私の読書日記 2010年10月
18.幼女と煙草 ブノワ・デュトゥールトゥル 早川書房
喫煙禁止と子どもの権利尊重が徹底された社会でそれらに反発する市職員が、市庁舎のトイレで隠れて煙草を吸っていたところを、閉め忘れたトイレのドアから入ってきた5歳の少女に見つかって怒鳴って追い出したことから、幼女に対するわいせつ行為の容疑をかけられて転落していく様を描いた小説。現代社会で正義の名の下に、恐怖政治が進行しているというテーマです。正義を主張する者たち、弁護士とか政治家とかに対する作者の反発が色濃く反映されています。同時に哀れな主人公が志向するのも、喫煙の自由とか子どもは大人に従っていればいいとか、犯罪者に対する偏見とか、昔はよかったふうの懐古趣味的な秩序維持で、共感しにくいものです。型どおりの聞こえのいい正義を疑ってみることが時に必要とは思いますが、今ひとつ作者の主張にも乗りにくいところが、結末の陰惨さと合わせて、どこか不快な読後感を残す要因となっていると思います。
17.ボクハ・ココニ・イマス 消失刑 梶尾真治 光文社
刑務所不足対策として試行された「消失刑」を受けることになった受刑者が、他人に存在を知られず他人と通信できないことの苦痛を噛みしめる様子を描くSF小説。この刑では受刑者は首に金属製のリングをはめ、リングを外そうとしたり、違法行為や他人との通信などの禁じられた行為をしようとするとリングが首を絞めて制圧することになっています。リングの効果で受刑者の姿は他人からは「盲点」に入った状態となって見えないことになっています。多数の人を目の前にしながら、自分の存在を知らせることができず、相手とコミュニケーションを取ることができないことの苦しみを主人公が味わう様子が主要なポイントとなっています。仕事で一緒になった魔性のキャンペーンレディとデート中に絡んできた元彼に重傷を負わせてしまったために刑を受けることとなった主人公は、もともとまじめな人物。そのために人知れず、しかし主人公の前で行われようとする犯罪行為に我慢できず、止めようとするけど、リングのために止められないことに悩む主人公の嘆きが哀感を誘います。絶望的な条件の下でも、なんとかコミュニケーションを図ろうとする姿勢に人間の性と希望が見え、悲しくもホッとするというような読後感です。
16.自由高さH 穂田川洋山 文藝春秋
かつてバネ工場だった廃屋を安く借りたもののもくろみ違いで引越ができなくなって週末を過ごす基地として日曜大工のまねごとを続ける不動産会社従業員の須永英朗とそこを訪れる別れた恋人や家主の元バネ職人やその妻らとが交わす世間話でその日常と思いを描いた小説(これで122文字・・・)。家主の元バネ職人の過去に始まり、その時間軸と交友関係で縦横に広がりを見せ、須永英朗の大工仕事と交差させ、ストーリーは漂流し続ける感じで、どう落とすのかなという読み方をしてしまいます。話としては特に何かが起こるというわけでもなく、世代や生活の違う人との交流をどこかほのぼのとした思いで感じさせるという作品かなと思います。私たち法律家にありがちな長文はそれだけで悪文とよく言われますが、この作品の文体、むりやり長くしてるのではと思うほど、異様に長い。一文200字超えは当たり前で、最長は、たぶん、なんと一文で347文字(87ページ7行目から88ページ4行目まで)。この文は引用の会話の中に句点がありますが、たぶんその次に長い文は322文字句点なし(73ページ3行目から12行目まで)。作品の短さの割に読むのに時間がかかるのはそういう事情もあるでしょう。自分でも、長文はやはり避けようと決意を新たにしました。
15.中世民衆の世界 村の生活と掟 藤木久志 岩波新書
