庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2016年3月

19.無伴奏 小池真理子 集英社文庫
 「直木賞作家・小池真理子の半自叙伝的」恋愛小説と、映画の公式サイトで紹介されている小説。1969年のことを20年後に回想する形で1990年に発表された作品ですが、映画化を機に読んでみました。
 学園紛争の時代を物語の設定に用い、語り手の野間響子については、女子高で制服廃止闘争委員会の委員長となりデモや集会に参加していく、親や学校への反発心は強いが政治的な思想信条が確立されているわけではなく流されて参加しているという設定にしています。前半は野間響子の闘争・活動が描写されますが、ノンポリの陰のあるイケメン青年堂本渉と知り合い恋した後は活動から速やかに身を引き、渉の気を引き恋仲になることへの思いと画策ばかりが描かれます。小説のテーマ・筋としても学園紛争や全共闘運動は単なる背景として使われているだけで、基本は未熟な17歳が、ジコチュウな金持ちの息子(祐之介)とつるむ見てくれのいい無内容な青年(渉)に入れあげて、見る目がない故に渉を理解することができずに自ら傷つくとともに悲劇を招いたというものです。祐之介や渉と知り合った経緯でさえ、彼らは学園紛争の時代にも闘争に関わることのないノンポリ(特定の党派に入らないという意味での政治意識のあるノンポリではなく、政治的な行動や闘争に関心がない無関心層)だったわけですから、恋愛小説として、学園紛争の時代を選ぶ必然性もなく、野間響子を(当初は)活動家とする必然性もありません。この作品で野間響子が活動家ないしは周囲からは活動家と見える人物と設定されているのは、全共闘の時代に自らは闘争に参加しなかった/できなかったノンポリ層の(あるいは保守・右翼の)読者が、全共闘の活動家もその内実はこの程度、きちんとした思想・信条によるものではなくただの親や学校への一時的な反抗心で闘争をしていただけで、恋人ができれば活動から手を引き、人を見る目もないやつらだと溜飲を下げるため、そういった読者層に媚びるためという気がします。
 学園紛争の時代の「活動家」をして、友人のレイコが専業主婦になって楽して暮らしたいというのを「何が正しくて何が間違っているのか、皆目、見当もつかなかった時代に、周囲の雑音にとらわれず、自分だけの"悪くない話"を見つけることができたレイコは、多分、私やジュリーなどよりもずっと早く大人になっていたのかも知れない」(104ページ)などと語らせているのも、同じ匂いがします。
 文庫本の解説では「謎」「ミステリ」と紹介していますが、その謎も、こう言っては何ですが、読んでいけば大方予測できますし、私には政治意識に目覚めた17歳の野間響子がなぜ見てくれだけの中身がない男にこうまで引き寄せられ活動を捨てていけるのかに、そういう展開を好む作者と読者に、不快感が募るだけで、ミステリーとしてはもちろん、恋愛小説としても何だかなぁという思いでした。映画で、「海を感じるとき」「紙の月」に続いて、無内容なちゃらんぽらん男に主人公が入れあげてボロボロになっていくというその相手の青年が池松壮亮となっているのに、またか、なんか見る気なくす、という思いを私が持っていることが影響しているかも知れませんが。

18.池上彰・森達也のこれだけは知っておきたいマスコミの大問題 池上彰、森達也 現代書館
 近年のマスコミの報道姿勢についての対談本。
 安倍政権のメディアへの圧力について、政府がマスコミに圧力をかけるのはどこの国でもいつの時代でも当たり前、それで萎縮するのはマスコミの方が情けない(52〜53ページ)という立場を取り、従軍慰安婦問題についての民衆法廷を扱った特集番組への政治介入問題(50〜51ページ)でも報道ステーションでの古賀茂明降板問題(48〜50ページ)でも政権の側よりもメディア側の対応、自主規制を問題としています。メディア側が政権・行政の意向を忖度して自主規制している、それが問題だと。マスコミのだらしなさ、情けなさ加減はそうなんですが、しかしメディアコントロールに異常なまでの執念を見せる安倍政権の悪辣さを批判の対象から外してしまうことには違和感を覚えます。
 日本のマスコミが、40くらいで記者が現場に行かなくなりデスクになったり、脚を引っ張り合う現状を、海外の場合は本人が希望すればずっと現場にいられるし現場にいてもギャラがアップしていく仕組みになっている、ホワイトハウスの記者会見場を後ろから見るとみんな白髪か禿げ、アメリカのメディアは思想が信条が違っても公権力と闘うときは連帯するなどと比較して論じるあたり(94〜96ページ、112〜113ページ)は、なるほどと思いますし、日本のマスコミによくよく考えて欲しいところだと思います。

