだが万年筆には一家言ある女子大生堀井香恵が、バイト先で万年筆を買った客のイラストレーター石飛隆作への思いを、香恵のマンションの前の住人だった小学校教師真野伊吹の残した日記に勇気づけられながら実行していくラブストーリー。真野伊吹はぜんそく持ちの小学校教師で初めて受け持った4年2組を「太陽の子」のクラスにしようとはりきり、その途中で再会した大学時代の憧れの人「隆」への思いを日記に語り続け、香恵と石飛隆作の出会いは香恵のマンションを見つめている石飛でその後も石飛の視線はどこかに飛んで行きがちという、普通の神経の読者には最初から行き先の見える設定で、ほぼ唯一の関心はなぜか見え見えの事実に気づかない香恵がおそらくは最後に気づいたときどうするのかの1点に絞られます。それだって最初の真野伊吹の日記の引用が最後の言葉を省略していることからして結末はほぼ予想できるのですが、まあ、その約束されたエンディングがそれなりに美しいので許せてしまうかなというお話です。見え見えでも美しければ素直に感動できる人向けの小説です。トリックやどんでん返しがないと満足できない推理小説ファンは最初からパスした方が無難ですね。

06.ラスト・イニング あさのあつこ 角川書店
 作者の代表作「バッテリー」の続編。「バッテリー」で4巻からさんざん気を持たせた原田クンと門脇クンの対決を6巻の最後まで引っ張り続けた挙げ句に結果を書かずに終わらせた作者は、ここでもやはりその試合が終わって2ヵ月たったところから話をはじめます。で、先に結果を書いてから、回想で試合の一部だけが再現されます。クライマックスの試合シーンを楽しむことはあさの作品では期待してはいけないことは、これまでの経験から読者は学んでいるでしょうから、むしろ中盤で門脇クンの第2打席が再現されただけでも期待以上かも知れません。作品としては、1ホームランの後2三振と抑えられた門脇クンが原田クンとの対決の機会を持つためだけに名門校への野球推薦を断って地元の高校に行ったその生き様を、自らも普通には天才と呼ばれる才能を持ちながら隔絶した天才が身近にいることで自分の才能を信じ切れず屈折した思いと葛藤を持ち続ける瑞垣クンの思いから語るところにポイントが置かれています。原田クンは完全に脇役(材料でしょうか)で、むしろ原田クンを信じ切れるキャッチャー永倉クンへのやはり屈折した羨望が語られたりします。この作品の終わりでもまだ原田クンは中学2年生の始め、門脇クンも瑞垣クンも高校1年生。また2年後くらいに続編が書かれるんでしょうか。内容からすれば当然に「バッテリーZ」なのですが、なぜ別タイトルなのか、出版社が変わったこと(版権の問題か)以外にも何か理由があるんでしょうか?

05.図説百鬼夜行絵巻をよむ[新装版] 田中貴子、花田清輝、渋澤龍彦、小松和彦 河出書房新社
 室町時代中期に描かれたと推定されている百鬼夜行絵巻についての解釈論考を並べた本。共通点は百鬼夜行絵巻で描かれている化け物が古道具が霊力を持つようになった付喪神(つくもがみ)だということくらいで、なんかバラバラな感じ。最後の出典を見て納得しましたが、書き下ろしは最初の論考(この絵巻の元は付喪神記であって今昔物語は関係ないとか)だけで他はずいぶん前に書かれたものばかり。花田清輝とか渋澤龍彦なんてずいぶん前に亡くなってますし。何の調整もなく並べただけですから通し読みしてスッと落ちるわけもなし。こういう本の作り方って安直な感じがします。絵巻の図版だけ眺めてた方がいい気持ちで終われるかも。

04.幸子の庭 本多明 小峰書店
 都内の広大な庭のある旧家に住む不登校の小学6年生少女が、曾祖母が人生最後の旅と覚悟して訪ねてくるのに備えてそれまで荒れ放題だった庭を庭師に手入れしてもらいその庭師と樹や庭のことを語るうちに次第に変貌し、曾祖母とのふれあいを通じて元気を取り戻すというストーリーの小説。若い庭師の今時珍しい職人気質とたたき上げの修練、礼儀正しく明るい語り口が、児童文学らしく爽やかで心地よく読めます。白い花が季節をめぐり順次咲きこぼれる庭というのも爽やかなイメージですし。まあ杉並区内(都内で小学校が「井草小」ですから)で260坪の庭って、かなりの豪邸ですから、庶民には思いっきり縁遠い世界ですが。母親のあわてん坊ぶりがちょっとわざとらしいのも少し気になりますけどね。

