私の読書日記  2010年5月

26.地層のきほん 目代邦康 誠文堂新光社
 地層を形成する岩石や砂・土ができる過程や地層の形成過程について解説した入門書。見開き2ページ構成で、基本的に左ページが文章、右ページがイラストになっています。どのような岩石がどのような条件でできるか、どういう場所でどういう地層ができやすいかといったことが、かみ砕いて書かれています。花崗岩が3方向に割れやすいので直方体に切り出しやすく昔から使われやすかったとか、砂鉄が堆積する機序とたたら製鉄への利用など、文化的な側面にも言及されています。また、日本列島が地殻運動が急激で多雨による侵食、河川による礫の運搬が盛んであることや、プレート境界のために岩盤の隆起が激しいとともに沈み込むプレート上の堆積物が陸地に押し上げられる付加体の形成など、世界的に見てもかなり特殊な地域であることも理解できます。他方、当然のこととしてそれぞれの項目の掘り下げはなく、具体的な地層を見るときのポイントという観点でのガイドとしては使いにくい感じがします。中高生が地層について学ぶというあたりが一番適切な使い方の本かなと思いました。校正ミスというか修正の過程での表現の変更忘れと思われる不自然な言い回しが目につくのが残念です。

25.ヴァンパイレーツ6 血の偶像 ジャスティン・ソンパー 岩崎書店
 海賊船(ディアブロ号)と吸血海賊船ヴァンパイレーツ(ノクターン号)とそれらに命を救われた双子の兄弟コナーとグレースの運命で展開するファンタジー。6巻は、ノクターン号を離れて命の恩人で愛する人となったローカンの目を治すために山中のサンクチュアリに滞在し続けるグレース、ヴァンパイアとなったかつての友人ジェズをノクターン号に連れて行くコナーとその後のノクターン号でのジェズ、ディアブロ号で海賊として作戦を遂行するコナーの3系列でストーリーが展開します。グレースサイドでは、サンクチュアリの謎とローカンの過去の秘密という展開で、ローカンの過去とグレース・コナー兄弟の接点が焦点化していきます。コナーサイドでは、憧れと尊敬を集めていたモロッコ船長の偶像破壊が進展していきます。それはコナーの成長物語の必然でもあるわけですが、コナーも素直には受け取れず屈折した展開が予想されます。こちらはある種ダンブルドア校長とハリー・ポッターの関係をイメージさせますが、ハリーがそれでも子どもにアルバスと名付けたような前向きの克服は期待できるでしょうか。6巻は不満と苦悩を募らせるコナー、ノクターン号で何かを企てそうなジェズ、サンクチュアリに現れた無頼のヴァンパイアシドリオ、グレースに心を閉ざすローカンと、騒動の種をまき散らして終わっています。次号に乞うご期待というところでしょうか。そういうやり方って安っぽいなぁと、私は思ってしまうんですが。
 5巻は2010年1月に紹介しています。

24.原点回帰ウォーカーズ 森田季節 MF文庫(メディアファクトリー)
 私立御伽坂学園高校で起こる不思議な事件を、学園の警察権を握る「当局」のメンバーの2年生足利アキラが、学園の3奇人とともに解決しつつ、事件の度に殺される幼なじみの山崎章夫との間で繰り広げる学園ラブコメファンタジー。主人公の足利アキラは小学生の時に誘拐されかけて幼なじみの山崎章夫に救われたトラウマがあり、山崎章夫はそれ以来正義のヒーローを意識しているという設定で、足利アキラと山崎章夫の微妙な思いがサイドストーリーになっています。「事件の度に殺される」ことからもわかるように、事件の解決は、時間を巻き戻してなされます。その結果、足利アキラらは事件の起こる6月の日々を繰り返して送り・・・という設定になります。これがタイトルに反映されているということでしょうね。設定や事件のオチはまじめに考える気にもなれませんので、登場するキャラのイラストと変人ぶりはしゃぎぶりを力を抜いて味わう性質の作品でしょう。そういう点では性格の悪いキャラは登場しませんし、あまり不愉快にはならずにすみます。その分、この種の娯楽ものらしい破天荒さは今ひとつですが。どのキャラがいいかって? 私はやはり鵺子さんですねo(*^o^*)o

