私の読書日記 2015年11月
06.人間の性はなぜ奇妙に進化したのか ジャレド・ダイアモンド 草思社文庫
人間がなぜ他の多くの動物と異なり妊娠不可能な時期にもセックスするのか、女性が寿命期間の相当前に閉経するのはなぜか、また男性はなぜ授乳しないのか(授乳しないように進化したのか)、多くの社会で男性が狩猟をするのはなぜか等について、進化生態学の立場から論じた本。
この本での一番のテーマは、人間が他の多くの動物と異なり、排卵日がきちんと判断できず(少なくとも外形には表れず)、妊娠可能な時期以外でも(始終)繁殖以外の楽しみを目的としてセックスするのかにあります。これに対する進化生態学の立場からの(一応の)回答は、進化の過程では、人間は乱婚型社会で排卵日を隠すことにより集落の多くの男性にとって子の親がわからず、自分の子である可能性があることから子殺しが抑制されて、そのような(排卵日を隠す)遺伝子を持つ人間が多数の子孫を残して多数派となり、その後、そのような排卵日を隠す(自分も知らない)女性が男性にとっては妊娠可能な時期に他の男性の子を受胎するリスクが残るためにそばを離れにくくしかも排卵日以外もセックス可能なためにとどまる利益があるために一夫一妻社会を形成するようになったのではないかということだそうです。他の多くの動物同様に排卵日が明らかであれば、男性は排卵日を過ぎ自分の子を受胎したとわかった女性の元にとどまる必要がなくその間に他の女性に受精させた方が自分の遺伝子を多数残せるが、排卵日がわからなければ自分が留守(他の女性と浮気)しているすきにその女性が他の男の子を受胎するリスクがあるので立ち去らず、そして人間の子どもは独り立ちするまでに長期の助けを要するために男性も子育て(敵から守る、給餌等)に関与した方が自分の遺伝子を残すのに有利になるというわけです。こういうふうに聞くと、ゲームの理論みたいな印象がありますし、学者さんはこの種の進化に関する議論を「繁殖戦略」などと呼びがちなので、違和感を持ちやすいのですが、それぞれの個体がそういう「意図」を持っているということではなくて、結果として自己の遺伝子を残すのに有利な性向・形質を持つ個体がより多くの子孫を残すために現在の多数派となったということです。他の多くの動物で、排卵日を明示しながらオスが子育てをする種も相当数あるし、それらの種では排卵日以外にもセックスするわけではないので、人間の特徴とオスの子育てがストレートにつながるというわけではありません。そこは子が自立するまでに長期間を要し子の数が少ないという人間の特徴/制約の中で、排卵日を隠し妊娠可能な期間以外もセックスをするという特徴を持つことで人間が種として生き延びてきたということにもなり、大変興味深い議論だと思います。
それと絡んで、そうであればこそ、なぜ他の多くの動物と異なり、人間の女性は寿命期間の相当前に閉経するのかという問題には、やはり子が自立する前に長期間世話を要するという人間の特徴から、育児期間中に母が出産で死亡するリスク(昔は相当高かったはず)を避け、妊娠出産に妨げられずに子や孫の世話ができることで結果的に多数の子孫を残せる有利さがあり、そのような特徴(遺伝子)を持つ女性が子孫を多数残した結果、人間の女性は早期に閉経する特徴を持ったと答えています。狩猟採集民族の調査事例では、閉経後の祖母世代が採集する食物は他のどの世代より多く(186〜187ページ)、年老いた女性にとっては自らが出産することよりも孫や子に食物を多く与える方が自己の遺伝子を残すために有利と評価できるということです。子どもが産めない女には価値がないと発言する保守(というよりは右翼)政治家がいますが、彼らの発想する動物レベルの次元でも、それは間違いなのだとわかります。
