私の読書日記  2008年10月

14.猫の形をした幸福 小手鞠るい ポプラ社
 どちらもバツ1の、持病のために子どもが産めない彩乃と孤児院出のアメリカ弁護士未知男が、お見合いで即決して結婚してアメリカで暮らす日々を綴った小説。お互いに自己主張しながら明るく楽しく生きていく様子が描かれていて、基本的には元気が出るお話。ただ、この夫婦、子どもが産めないことを埋めるためか、猫を飼って大事な家族として扱って、それを意識するために、猫が死ぬことの予感や死後の生活が暗くもの悲しく描かれます。何かに依存すると、その何かが失われたときのダメージが大きいということではありますが。設定や流れからすると、猫なしで描いてもハッピーな夫婦にできたようにも思えるんですが・・・。猫の死は一番最後なんですが、途中にも、死後の現在から当時を振り返るような記述がいくつかあって、暗い予感がそこここに示されます。そのあたり、初出表示はありませんが、一気に書いた長編じゃなくて短編連作のような感じがします。アメリカの弁護士が明るくていい夫として描かれているのを見るのは珍しく思え、同業者としてはホッとします(恋愛小説で弁護士が出てくると、たいてい悪役って気がしません?私のひがみでしょうか)。

13.フェルメール論 神話解体の試み[増補新装版] 小林頼子 八坂書房
 17世紀のオランダ画家フェルメールについての研究書。現存する絵が三十数点しかなく、著書もなく、情報が少ない謎の画家とされていますが、著者は17世紀の画家ではそれが普通で、フェルメールだけが埋もれていて再発見されたという「神話」は、画商の思惑で作られてきた疑いがあり、行政文書などからフェルメールの人生をたどることはそれなりに可能として種々の論考がなされています。そして、作品数が少ないだけに、それぞれの作品についてテーマや技法について詳細な考察が加えられています。X線や剥落した絵の具の分析、修復時の情報等からの検討もあり、当時の絵画技術やフェルメールの試行錯誤がおぼろげではありますがかいま見えて、美術好きには刺激的です。そして、フェルメールを賞賛するだけでなく、晩年の作品群を「停滞」と明言し、簡略化、硬直化、構図の破綻などもはっきり指摘している点に共感します。ピーテル・デ・ホーホなど他のオランダ画家がフェルメールの作品を模倣したように述べられることが多いがX線や作成時期の考察からむしろフェルメールがデ・ホーホの作品を見て作成したと思われるとか、フェルメールの名が付くかどうかで展覧会の動員が大きく変わるとか、17世紀オランダ画家の中でフェルメールばかり賞賛したがる傾向への苦言も見られ、なるほどと思いました。「牛乳を注ぐ女」にしてもアムステルダム国立美術館の常設展では夕方に行けばたいてい1人きりで心ゆくまでゆっくりじっくり味わえるのに、2007年の日本の国立新美術館でそれ1点でフェルメールの冠をかぶせた展覧会では身動きできないほど人が押し寄せるとかいう指摘も。一番新たに発見されたフェルメール作品とされ、2004年に科学調査と洗浄の後に権威筋が真作と太鼓判を押して約33億円で落札され2008年東京都美術館のフェルメール展にも出品されている「ヴァージナルの前に座る若い女」についても「フェルメール真作説に対して違和感をぬぐい切れない」とあえて述べ続ける姿勢も面白い。専門書で、特に第1章から第3章の美術史・フェルメールの生涯の史実関係の記述や資料部分は読み通すのが辛いですが、美術ファンには興味深い1冊です。

