庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2016年8月

11.ジャズをかける店がどうも信用できないのだが… 姫野カオルコ 徳間文庫
 1958年生まれ作家姫野カオルコが、世間の「そういうことになっている」について首をかしげる意見を綴ったエッセイ集。
 男女対比型エッセイへの疑問、著者が思う男女の違い、エロなどに関する第1章「不確かな性差」、化粧(世間では化粧をした方が美しいとされているが、著者は化粧はしない方が美しいと確信している)、小悪魔という評価(金持ち老人男をたぶらかす若い女など評価する価値がない、金持ち男をたぶらかす年上女がいればそれこそ小悪魔と評価すべき)、似ている顔などに関する第2章「落とし穴」、表題にあるジャズ喫茶ではなく何となくジャズをかけている照明の暗い料理店、文学界、出版界、映画賞などへの疑問に関する第3章「いかがなものか」からなっています。まとまりとテーマがあるような、ないような。
 冒頭の男女対比のステレオタイプへの疑問は、同感で、入りやすい出だしです。次の、男女差は鼻くそにこそで、公共の場所で鼻くそをほじって擦り付けるのは男性だけというあたりで、う~ん…そう、かな、ぁ…と、私自身、近年は(うら若い)女性が人前で鼻をほじる姿を少なからず見ていて…と思っていたら、著者も、文庫版リニュアル特典で、同じことを書いていました(32ページ)。やはり近年は鼻をほじる女性が増えて、ますます性差は不確かになっているのですね。ということで、そうだねぇと思いながら一気読みしました。高校の同級会でドキドキした製薬会社勤務の元同級生に「○○くんの会社が発売しているコンドームはポリエチレン系でラテックス臭がなくて性能がいいんだよね」(66ページ)といえる感性/度胸は、私は持ち合わせていませんが。

10.病気を防ぐ「腸」の時間割 老化は夜つくられる 藤田紘一郎 SB新書
 食物の消化・栄養の吸収だけでなく免疫の中心を担いセロトニンの分泌も司る腸の役割の大切さを説き、健康を保つためには、体内時計に従い規則正しい生活(食生活)を送ることが必要だと論じる本。
 この本のポイントは、腸の役割の重要性と、体内時計に従うことの重要性なのですが、この2つのテーマの結びつきは、「体内時計が乱れると腸に穴があく」という項目(49~51ページ)に、「体内時計を無視した生活を送っていると、腸にも困ったことが起こります。腸に、細かな穴があいてしまうことがわかってきたのです。」(49ページ)とあるくらい。どういうメカニズムでそうなるのかの説明もなく、本当に体内時計の乱れが原因かの踏み込んだ検討もありません。ちょっと狐につままれたよう。そこはすっ飛ばして、腸に穴があいてしまうことを「リーキーガット(腸管壁浸潤)症候群」といいます(49ページ)、腸に穴があくことの最大の危険事項は、食物アレルギーを発症しやすくなることです(50ページ)、食物アレルギーは悪化すれば、突然死を起こしかねない病気です(51ページ)と続け、絶食やプチ断食を戒めて「腸管の状態が悪くなれば、免疫機構や、腸に集まる免疫細胞の活動も停滞します。腸に棲む腸内細菌たちのバランスも乱れ、悪玉菌優勢の腸ができあがります。悪玉菌が異常発生すれば腐敗物質を産出します。これが体内に回ると、がんをはじめとする多くの病気のリスクを高めることになります」「腸粘膜が萎縮すれば、腸のバリア機能が低下します。こうなると腸内で繁殖した病原菌が腸管の毛細血管に侵入しやすくなります」「全身の感染症を招きかねない危険な状態です」(68ページ)とまで言っています。寄生虫博士、いつの間にこんな恫喝を繰り返す人になっちゃったんだろう。
 「昼に食べたものが体を丈夫に築く礎になります。毎日どんなランチをしているかで、10年後の体の状態は違ってきます。昼食をおろそかにしてはいけません」(113ページ)、「21時以降の食事は体を壊す“毒”ともなってしまうのです」(136ページ)…そう言われてもねぇ

