庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2016年6月

12.ソーシャルファイナンスの教科書 河口真理子 生産性出版
 個人金融資産を預貯金や保険などの形で持っているのでは、そのお金は銀行や保険会社等が選んだ企業に融資・投資されるだけであり、人権や環境に配慮する企業の応援には回らない、自分が応援したい企業への直接の投資や環境保護等に配慮した投資を行うファンドの購入によって、自分のお金をある程度のリターンを確保しながら活かしていくことが有益だ、自分自身が投資しない場合でも機関投資家、特にGPIFのような公的年金基金の運用に国民が意見をいうことで投資の運用のあり方を変えていくチャンスがあるということを論じた本。
 著者が言いたい基本の主張は、理解できますが、その前段として、株式投資はギャンブルでないとして正当化を図る部分は、やはり証券会社のシンクタンクの利害が優先しているように見えます。上場株に関していえば、バブル期以降は時々数年レベルの上昇はあっても全体としては下げ基調で、数年間の上げ相場のうちに買って売った(売り抜いた)人は利益を上げられても、バブル以降に買って長期間持っていた株主はほぼおしなべて株価が低下して損をしているというのが通常の感覚だと思います。著者が118〜119ページで示しているチャートを見ても、ふつうはそう読むでしょう。ところがこの著者は「長期の動きをみると大きく成長しているのです。」「日経平均株価は、1949〜2013年までの65年で、実に170倍近くに成長しています。」「株式投資は長期投資であればバクチではなくて、手堅い資産運用と考えることができます。」(118ページ)などというのです。「長期投資」って、終戦直後から持ち続けてる人のことですか。今から投資するように勧誘する相手に、終戦直後の破滅的な状態からの上昇やもう2度と来ることが考えられない高度経済成長期の上昇を含めたというか、上昇のほとんどがそういうものである過去の上昇を使って説明するのって、もし相手が信じたら詐欺じゃないでしょうか。こういう説明をされると、社会的投資の推進という目標には同意できても、この著者の説明全体の信用性に疑問を持ってしまいます。監視し意見をいうべき相手とするGPIFの資産運用が、安倍政権になって株式投資に大幅にシフトして「アベノミクス」を粉飾する株価底上げに使われていること(その挙げ句、株価下落でとんでもない規模の損を出して年金の将来に暗い影が生じていることは、この本の脱稿後に明らかになったのですが、それを置いても)にはまったく触れず、安倍政権の「女性活躍社会」を賞賛しという立ち位置も、著者の主張を素直に信じにくいものにしています。
 「生産性出版」という出版元の名前もすごいですが、全体に「てにをは」系を中心に誤植が目立ちます。