12.天安門 シャンサ ポプラ社
 1989年の天安門事件の際の女性リーダーとその逮捕を命じられて彼女を追う軍の中尉を描いた小説。訳者あとがきでは、作者の自伝的色彩の強い作品とされていますが、学生リーダーの雅梅(アヤメイ)の14歳のころの恋人への思いと教師や両親によって恋人と引き裂かれやっと再会した恋人が心中を図って自殺したが自分は拒否して生き残った、その記憶が日記の形で延々と綴られ、「あまりにも不幸になって、人生への愛は憎しみに変わった」(109頁)と続けられると、リーダーの行動と思想、ひいては天安門事件に至る学生運動までもが個人の感情・感傷・八つ当たり的な憎悪に突き動かされていたような印象さえ与えかねません。リーダーの出自も文革期に反革命とされて再教育を受けていた両親の下で育ち、教師から見れば不良学生だった青年と教師の反対を押し切って交際を続ける反抗的な生徒とされているわけで、普通の学生・普通の市民からの自然発生的な運動ではなく特別に反抗的な者が引き起こしたという印象を与えると思います。そして、リーダーが不思議な青年に先導されて山をさまよい神隠しのように追っ手の目を逃れる幻影的な展開は、ラストシーンでリーダーが軍の中尉に対して優位に立つ印象を与えていながら、現実には山に追い込まれて行き現実の世界では勝利し得ないことを意味しています。政治論文じゃないから学生側の正当性を正面から語る必要はないでしょうけど、事件の時高校生で天安門広場でのデモにも参加したという作者が書く小説としては、学生たちの闘いを矮小化している印象を持ちました。

11.よくわかる最新からだの基本としくみ 鈴木洋通監修 秀和システム
 人体のしくみについての図解式入門書。各項目見開き2ページで右ページが説明、左ページがイラストになっています。この種の本では、まだ解明されていないこととか一般に流布されている説は誤りとか書かれている部分が新鮮に思えます。痒みを感じるしくみは解明されていない(42頁)とか、条件反射は高等生物にのみ見られるとされてきたがゴキブリにも条件反射が見られる(37頁)とか、甘みは舌の先で感じる等舌の部分によって感じる味が違うという説は今では否定されている(57頁)とか、筋肉の疲労の原因はまだ解明されておらず乳酸が疲労の原因という医学上の根拠はない(138頁)とか、爪半月はできたばかりの爪が透明度の違いで見えているだけで病気などとは無関係(146頁)とか。ただ、本文の解説、用語解説とイラストでニュアンスがかなり違うところが散見されます。舌の部分によって感じる味が違うという説は今では否定されていると書かれたページには舌の場所別に違う種類の味蕾(違う味を感じる味蕾)を並べたイラストが配されていたり(57頁)、「口蓋垂は、発生や飲み込みに関与しているといわれる一方で何の役にも立っていないという説もあります」と紹介した左のページでは「口蓋垂は切り取っても何ら支障はない」と断言したり(62〜63頁)。本を作るとき分担の関係で図表のチェックって雑になりがちではありますが、残念です。

10.最期の旅、きみへの道 C.S.リチャードソン 早川書房
 突然あと1ヵ月の命と宣告された主人公とその妻のその1ヵ月を描いた小説。この種の作品が通常かなり頭を悩ます、それが現実的に見える設定を、完全に省略して、「原因不明の不可解な病で、いまだ治療法も見つかっていなければ、今後見つかる見込みもない」(10頁)、「伝染性の病ではない」「確実に死をもたらす」(17頁)と、それだけ。難しいことは考えたくないけど、空想としてそういう条件に追い込まれたときの夫婦の美しい物語を書きたかった、それだけなんでしょうね。で、主人公アンブロウズ・ゼファーは、仕事を放り出して、想い出の地をリストアップして、アルファベット順に妻と2人でめぐる旅に出ます。旅の前半は、かなりむりやりにアルファベット順に都市をめぐって(アムステルダム→ベルリン→シャルトル→ドーヴィル:英仏海峡→エルバ島はやめてエッフェル塔→フィレンツェ→ギザ→ハイファは断念→イスタンブール)想い出や思いつきのエピソードが語られます。途中からアルファベットに沿った現実の旅は断念してロンドンに戻り、友人と会ったりしながら、こじつけ的にアルファベットのエピソードが続きます。こうやってこじつけのアルファベットを続けて、最後に行き着く先はというのが、結局それを書きたかったのねというお話です。しかし、訳で主人公の名前アンブロウズ・ゼファーが、前半ではゼファー(Zephyr)だけアルファベットが振られ、アンブロウズ(Ambrose)は最後までアルファベット表示されません。妻の名前のザッポーラ(愛称ジッパー)・アシュケナージ(Zappora Ashkenazi、Zipper)に至っては最後にジッパーの方だけアルファベット表示されますが正式の名前は全然アルファベット表示されません。原書の読者には最初から開示されている情報ですし、主人公(たち)がアルファベット順にこだわる理由も、その名前(夫のイニシャルがA.Z.妻のイニシャルがZ.A.ですからね)に由来していることは明らかですから、これを振らないのはかなり不親切です。 ラストとの関係で隠したかったというのなら、アルファベットは振らないで終盤に「A・ゼファー」「Z・アシュケナージ」(156頁)と中途半端にイニシャルを出しているのは変ですし、だいたいそれならこういう日本語タイトルつけないでしょ。そのあたり訳者が何を考えたのか私には不可解でした。