17.口の中をみれば寿命がわかる 口腔内細菌が引き起こす、脳卒中、心筋梗塞、糖尿病、認知症 波多野尚樹 小学館
 口腔内細菌が、虫歯、歯周病だけでなく、糖尿病や心臓病などの内科系の様々な病気を引き起こすこと、口腔内細菌を増殖させないために唾液の分泌が重要だが唾液の分泌を維持するために噛むことが必要でそのために歯を残すこと、適切な噛み合わせを維持することが重要だということ、噛み合わせが全身の健康に影響することなど、歯科治療と予防の大切さを説いた本。
 前半のテーマとなる口腔内細菌の除去は、歯磨きと唾液の分泌維持がポイントとなりますが、適切な歯磨きをしないと、あるいは唾液の分泌が減るとどうなるかの話がほとんどで、適切な歯磨きの仕方については、かつては食後すぐがいいと言われていたが今では30分程度経過してからがいいといわれる(111〜112ページ)とか、「波と歯肉の境目にブラシの毛先を45度の角度でしっかり当てて、ヌメヌメとした感触がなくなるまでしっかりこすり落とすことが大切だ。歯ブラシはペンを持つように、優しく磨く」(113ページ)という程度のよく見る記述に終わっています。修復歯科の時代は終わった(130ページ)、歯科医はこれまで症状の緩和医療を行ってきたが原因に迫る治療のアプローチがなされてこなかった、病気そのものにならないための患者の教育が大切(186ページ)というのはその通りだと思います。そのためには患者が実践できるように、歯磨きや日常生活上可能なことをより丁寧に書いてくれるとよかったと思うのですが。

16.エヴァンゲリオン化する社会 常見陽平 日経プレミアシリーズ
 日本のここ20年の労働状況の変化、特に「若者に何でも過度に期待する、社会や会社の未来を背負わせてしまう、働く人を使い潰す、人が駒のように扱われる、ぼんやりとした不安が日常的にやってくる」様子を、1995年のアニメ作品「新世紀エヴァンゲリオン」が予言していたとして、新世紀エヴァンゲリオンと関連づけて論じる本。
 本を売るために人目を引くというだけの狙いなのだとは思いますが、この本のコンセプト自体が外れてると思います。新世紀エヴァンゲリオンが以後20年の日本社会の変化を「予言」したのでも、また新世紀エヴァンゲリオンの影響で日本社会が変化したのでもなく、たくさんのアニメの中で時代の雰囲気に合った作品が支持され、多くの人がこだわりを持ち続け、再放送や二次的作品の制作につながり、今も記憶されているということだと思います。
 若者の居場所をなくし逃げ彷徨わせ、「私の代わりはいるもの」と言わざるを得ず、そういった非正規労働者でも正規労働者並の責任と過重労働を課して使い潰す、労働者の敵は、漠然とした「日本社会」でも、ましてや「使徒」や使徒的なものでもなく、身勝手で強欲な経営者団体と企業経営者、そして経営者側の利益のみを追求する安倍政権のような政治家たちであるのに、それをぼかすために社会がエヴァンゲリオン化しているなどと論じているように、私には見えます。著者のこの姿勢は、過労死について「まさに『この仕事は自分しかできない』と思い込んでいた社員がいたのだが、ある日、過労で倒れてしまった。しかし、彼が倒れてからも、会社は普通に動いていた。残酷なことに。」(111ページ)とする、まるで過労死は労働者が自分で選択しているといわんばかりの記述に象徴されています。
 最後の第5章になって初めて、著者も、「この20年間、企業内での取り組みにしろ、国が行う政策にしろ、まるで『使徒』のように強力な攻撃力で、忍び寄ってこなかったか。それは常にアメとムチである。労働者の味方を装ってやってくる」(192ページ)と、企業や国に言及し、労働者を虐げる者が「労働者の味方を装ってやってくる」ことに触れています。しかしそれでもまだ著者は、残業代ゼロ法案などという批判は「何かズレているように感じる」(198ページ)というのです。それ以前の章では「若者はなぜ3年で辞めるのか。それは辞めても平気だからだ」(95ページ)とか、非正規雇用について「非正規雇用もプラスに考えるならば、特定の分野でスキルを磨くことができる、自分のやりたいことを、やりたい範囲ですることができるなどのメリットがあるはずだ」(131ページ)などとも述べています。こういう言説が、「労働者の味方を装って」いるものだと私は思うのですが。
 新世紀エヴァンゲリオンをリアルタイムで見なかったおじさん世代に基本的な内容を解説する一種の趣味・教養としての意味はあるかも知れませんが、労働者の置かれている状況の分析をするのにはあまり役に立たないと思いました。

