庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2014年5月

20.水を抱く 石田衣良 新潮社
 医療機器の営業担当の29才独身伊藤俊也が、人生相談サイトで知り合った黒ずくめの謎の女性ナギの貪欲でアグレッシブな性的行動に惹かれ、自分とつきあいながらも平然と連日手当たり次第に男漁りをし、見知らぬ男に殴られてアザを作ったりヌード写真をネットにアップされたりしても何食わぬ顔で、自分は最低の女なんだからというナギに心をひき裂かれながらものめり込んでいく姿を描く恋愛官能小説。
 過去の事件を契機とした自責の念(というよりは周囲の非難による自己評価の低下:掲載された週刊誌=「週刊新潮」の読者は、この週刊誌の傾向からして、こういうケースで水に落ちた犬を叩くように非難する側になると思うのですが)から自罰的にあるいは自暴自棄に生きるナギの苦しみ・悲しみと、厳しいノルマを課せられ営業マンの悲哀を味わう俊也の苦渋を読むべき作品なのだろうとは思うのですが、後半そこに関心を集中させられるナギの過去と登場したストーカーの正体が終盤に明かされてみると、そういう事件と経過でそうなるかなぁという点にあまり説得力を感じられず、やりきれない思いと気が抜けた感じが相半ばしました。

19.女の子って、ちょっとむずかしい? スティーヴ・ビダルフ 草思社
 女の子が有能で強い大人の女性に育つために必要な環境と周囲の大人たちの接し方について論じる本。
 「5つの成長ステップ」として、誕生から2才までは親が愛情を持って接し赤ちゃんが安心できるようにし続ける、2才から5才までは親が近くで見守る安心な環境でさまざまな好奇心を満たす冒険をさせる、5才から10才までは友だちを作り社交スキルを身につける(親はその役割モデルを見せる)、10才から14才までは興味と情熱を持てる「本当にやりたいこと」を発見する、14才から18才までは大人になる準備をする(親は放任主義ではなくむしろ頑固に)とされ、「4つのリスク」として早くセクシーになることを煽るメディアと商業主義、いじめ、ダイエット産業、ポルノ化されたオンライン世界を挙げ、最後に娘に対する母親の接し方、父親の接し方を論じています。
 娘を持つ父親の一人として、自立心を持った強くて心優しい娘に育てたいという思い、そのために惜しみなく労力と愛情を注ぐべきということはわかります。しかし、その手の論の行き着くところは、多くの場合、母親が仕事をせずに家にいて娘と長時間過ごすということで、女性の経済的自立・女性労働への批判・抑圧です。この本では、父親のワーカホリックを諫め娘と一緒に過ごすことを勧めていますが、女の子を育てるとき「母親が中心にいる」と説き、父親は一緒に遊んでやれという位置づけで、傷ついた娘のためにブティックを経営していた母親が仕事を辞めて子どもと一緒にいることを選択したことを紹介し(「それは母親が決めたことだとしか言いようがない」と逃げていますが)、やはり母親の家庭責任を示唆しているように思えます。
 オーストラリアの児童心理学者であり、娘の父親としてこの本を書いた著者は、女の子を成長を追って周囲の大人、特に親の重要性と役割を説いていますが、そこでは親は愛情を注ぎ長時間一緒に過ごすことを一貫して求められています。自分の経験でも周囲に聞いても、多くの女の子は小学校高学年から高校生あたりのうち数年間父親を嫌い回避する時期があるものだと思いますが、この本ではそういうことにはまったく触れられていません。オーストラリアではそういう傾向はないのでしょうか。

18.「放射能汚染地図」の今 木村真三 講談社
 福島原発1号機で水素爆発が起きた翌日に勤務先の労働安全衛生総合研究所に辞表を出して福島入りして放射線測定を続けている著者が見た汚染と住民の対応、行政や「専門家」の対応などをレポートした本。
 二本松市を拠点に、「正確なデータを取り、そこから得られた情報をわかりやすく伝えることが私の使命である」(21〜22ページ)と放射能汚染地図を作成し続ける著者の立場からなされる、その対極にあるとも言える情報を隠し続けまた歪曲する行政の姿勢への指摘が目を引きます。
 2013年6月5日に発表された県民健康管理調査の事故当時18才以下の甲状腺検査結果は17万4376人を検査した結果甲状腺癌が12人、甲状腺癌の疑いが15人とされているが、それは誤りで、大きな結節や嚢胞が発見されたり甲状腺の状態から2次検査が必要とされた人が1140人いるのに2次検査を受けたのはそのうち421人、2次検査の結果が出た人は383人に過ぎず、2次検査の結果が出た人のうち細胞診を受けた人が145人で、その細胞診受診者の中で甲状腺癌が確認されたのが12人、疑いがあると診断されたのが15人、つまり2次検査を受けていない人の方が多い状態だから17万4376人中の甲状腺癌が12人かどうかはまったくわかっていない(2次検査が必要な人が全員2次検査を受ければ甲状腺癌はもっと増えるはず)、それなのにこういう発表をするのはおかしい(40〜46ページ)。双葉町のモニタリングポストのデータを見ると、1号機の爆発より前に空間線量率の大きな山が3つ見え、放射能の放出があったが住民にはまったく知らされていなかった(68〜71ページ)。2013年7月6日にICRP(国際放射線防護委員会)が開催した飯舘村民との対話集会で代表発言者の飯舘村民のうち一人が不審に思って「参加者の中で本当に飯舘村民の方は何人いらっしゃいますか」と挙手を求めたところ手を挙げたのはわずかに1人でそれも他の村の代表発言者の妻で、関係者以外で聞きつけて参加した村民はゼロだったが、ICRPはホームページ上であたかも村民と十分に対話しさまざまな村民たちが帰還を望んでいるかのような報告を掲載している(142〜143ページ)。
 放射能への危機感の薄れや疲れが広まり、二本松市では内部被曝が検出された人の割合は2013年4月、5月で増加している。2013年3月までは毎月平均3%だったのに、2013年4月は5.8%、5月は5.5%と急に高くなった。問診に当たっている技師の話ではほとんどが山菜の影響だという(131〜133ページ)。チェルノブイリ原発事故による精神的影響を追い続けるウクライナ放射線医学研究センターのコンスタンチン・ロガノフスキー教授(精神神経学)は「福島で起こったことでどのような心理的影響が考えられるかと言いますと、まずはPTSDです。それは特別な形になると思います。今回の原発事故によるものは、ベトナム戦争やイラク戦争など戦争によるものとは大きく違います。戦争の場合、過去の経験に何度も気持ちが戻っていきますけれども、原発事故の場合は、未来に対する不安、子どもたちに障害が起こるのではないかといったことを生涯考えるわけです。この違いが、精神科医あるいは心理学者、カウンセラーが注目しなければならない点です」と述べ、チェルノブイリ原発事故被災者の「フラッシュフォワード」という心理的な現象、強いトラウマ体験によって過去を思い出す「フラッシュバック」ではなく、将来への不安やおそれによるストレス状態が見られるとしている(190〜193ページ)。
 タイトル通りの「放射能汚染地図」そのものの話は必ずしも多くはありませんが、地域と住民の生活と客観的データにこだわる立場からの指摘に、頷かされるところの多い本です。

