私の読書日記 2015年2月
08.09.策謀の法廷 上下 スティーヴ・マルティニ 扶桑社ミステリー
国防総省の安全保障情報提供プログラムの開発会社のCEOマデリン・チャプマンが自宅で射殺され、以前身辺警護を担当しマデリンと肉体関係もあった元陸軍射撃教官エミリアーノ・ルイスが容疑者として逮捕されるが、ルイスは弁護人ポール・マドリアニに対し、軍歴での空白の7年間について答えようとせず、マドリアニは安全保障情報提供プログラムがらみの確執を調査しようとするが会社側の弁護士の抵抗で情報を得られず暗礁に乗り上げ…という展開のリーガル・サスペンス小説。
スティーヴ・マルティニ作品の久しぶりの日本語訳で、あまりに長く新作が翻訳されなかったのでもう全然チェックしておらず、ずっと気がつきませんでした。
いろいろな意味で、マルティニらしい作品です。法廷での証人尋問、検察側とのせめぎ合いで読ませる展開には迫力があります。マドリアニが努力をしながらも有利な証拠を得ることができずテクニックでしのぎ見せ場は作りながらも絶望的な状況に追い込まれる展開とそこからの逆転劇も、おなじみと言えますが、マルティニファンの期待に応えてくれます。逆転劇のトリッキーさ、悪役のやや小粒さ、悪役がわざわざマドリアニの前に出て来てマドリアニが命の危険にさらされるという点も毎度のパターンです。こちらは少し変えてもらった方がいいかもしれませんが。
私としては、法廷でのやりとりの描写だけで、十分に読む価値がある作品だと思います。マドリアニが見せる政府と巨大企業、企業側の弁護士の悪辣さとの対決姿勢も、庶民の弁護士としては共感します。
しかし、ミステリーとしての謎解きというか真犯人像とか、細かいところまでの目配りとか(どうでもいいとも言えますが、例えば「ルイスの公判を指揮する判事は、法廷の最後部に取りつけた固定カメラで審理を中継したいというケーブルテレビ二局からの申し出に屈服してしまっていた」(上巻330ページ)と書いていたのに、何の説明もなく「ギルクレストはすでに、ルイスの公判のあいだは法廷にカメラを入れないという決定をくだしていた」(上巻374ページ)となっていたりします)が少し残念に思えます。
スティーヴ・マルティニについては、初期の快進撃のあと、作品の中で作品作りに行き詰まっている様子を示唆し、ミステリー作家が期待に応えるのは大変だみたいなぼやきをして、その後日本語訳が出なくなっていたので、作品が書けなくなっていたのかと思っていたのですが、解説によると、未翻訳のポール・マドリアニシリーズがまだ5冊もあるようです。マルティニファンとしては、日本語版の出版が待ち遠しいところです。
07.セカンド・ジャッジ 出口の裁判官岬剣一郎 姉小路祐 光文社文庫
30才前にして地方更生保護委員となった元警察庁キャリアの岬剣一郎が、仮出所の審査を担当した受刑者船川哲矢について調べるうちに、船川が犯した殺人事件の真相が判決と大きく異なることに気づき、船川の仮出所後すぐに最初の殺人事件被害者の関係者が無人駅で貨物列車に轢かれ…という展開のミステリー小説。
思わぬ展開を信条とする作品のようで、あちらこちらへと振ってくれるのですが、ていねいな積み上げを欠くきらいがあり、ちょっとバタバタした印象です。また、人物像の描写や一貫性にもやや疑問を感じました。
仮出所した船川に、自分が調べた船川が親の敵として殺害した者の共犯者の名前を知らせ、その名前を知らなかったという船川に「復讐なんて考えていませんね?」と聞いた岬が、そのすぐあとにその者が貨物列車に轢かれて死亡し、船川が行方不明という事態を受けて、自分が知らせた(漏洩した)情報のために新たな殺人事件が起きたのではと疑う様子がないところが、納得できません。公務員として守秘義務、個人情報取扱への意識があまりにもなさ過ぎですし、いくらなんでも船川がその名前を知らなかったと聞いたら、ふつう、あ、まずかったと思うでしょうし、ましてやその直後にその人物が死んだら、当然自分のミスと考えるでしょ。岬は洞察力のある人物として描かれているのに、これ、不自然すぎ。作者は、真相は別という頭だから気にしなかったのでしょうけど、そういうところに気を回すのがミステリー作家の仕事・力量だと思います。
弁護士の円山優花の「あたし、なんのかんの言っても、女なんです。強がっていますけど。」という発言(246ページ)の思わせぶり、発見された船川の岬との面談での投げやりな態度(323〜325ページ)など、今ひとつ布石が回収されていない(謎が説明できていない)感じが残りました。
