私の読書日記  2008年11月

12.日本のNPOはなぜ不幸なのか? 市村浩一郎 ダイヤモンド社
 特定非営利活動促進法(いわゆるNPO法。著者はNPO法に値しないと述べているが)制定後、NPOが法人格を得る道ができたものの、なまじ法ができたために法人格を取得しないと活動しにくくなり、法人格取得のための認証手続には種々の制約と役所からの煩瑣な指導に応じて何度も書類を作り直す手間がかかり、認証後は監督を受けることとなる上、法人格を取得しても税制上の優遇も受けられないという状況の下でNPOが悩まされている問題と法改正のあり方を論じた本。著者は民主党の国会議員。寄付金控除を受ける要件が財務省の抵抗により極めて厳しく元々寄付の習慣の薄い日本でNPOが個人や企業から寄付金を集めることは難しく、他方、役所からの助成金や委託事業は役所の事業の下請けに近く、しかも役所の都合ですぐ切られて財政的な自立の困難な状況が繰り返し語られています。特にNPOが最も多い福祉分野では、障害者自立支援法という名の自立を要求して福祉を切り捨てる法律の制定によって補助金が削減され、立ちゆかなくなっていくNPOが多いことが指摘されています。著者は、日本では個人の寄付が根付いていないことから、NPOへの寄付金を税額控除(税金として支払うべき金額の一部を寄付に回せる=個人の負担増なしで寄付できる)を提言しています。それにより自治体側にも住民税の受取額を増やすために競争意識が生じるという指摘もされています。是非実現して欲しいと思うのですが。

11.犯罪被害者保護法制解説{第2版] 高井康行、番敦子、山本剛 三省堂
 犯罪被害者基本法をはじめとして、犯罪被害者保護法、刑事手続への被害者参加制度、犯罪被害者等給付金支給法などの犯罪被害者保護に関する法制度の解説書。比較的薄い本でたくさんの法律を解説し、被害者保護関係の法律をハンディに学ぶという観点では優れもの。しかし、説明がほとんど法律の条文・法律用語そのままで、法律実務家や学者以外の読者にはかなりハードルが高いと思います。著者が犯罪被害者保護立法運動の中心にいた弁護士ですから、立法の経緯や必要性に関する説明は簡潔でありながらきちんと書き込まれているように思えます。他方、弁護士向けという観点からすると、法律の説明に終始していて実務的なノウハウはほとんどか書かれておらず、そこは不満が残ります。犯罪被害者給付金制度などは、ただ煩雑で計算が難しそうという印象になってしまいますし。刑事手続への被害者参加制度は施行直前ですし、他の法制も多くが改正法施行前後というタイミングは、勉強したい需要にはマッチしているものの、事例の集積がなく実務的な話が書けないということになるのは仕方ないと言えますが。

10.努力の証 第八代国連事務総長潘基文物語 辛雄鎭 ダイヤモンド社
 第8代国連事務総長に就任した韓国外交官潘基文の伝記。田舎の秀才だった潘基文が寸暇を惜しんで勉学に励み、特に英語の勉強を徹底し、外交官を目指して努力し続け、常に置かれた境遇に文句を言わずに努力を続けた結果、外務次官、外務大臣、国連事務総長と出世していったというお話。外交官として華々しい成果は語られず、着実に寸暇を惜しんで努力し誰からもその能力を評価されたということが何度も繰り返されています。地道な努力を重ねた清廉な能吏、その印象だけが残ります。何というか、子どものころに聞かされた二宮金次郎のイメージが重なります。う〜ん、偉いんだろうけど、今ひとつ共感できないんですね。自分の睡眠時間や家族との団らんを犠牲にし、仕事を優先し、他人のために尽くすことを美徳として描いている点も、いまどきの日本ではむしろ家庭を顧みないワーカホリックの過労死予備軍と冷たい目で見られるかも知れませんし。潘基文自身はいい人なんでしょうけど、それを読ませる本としては、ちょっと、お決まりの褒め言葉ばかりで建前論が過ぎる上にセンスが古いよねと思ってしまいました。