自然淘汰による進化が望ましい方向に働くとは限らず、それが本能だとか、動物として正しい方向性だと言えない面があります。狩猟採集社会でなぜ男性が狩猟を担当するのかについて、調査事例では、狩猟はときに大量の食物を得ることがあるが、ならしてみると空振りに終わることが多く、食物を得るという観点からは男性も女性と一緒に採集に従事した方が効率的なのに、それでも男性が狩猟をするのはなぜかという問いが立てられています。著者の回答は、狩猟で能力を示した者は女性(人妻を含む)とセックスする機会が多くなるから。つまり生存に、部族の繁栄に必要だからではなく、狩猟がうまい者は多くの女性とセックスしてそういう(狩猟がうまくセックスが好きな)遺伝子を持つ者の子が多数生まれるから狩猟がうまい男性が相対的に増えていくということ。う〜ん (-_-;)
この本のメインテーマからは少し外れますが、私自身が驚いたのは、人間でも多くの動物でも、男性にも授乳能力はある、というか少なくとも何世代かの変異で授乳可能な身体となる形質を備えているという話です。現状でも乳首に機械的な刺激を与え続けると乳汁を分泌する例はあり、飢餓からの回復の際には自然に乳汁分泌が起こることがあるそうです(81〜83ページ)。女性が授乳する/男性は授乳できないというのも、自然の摂理ともいいきれないのですね。
さまざまな点で、人間のあり方を考えさせてくれる本です。もちろん、動物として、種としての人間の性と、現代社会の中でのあり方とを短絡的に結びつけることには多大な疑問があることを前提としてですが、動物としての特性についても、従来言われていたのとは違う観点を提供してくれるところに、強い関心を持ちました。
05.検事失格 市川寛 新潮文庫
佐賀市農協背任事件の主任検事として取調中に「ふざけんな、この野郎!ぶっ殺すぞ、お前!」と怒鳴り、それを法廷で証言して検察官を辞職した著者が、司法修習生時代から検事辞職後弁護士となった執筆時までを綴ったノンフィクション。
学生時代に犯罪学のゼミを取り、ダイバージョン(不起訴、執行猶予等により犯罪者の早期の社会復帰を図ること)を実践したいという意思を持って検察官になった著者が、検察庁で自白と取れ(割れ)、逮捕した以上は起訴しろ(立てろ)と上司から激しく叱咤され、変貌していく過程が一番の読みどころです。
司法修習生のとき、裁判所は左翼(青法協)を採用しないが、検察庁は洗脳する自信があるから採用するとうそぶいていた検事がいましたが、なるほどなぁという感じがします。
もっとも、私の司法修習生時代、「弱気の検察、強気の刑裁」といわれ、検察官は100%有罪にする自信がないと起訴しないともいわれていたのですが、この本を読むと実情はだいぶ違うようです。
同時に、組織、特に官僚組織や大企業では、組織のメンツ最優先で個人の良心が踏みつぶされ、良心を持っていた個人もすり切れ感情が鈍麻していく話をよく聞きますが、この本でもその典型例を読むことができます。検察庁というところは、割と野武士のような人がいて見識が示される場面もあると、私は期待しているところがあり、そういう部分に少し安堵していたのですが…
04.逆転力 ピンチを待て 指原莉乃 講談社AKB新書
AKB総選挙で2013年と2015年に1位に輝いた著者のエッセイ。
大分では自信があったが東京に出て来て自分は正統派のアイドルにはなれないと悟った著者が、与えられたキャラを受け入れ、悪役であれ話題になればいい、ピンチを活かし、気持ちの切替でこなしていくというような考えでここまでやれてきたというようなことを語っています。