15.古代ローマの生活 樋脇博敏 角川ソフィア文庫
 古代ローマの共和制(紀元前509年〜紀元前27年)の末期から帝政期にかけての都市部、主として首都ローマの社会と暮らしについて検討し解説した本。
 ローマの市街地面積は墨田区(山手線内側の約4分の1)程度で最盛期の五賢帝時代には100万人近い人口があり(32〜36ページ)、5、6階建てのアパートも見られ多くの庶民はアパート暮らしだった(42〜47ページ)とか。4世紀には公立の公衆浴場(テルマエ)が11、私立の公衆浴場(バルネア)が856もあり、公衆浴場数がピークだった1968年の東京都と比べても人口1人あたり公衆浴場数は約3.5倍という計算になるそうです(53〜55ページ)。公衆浴場の多くは温泉ではなく、近くの水源から引いてきた水を沸かしていた(58ページ)ということですが、その熱源はどうやって確保していたのでしょう。
 資料が限られ、その正確性や解釈の限界から、どの程度真実に迫れているのかに疑問もありますが、総じて古代ローマの文化程度の高さに驚きました。
 医者は嫌われていたが大儲けをし(253〜259ページ)、弁護士は報酬の上限を低く定められていたため儲からなかった(289〜292ページ)というのも、身につまされますが、興味深く思えました。

14.労働法実務解説11 ユニオンへの加入・結成と活用 鴨田哲郎 旬報社
 日本労働弁護団の中心メンバーによる労働法・労働事件の実務解説書シリーズの労働組合関係の部分。
 2008年に刊行された「問題解決労働法」シリーズの改訂版です。
 近年とみにその存在感を増している地域合同労組とその主要な武器となる団体交渉について、労働者側の弁護士が説明した実務書は、あまりみられません。使用者側は、潤沢な資金を有して地域合同労組対策を弁護士に相談したり、団体交渉の場に社会保険労務士や弁護士を立ち会わせることが割とあるのに対して、地域合同労組側が弁護士を団体交渉に立ち会わせることはほとんどないようです。弁護士費用が払えない/払いたくないという事情か、あるいは弁護士が立ち会うと交渉が「お行儀よく」なりがちなことを嫌うのかは、よくわかりませんが。
 そういうことから、地域合同労組への加入、あるいは仲間を募って自ら労働組合を結成してみようかと考えている労働者を第1の念頭にという(3ページ)この本が団体交渉にほぼ半分の紙幅を割いていることには大変期待をしました。
 しかし、この本が項目別に解説を加えている第3章の「団体交渉」の記述は、その交渉事項となる法律関係(理由別の解雇、雇い止め、退職勧奨等)についての裁判例等の解説で、要するに裁判所で法的解決を求めるとこうなるよということで、弁護士にとっては団体交渉特有のものでは全然ありません。依頼者に対しては、相談されればそういうことを説明はするでしょうけど。そういう面では、団体交渉の解説として弁護士が読むのには、期待外れ感があります。著者の使用者に対する闘う意欲は、その表現の中に強く感じられるのですが。
 労働組合側の争議行為の活用方法として、不当配転に対して配転命令を受けた労働者の指名スト戦術とそれを配転以外にも活用を検討できるということが書かれています(143〜144ページ)。こういうところをもっと詳しく過去の裁判例を紹介し、より具体的にどのような応用ができそうか述べてくれると、実務的に参考になると思うのですが。

