庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2016年2月

13.労働法実務解説7 安全衛生・労働災害 佐久間大輔 旬報社
 日本労働弁護団の中心メンバーによる労働法・労働事件の実務解説書シリーズの労働安全衛生法と労災関係の部分。
 2008年に刊行された「問題解決労働法」シリーズの改訂版です。
 第1章の「安全衛生」は、労働安全衛生法の規制の解説で、ふだんあんまり勉強しないところですし、特に5の「健康保持増進措置」や6の「労働者の危険防止措置、健康障害防止措置、職場環境措置その他の措置」についての説明はとても勉強になりましたが、記述が法律の解説書にありがちな条文の内容の列挙に近く、読むのがやや辛い思いでした。第2章以下の労災に関しては、実務上参考になる点が多く、特に各種の労災についての使用者の安全配慮義務の内容と根拠を解説する「具体的な事案における使用者の義務」(82〜89ページ)、労災の要件の1つの「業務遂行性」についての説明(109〜116ページ)などは大変参考になりました。
 もっとも、業務遂行性に関する記述で出張中に「飲酒によって泥酔状態となって宿泊先の階段から転落して負傷した場合には、出張の際の宿泊に通常伴う範囲の行動とはいえず業務外と判断される(昭53.10.31裁決)」(112ページ)とされていることについては、大分労基署長(大分放送)事件の判決では業務遂行性が認められていることを紹介すべきだと思いますし、精神障害悪化の業務起因性について「特別な出来事」に該当する事実を要求する労災認定実務(行政の運用)を紹介しているところ(163ページ)では、行政訴訟で国・八王子労基署長(東和フードサービス)事件の判決で行政の不支給決定を覆す判断がなされていることや使用者を被告とする民事訴訟で精神病悪化の事案で「特別な出来事」を要せずに業務起因性(相当因果関係)を認める判決がいくつかあることも紹介すべきだと思います。
 元方事業者・特定元方事業者の定義が書かれるべき33ページの注2、労災の療養補償給付の定義または内容が書かれるべき126ページの注1が欠落しています(参照先に該当する記載がありません)。39ページ16行目の「次の@からCまで」は「上の」または「前述の」の誤り、100ページ14行目の「@〜Fの合計額」は「C〜Jの合計額」の誤り、陸上自衛隊三三一会計隊事件最高裁判決の引用(77ページ)の「従前ならしめて」は「十全ならしめて」の誤りです。

12.ビジネススーツを格上げする60のルール 宮崎俊一 講談社
 松屋銀座の紳士服バイヤーが、ビジネススーツに合わせるベルト、靴、コート、バッグ、時計等の「小物」の選び方、カラーコーディネート等について説明する本。
 著者のお薦めアイテムは、コートでは10万円以下ならお手頃、時計も10万円台あたりで、私には縁も関心もない領域ですので、基本的にパスしてしまいます。アイロンがしっかりかかった白いハンカチを2枚持ちましょうなんていうお金のかからない提案もありますが、それはそれで手間が…。それと、著者自身がモデルになった着こなしの写真がいくつか掲載されているのですが、悪いけど、これがあまり魅力的に見えない。
 NGの方では、くるぶし丈のスポーツソックス(スーツにそんなのはく人いるのか?)、スポーツウォッチ、ブランドロゴのバックル付ベルト、リュック、とんがり紳士靴、見えるところに刺繍されたシャツのネーム、デザインシャツが挙げられています。
 私は、スポーツソックスは近年愛用しています。紳士用の薄い靴下、いまひとつはき心地がよくなくて。さすがに「くるぶし丈」とか白ははきませんけど。ベルトはロゴ入りのバックルがついてますねぇ。控えめなデザインですけど…。リュックは愛用してます。書類を入れたカバンを手で持つのがしんどいしカートは避けたいので。やはりこの本に書かれていることの実践は難しそう。