23.厚生労働省戦記 舛添要一 中央公論新社
 2007年8月から2009年9月まで厚生労働大臣だった著者が、在任中に対処に追われた「後期高齢者医療制度」問題、妊婦たらい回し事件に象徴される医師不足問題、消えた年金記録問題、新型インフルエンザ、薬害肝炎訴訟、原爆症認定訴訟について、当時の状況と自らと周囲の対応を語った本。比較的最近の現実の問題の舞台裏という観点からも、容易に解決できる性質のものではなく多数の利害関係者が様々な意見を持つまた妨害者の多い問題をどう説得し進めていくのかという観点からも興味深い本です。前半で書いている後期高齢者医療制度問題では著者自身も役所の視線が強い感じがしますし医療問題では医師会サイドの肩を持ちすぎている感じがしますが、最後に書いている薬害肝炎訴訟や原爆症認定訴訟では政治家としてのあり方を考えさせてくれます。近年の自民党政権で、政策についてはさておきハンセン病差別訴訟、薬害肝炎訴訟、原爆症認定訴訟等で敗訴して従来の行政の誤りを指摘されても上訴しないで被害者救済に動くケースが出てきたことは、私は素直に評価しています(小泉路線が嫌いな私もハンセン病裁判で1審の熊本地裁での敗訴を官僚の意見を抑え込んで控訴せずの結論を出したときは感動しました)。ただ著者のスタンスが、最大の敵は民主党、次がマスコミという点で貫かれ、族議員と官僚は敵扱いだったり持ち上げてみたりというのはちょっと残念。書いている中身からすれば、著者の意見がむしろ官僚や族議員よりも民主党と一致している場面もあるように感じられるのに、何があっても民主党はほめないという姿勢は、いかにも政治的というか私怨を感じさせます。問題によっては野党と共闘して族議員や官僚を説得することもあり得たでしょうし、そういう姿勢を見せた方が懐の深さを感じさせたでしょうに。

22.ダブルアクセス 樋口司 MF文庫(メディアファクトリー)
 借金を抱えて父が失踪し生活と借金返済のために体感型ヴァーチャルRPGのテストプレイヤーとしてアルバイトを続ける高校2年生桃井巧と共に暮らす兄に夢中の美少女桃井ヒナ、同じような境遇の下テストプレイヤーとして現れた同級生の美少女立花栞、ゲーム会社のオペレーターの美女日下部小町らが繰り広げるアクションゲームファンタジー・ラブコメ。基本的には主人公が、妹、同級生にして隣人、アルバイト先の上司の3人の美少女に囲まれて、いじられながら一喜一憂を繰り返す「萌え」系の小説です。それに体感型ゲームで精神がヴァーチャルワールドのアバターに同調してアバターを動かすという、映画の「アバター」とほぼ同じ発想のゲームを設定し、そのヴァーチャルワールドでの負傷が現実世界に戻っても影響するという要素を加えて展開を図ったというところです。RPGの「呪いのアイテム」で自分の体や手にしたものを分裂させられるという能力を身につけたという設定が「ダブルアクセス」というタイトルになっています。ゲーム部分の要素が大きいので、その部分で乗れるかどうかですね。単純なラブコメとして読むには、設定の無理が目につきすぎますので。ラストはいかにも「続く」って感じで続編が書かれることが宣言されています。

20.21.謀略法廷(上下) ジョン・グリシャム 新潮文庫
 有害化学物質を不法投棄し続けて水道を汚染し多数の住民を発癌させたクレイン化学が、1人の遺族が訴えた裁判で4100万ドルの賠償を命じられ、上訴での逆転を目指して、ミシシッピ州最高裁判所裁判官選挙に保守派の裁判官を当選させることをフィクサーグループに依頼し、危機感を持った法廷弁護士たちとの間で激しい選挙戦が戦われるという「リーガル・サスペンス」小説。裁判の内容や展開は「シビル・アクション」とほぼ同じで、法廷での正式事実審理の場面は省略していきなり1審の評決から始まって、その上訴を裁判手続によってではなく裁判官選挙で決着を付けようとするものです。裁判ものとして読むならば「シビル・アクション」の方がずっと読みでがあります。被害者側の弁護士の姿勢としては「シビル・アクション」よりはこの作品のメアリ・グレイスに惹かれますけど。グリシャムにありがちですが、リーガルサスペンスと分類され、かつこの作品では裁判を扱ってはいるのですが、法廷でのシーンはごくわずかで法廷外の話が大半を占めています。まぁ法廷から離れて20年近いグリシャムに法廷シーンを書くことを期待するのがもう無理なのかもしれませんが。序盤以外のほとんどを占める裁判官選挙の話が、いまひとつ展開の切れを欠き冗長な感じがします。グリシャム作品を読んで、途中で飽きてくる感じを持つようになったのはいつからでしょうか。しかもこの作品は、だれ気味に読み続けた挙げ句にラストも爽快感も驚きもありません。作品としてのレベルが低いとは思いませんし、(近年の)グリシャムらしさは味わえますが、感動したり人に勧めたくなるという感じはしません。裁判官のすげ替えで裁判の行方を変える謀略というテーマは、1960年代後半から1970年代にかけて公務員の争議権をめぐる最高裁の判決を最高裁の裁判官の入れ替えだけで労働者側勝訴から国側勝訴に変更させたという歴史的経験を持つわが国にとっては、とても他人事とは思えません。選挙の結果などすぐに忘れてしまうこの作品でのミシシッピ州住民と同様、わが国でもそういった歴史を記憶している人がどれだけいるかは心許ないところですが。