17.なぜ、あの人の頼みは聞いてしまうのか? 堀田秀吾 ちくま新書
 言葉のチカラで人を動かす方法、特にビジネスの場でのその応用を論じた本。
 頼みごとをするときには、相手の自由度を高める(命令形ではなく相手に自分で選択させる)、仮定法過去や間接疑問文など持って回ったまどろっこしい言い方をした方がいい、それがていねいな真心のこもった言い回しだとかいうことを英語を始め世界中のさまざまな言葉に同じ傾向が見られるなどと説明しています(48〜50ページ、106〜112ページ)。実例として示されるのは英語だけですが、何となくこういうふうに言われるとそうかなあと思ってしまいます。著者の言葉のチカラで言いくるめられてるだけかもとも思いますが。
 その言葉が発せられた状況の下で標準的な表現を無標の言葉、標準的でない表現を有標の言葉として、有標の言葉をうまく使うことを勧めています。挙げている事例は、やや奇をてらった感もありますが、コミュニケーションのヒントではあります。
 全体としては、やや統一感に欠ける小ネタの集合という感じもします。
 @常に機会を求め=「飲みの席には這ってでも行け」「ノーと言わない大人になりなさい」、Aあきらめないで努力して=「あきらめたらそこで試合終了ですよ」、B成功すると自分に言い聞かせ=「できるかできないかじゃない。やるかやらないかだ」、C固執しないでフレクシブルに=「階段を上がれば見える違った景色がある」、Dリスクを恐れず挑むこと=「書けば官軍」「やらない後悔よりやる後悔」が、著者の人生の指針にもなっているとか(76〜81ページ)。このあたりは、人を動かすというよりは自己暗示という感じですが。
 著者のプロフィールは「明治大学法学部教授」で専門は司法コミュニケーションの社会科学的分析、法言語学、理論言語学で、「自身も会社を経営するなどビジネスにも通じている」とされています。「発話行為というのは、話し手と聞き手の間で、必ずしも一致するわけではない」と言ってその例で「霊感商法のセールスマンが、『ご家族のこともいろいろとご心配でしょうし』と気遣いのつもりで発した言葉を、聞き手が『その商品を買わないと自分の家族に危害を加えられる可能性がある』と解釈してしまったら、『脅迫』ということになります」(40ページ)とまるで霊感商法の加害者が気遣いのつもりで言っているのに被害者が勝手に取り違えたというように書いています。被害者側にではなく霊感商法セールスマンの側に寄り添って助言するという書きぶりを平気で選択するセンスは、私の理解を超えています。ちょっと引いて読んだ方がいいかなとも思えました。

16.絶望の裁判所 瀬木比呂志 講談社現代新書
 初任東京地裁→アメリカ留学→最高裁民事局局付→東京地裁→大阪高裁→那覇地裁沖縄支部(裁判長として嘉手納基地騒音公害訴訟住民敗訴判決)→最高裁調査官と典型的なエリートコースを歩んでいたが、最高裁調査官在任中に神経症を伴ううつと診断されて入院し学者に転身した著者が、裁判所の人事を中心とする腐敗と裁判官の劣化を論じた本。
 これまでに書かれた裁判所・裁判官批判は「左派・左翼の立場から書かれたものやもっぱら文献に頼った学者の分析が大半で、裁判所と裁判官が抱えているさまざまな問題を総合的、多角的、重層的に論じたものはほとんどない」(8〜9ページ)、「私の、本書を執筆するに当たってのスタンスは、『法律実務や法律実務家の実際を知る一学者』というものである」(8ページ)というのが、著者が示すこの本の特徴ということになります。
 著者自身の経験として記されていることには、最高裁民事局局付時代に国会議員からの質問対策を協議中にある課長(裁判官)がその議員の女性問題を週刊誌やテレビにリークすることを提案したこと、最高裁が特定の期間に全国の裁判所で出された国家賠償請求訴訟の判決について極秘裏に調査して裁判官氏名と判決主文の一覧表を作成していたこと(20〜21ページ)、東京地裁保全部(民事第9部)時代に国から国が債権者(申立人)となる仮の地位を定める仮処分について法務省が裁判所に事前にそのような申立の可否とどのように申し立てればいいかを事実上問い合わせかなりの数の裁判官がそれについて知恵を絞っていたこと(22〜23ページ)、最高裁調査官時代に裁判官と調査官の合同の昼食会の席で最高裁判事が「実は、俺の家の押入にはブルーパージ関係の資料が山とあるんだ。一つの押入いっぱいさ。どうやって処分しようかなあ?」と言い、ほかの二人の最高裁判事からも「俺も」、「俺もだ」と声が上がった(最高裁の司法行政の歴史における恥部の一つであるブルーパージ=青法協攻撃を裁判官出身以外の判事が同席する場で恥ずかしげもなくむしろ自慢げに語ることへの衝撃)こと(32〜33ページ)、そして例えば「不本意な、そして、誰がみても『ああ、これは』と思うような人事を二つ、三つと重ねられてやめていった裁判官を、私は何人もみている」(90ページ)とか、ある裁判官の嘆きの言葉という類が並べられています。こういった、エリートコースを歩み裁判所内のエリートたちに接する場面の多い著者が経験した事実は、貴重な証言と受け止めるべきでしょう。
 嘉手納基地騒音公害訴訟で、当初は重大な健康被害が生じた場合には差止が認められるという一般論を立てて空港公害訴訟に小さな風穴を開けたいと考えて判決の下書まで作ったところで、米軍基地に対する差止を主張自体失当とする最高裁判決が出たのでそれに従って判決を書き直したというエピソード(29〜31ページ)は別の意味で興味深いところですが…
 この本のメインテーマの部分は、矢口長官時代までに左派の排除が完成し、その後左派でなくとも自分の意見を言う裁判官にも攻撃が及ぶとともに、竹崎長官が最高裁事務総局で人事に影響力を及ぼした2000年代から露骨な情実人事が進み、上部の腐敗・劣化に伴い中間層も疲労してやる気を失い、裁判官任官志望者を評価する基準が能力ではなく組織になじむ人物であるか否かが重視され新任判事補の下限レベルの質が著しく落ちている、裁判員裁判の導入は国民の司法参加などではなく裁判所内の刑事系裁判官の民事系裁判官に対する権力闘争・基盤強化・人事権の掌握が目的であったなどの指摘にあります。この部分は、著者の経験としてではなく、また客観的な根拠に基づくものではなく、裁判所内の噂であるとか、「公然の秘密」(裁判員制度導入関係)などとされています。ことがらの性質上そうならざるを得ないとはいえ、その点が残念です。それでも、エリート裁判官が裁判所内で聞いた「噂」なり認識は、少なくとも多くの裁判官がそのように考えていることを示していて、そういう意味で裁判所組織の病理を示しています。
 「学者」が書いたものとして読むには、視点と裏付けの客観性の点で疑問を持ちますし、事実としての記載内容と評価のバランス(非難の言葉が走りすぎのきらいがある)にやや戸惑いを感じますが、裁判所の「雰囲気」を読むものとして貴重な材料だと思います。