03.いのちはなぜ大切なのか 小澤竹俊 ちくまプリマー新書
 ホスピスで終末期医療に携わる医師の立場から、昨今の学校で行われている「命の授業」への違和感を切り口に生と死の認識、死を前にして穏やかでいられるための心の支えについて論じた本。学校で流行の「命のバトン」の話(命は自分一人でできたものでなく多くの祖先・父母から受け継がれた大事なものというパターン)について、両親から虐待されたり関係が悪化している子どもにそんなこと言っても絵空事にしか聞こえないだろうし子供を産まない人への脅迫にも通じる(27〜33頁)とかいうのは、そうなんだけどでも教育の場でどうすりゃいいのって気もします。命の大切さは、例えばあと6ヵ月の命と言われれば実感できるのは事実だが、残念ながらこれは長くは続けられない、それが長くなると患者も家族も疲れてボロボロになる(17〜24頁)という指摘は、さすが終末医療の経験に根ざすものと思えますが。著者は、命の授業の必要性は結局人や自分を傷つけないようにすることが目的で、人が傷つけるのは希望通りにならない現実の苦しみが原因、努力しても原因を取り除けないことがあるがその時にどうするか、人が穏やかでいられる心の支えは「将来の夢」「大切な人との関係」「自分の自由」があること、人が自己肯定感を持てることが大事でそのためにも自由・自分のことを決められる自由が大事、支えられ方は個別性が高く試行錯誤しながら見つけ出していくしかないと論を進めていきます。要するに、マニュアル的な一般解はない、特定の答や万人向けの答を押し付けずに一人ひとりと向き合って考え続けようってことで、それは正しいと思います。同時にその実践は難しいですが。

02.個人事業の税金でトクする法 福田浩彦 日本実業出版社
 個人自営業者の税金についての解説書。タイトルにあるような節税法はほとんど書かれてませんし、書かれていること自体は現に自営業者で確定申告している人にはすでにわかっていることが大部分ですが、個人自営業者の税金について広く薄くコンパクトにまとめたものとして確認用にはよさそうです。ただ用語とか言い回しはほとんどが法律用語そのままで、一般人には取っつきにくいと思いますが。表紙に「個人事業と法人成りの税金上の損得を徹底比較」と赤地白抜きで謳っていますが、それに当たるのは最後の13頁だけで内容的にも徹底比較というには少なく思えます。テレビニュース番組で「この後たっぷりお話しいただきます」というのと同じ感覚でしょうか。いつも感じていることですが、そして世間の人は誤解していることが多いですが、日本の税制では個人自営業者というのは税額が極めて高くされています。この本で仮に年間所得1800万円とした場合に個人自営業者なら所得税440万4000円、住民税180万円、事業税75万5000円で合計695万9000円の税金がかかるのに、同じ額を給料でもらう場合は所得税354万6000円、住民税154万円(事業税はなし)で税金は合計508万6000円という試算が示されています(212〜213頁)。数字で示されると改めて個人自営業者がいかに税制上冷遇されているか実感します。

01.県庁の星 桂望実 小学館
 流行っていないスーパーに民間研修で派遣された県庁職員が、はじめは机上の空論と保身の役所の論理をふりまわし傲慢な性格と相まって浮きまくっていたが、なんとか売上を出そうとする中で現場の苦労や客・従業員の立場を知り成長するとともにスーパー側も変わっていくというストーリーの小説。お話は派遣された県庁職員と実質的に店を取り仕切っている「裏店長」のパートタイマーの視点で交互に描かれて進んでいきます。最初はこの切替がわかりにくいのと県庁職員が現場や客のことをまるでわからず役所の論理ばかり振り回し県庁以外ではおよそ使い物にならない典型的な小役人でありながら身勝手で傲慢なエリート意識むき出しの思考で語り続けるので県庁職員の語りの部分が鼻について共感できず読みにくく感じます。後半に入り、老かいな担当者から、主張する総菜売り場の改善のために力を借りたいとしてチームの責任者に指名されパートチームとの売上競争に巻き込まれ負け続けてチームの職員から不満も出て悩むようになって実績を出すために客の立場を考えるようになって話が展開します。そこに消防署や保健所の立入検査、売り上げ不振によるリストラの危機が相まって県庁職員が頼りにされるとともに、たださぼっていたりいい加減と見えていた従業員が実際にはスーパーの現状に疑問を持ちそれなりに動いていたこともわかり、県庁職員とスーパーの従業員の間で信頼関係ができていき、後半は気持ちよく読めるという仕組みです。傲慢だった県庁職員の成長と様々なスーパー従業員の人物造形が読ませどころの小説だと思います。

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