08.09.13番目の物語 上下 ダイアン・セッターフィールド NHK出版
 無名の伝記作家が、謎に包まれた過去を持つ超売れっ子作家から伝記の作成を依頼され、作家の語る幼年時代の物語を聞き取りながら調査を重ね真実を追うというストーリーの小説。主人公自身の過去と、口述する作家の過去と現在を交錯させながら、謎の作家の語りの虚実と作家の過去の真相をたどる形のミステリー仕立てになっています。登場人物が次々と精神を病んだり失踪し、やるせないけだるい進行ですが、悲劇の中にも謎と希望が隠されていて最後まで読者の関心を引きつけてくれます。作者はフランス文学研究者で作家としてはこれがデビュー作だそうですが、布石がけっこう周到に打たれていて、アレッと思って読み返し、それでここはこういう書き方をしていたのかと思い直すことがしばしばでした。最初の方に事件が起こらず、展開も派手ではなく、重苦しい展開ではありますが、上巻を読み切って下巻までたどり着ければ、少し変わったタイプのミステリーとして楽しめます。

07.ワンちゃん 楊逸 文藝春秋
 初の在日中国人芥川賞作家の受賞前小説(これも候補作でしたが)。働き者で洋服を売る露店商やデザイナーとして成功しながら、ハンサムなヒモ夫にたかられて離婚して逃げ、ついには日本人と見合い結婚して日本国籍を取得し、現在は日本の農村からの中国人花嫁捜し見合いツァーの世話役をしているワンちゃんの半生を描いた小説。能力がありながら、外見だけの男との結婚に失敗して財産をすべて捨てるハメになった中国人女性が、日本で日本人のおじさんと中国人の若い女性の見合い結婚の仲介をするというあたり、屈折した思いがあると思うのですが、そこはあまり綴られていません。中国での家族を捨て、日本の農村に来ても無口な夫とは喧嘩もしないものの心が通わず、義弟は不気味で、心が通う姑は病死して日本でもよりどころを失うワンちゃんの思いが、せつない。たくましい生活力と、根無し草的なやるせなさのアンバランスが印象的です。

06.私は外務省の傭われスパイだった 原博文 小学館
 中国生まれで中国「残留」(置き去り)孤児の子として日本国籍を取得して来日し在日中国人相手の新聞を製作していたところ外務省職員から依頼されて中国の秘密文書の入手をしていた筆者が中国政府に逮捕され、日本大使館・外務省からは保護も得られず中国で服役して帰国し、国会でも取りあげてもらったが外務省は謝罪もしないという内容のノンフィクション。役人のやり方はさもありなんという感じですが、私としてはむしろ、中国の刑罰事情の方が興味を引かれました。窃盗でも死刑とかの重罰ばかり報道される中国ですが、日本人が中国で犯罪を犯した場合他の外国人より重くなるというけれども、それで日本人留学生がノートパソコンを盗んで懲役4年とか喧嘩で人を殴り殺して懲役8年とか(178頁)、弁護士の感覚からは重いけど、ものすごく重いというほどでもない。で、減刑されるケースが多く、外国人は無条件に1年は減刑され、獄中での態度がいいと2年くらい減刑される(187頁)とか。そうするとへたをすると日本よりも早く出獄できるケースもありそう。アメリカ大使館や韓国大使館は自国民の囚人の待遇が悪いとすぐに抗議して囚人の待遇がよくなるが日本大使館は全然動いてくれない(184〜191頁)とかいうのもなるほどと思います。

