私の読書日記  2008年4月

24.パース塾2 実践編 椎名見早子 廣済堂出版
 建物や室内のイラストを遠近法を用いて描く際のやり方についての解説書。パース塾の実践編ですが、さらに徹底しています。物の影がどこまで伸びるかについて、画面中に光源があるときは光源が光の消失点で、そこからおろした垂線がアイレベルと交わる点が影の消失点となり、光の消失点から物の輪郭へと伸ばした線と影の消失点から物の輪郭に延ばした線が交わるところまで影ができる。ここまではまぁわかります。光源が手前側の時は、影を書きたい向きを考えて物の輪郭からその方向に伸ばした線とアイレベルの交わる点を影の消失点と決め、ある1点で書きたい影の長さと物の輪郭を結んだ線を影の消失点からアイレベルと垂直におろした線と交わる点を光の消失点として、他の点では影の消失点と物の輪郭に伸ばした線と光の消失点から物の輪郭へ伸ばした線の交点が影の限界(26頁)って、そうすれば遠近法として正しい影になることは理解しますが・・・溜息出ます。室内を描くとき、1点透視だと傾斜というか奥行き感がきつすぎるので、アイレベル上に少し離した2点の消失点を置く2視点1点透視が、理論的にはあわなくても便宜的にそれらしく描ける(30〜31頁)という話は、なるほどですし、ホッとしますけど。遠近法そのものよりも建物や家具の書き方のテクニックとして読んだ方がいいかも知れません。

23.パース塾 椎名見早子 廣済堂出版
 イラストを作画する際の遠近法(Perspective)についての解説書。遠近法というと、道や建物の屋根の線が画面中の1点に収斂していく1点透視と、中央に建物等がある場合に両側の2点に収斂していく2点透視があることはよく知られていますが、視点の高さ(アイレベル)との関係で、見上げたり見下げたりするときは3点透視とか、建物の角度が違うときや傾斜しているときなどの場合に具体的にどうしていくかが作画付きで説明されています。建物等の角度が違うときは2点透視の消失点がアイレベル上の別の場所にずれ、一方が真ん中寄りにずれればもう一方は外側にずれるとか、傾斜しているものは傾斜していない場合の消失点の真上か真下に消失点がずれるとかいう話はよく考えればわかりますが、なかなかそこまでつめずに書きがちです。さらに建物のフロアや窓など、均等や不均等に分割するときの線の位置取りは、消失点に収斂していくパース線の中心線と分割対象の四角形の対角線を取って位置を決めていくとか、確かにそうすれば遠近法としては完璧だけど、そんなめんどうなことやってられないと感じるくらい遠近法の観点から説明されています。ビルの窓とか階段の一段一段をそんなことして描いて行けって言われても、ちょっとねぇ。

22.ドラゴンキラーいっぱいあります 海原育人 中央公論新社C★NOVELS
 ドラゴンキラーありますの続編。ドラゴンキラーのリリィとマルクトの皇女アルマとともに暮らすことになったココが、軍人時代の上官で落ちぶれたアル中に成り下がったロブと遭遇し、過去の上下関係と軍隊時代のできごとから頭が上がらずしかし処遇に困っていたところへ、別のドラゴンキラーのアイロンが現れ、再び抗争へと巻き込まれていくというお話。今回は帝国の陰謀とか外国がらみの話はなく、ココの過去のしがらみとバスラントの狭い社会内での勢力争いからの愛憎でストーリーが進みます。第1作が戦場や外国の陰謀と話を大きくしていただけにスケールダウンの感があります。はぐれ者のドラゴンキラーアイロンの人物像も、ちょっと単純でキャラに魅力が少ない感じですし。