鎌倉時代から江戸時代初期にかけての村と百姓の姿を、幕府や領主・地頭との関係での自立性、領主との年貢と饗応の関係、村同士の争いと調停・裁判などの角度から、従来考えられていたよりも村としてのまとまりと自立の度合いが強いことに着目して解説した本。正史に残りにくい民衆の姿を寺や古家の古文書や果ては落書きなどから読み込んでいく作業だけに、資料も史実も断片的になっていて体系的な記述とはいえず、また数少ない史実と資料から一般化できるかという疑問は当然に残りますが、大変興味深い本です。飢饉の際の救済に始まっているとはいえ年貢さえ払っていれば逃散は自由というのが鎌倉時代以来の伝統だとか、村の惣堂は誰のものでもなく共同のものだから旅の者が泊まるのも自由とか、厳しい生活の掟が前提ではあるものの意外に自由な空気が日本の中世にもあったのだなと思います。逃走した農民やさらには犯罪者の家財は没収されても、田畑は領主に没収させずに村で耕し(惣作)、本人が戻ってきたときや子どもが大きくなったら戻すということも少なからず行われていたという話で、村の連帯責任は領主側の都合だけではなく村側でも村の安定と自立のための要求という面があったと論じられています。村と領主の間では、特に農村と在住の領主の間では、ことあるごとに年貢・上納と祝儀・返礼のかたちで金品のやりとりがあったことが紹介され、実は村からの上納のかなりの部分が返礼で村の代表者に戻されていた(村役人の役得になるわけですが)と論じられています。領主が一方的に百姓を支配していたという印象が強い武家政治の時代ですが、別の側面もありそうだなと思わせてくれます。
14.岸辺の旅 湯本香樹実 文藝春秋
失踪した夫が3年経って帰ってきたが、夫の体は海底で蟹に食われてなくなり死んでいるのだが体が見え触れることもできるという設定で、妻が夫とともに夫が3年かけて歩んだ道をともに旅してさかのぼるというストーリーの小説。旅する中で、生きてともに暮らしている間は聞かなかった/聞けなかったことを聞いたり、様々な点で相手の知らなかった側面を発見し、という具合に、ふだんは見つめ合う機会/余裕のなかった夫婦がお互いを見つめ合う、そういうことで夫婦関係、人間関係を考えさせる小説です。夫が、目の前にいて話もできるし触れ合うこともできるけど、死んでいるということで、何を知っても怒ることもなく、冷静に慈しむことができる、荒唐無稽ではありますが、巧みな条件設定といえるでしょう。現実に目を転じると、夫婦っていっても知らないことだらけだねぇと思い、でもだからといって何でも聞けるかというと、また知らなかったことを知って感情的にならずにいられるかというと・・・人間関係は難しいですからね。そういうことをまた考えさせられます。この本がずっと「これから読む本」に棚晒しにされ続けていたのは、読むのに骨が折れたわけでは全然なくて、カミさんに図書館に本を返しておいてと頼んだら間違えて読んでる途中の(まだ返却期限が来ていない)この本を返されて、また借りるまでに時間が経ったとか、その間に読む気が萎えたとか、そういうアクシデントによるものです。
13.徴兵制と良心的兵役拒否 イギリスの第一次世界大戦経験 小関隆 人文書院
大陸諸国と異なり第一次世界大戦前は徴兵制を持たなかったイギリスにおいて、「イギリスの自由の伝統に反する」という大勢の主張に抗して徴兵制導入を進めていった政治家たちの動きと、徴兵制導入に反対し徴兵制実施後は良心的兵役拒否を主張して抵抗した運動を紹介した本。導入に当たって、一般にいう徴兵制、特にドイツの徴兵制とは違うことを示すために入れられた良心条項があいまいで、審査の実務が兵士募集を推進する人々によって行われたことや第一次世界大戦中の戦勝こそすべてに優先するという世論もあって、良心的兵役拒否者に対しては激戦地への派遣→命令拒否に対する過酷な軍法裁判という道や投獄が待っていた。これらの処遇には世論の反発もあり健康を害した一定の者が釈放されたが、第一次世界大戦の激化により獄中者のことは忘れ去られた。