05.瑠璃でもなく、玻璃でもなく 唯川恵 集英社
 既婚者の同僚森津朔也と不倫の関係を続け朔也に妻と離婚して自分と結婚するよう求めながら別の広告代理店勤務の男ともつきあいつつ、自分の方が妻より愛されているのだから離婚しても当然、自分ばかりが犠牲を強いられているなどと考えて早期の結婚を求め続ける、典型的に自分のことしか見えてない身勝手な不倫女矢野美月と、朔也と結婚して寿退社して専業主婦に収まり代官山の料理教室に通い優雅な日常を送りながら日常生活に不満を感じる森津英利子の2人が、不倫、略奪婚、起業自立の末にそれぞれの幸せをつかむという小説。私が男の視線で見るからかも知れませんが、これほど自分しか見えていない主人公が、不倫相手に離婚をさせて、すぐにできちゃった婚して、夫の両親と同居して子どももでき幸せになるという展開は、ビックリしました。普通に行ったら、朔也はいつまでたっても妻と離婚せずという展開でしょうし、離婚して美月と結婚するならそういう若い不倫相手に平気で乗り換える男はまた次の若い不倫相手を作るというのが現実にも、そして小説でもありがちな展開ですが、そうしないで不倫をして言いたい放題の美月が幸せになる、朔也も浮気もしないというのは、斬新というか。MOREの読者層では、美月のような主人公に共感するのが多数派なんでしょうか?しかも朔也が離婚を決意したきっかけが美月が広告代理店の男と軽井沢旅行に行ったこととなるわけですから、不倫はする、二股を掛けるというのが幸せに通じるというお話です。それでいて、英利子が離婚されるのは、夫の両親との同居を拒み、子どもができなかったからですし、美月の幸せは夫の両親と同居して早く子どもを作ったことに支えられているのですから、専業主婦は夫の家に入り早く子どもを作りましょうと、意外にもかなり古風な価値観も見えます。で、離婚された英利子は、ここでも登場するまわりの女に手当たり次第に声をかけてモノにしたら距離を置く広告代理店男と一度寝て支援を受けて起業して幸せになり朔也も美月も恨まないという結論になって、朔也も美月も堂々と幸せって結論。何でしょね、この小説。わがまま放題に不倫・略奪愛で幸せになれる、妻も別れた方が幸せだったって、不倫のすすめでしょうか。でも結婚したら夫の親の言うこと聞いて子どもを作るのが幸せよって。両親との同居を求める朔也、手当たり次第に手をつけては捨てる広告代理店男が最後まで好感を持って描かれていることも合わせ、結局はかなり男に都合のいいお話なんですが、こういうのを好むほどMOREの読者層って保守的になったんでしょうか。ちょっと意外です。そしてこの小説の最初から9割は、要約すれば「隣の芝生は青い」の一言に尽きます。美月も英利子も、読んでいて呆れてイヤになるほど、他人のことをうらやみ自分の現状は物足りないと考え続け、不満を言い続けます。これが略奪婚の後、ぽんと5年たって、5年後でもまだ友人の変化を知りまだうらやむ姿が出てきますが、それでもなぜか最後は今の自分が幸せと考えるようになります。ここが唐突で説得力がありません。ここまで他人のことばかりうらやみ続けた人物が最後に他人をうらやまなくなるならその考えを変えるきっかけなり経緯こそ重要だと思うんですが、そして美月は結婚後落ちつくまでの思い、英利子は起業後軌道に乗るまでの苦労こそポイントだと思うのですが、突然「あれから5年がたった」で全部すっ飛ばされます。面倒くさくなったんでしょうか。読んでて拍子抜けしました。それに、朔也が不貞行為を働いて一方的に別れると言っているのに(しかも別居後すぐだし朔也は大企業勤務なのに)弁護士を立てながら請求した慰謝料額が200万円って・・・英利子が絶対別れないと言えば朔也からは離婚できないという交渉上圧倒的に有利な状況で請求額で200万円なんて、業界人としては大変驚きました。

04.「卒業」Part2 チャールズ・ウェッブ 白夜書房
 結婚式の教会から花嫁をさらって逃げるラストシーンとサイモンとガーファンクルの名曲「サウンド・オブ・サイレンス」であまりにも有名な映画「卒業」の原作の作者が44年を経て書いた続編。結婚式から11年後のエレインとベンが子供たちを学校に通わせず、自宅で学ばせるホームスクールの実践を続けていたが、地元の教育委員会から圧力を受けて、それをベンの陰謀で跳ね返したものの、そのために協力を求めたエレインの母(ご存じミセス・ロビンソン)が家に居座り、ホームスクール運動の闘士一家も押しかけてきて、怒りを爆発させるエレインと困惑するベン・・・といったストーリーです。ホームスクール運動家についてはかなり皮肉られていて、エレインの癇癪と合わせ、運動に対する作者の評価は微妙なところ。妥協や策略を図りながらも一応信念を貫こうとするベンを描いていることからはプラス評価もしている感じではありますが。全体としてははっきりしたテーマを描くというよりは、ホームスクール運動、エレインとベンを材料にしながらも、コミカルな小品といったところ。原題は「ホームスクール」で「卒業」の続編を強調してはいません。日本語版はタイトルから「卒業」の続編を強調してカバー写真も「卒業」のラストシーンで、「卒業」の続編だけを売りにした感じですが。まぁこの世代の悩ましさというか一筋縄ではいかない夫婦像というのが読みどころかという気もしますけど。

