私の読書日記  2012年5月

08.海薔薇 小手鞠るい 講談社
 ニューヨークのデパートで働く岡山出身の44歳風間波奈子が、買い付けに行った倉敷で魅了された備前焼の作者が高校の同級生栄森徹司だったことをきっかけに、ニューヨークと岡山で1年に1度の密会を続けることになり、互いに心惹かれていく中年ダブル不倫恋愛小説。1年に1回しか会えない切なさと、1年に1回だから燃え上がるという関係、高校生の時憧れの存在だった女性と高校当時は存在も意識されていなかった男性の50前後になっての激しい恋。同年代のおじさんには(おばさんにもかも)なんとも、惹かれ、うらやましくも心乱されるテーマです。50過ぎると世間の常識になど囚われている時間はない、人生の残り時間は限られている(231ページ)なんて焚きつけてもくれますし。いつ終わるかもわからない1年に1回の逢瀬を重ねる中で、次も会えるかの不安から1年に1回以外にも会えるようにしたら関係が崩れてしまうかもしれない不安へとうつろう心理、50前後にして改めて恋をする心理の綾が読みどころだと思います。恋愛小説としてはねっとりとした官能的な濡れ場描写は楽しめるような気恥ずかしいような・・・

07.虹色と幸運 柴崎友香 筑摩書房
 大学の事務職員として勤めて8年目30歳で4歳年下の役者志望の青年と同居中のかおり、かおりの大学時代の友人で料理屋を切り盛りする母と同居中のイラストレーター珠子、かおりの高校の同級生で3人の子どもに囲まれながら雑貨屋を開いたばかりの夏美の3人が、それぞれにまた集まって過ごす1年を描いた青春小説。一緒に暮らしながら母としっくり行かない珠子、離れて暮らす母とほとんど交流がないかおり、義母とどこかよそよそしさがある夏美の母親世代との関係の難しさと距離感、親世代を見ながら同世代にも感じられる時の流れと老い、少し若い世代との心理的な距離感。何気ない日常のできごとから、そういうものを感じさせる、けだるさと疲労感とうつむいた諦めとちょっとした希望のお話かなと思います。「他人の幸運はくっきりとよく見えるけど、自分の幸運はもやにつつまれたように、いやもっと濃い、雲の中にいるように手さぐりで確かめるしかなくて、そこにあるのに、すぐに見えなくなってしまうのかもしれない」(143ページ)諦めと希望に微妙な間合いを持ちながらの日々の心の動きがしっとりと入る感じがします。珠子の7年前に振られた男との再会。全体がかおりと同居人を軸にしているようですが、終盤は珠子の諦めさめた様子を見せつつのときめきに焦点が行く感じ。走り出せないけどほのぼのとしたものが残る、そういう作品だと思いました。

06.CUTE&NEET 黒田研二 文藝春秋
 28歳美少女アニメオタク引きこもりニートの白畠鋭一が、名古屋に住むバツイチの姉の海外出張中5歳の姪リサの子守をすることになり、名古屋で2人暮らしをしながら幼稚園に送り迎えする過程で、子どもやまわりの大人とのコミュニケーションを回復し、幼稚園の先生への思いを募らせる青春小説。前半、これほどまでに使えない情けない大人がいるのかと思える、どうにも感情移入できない、読んでいてイライラする主人公と、5歳児とは思えぬしっかりした少女の組み合わせでストーリーが展開していきます。主人公のこれほどまでに情けなく現実を直視せず自分の世界に浸り自己弁護に終始する姿は、引きこもりニートってこういうこと考えてるんだ、世の中にはこういうものの見方をする人間もいるんだって驚きを与えてくれるともいえますが、たぶんそれは引きこもりへの偏見を強めるだけなんだろうと思います。この情けない主人公が、5歳のリサや憧れの先生から笑わせて周囲を明るくしてくれるなどとおだてられ、ほんのわずかに成長を見せるというのがテーマなんでしょう。でも、この主人公の情けなさぶりを見ると、それさえ引きこもりの幻想じゃないかって気もしてしまいます。6話構成で、ときどきおさらいをしたりするので、何か雑誌の連載かと思いきや、最終ページには書き下ろしって。それならもっと一気に読ませる流れにした方がいいのに、と思います。

05.アメリカから<自由>が消える 堤未果 扶桑社新書
 「テロとの戦い」以降のアメリカでの言論統制、プライバシー侵害の実情をレポートした本。 9.11の衝撃の下でほとんど議論もなく(議論することが許されず)成立した「愛国者法」が、オバマ政権下でも縮小されることもなくむしろ情報収集の範囲が拡大されていることが繰り返し紹介されています。空港では乗客の裸体を透視するミリ波スキャナーが導入拡大され、人工肛門や胸部に埋め込んだシリコンが引っかかって執念深い身体検査をされたり、スターや子どもたちの裸を狙ってボディスキャナーチェック担当者に応募が殺到しているというおぞましいできごとが紹介されています。権力を濫用したがる人はいつの世どこの国にもいるということですが。 搭乗拒否リストは際限なく拡大されていまやリベラル派の上院議員や大学で合衆国憲法を教えている教授までもが搭乗拒否されたり、犯歴のある者と同姓同名ということで2歳の乳幼児が搭乗拒否されたりしているという。オバマ大統領は拷問禁止を宣言したが、その後拷問はアメリカ国外で民間企業にアウトソーシングされただけだとも。テロとの戦いでつけられた膨大な予算に群がったセキュリティ機器やアウトソーシングに関わる企業が甘い汁を吸い、人々の人権は踏みにじられていく。外敵を設定し、それを倒すためには、犠牲を払っても仕方がない、そういう考え方・風潮が何を生むかをよく表していると思います。 市民運動をつぶすために政府を「こよなく支持する」グループが組織されたり、テロとの戦いのために政府が行っている個人情報の収集を報じたジャーナリストを保守系の報道機関が徹底的に叩いたり、政府に雇われた「軍事評論家」がイラク戦争支持の発言を続けメディアがそれを集中的に報じるといった形で民間対民間を偽装して進められる言論弾圧も紹介されています。こういう本が扶桑社から出版されるというのは、懐の広さと考えるべきなのでしょうか。