21.ドラゴンキラーあります 海原育人 中央公論新社C★NOVELS
 かつて戦場でドラゴンキラーのレクスに友軍兵士を多数殺され自分も殺されかけたことがトラウマとなっている元軍人のココが、ふと巻き込まれた隣国の皇女をめぐる争奪戦の過程で女性ドラゴンキラーのリリィと取引し、レクスへの復讐をめざすというストーリーのファンタジー。ドラゴンキラーは、素手で竜を殺す力のある超人で、人体には猛毒の竜の血や肉を食べても生き残れた人間が変身した竜と人の中間の存在とされています。死期が近づく皇帝の跡目争いで構想が続く南の帝国マルクトと北の連合国に挟まれ、小国が抗争を繰り広げマフィアがはびこりみんなが銃を携行する無法地帯バスラントを舞台に、雇われたドラゴンキラーやスパイ、ココのような便利屋たちが闘いを続けます。暴力と色気と下品なジョークにまみれつつ、超人のリリィがココに寄せる思いが描かれ、ラブコメ仕立てにもなっています。簡単に人を殺し過ぎるのが私の趣味には合いませんが、アクションもののエンタメとしてはそこそこではあります。

20.ともだち刑 雨宮処凜 講談社文庫
 中学女子バレー部でいじめを受けた少女浜田葉子の屈折した思いとその後の心情を描いた小説。いじめの加害者側の今井への憧憬と追従、憎しみに揺れる浜田の心情が読みどころかと思います。この浜田が純然たる被害者として読者の同情を買う立場でもなく、浜田自身、友だちを今井に売ってその友だちが外されて浜田が今井の歓心を買って一時友だちに戻ったり、後日の予備校時代に友人の木原にこんな女は殴られて当然と苛立ってみたり、加害者側の心情や行動も持ち合わせています。さらにいえば、部の顧問にいじめを訴えたシーンも、それで正面から部員にいじめがあるかと聞いて部員がみんなないと答えると浜田に対してみんなの前で謝れと言った顧問の教師の愚鈍さを強調する形にはなっているものの、浜田の行動自体、今井に友だちを売ったのと同様に教師に今井を売ろうとしたともとれます。そういう真っ白ではない主人公の心の襞・綾が読ませるのだと思います。他方、中学時代、予備校生活、里帰りした今の3つの時制を不規則に交互に描く進行は、ちょっと読みにくい。また、浜田が今井への憎しみを、中学時代ならともかく、いじめを受けていた頃から6年もたってぶつけようとするのは、理解しかねます。まあそういう他人には理解できない憎しみの沈潜を描きたかったのかも知れませんが。

19.フォークソング されどわれらが日々 週刊文春編集部 文藝春秋
 フォークシンガー版「あの人は今」。60年代後半から70年代に一世を風靡したフォークシンガーの当時の写真と編集部による紹介、今の写真とインタビューを並べた、たぶん団塊世代狙いの週刊誌企画の単行本化。安直な企画でインタビューも突っ込み不足だと思いますが、中年おじさんにとってはそれでもビッグネームが思い出話と今の思いを語るとなるとつい読んでしまいます。わりといい加減に業界に入ってなんとなくやれて来たみたいな話が多いですが、山崎ハコの事務所社長の言いなりになって貧乏暮らしをした挙げ句事務所が倒産、社長が行方不明って話はとても可哀想でした。

18.レバレッジ・リーディング 本田直之 東洋経済新報社
 ビジネス書の多読の勧め本。読書は他人の経験を学んでマネして余計な努力を回避するための投資活動という観点から、ビジネス書を大量に買い込み、1冊原則1時間の時間制限をして線を引いたり書き込んだりしつつ斜め読みし、線を引いたところをメモに書き出して持ち歩き何度も読む、1度読んだ本は原則として2度と読まずに処分していくという方法を著者は勧めています。読書を趣味・娯楽ではなく、仕事の一部と位置づけて論ずる限りは、理屈としてはわかります。私も仕事に使う本はまず通し読みなんかしませんし。でも、その位置づけで年間400冊読むっていったら、たいていの人はできないでしょうね。毎日1時間読書時間を決めるというところや、線を引いたところをワープロで打ち直してメモにするというあたりで挫折するでしょう。だいたいビジネス書ばっかり読み続けること自体、飽きちゃいそうですし。著者の方針でよく理解できなかったのは、本は最初から読み通す必要はない、目的(獲得目標?)を決めて斜め読みするんだっていうんですけど、この本も含めてビジネス書ってはじめから全ページ読み通したって1時間あったら読めるもんだと思うんです。それに原則2度と読まない、本はどんどん捨てていくというなら、線を引いたところはわざわざ打ち直さなくてもそのページ自体切り取ってホチキス止めかクリアファイルにでも入れて持ち歩いた方が手間がかからないと思います。私にはそういうことできませんが、本はボロボロになるまで使い倒せの方針ならそうした方がよさそうに思えます。読書法というよりはビジネス書活用勉強法というところですね。