イギリスの自由の伝統を掲げて良心的兵役拒否のために獄中闘争をした活動家たちは、無力感に陥ったというようなことが紹介されています。他方において、良心的兵役拒否者に軍事行動を強いても組織としては非効率ですし、見せしめに投獄するのもそのためにかける労力も見合わないものです。第2次世界大戦の際には、ナチスドイツの横暴ぶりから徴兵制の再導入はよりスムーズに行われ、他方良心的兵役拒否は全面免除も含めてより広範にスムーズに認められたそうです。そこでは第一次世界大戦時の良心的兵役拒否による抵抗の世間と政府・軍部への認知と政府側の学習が効いたのでしょう。それでも絶対的平和運動の当事者としての良心的兵役拒否者が自らの運動を無力感を持って否定的に総括せざるを得なかったことは悲しいところです。同じくナショナリズムと非暴力を掲げたガンジーらの運動には高い評価がなされるのが普通になっていることを考えても、もう少し肯定的に評価していいんじゃないかとも思うのですが。
12.犬を殺すのは誰か ペット流通の闇 太田匡彦 朝日新聞出版
年間11万匹あまりの犬が自治体に引き取られ8万匹あまりが殺処分されている日本の現状を、主として売る側の姿勢と自治体の状況にポイントを置いてレポートした本。「AERA」誌上での犬ビジネスをめぐる6本の記事をまとめたもの。かわいい幼犬を十分な説明・指導なく衝動買いさせて売り、売れない犬を自治体に引き取らせるペットショップや、それを助長する移動販売やネットオークションの問題を指摘して、移動販売やネットオークションの禁止、生後8週未満の販売禁止を提唱しています。ここでは、幼くして生まれた環境から引き離された犬は精神的打撃を受け、かみつき等の問題行動を起こしやすいという専門家の見解が紹介されています(53〜57ページ)。そして多くの自治体が犬の定時定点収集、つまり燃えないゴミの日ならぬ捨て犬の日を設けて巡回収集のサービスをしてきたことが安易な捨て犬の増加を招いていることも指摘されています。AERAの記事も契機となって定時定点収集を減少・廃止させた自治体が多く、その結果捨て犬が減ったとも述べられています。犬を捨てるために保健所まで行かねばならず、しかも捨てないように指導される住民からはサービス低下だと苦情も多数寄せられているとのことですが。著者の主張が明確で運動的な志向を持つ本です。愛犬家の民主党議員をヨイショしているのも、殺処分減少に向けて活動させようという狙いなのでしょう。そういうところで好き嫌いが分かれそうな本です。
11.ローカル・ガールズ アリス・ホフマン みすず書房
若い女の元に走った父親に捨てられた母親とともに、アメリカのニューヨーク州の小さな町に住む少女グレーテル・サミュエルソンが、優秀だった兄の破滅、うちひしがれる母親の姿と母親の病気、幼なじみの親友ジルの妊娠と高校中退、自身の覚醒剤の売人との恋愛等に翻弄されながら過ごす青春小説の短編連作。グレーテル自身勉強はできる方だし、兄のジェイソンに至ってはハーバード大学から早期入学を許可された秀才なのに、家庭環境や地域の環境から、些細なことから人生を狂わせていく様子は、読んでいて悲しい。アメリカン・ドリームの反対側に無数のこういった悲しい話が埋もれていると、そしてもちろん日本にもこういう話はあふれていると思うと。全体を通して、けだるい物憂げな、そしてもの悲しい気持ちになる本です。最後は、まぁ、生きててよかった、生きてりゃいいこともあるさということではあるんですが。
10.野川 長野まゆみ 河出書房新社