03.ひゃくはち 早見和真 集英社
 神奈川県の野球の強豪京浜高校で補欠選手だった青野雅人と、一般入試組の友人小林伸広ら野球部仲間たちの青春小説。映画「ひゃくはち」の原作ですが、映画とは違って主人公の青野君は頑張っても絶対試合に出れないというレベルではなくて時々は試合に出ますし、甲子園での試合の場面も描かれてますし、ノブが雅人と同じポジションに転向して補欠を争うエピソードもないし、佐々木純平のポジションは外野手です。それに新聞記者なんか出て来なくて相馬佐知子は青野君が高校時代に合コンでナンパして社会人になって再会した彼女だったりします。ですから、映画のような試合に出れないのにどうして野球を続けるのってテーマではなくて、普通の高校生としての青春グラフィティと悩み、野球に賭ける青春の重みと選択といったあたりがテーマになります。特に終盤、3年生の夏の甲子園前にノブが中学時代からつきあっている彼女を妊娠させて中絶しないって頑張り、困惑して動揺するチームの中で、雅人が野球・甲子園をとるのか友情をとるのかに悩み決断するクライマックスにそれが典型的に現れます。ただ、小説としては、野球のシーンの方が読んでいて面白いのですが。
 映画については映画「ひゃくはち」で紹介しています。

01.02.リーシーの物語 上下 スティーヴン・キング 文藝春秋
 売れっ子作家スコット・ランドンが死亡して2年後、心の整理ができずに亡夫の残した原稿や書籍類の整理に手をつけられずにいて、遺稿探しを求める出版社・研究者をはねつけ続けるリーシー・ランドンを、スコットファンの変質者が襲い、リーシーが封印してきた夫との日々の記憶を蘇らせながら変質者と戦うというストーリーの小説です。読み終わってみると、最初の方の関係なさそうに見えるエピソードがそれなりに布石となっており、行きつ戻りつする話も最終的にはきちんとまとめられてはいるのですが、やはり長いし、じらしすぎ。特にかなり長い第1章が、時代を行きつ戻りつしながら、同じエピソードを繰り返しつつ少しずつ先を明かしという形で進み、というか全然話が進まない冗長な小説という印象です。実は私は、ホラーが好きでないこともあってスティーヴン・キングは読んだことなくて初めて読んだのですが、「スティーヴン・キング」という名前がなければ、確実に第1章の途中でぶん投げていたと思います。第2章まで読み進めてしばらくすると、ようやく展開のイメージがつかめてきて、読みやすくなるというか読み進む意欲が湧いてきますが。繰り返しながら少しずつそれぞれの話を進めてじらしていくのもテクニックだと言われればそうなんでしょうけど、2段組上下で680頁あまりの本にされると、素直に書いたら普通の小説の長さかちょっと長い程度にできるんじゃないのと思ってしまいます。それにしても、キーポイントがパラレルワールドというか異次元世界ですから、これではファンタジーです。最初からファンタジーならいいんですが、普通のサスペンスのように始めて、盛り上がってきてからパラレルワールドじゃあねえ。それから、「ブール」「ブーム」「ブーヤ・ムーン」というキーポイントになる概念を始め、独自に作った用語や言葉遊び的な部分が多く、訳者の翻訳には苦労の跡が見えますが、それでも日本語としては読みにくい。原文はどうなってるんだろうなと気にもなるところがかなりあります。言ってみればオリエンテーリングの隠されたポイント(そこに隠された指示文書)のようなものが「道行きの留」と訳されていて何だろうと思っていたら、本の中に登場する手書きメモからして原文では「station」のようですし。やたらと登場する1キロ半も、きっと原文は1マイルでしょうし。

**_****_**

私の読書日記に戻る   読書が好き!に戻る

トップページに戻る  サイトマップ