17.ワーキングプアは自己責任か 門倉貴史 大和書房
 ワーキングプアが置かれている生活・労働環境やワーキングプアが増えた背景、非正規雇用を搾取する日雇い派遣・違法派遣、過重な労働を強いられる正社員の様子などを紹介してワーキングプア対策を論じた本。タイトルの「ワーキングプアは自己責任か」という論点については、「はじめに」では「どちらの議論が正しいかはわからない。客観的に考えれば、どちらの議論も一面において正しいし、一面において正しくはないということになるのだろう。」(6頁)と結論を避けています。これはちょっとずるい。このタイトルからしたら、普通の読者は、小泉改革(新自由主義経済)がワーキングプア増大の元凶で小泉改革はけしからんという内容を期待しますし、この本の内容も強い論調ではないものの、小泉改革でワーキングプアが増えた・ワーキングプアの状況が悪化したと示唆するものですから。もっとも、世界的にもワーキングプアが増えていることを論じる第2章からは、小泉改革がというよりはグローバリズムの影響だという印象が強くなりますが。著者の職業柄、統計数字での論述が多く、読みやすそうな見かけのわりに読み進むのにちょっと時間がかかりました。対策で、国民全員に安心して生活できる最低限の所得を国家が給付する「ベーシック・インカム」(社会保障はすべてこれに一本化して行政コストを節約するとともに、税金の各種の控除は全部廃止して財源をまかなう)(203〜209頁)とか所得税を廃止して直接税として消費支出に課税する「支出税」(個人単位で消費支出に対して課税し累進課税とする)(217〜222頁)という提言は、斬新でとても興味深く読めました。

16.楽園に間借り 黒澤珠々 角川書店
 働くことが嫌でナースのひもとして生きている主人公百輔の悩み、惑い、日常生活を描いた小説。多数の女に貢がせている同業者の友人ルイへの友情、憧憬、軽蔑、怒りを通じ、自分の位置づけに戸惑う様子が読みどころでしょうか。初出から一本の小説のわりには、章ごとにぶった切れてたり、終盤の展開もちょっと唐突な感じで、今ひとつ流れの悪さを感じます。コメディ、エンタメとして読むには爽快感とかわくわく感があまりなく、純文学として読むには深さが感じられず、ちょっと中途半端な読後感です。