13.獣医さんだけが知っている動物園のヒミツ人気者のホンネ 北澤功監修 日東書院
 動物園勤務を経験した獣医である著者が、動物園での経験から動物園の人気者の動物の生態を説明する本。
 動物のトリビアというか意外な面の説明があれこれあります。キリンはオス同士でいちゃつくことが多くオス同士のペアが70%を超えるというデータもある(20ページ)、オランウータンはヤキモチ妬きで観客のカップルに吐いた物を飛ばすことがあるし飼育員が妻や恋人といるのを見ると翌日からヤキモチで寝室に引きこもったりして大変(90〜91ページ)とか。シマウマの縞は1頭ずつ違う(56ページ)とか、カンガルーは前には大きく跳べる(8メートルくらい1回でジャンプできる)けど後ろにはジャンプできない(76ページ)とか。
 動物園に行ったときに動物をもっとじっと観察したくなります。
 執筆は編集者のようですが、「動物園の楽しみ方と本書の使い方」(6ページ)で監修者の名前を出して「掲載した動物の情報は、北澤功先生が実際に体験したことをベースにまとめています。」って、書くかなぁ。

11.12.抱擁、あるいはライスに塩を 上下 江國香織 集英社文庫
 ロシア革命後のソ連政府を逃れて移住したオリガとロンドンで知り合い結婚した呉服商の息子柳島竹治郎夫婦の気の強い奔放な娘菊乃、引っ込み思案の娘百合、あっけらかんとした軽めの息子桐之輔、菊乃と妻子ある元同僚岸部との娘望、菊乃と親が決めた許嫁豊彦との間の息子光一、娘陸子、豊彦と会社(竹治郎経営の貿易会社)の同僚麻美との息子卯月の3世代家族が、神谷町の坂の上にある古いお邸で繰り広げるあれこれをそれぞれの語りで綴る群像劇の形を取った小説。
 章ごとに語り手が替わり、時代があちこちに飛んで、つぎはぎで建造物を建てるようなイメージで展開します。月刊誌の連載でこれを読む人は、さぞかし苦労しただろうなと思います。
 3世代が、男は、女はという強い固定観念と、学校教育は大学だけ(男は東大、女はお茶の水大)でそれまでは学校には通わせず自宅で家庭教師の下で学ばせる、大学卒業後1年は海外遊学させるという信念を持つ竹治郎の元で、束ねられていた時代から、子世代の反発と台頭、竹治郎の死去に伴い竹治郎の方針が力を失い次第に求心力を失ってバラバラになっていく様子を、自由への意思と結束の時代へのノスタルジーの間で揺れさせながら描いています。
 学校に通わずにいた小学生3人が学校に通うことになる様子を通じて学校の異様性を印象づける第1章(1982年秋)、引っ込み思案の百合の結婚を通じて男尊女卑意識の強い婚家の異常性を印象づける第6章(1963年冬)の印象が強烈で、ロシア系ハーフ、クォーターの目を通じて日本社会の異常性を際立たせる狙いかと思えますが、麻美の行きつけの寿司屋の職人の語りで柳島家の異常性を描写する第15章(1976年春)もあり、一つの家族を通じて、それぞれの様々な思いを語らせ、気に入った/気になる人物を通じて様々に受け止め味わえばいいという趣向になっているように思えます。優秀だったが大学へは行かず小説家になる陸子という、桐之輔や菊乃のような自由を謳歌するキャラでも、竹治郎や百合のような保守的なキャラでもないキャラに、おそらくは著者自身を重ね合わせた上で最初の章と最後の章を語らせていることも、著者のスタンスは中立ということを示唆しているように思えます。
 タイトルの「ライスに塩を」は、お茶碗に入った白いごはんはそのままでおいしいと思うのだけれどお皿に盛られたごはんにはどういうわけか塩が欲しくなる、しかし子どもの時はお行儀が悪いとか塩分の取り過ぎになるということでさせてもらえなかった、大人になってよかった、自由万歳という意味(上巻333ページ)で、このタイトルは、家族のスキンシップ/愛(それを人前で堂々と表現できること)と自由への志向を示しています。もっとも、その家族愛も、自由の謳歌も、とんでもない金持ち故のものと見えてしまうのが残念ではありますが。