11.交渉は創造である ハーバードビジネススクール特別講義 マイケル・ウィーラー 文藝春秋
 ビジネスの世界に「ウィン・ウィン交渉」という新たな視点を提示した30年前の交渉術の教科書「ハーバード流交渉術」以後の交渉術の研究成果について、「その基本的枠組は、双方の利害、選択肢、置かれた状況、関係は不変であるという暗黙の前提に依拠している」(22〜24ページ)とし、現実の交渉ではそれらの要素は流動的ではっきりしないことを指摘し、交渉で成果を出すためには、カオスを受け入れ、臨機応変に、学ぶ、変わる、変えるのサイクルを速いペースで回して行くことが重要だと指摘する本。
 交渉の場面では、交渉の進展によって、あるいはそれと関係なく時間の経過によって、前提となる条件や双方の利害、感情、判断が変わっていくということは、現実に交渉をしている者にとっては(私たちのような仕事をしている者にとっては)、経験上当然のことで、それ自体は目新しい指摘ではありません。そういうことを新発見のように言うことは、実務を知らない「学者さん」ならでは、とさえ思えます。そうは言っても、実務側では、経験知として持つものを学者の手で言語化・理論化して整理して論述してもらえることは、もやもやとした慣習や本能的な行動を意識化してより論理的に考え準備することにつながり、有益です。その意味で、この本の眼目は、動的・流動的な要素を論述し整理する第二部以降(第4講以降、111ページ以降)にあるはずなのですが、今ひとつきちんと整理されていないというか、具体例の体系的な記述にならずに、抽象的な指摘と一部具体例の無秩序な列挙にとどまっている感じがします。
 私には、むしろ従来の交渉術の整理段階の第一部、特に第2講あたりでの、交渉のベースラインの設定のための「基準となる合意内容」を考える段階でのBATNA(交渉が決裂した場合にとれるベストな行動: best alternative to a negotiated agreement )の検討に加え、基準となる合意内容に比べてある面では優れある面では劣るが総合的には同等だという代替案を検討する、それらについてどのような修正が必要になりそうかを検討するという準備の必要性(65〜70ページ)、それを相手方についても予測し検討する、それ以外に外部的な制約要素とその変化の可能性を検討するという「交渉の三角形」という議論が有益に思えました。「三角形」という比喩が適切か、また外部的な制約として挙げられている例が適切かについては疑問はありますが、検討すべき事項の視野を拡げるために意識しておきたいところです。「敵を知り、己を知り、それだけじゃなくてさらに戦場も知れば、百戦危うからず」と言われている感じですが。
 弁護士の立場からは、視野が狭くて状況を自己に有利に誤認(妄想)して無謀な条件提示に固執したり決断力に欠け優柔不断だったりする依頼者という足枷を、交渉の制約要素として研究し、その対策を示してくれるとさらに有益な本になると思うのですが。