19.裁かれる者 沖田痴漢冤罪事件の10年 沖田光男 かもがわ出版
 満員でもない電車で女性の腰に股間を押し付けたとして電車を降りて改札を出た後に突然警官から呼び止められて「現行犯逮捕」され、結局「嫌疑不十分」で不起訴となり、国と女性に損害賠償請求訴訟を起こしたら1審・2審では痴漢をしたと認定されて敗訴、最高裁で女性との関係では上告受理逆転判決(ただし差し戻し控訴審で再び敗訴して上告中)という劇的な展開の痴漢冤罪事件について、本人が語る本。労働者教育団体で勉強中だったという本人の信念・執念があっての10年の闘いかなと思います。刑事事件の不起訴までの経緯を書いた第1章と損害賠償請求訴訟の顛末を書いた第2章が、当事者の経験として読みどころです。主張を書いた第3章は、ちょっと理屈っぽくて、しかしスッキリと読めず、読後感は今ひとつ。その点ではむしろ最後に付けられている妻の文章がりりしくて読みやすく思えました。当事者の経験部分で、逮捕当日の夕方に弁護士が面会に来ている(23ページ)にもかかわらず、「警察官の取調で調書ができたし、これで何とか帰れると思った」(25ページ)とか、供述調書に署名押印を拒否していいとは知らなかった(83〜84ページ)って、あんまりだと思います。最初に面会した弁護士の事務所名やその後弁護人となった弁護士の名前も書かれ、しっかりした事務所だとか書かれているのに、逮捕後の手続の流れや内容が納得できない調書への署名押印は拒否するようにという説明をしないとはとても考えられないのですが。被疑者弁護で最初に面会に行ったときにそれを説明するのは「いろは」に属する話だと思います。説明してなかったら問題でしょうし、説明したのに10年前の話だから本人が忘れてて今頃こんなふうに本に書かれてるなら弁護士がかわいそうですし・・・

18.メーデーの歴史 労働者のたたかいの足跡 杉浦正男、西村直樹 学習の友社
 メーデーの歴史について解説すると銘打ちつつ、総評結成以降については全労連・日本共産党サイドの視点から他の団体を批判することに終始している本。メーデーの起源と1951年の第22回メーデーまでについては1956年に刊行された「メーデーの歴史 日本労働運動小史」の復刻版で、これに1952年以降の「総評時代のメーデー」と「全労連時代のメーデー」(連合時代ではない)について書き下ろして合体したという経緯がまえがきで説明されています。前半3分の2の復刻部分は、「改良主義者」への批判とか、現在の日本共産党の路線よりも左翼的なトーンですが、政党よりも労働者的な視点が貫かれている感じがしますし、メーデーの歴史としての記録的な叙述をしようという意志は見えます。メーデーの起源でも8時間労働の法制化獲得のための示威運動としての位置づけが強調され、労働日に労働をしないで示威運動をすることに意味があるので休日にずらすのでは意味がないと書かれていて、なるほどと思いました。この前半は表現が過激だったりまた事実の羅列で退屈するところもあるし昔の労働関係の団体名とか説明もなしに出てきてよくわからなかったりしますが、まぁちょっと勉強にはなるかなという読後感です。しかし、書き下ろされた後半3分の1は、冒頭で総評時代のメーデーについてとりまとめたものは皆無である(136ページ)としてメーデーの歴史を語る意義を示しながら(たぶんそういう趣旨だと思うんですが)、メーデーそっちのけで政党のことを書いている部分が少なくなく、メーデーのことも度々すっ飛ばして書きたいときのことだけ書いていて、記録としての意義にはあまり意を用いていない感じがします。内容としても総評・社会党批判が大部分を占め、全労連と日本共産党がいかに正しいかという言及が凄く鼻につきます。日本共産党の誤りとして1964年春闘での4・17春闘統一ストへの反対をただ一つだけ指摘しています(162ページ)が、これも日本共産党が正式に自己批判しているからそう書いているんでしょうね(だいたい、これだってメーデーの話じゃないし)。日本共産党の支持者以外は読まないという前提で書かれた本なのかもしれませんが、せめて書き下ろし部分で、メーデーの記録と労働者の視点で政党の主張は抑えて書くという姿勢がとられていれば、面白いとは言えなくても歴史の勉強になったねと思える本になったと思うのですが。

17.デンマークが超福祉大国になったこれだけの理由 ケンジ・ステファン・スズキ 合同出版
 デンマークの社会福祉制度について紹介し、「自己責任」が強調される日本との比較をする本。著者は学生時代にデンマークに渡りそのまま定住してデンマーク国籍を取得し現在は自然エネルギー普及のための会社等の代表をしていて、ほとんど資金もない若者が移民しても困窮することなく生活ができた経験を元に論じています。そうした著者の成功経験に基づいていますので、長所のみが強調される傾向にあるのと、著者の主張がはっきりしていて日本の現状への批判が強く押し出されているあたりが、好みの別れる本だと思います。医療と教育の無償と手厚い年金制度の紹介を読んでいると、「コンクリートから人へ」なり、「最も成功した社会主義国」とかの日本で言われているけど実態は全然違うスローガンがむしろデンマークにこそ当てはまるのかなと思いました。いかなる場合でも生活の心配をせずに済む社会福祉の存在は、徹底した国民総背番号制と資金の出入りの厳しい把握(脱税は困難)等の閉塞感があるとしても、かなり魅力的です。外国人労働者も含め最低賃金が時給で125クローネ(約2500円!163ページ)というのも、労働者側の弁護士には夢のよう。失業保険の受給期間も4年間(152ページ)って、もう日本とは次元が違うという感じ。こういう社会・政治体制も現実にあり得るんですねと、ため息。