06.病気にならない常識 安保徹 創英社/三省堂書店
多くの病気の原因が寒さなどの厳しい環境の下での過酷な労働、長時間労働、責任感からのがんばり過ぎなどの過酷な生き方、憤激・怒り等の感情などにあるとして、病気にならないためには、体を温め、無理し過ぎず、楽し過ぎない生き方をすべきと提唱する本。
著者は、私たちの細胞が、無酸素で糖を分解してエネルギーを作り激しく細胞分裂をする「解糖系生命体」と、有酸素でさまざまな栄養素からエネルギーを作り細胞分裂を抑える遺伝子を持つ「ミトコンドリア系生命体」が合体してできたことから説明し、交感神経の緊張状態が続くと低酸素低体温状態となり、ミトコンドリア系の働きが弱まることでさまざまな問題を説明しようとしていますが、これが論理的にうまくつながるのか、私には少し理解しにくく思えました。
血液がサラサラならばよいのかという点について、ミトコンドリアが多い細胞(脳・神経系、筋肉)を使う時は血液が酸素を多く運べるようにサラサラがいいが、瞬発力を要する時や細胞分裂(成長)では解糖系が重要になり低酸素低体温の方がよいので血液はドロドロの方がいいという話(75〜79ページ)とか、がん細胞はミトコンドリアが少なくなって解糖系生命体に近い(だから細胞分裂が激しい)ので、身体を温めて低体温を避け、深呼吸して低酸素という状態を避ければがんという問題は解決する(103〜105ページ)とか、がんも心筋梗塞も脳梗塞も「過酷な生き方に起因する低体温・低酸素」が原因で、現在の脳梗塞の7割くらいは血圧降下剤の効果(低血圧)による血流障害、塩分の控えすぎによる血流不足が原因(131〜137ページ)とか、アレルギーは逆に楽し過ぎ、甘いものの取り過ぎ、塩分の控えすぎが原因(182〜186、199〜202ページ)など、大変興味深い話が満載です。
五十肩は「片寝」が原因ですって。年を取ると寝返りのための力が落ちてきて寝返りの頻度が少なくなった時、肩に負担がかかって血流障害で肩がやられてしまう、五十肩というのはそうして血液の循環能力が低下した時に起こる病気なのだそうです(211ページ)。五十肩に悩む身には、そうだったのかと目からウロコです。仰向けで寝続ければ本当に治るのでしょうか…
最近の医療について、「電子カルテが導入されてからは、医者が患者と接する機会が少なくなりました。医者はパソコンのモニターばかりを見て、患者のほうを見なくなりました。患者を治すためにその表情から苦しみや悩みを読み取ることをしなくなり、また、できなくなりました」(44ページ)と述べています。これ、弁護士の場合でいうと、電子メールでの相談ってこんな感じがします。だから私は、電子メールでの相談はあまり好きじゃないんですが。
05.無罪 スコット・トゥロー 文藝春秋
リーガル・サスペンスの先駆けにして不朽の名作と評価される「推定無罪」(Presumed Innocent:1987年)の23年ぶりの続編。
「推定無罪」で不倫関係にあった同僚検察官の殺害容疑で起訴されたが公判中に検察側の主張が崩れて起訴取り下げとなり放免された検事補ラスティ・サビッチは、その後裁判官に転身し、60才となった今、州上訴裁判所首席判事の職にあり、州最高裁判事選挙を控えていた。その選挙戦の最中に妻バーバラが心不全で死亡し、朝起きて妻が死体となっていたことを知ったラスティは丸一日警察に知らせることなく、息子ナットが訪れた時にはただバーバラの遺体が横たわるベッドに座り込んでいた。ラスティが担当していた毒殺事件の被告人との会話やラスティの不倫の事実を把握した検事局では、部下の検事補に焚きつけられた地方検事代行のトミー・モルトが「推定無罪」での失態の悪夢に翻弄されながら再度ラスティを殺人罪で起訴すべく捜査を進めるが…というお話。
ラスティ、モルト、ナット、ラスティの不倫相手アンナの過去と現在の語りを織り交ぜながら、バーバラの死は問題ない自然死だという評価から少しずつ小さなピースを積み上げていって、いつの間にかラスティの犯行を無理なく想定できる状況を作り上げる第1部の構成、そこに持っていく手腕はさすがです。「推定無罪」を読んでいなくても一応ついて行けるようには書かれていますが、「推定無罪」を読んでいるか、特にその結末を知っているかどうかによって、バーバラとラスティの夫婦関係の綾、検察側が第1部で切り札と位置づけているDNA鑑定の行方についての認識が違ってくるので、第1部を読む時の感じ方、入り具合が相当程度変わってくると思います。