08.09.10.11.12.13.14.15.ゲルマニウムの夜・王国記T〜Z 花村萬月 文藝春秋
 教護院兼修道院を舞台に神父をはじめとする修道士やシスター、学生たちの暴力や姦淫ぶりを描き、戒律を次々と破りながらもしかし観念的に神と宗教を語り追及/追求する芥川賞受賞作「ゲルマニウムの夜」に始まる「王国記シリーズ」。いつまで続くのか予想できませんが、とりあえず最新作まで読んでみました。「ゲルマニウムの夜」「王国記」「王国記U汀にて」あたりまでは、父母を殺して修道院に舞い戻り農作業を続けているという設定の朧が主人公とされ、対照的に「王国記」で修道院の農場を出ていった元修道士の赤羽が俗物で哀れな存在と描かれています。初期の朧は、暴力的で小狡くて性欲の強い危ないキャラですが、同時に観念的に神を語る際の鋭さも持ち合わせ、私はあまり好きになれませんけど、妖しい魅力を持っています。私の年齢の問題かも知れませんが、同様に戒律を無視して欲望に身を任せながら、赤羽は徹底的に批判されコケにされるのに、朧は賞賛され人望があると描かれるのはアンフェアな感じがしていました。「王国記V 雲の影」あたりから朧は相対的に落ちていき、次第に危ない妖しい魅力は失せて、言動は赤羽とさして変わらないように見えます。それでもなお朧は批判の対象にはならず人望を集めていましたが、最近の巻では、批判の対象となってきています。朧がシスターに産ませて赤羽に押し付けた子ども「無」改め「太郎」が次第に作品の中心となり、主人公となっているように思えます。それでもなお、最新刊でも巻頭の登場人物説明で朧が「本作品の主人公」とされているのは不思議ですが。朧が凶暴さを失い丸くなっていく過程で、作品そのものも、ひたすら姦淫は続くものの破戒はその方向ばかりとなり、神と宗教を語る部分もどこか鋭さを欠いてきているように感じます。一気読みしているので初期の刺激の強さに感覚が麻痺してより刺激が少ないものに飽きが来たのかも知れませんが。意地悪く言えば、朧で書き続けることが難しくなり、主人公を差し替えて、議論の重心をずらすことで長く続けようとした試行錯誤が今ひとつというところでしょうか。別の読み方をすれば、1作ごとに語り手を変えることで、同じ人物を持ち上げては落としを繰り返し、人物も、宗教も神も相対化する、多元的な視点の大切さを見せているとも言えます。赤羽だけが常にどこまでも貶められているのは可哀想ですが。癖のある人物が多数登場しますが、私はその中で朧の最初の女となり、朧の性奴隷ともいえるジャンとも赤羽とも性関係を持つ教子というキャラに惹かれました。「ゲルマニウムの夜」(朧の視点)/「汀にて」(教子の視点)/「雲の影」(朧の視点)/「むしろ揺り籠の幼児を」(朧の視点)の朧−教子関係の変転、「め−くるめ・く【目眩く】」(教子の視点)/「象の墓場」(赤羽の視点)/「神の名前」(ジャンの視点)の教子の評価の変転は、私には読み応えがありました。淫婦→聖女/賢者→俗物と揺れ動き、今のところ最終的には貶められていますが、この作品で一番の変転が作者の愛着をも示しているように見えます。そういう一筋縄ではいかないキャラと人物評価が、実は宗教論争より、魅力的かも知れません。

07.孤独にさようなら 辻仁成 マガジンハウス
 津波で両親を失いショックで声が出なくなりうちひしがれて伯母のところに引き取られた13歳の少年イタルが、学校や家庭になじめず家出して迷い込んだ森の中で出会った3人の大人たち(キング、ヨゲンシャ、ブンセキ)と共同生活をしながら立ち直っていくというストーリーの小説。前半は、森の中で野菜を作る中で自然の尊さと恐ろしさを実感しつつ、津波のトラウマと向き合っていくのですが、後半、3人の大人たちの正体が明らかにされるあたりから、世界の不思議さ、自然破壊とナショナルトラスト運動、飢餓、企業支援と株取引など、見知らぬ世界を知ることで自分の不幸に凝り固まっていた少年が不幸を相対化して行くというパターンになります。後半は設定がかなり荒唐無稽になるし、株取引をそんなに正義の活動に描かれてもなあと、違和感を感じました。エンディング前、少年が感じてきた自然への畏敬と不思議、株取引などの大人の不思議な世界、目の見えなかったキングと気球の動きを重ね合わせ、世界は見えない気流の中にあるのかもしれない、目に見えていることが全てではなかった、むしろ見えないもののほうがこの世界の本流なのかもしれなかった(293頁)と語るあたりがサブテーマとなっていると思いますが、しみじみとします。