16.運転士が見た鉄道の舞台裏 新幹線の運転 にわあつし KKベストセラーズ
 元新幹線運転士が書いた新幹線の運転の実態と新幹線の各部のしくみや運転席の構造についての解説本。最初に著者が現実に東京から大阪までの乗務をした日の運転手順の紹介があり、ここが一番読みどころという感じです。新幹線の運転というとかなり自動化されている感じがしていたのですが、意外に手作業部分が多いなと思いました。もっとも、著者が国鉄民営化前に引退したこともあって紹介されているのが1977年5月の連休の時のことですから、現在はもっと自動化されているのでしょう(それだと面白くないから古い時期の紹介をしたのかも)。その後新幹線のしくみやそれぞれの新幹線車両タイプの説明が続きます。それほど詳しく説明されているわけでもないのですが、書きぶりが鉄道ファン向けのマニアックなものになっています。ちょっと驚いたのは、新幹線では月1度くらい人身事故がある(184ページ)ということと、各タイプで運転席のデザインがかなり違うこと。105〜109ページに旧式の0系から新型のN700系までの運転席の写真がありますが、これを見ていると計器類の形式や配置がかなり違いますし、ブレーキレバーの操作方向も違う(188〜189ページ)とか、運転する人のことを考えてデザインしてないのかなと思います。

15.白いひつじ 長野まゆみ 筑摩書房
 高校受験時に初めて養子であることを知った鳥貝一弥が、東京の大学に入りアパート探しで行き詰まっていたときに声を掛けられてたどり着いた不思議な学生寮をめぐって、不思議な住人たちに翻弄され(弄ばれ)ながら、自己の出自と子どもの頃の幻と折り合いをつけていく青春小説。奇矯な言動と少年愛志向を見せつける百合子千里(ゆきさと)をトリックスターとして、個性の強い住人たちの言動を謎解きめかしく進め、鳥貝が故郷で密会する喫茶うすゆきの女主人ミハルへの思いに少しときめかせ、少しジンとさせて終わらせる展開は巧みです。鳥貝とミハルの危うげで切ない関係が、ただでもいいなぁと思えるところ、これが話が同性愛に進むと予期させたところで出てくるので、より効果的に使われています。打たれた布石はほぼきれいに収束され、読み心地はいいです。不思議な学生寮に鳥貝が足を踏み入れた日に訪れた紳士の話が、さっと読むと回収されていないように読み落としそうになりますから、「たたずむ人のジャケット姿に鳥貝は思いあたるところがあった」(199ページ)はちょっと不親切かも。そこはそれくらいの方が洗練されているという評価なんでしょうけど。結局は恵まれた学生たちのできすぎた友情物語ということになり、そこを見るとなんだかなぁと思いますが、作品としてのとりまとめ方は、巧いなぁと感心しました。

14.クーデターとタイ政治−日本大使の1035日− 小林秀明 ゆまに書房
 駐タイ日本大使だった著者が在任中に経験した、タクシン政権から2006年9月のクーデター、総選挙での親タクシン派政権の成立、反タクシン派の首相官邸占拠に至る時期のタイの政治情勢と日本外交についての手記。タクシン政権時代についての説明では、タクシンの財力・不正蓄財とそれまでのタイの政治家が無視していた地方農民の心をつかむ手腕など、ここ数年のタイ情勢がタクシンを中心に動き続けている事情の背景がわかります。軍部のクーデター後事態収拾のために首相を引き受けたスラユット新政権を、欧米がクーデターによる出自故に非難し続けるのを尻目に日本は「クーデターは残念」といいつつ友好関係を進めて関係を強化していった、日本外交の意外なしたたかさも注目点でしょう。そういった点の他に、弁護士としては、一連の政権交代の中で裁判所が決定的な役割を果たしている(日本の基準では、あまりにも政治的に動いている)ことに驚きます。2008年9月9日には親タクシン派政権のサマック首相が憲法裁判所の判決によって閣僚資格を失って失脚、さらに2008年12月5日には憲法裁判所の判決で政権与党が解党されその幹部の政治活動が禁止されて否応なく野党への政権交代に至ったといいます。12月5日の判決の方は選挙違反が理由なのでまだ理解できないでもないですが、9月9日の判決は首相がテレビの料理番組に出演したことが理由(221〜223ページ)って、凄すぎる。