父親が事業に失敗して両親は離婚、仲の悪い伯父の下で働くことになった父親に付いて逃げるように転校した中学2年生の少年が、転校先で通信のために伝書鳩を飼う新聞部とその顧問の国語教師の一風変わった面々に囲まれ、立ち直っていく青春小説。傷心転校生ものなんですが、意地悪な人物がまったく出てこないし、どろどろした部分がほとんどない、すがすがしい展開。顧問の教師が語る現実に見ていないけれども話を聞いて頭に描いた忘れられない光景や、鳩を飛ばしたときに主人公が心に描く鳩の視点など、直接体験し目で見たことを超えた考察や想い・想像力の大切さが強調されています。タイトルの野川は、武蔵野台地の崖地に建つ中学校のそばを流れる川ですが、その野川と周辺の台地や水系の描写がそこかしこに挟まれ、その開発と復元の歴史やそれに応じて生き延びる姿、伏流水の存在など、環境の変化に対する強さというかたくましさや見えるところがすべてでないというシンボルとして位置づけられているように思えます。
09.はじめて読む「成年後見」の本 馬場敏彰編著 明石書店
精神障害や認知症等によって判断力が失われた人に代わって契約等を行う後見人等を選任する成年後見制度の仕組みと実務について説明した本。社会福祉士で行政書士である編著者の下、成年後見に携わる様々な関係者の執筆で、成年後見の実情がイメージしやすく書かれています。特に成年後見実践レポートと題する事例説明では、成年後見人がやるべき仕事、本来は職務ではないのに現実的にはやらざるを得なくなる仕事、親族の誤解による過剰な期待(成年後見人の業務は、身上監護としても、介護契約や施設入所契約などの契約の事務で現実の介護や世話ではないのに、介護なども含め何でもやってくれると誤解する親族がいる)などが実感できます。ただ、後見人の報酬については、被後見人が判断力があるうちに契約する任意後見では契約で、被後見人の判断力が失われて裁判所で選任する法定後見では裁判所の決定で定められるのですが、任意後見契約での報酬の例については書かれている(専門家後見人アドの優勝の場合月3万〜5万円が多い:53ページ)ものの、法定後見のケースについてはまったく書かれていません。書きにくいのでしょうけれども、本のあちこちで相当な額がかかることを示唆したり、後見人にとっては割に合わないと言ったりして、読んでいる人が気になるようにしておいて、全然書かないというのはどんなものでしょう。
08.女子のための「性犯罪」講義 その現実と法律知識 吉川真美子 世織書房
性犯罪をめぐる法律の規定、刑事手続、裁判例とその認定、犯罪統計等について概説した本。法律家の性別割合が男性に偏っているために性犯罪の被害者について、特に被害者の証言の信用性の判断についての理解が足りないことを指摘しつつ、他方において犯罪の性質上客観的証拠が少なく冤罪の場合の被告人の防御が難しく刑事裁判においては合理的疑いを残さない立証がなされなければ無罪となることに加え、性犯罪の再犯率は実は他の犯罪と同レベルかむしろ低いことも論じていて、ほどよいバランス感が見られます。初学者向けを志向しているのだとは思いますが、法律用語が多く、説明がない用語も結構あるし、用語解説も必ずしも易しくなかったりして、法学部学生か法律家業界人でないとちょっと難しいかも。最初の方で強姦罪と強制わいせつ罪を分けることには合理性がないと主張していますが、性犯罪の中でも特に強姦被害者の心の傷が重いという指摘(43ページ)もあり、それなら強姦罪を区別して重くすることに反対しなくてもというすっきりしない感が残ります。裁判例を比較的多数紹介しているのは参考になりますが、犯罪の成立(有罪・無罪)についての部分と量刑判断についての部分は分けて論じて欲しいなという気はしました。また1審判決の紹介と書いているのに引用文で「原判示」と書かれている(58ページ)のは、1審判決のはずもなくケアレスミスでしょうね。
07.沈黙の時代に書くということ サラ・パレツキー 早川書房