15.PM2.5「越境汚染」 中国の汚染物質が日本を襲う 沈才彬 角川SSC新書
 近年の中国の環境汚染についてレポートした本。
 中国政府は今、国家キャンペーンの一環として「美しい中国」というキャッチフレーズを掲げているそうです(18ページ)。外に敵を作って対立を煽るのが好きな政治家のセンスは似ているなと笑えますが、中国はそれにあわせて環境改善を模索中だが実際には「醜い中国」へと姿を変えつつあるというのがこの本の指摘です。大気汚染について、イエール大学とコロンビア大学の共同調査による「環境パフォーマンス指数2012」世界ランキングを見ると中国は132カ国中128位でワースト5というのですが、「ちなみに日本の順位はスイス、ノルウェーなどと並び1位だ」(18ページ)と言われると、調査の信用性に疑問を感じます。大気汚染の環境基準を長らく達成できず、今回調べてみたところでは近年は窒素酸化物等は環境基準が達成されているそうですが、浮遊粒子状物質と光化学オキシダントについては環境基準達成に至らない日本がどうして1位になれるんでしょう。2013年10月23日付の朝日新聞夕刊で紹介された研究によると日本国内のPM2.5の年平均濃度のうち越境汚染が占める割合は大阪・兵庫圏で50%、首都圏では30%にとどまる、中国でPM2.5の問題が深刻化するのは冬から春にかけてであり7月と8月の濃度は通常低い、一方日本ではこの時期にPM2.5の濃度が上昇する現象が見られている(95〜96ページ)ということで、何でも中国のせいにしがちな風潮の下で国内の汚染源が見逃されて放置されていることになります。
 ただそれにしても中国の大気汚染の現状は凄まじく、在北京アメリカ大使館の調べによれば2013年1月10日頃から北京市のPM2.5濃度が急速に上昇し一時は濃度が高すぎてアメリカ大使館の測定装置が計測不能になるほどだった(26ページ)、「ランセット」誌上で2012年に発表された「世界の疾病負担研究2010」によれば「2010年にPM2.5が要因で死亡した人は、中国本土で120万人にのぼる」とされ、中華医学会会長の鐘南山医師はPM2.5は新型肺炎SARSよりも遥かに恐ろしい存在であると警鐘を鳴らしている、ここ10年間で北京市の肺癌患者は60%増えていると紹介されています(29ページ)。
 この本では「水質汚濁」として紹介されていますが、黄河の上流域の蘭州市には過去数十年間で1万体以上の遺体が漂着している、遺体の所持品から身元がわかれば家族に連絡して引き取ってもらうが連絡先がわからないことがほとんどだし、わかっても引き上げ費用が払えない貧しい家庭では引き取りを拒否することもある、遺体引き上げを委託されている業者も身元のわからない遺体を引き上げると引き上げ費用を回収できないので船上で調べて連絡先がわからない遺体は再び川に戻すとされています(123ページ)。経済発展が言われる中国ですが、企業が儲けてもその陰であくどいことが行われ貧しいままに留め置かれる民が多数いることは、いずこも同じということなのでしょうね。