13.世界で一番美しい花嫁になる方法 西村有紀子 東京書籍
 美しく見せるためテクニック集。日常の場面やパーティー、そして結婚披露宴を想定して、容姿容貌を美しく見せるための一言アドバイスを見開きで展開しています。全体を通じて順序立てて構成されているものではなく、ある場面では心構え的なもの、ある場面では長期的な美容法、ある場面では即応するテクニックというように、いろいろなことが書かれています。最初に予想したよりも、気の持ちよう的な心構えというか精神論も多く、姿勢・立ち居振る舞い・言葉についてのアドバイスが意外に多い感じです。最後の章は、美しく見せることよりも、婚活の心構えになっています。「花嫁になる」ためにはそこが大事ってことでしょう。その冒頭の「結婚すれば幸せになれるのではありません。幸せな人が結婚できるのです。」(118ページ)って、「私は今、幸せではありません。どうかあなたが私を幸せにして!」という空気を全身から醸し出している女性とぜひとも結婚したいという男性が、はたして、どれほどいるでしょうか(119ページ)という話。なるほど、ですが・・・その後、要するに自分から誘うな、男に誘わせろ、安売りするなという趣旨の駆け引きの話が延々。ちょっと疲れるというか、気が滅入りました。さて、美しい花嫁になったその後の人生は?

12.入門 東南アジア現代政治史 中野亜里、遠藤聡、小高泰、玉置充子、増原綾子 福村出版
 欧米列強による植民地化以降の東南アジアの政治史を時期を追って区分して解説した本。植民地支配によってそれまでの歴史や交易、民族と無関係に人為的な境界線を引かれ、宗主国の利益のために稲作等の食料生産を破壊されてプランテーションなどの商品作物栽培を強制され一部の富豪と大多数の貧困層に分裂させられ、植民地支配のための分断統治で民族間の対立を煽られたうえで、各国が独立した過程が読み取れます。そして第二次大戦後の東南アジアの歴史は、植民地支配が残した大多数の貧困層の存在が共産主義勢力の浸透を帰結し、それに加えて中華人民共和国の成立とフランスがインドシナの植民地支配にこだわったことから生まれたベトナムの分裂のために冷戦の最前線となったことから、共産主義とそれに対する反発が大きな要素となって進むことになります。冷戦期に反共を最優先としたアメリカの支援で独裁政権が成立し延命し強権支配と不正蓄財・腐敗を進めていく様子、ベトナム戦争の終結を機に東南アジアでの冷戦構造が米中対立から中ソ対立に変化してベトナム対カンボジア・中国対ベトナムという社会主義政権同士の戦争に至った様子、その過程でアジア的価値などといって民主主義や人権を軽んじてきた「自由主義国」の様子が比較的淡々と記述されています。政治史としてみると、民衆の支持がある故に共産主義勢力をも取り込む必要があった支配者の立ち回り方に興味を覚えました。特にインドネシアの独立後初期のスカルノ政権での共産党と国軍のバランスの取り方とか、もう少し読み込んでみたい気がしました。カンボジアのシハヌークとソン・サン派とポル・ポト派になると同床異夢の魑魅魍魎ぶりが見え見えで気味が悪いですが。時期を区切ってそれぞれの地域を説明していくパターンは、各国のできごとが関連しているときはわかりやすいですが、そうでないことも多くそれぞれの地域について飛び飛びになったりダブったりする感じの方が強く、ちょっと読みにくく思えました。世界史・地域史の本の宿命ではありますが。

11.夜明けを待ちながら シャノン・マッケナ 二見文庫
 18歳の時に放火の疑いを掛けられて故郷を捨てたサイモン・ライリーが叔父の死を知って17年ぶりに故郷の町に戻り、サイモンを愛してサイモンが町を去る際に初体験をした当時16歳の少女だったエレンと再会し、プチホテルを経営して地元の名士の息子で弁護士の婚約者との結婚を控えていたエレンとよりを戻し、過去の放火や叔父の死の謎に迫るというミステリーの形式のポルノ小説。「二見文庫ザ・ミステリ・コレクション」のシリーズだそうで、裏表紙には「官能ラブサスペンス」と謳っていますが、「ミステリー」「サスペンス」部分は分量的にもごくわずかですし、早い段階で犯人は示唆されていて「謎解き」の興味はなく、犯人の悪事がいかにして露見するかだけのものの上に、その部分もひねりもないしあまりに簡単で安直。サイモンとエレンは発情期の犬や猫もビックリするくらい、5章以降(つまり最初の20%を超えたら)顔を合わせればひたすらHするばかり。読んでる感じでは全体の半分近くが濡れ場のように思えました。サイモンは、粗暴で短気で自分勝手な人物。エレンに対して繰り返し「約束はできない、愛の言葉もなしだ、セックスだけ、それだけだ」(215ページ)といい、自分が性欲を満たすとそのままエレンを置いて立ち去ってしまいます。作者は、そういう人物を崇めるようにエレンにベタ惚れさせている上、エレンの友人の女性コーラにも賞賛させています。これ本当に女性作家が書いたのかと疑いますが、サイモンのハンサムぶりや肉体への賞賛ぶりは女性作家ならではの表現と思われます(ちょっと男性読者には辟易するくらいの書きぶり)。他方、エレンに振られる婚約者のブラッドも傲慢なエリートでやはりジコチュウですが、サイモンのジコチュウ、身勝手ぶりと比較するとそれほど酷くないように思えます。終盤でブラッドがかつてコーラと別れた原因となったコーラの悪い噂がブラッドの母親の仕組んだものと知った後のブラッドの反省ぶりは、ちょっと極端で卑屈とも言えますけど、どうみてもサイモンよりはるかにいい性格に思えるんですが。終盤の変貌は置くとしても、前半の三角関係は、粗暴で性欲だけのジコチュウ男と体面重視の傲慢エリートの競り合いという、今どきの女性にはどっちも嫌われる典型パターンなのに、エレンがブラッドには冷淡にしつつサイモンを賞賛するのは理解できません。この種の三角関係設定で弁護士が悪役・振られ役という設定が多いのは、アメリカ社会での弁護士への視線の反映でしょうけど、アンフェアに思えるのは私が同業者だからというだけでしょうか。日本語タイトルにはほとんど意味はありません。原書のタイトル(Return to Me)の方は、初恋+焼け木杭パターンを暗示してはいますが。でもエレンやブラッドの結末を見るとハイスクール時代に人生を巻き戻すのが正解で17年の歳月は無意味だったかのようです。現実に目を向けたくないノスタルジー志向の読者を想定しているのでしょうね。