10.労働法実務解説5 解雇・退職 君和田伸仁 旬報社
 日本労働弁護団の中心メンバーによる労働法・労働事件の実務解説書シリーズの解雇と退職関係の部分。
 2008年に刊行された「問題解決労働法」シリーズの改訂版です。
 労働事件で現実に裁判等の法的手続を取ることになる場合が多い解雇について様々な問題を手際よく解説しています。特に整理解雇(使用者側の経営上の都合による解雇)についての裁判例の整理(62〜76ページ)は素晴らしい。解雇事件での損害賠償についての説明と裁判例の整理(193〜205ページ)も参考になりました。
 他方、普通解雇、懲戒解雇についてはもう少し書き込んで欲しいと思いました。整理解雇の判例の紹介の中で、企業全体の経営不振ではなく一部門の閉鎖の場合の整理解雇(74ページ)を有効とした裁判例について、シンガポールデベロップメント銀行事件や専修大学(北海道短大)事件では他部門での希望退職募集等を要しないとした理由の中で相当程度の上積み退職金等の優遇条件があったことが重視されておりそれがないと別の結論となり得ると私は思います(二弁労働問題検討委員会編の「労働事件ハンドブック」ではそう書きました)のでそういう言及もあった方がいいかなと思います(著者の見方は違うということかもしれませんが)。派遣切りの際の派遣先に対する損害賠償請求を認めた裁判例の紹介(113ページ)で、三菱電機ほか事件で2審(高裁)では棄却としているのは、1審では原告3名について認容していたが2審では2名について棄却1名のみ認容です。登録型派遣で有期契約の更新を繰り返した場合の雇い止めについて雇用継続の合理的期待が認められるか(111ページ)については、2006年の2つの高裁判決で否定されていることだけを紹介しています。裁判例の紹介としてはその通りなのですが、労働側の弁護士の主張としては、その後の労働契約法の改正で通算契約期間5年超で無期転換権が認められたことや派遣法改正で雇用安定措置が定められてていることなどを足がかりに闘う意志も見せて欲しかったなとも思います(そういうのは期待の持たせすぎと言われるかもしれませんが)。

09.インターネット法 松井茂記、鈴木秀美、山口いつ子編 有斐閣
 インターネットをめぐる法的問題とその問題に適用されるべき法の規定や法解釈について、インターネットと表現の自由、名誉毀損・プライバシー侵害、わいせつ表現・児童ポルノ、青少年保護(有害情報規制)、差別的表現・ヘイトスピーチ、電子商取引と契約等、インターネットと刑法、知的財産権、個人情報保護、プロバイダーの責任、国際裁判管轄と準拠法などの様々な分野に分けて説明した本。
 私の業務分野と仕事がら、名誉毀損とプライバシー侵害を説明する第3章と個人情報保護に関する第11章は興味深く読ませていただきました。
 インターネット独自の法規制はほとんどないため、基本的にはインターネット外の法律関係での法律の規定とその解釈、これまでの判例を元に、インターネットでの問題の特徴を考慮してどのように考えればよいかという考察が中心となっています。
 多くの分野を取り上げて、執筆分担がなされていることから、執筆者によって掘り下げの度合い、執筆姿勢が様々で、判例を多く紹介して実務的な検討がなされているところもあれば、学者的な理論面での興味にほぼ限られているところもあり、読後感としては全体としては広く浅く、玉石混淆の感があります。
 消費者契約法第4条で「不利益事実の告知による取消し」が主張できるとしている(188ページ)のは、「不利益事実の不告知による取消し」の誤りと思います。単純なミスでしょうけど、この下りを読んで違和感を覚えないとしたら消費者契約法がまるでわかっていないということだと思うのですが。