法廷シーンを中心とする第2部は、第1部のじりじりと積み上げる静かな展開と変わりスピード感が出て来て、スリリングな展開が楽しめます。しかし、リーガル・サスペンスとしては、最後に一ひねり欲しいところで、ラストに不完全燃焼感が残りました。作者としては、最後にどんでん返しがあることを予想するリーガル・サスペンスファンの真犯人の推測を外すためにあえてそうしたのでしょうけれど(私は読みを外されました)。
「推定無罪」の時の尖った暗さが、登場人物(ラスティ、モルト、そして敏腕弁護人のスターン)の老いにより、丸くなり、特に「推定無罪」の際の失態のリカバーをもくろむ立場のモルトが57才にして初めて結婚し子どもができたことを喜び子どもを溺愛するしあわせを素直に表現していることで全体に温かみと明るさをイメージさせていて、読み味が変わっています。
57才のモルトが31才の新妻との間で次々と子どもを作り(30ページ等)、60才のラスティが妻と「週に2、3度、自然に交わりを持つ」(56〜57ページ)上に34才の「元」部下からがぶり寄りに言い寄られて(41〜43ページ)不倫の関係を持つって、中高年男にはホッとします(こういう話題が最近多すぎ)。ちょっと期待(妄想)を持たせすぎの感がありますけど。
バーバラとの夫婦関係を続けたラスティのバーバラとの距離感、思い、ある種の諦念とそれでいいのだという達観が厚みを持って描かれています。「推定無罪」の結末からは夫婦関係の継続自体信じがたくも思えますが、同時に、そういうものかな/そういうものかもとも感じられました。
04.枯れないチカラ 徳田重男 宝島社新書
「世界最高齢のAV男優」の著者(79才)が中高年男性が「現役」であり続けるためのヒントを示すとして、自己の生活や性生活と経験談を語る本。
79才で薬を使わずにAV男優を続けられるということ自体、驚嘆するとともに、中高年男性には希望を感じさせてくれます。個人的には、数年前、某同窓生から「男の人って55才になるとてきめんに衰えるから」といわれ、そういうものかなと戦々恐々としている(今月55才になります)ので、こういう本は気休めにはなります。
「射精しなければ精力は減退していく」(101ページ)、「使い続ければ枯れることはない」(102ページ)というのは、わかりやすくもあり、それらしいのですが、AV男優をしながら、不倫関係も続け(妻とは平成になってからしていないそうですが)、5日から1週間に1度くらいマスターベーションをしてそれで健康管理している(47〜49ページ)となると、かなり例外的な人と考えるしか…
03.どうすれば「人」を創れるか アンドロイドになった私 石黒浩 新潮文庫
人間そっくりのアンドロイド「ジェミノイド」(双子座のGeminiからの造語だそうな)の開発製作に取り組む著者が、ロボットを限りなく人間に似せる過程で、人間とは何か、何が人間の/自分のアイデンティティなのか、自分そっくりのアンドロイドがいることによる本人(モデル)への影響などについて論じた本。
著者の論の前提として著者の研究対象と成果のジェミノイドを紹介する部分で、現在既にここまで人間そっくりのアンドロイドができているのだということに驚きます。埋め込めるアクチュエーターの数に限りがあるのに、呼吸をしているように見せるために規則的に肩を動かすこと専用のアクチュエーターを付ける(30ページ)など、そこまでするかというこだわりぶりです。
3次元スキャナーでモデルの表情をスキャンするために、モデルに2、3分写真と同じ表情をしてもらう必要があるが、その際現在の表情を鏡でチェックすると左右逆になるので写真の表情との対比がうまく行かず、パソコンで左右逆転した映像を作ったという話から、左右が逆転して他人が自分を観察するように正しく自分が見える鏡は自然界には存在しない→すべての自己を持つ生き物は自分を正確に認識しないままに暮らしているのだ→「我々人間は他人を通してしか、本当の自分を認識することができない。ゆえに、社会的である必要がある。人間やそして多くの動物が社会を形成するのは、この自己を正確に認識しようとするがゆえなのかもしれない」(75〜79ページ)という展開の強引さというか、発想の自由さに、新たな領域を切り拓いていく研究者というのはこういうものかと感心しました。