小5のときから2ちゃんねらーだったというエピソード、大分から東京へ出て来たときのギャップ、研修生時代の元彼に週刊文春に売られた事件などのエピソードを材料に、それなりに読ませるように書かれていますが、逆転に持っていくのに無理もあり、アイドルの処世術的に読んだ方がいいかなと思います。
「意見は伝えるけど、すぐ折れる」その方が後々得だから(113〜115ページ)というのも、自分で計算高いだけといっていますが、人生論としても含蓄があるように思います。
この本、図書館で「AKB新書」なんてあるんだと驚いて手に取ったのですが、読んでる最中にフジテレビの「日本のダイモンダイ」とかいう生放送番組(2015年11月8日)で「安全保障関連法が成立して、まもなく2か月/Aこの国際情勢では、成立して良かった。B廃止すべき。」といういかにもAに誘導したフジテレビらしい2択の質問に、ゲスト出演していた指原莉乃が、松阪桃李、長嶋一茂らとともに「B」と回答(視聴者回答でも65.7%がBの「廃止すべき」だったそうですが)したという情報が流れ、見直しました。本人は、それが大騒ぎになってすぐに、「あー難しかった!知識のない指原には難しい質問がたくさん。自分の意見がなく、国民の意見はこうなんだろうなっていう多数派のほうにボタン押した問題も正直あって、改めて自分って何も知らないなって思った。たくさんテレビ見よう 」と tweet して火消しに走っていました。これも「すぐ折れる」「へたれキャラ」の実践なんでしょうね。したたかなんだと、さらに見直しておきましょう。
03.クチコミ販促35のスイッチ 眞喜屋実行 同文館出版
顧客にクチコミをしてもらうように仕掛けるための提案をするビジネス書。
人はブログやSNSで、基本的に自分のことを話し、自分のことを認めて欲しい/知って欲しい、褒めてもらいたい、共感してもらいたい、そして他人のために役立ちたい(役立つことをしている自分を褒められたい)という欲求で動いている(36〜39ページ)という認識を元に、顧客がクチコミしたくなるような仕掛けをしようというのが、この本のコンセプトになっています。
その観点からブログ等にアップしたくなるような写真を撮らせる、捨てにくいようなプレゼントを持たせる、自分は特別/特別に優遇されているという意識を持たせるための販促活動が紹介されています。
ビジネス書ってたいていそうですが、核になるコンセプトはあるものの具体例はページを埋めるために水増しして並べてる感があって、最初は興味を持って読めますが、読み進むうちに失速感を持ちます。
テーマに関係ないことですが、124ページに著者がかかわっている店(焼き鳥屋)のかわら版が掲載されています。縮小で掲載されているので字がとても小さいのですが、電車の中で読んでいて、その目が痛くなりそうな小さな字が全部読めました。私は近眼でメガネ・コンタクトなしですので、5mも離れていたら人の顔が判別できません(そもそも人の顔を覚えること自体も苦手なんですが)。映画も、基本、前から3列目くらいの席で見てます。それより後ろだと字幕が読めなくて。という状況なんですが、老眼はまだ来てなくて、手元ならかなり小さい字も読めます。それで本や書類を読んだり、パソコンを操作するのには何ら不自由していません(だからメガネ・コンタクトなしなんですが)。と、こんなに小さな字も読めるぞと、ここでこの本を手に取らないとわからないようなことを「クチコミ」してしまいます。あ、やっぱり自分のことを書きたがる読者にクチコミさせたと、著者の掌?