08.わたしのなかのあなた ジョディ・ピコー 早川書房
 白血病の長女ケイトを救うために、ケイトに完全に適合するドナーとなれる胚を遺伝子工学的に作成したデザイナー・ベビーとして産まれ、出生時の臍帯血を始め、骨髄等を提供させられてきた妹アナが、母サラからケイトへの腎臓移植を求められ、これを拒否する訴訟を起こすというストーリーで、子どもの自己決定権、白血病患者とその家族の心情、家族愛等をテーマとする小説。
 結婚前弁護士だったが職業・キャリアよりも結婚生活を選んだサラ、自己決定権を得るために裁判を起こしながら何度も心が揺れるアナとアナに訪れる衝撃的でシニカルなラストといったところに、自立する女性を肯定・志向することへの作者の抵抗感が感じられます。
 サラがケイトを救おうという思い・考えでいっぱいいっぱいになり、ジェシーのこともアナのことも見えず、その気持ちを慮ることもできない様子、何かに付け勤務中の消防士の夫ブライアンを呼びつけ心理的に依存する様子など、サラの人間としてのキャパシティの狭さは、確かに同業者として、それで弁護士やってられる?と思わせられます。他方で、夫のブライアンがアナの気持ちを尊重しようとし、ジェシーにも寄り添おうとするところは、妻がアナやジェシーのことを顧みないことから人情的にもそうせざるを得ないところはあると思いますが、同様の立場に追い込まれながらブライアンに人間としての器量があることを感じさせます。こういう描き方は、もちろん、現実にそういうことはあるかとは思いますが、作者が自立する女性に対して否定的な考えを持っているためではないかという気がしてしまいます。
 両親に黙ってアイスホッケーを始め、ゴールキーパーとして才能を見いだされたアナが両親に経済的負担をかけずに奨学金を得て合宿に行こうとするのを、その間にケイトの病状が悪化するかも知れずその時にドナーとしてアナがそばにいる必要があるという理由でサラに拒否されるシーンは、アナの心情を思うと涙が出ます。他にもサラがアナのことなど目に入らない場面が散見されます。そういったアナの境遇をたどり、アナの人生を噛みしめながら読んだ挙げ句に、この結末は、納得できない思いが残ります。