11.女子高生アイドルは、なぜ東大生に知力で勝てたのか? 村松秀 講談社現代新書
 NHK・Eテレの科学情報番組「すイエんサー」のチーフ・プロデューサーが、ティーンズ雑誌のモデルから選抜された女子中高生で番組のリポーターを務める「すイエんサーガールズ」が大学生との勝負で勝ったことを自慢し、そのすイエんサーガールズの知力を高めたのは番組で培った「グルグル思考」であるとして、これからの世の中には「グルグル思考」が必要だと主張して、番組でスタッフらが苦労した7つの力なるものを披露し蘊蓄を語る本。
 率直に言って、すイエんサーガールズが大学生と闘う場面を紹介する第1章、第9章、第10章は面白い。それは、著者が力説するガチンコ勝負だからです。それは、別に、雑誌モデルのアイドル中高生のすイエんサーガールズでなくても、ロボット選手権などの類でも同様の、一つの目標に向けて工夫し試行錯誤する様の美しさ、迫力、すがすがしさへの共感によるものだと思います。ただ、東大生とのバトルで言えばペラペラの紙でおもりを支えるブリッジの強度を作れと言われれば、蛇腹構造かパイプを作るのはごくふつうの思考だと思いますし、京大生とのバトルの紙に推進力を与えずにまっすぐ落としたときの滞空時間を稼げと言われればそのまま(絨毯状)か風車状を考えるのはごくふつうの思考だと思います。ふつうの思いつきを大仰に褒めそやす書きぶりは読んでいて白けます。
 それ以外の番組で扱った「難問奇問」を「7つの力」に分類して偉そうに語る章は、あまりにも的外れで読むのが苦痛でした。著者は、つかみの東大生とのバトルで、すイエんサーガールズの知力、試行錯誤を褒めそやし「無理難題に対し、ヒントもなく誰かが導いてくれることもなく、ただひたすら考えるしかない、というロケの中で、きわめて無駄にも思えるような膨大な思考をグルグルと巡らせていく。このグルグル思考の鍛錬が、すイエんサーガールズがこれほどまでの戦績を挙げるパワーを生んでいるに違いない」(49ページ)と述べています。それにもかかわらず、著者の力の入ったすイエんサーガールズの知力の源の分析とはまったく逆に、番組での進行は、「正解」のない問題に対してノーヒントで試行錯誤するのではなく、途中で「手がかり」が与えられています。著者が言う「7つの力」はすイエんサーガールズが自力で(自分の「知力」で)試行錯誤して独自の正解にたどり着く力ではなく、番組のスタッフが特定の1つの「正解」と決めつけた結論に、番組のスタッフが与えた手がかりに沿ってたどり着くという、番組のスタッフの思考回路を読む力に過ぎません。他人の意向、他人の心を読む力は、社会生活上は必要でしょうけれども、それは著者が偉そうに語る「知力」でも試行錯誤でもありません。ありふれたマニュアル族的な洞察力です。「針の穴に糸をすーっと簡単に通したい!」という問題(153ページ〜)で、ふつうに裁縫をした経験があればたぶんふつうに知っている(少なくとも私は子どもの頃から知っている)糸を固定して針の方を糸に近づけるという「正解」を見いだすために、スポーツジムが手がかりとされ、ランニングマシンは自分が動かなくてもマシンの方が動いて走ったことになるということに気づいて、そこで初めて針と糸を逆転させればと気づいて、「スゴ技」を見つけ出すには「寄り道する力」が大切だと力説する必要がどこにあるのでしょう。ランニングマシンで走らせなくても、針と糸でごくふつうに試行錯誤させた方がよほど速くわかると思います。「プリンをお皿にキレイに移したい!」(124ページ〜)も、番組スタッフが正解としたやり方は、「へぇっ」とは思いますが、たぶん「地球儀」を手がかりにすることでそこに思考を拘束するのではなく、ふつうに試行錯誤させれば、もっと幾通りものより簡単なやり方が見つかると思います。せめて番組の進行を淡々と説明するにとどめて、それに「7つの力」が必要だとか、「7つの力」がなぜ重要かなどの著者がご託を並べるところはカットして欲しいなと思いました。