10.ウェブニュース一億総バカ時代 三田ゾーマ 双葉新書
 ウェブニュース(Yahoo!ニュースなど)の収益構造とその記事制作の過程でのスポンサーとの癒着(記事の広告化)について報告した本。
 ただで読めるウェブニュースは、広告収入で成り立っているわけですが、ウェブ上の広告のクリック率はかなり低く、しかもウェブ上の広告のクリックの大半がボットによるものという状態で、表示(インプレッション)数が保証されても、さらにはクリック数に応じた広告料だとしても、広告効果は低くて広告主は割が合わず、他方購入につながった数に応じた広告料支払(アフィリエイトのような)だと媒体側がとても持たないというウェブ広告の実情(82〜97ページ)から、閲覧者に広告とわからない広告(要するに騙し)のニーズが強くなり、記事に見せかけた広告(タイアップ広告)やさらには広告主の意向に合わせた記事(パブ記事)が蔓延しているというのが、この本の骨子となります。
 率直に言って、ウェブニュースだけじゃなくて、雑誌・週刊誌や夕刊紙、さらに言えばテレビや新聞でも、明らかな提灯記事は蔓延しています(広告というのとは趣旨は違うけど、サンケイ新聞や読売新聞の政治記事なんて安倍晋三の提灯記事ばかりと言ってよい昨今 (-_-;)。記者と記事の中立性とか客観性なんて幻想と思える現代(まぁ戦前戦中の新聞も「大本営発表」のみならず積極的に戦争を煽る記事が多かったわけで、今も昔もというべきなんでしょう)では、メディアというものはそういうものと捉えた上でつきあうべきものと思います。そういう意味で、広告主の意向が反映していることは、ある程度予測できますが、イベントに行ってもいないのにさも取材に行ったかのような記事(161〜162ページ)というのになると、のけぞってしまいます。こうなると、誇張・脚色のレベルではなく全くの嘘・でっち上げで、もう人間としての最低限の良心もないということですね。ネット上の情報では、何者かわからない個人だけじゃなくて、大企業の名前を冠したウェブニュースでもそのレベルのものが横行していると見ておく必要があるのですね。認識を改めました。取材をしたという記事でも、今ひとつ具体性や臨場感がない(もともと読むに値しない程度の情報量)ものも散見されますが、そういう記事は、そういうものと評価しておくべきでしょうか。
 ウェブニュースに限りませんが、記事が細かく分割され、最初のページではリードだけで「続きを読む」をクリックして本文が表示されたり、何ページもに分けてあるものをよく見ます。私は、例えば私のサイトのように、1つのテーマで延々と書いていると(特に携帯で読む場合など)スクロールの手間がかかり、また長いものを読むのがめんどうなのでアクセントを入れるためにも、つまり閲覧者の便宜を考えて分割しているものと思い、あぁ私のサイトもそういうふうにした方がいいのかなぁと反省したりしていました。しかし、これは単にページビューを稼ぐための技巧(分割すれば、1つの記事でページビューを何倍も稼げる)なのだそうです(58〜63ページ)。ニュースサイトなどのサイトのランクや広告掲載料はページビューで評価されるわけで、それを水増しするために、こういう手法が使われるのですね。なんだか悲しい。
 著者は匿名の「都内の某ニュースサイトで働いて5年目の“中の人”」。メディアリテラシーを考えるこういう本の趣旨からすると、この著者が本当にウェブニュースのインサイダーかどうかも、信じるかどうかは読者次第というべきところですが。(こう言っては何ですが、本当のインサイダーじゃなきゃ書けないというほどのディープな内容というわけでもないですし)

08.09.司法取引 上下 ジョン・グリシャム 新潮文庫
 筋の悪い依頼者に利用されて一方的な送金を受けたことを資金洗浄(マネー・ロンダリング)として起訴されて有罪となり10年の懲役刑を科された元弁護士が、迷宮入り濃厚の連邦判事殺害事件の犯人を知っているとしてFBIに減刑と証人保護プログラムの適用を求める司法取引を持ちかけるという設定のリーガル・サスペンス小説。
 テーマは、無実の者を有罪にして恥じず、自己の虚栄心と保身を優先し、さらには権力と巨大企業にすり寄り利益を得る司法権力の不正義に対する復讐にあり、司法界を描きながら、弁護士サイドの問題点への自己批判というか自虐的・揶揄的な描写は見られず、グリシャム作品にしてはかなりストレートな司法権力批判になっています。
 ミステリーとしては、破綻しないようにそれなりに注意深く書かれていますが、ストーリーはあれこれ展開するものの、ネタというか核になる部分は割と一直線な感じがして、ラストにひとひねり欲しいなという思いが残りました。
 主人公が思いを寄せ、出獄後思いを遂げるヴァネッサとの関係が、読者にも楽しくまたキーポイントになるのですが、このヴァネッサをめぐる初期の記述は、作者自身周到な注意を用いていることはわかりますが、それでもあまりフェアではない気がしました。
 電卓は必要ではないシリア人の金地金取引業者ハッサンが、1オンスあたり1220ドル(下巻235ページ)の価格で購入する1本10オンスの金の延べ棒5本(5本であることは下巻235ページに加えて下巻303ページでも再確認されています)に12万2000ドル支払う(下巻242ページ)というのは、グリシャムの計算力の衰えでしょうか(仮にそうだとして、翻訳者は気づかないのか)。