14.税務署員だけのヒミツの節税術 大村大次郎 中公新書ラクレ
 「あらゆる領収書は経費で落とせる」の続編で、前著が会社(法人税)の経費にポイントを置いたものであったのに対して、この本では個人自営業者(所得税等)の場合にポイントを置いています。
 タイトルの「税務署員だけのヒミツの節税術」は自営業を主要な対象とするこの本にそぐわない感じがしますが、第1章で所得控除・税額控除一般の解説をしていて、その部分は給与所得者にも当てはまり、現に税務署員が積極的に利用していることが書かれているので、それに対応するものなのでしょう。
 著者が勧める「節税」のための経費の積極的計上の方法は、基本的に会社の場合と同じで、ただ個人自営業者の場合は、生活にも使えるものについては全額を経費とすることができず、事業とプライベートの割合を常識的な範囲で設定して按分し事業の割合分だけを経費計上すべきこととされています。会社の場合ならば、社長の自宅に置くテレビを買っても、そのテレビで事業の研究をしたという説明が付けば、事業の研究以外にも利用していても全額経費計上できるが、個人自営業者の場合は、「事業にも」利用しているというだけでは全額の経費計上はできず事業に用いた割合だけが経費計上できるということです。理屈としては、会社の場合は会社の名義で、社長個人名義ではなく、個人自営業者の場合は名義もプライベート利用者も同じ個人だという違いによるのでしょうけれども、やはり会社が優遇されて個人自営業者には厳しい取扱がされているという気がします。個人事業者の福利厚生費や交際費には税務署のチェックが厳しいとされていますし(80ページ、94ページ)。
 急に儲かって収入が膨らんだ時の経費増額の方法として中小企業倒産防止共済の利用が勧められています。儲かった時に共済に加入して掛け金を前払いすれば前払いでもその年に支払った掛け金全額が経費計上でき、掛け金は途中で減額できるし、いつでも任意解約して取り戻すことができ40か月以上後ならば解約で全額戻ってくるので、定期預金をして節税できるようなものとされています(113〜121ページ)。解約時に戻ってくる解約手当金はその年の収入となります(この本ではそこまでは触れていませんが)ので、節税のためには収入が急に増えたときに加入して収入が大幅に減ったときに解約するということになります。
 青色申告について、複式簿記が求められ、それに対応するのに税理士に依頼するとメリット分以上に費用がかかるし、うっかりミスが許されなくなるので、青色申告が有利とは限らないこと、法人化すると税金上有利といわれるが会社は帳簿をきちんと作らなければならず、個人自営業者が法人化で節税するためには役員に家族を入れて役員報酬を支払って収益を分散化することが必要でその程度に儲かっていなければ節税にならないなどの指摘もあり、なるほどと思いました。

13.あらゆる領収書は経費で落とせる 大村大次郎 中公新書ラクレ
 元国税調査官が法人の経費で落とせる範囲と経費で落とす時の注意について解説した本。
 領収書は上様宛でも、そもそも領収書などなくても支払日・支払額・支払先・支払の内容さえ記載されていれば自分で書いた記録があれば十分(145〜152ページ)で、業務に使っていれば薄型テレビやブルーレイ・レコーダーを買って自宅においていても(事業上の研究のためのDVDを見ていることが確認できれば)経費で落とせるし、飲食代や旅行代金さらにはキャバクラでの支払も業務との関連を言えれば接待費や福利厚生費、研修費等の費目で落とせるとされています。
 500万円の4年落ちの中古のベンツをローンで買えば残りの耐用年数が2年で定率法なら購入年度に100%減価償却(経費算入)ができて支払う額の何倍も経費が作れる(2年目以降は支払う分の経費化ができませんが)から税金は安くなるし資金繰りも助かる、だから社長はベンツを買いたがる(97〜101ページ)という話は、なるほどと思います。
 開業医は、日本医師会の圧力で、領収書まったくなしでも収入の7割程度を経費計上できる(社会保険診療報酬が5000万円までの場合)(196〜199ページ)という説明は、なるほどと思う反面、開業医といういわば装置産業的な業種では家賃、人件費の他にけっこう設備投資が大きいと思いますので、概算経費率がそれくらいというのはそれほどの優遇でもないような気がします。きちんと申告している自営業者の目には、現実には仕事で使うものはほとんど全て会社が用意してくれて業務上の経費なんてほとんどないのに一律に3割程度ものみなし経費に当たる「給与所得控除」がなされる給与所得者が一番優遇されているように思えます。
 また福利厚生費を多くしてその分給料を減らすことで会社も従業員も税金と社会保険料を減らせて利益になる(29〜32ページ)という説明は、会社側にとってはそのまま聞いていいですが、従業員側は税金だけ見ればそう言えても社会保険の方はそれによって将来受け取れる年金額が低くなることに注意すべきです。
 税務署の調査官の中には、個人事業者の交際費は50%しか認められないとか、二次会の費用は交際費として認められないとか、個人事業者には福利厚生費は認められないなどの嘘を言って税金を追徴し払わなくてもいい税金を払わせる者がいる(53、115、157ページ)、まず第一に税務署は絶対に正しいという先入観を捨てるべきだ、この人は私にたくさん税金を払わせようとしている、税金を取るために口からでまかせを言う人だと思って警戒する必要がある、調査官の中には会計知識がない人も多い、調査官の言うことを頭から全部信じることは非常に危険(156〜159ページ)というのは、元国税調査官の言葉ですから、重みを感じました。

12.ほろびぬ姫 井上荒野 新潮社
 余命幾ばくもないことを知った高校教師生島新時が、高校時代に家出してから行方不明だった一卵性双生児の弟盛時を探し出し、自分が死んだ後の身代わりをさせようとして、盛時を妻の下に通わせ、新時は目に見えて衰え行くというシチュエーションの中で、妻みさきの思い、反発、心の揺れを描いた小説。
 容姿が瓜二つであれば、夫の弟を愛せるのかというよりも、夫からそのような要求があり夫がそのような計画を立てた時に妻は何を思うのか、それをおいても夫が死に行く時妻は何を考えどういう行動に出るのかがテーマとなっています。前者は、一卵性双生児がいない大半の人にとっては問題にもなりませんが、後者は多くの人にとって問題となり得ることです。死に行く過程で妻とどのように心を通わせられるのか、どのように接するべきか、接していけるか、考えてもしかたないかも知れませんが、考えさせられます。
 みさきの視点で語られ、夫の新時も弟の盛時もともに「あなた」と表記され、最初戸惑いますが、慣れてくると「あなた」が新時と盛時のいずれを指しているのか比較的スムーズにわかります。同じ言葉/代名詞を用いながら文脈で鮮やかに使い分けられる日本語表現の豊かさを感じました。
 弾けるようなラストは、印象的ではありますが、物語の収拾に苦慮して投げ出したような感じもします。