女性探偵V.I.ウォーショースキーシリーズで有名なミステリー作家が9.11以降のアメリカの独善的な正義と市民の権利の圧殺を批判したエッセイ集。前半では、日本で言えば全共闘世代に当たる著者が、キング牧師らの姿を間近に見つつ公民権運動に参加した学生時代、女性解放運動の流れに支えられながら作家を志した頃を語り、天使でもなく怪物でもないただのしかし自立した女性としてのV.I.ウォーショースキーを生み出すに至るまでが示されています。後半では、アメリカの精神史、少なくともミステリーのヒーロー像の中での利己的な個人主義の歴史を振り返り、9.11以降のアメリカの唯我独尊的な態度を過去からつながるものと位置づけつつ、著者は「自分の周囲の小さな世界で、リンカーンがやったように、傷口に包帯を巻き、闘いに赴いた者の世話をし、その未亡人と遺児の世話をする」ことの方に価値があると主張し、現代のアメリカは売れる本しか出版されないために政府・経済界の意に沿わない作家は沈黙を強いられ、愛国者法によって政府が根拠なく人々を拘束したり市民の権利を踏みにじっていると抗議しています。アメリカでの事件やミステリー作品の引用と、必ずしもまっすぐではなく多方面で論じているため、わかりにくい点も多々ありますが、アメリカ社会のありように違和感と恐怖を感じ黙っていてはいけないという著者の主張と心情はよく伝わってきます。私自身は、サラ・パレツキーは、20年前に日弁連広報室にいたときにインタビュー企画があった私の憧れのインタビューイがサラ・パレツキーのファンだとかでその頃までに出版されていたものをほぼ読み尽くした(結局そのインタビュー企画はボツになりましたが)以来です。そのときに自立した女性探偵に魅力を感じるとともに、労働組合をマフィア扱いする書きぶりへの違和感を持っていましたが、その背景事情が少しわかったかなという感じです。
06.兄妹パズル 石井睦美 ポプラ社
証券取引所のやり手社員だが平日も夕食には帰ってくる温厚な父親、美人で料理上手な専業主婦の母親、母親似の美男子で成績優秀な大学院生の兄浩一、中学時代サッカーのプロ選手になれるといわれながらスカウトを蹴って普通の高校に進み今は映画同好会で遊び暮らす大学1年生の兄潤一に囲まれて、絵に描いたような平和な家庭生活を送っていた高校2年生の亜実が、仲がよかった兄潤一の突然の家出を契機に思い悩み家族の秘密を知る青春・家族小説。しゃべるような文体が、あまり気にならずにすっと入ってきます。女子高生のしゃべりの体裁でありながらこうすんなり入るのは・・・と思ったら作者が私とほぼ同年代。なるほど。家族って何というやや重めのテーマを抱えているのですが、悲惨な場面もなく、登場人物のそれぞれの善意が感じられ、安心して読めます。重く深くを求めずに読む分には、読み味はいいと思います。
05.サキモノ!? 斎樹真琴 講談社
新卒で商品先物取引会社に就職した主人公が厳しいノルマ、上司の罵声、勧誘の相手方の拒絶や無視、舌先三寸で客を騙して金を出させることへの良心の呵責などに悩まされながら営業社員となっていく小説。証拠金取引で出した証拠金の数十倍の売買をする商品先物取引ではわずかな値動きで大きな利益や損が生じて、損の場合にはあっという間に証拠金が消えて追加証拠金(追い証)が出せなければ損が確定し、利益が出ている間は決済はさせないというしくみはこの小説でも説明されています(その結果、客は、利益が帳簿上出ていてもそれは次の取引の証拠金に回されて何度も取引を繰り返して巨額の売買手数料を先物取引会社に稼がせ、幹部営業社員の巧みなあるいは恫喝の営業トークや決済指示の無視などを乗り越えて強硬に決済指示をして利益が出ているときに決済してしまわない限りは、いつか訪れる大きな損失発生時に追い証が出せなくなって、大きな損失を出して取引を終了するということも読み取れるわけですが、それははっきりは書かれていません)。しかし、主人公ら営業社員が勧誘した顧客がその後幹部社員の担当になりどうなったかは知らないという形で、営業社員のつらさが中心に描かれ、労働根性ものという感じの展開になっています。