07.労働法実務解説2 賃金 小川英郎 旬報社
 日本労働弁護団の中心メンバーによる労働法・労働事件の実務解説書シリーズの「賃金」関係の部分。
 2008年に刊行された「問題解決労働法」シリーズの改訂版です。
 賃金に関する様々な問題について、通達と判例を丁寧に紹介し、判例の判示文言にとらわれずに実務的な判断基準を示していたり、判例や通達上労働者側の主張が認められていない領域ではいくつかこういう主張が認められるべきだという意見を付けていて、労働側の弁護士にはとても参考になります。
 ふだんあまり検討しない最低賃金法とか、変形労働時間制と時間外労働などは、勉強になりましたし、退職金の没収・減額の判例の整理の仕方も参考になりました。他方、裁判でよく争われる残業代請求についてはもう少し詳しい解説が欲しかったと思いますし、降格関係ももう少し踏み込んで欲しかったなと思います(降格関係は、たぶん誰もうまく書けなくて、読んでストンと落ちるきれいな分類・解説は、いまだに見たことがないのですが)。
 給料の差押え禁止額の上限を「4分の3または21万円のいずれか低い額」(55ページ)としているのは、「4分の3または33万円のいずれか低い額」の誤り。21万円は、2004年の法改正前の規定です。労働者の自家用車を社用に用いたときのガソリン代支給が実費弁償でなく賃金だということで引用している「昭26.2.10基収6212号」(17ページ)は、「昭28.2.10」の誤り(すぐその上では正しく「昭28.2.10」で引用されています)。他にも誤植、脱字の類が多い感じなのは残念です。

06.眺めのいい部屋売ります ジル・シメント 小学館文庫
 老夫婦が45年間住み続けたマンハッタン島南西部のイースト・ヴィレッジのエレベーターのない5階の部屋を売却してエレベーターのある部屋に移り住もうとしたところ、ペットの老犬が椎間板破裂で入院し、近隣でテロ騒動が起こってテレビはその話題で持ちきりになり不動産価格が暴落し、夫婦は売る側でも買う側でもてんてこ舞いするという展開の小説。
 2009年の作品が映画化に合わせて翻訳されて日本で文庫版で発売されたものです。
 子どもがいない老夫婦がペットの犬に示す愛情と負傷入院への焦燥感、若い頃社会主義を信奉し、非米活動委員会の査問にも節を曲げず、国語教師として、正しさ・正義を大切に生きてきた妻ルースの、自宅売却で策略を弄したこと、自己の利益を優先することへの罪悪感・自己嫌悪といったことがテーマになっています。
 老いた者たちが、誰かの世話になるというのではなく、日常と降りかかる問題に、主体的に取り組み、夫婦で助け合い支え合う姿が、淡々と、またコミカルに描かれているところが爽やかに思えます。