06.ブルーバレンタイン 新堂冬樹 角川書店
 5歳の時に両親と兄、祖母を目の前で虐殺され、復讐を誓い訓練を受け冷徹な暗殺者となった20歳のアリサ(コードネーム:バレンタイン)が、他の組織の暗殺者たちと死闘を繰り広げつつ復讐をめざすアクション小説。タイトルからは恋愛小説かと思ったんですが。プロの暗殺者の繰り広げる死闘の緊迫感とスピーディな展開で、エンタメとしては飽きずに読ませます。ためらいもなく人を殺し続けるバイオレンスものは、私の趣味ではなく、その点の抵抗感でところどころ行き詰まりましたし、組織や施設の設定が現実離れしすぎているのが私には気になりましたが、そのあたりが気にならない人ならかなり楽しめるでしょう。ラストがちょっと期待はずれというか安直な感じがしますけどね。アリサを拾って育てた小野寺の言葉「お前の父さんは、優秀なアサシンだった。が、彼はひとつだけ重大なミスを犯した。それは、愛すべき者ができたことだ。」(7頁)が、ストーリーの展開に応じて含むところが変わったり、それなりに布石が効いている感じがします。ただ、それにしては、アリサのパートナーとなる暗殺者ヘリオスが敵の4天王の1人スパイダーと遭遇したときの言葉「しかし、驚いたな、バレンタイン。スパイダーがあんなに若い少年だったとはな。」(131〜132頁)はちょっと。スパイダーは球場で見つけているし、ゼウス以外の4天王は写真で見たことがある(いずれも42頁)のじゃなかったの?

05.なぜハーレーだけが売れるのか 水口健次 日経ビジネス文庫
 全体として急激に縮小している日本のオートバイ市場で売上を伸ばし続けているハーレージャパンの販売戦略について書いた本。他社より価格が高く(2倍以上する)販売店も従業員も小規模という条件の下で、他社との比較でものを考えない、同じことはしないという方針で改革を進めていったことをレポートしています。内容的には販売店との絆を強め、顧客とバイクの情報を徹底管理して見込み客情報を詳細に把握して販売店に指導していく、顧客にはものとしてのバイクではなくライフスタイル(夢、ステータス)を売る、多彩なイベントを自前で実施し続けて顧客を維持し続ける(カスタマイズやパーツで稼ぐ)とともに見込み客を増やすというようなことです。本の中ではライフスタイルを売るということの方を前に出していますが、実際には顧客(イベント参加者等の見込み客を含む)とバイクの情報の徹底的なコンピュータ管理とその分析がキーポイントと読みました。社長のインタビュー(164〜187頁)を読むとかなりのトップダウンで、この人がいなくなったらすぐ躓きそうな感じもしますけど。

04.古代インド文明の謎 堀晄 吉川弘文館
 南ロシア起源の白人・遊牧民であるアーリヤ人が紀元前1500年頃に北インドに侵入して、インダス文明を滅ぼし、インダス文明を担った黒い肌のドラビダ人が南インドに追いやられたという古代インド史の定説に対して、中央アジア先史考古学の専門家(わが国で専門家と呼べるのは自分だけかも知れないそうです:154〜155頁)が反論する本。著者の主張は、インド・ヨーロッパ人は北シリアに起源がありそれが1万年前くらいに西アジア型農業(麦、山羊を中心とする農業)とともに拡散し、インダス文明はその人々に担われ、その人々がガンジス川流域に移っていったために衰退した、インダス文明の滅亡・民族交代はなかったというもの。著者自身、インド・アーリヤ人征服説に基づかないあるいはこれに反対する仮説は異端とされ無視されてきたと嘆き(159頁)、専門家が自分の専門を賭けて発言しているのだから無視はしない方がよい(155頁)とか述べているように、やや悲壮な決意で少数説を論じているもので、学問的興味はありますが、一般人が手を出すべきものではありませんでした。「この仮説に触れた人が、専門家であれ非専門家であれ、論理として受け入れる余地があるのかどうかを検証すべきである」(154頁)って言われても、判断できないし。高校時代から古代インド史に興味を感じている私としては、そこよりも、インダス文明は強力な中央集権国家ではなく長老会のような市民団が権力を握る一種の民主制国家だったのではないかという指摘(57〜58頁、60頁、67〜69頁)の方に注目したいと思います。ギリシャのポリスより昔にアジアに存在した民主制国家って、本当ならすごく興味深いですよね。