単純につらい労働条件で、それを乗り越えていくというパターンの小説は、それも結局はあくどい経営者の存在を消極的にであれ正当化する側面を持つわけですが、まぁありかなとおもいます。しかし、その労働が人を騙して金を出させる、被害者が多数存在するものであるとき、それでいいのかという思いが残ります。終盤で、主人公を、後輩との関係で人間として成長したように描いていて、成長物語っぽい終わり方ですが、人を騙して金を出させることへの良心の痛みをなくすことは成長ではなく人間としては劣化だと思います。
04.真綿荘の住人たち 島本理生 文藝春秋
民家を改築した下宿屋「真綿荘」に住む自信過剰でデリカシーに欠けるKY男大和葉介、レイプされた心の傷が癒えず女しか愛せなくなった山岡椿、体格も容姿も男っぽい地味で純情な鯨井小春、引きこもりの画家真島晴雨、華やかな着こなしで作家の謎めいた管理人綿貫千鶴らが友人ないし恋人を巻き込んで繰り広げる青春小説。KY男大和の自信過剰ぶりから始まり、順次話者を入れ替えて展開していきますが、連載の過程で大和の性格が円くなることもあって、終わってみれば最初の章では奇人っぽく見えた大和と鯨井が一番普通に見えてしまいます。前半ではどこかラブコメっぽい、私の年代で言えば、柴門ふみふうの展開で、そういう路線に転向したかとも思いましたが、後半では綿貫さんのグロテスクな秘密と心境が語られて重くなっていきます。全体を通してみると、ともに高校生のときにレイプされたことで人生が変わることになった椿と綿貫さんの2人のある意味で対照的な、しかしともに痛ましく切ない生き様がテーマとなっているように感じました。椿の傷ついた心と、自分自身でどう向き合っていくのかについての整理された部分とまだ整理できない動揺が哀しく、椿に寄り添いときに切り結ぶ高校生の八重子の揺れる心もまた切ない。ある意味でわかりやすい椿と八重子に対し、レイプした男を囲い込んで内縁の夫と周囲に紹介しつつアンビバレントな想いを持ち続ける綿貫さんと晴雨の関係は、あり得なさそうでしかし現実には少なくない女がそれに近い現実に耐えているかもしれず、複雑な深さがあるようでもあり机上の空論のようでもあり・・・やはり私には理解しにくい。
03.私は無実です 検察と闘った厚労省官僚村木厚子の445日 今西憲之+週刊朝日取材班
郵便不正事件で大阪地検特捜部が立件して無罪となった厚労省官僚をめぐる検察の捜査と裁判の様子を関係者の公判での証言や裁判中の発言で綴り、冤罪の構図をレポートした本。検察側証人の供述調書と公判でのそれを覆した証言と取材に対して語った言葉から、検察官が関係者をだましたり脅したりしながら検察の描いたストーリーに合わせた供述調書を作り出していく様子が生々しく描かれています。認めないと刑務所行きとか認めたら保釈で配慮してやるとかいう脅しや取引もさることながら、えげつないのは検察官が現実にはありもしない客観証拠があると騙してそういう証拠があるのなら仕方がないとあきらめさせて虚偽の調書を作っていったこと。いくら何でもそこまでするか、と一般人や私のような検察官に対しても人間的職業的な信頼感を持つ者は思うところですが、この本の出版後に明らかになった、文書ファイルのプロパティという客観証拠さえ検察のストーリーに合わせて改ざんしてしまうという想像を超える事実を見ると、ああいう人たちならそれくらいするだろうなと思い切り納得してしまいます。同時に、この事件では、被告人が高級官僚で強い意志を持ち続けるとともに、人望があり関係者が次々と証言を覆し、実績のある弁護人も選べ、検察の捜査の詰めが甘く、被告人も含めた関係者が詳細な手帳の記載を残していて、裁判長も無罪判決をいくつも書き「ほとけの横田」と呼ばれているという被告人に有利な要素が多数重なっていました。