05.プレゼンテーションzen [第2版] ガー・レイノルズ 丸善出版
 テキストで溢れたパワーポイントのスライドを読み上げる現在の日本で「標準的な」退屈で記憶に残らず刺激もない非効果的なプレゼンやスピーチから脱却するためのプレゼンテーションに対する考え方、方法論を述べた本。
 準備段階についての指摘では、このプレゼンの究極的なメッセージは何か、「もしたった一つのことしか聴衆の記憶に残らないとしたら(それでも、覚えてもらえるだけラッキーである)それは何であって欲しいか?」(73ページ)、そしてそのメッセージはなぜ(聴衆にとって)重要なのかをよく考えるべきということが、とても重要に思えました。
 本論の部分ではないかも知れませんが、スライドと自分用のプレゼンメモの他に、きちんとした配付資料を作成し、詳細を知りたい人にはその配付資料を後で読んでもらうことにし、スライド自体はあくまでもプレゼンを効果的にするための道具に過ぎず、スライドだけでは意味をなさないものとなるはず(スライドだけでプレゼン内容がわかるならプレゼンターはいらない!)だから配布しないようにすべきという指摘(78〜82ページ)、20秒毎にスライドが自動的に進み20枚合計6分40秒で強制終了する「ペチャクチャ」を紹介し「7分以内で話の本質を語ることができない場合は、そもそもプレゼンテーションなどすべきではないのかもしれない」とする指摘(51ページ)は、なるほどと思います。
 スライドの作成段階のアドバイスでは、徹底的に無駄な情報をカットしてシンプルにすることに関しては、私などはオリジナルの図表を加工することに躊躇してしまいがちですが、聴衆へのアピールを第一に考えればその通りだと思います。顔とテキストを組み合わせるときはテキストを顔の視線の先に置け(183〜185ページ)とか、注目を集めたいものは画面の3×3分割線(グリッド)の交点に置け(189〜191ページ)いうのも実践的です。スライド作成に関しては、聴衆の側で何を見たいかということを考えればいいということだろうと思います。私も、読めないような小さい字がぎっしりのスライドでの説明には、ずっと不満を持ってきましたし。
 終盤のプレゼンの実施に関する部分は、実は、ドリカムのライヴからプレゼンを学ぶという6ページ組の記事(286〜291ページ:全文引用のようです)が一番わかりやすく、それと、著者が敬愛するスティーブ・ジョブズのプレゼンについて分析した記事(301〜305ページ)に尽きている感じです。
 指摘にはもっともな点が多く、頷かされるところがとても多い本ですが、シンプルで聴衆の感情を揺さぶる短く印象的なプレゼンを推奨するこの本の趣旨からは、もっと短くシンプルに書けたのではないかなぁと思うところも多々ありました。

04.無戸籍の日本人 井戸まさえ 集英社
 離婚後300日経過前の出産のために前夫の子とされることがいやで出生届を出さず無戸籍となっている子を現在の夫との間の認知請求訴訟を経て戸籍登録させた経験からNPO法人「親子法改正研究会」、「民法772条による無戸籍児家族の会」を立ち上げて支援活動を続けてきた元衆議院議員の著者が、これまでの支援活動を通じて知った成人無戸籍者たちの境遇と生活、住民票取得、戸籍登録の試みなどを描いたノンフィクション。
 離婚ができなかったり遅れたりで実の父でない者が法律上の父とされる民法の規定のためであったり、DV夫に所在を知られることを避けるためであったり、あるいは病院に医療費を払えない(そのために出産証明書をもらえない)ためであったり、様々な事情で出生届が出されずに無戸籍となる子が相当数いるのに、戸籍・住民票がない故に行政サービスを受けられず、また身分証明がないためにまともな働き口を得られずあるいは悪辣な雇い主に弱みを握られて低劣な労働環境に身を沈める者が存在することに胸を痛め、そういう者たちの存在を知りつつ住民票や戸籍登録を拒否して追い返し行政として救済の手をさしのべようとしない役人の姿に怒りを覚えます。そういった親たちに対して、自業自得だという人々の存在にも、人間として悲しく思います。親たちの生活に問題があったとしても、少なくとも子に罪はないはずなのに。
 私自身は、仕事がら、無戸籍者たちの境遇自体よりも、「24時間無料」とホームページに記載して電話相談などを続ける(電話は深夜や明け方に多いという)著者の支援活動に、ただただ感服してしまいます。私は、プライベートの時間帯を奪われることがいやでいやで仕方なく、著者のように午前5時に電話なんかかけられたらそれだけでいやになりますし、弁護士は正義の味方なんだから自分のような被害を受けている者(まぁそう言ってくる人ほどただわがままなだけということがありがちですし)の事件は当然受けるべきだ(それもただで)とか言われると、それだけで絶対受けるものかと思いますし。運動家だからなのか、政治家だからなのか、その意欲とエネルギーは大変なものだと思いました。
 無戸籍問題自体の解決や民法改正について、著者も衆議院議員だった民主党政権時代になぜできなかったかの部分が、あまり書きたくないのかサラッと流されているところには不満を持ちますが、問題提起の本としてはよい本だと思います。