10.CMを科学する 横山隆治 宣伝会議
 若年層のテレビ離れの傾向が進み、他方で従来の「視聴率」のようなあまりにも大雑把な指標ではなく個人の視聴や視聴時の感情その他のデータが取れるような技術の進歩がある中で、効果的なテレビCMのあり方とネット広告や動画配信との組み合わせでの広告効果等の、今後の広告主にとっての効果的な広告スタイルを論じた本。
 CMの制作サイドと、広告主である企業とその広報担当者向けの本ですが、一般視聴者の立場で読むと、視聴者の個人情報を把握し利用する技術がここまで来ているのかと慄然とします。「感性アナライザ」という簡易測定キットで脳波を測定しそれを「好き」「興味」「集中」「ストレス」「沈静」の5つの感情に分析することでリアルタイムに視聴者の反応を知ることができるそうです(52〜64ページ)。アフェクティーバのサービスでは、カメラ画像の顔認証をして誰が見ているかの識別、その注視度合い、表情分析がカバーできるようになっているそうです(218ページ)。これがネットに接続されたテレビやパソコン、スマホといったカメラ付きのメディアに応用されれば、それぞれの個別視聴者/利用者の視聴、ネット利用とそれに対する反応/受け止めが、私たちがネット関係の何らかのハード/ソフトの利用開始時に内容を読みもしないで同意する長大な文書の中に埋め込まれた一読してもその趣旨が理解できない契約条項によって同意したことになるネット企業に把握・集約されて分析利用されていくことになります。スマホでは、スクロールの速さとタップの記録により、ネット上の記事のどこに関心を持ち、どのような感情を抱いたかまで把握されることになります(236〜237ページ)。そして、こういった脳波や表情の分析による無意識な反応までが広告のターゲットとなることは、この本で著者はその言葉を使わないように神経を使っていますが、禁止されているはずの「サブリミナルパーセプション」(潜在意識・無意識に働きかける広告:目で認識できない短時間のコマに広告を入れる等)類似のことがより巧妙にできるし狙われていることを示しています。広告制作/実施側では、このような個人情報と個人の無意識にまで踏み込んだ技術をすでに有しており、それを駆使することにためらいも見せないということを私たちはよく認識しておくべきだと思います。
 そういった警告(著者はそれを一般市民に警告するとか、また後ろめたい気持ちなどサラサラないのだと思いますが)の書として、注目しておきたいと思います。

09.嫌な女 桂望実 光文社文庫
 弁護士石田徹子が、遠縁(祖母の妹の孫)の持ち前の人なつこさと明るさで男を手玉に取りたかり続けて生きている同い年の小谷夏子が様々な問題を引き起こしてはその後始末を依頼して来るのに対し、当初は夏子を嫌悪して嫌々つきあっていたが、年を経るにつけて夏子の男の懐に飛び込む能力としたたかさに感心し、問題を引き起こすのを楽しみにするようになっていくという展開の小説。
 破天荒で身勝手な夏子が主役の体裁を採っていますが、むしろ、語り手の弁護士石田徹子の新人時代から引退する年齢に至るまでの心境の変化と成長を描いた作品だと感じられます。
 石田徹子が、新人弁護士磯崎が弁護士稼業の素晴らしいところは「人助けができるところです。困っている人を救えるところです。」と答えたのに対して、「どうやら、磯崎は平凡な弁護士になったようだ」と受け止め、「原告と被告のどちらかの希望が通れば、どちらかの願いが砕かれています」「依頼人の言い分が、いつも筋が通っているとは限りません。明らかに依頼人の方に、義がまったくないケースもたくさんあります。それが弁護士稼業です」「弁護士なら、依頼人から感謝されたのと同じぐらい、相手方から憎まれる覚悟です。いい結果と悪い結果のどちらも引き受ける覚悟ができて、一人前です」と語るシーン(384〜386ページ)。言っていること自体は、その通りなのですが、石田徹子のように個人間の男女関係を主要な取扱分野として、小谷夏子のような身勝手で無理な主張をする依頼者の希望を通してきたという経験からはそういう評価になるのかも知れません。しかし、私のように個人の側で企業と闘うということが多い弁護士の立場からは、相手の願いが砕かれるという感覚はありませんし、確かにとても身勝手な依頼者はいますけれども、依頼者にまったく義がないケースはふつう勝てませんし、弁護士としての実感では多くの依頼者はそれほど無理な要求はしないでそこそこの第三者から見てもほどほどの適正と思えるところでの解決で満足していると思います。
 荻原弁護士の石田徹子への指導で、相手に対して争っていること以外で腹が立ったのはどんなときか、争っている件以外で「おやっ」と思ったのはどんなときかを聞くようにしている(42ページ)というのは、いい視点だと思います。前者の腹が立ったときは、対立の真の原因がどこかを探るポイントに、「おやっ」と思ったときは、相手に対する違う視点での評価を意識させることで心情的に和解の糸口を探るポイントになりますから。