09.疲れやすい人の食事は何が足りないのか 森由香子 青春新書
 さまざまな食べ物の健康への影響を説明した本。
 疲れにはこの食べ物というだけでなく、食べ物の組み合わせも紹介しているので、より実践的な印象です。
 疲労回復メニューとして「肉ジャガ」が疲労回復物質のビタミンB1(豚肉に多く含まれる)とカリウム(ジャガイモに含まれる)とともにビタミンB1の働きをより効果的にするアリシン(タマネギに同様の含硫化合物が含まれる)、カリウムの働きを助けるアスパラギン酸(豚肉に含まれる)を摂ることができるから(23~25ページ)といった具合です。
 自律神経を乱れさせないために規則正しい食生活をすることが大事、朝食は起床後2時間以内にしっかり摂る、夕食は就寝の少なくとも3時間前に済ませる(33ページ)、過度のストレスや飲酒は亜鉛不足になりやすく性欲減退につながる(114~116ページ)というだけでなく、コーヒー、紅茶、緑茶、ウーロン茶には亜鉛の吸収を阻害するタンニンが含まれている、亜鉛の吸収を阻害するシュウ酸がチョコレートやナッツに含まれているのでこれらを一日中何杯も飲みチョコやナッツをおつまみにしていると性欲減退を招く(163~165ページ)、いつも飴をなめているとエネルギーが作られにくい体になり血管の壁が脆くなり免疫力が低下したり内臓の働きが悪くなって、体のだるさ、疲れなどの症状が出やすくなる(176~177ページ)とか…そう言われてもなぁ…ちょっとショック。
 疲労回復に、モヤシ(炒めて)とか鶏胸肉が効く(52~54ページ、58~60ページ)とか、意外な情報も数多くあります。
 もっとも、さまざまなものを紹介しているので、全体として整合性がとれているのかは、ちょっと気になりますが。

08.お金をかけずに海外パックツアーをもっと楽しむ本 佐藤治彦 PHP文庫
 パックツアーをひと工夫して利用することで、自由旅行のホテル選びや移動の計画、チケットの購入、重い荷物の預け先の確保等の負担から解放され観光にエネルギーを注げるという利点を活かすことを推奨する本。
 1にも2にも事前調査で、パックツアーの選択段階での調査検討(新規路線の開設や旅行会社側の計画変更等による特にお得なツアーの発見、観光目的による行き先の季節感とベターシーズン、参加人数、バスでの移動時間、飛行機の到着時刻、現実の観光可能時間、ホテルのロケーションなど)、ツァーでの自由時間を積極的に使うための事前調査(30分、1時間の自由時間ができたときに迷わないように、行ければ行きたいところを調査しておく)、添乗員からの挨拶電話での情報収集などを勧めています。
 旅先を調べるために数千円を惜しむ人は大損をする(86~87ページ)という指摘は、なるほどと思います。何十万円もかけて行く海外旅行が充実した楽しい旅行になるか、疲れるだけの不愉快な旅行になるかを考えれば、そのために数千円を惜しむというのはばかばかしい。でも、そうは言っても日常生活に追われて、ギリギリまでやらなくて…というのはよくあることでもあります。仕事柄、うちの業界の依頼者も、何十万円かの着手金を払って(さらにいえば、それよりも、結果によって人生が大きく左右されかねない)事件を依頼するのに、数千円の相談料を惜しんで、相談無料が売りの事務所に依頼するなんていうことがままあるようですから、まぁいわく言い難いところではありますが。

07.東京のDEEPスポットに行ってみた! のなかあき子 彩図社
 ガイドブックに載っていない東京のマイナーな施設等の訪問ルポ。
 紹介されているのは、最初が全国矯正展(刑務所収容者の作業製品の展示即売会)で、その他の紹介先に東京少年鑑別所や東京地裁まで入っているのを見ると、弁護士の世界ではごく普通の場所なんですが(特に東京地裁なんて連日通う仕事場ですし)、世間では「マイナーな」場所なんだなぁと思いを新たにします。
 東京都薬用植物園(麻薬をとれるケシ、麻等の栽培)とか、ふれあい下水道館とか、猿島(東京湾の無人島)とか、行ってみたい気もします。
 しかし、ほとんどの記事の訪問時期が2010年~2012年と、古すぎるのが、この種の読み物の命といえる情報の鮮度の悪さを示していて、読む意欲を半減させます。