09.J.K.ローリング「ハリー・ポッター」の奇跡 チャールズ・J・シールズ 文溪堂
 「名作を生んだ作家の伝記シリーズ」第7巻で、J.K.ローリングの伝記だそうです。生きながらにしてもう伝記が書かれてしまうのですね。伝記といいながら中身はハリー・ポッターシリーズの内容とそれに対する読者や世間の評価が大部分で、ローリング自身の半生については目新しい情報は皆無と言っていいでしょう。しかも原書は2002年の出版でハリー・ポッターシリーズでは4巻の「炎のゴブレット」までしかフォローしていません。そのため出てくる写真も最新刊の話をしているところで4巻関係のものばかり。それを2008年に日本で出版するのであまりに酷いと思ったのか「はじめに」と「第8章 それから」が訳者によって書き下ろしで追加されて最近のことにも言及はされています。でも、中身には立ち入れないと考えてか、例えば、ローリングが子どもの頃、ワイ渓谷の「ディーンの森」を探検したエピソードを紹介して「禁じられた森を書くとき、ローリングはもしかしたらディーンの森を思いうかべていたのかもしれない。」(25頁)と書かれていて、そのことを訳者あとがきでもそのまま「子どものころ遊んだディーンの森と、禁じられた森とをつなぐ糸」(128頁)なんて挙げています。でも、新たな書き下ろしをする訳者がハリー・ポッターの7巻をちゃんと読んでいたら、ディーンの森のことに触れるなら、ハリーとハーマイオニーが追っ手を逃れて転々とする中でディーンの森に行きハーマイオニーが「グロスター州のディーンの森よ。一度パパやママと一緒に、キャンプに来たことがあるの。」(「死の秘宝」上531頁)と述べていることに言及しないでいられるはずがないと思います。こういう本がハリー・ポッターシリーズを十分愛していない人に書かれるのは、なんだかなぁと思います。

08.容赦なき牙 ロバート・B・パーカー 早川書房
 パラダイス警察署の署長ジェッシイ・ストーンを主人公とするサスペンス小説、ジェッシイシリーズの最新作(第7作)だそうです。ジェッシイはかつて妻との関係に悩みアル中となり妻と離婚したものの、元妻との関係をあきらめられず元妻の方もつかず離れずの微妙なつきあいで、それぞれに他の異性とも関係を持ったりしながら悩ましく生きています。警察署長としては、法的にはかなり危ないというかはっきり違法な手段をも使いつつ、より悪い者を排除し、より弱い者を保護していきます。違法な部分への目のつぶり方というかとぼけぶりが、読んでいて楽しい部分ではありますが、私にとっては仕事がらちょっとなぁと思ってしまいます。この作品で登場するお尋ね者のクロウが、アウトローなんですが、魅力的で、かつてパラダイス署管内で起きた事件の絡みで仇敵のはずなんですがジェッシイもその存在を認めて事実上組むことになります。クロウはインディアンでアパッチとされています。2008年の作品で「アパッチ」とか「インディアン」なんて言葉が出てくるだけでもビックリものですが・・・。それが魅力的で次々と登場する女性と関係を持ってしまうという設定は、エキゾティック好みか差別への反発か・・・。それにしてもこの作品で保護される14歳少女アンバーのいい加減さ身勝手さは、読んでいていらいらさせられますし、そのために多くの人が犠牲になるのは哀れに思えます。