11.なぜ、あの人と話がかみ合わないのか 細谷功 PHP文庫
 相手にいくら一生懸命に説明しても理解してもらえないということについて、なぜ理解してもらえないのかとストレスを感じるのではなく、他人同士では話がかみ合わないのが当たり前というスタンスでものごとを見て、一歩引いた立場から冷静にできることを考えようと提案する本。
 コミュニケーションギャップの原因を、@人間は悲しいまでに自分中心にしか考えられないこと、Aコミュニケーションが(実際にはほとんど伝わっていないのに)「伝わっている」ことを前提に成り立っていること、B相手は自分と同じ前提や認識でいるつもりが、実はまったく別の部分を見ていて、お互いがそれに気づいていないことの3点にあるとしています(5ページ)。
 最初の「人間は例外なく自分中心」では、みんな自分が一番大変だと思っている、どんなに客観的に判断しているつもりでも自己評価が高くなってしまうから他人の長所は10倍に自分の長所は10分の1と考えることでちょうどいいと説明しています。なるほどと思います。
 「伝わっている」幻想については、まず自分の言っていることに相手が十分関心を持っているというのが誤解であり、自分が「伝えた」と思うことと相手に「伝わった」ことはまったく別物、「自分はちゃんと理解した」というのも幻想で相手が伝えたかったことはその何倍もあるかも知れないと思えなどとされています。
 3点目は「象の鼻と尻尾」を別々に見ていると説明され、この本ではその大部分をこの議論に費やしています。もともとは「象の鼻と尻尾」というタイトルで出版した本を加筆修正して文庫化したものだそうですから、前の2点は付け足しなのかも知れません。立場や視点や価値観や能力などが違う人が考えイメージしていることのギャップを確認しないまま(違うことを考えていると想像もしないため確認しないしできない)話を進めることで誤解すれ違いが生じていくことをあれこれの例を挙げて説明しています。
 「人間はとかく、成功したことの原因は、『自分が努力したからだ』とか『自分のやり方が正しかったからだ』というふうに考えてしまう傾向にあります。逆に失敗したことに対しては、『相手が悪かったからだ』とか『○○さんが入らなければうまくいっていたのに』とか『ベストを尽くしたのに運が悪かっただけだ』などと思ってしまいがちです。反面、面白いことに、『他人の』成功を見るときにはこれを『運』だと思い、失敗を見るときには『運以外』つまり本人が悪いのだと見てしまう傾向もあるのではないでしょうか」(92〜93ページ)とか、「本当に忙しい人は『忙しい』とは言わないし、本当に『大変な』仕事をしている人は『大変だ』とは言わないものです」(100ページ)とか、至言だと思います。

10.家庭の科学 ピーター・J・ベントリー 新潮文庫
 ある不運な人物が、ある一日に朝目覚まし時計が鳴ったのに止めて寝過ごし、シャワーを浴びたらシャンプーですべって転倒、カミソリで頬を傷つけ、トースターでパンを焦がし、電子レンジに水の入ったカップを入れて加熱したら爆発…と次から次へとアクシデントに見舞われるという設定で、日常生活を支えている製品と自然、人体などの科学的な知識を説明する本。
 一般向けの解説書ですが、よくこれだけ広範囲のことを書けるなと感心します。ただ同時に、興味ある分野を掘り下げる本でもなく、体系的に書かれているわけでもないので、ややこじつけ的なアクシデントの流れを最後まで興味を持って読むというのもけっこうしんどいものがあります。
 私には、「最新のハードディスクは信じられないほどよく衝撃に耐えることができる。スイッチさえ切っておけば、これをボールに見立ててサッカーをしても、もとに戻せば問題なく使うことができる」(270ページ)とか、「虫垂は、以前はなんの役にも立たない痕跡器官だと考えられていたが、近年の研究により免疫細胞が豊富に分布していることがわかっている。虫垂には有用な細菌が少しだけ貯蔵されていて、病気により正常な腸内細菌叢が破壊されてしまったあとに腸内細菌が再び腸内全体に分布しなおすのを助けることもわかっている」(354ページ)とかが、興味深く思えました。
 さまざまな分野で、どんどん知識は更新され、昔の常識は通じないのねと思わせてくれる本です。

09.ニセモノ食品の正体と見分け方 中川基 宝島文庫
 スーパーで販売されたり飲食店で使われている一般的な食材の成分、製法、表示等について解説した本。
 例えば人工霜降り肉は食肉用軟化剤と和牛牛脂をショ糖エステルなどの乳化剤を用いて乳化させ、40〜50℃という肉質が変化するギリギリの温度管理で牛肉に注入してボールのように膨らませて加工したもの(17ページ)などと製法や成分が解説されています。そういうことを解説しつつ、「環境面を考えると食肉用油の廃棄量を減らして、安価なオージービーフなどを和牛のように味わうことができる優れた調理法のひとつ」(同)などと、ニセモノ食品の効用をも指摘しているあたりに、この本のスタンスが表れています。
 養殖マグロは大トロ部位が3割、中トロ部位が残りの6割近くという超メタボ(51ページ)、安売りホッケは人工霜降り肉同様に大量の味付け調味料や保存料、油を剣山のような注射器で注入し短時間で高温で炙り処理したもの(54〜55ページ)、人工イクラは魚由来のものを一切使わずに本物とまったく遜色のない味を出していてプロも欺かれる、見分けるには味ではなくお湯につけて白濁する(天然)か溶けてしまう(人工)かで見るべき(75ページ)、外国産松茸は輸入時に徹底洗浄されるので香りはほとんど消し飛び松茸香料をスプレーして香りを付けている(78〜79ページ)、みりん風調味料は色の付いたガムシロップで、料理のレシピで本みりんの分量でみりん風調味料を使うと実際のみりんよりはるかに甘いせいで味が台無しになる(162〜163ページ)など、興味深い話が多数ありました。