10.大人はウザい! 山脇由貴子 ちくまプリマー新書
 児童相談所で子どもたちの相談を聞いている著者が、子どもたちが大人を「ウザい」という時を並べ上げ、大人はどうすればよいかを論じた本。大人が子どもの思いを理解していない、理由を聞かず信じず決めつける、大人が手本を見せず悪い例を見せているなどのケースが続いていて、なるほどと思う反面、でも自分たちのことを理解していないと大人をウザいという子どもがその大人のことを理解していない場面も多々あるわけで、コミュニケーション不足が基本なんでしょうねと思います。もちろん、大人は過去に子ども時代を経験してきたわけだから、都合よくそれを忘れないで自分が子どもの時にどう思っていたかを思い出すべきだと思いますけど。私たちが子どもの頃に比べて、インターネットと携帯電話が普及した今の子どもたちはより陰湿で巧妙ないじめの武器を持ち、人間関係は不安定になって「親友にだけは本音が言えない」(156〜165ページ)とかいう指摘は、考えさせられます。「私達大人は、明日からほんの少しだけ子どもを信頼して、子どもへの指示や命令を減らしてみても良いのだと思う。そして、子どものために使っていた時間を、自分自身が楽しむ時間へと変えてみてはどうだろうか。そして同時に、子どもの将来の幸せのためにと使っていた時間を、子どもと一緒に楽しむ時間へと変えてみてはどうだろうか。」(174〜175ページ)、つまり子どもの将来を思って叱咤激励することよりも現在の生活の充実を考えた方がいいんじゃないかという提言や「子どもの頃に会いたかった大人になろう」(175ページ)という提言は、いいなぁと思います。

09.アカシアの花のさきだすころ−ACACIA− 辻仁成 新潮社
 覆面レスラーを引退して故郷の団地に独りで住む男が、いじめられていた男の子タクロウにレスリングの技を教えて親しくなったところ、タクロウの母親がタクロウを預けたままいなくなり、タクロウとの疑似親子関係を模索しながら、母親から知らされたタクロウには死んだと教えられていたタクロウの父との関係に悩むというストーリーの小説。主人公は、プロレスラー時代にかまってやれずまたうまく関係を築けず自殺してしまった自分の子エイジと、離婚した元妻のことを重ね合わせながら、タクロウとの関係を模索していきます。一筋縄ではいかない父と子の関係を考えさせられる、そういう作品になっています。また、引退後に設定されていることから、ワーカホリックともいえるし、子育て・家庭生活からの逃避してきたともいえる人々の老後の生活を考えさせられるという側面もあります。いかにも「団塊の世代」をターゲットにしているという感じですね。映画化され、今年の6月公開予定ですが、主人公はアントニオ猪木と同期の覆面レスラー(29ページ)だからアントニオ猪木とは別人と明言されているのにそのアントニオ猪木主演というのは・・・。49歳で弁護士をやめて選挙に立候補した男が大人になってから避け続けてきた父親の葬儀に臨む短編「青春の末期」とセットになっていて、裏返しにも父と子の関係に思いが及ぶ構成になっています。

08.悪党 薬丸岳 角川書店
 15歳の時に姉を3人の未成年にレイプされて殺された佐伯修一が、警察官となったがレイプ犯の口に拳銃を突っ込んで懲戒免職となり、元警察官の経営する探偵事務所に勤めて、所長の指示に従って出所後の犯罪者を捜索調査する業務を行いながら、姉を殺した犯人を捜し出すというストーリーの短編連作。第5章までは、佐伯の姉殺し犯人の追跡をフォローしながらも短編連作の形を取り続けていますが、第6章からは佐伯の復讐に話が絞られます。第5章で、かつて刑事事件を数多く取り扱っていたが娘を殺されてその裁判を傍聴していて「信念が音を立てて崩れていきました」という弁護士を登場させ、かつて自分が弁護した被告人の遺族から無責任だと詰られてその被告人の現在の調査を依頼させ、しかもその弁護士が佐伯の姉殺しの主犯の弁護人であったという設定になっています。元敏腕弁護士に刑事弁護の信念を失ったと述懐させた挙げ句に、反省の言葉を述べさせてさらに反省が足りないと追及する。これでは刑事裁判で弁護人などいない方がいい、刑事事件の弁護人というのは存在価値のない憎むべき存在と言っているようです。佐伯や木暮がなんとか人生に折り合いをつけて行く中で、刑事事件の弁護人は救われず仕事に誇りを持つことが誤りであるかのように描かれることには、弁護士としてはやりきれない思いを持ちます。