02.03.04.05.06.07.ソロモンの偽証 1〜6 宮部みゆき 新潮文庫
 クリスマスイブの深夜に中学校の屋上から転落死した同級生をめぐる事件の真相を解明すべく生徒たちが学校内裁判を始めるという設定のミステリー小説。
 文庫本で6巻組、3020ページに及ぶ大作です。
 学校内裁判という設定は、荒唐無稽で奇抜な発想に思えますが、エンターテインメントという観点からリーガル・サスペンスを書くのにはやりやすい枠組のように思えます。通常のリーガル・サスペンスでは、現実の裁判制度の手続的な制約から、裁判の対象が検察官の起訴状記載の公訴事実に限定され、証人調べの順序も検察側証人が全て終わってから弁護側証人に進み証人申請では不意打ち(小説でいえば予想外の展開)が許されないなどの窮屈さがあり、また警察の捜査を含めプロが調査しても当初は真相がわからず陥ったことになる「謎」の設定に説得力を持たせるハードルが高くなりがちです。素人による学校内裁判ということになれば、そこはかなり融通が利くことになります。もちろん、裁判で問題となる内容や真実に迫る過程の迫真性がなければ読み物として成り立ちませんが、そこがきちんと描ける限りは、ストーリー展開の自由度が格段に上がることになります。そういう設定を見いだしたこと自体、卓越した着眼と言えそうです。
 登場する人物のキャラクター設定の丁寧さ・巧みさは、宮部作品の特徴といってよいと思いますが、この作品では、心情的にはほとんど共感できない存在に見える三宅樹里や垣内美奈絵らも含めて、最終的には違った側面やその奇異に思える行動を引き起こす事情をも描写して、極端な悪人を残さず円満なホッとする読後感を持たせています。中学生たちが様々な局面で見せる心情や行動に、子を持つ親としてホロリとしたり胸がきゅんとすることが多く、リーガル・サスペンスという部分をおいて青春小説として読んでも、読ませる作品だと思います。
 頭の切れる優等生としての主人公藤野涼子の設定は、(映画では被告人となる不良学生大出俊次らの暴行を受ける三宅樹里らを見殺しにしたり自らも自殺を考えたりするようにいじられているのに対して)まっすぐです。作者自身が一番愛着を持って描いているということかなとも想像しますが、私は、映画のあえて陰影を付けた設定よりも原作の方が読んでいて入りやすく、様々な局面での決断、心情が心に響いたと思います。仕事がら、5巻、6巻の学校内裁判の法廷の場面には思い入れがありますが、特に被告人のアリバイ証言をした弁護士(今野努証人)の主尋問が終わり、検察側にとっては致命傷を負った場面で、守秘義務という奥の手もあり当然に十分な理論武装をしてきた法律のプロ・裁判のプロを相手に反対尋問をしなければならないという局面、弁護士の立場から見てもいやになるほど絶望的な場面(6巻134ページ)で、反対尋問に立つ検事役の藤野涼子の心情には沁みるもの、しびれるものがありました。法廷技術的にいえばたいした尋問はできておらず成果も上げられないのですが、この絶望的な局面、それまで積み上げた立証が瞬時に崩壊したところで、中学生が心を折られずに立ち上がること自体、私は感動を覚えました。
 6巻の終盤に書き下ろしの短編「負の方程式」がセットされており、20年後の藤野涼子が登場します。弁護士となって懲戒解雇された教師の代理人として事実調査をするのですが、35歳でまだ代表弁護士の「補佐」をしてるのか、理事を殴って懲戒解雇ということで、まぁ暴力行為には裁判所が厳しい目を向けるのは事実ではあり暴力の程度によりますけど、懲戒解雇無効の線を端から諦めてるのはどうかなど、私にはちょっと「ソロモンの偽証」の切れ者の藤野涼子にはそぐわない印象があります。ファンには読みたいお話かも知れませんが、藤野涼子の将来については勝手に想像する方が楽しいように思えました。

01.森は知っている 吉田修一 幻冬舎
 児童虐待等で親の元に返せない児童を施設で死んだことにして引き取り訓練して胸に爆弾を埋め込んだ産業スパイとして違法活動に従事させる秘密組織と、その組織に育てられた少年鷹野、柳、教育係の元記者風間の思い・煩悶を描いた小説。
 月刊誌の連載を単行本化したため、章ごとに登場人物の思いの温度差が感じられ、ぶつ切り感がありました。主人公の鷹野については、幼少時の児童虐待のために解離性同一性障害とされ、「激しい虐待のなかで生きるしかない子供は、その一瞬一瞬を生きるようになる」「まるで毎日別人と会っているような感じ」(176ページ)という設定なので、そういう違和感を感じさせるという技巧を凝らしているのかも知れませんが…。それにしても正義感の強い敏腕記者だった風間が、虐待を受けた子どもを引き取って育てることはよいとしてもその子どもが「存在しない」人物として組織を離れて生きてゆけないことにつけ込み一定年齢に達した後は胸に爆弾を埋め込んで物理的に支配して違法行為をさせるというような組織に加入した動機・心情は理解できません。このような組織が情報を売って利益を得るための民間事業者として存在し活動しているという設定の非現実感と合わせて、そのあたりが今ひとつ入り込めませんでした。
 昭和60年に鷹野と弟を虐待して弟を死なせ鷹野も瀕死状態にした母親に対して、大阪地裁が懲役30年の実刑を言い渡したとされています(77ページ)。ひたすら重罰化を志向する近年の改正で、現在は有期懲役の上限が20年、併合罪等による加重で最大30年まで可能になっていますが、2004年の刑法改正まで、有期懲役刑の上限は15年で併合罪や累犯の加重をしても最大20年でした。昭和の頃には懲役30年という判決は、日本ではあり得ませんでした。それくらいは、調べて欲しいなと思います。

**_**区切り線**_**

私の読書日記に戻る私の読書日記へ   読書が好き!に戻る読書が好き!へ

トップページに戻るトップページへ  サイトマップサイトマップへ