07.教科書の文学を読みなおす 島内景二 ちくまプリマー新書
 中学高校時代の教科書によく掲載される作品の面白さを紹介するというふれこみで、結局のところ、漱石、鴎外、+若干の古典(方丈記とか伊勢物語)について論じた本。漱石と鴎外の主要作品を解説しながら、漱石、鴎外がいかに古典を読みこなしてそれを意識して作品を書いたか、古典、近代、現代を通じて人間がいかに同じテーマの作品を書き同じテーマの悩みを持っているかに言及し、文学作品の普遍性と現代の自分へのつながりを感じさせようとしています。これを機に漱石や鴎外に興味を感じられれば、という本ですが、う〜ん、ちょっとそこまでは食指が・・・

06.脳あるヒト心ある人 養老孟司、角田光代 扶桑社新書
 産経新聞紙上で行われた交換書簡型エッセイ。テーマは決まってなくて、前回の相手のエッセイから連想して飛び火していくパターンが多くなっています。その中で、昔読んで面白くなかった本を読み返して今は面白いということで自分の変化に気づかされる、それで本はすごいと改めて思う(30〜31頁)とか、物を書くなんてある意味で人を騙すことだ、その前に自分を騙さなければならない、本当に自分はそう思っていると思いこまないとまじめなことは書けない(64〜65頁)とか、読書好きは間違いなく中毒だ、二宮金次郎なんて農業が大変な時代に農業に励んでいる人から見たら読書なんて間違った行為でそれがやめられないのは中毒と見られたはず(112〜113頁)とか、読書がらみの話が面白く読めました。善意でしたことを悪意にとられたら情けない思いをする、では悪意でしたことを善意にとったらどうか、人はいいものだなあと全員が騙し合う、そうするとなぜかいい社会ができる(88〜89頁)なんていうのも含蓄があっていいなと思いました。全体を通したテーマがないので、読後感は散漫ですが、細切れ時間の時間つぶしにはよさそうです。

05.自意識過剰! 酒井順子 集英社文庫
 他人の視線への意識という観点から様々なことを綴ったエッセイ。腕の太さや下腹の出具合、むだ毛や前の時と同じ服かとか、そういう外見のことに始まり、ご近所の人と会った時どこまで近づいたところで気づいたふりをするかとか、様々な場面で、他人の視線をどう意識しどうふるまうかが取りざたされます。もっと抽象的・総合的な点も。自分は他人の目なんて気にしない、と見られたい。そういう自然体をアピールして男に媚びる女は許せない。とか、いろいろめんどくさいこと考えて生活してるのね、とおじさんは考えてしまうのですが。出てくる例が、どうも80年代っぽいと思って読んでたら、長野オリンピックはどうなるとか(183〜184頁)出てきて何だこれと思いました。あとがきを見ると最初に出版されたのは1994年でそれを今度集英社文庫にしたのだとか。でも1994年を基準としても古い話が多いように思えます。分析自体は面白いんですが、出てくる例が古すぎるので、その分析今でも当てはまるんだろかとも思ってしまいます。

04.もっと塩味を! 林真理子 中央公論新社
 パリで成功した日本人シェフの妻美佐子の半生と夫と夫の浮気相手、自分の過去の男との葛藤を描いた小説。主人公は、和歌山の資産家の息子と結婚し、食べ歩きの中でフランス料理に目覚め、夫の不貞を詰りながら自分も東京のフランス料理のシェフと浮気をし、離婚するが元夫からはまとまった金と毎月相当な仕送りを受け取り、東京で遊び歩く中で若いフランス帰りの年下のシェフと知り合って再婚し、前の男の出資でフランス料理店を出して成功し、パリに出店してトラブルを乗り越えて成功するというようなストーリーです。結局、この主人公は、いつも上流社会の中にいて、苦労といっても結局は元夫や前の男の経済的援助で貧しい思いをすることはなく、病気もするけど奇跡的に助かり続け、むしろずっとやりたいことを気ままにやり続けてる感じがします。これで、酷い目にあったとか、相手の男が悪いとかいわれてもなぁと、男性読者としては、やりきれない思いがします。作者も最後主人公の処遇に困ったのか、どうなったのかよくわからないぶん投げたようなラストですし。