04.アキバの帝王 新堂冬樹 講談社
 借金を抱えた会社の債権を買い取って厳しい取立をかけて会社を乗っ取り売り飛ばす稼業を営む桐谷は幼なじみの右腕名倉とともに荒稼ぎをしてきたが、名倉の反対を押し切って芸能プロダクションの乗っ取りを謀り、しかも所属のナンバー1タレント中上愛美のメジャーデビューの話を断り、名倉と決定的に対立する、桐谷の動機は・・・というような展開のワル系ビジネス娯楽小説。アイドルオタクたちがアキバ系アイドルを応援する心理と行動を描いているのですが、アイドルの本音や一般人の視線のみならず、アイドルオタクたちの行動の節操のなさ安易さも含め、結局はこの作品でもオタクたちを低く見てるんじゃないかなという気がします。この作者のワルっぽい小説としてみると、設定が結局芸能プロダクションの乗っ取りで止まって流れの切れが悪く、展開も中途半端な感じがします。桐谷と名倉の友情小説という方がいいかもしれません。債権買取による乗っ取りについて、分割払いの約束だったのに、債権譲渡で新しい債権者がそれを反古にできるかのように書かれています(23ページ)。契約書の内容が明記されていませんから断言はしませんが、債権譲渡では、債務者(借主)は譲渡前に債権者(貸主)に対して主張できたことは原則として債権を譲り受けた新たな債権者に主張できますので、前の貸主との間で分割払いの約束ができていたならそれを新たな貸主が一方的に破棄することはできないはずです。まぁヤクザまがいの乗っ取り屋なら法律上間違っていようが何でも言うということで受け取っておいてもいいですが。

03.フラミンゴの村 澤西祐典 集英社
 20世紀初頭のベルギーの片田舎で、成人女性のほとんどがフラミンゴに変身する事件が起こったという題材で、家族や村人の動揺と結束、疲労と疑念と対立抗争を描いた幻想小説ないし寓話。妻がフラミンゴになってしまったら、そして多数のフラミンゴの中で自分の妻が見分けがつかなかったら、夜間そのフラミンゴたちが襲われて死んでいたら、そのフラミンゴが卵を産んだら・・・自分はどう思うか、どういう行動をとるか。同様の境遇に陥った村人との間で連帯感と猜疑心のいずれが勝つか。さらにいえば、このような状況をチャンスと考えるかピンチと考えるか。設定は荒唐無稽ですが、いろいろ考えさせられる内容を持っています。終盤の村人の対立の場面は、妻たちの問題よりも迷惑施設と利権、例えば原発立地をめぐる村の分裂にも通じるものがあります。フラミンゴへの変身に込められた寓意がいずこにあるかはさておき、興味深い作品だと思います。すばる文学賞受賞作

01.02.アンダスタンド・メイビー 島本理生 中央公論新社
 幼い頃父親から性的虐待を受け、父母の離婚後新興宗教団体と研究職に忙しい母親と巧くコミュニケーションが取れずにいた藤枝黒江が、中3の時ガタイは立派だけど初心な転校生酒井彌生に告白してつきあうが、幼い頃陵辱されている写真が送られてきたことをきっかけに家出し見知らぬ男に襲われて別れを切り出し、高校生の時には不良の先輩たちとつきあうが裏切られて輪姦されその相手に復讐して故郷を逃げ出して東京で以前から憧れていた写真家に弟子入りしてアシスタントとして生活しながら再会した彌生と改めてつきあうが・・・というような展開の青春小説。児童虐待、レイプ被害を受けた黒江が傷つきもがきながら立ち直り、しかし立ち直ったように見えてもやはり傷は癒えていない、そういううちにまた被害を受けるという展開が、被害の深刻さというか簡単なものじゃないということをアピールしているのですが、他面、被害者が何度も被害を受けることの意味や努力しても立ち直れないということが被害者への偏見にもつながりかねないところがあります。作者が何度も採りあげているテーマですが、問題自体の難しさもあり、すっきりとは行かない感じがします。そこは自分で考えろということでもあるでしょうけど。男性読者の視点でいうと、かなり善良な青年と思える彌生に、神様を期待する黒江の要求は過剰だし酷に思えます。20歳そこそこの物語ですから、異性に対する幻想や許容限度の狭さは、まぁ振り返ってみれば仕方ないかとも思えますが。中学生の時に好きだった人に回帰していく、その思いは、甘酸っぱいときめきを感じさせてくれます。多くの場合、そのパターンは自分も相手も、中学生のままではないということから崩れていくのですが、この場合は中学生の時から内在していたすれ違いを再確認するようで、それもまた切ないところがあります。彌生の霊的な感性や黒江の母の新興宗教問題など、冒頭からの設定が今ひとつ回収されず中途半端感もありますが、少し重めで切ない読みでのある青春小説です。

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