03.刑罰はどのように決まるか 市民感覚との乖離、不公平の原因 森炎 筑摩選書
 刑事裁判における自由刑(懲役)の量刑の判断について、その基準、根拠の弱さ(なさ)を論じ、裁判員裁判での量刑のあり方を論じた本。
 この本の構成は大きく3部に別れ、職業裁判官の量刑決定で伝統的に取られてきた手法を説明しつつその根拠がなく市民感覚と乖離していることなどの現状説明と問題提起をする序盤(第1章〜第4章)、ヨーロッパの刑罰論の流れを概観しつつこれまでの刑罰論が結局は量刑の基準となり得ないことを論じる中盤(第5章、第6章)、犯罪の類型別に量刑上の考慮事項を指摘する終盤(第7章〜第9章)からなっています。
 著者の狙いを善解すれば、職業裁判官が行ってきた量刑は論理的な根拠もなく事件を比較すれば矛盾が見られ市民感覚では軽すぎるのは事実であるが、刑務所での矯正は現実には期待できず長期受刑はむしろ犯罪傾向を強化する(刑務所内で犯罪者と接し犯罪の知識が増え犯罪への抵抗をなくしさらに出所後の社会適応も困難になるなどから)実情からすればむしろできるだけ刑務所に入れないことで日本の治安は維持されてきた(序盤)、また量刑の決定を支える刑罰論上の根拠は結局ない(中盤)、そうすると市民感覚を反映する場合でも、量刑相場の枠内で(舞台の上で)特定の要素について新たな判断を示して行く限度で行うのが妥当である(終盤)という論理の流れになるかと思います。しかし、序盤はそれにしては扇情的で、中盤は今ひとつ何のために論じているのかわかりにくく、終盤は実務家の感覚でよく理解できるのですが序盤の論との手法が大きく異なりまるで別人が書いたかのように思えて、1冊の本としての収まりが悪いように感じます。
 序盤で論じており、本の帯になっている「刑務所に行くのはたった2%」。検察官はよくこれを言いたがるのですが、現在弁護士であり元裁判官の著者がこれを言うときは、慎重な姿勢が欲しいと思います。16ページの表1-1での検察庁受理人員(2014年度133万2918人)に対する入所受刑者数(2014年度2万2755人)の割合(2014年度1.71%)がその論の(唯一の)根拠です。著者はこれをもって「犯罪者のうち刑務所に入れられる者が全体の2%にも満たない」(11ページ)と述べています。問題はこの「犯罪者」とはどういう人たちかです。検察統計年報の第7表(「罪名別被疑事件の受理の人員−自動車による過失致死傷等及び道路交通法等違反被疑事件を除く-」)を見れば、2014年度の受理人員総数は41万4483人です。つまり著者の(検察官がこういう議論をするときの)母数の検察庁受理人員の3分の2は、交通事故と道交法違反(30km毎時以上の速度違反等)なのです。ちなみに交通事故と道交法違反を除く検察庁受理人員の3分の1は窃盗と遺失物横領(いわゆるネコババ)です。読者が「犯罪者」と聞いて想定するのとは相当違う母集団を前提に「刑務所に行くのはたった2%」などと扇情的な主張をすることには違和感があります。私自身が調査できないので問題提起にとどめますが、この入所受刑者率の低さを日本の特色とするためには、逮捕・検挙、送検のレベルが同じであることが前提となるはずです。比較する諸外国でも、道交法違反(年間50万件レベル)や窃盗(年間13万件レベル)、遺失物横領(年間1〜2万件レベル)、暴行(被害者が負傷していないもの:年間1〜2万件レベル)、覚醒剤所持・自己使用(年間1〜2万件レベル)、廃棄物処理法違反(廃棄物不法投棄等:年間1万件レベル)などが同様に送検されているのでしょうか。もし(先に述べたように私は調査できないのでわかりませんが)そうでないのであれば、日本の司法が「寛刑」なのではなく、むしろ微罪までうるさく検挙していると評価される可能性も出て来ます。
 また職業裁判官の量刑感覚として、被害者1人の殺人が昔は懲役8年という紹介がなされています(14ページ)。これは、私が司法修習をした頃(1983〜1985年)にはよく言われていたことですから、それ自体はいいと思いますが、そこで想定されていたことは、日本社会では、人はよほどのことがないと人を殺さない、殺人事件の多くは人間関係のもつれで被害者の言動が何らかの形で影響しているのが通例、つまりそれを「被害者の落ち度」と呼ぶかどうかは別としても被害者側にまったく原因がない殺人はあまりないという前提があったためです(著者も終盤の第7章では、日本の殺人罪の実情がそうであることを統計を用いて説明しています)。その頃でも、被害者側に原因がない、強盗殺人とか、身代金誘拐殺人とか、保険金殺人とかは被害者1人でも死刑が多かったし、通り魔殺人の場合に「懲役8年が相場」なんていうことはありませんでした。現在の読者は、現実には殺人事件などの凶悪事件が減少の一途をたどっているのに猟奇的・扇情的な事件を探して微に入り細をうがって「報道」したがる血に飢えたマスコミのおかげで、日本の治安はどんどん悪化していると考えており、また殺人事件とは通り魔殺人や保険金殺人のようなものをまず想定すると思います。そこへそういう事情を説明せずに(先に指摘したように、終盤で論じるときにはそういう説明をしているのですが…)職業裁判官は「寛刑」の傾向にあるなどと論じるのはアンフェアに思えます。
 中盤の刑罰論の虚しさについては、著者がこれまで傾倒してきたフーコーに対しても批判的に論じている点は目新しいですが、量刑全体をうまく説明できないということでバッサリ切ってしまうのだと、何のために論じているのかという読後感が出て来ます。
 なぜ人を殺してはいけないかについて、著者はこれまでの論は、自分はもう死んでもいいと考える者や自分が殺されるのはいやだが他人を殺すのはかまわないと本気で考える者には通用しないとしています(166〜167ページ)。しかし、今の日本の権力者たちがどう考えているかは置いて、近代法の人権と社会契約的な考えからも、人はみな生きる権利があり人民から委託された権力はそれ(人権)を守るために殺人(権利侵害)を防止し違反者を処罰する、それが制度として実行されていること、その実行への確信(信頼)があるから、現実に犯罪(権利侵害)が減少するとともに、人々が一定の安心感を持って生活できるという説明で、私は足りると考えています。自分は死んでもいいと思うのは勝手(自由)ですが、他の人は生きたいと思っているということです。自分が殺されるのはいやだが他人は殺してもいいという考えは通じませんし、通常その人自身他人には通じないとわかっていると思います。
 終盤の各論的な議論は、実務的なもので、著者の意見部分に必ずしも賛同できないところはありますが、議論の手法は説得的で有益に読めます。序盤で判決を比較して量刑に矛盾があるとか「乱数表的」だとした部分でも、このように実務的に背景を論じてくれればたぶん、個別事件の事情としては特段の矛盾がないものと評価できるのだろうなと思います。私としては、序盤の扇情的な議論をやめて(ついでにサブタイトルもやめて)、問題提起を簡単にして終盤の議論を膨らませてさらに展開してもらえれば、とてもよい本になったと思うのですが。