08.督促OL 修行日記 榎本まみ 文春文庫
 信販会社のコールセンターで滞納者に対する督促業務を担当していた著者が、コールセンター業務の過酷さと督促業務のノウハウを語った本。
 朝7時に出社して午前8時から夜9時まで督促の電話をかけ続け、その後夜11時まで督促状の発送を続けるというコールセンターの業務についても、たまたまそこが「ブラック部署」だっただけで信販会社全体はそうではないと擁護する社畜ぶり。
 滞納者が逆ギレしたり脅迫する様子を書き立て、督促者側は強い言葉は言わず(本当かな?)丁寧な言葉でいつ払うかを約束させて、次はお客様が払うと言うからお待ちしていたのにと客の良心の呵責を責め立てて入金させていくというテクニックを披露しています。100万円以上もする水晶玉の代金を年金で支払い続けるおじいちゃんへの督促や、カードを男に渡してキャバクラの代金を支払っている女性への督促、女性から高額の健康食品を買わされている男性客への督促などでは同情しているような記述もあります。これらは、滞納者が自分で買った/借りたものを返さないのが悪いという原則的な立場で、滞納者が良心の呵責を感じているのにつけ込んで、督促者が支払を勝ち取っていく、その中で若干かわいそうかなという気持ちもないではないよというスタンスを取っているわけです。
 しかし、こういった滞納者は、信販会社が、クレジットカードを発行し、大量宣伝で本来は必要もない者にまでカード契約をさせて、カード契約をしなければ買わなかった/買えなかった物まで購入できると思わせた上で、信販会社や販売店の宣伝やセールストークで煽り立てて高額商品を現実に買わせたために、月々の収入では払えないような借金を抱えてしまい、滞納者になっているというのが実情だと思います。アメリカで本来は住宅ローンを組めないレベルの低所得者に、支払えるかのような幻想を持たせた宣伝をして貸付をしたことが「サブプライムローン問題」として問題になりましたが、信販会社がやっていることはサブプライムローンと同じだと思います。この著者が同情しているように見せている人たちも、クレジットカードなり信販会社の割賦販売制度がなければ、決して100万円以上する水晶玉を買わされたり、男のキャバクラ料金を支払わされたり、多額の健康食品を買わされたりしていないはずです。信販会社の営業というのは、大企業の営業を決して悪くいわず常に正当化する現政権やマスコミでは批判的に採りあげられることはないですが、実態はそういうものです。それを棚に上げて、払えなくなった者だけが悪いかのように描いて「逆ギレ」される督促者がまるで被害者のようにいうことには、強い疑問を感じます。
 さらに、督促をしているのは、長期滞納になると信用情報が悪くなり客のためにもならないからなどという正当化もしています。信用情報機関というのは、現在では貸金業法上のシステムの一環ですが、もともとは信販会社と消費者金融の団体が設立したもので、顧客の信用情報を集約して延滞等の情報を交換してクレジットカードの入会査定等に利用するためのものです。そして延滞すると信用情報が悪くなって借りられなくなるぞ(さらには以前は過払い金請求なんかしたらブラック登録されるぞ)という圧力をかけて、支払を督促する(以前は過払い金請求も抑止する)のが信販会社・消費者金融の常套手段でした。これはまさに信販会社の利益のための制度で、それを客の利益のためであるかのようにいうのは本末転倒です。
 私には、著者の言い分にはまったく共感できないものの、信販会社の督促という阿漕でかつ過重な労働をしている者が、自らの労働と社畜ぶりをどのように自分に言い聞かせて正当化しているしているかを知らせてくれるという点で参考になる本でした。