これだけの条件があればこその無罪でもあるわけで、同じような冤罪でもこういう条件がなければ世間から注目されることもなく簡単に有罪判決で終わっていたと思われます。そういった残酷さと絶望、この事件のようにそれでも真実を明らかにできる場合があるという希望、これが併存するのが現実の社会という認識を噛みしめておきたいと思います。著者は判決期日の9月10日までに出版することにこだわり、あとがきの日付は2010年7月10日、現実にもギリギリ判決前に書店に並んだようですが、奥付の発行日は9月30日。この日付は編集者が気が利かないってことでしょうか。それから、最近は小沢支持一辺倒の感のある週刊朝日関係者が、ことあるごとにこの事件を小沢一郎の事件と対をなすように表現し、小沢も潔白・冤罪と印象づけようとしているのが鼻につくのが玉に瑕の本です。
02.日本人と裁判 歴史の中の庶民と司法 川嶋四郎 法律文化社
日本の文学や文献に現れた過去の裁判の事情や一般市民の司法に対する見方についてのエッセイ集。元が雑誌のコラム的な文章のようで、そういうものとして読む限りは、雑学的な関心から興味深く読めます。それでも、著者の司法制度改革審議会意見書を絶対視し、過去のことがらにこと寄せて意見書を正当化しようとする姿勢がちょっと鼻につきますけど。サブタイトルにある「庶民」の視線を考えるならば、歴史文献の解釈では庶民を強調する著者が、財界の要請に応える意見書を絶対視し、自らも司法のクライアントとして常に企業に言及することには違和感を持ちました。「財有るものの訟は、石を水に投ぐるが如く、乏しき者の訴は、水を石に投ぐるに似たり」(財産をたくさん持つ者の訴訟事件は、水に石を投げ込むように、すんなりと受け入れられ、貧しい者の訴訟事件は、石に水を投げつけるように跳ね返され、審理に入ってもらえない)という17条憲法第5条の聖徳太子の嘆き(14〜15ページ)は、弱者の証拠収集制度の補強なくただ迅速を求める昨今の裁判所とマスコミの流れ、そして司法制度改革審議会意見書の路線でも、貧しい者は有利な証拠がないために迅速に敗訴することになり、そういう意味で今と通じるように思えます。もっとも著者は、おそらくこの本のために書き下ろした終章では、それではいけないと述べてはいますが。一冊の本として通し読みするときには、体系的な記述とはいいにくく、つまみ食い的な印象が強く、それぞれの話題が突っ込み不足で紹介が終わってこれから本論かと思ったら次の話題にいってたりします。一気読みするよりは、ときどき雑学的に読むのが正解かなと思います。
01.乱暴と待機 本谷有希子 メディアファクトリー
野犬の殺処分場に勤める右足の膝から下が動かない29歳男山根英則が、右足が動かなくなった事故の復讐をするために連れてきて同居させている幼なじみの人に嫌われることを極度に恐れる気の弱い25歳女緒川奈々瀬との間で続ける陰鬱な日々に、好奇心から入り込んできた英則の同僚の自信過剰のジコチュウ青年番上とその恋人で奈々瀬の同級生だったあずさが絡んで展開する青春小説。2008年の作品ですが、映画の公開にあわせて読んでみました。主人公2人の屈折ぶりと、脇役2人の性格の悪さが強く印象づけられますが、その性格の悪い2人がジコチュウに徹することでむしろ明るく憎めなく思えていき、屈折して暗いもののまじめだと思え被害者的に位置づけられた主人公2人が屈折を深めるうちに能動性を感じさせて性格を変えていくという、キャラ設定の変化に巧みさを感じました。気が弱くて拒否できない奈々瀬を高校時代に利用していた男たちは、そして同類の番上は、その志の低さ故に奈々瀬の想い人とはなり得なかった、その気になればもてる奈々瀬がそこまでして想う相手は・・・ということが、裏テーマになっているような気がします。
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