02.インデックス 誉田哲也 光文社
 姫川玲子シリーズの短編集。
 第1編の「アンダーカヴァー」は長編第3作の「インビジブルレイン」で警視庁本部捜査1課の姫川班が解体された後、長編第4作の「ブルーマーダー」の前、第2編の「女の敵」は長編第1作「ストロベリーナイト」で殉職した大塚の思い出で姫川班の初期、第3編「彼女のいたカフェ」は警察官になる前、と時期が転々とし、第4編「インデックス」から第8編「闇の色」までは連作になり、長編第4作「ブルーマーダー」後、姫川玲子が捜査1課に返り咲き心が通わない新たな部下たちとの関係に苦慮しつつ捜査に当たるという構成です。目次(Contents)はタイトルの英語表記のアルファベット順でまったく脈絡なく、作品の掲載順序は単純に初出の順(書いた順)のようです。第4編から第8編は話がつながっていますからこれをこの順序で並べるのは当然として、第1編から第3編の位置づけはよくわからない。時系列なら第3編、第2編、第1編の順だと思いますし、何にせよ、第1編は落ちのレベルが低すぎる。これを最初に持ってくるのは、読者の意欲を失わせると思うのですが。
 姫川玲子シリーズのファンには、第3編のキュートなイメージ(「ブルーマーダー」で強調されている姫川の暗い過去のキャラ設定とそぐわない感はありますが)と、いまだに長編作品が出ない「ブルーマーダー」後の姫川の活躍が読めるのが魅力でしょう。