07.図解&事例で学ぶ 会議・打ち合わせの教科書 会議・打ち合わせ研究会 マイナビ出版
 「有名企業に所属するビジネスパーソンや他ジャンルで活躍する経験豊富なフリーランサーによって立ち上げられた私的な研究会」と紹介されている「会議・打ち合わせ研究会」なるグループが、会議を改善するためのノウハウを書いたという本。
 司会/ファシリテーターとしての進行とか、板書の利用なんかは、テクニックとして頷ける部分はありますし、発案者=担当者にしない(110ページ)なども大事なことだと思います。
 しかし、例えば、参加者のテンションを上げるための用意として、一番簡単なのはおやつやドリンクを用意することです(56ページ)とされていますが、テクニックとしてそういえばそうなんだけど、それは参加者が喜ぶことにはつながってもだから会議の質が上がるとか充実した議論ができるということでもないと思います。他の部分を見ても、時間厳守に重点が置かれた感じが強く、会議の議論そのものの充実よりは、官僚的な予定通りの進行と、あえて言えば、参加者の心情としての充実感を目指す感じが強いように思えます。そういうどこか会議を無難にスムーズにあまり角が立たずに収める、時間通り進行予定通りに収めるということを主要な目的とした記述が中心のように思えました。
 タイトルの「図解&事例で学ぶ」は、シリーズタイトルのようで、この本では、図解はあっても「事例で学ぶ」という印象はありません。また「教科書」ということですが、書かれていることに会議の準備を担当する事務方の新入社員向けと思える記述が多いことを意味していると読めばいいでしょうか。経験豊富な方々の著書というには、「奥義」や「匠の技」は見えず、小ネタの羅列感が払拭できませんでした。

06.植物図鑑 有川浩 幻冬舎文庫
 家事能力ほとんどなしの25歳独身OL河野さやかが飲み会の帰り自宅前で行き倒れていた同年配イケメン男イツキから「お嬢さん、よかったら俺を拾ってくれませんか」と言われて、酔った勢いもあり部屋に上げて、作った朝ご飯がおいしかったこともありそのまま共同生活をするという展開で、次第に思いを寄せるさやかにイツキは家事を担当し周囲の河原や道ばたや山で採ってきた野草で食事を作りさやかの弁当まで作りその後夜勤のバイトで収入を得るようになるがさやかに迫ることもなくというラブコメの体裁を取りつつ、結果的には著者があとがきで「個人的に過去最強に恥ずかしかった」(408ページ)というほど甘ったるい/妄想的ともいえるラブコメになってはいるのですが、実質的には野草グルメ自慢短編連作というべき小説。
 話の内容は、むしろ「美味しんぼ」のような趣がありますので、いっそのことイツキを若いイケメン青年ではなく山岡ふうのさえない風貌のおじさんにしてくれた方が、おじさん読者には快適ですが、やっぱり「イケメンに限る」なんでしょうね。それも、イツキの正体をふつうに行き倒れていたごくふつうの経歴の青年にとどめられずに、ああいった後半の展開をせざるを得ないところに若い女性読者の欲望/願望/妄想ニーズがある(と作者が考える)というのが、なんだかなぁ。
 映画化され、公開初週末は「ズートピア」を蹴落として興行成績(動員数)1位(興行収入は「デッドプール」の方が上)と健闘していますが、映画は見ずに終わりそうだなぁ