自分自身とそっくりなジェミノイドを製作した著者は、5年がたちジェミノイドは変化しないのに自分の体型が変わり老化したことを嘆いて、腹筋運動にいそしみジェミノイドより体を引き締めて勝ったような気分になり(194〜198ページ)、さらには皺取りの美容整形までしてしまう(201〜204ページ)。ジェミノイドの存在が人間に与える影響として論じられていますが、かなり著者の個性の部分があるような。
著者と組んでアンドロイド演劇に取り組んでいる劇作家が「解説」で、著者のことを「傲慢で自己顕示欲が強く、尊大で、自信過剰で、大胆で、不器用で、冷静で、挑戦的で、真摯で、繊細で、臆病で、情熱的で、強欲だ」と書いています(290ページ)。こういう解説も珍しい。
01.02.巨大訴訟 上下 ジョン・グリシャム 新潮文庫
大規模法律事務所で社債の引受業務を担当し続け法廷には一度も立ったことがない5年目の弁護士デイヴィッドが、事務所を辞めて飛び込んだ人身事故をかき集めて何とか経営を維持している小規模法律事務所で、先輩弁護士がのめり込む降ってわいたような薬害訴訟に引き込まれ、大規模不法行為を専門にする弁護士たちと製薬会社の思惑に翻弄されてテストケースとなる裁判の矢面に立たされるという設定のリーガル・サスペンス小説。
終盤に法廷シーンも出て来ますが、薬害訴訟を巡り一儲けを企む大規模不法行為を専門とする弁護士たちと、その尻馬に乗って稼ごうとする大規模不法行為の経験もテクニックもない場末の弁護士たちの思惑と無責任さ、だらしなさ、情けなさが、主なテーマといってよいでしょう。
以前は、グリシャムらアメリカのリーガル・サスペンスに描かれる、救急車を追いかける弁護士( Ambulance Chaser:この作品では弁護士事務所の飼い犬の名前もAC)を始めとする金儲けに汲々として怪しげな広告をして顧客をかき集める弁護士像を見て、アメリカは大変だなぁと思っていたのですが、「司法改革」のかけ声の下で弁護士が大幅に増員され電車の車内広告やテレビCMまでもが珍しくなくなった日本の現状では他人ごととは言えなくなって来ています。財界の御用聞きのような姿勢で進められる日本の「司法改革」では、アメリカと違って、民事陪審とか懲罰的賠償といった大企業に打撃を与える可能性のある制度は絶対に導入されませんから、大企業相手の損害賠償がそういう場になることは考えられませんけど。弁護士業界のどこか自嘲的で投げやりな最近の雰囲気もあり、久しぶりに読むグリシャムがちょっと身に染みました。
デイヴィッドが、自分で見つけた最初の事件で、不法入国の外国人を最低賃金以下の賃金で週80時間こき使っている建築請負業者から高額の和解金を勝ち取った場面で「大法律事務所で5年も働いていたが、弁護士になったことがこれほどまでに誇らしく思えたことは一度もなかった」(下巻91ページ)というあたりには、庶民の弁護士としては(また労働者側の弁護士としては)共感するところですし、弁護士業界にとって救いに思えるところです。
このデイヴィッドの成長部分を評価して、「解説」ではこの作品を「原告側弁護人」(原題:The Rainmaker )の系譜に位置づけています。しかし、大企業を訴える弁護士たちを貶めて製薬会社に理があると描く姿勢は、「甘い薬害」(原題:The
King of Torts )と共通し、The King of Torts とこの作品の2作品でグリシャムはかなり大企業サイドに歩み寄ったスタンスを確立したように、私には見えます。デイヴィッドが終盤に担当する玩具会社との訴訟の描き方とあわせ、中小のアウトローの企業は悪者でも超大企業は悪者ではないという印象を与えているように見えるのです。The
Rainmaker で巨大企業(保険会社)の悪辣さ加減を指弾した時代のグリシャムとはずいぶんと距離があるように、私には思えます。そして、正義感に燃える若い弁護士も、The
Rainmaker での暴れぶりと比べると、いかにもお行儀がいい。私には、この作品は、The Rainmaker と類似のテーマと展開を持ちながら、グリシャムの加齢と保守化を示すものと読めました。
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