08.検証 福島原発事故・記者会見3 欺瞞の連鎖 木野龍逸 岩波書店
 福島原発事故以降東京電力の記者会見に出席し続けている著者が、東京電力の記者会見での姿勢、特に事実を認めず隠蔽し続ける様子を中心に、一向に収拾に向かわない福島原発事故のその後をレポートした本。
 3作目になるこの本では、前半の4章を汚染水問題に充てています。例えば第2章では、汚染水の海への漏洩が疑われながら、いつまでたっても漏洩を認めようとしない東京電力と、漏洩してるに決まってると思いながらも東京電力が認めなければ書けない大マスコミの記者たち(東電がメルトダウンを認めるまで2か月間もメルトダウンと書けなかった記者たちの姿と重なる)、2013年7月10日に原子力規制委員会の島崎委員長代理から観測孔の水位が潮位と連動していないかの確認を要請され記者からも度々観測孔の水位データの公表を求められながら、そして観測孔の水位のデータは連続的に自動記録されていて東電が当然に把握しているにもかかわらず7月18日の記者会見で記者に観測孔の水位データの観測について聞かれて尾野昌之原子力立地本部長代理が「毎回ということではない。適宜、という状況であったと聞いている」「現場の線量もあるので、ある程度定期的に測りに行っているが、汲むたびに毎回ということではないということだった」などと嘘を言い続けて、参議院選挙投票日まで汚染水の漏洩を隠蔽し続けて、投票日の翌日の7月22日に初めて観測孔の水位データを発表するとともに汚染水の海への漏洩を認めたという経緯がわかりやすく書かれています。それにしても、この例に限らず、東京電力は都合の悪いことについてはどんな嘘でも平気でつけるのだと呆れますし、東京電力の担当者というのはこれだけ嘘を言い続けてよくその後も平気で人前に出ていられるものだと思う。
 切れ切れに報道される事実を、東京電力の姿勢・やり口を思い起こしつつ復習・再検討するのによい本だと思います。

07.国際原子力ムラ その形成の歴史と実態 日本科学者会議編 合同出版
 アメリカ原子力委員会(AEC)、国連科学委員会(UNSCEAR)、国際放射線防護委員会(ICRP)、国際原子力機関(IAEA)、世界保健機関(WHO)などの放射線被曝に関連する機関の成り立ちと関係、これらの機関が広島・長崎の原爆被爆者の追跡調査結果などを使って、チェルノブイリ原発事故による被曝者の疾病発癌を始めとする低線量長期被曝の危険性をいかに過小評価し握りつぶしてきたかを論じる本。
 前半は、あれこれ書いてはいるのですが、ICRPが放射線取扱医療従事者らの任意団体で国際機関ではないということと、WHOがIAEAとの1959年の合意書でIAEAとの合意なしに独自の見解を出せなくなっておりそのため放射線による健康影響については口出しができず公衆衛生の専門家でもない原子力推進機関のIAEAのやりたい放題になっている(25〜27ページ、66〜67ページ)ということが強調されている感じです。
 終盤の「がんリスクは10ミリシーベルトでも有意に増加」(95〜117ページ)が一番目を引きまた読み応えがありました。原爆被爆者の超過癌死リスクのデータの読み方、原爆被爆者と核施設労働者、チェルノブイリ原発事故被曝者、日本の原発労働者、医療被曝者の追跡データから、低線量被曝の危険性が従来言われていたものより大幅に高いことを論じています。日本の原発被曝者の追跡データで「白血病を除く全悪性新生物による死亡率は、外部比較において日本人男性の死亡率より有意に高く、また内部比較において累積線量との有意な関連が認められています」としていながら「が、生活習慣等による影響の可能性を否定できません」とする放射線影響協会疫学センターの見解(106〜107ページ)は見苦しい。著者は、ていねいにそのあとに飲酒率の定義を変えて原発労働者の飲酒率をかさ上げして飲酒のせいにしようとする政府報告書の欺瞞を指摘しています(107〜110ページ)が、「累積線量と有意な関連」があったらあれこれ言うまでもなく被曝によるものでしょう。2011年から2012年に発表された新しい研究発表で、CT等による患者の医療被曝によって発癌率が有意に増加しているというのは驚きました。こういうことはもっと広く知られるべきだと思います。

06.沈むフランシス 松家仁之 新潮社
 世田谷区での男との暮らしに見切りを付けて会社を辞めて単身子どもの頃暮らしたことがある北海道の小さな村に移り住み郵便局の非正規職員として郵便配達をする35歳の撫養桂子が、離れた一軒家に一人住む謎めいた38歳男寺富野和彦に誘われ休日に自宅を訪れて肉体関係を持ち、寺富野が妻帯者で友人の妻にも手を出していることも知りつつずるずるとつきあい続ける恋愛小説。
 音に強いこだわりを持つ趣味のよい男という印象に桂子が惹かれていくということなのでしょうけれど、電力会社の協力企業の経営者のどら息子が妻を置いて一人会社の施設の見張りの楽な仕事名目で隠遁生活を続け趣味と女に明け暮れかなりわがままをやり放題というのを見ると、どうしてこんな男に主人公は惹かれ正体が見えても分かれようとしないのか不思議に思う。まぁおじさんのやっかみですけど。
 特にエピローグと断るわけでもないけど、冒頭にある川を流れるもの。思わせぶりですけど、正体がわかった時、ちょっと違う感が強い。これを最初に置いた作者の意図が今ひとつわからないというか、ずれたものを感じてしまう。

05.八割できなくても幸せになれる いまを無邪気に生きる術 桜井章一 竹書房新書
 あれこれ考えずに素直にできることをまずとにかくやってみる、今を一生懸命生きようという基本線の人生論エッセイ。
 タイトルと「はじめに」(目次でははじめにになっていますが、該当箇所にはじめにとは書かれてないんですけど)の詩のような形の「二割できれば、充分なんだよ」では、人間には完全ということはない、「すべてを求めるのは不可能だし、いけないことなんだ」「あのメジャーリーガーのイチロー選手ですら、三割を良い形で残すことに苦心している。だから私たち常人は、二割もできればOKなんだ」「だから自分を見失ったり、自信をなくしたりしなくていい。誰でも何かしらの意味を持って生まれ、こうやって毎日を生きている。この世に必要ない人間なんて、一人もいないんだ。」(13〜16ページ)なんてされていて、おぉ相田みつをかこれはと思いましたが、それはおいても、これがこの本の基本線かなと思います。でも、その後はあまりその基本線の話が出て来ない感じです。
 「心の中に子供を置く」(今自分がしていること、しようとしていることは、自分の子どもに見せて恥ずかしくないかをいつも問う)という話(52〜55ページ)とか、「未来の子供から、今を預かっている」(先祖から引き継がれていることよりも、今の自分たちの行動が子どもたちの未来を決めることを意識すべき)という話(216〜217ページ)とかは、ちょっと心に染みます。
 全体として、標語と短い説明で構成され、一つ一つはそれなりにいいかなと思うところもあるのですが、流れというか統一感が今ひとつ感じられませんでした。著者のプロフィールで、生命の危険すら伴う裏麻雀の世界で超人的な強さを誇り雀鬼の異名を取ったとされていることから期待されるような毒のある話はなく、どちらかと言えばきれいな普通の人生のあり方論が続いているのがやや期待外れでした。