05.オカザキ・ジャーナル 岡崎京子 平凡社
 1991年〜1992年「朝日ジャーナル」に連載され、「朝日ジャーナル」を看取った「週刊オカザキ・ジャーナル」と、1992年〜1993年「広告批評」に連載された「植島啓司と岡崎京子のFAX通信 コトバのカタログ」を二十余年を経て単行本化した本。 
 1980年代後半から1990年代前半に一世を風靡し、1996年に交通事故で重傷を負い表舞台から姿を消した漫画家岡崎京子のエッセイ。ちょっとアヴァンギャルドでちょっとエッチっぽい時代のアイコンとして、私が社会人になりたての頃に秘めた憧れめいたときめきを覚えた著者への懐かしさで、手にしました。「週刊オカザキ・ジャーナル」の方は、朝日ジャーナル連載中たぶん読んでいたと思うのですが、忘却の彼方。今読むと、イメージと違って、意識的にノンポリを押し出してケーハクを演じているようで、思ったよりは入れない。「コトバのカタログ」の方は、字数が倍くらいあるのと書簡(FAX?)形式がうまくはまって、今読んでも、かつて抱いた岡崎京子のイメージに浸れました。私には、こちらの方が自然体で書いている印象です。
 最後に付いている「解説」が蛇足で興ざめ。筆者から岡崎京子が現役漫画家していた時を共有した同時代的な愛/憧憬/畏敬/共感がまるで感じられない。おそらくはこの本を手にする読者の多くはあの頃の岡崎京子とあの時代の記憶とノスタルジーを持っているはずですから、それを共有できないよそ者に偉そうな解説などされたくないと思います。こういう解説をつけた/解説者を選択した編集者のセンスに驚き呆れます。

04.ヒトラーに抵抗した人々 對馬達雄 中公新書
 ナチの独裁政権の下で迫害・虐殺されるユダヤ人の救援や、反ナチの言論活動、ヒトラー暗殺計画などに関わった一市民と市民グループの活動と来歴、その後の本人や家族・遺族の消息を紹介した本。
 ユダヤ人救援活動を続けた「エミールおじさん」、プロテスタント教会の「グリューバー事務所」、ベルリン・テーゲル刑務所の牧師ハラルト・ペルヒャウ、共産主義者が加わったために戦後長らくソ連のスパイと中傷されてきた「ローテ・カペレ」、反ナチのビラ「白バラ通信」を撒き続けた「白バラ」グループ、1944年7月のヒトラー爆殺未遂事件「7月20日事件」の母体となった「クライザウ・サークル」、1939年11月8日のヒトラー爆殺未遂事件を起こしたゲオルク・エルザーらをとりあげています。
 ヒトラーが経済政策(雇用確保)で人気を得てドイツ国民の圧倒的支持を受けていたという厳然たる事実の前に、クライザウ・サークルの中心人物だったモルトケは、クーデターが実行されても新たにナチ主義者が英雄視され混乱の事態を招くだけではないかと、「もう一つのドイツ」の提示にこだわっていたそうです(172〜175ページ)。その「もう一つのドイツ」の提案では、ヒトラー政権を生んだワイマール体制を否定した間接選挙やキリスト教を国家再建の基礎に据えることや労働者の生活保障と経営参加などの人間の顔を持つ資本主義の経済秩序が挙げられていたこと、モルトケら抵抗運動の活動家の間では、ドイツ人が目覚めないときには軍事的敗北こそがナチズムからドイツを救う前提とならざるを得ないと考えられていたことに痛みと哀しさを覚えます。抵抗運動の活動家が捕らえられ、拷問を受け形だけの裁判にかけられたときの態度や、家族に宛てた手紙に綴られた心情、そしてこうしたドイツ人の反ナチ抵抗運動の存在が、戦勝国の思惑により隠蔽され、彼らが長らくドイツ国内で裏切り者と位置づけられていたことにも。
 圧倒的な専制政治の下で厳しい弾圧・報復を覚悟して、家族を抱えながら、正義と人道のために、私たちは抵抗運動を実行できるでしょうか。客観的には失敗している経済政策さえもそのことは報じないで政権を翼賛するマスコミのために、まるで経済政策が成功しているかのような錯覚が続き今なお支持率を落とさずにいる偏狭で強圧的なナショナリストが、有権者の2割の得票で圧倒的な議席を占めることができる歪んだ選挙制度を利用して長期にわたり政権の座にある限り、遠くない将来、私たちに、その問いが現実的に投げかけられることになるでしょう。
 そういう時代を生きる私たちに、共感を与え、覚悟を迫る一冊だと思います。