01.企業法務のための労働組合法25講 五三智仁、町田悠生子 商事法務
 企業が労働組合にどう対応するかをテーマとして、労働組合法と不当労働行為、労働委員会等での手続について、使用者側から解説した本。
 冒頭の野川教授の推薦文がすごい。労働事件の判決文を読むのが苦にならない読者には、判決や労働委員会命令の事案から採りだした説例に基づく解説は実務的(現実的)で、法律書にありがちな抽象的で荒唐無稽な説例(業界では「学校説例」などと言われる)はなく、裁判例の紹介も多めで、読みやすく、わかりやすい。ただ業界外の読者には、説例が詳しすぎ複雑に見えて取っつきにくいかも知れません。弁護士の立場からは、「といわれている」という記述が、その根拠(誰が言っているのか、法令なのか、判例なのか、行政解釈・通達なのか…)が示されずになされているところが少なからずあり、その部分にもやもや感を残します。業界外の人、この本の主たる想定読者の企業の法務・労務担当者には、実務の結論がわかりさえすればその根拠まではいらないということでいいのだろうと思いますが。
 この本の立場は、企業外の地域合同労組(解雇されるなどした労働者が紛争になってから加入して団交要求に至るケースが多い)に対しては妥協せずに闘い(ただし、拙速な団交拒否は避ける)、企業内労働組合はうまくてなづけることができれば就業規則の変更では無効とされかねない労働条件(賃金等)の切り下げも組合の同意を得て労働協約にすれば有効(反対する組合員にも問答無用で適用できるし、就業規則でも同じ変更をすれば組合員以外にも適用でき、多数派労働組合の同意があれば就業規則の不利益変更も有効とされやすい)になるので上手につきあおうというのが基本線です。
 地域合同労組とは、企業側の弁護士は対決する場面が多くあり、現実に企業側の弁護士の奮闘の結果、街宣禁止の仮処分や企業側からの損害賠償請求などで地域合同労組側の敗訴事例が積み上げられてきていますが、労働側の弁護士はむしろ(提携関係にある少数の弁護士を除けば)つきあう機会が多くなく、今ひとつ当事者意識を持てないでいます。しかし、改めてこういう形で論じられると、使用者側にこういうふうに言わせておいていいのかという発憤材料になりました。

**_**区切り線**_**

私の読書日記に戻る私の読書日記へ   読書が好き!に戻る読書が好き!へ

トップページに戻るトップページへ  サイトマップサイトマップへ