庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2015年12月

04.みのもんたにならないための危機管理マニュアル 長谷川裕雅 サイゾー
 芸能人の事件・スキャンダルを材料に、対処の仕方を、法的な観点及び世間の評価を落とさないという観点から述べた本。
 「はじめに」で「合法・違法に注意しているだけでは不十分で、当不当を問題にしなければなりませんが、それに対応できる専門家は今までにいませんでした」(2ページ)と書かれていて、まぁそうではありますが、大見得を切ったものだと思います。著者は2005年10月登録(58期)の出版時点で経験9年の弁護士で、プロフィールによれば朝日新聞記者から「当事者と一緒に悩む立場に身を置きたい」として弁護士に転進し、大手渉外法律事務所や外資法律事務所を経て独立したそうです。弁護士になって大手渉外事務所や外資系の事務所に所属したことからすればもっぱら大企業の「当事者」と一緒に悩みたかったようですが、プロフィールにも芸能人の事件の経歴は書かれていません。
 この本の売りとなるべき「当不当」部分については、著者の助言は書かれていますが、専門家だからという意見というよりは世間の常識やバッシングしたがる連中の傾向を考えて基本的に保守的に慎重にという世間話感覚にとどまるように思えます。
 ワイドショーを見ない(近年はそもそもテレビを見ない)私には、まぁ芸能人の事件・スキャンダルがずいぶんとあるものだという点で勉強になりましたが。
 著者は、記者会見をするときに、弁護士の同席を繰り返し勧めています(181ページ、191ページ、193ページ)。「発言によってさらなる法的な問題を起こさないようにフォローできます」(181ページ)はそうだと思いますが、「法曹資格を持った法律家という信頼感を得ている弁護士が隣にいるだけで、本人の発言は信頼性を増すものです」(193ページ)はどうでしょう。同業者として、世間がもしそのように見てくれるのなら幸せですが、むしろ弁護士が同席すると何か悪いことをしたのではないか後ろ暗いところがあるんじゃないかとか、自分1人では説明できない、正しいことをしているという自信がないのではないかという見方をされるリスクの方が高いのではないか、と私は思ってしまいます。
 スキャンダルで自分に分が悪いときでも、とにかく早く裁判を起こすことで自分の方が正しいような印象を与えることができる、裁判中なのでコメントできないとして対外的に具体的な説明を回避できる、敗訴必至でも長引かせればそのうち世間は忘れる、どんな不利な内容でも和解に持ち込んで和解の守秘義務条項があるから内容は言えないと言えば実質敗訴もばれないという趣旨のアドバイスをしています(214〜219ページ)。そういうことも可能ではありますが、それは裁判という手段を正しく用いているとはとても考えられません。裁判所からそういう目的が見えたら、当然に裁判の進行はその当事者に圧倒的に不利になります。弁護士が堂々とそういうアドバイスをすることには、私は違和感があります。

03.ここは私たちのいない場所 白石一文 新潮社
 50前後にして食品メーカーの常務に上り詰めていた芹澤が、部下の不祥事の処分の軽減をその妻珠美から求められて性関係を持ったことを契機に退職して、珠美との交際を続けながらぶらぶらと人生を考え、独身を通してきた人生を考え直すという小説。
 東日本大震災後に流行った人との絆を求める作品群と同じ志向かなと思います。さすがに今さらそういう書き方もできないので、東日本大震災は描いてませんが、「こんなに揺れたのは、東北の大震災以来だ」なんていう地震も登場します(69ページ)し。学生のとき映画作りに邁進しながら医師になり50歳にして癌で死んだ親友、会社人間で出世してブラジルの関連会社の社長として海外出向中にヘリの事故で九死に一生を得て家族のために生きようと考え直す元仲間のエピソードを配することで、独身を貫きいつでも自分を差し出せる覚悟で仕事をしてきたからこそ出世できたと自負する芹澤の変化を引き出そうという趣向です。
 しかし、その芹澤の人生観の形成に関しては、5歳の時に2歳年下の妹を亡くし、その時に「我が身の不運と力不足と両親への不信と祖母への怒りと、そして何よりも人間の死の理不尽さを痛切に感得した」「あのとき、私は、一足飛びにおとなになったのだと思う」という芹澤が、その後「この妹の死によって、もう二度と元に戻れなくなるだろう」と考え、私たちのいる世界を「子供のいない世界」=「子供の感情がわからなくなった人間たちがいる世界」と捉えていると紹介しながら、それが芹澤の一連の行動とはあまり結びつかず、小説の冒頭とラストでしかめつらしく観念されているだけなのが、何だかなぁと思えました。
 芹澤と珠美の、1回Hしちゃったけど、その後はHしないままデートを重ねる関係というのも、ちょっといい感じにも思えますが、それが珠美自身が芹澤の元部下で、やはり芹澤の元部下の小堺の妻という設定では、小堺が2人の関係を知りつつも芹澤に感謝の意を表していると言われても/そう言われるとなおさらいやらしく感じるところもあり、あんまり爽やかには受け止めにくいところです。
 冒頭の、小堺の不祥事。小堺が、勤務先の女性と不倫の関係を持ち、それに嫉妬したその女性の元夫が小堺が女性宅に置き忘れたノートパソコンから会社保有の顧客の個人情報を盗み出して流出させたというものですが、これに対して芹澤が考えた処分が懲戒解雇というのは、労働側の弁護士としては驚きです。主人公の常務の芹澤は懲戒解雇が当然と考え、「温情派でならす副社長」が降格を主張し、中を取って諭旨解雇(自主退職の形式を取る懲戒処分。退職金は支払うのが通例)にしたという設定ですが、従業員が意図的に顧客情報を漏洩したのならともかく、単にノートパソコンを置き忘れたレベルのミスで、その後会社に対して取り繕うためにノートパソコンを紛失した旨の虚偽報告をしたという点を併せても、懲戒解雇はもちろん、諭旨解雇だって無理だと思います。裁判になれば、会社側の敗訴は必至。経営者側では、それがわかっていても、裁判までする労働者はほとんどいないからやり得と考える者もいれば、会社側のこのレベルの感覚が正しいと思い込んでいる者もいます。経営者や世間一般の感覚がこのレベルでは、労働側弁護士には楽勝ですが、こういう本来無茶な理由での解雇が横行する中で、日本の裁判所の解雇基準は厳しすぎるなんて言う輩がいるから困りものです。