03.21世紀の脳科学 人生を豊かにする3つの「脳力」 マシュー・リーバーマン 講談社
 人間が進化の過程で、一人では生きてゆけない故に保護者から放置されることを苦痛と感じ他方保護者(親)は我が子の世話をすることを報酬(喜び)と感じ社会的つながりを持つという「つながる」脳力、他者と協力し集団をスムーズに運営するために他者の心を理解し共感する「心を読む」脳力、自分自身が外部の価値観や信念に従って考え行動することで社会の調和を作り上げる「調和する」脳力という人間が社会を形成し協力することに資する3つの脳力を獲得してきたということについて、心理学の実験等を紹介しながら解説する本。
 人間が何もせず休んでいるときに、「脳は空き時間を使って、もっぱら社会について考えているのだ。私たちが意識するしないにかかわらず、脳は社会から受け取った情報を処理(そしておそらく再処理)して、社会的に考え、社会的に行動する準備をしているのかもしれない。長年の知識に新しい体験を組み込んで、友だちや友人どうしの関係や、自分と彼らとの関係について考え直したり、いろいろなやりとりから新しい情報を引き出して、他者の心の状態を読み取る法則をアップデートしたりする」(31ページ)、このような脳のデフォルト・ネットワークを働かせることで人間は社会性を獲得し高め、社会生活をうまく行えるようになるのだそうです。ボ〜〜ッとしている時間が大切だということですね。電車の中でも寸暇を惜しむように読書にいそしむ私は…ましてや電車の中でも寸暇を惜しんでスマホをいじり続ける人々は…

02.誤解だらけの日本美術 デジタル復元が解き明かす「わびさび」 小林泰三 光文社新書
 美術品の復元を仕事とする著者が、復元を試みる中での経験から、現時点の退色した美術品をガラス越しに遠巻きに見るのでは美術品本来の魅力を味わえないとして、制作当時の色彩や鑑賞の実情を、想像しつつ語った本。
 俵屋宗達の風神雷神図をめぐって、制作当時の色彩はど派手だったはず(まぁ、金屏風に書かれてるんですから、考えてみればそりゃそうでしょう)とか、雷神の太鼓の環の画面からのはみ出しが鑑賞者の想像を膨らませるとか、雷神と風神の視線の関係から壁面ではなく屏風として立体的に置いて初めて意図がわかるとか、様々な発見のある第1章が、著者の力も入っており、読みどころです。
 あとは阿修羅への愛着が感じられる第4章でしょうか。「はじめに」で「つまり、阿修羅は綾波レイなのである。」(7ページ)と語った著者(1966年生まれ)の思いは、阿修羅の第4章にはあまり表れていないようにも思えましたが。1960年生まれの私は、「山口百恵は菩薩である」と言われて育ちましたが、6年の違いでこの文化の差は…

01.水鏡推理 松岡圭祐 講談社
 阪神・淡路大震災で被災して祖母と弟が行方不明のままの文科省一般職職員水鏡瑞希が、文科省の「研究における不正行為・研究費の不正使用に関するタスクフォース」に配属され、研究者、学界の重鎮、上司、同僚の総合職職員らの圧力に抗して、探偵事務所で培った推理力を駆使して、研究費獲得のための不正実験デモや不正研究を暴いていくミステリー小説。
 国の研究費にたかる研究者と事業者、それらと癒着した官僚の不正を、職場で虐げられている一般職公務員が暴いていくという展開は、読み応えがあり、また爽快感があります。
 しかし、水鏡瑞希が、最初に不正を暴く対象が、原発廃絶論者が神格化する抵抗運動家で、清貧のはずが災害見舞金に加えて寄付金で潤いロレックスの時計も隠していたなどというスキャンダルであり、文科省予算の研究費の不正をあげつらいながら、原子力関係の研究は何一つリストアップされないという作者の姿勢は、異様です。福島原発事故後、現代社会を扱う書き手は、一種の踏み絵を踏まされているという面はありますが、ここまではっきりと、原子力事業を援護する姿勢を見せられると、不正をただすなどと言われても、興ざめしてしまいます。

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