04.生きる悪知恵 正しくないけど役に立つ60のヒント 西原理恵子 文春新書
 人生相談の形式のエッセイ。
 タイトルからは、普通にエッセイかと思えたのですが、全て人生相談の形式になっています。出版社(文藝春秋)の作品紹介では「『ぼくんち』『毎日かあさん』で知られる人気漫画家・西原理恵子さんが、波瀾万丈な人生経験をふまえて、恋愛、家族関係から仕事、おカネの問題まで、あらゆる悩みに答える『人生相談』エッセイです。」とか書かれていて、どこかに連載したものというふうにはなっていません。そうすると、この相談のクエスチョンはどうやって作ったのでしょう。法律相談の本なんかだと、執筆者が答えやすいような質問を自分で作ったりすることもままありますが、編集者とかけ合いで作ったとかでしょうかね。
 読む前から、そんなことでくよくよするな、ものは考えよう、気の持ちよう、開き直れという回答が多いだろうなと思っていましたけど、意外にまじめに答えてるじゃないのというのも多くありました。気の持ちようだ、開き直れという回答ももちろんありますが。
 「中2から高2くらいの男子は全員キモイ!」(168〜170ページ)とかの回答は、う〜ん、そういうもんかと複雑な思いで読みましたけど。ウザい先生への対処法について、ホステスや店員になったつもりでめんどうな客にどう対応すればいいかを考え、世の中に出たらもっと嫌な人はいっぱいいるからそういうのをかわす練習だと思えばいい、そうやって身につけたテクニックは将来必ず役に立つよ(209〜212ページ)とかいう回答は、さすがと思いました。

03.女のからだ フェミニズム以後 荻野美穂 岩波新書
 中絶の権利・自由/産む・産まないの自己決定権のために闘い、女のからだについての認識・知識を広め深める運動を続けてきたアメリカと日本のフェミニズムの運動の経過を紹介し、近年の体外受精・代理出産などの生殖技術とフェミニズムの関係を論じる本。
 アメリカでは女性の自由が早期に確立されたような印象がもたれがちですが、大学(カレッジ)の学生の女子の割合は1920年には男子学生の47%だったものが1958年には35%に減少したことが紹介され(20〜21ページ)、衝撃を受けました。1973年のロウ対ウェイド事件最高裁判決で中絶の権利が認められるまでの中絶を巡る運動の厳しい状況やその後も執拗に続く保守層による反撃・中絶実施クリニックへの焼き討ちなどの様子は、よく語られていますが、中絶非合法時代の1960年代にシカゴで匿名の女性たちが中絶希望者に寄り添いからだについての知識を普及・共有しながら、公然の秘密状態で中絶を実施してきた「ジェーン」の運動の紹介(55〜64ページ)にはいろいろと考えさせられました。他の点では法を守る「普通の」女だったジェーンたちが中絶を必要とする目の前の女たちを助けるためには法を破ること、さらには医師だけの特権とされていた技術を自分のものとし、行使することをためらわなかった(64ページ)という記述には、少し胸が熱くなります。法とは何か、どのような場合にどのように法と闘うべきかは、いつも難しい問題ではありますが。
 中絶が禁止され、その自由化が獲得目標であり自由化後も保守派の反撃と闘い続けなければならないアメリカのフェミニズムに対し、「優生保護法」により戦後すぐに中絶が事実上自由化されており中絶問題の議論や保守派からの規制強化の動きが障害者の選別排除と絡められてきたが故に障害者団体から障害者選別排除を許してよいのかという問題を突きつけられてきた日本のフェミニズムの問題意識の違いと、その歴史的経過と問題意識が現在の生殖技術に対する評価・対応に影響しているという指摘には、なるほどと思うところもあります。私には、代理出産など、どう言い繕っても貧しい女たちに体を売らせ搾取するビジネスだと思えるのですけど。