02.死にたくなったら電話して 李龍徳 河出書房新社
 居酒屋でアルバイトをする三浪生徳山が、バイト先の先輩に連れられて行ったキャバクラのキャバ嬢初美に言い寄られて同棲し、放蕩な性生活を続けながら周囲との関係を断ち切り2人して涸れていく様子を描いた小説。
 序盤での初美の残虐物語嗜好の性的趣味、中盤でのネットワークビジネス幹部との対決、終盤のバイト先の先輩片岡の長メールと徳山への好意、タイトルの「死にたくなったら電話して」いずれもが、作者が描きたかったパーツであり見せ場なのだとは思いますが、これが全体とのつながりを持たず、浮いている印象です。連載で書いているうちに気持ちと構想がずれて行ったというのならわかりますが、一気に掲載された作品としては、まとまりのなさ、物語の行方と構想の頼りなさを感じます。
 序盤で、圧倒的な教養・博学と経済力、心理的自立性を感じさせる初美に対して、イケメンでモテるが中身のなさと主体性のなさが際立つ徳山が、相手が女性であること、あるいはキャバ嬢であることから低く見ている様子が、不愉快に感じられ、それが最後まで尾を引きました。率直に言って、徳山がなぜ人間としてのレベルの違いを痛感し、初美に畏れなり敗北感を持たないのか、薄っぺらな徳山になぜ初美が、全てを捨ててもいいなどと従属的な意識で接するのか、まったく理解できませんでした。イケメンの前には女なぞひれ伏すものだという意識なのでしょうか。
 そして、初美を博学で度胸がある女と描きながら、その初美の内面を描くことなく、徳山の/男の視点/外面だけを捉えた視点から、最後まで「不思議ちゃん」レベルでしか捉えられずに終わるのも、キャラ設定としてもったいない思いが残ります。
 ほとんど内面的な魅力を感じられない、無内容な主人公の視点から、美貌で性的に奔放な嗜好の知的で教養と経済力を持つ女性が、一方的に自分を好きになり慕い従属を誓っている様子を描くという、男性作者/男性読者の自己満足的な傾向が顕著な(でも、「イケメンに限る」なので、通常の男性読者が素直に浸れるかは疑問がある)作品に思えました。

01.チア男子! 朝井リョウ 集英社文庫
 男子だけのチアリーディングチームのスポーツ根性もの青春小説。
 柔道の強豪の姉坂東晴子を応援することが生き甲斐だったが負傷と自らの才能の限界を感じて柔道をやめる坂東晴希と、幼い頃から晴希のライバルで亡くなった母がチアリーダーをしていてそれを思い出す寝たきりの祖母の看病に疲れる一馬の呼びかけで、チアリーディングチームに集まった最初は7人、後に16人のメンバーのキャラと背景設定で読ませています。
 しかし、7人の頃までは、キャラの設定の工夫で読み応えがありますが、16人になるとついて行けなくなるというか、ポケモンが次々新たに登場するような感じになりますし、学園祭での舞台は、急造のチームが苦心惨憺して形にいていく青春グラフィティとして読めても、そのまま全国大会まで突っ走るのは、いくら経験者を参入させ、トップチームのコーチが付いてくれたという設定でも、無理を感じるし、特訓の描写があっても慌ただしさが気になります。私たちおじさん世代でいえば、「あしたのジョー」で力石戦後、またはカーロス・リベラ戦後に急速に強くなり世界の頂点に挑むまでに突っ走る展開に快感を感じられるか違和感を持つかというあたりの感覚の違いがあるんだろうと思います。私は、この作品については、7人での学園祭までにした方がよかったんじゃないかと思いました。
 主役(語り手)に据えた晴希の姉への思いが、鬱々と続きながら、最後まで引っ張るのも、何だかなぁと思い、やっぱり学園祭くらいのところで、晴子との和解、晴子の立ち直りがないと、読んでいてしんどい/悲しいなと思いましたし。

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