03.問題解決労働法5 解雇・退職 君和田伸仁 旬報社
 労働者側の弁護士による労働法の解説書。10巻組の1冊。労働事件の多くを占める解雇事件について、裁判実務に必要な知識がまとめられています。それぞれの項目に関する解説はわりと簡潔ですが、裁判実務に必要なことは、普通の解説書に書いていないことまで、けっこう目配りされています。弁護士には手頃な入門書と言えます。文章は法律用語や判決について特に説明なく書いていて、弁護士にとっては読みやすい文章ですが、弁護士以外の人が読み通すのはかなり厳しいでしょう。日本労働弁護団のメンバーによる解説ですから、基本的に労働者側の視点ですが、労働審判では解雇無効の場合に地位確認に代えて金銭支払いを命じる審判が出せるということが何度か強調されている(149頁、152頁、168頁、181頁)のはちょっと違和感を持ちました。この論点は、特に労働者側が金銭解決を拒否していても金銭支払いの審判を出せるかは、労働審判の立法過程で労働者側・使用者側の激しい対立のあったところで、簡単に認める前提で書かれるのは・・・(「労働者側が拒否しても」という言葉はないですが)

02.アニメはいかに夢を見るか 押井守 岩波書店
 アニメ映画「スカイ・クロラ」の監督とプロデューサーによる「スカイ・クロラ」のメイキングストーリー。衣食住に困らぬ社会でハングリー精神や目的を持てず将来の選択肢も現実には狭い中で閉塞感を感じている若者たちの気分を描きたいというような動機が語られ、例え永遠に続く生を生きることになっても昨日と今日は違う、そうやって世界を見れば僕らの生きているこの世界はそう捨てたものじゃない、同じ日々の繰り返しでも見える風景は違う、そのことを大事にして過酷な現代を生きていこうというようなメッセージを伝えたいということが語られています(7〜11頁)。しかし、そうだとしたら、何故キルドレは生を実感するために死を意識し戦闘機乗りを選ぶのでしょうか。むしろ昨日と変わらぬ地道で退屈な日々を送る若者たちの閉塞感をそのまま描き、その中から、わずかな変化を見出していくという設定の方が、語っている内容からはずっと素直に思えます。メイキングストーリーの中で語られている経過(例えば62頁、94頁)からすると、単純に戦闘機が好きで、今まで誰もやったことがないような空中戦を描きたくてそういう話にしただけじゃないかと。草薙水素の髪をおかっぱにすることを監督が譲らなかったのも単に好きだから(116〜117頁)というのと同じように。映画を見ていて感じた、アニメにしては異様に多い無言の間と長いカット、空のCGと地上の2次元手書きアニメの対比、光の過剰なまでの強調などの背景と思い入れは、読んでなるほどと思いました。タイトルはさておいて、「スカイ・クロラ」を見た人のためのファンブックと思った方がいいでしょう。

01.愛のうたをききたくて サラ・デッセン 徳間書店
 何度も結婚と離婚を繰り返す実務能力がなく逃避しがちな母親の元で育ったために、強気で実務能力があり愛(男)なんて信じられないと期間限定のボーイフレンドを作っては別れることを繰り返すレミーの高校卒業から大学進学までの夏を描いた青春小説。レミーにいきなり駆け寄ってきて運命の出会いと語るだらしないバンド男に反発しつつ、大学に進学するために街を離れるまでのおつきあいと決め、別れつつも何か気になるけど、また反発を繰り返す中でレミーの気持ちが揺れ動き、前に行く様子がテーマになっています。揺れ動いた末に最後の展開が、今ひとつ唐突な感じもしますが、青春・恋愛ってそんなものと見ておきましょう。つまらない男と離婚を繰り返す母親を不幸な女と捉えていたレミーに、別れて傷ついても愛し愛されたことは事実でその方が遥かに大切なこと、一人でいたっていいことは起こらなかったし傷つくのを恐れて閉じこもっていても強くなれない、弱くなるだけと、母親が諭すシーン(337〜338頁)が印象的です。

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