02.税務署が嫌がる「税金0円」の裏ワザ 大村大次郎 双葉新書
 元国税局の法人税担当調査官が「際どい節税策」(5ページ)を紹介する本。
 この本で紹介されている節税策は、基本的に給与所得者(サラリーマン)が副業として自営業特に不動産賃貸業を営みそこで実質的な生活費を大胆に経費計上して赤字を作って給与所得と通算することによって現実には赤字ではないのに事業所得は赤字・給与所得を赤字通算して減少させて税金を減らそうというもの。自営業者が生活費を経費計上しているという幻想を振りまいて給与所得者の不公平感を増大させるありがちなマスコミと税務署のプロパガンダと軌を一にするところは残念です。現実に自営業者がそれほどでたらめな経費計上をしているとは、私には思えませんが。それはさておき、給与所得者が事業に手を出すこと、特に不動産投資のような大きな金額をつぎ込むことには、相当なリスクがあります。著者もそのことには注意を喚起していますが、自営業者の厳しさ(給与所得者のように定額の収入がある保証は全くない)について、認識が甘いように思えます。特に給与所得者が勤務先を辞めて独立して契約を交わすことによる節税を勧める第4章は、極めてリスキーです。そういうことをしたらほとんどの元従業員は最初の仕事が済んだら契約を打ち切られ、体のよいリストラに遭っただけということになるのが関の山でしょう。
 最初の方で書いている扶養控除の利用で、別居して実質的には年金で暮らしている両親を扶養家族として申告し扶養控除を得るという手口について、「税務署員がこういうケースを自分で税務申告していることもけっこうあるんです」(54ページ)というのが、目を引きます。こう言われると、やってみたくなりますよね。
 私としては、節税策よりも、現在の税務政策の方向性についての著者の批判が興味深く思えました。長くなりますが、たいへん示唆に富んでいますので引用しますと、「消費税は低所得者ほど負担の大きくなる税金です。日本はどんどん格差社会になっているのに、それをさらに加速させる増税をしてどうするつもりなんだろう?と思います。また日本は、バブル崩壊以降、深刻な消費低迷に悩まされています。低迷している消費にさらに増税すれば、消費がさらに冷え込むのは目に見えています。」「今、日本で一番お金を持っているのは、大企業と金持ちです。バブル崩壊以降、日本経済は低迷しているといわれていますが、その陰で実は大企業はしっかりお金を貯めこんでいるのです。企業の内部留保金は、現在300兆円近い金額に達しています。現在の国税収入の7〜8年分という巨大な額です。そして現在の企業の内部留保金は、ほとんどが設備投資などには使われず、現金預金、金融資産として会社に貯めこまれているのです。これだけの巨額のお金が会社の中で眠っていることが、日本経済の金回りを悪くしている要因でもあります。しかも企業の内部留保金というのは、バブル崩壊以降、ずっと増え続けているのです。2000年には180兆円程度しかなかったものが、現在は300兆円近くに達しているのです。この10年、サラリーマンの給料はずっと下がりっぱなしなのに、会社はしっかりお金を貯めこんでいたのです。また億万長者の数も、この10年で激増していることは。本文で述べたとおりです。これを見たとき、今どこに税金をかけるべきかは明白です。『企業や金持ちに増税すると、彼らが海外に逃げる』と思っている方も多いでしょう。でも、それは、財界の連中が『自分たちに増税させないため』の詭弁に過ぎません。今の税制では、『日本で金儲けをしている日本人(日本の企業)』が海外に逃げ出すことはできません。海外に出て行くのは、海外で金儲けをしている人(企業)、そして日本国籍を捨てた人です。日本でお金を貯めこんでいる企業や人というのは、日本で金儲けをしてきた人たちです。彼らは海外に出て行っても、金儲けはできません。だから、彼らは日本にとどまらざるを得ないのです。また海外に進出する工場などは、税金の安さを求めているわけではありません、法人税というのは、事業経費の中では1%にもなりませんので、法人税が高いか安いかというのは、企業活動にはほとんど関係ないのです。海外に進出する工場のほとんどは、現地の人件費や土地代、材料代の安さに惹かれてのことなのです。こういう企業は、日本の税金の多寡にかかわらず、海外に出ていくものなのです。だから、今日本がしなければならないことは、企業や金持ちに『ちゃんと税金をかける』ということなのです。これだけ格差社会になったのも、近年の大企業優遇、金持ち優遇政策のせいなのです。」(202〜204ページ)。この本は2012年に書かれたものですが、消費税を増税してその税収で法人税減税をもくろむ、庶民いじめの現政権の政策にまさしく当てはまる批判だと思います。

01.職務質問 新宿歌舞伎町に蠢く人々 高橋和義 幻冬舎アウトロー文庫
 職務質問の指導員をしていた元警察官の著者が、新宿警察署歌舞伎町交番に配属されていた頃の経験を綴った本。
 タイトルが「職務質問」で著者が職務質問の指導員ということから、職務質問のコツというか、警察官はどういうことから街頭で見かけた人物の嫌疑を判断していくのか、どのような質問で相手を追い込んでいくのかに興味を持って読みました。しかし、前者のどのような点に目をつけるのかについては、薬物中毒特に覚醒剤中毒の者についてはいい車に乗っているわりに掃除をせず車内が汚い、所持品が女性の場合でも高級バッグを持っているが中が汚く化粧品や生理用品などがバラバラに入っていて食べ残しまで入っている、家でも車でも壊れたところにはやたらとセロテープやガムテープを貼る(穴があるとそこから何か出てくるという強迫観念があるので塞がずにいられない)、煙草の吸い殻が長短ごちゃ混ぜで特にハイになっている時は火を付けてはすぐにもみ消す、落ち着きがなく行動がちぐはぐという特徴を書いています(134〜136ページ)が、他の犯罪ではあまりそういうことは書かれていません。覚醒剤中毒患者について書かれていることも、なるほどと思う反面、整理が苦手な人は覚醒剤中毒じゃなくてもいるけどなぁと、それだけで覚醒剤中毒と疑われてはたまらないとも思います。後者の質問の方法というか職務質問でのやりとりでは、テクニックというよりはとにかく聞いてみるという感じで、むしろ聞かれた側がずいぶん素直にあきらめて認めちゃうんだなぁという感想を持ちます。
 警察官や治安維持を優先的に考える人々にとっては、職務質問はどんどんやって犯罪を発見し立件していけばいいということになるのでしょうけど、さしたる容疑もないのに職務質問をされる側の市民にはとても迷惑な話です。しかも何もしていないのに外見から一方的に容疑をかけられた時に、簡単に放してくれればまだしもしつこく付きまとわれ帰ろうとするとそれがまた怪しいなどとほとんど言いがかりのような難癖を付けられるということになると迷惑千万です。著者は、現場の警察官の犯罪摘発の熱意を称揚し「長野県の地域警察官がバイク2人乗りの少年に拳銃を突きつけて暴行したと逮捕され、懲戒免職になったが、あの警察官は少しもやり過ぎではない。あれが普通である。使命感に燃えているなら、あんな行動に出るのは当然だ」としています(284〜285ページ)。犯罪者を多数立件できればまったく無実無関係の多数の市民に一方的に嫌疑をかけしつこく付きまとって職務質問をし場合によっては交番に同行したり誤認逮捕して巻き添えにしてもかまわないという価値観(イラクやアフガニスタンでテロリストを摘発するためには無実無関係の市民を誤認逮捕や射殺してもやむをえないというのと同じ価値観)で警察の現場が動くことには、強い危惧感を持ちます。覚醒剤所持の嫌疑をかけて、任意同行だといってベルトを掴み、力一杯引っ張ったからベルトが切れ、被疑者が警察官がベルトを壊した、任意といいながらこんなことしていいのかと言うのに対して、著者が見物人に対して「この男はおかしいんです。みなさん、帰ってください」といい、駆けつけた弁護士に見物人の一人がベルトは被疑者が自分で切ったと嘘を言い弁護士に対して「こんなやつを守るなんて、お前ら弁護士が世の中を悪くするんだ」というなどして追い払ったというケースが得意げに紹介されています(145〜152ページ)。嘘を言って警察に味方する自警団感覚の「市民」が現実にいて、特に治安維持がマスコミで叫ばれるとそういう人物が増えてくることも予想されますが、そういうことで警察がやりたい放題になっていくのはかなり危険なことだと私は思います。

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