07.はみだしインディアンのホントにホントの物語 シャーマン・アレクシー 小学館
 アメリカの先住民スポーケン族の保留地に生まれたハイスクール1年生の青年アーノルド(ジュニア)が、保留地外の白人たちが通う進学校に転校し、バスケットボールの選手として活躍するというストーリーの小説。冒頭、主人公が生まれたとき水頭症で吃音が残り漫画を書くということを紹介していますが、後半ではそれはほとんど顧みられず、小説の設定としては意味がない感じ。白人の学校で当初迫害に脅えつつも、結局は殴っても殴り返されることもなく、いじめられることもなくアーノルドは受け容れられていきます。案ずるより産むが易し、思い切ってトライすれば、なせばなると、読者の背中を押したいのでしょうけど、読み物としてはあっけなさ過ぎる。むしろ保留地の仲間、特に親友だったラウディから裏切り者のリンゴ(外は赤いが中身は白い)と扱われることの方が強調されています。これって白人は意外に優しいけど、仲間の先住民の方が冷たいってことでしょうか。それじゃ、まさしく「リンゴ」の文学なんじゃないでしょうか。2007年のアメリカの文章で「インディアン」なんて言葉がこれほど繰り返されるのはビックリしました。訳者の見識を疑いかけましたが、原題が“The Absolutely True Diary of a Part−Time Indian”ですから、作者の意向なんですね。お話のセンスはちょっとどうかなと思いましたが、コーチが主人公に掛けた言葉「どの分野で生きるにしろ、人生の価値は、一流になるために注いだ努力に正比例する」(220ページ)は、いいなぁと思います。トルストイの「幸せな家族はどれも似通っているが、不幸せな家族はそれぞれ違う不幸を抱えている」に対して「インディアンの家族はどれも同じで、酒による不幸を抱えている」(294ページ)っていうのが切なく思えました。

06.電子工作が上達する センサーのきほん 伊藤尚未 誠文堂新光社
 光や音、温度、傾きなどを検知するセンサーについて解説し、それを元にした電子工作を指導する本。前半はかなり初歩的で文系でも楽々ついて行けそうな感じ(トランジスター:半導体の絵だけで子どもの頃の挫折感を思い起こす人もいるかもしれませんけど)ですが、後半の電子工作に入ると途端にオタクっぽいこだわりが感じられ文系には息苦しくなります。自動ドアはかつての圧力(重量)感知方式から赤外線感知に変わっているんですね(28ページ)。自動ドアの前に立っても開かない人は、体重が軽すぎるんじゃなくて体温が低すぎってことでしょうか。ふだんあまり考えませんけど、傾きセンサー(54〜57ページ)とか簡単なしくみで、こういうのの有効性とか応用とか考えるの頭の体操によさそうです。電子工作は、ライントレーサー(ラインに沿って自動的に方向を変える車)とかなるほどと思いますし興味深いんですが、作ってみましょう!と言われてもすぐには手が出ません。かなり具体的に手順も書いてあるので、材料と道具を全部そろえればたぶんできるんでしょうけど。で、こういうのはやってみないと効果が実感できないので、後半はちょっとついて行けない感じが残ってしまいます。

05.スノウ・ティアーズ 梨屋アリエ 角川書店
 幼い頃から不思議な現象を呼び寄せる「不思議体質」な君枝が、幼なじみの少年/青年高上陸との間で友人・悪友・喧嘩友達そして思い人としての関係を繰り広げる青春短編連作。高校1年生、小学3年生、20歳、12歳、26歳と、年齢を行ったり来たりさせながらの連作で、君枝と陸がそれぞれに思いを寄せる人を出したりして作者自身が浮気していますが、基本的には同じ登場人物:トルソーやスイカの葉の柄の枕カバーまでが出続けてつながりは保たれています。もっとも登場人物に関して言えば、君枝の母親がろくでなしの父親だから別れたと言い続ける君枝の父が結局登場しなかったのは、君枝がそこに疑問を持ち始める記述もあるだけに、不満感が残ります。不思議現象を体験し、またそれを自分の中で巧く処理できずに不器用に生きる君枝と、その君枝を見守り思いを寄せながら素直に結ばれない陸のまどろっこしさに、切なさを感じさせる作品です。重要なエピソードとなる不思議現象が単なる幻覚の扱いでなく抽象的観念的な部分とともに具体的な説明不能の経験として出てくるのが、青春小説でなくオカルト小説の印象を持たせるため、素直な恋愛小説の読み方がしにくくなるのが残念だなと思います。