03.主題歌 柴崎友香 講談社
 表題作と短編2編のセット。表題作は30手前の女性の主人公の職場等での女性たちを中心とした交遊の日常を描いた小説。その多くが、男性と交際していてレズビアンではないのですが、「かわいい女の子好き」で、若い女の子の太ももがいいとか、月間PLAYBOYの「永遠のセクシー女優名鑑」とか「最もセクシーな世界の美女100人」とかに見入っていたりします。女性同士で集まって話すのが好きは、わかるんですが、それでする話が若い女の子の品定めだったり、そういう視点を持っての交遊って、う〜んと考えてしまいます。そのあたりの変わった感覚を日常の中に取り込んで見せたところがポイントでしょうか。

02.原発・正力・CIA 有馬哲夫 新潮新書
 アメリカの公文書館のCIA文書の中の正力松太郎ファイルを元に読売新聞社主の正力松太郎が政界に転じ「原子力の父」となっていった経緯をCIAとの関係でレポートした本。アジアの反共の砦として日本を陣営に留め置き米軍の補完の範囲で再軍備をさせたいアメリカが、第五福竜丸事件で沸き起こった反核・反米の世論、原水禁運動を鎮静化させるために「原子力平和利用」キャンペーンを最も上位下達体制で扱いやすかったメディアを用いて広めたかったというCIAの利害と、日本テレビの商売のためにアメリカの協力を得てマイクロ波通信網を構築したかった正力側の利害の下で、CIAと正力が協力・利用・対立する駆け引きの様子が描かれています。原発は、正力にとっては、一民間企業が当時は民間に許可されることはかなり困難だった通信インフラを手にするためにアメリカの協力を得、さらには自分が総理大臣になって法改正をするしかないという判断から、金はあるが政界での実績がない正力が総理大臣の座を射止めるためのカードだった(それに過ぎなかった)ことが主要な論点になっています。CIA文書を中心に見ているので、CIAがいかに正力の政治的野望に利用されずに、できるだけ金を使わずに、自分たちは正力の力を利用するかに腐心している様子や、当初元敵国の日本には平和のための原子力のキャンペーンはするが原子炉は与えるつもりがなかったアメリカが、イギリスやソ連の売り込みに焦り原子炉を供与せざるを得なくなっていった様子が生々しく描かれ、興味を引かれます。

01.ホームレス中学生 田村裕 ワニブックス
 恵まれた少年時代を過ごした著者が、母親の病死、父親の闘病と失業から差押えを受けて中学生時代に家を追い出され、しばらくは家族と別れて公園でホームレス生活をし、友人の親や近所の人の厚意と兄姉の働きで生活保護を受けながら生活を立て直し高校を卒業してお笑い芸人になるまでを描いた自伝。突然の差押えと父親の家族解散宣言でいきなりホームレスになる冒頭は、作品として鮮やかな書き出しです。現実には明け渡しの強制執行は初回は挨拶だけですから現実に執行されるときは事前にいつ本当に執行されるか少なくとも父親にはわかっていたはずですが(仕事柄野暮な指摘をしますが)。今は成功した立場で書いているせいかも知れませんが、周りで助けてくれた人たちはもちろん、母親やさらには父親にも感謝の気持ちで描かれていて、ちょっと優等生過ぎる感じもしますが、読んでいて爽やかです。飢えに苦しみながらも母親のことを思い起こして万引きや恐喝を思いとどまった話(25頁、153頁)もホッとします。生活保護を受け兄が一生懸命働く中で高校に進学させてくれたのにろくに学校に行かなかった頃の話(121〜123頁)や、1日の生活費2000円をもらってそれを貯めもせずに学食で使い切ってぜいたくをしていた話(136頁)は、人の親の立場ではカチンと来ますけどね。タイトルのホームレス時代は1月くらいで本の前から4分の1くらいですけど、インパクトのある体験ですからそれをタイトルにされても私は許せる感じがしました。

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