02.最速でおしゃれに見せる方法 MB 扶桑社
「男の」「街着で」「無駄に金をかけずに「着こなしで」おしゃれに見せる方法について、著者の持論を展開した本。
エッセンスだけ抽出すると、「ドレス」と「カジュアル」の比率を7:3で考える、基本は「ドレス寄り」が無難、ボトムスは印象を整えるのでまずボトムスを考える、ボトムスは暗色で細身が安全、ユニクロの黒のスキニーが最強、シューズはシンプルで目立たないように、足首を見せるときは靴下は「絶対」見せない(靴よりローカットのベリーショートの靴下愛用って)、インナーは丈を長めにして腰(ベルトライン)を見せない(腰の場所がわからないと脚が長い印象になる)、インナーと上着はインナーの方を長くするくらい、手先・足先をスッキリさせる、ボトムスの足先にしわ(クッション)をつくらない、それくらいならロールアップする(まくり上げる)、スッキリしたシルエットを意識する、色はモノトーン+せいぜい一色というようなところ。う〜ん、納得できるところもありますが、ベリーショートの靴下と、上着よりインナーを長めにというのは、かなり抵抗がある。
無駄に金をかけないということを意識して、ユニクロの回し者かと思うくらい、ユニクロのお勧めが多い。同時に数万円のニットやジャケット、数十万円の時計なんかも勧めていますけど。
著者が「センス」「感覚」ではなくロジックで書いているので、読んでいてなるほどと思うところは多々あり、一読の価値ありと思います。
ただ、著者には悪いけど、著者の写真での着こなし例がたくさん出ているのですが、それが、まぁセンスが悪いとは思わないけど、「おしゃれ〜」とも感じられなくて、よし実践しようという強いモチベーションが出て来ないんですよね。
01.天空の蜂 東野圭吾 講談社文庫
原発テロをテーマにしたサスペンス小説。
映画を見て、今ひとつ犯人の動機がピンとこないので原作を読んでみました。
錦重工業(こと三菱重工)が防衛庁に納品する初めてのフライバイワイヤ(操縦者の操作を機械的にではなく電気信号に変えて機器に伝達する)方式の超大型ヘリ「ビッグB」を遠隔操作で乗っ取った「天空の蜂」を名乗る犯人が、ビッグBを敦賀市にある高速増殖原型炉「新陽」(こともんじゅ)上空でホバリング状態にし、政府に対して全国の原発を使用不能にする(沸騰水型原発は再循環ポンプを、加圧水型原発は蒸気発生器を破壊する)ことを要求し、錦重工側では航空機事業本部の開発担当者がヘリの墜落阻止に向けて思案を重ね、新陽と政府側では犯人の裏をかく方策をもくろみ、警察は犯人捜しに奔走するというストーリーです。
小説の1ページ目に犯人の名前は「ハチダ」と記載され、おやおやと思っていたら、その後「ハチダ」は犯人間で決めた符丁だとされて、やはり犯人は最後に明らかにされるのだなと思ったら、全体の3割足らずのところで唐突に犯人が明かされます。そこからは、読者の関心は、まぁもう一人の犯人の正体の問題はありますが、基本的には、犯行の動機と結末がどうなるかに絞られていきます。
しかし、犯行の動機については、今ひとつピンときません。犯人2人とも、特に元自衛官の方に至っては、どうして犯行に至ったのかほとんどわからないという状態です。説明されている犯行の動機は、結局のところ、国民が原発について無関心でいることへの警告ということになっています。しかし、それについてさえ、犯人が、そしてエンジニア出身の作者も、原発の安全性を信頼するスタンスのため、犯人が希望する通りに展開した場合でも、超大型ヘリが墜落しても原子炉は安全、使用済み燃料プールに爆発物が落下した場合を考えると防護が弱いという結論になります。そうなると、予想される展開としては、「新陽」に超大型ヘリが墜落しても原子炉は破壊されず安全は確保されたということで政府は安全性を大宣伝、国民は原発の安全性への信頼を強めて原発反対運動は後退、ただテロの防護のため自衛隊を増強しろというだけになりそうです。そういう方向性を犯人と作者は希望しているのでしょうか。そうなるであろう日本の政府と原発推進勢力の、そしてマスコミと世論への不信を読者が読むことを作者が期待しているとすれば、やや期待しすぎに思えますが。
この小説が出版された1995年11月の翌月にはもんじゅでナトリウム漏洩、火災事故が発生しました。もんじゅの安全性を主張したこの作品を誤りと見るべきか、この作品でもナトリウム火災は覚悟しているが大火災にはならないと説明している(389ページ)ので想定の範囲内とみるべきか、評価が分かれるところでしょう。
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