04.リリース 草野たき ポプラ社
 父親が高校時代にバスケットボールでインターハイに行き外科医となったが交通事故死してその日に生まれたために父親の生まれ変わりとして親族一同から父と同じ道を歩むことを期待され、中学でバスケットボール部のキャプテンを務める後藤明良が、中二の夏にそれまで歩み続けた道を歩むのが嫌になってドロップアウトし、それまで気づかなかった家族の思いや仲間たちの気持ちに気づく青春小説。優等生の明良の独りよがりぶりと、そのことへの自覚がテーマです。母子家庭ながら看護師として勤務を続け外ではきちんとした格好をしている母親、大学では成績優秀者として学費免除を受け家事を一手に引き受けて完璧にこなす兄、進学校に進むべく勉強を続けている明良と、はっきりした役割分担で回っていた家族が、明良のドロップアウトを機に本音が出て破綻し次のステップに進んでいく様子、明良がレベルの低さをバカにして高校へ行ったら本気でやればいいと適当にやっていたバスケットボール部のメンバーが、明良のそんな本音に気付きながら付き合っていた様子が見えてくる過程が読みどころでしょうね。隣のクラスのカワイコちゃん篠原関係は、中学2年生だからなぁとは思うものの、そういう反応するかなぁと疑問に感じますけど。

03.再チャレンジ!やり直しのパソコン トリプルウィン 新星出版社
 しばらくパソコンを触っていなかった人を対象に最近のパソコンやネット事情を解説した入門書。ほとんどがかなり初歩的な話ですが、その初歩のレベルがかつてはWindows(95とか98とかMeとか)を使ったことを前提にしているように思える部分と、それもない全くの初心者を想定しているように思える部分があり、ややターゲットが絞れていない感じもします。入口のことしか書いていませんが広く浅く書いてあるので、自分が使っていないサービスの存在とか、別のやり方とかに気づく部分もありました。10年前との比較が(あったりなかったりしますが)何度も出てきて、そのあたりのノスタルジーに浸るという読み方も。

02.「伝わる英語」習得術 原賀真紀子 朝日新書
 現実に海外で通用する英語を習得するための技術を、日頃学会や論文で海外と交流している理系の達人にインタビューするという方法論で展開した本。理系の巨匠を選んだのは、元来は英語が好きじゃなくても仕事のために日常的に英語を使わざるを得ないという素質・環境と英語についても科学者としての目で分析論証してくれるという期待から。インタビューを受けるのはきたやまおさむ(精神科医)、小柴昌俊(物理学者)、養老孟司(解剖学者・脳科学)、日野原重明(医師)、海堂尊(病理医・死亡時画像病理診断普及キャンペーン)、隈研吾(建築家・プレゼン)の面々。大事なのは語彙や発音や文法ではなく話したい中身があることというのが概ね共通していますが、それぞれに違った視点で語られているところが興味深い。日本ではいい方に違っていると強い羨望と妬みの対象になりけなされ嫌われる、英語が巧い人を妬むからモデルを失い英語が巧くならない、日本人で英語がしゃべれるようになった人の中から適切なモデルを見つける必要がある(きたやまおさむ:37〜43ページ)という話は、やはりなるほどと思います。日本語は言語運動がおとなしいため日本人は首から上の運動が弱く表情も乏しい、ボディランゲージには文化的に厳しい規制がある、それで日本人は外国人とのコミュニケーションが苦手、そこを本格的に練習すると文化的には日本人じゃなくなってしまう(養老孟司:93〜100ページ)とかも、考えさせられます。英語ができない言い訳にうまく使えそうでもありますが。

01.「君、クビね」と言われたら読む本 鴨桃代、高井晃 PHP研究所
 解雇された労働者が駆け込み寺的に加入してくるのを支えることが多い地域合同労組の立場からの解雇についての解説と対処法を書いた本。近年の使用者側の極めて安易で非情な解雇の実情と、解雇に関連する法知識がコンパクトにまとめられています。法律知識の部分は、法律に書いてあることやあるべき論というか労働者側の主張が書かれているわけで、現実にこの通りに組合の交渉や裁判で解決できるかというと、そこはちょっと。私も、労働事件では労働者側ですので、自分が書くときにはもちろん使用者側を利するようなことは書きませんから、著者の立場はわかりますが、「私たちユニオンのところへ相談に来る人の中には、中途半端に知識をかじって、自分の都合のいいように解釈している人が、驚くほど多いのです」(19〜20ページ)というのは相談を受ける側としては日々実感しているところです。この本で書いていることも、この通りに裁判所でも当然通るものと思われるとちょっとなぁというところもあります。あとがきで書かれている「法律や制度は『使うもの』です。『依存』するものではないと思います。自ら行動を起こす中から、いろんな可能性が広がります」(165ページ)もその通り。行動のためのとりあえずのヒントと武器としていいと思います。退職勧奨や解雇通告時点での対応が大事という点からは、タイトルのように「君、クビね」と言われる前に読んでおいて欲しい本ですけど。

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