06.労働の論点 高橋祐吉、鷲谷徹、赤堀正成、兵頭淳史 旬報社
 日本で議論されるというか、経営者側・政治家側から指摘される労働に関する論点を中心に、労働者をめぐる現状と立法・政策課題について、労働者側の視点から論じた本。
 「日本特有」の制度として、経済界(経営者側)から克服すべきと指摘されてきた「終身雇用」について、日本でも全産業計や製造業では1990年代以降の平均勤続年数は伸びている(サービス業は平均勤続年数が減少している)し、世論調査では国民は終身雇用を支持している、それにそもそも日本の平均勤続年数はヨーロッパとの比較ではそれほど差がなくむしろ先進諸国では例外的に勤続年数が短いアメリカや韓国と比較するから長く見えるだけということが指摘されていて(30~35ページ)、目からうろこの思いをしました。同様に年功賃金についても、年齢の上昇に伴う賃金上昇率はヨーロッパとの比較ではむしろドイツ、オランダ、イタリア、イギリス、フランスは日本より上昇率が高いし、世論調査でも年齢が高くなるほどそして近年になればなるほど年功制賃金を支持している(132~137ページ)という指摘も、頭に入れておきたい話です。
 残業問題でも、東証一部上場企業の上位100社の三六協定(残業時間の上限を定める労使協定)の1月の上限が過労死(脳・心臓疾患による死亡)労災認定基準の月80時間以上が70社、厚労省告示の月45時間以下はわずかに3社(東京新聞調べ:95~97ページ)ということや、2000年以降他の先進諸国では平均賃金が上昇しているのに日本は平均賃金が減少し続けているということ(76~77ページ:企業の内部留保は増え続けているのに)も、改めて現実を突きつけられると驚きます。
 日本の労働者が置かれた状態を客観的に認識し、これほどまでに経営者側がやりたい放題のことをやって労働者が虐げられているのに、経済界の限りない欲望に追従してさらに労働者の権利を切り縮める政策(派遣労働者は確実に3年でクビにする派遣法改正は成立し、残業代ゼロ法案は継続審議中)を推進する人たちと闘うために、参考になる本だと思います。

05.浮世絵の謎 福田智弘 じっぴコンパクト新書
 浮世絵について、画題やテクニック、絵師の人柄や正体、当時の世相や浮世絵の用途などに関して50のテーマに分けて解説した本。
 絵師が絵の中のこまごまとした部分でさまざまな自己主張をしたり、幕府の規制を逃れるためにさまざまな工夫をして、判じ物のような形で風刺をしたりする様子が興味深く読めました。幕府が遊女以外の女性の名前を入れることを禁止すると名前が入っていた絵をそのままに名前を削って「三美人」として売り出したり、美人大首絵の自粛が指令されると美人の山姥の絵を描いて売り出しと、歌麿が抵抗した様子、しかし1804年には太閤秀吉に関する浮世絵を描いたために捕縛されて手鎖50日の刑に服しその2年後に死亡したなどのエピソード(44~47ページ、164~167ページ)には共感します。歌麿って、「うたまる」と読むのだそうですね(162ページ)。

04.「がん」では死なない「がん患者」 栄養障害が寿命を縮める 東口髙志 光文社新書
 癌を始め、さまざまな病気からの回復のために栄養管理が大切であり、病院が適切な栄養を与えることで感染症の防止や手術後の予後の改善ができることを論じた本。
 タイトルの「癌」の場合、癌細胞は糖を大量に消費する上に筋肉のタンパク質を分解し脂肪細胞から脂肪を血中に放出させるサイトカインを放出するために、癌患者は筋肉が細り体脂肪も減ってあっという間にやせていくが、医者は栄養を入れると癌が大きくなるなどといって栄養補給に積極的でない、その結果、患者は栄養障害になり歩行や自力排泄、食事ができなくなり、免疫機能が衰えて感染症にかかる、癌患者の8割以上は癌そのものではなく感染症で死亡しているというのが、著者の主張です(12~15ページ、34~37ページ)。
 なるほど、ではどのように栄養を摂ればいい、何を食べればいいのかと思うと、そこは著者らが工夫した栄養剤の投与(ただし、可能なら経口、できるだけ経腸)ということで、患者側からは医療機関任せになってしまうのが残念です。
 他方で、癌の最終段階では細胞が栄養や水分を受けられなくなり、栄養や水分を投与しても細胞が使うことができず、そのまま腹水や胸水、全身のむくみになって患者はかえって辛くなってしまうため、投与量を減らすギアチェンジが必要になるそうです(86~87ページ)。専門領域になるとなかなか判断が難しそうです。
 この本では、癌の話は、ある種「つかみ」でもあり、癌以外のさまざまな病気の治療、回復、退院後の生活に、入院中の栄養管理が大きく影響することが論じられています。人間の自然治癒力、免疫機能を考えれば、当然とも思えますが、医者がそのことを認識するようになったのは最近のことで、十分な栄養管理が行われていない病院も多いようです。
 著者は、患者と顔を合わせたらまず握手をして挨拶を交わすようにしている、握手をするだけで相手の握力や体温、皮膚や脂肪の状態、爪の状態、場合によっては心の状態までわかるといっています(94~95ページ)。専門家はあらゆるところから情報を得て判断の基礎にしているというわけです。これは、弁護士業務でも当てはまりますので、よくわかります。弁護士の場合、相談者の手を握りはしませんが、相談者と会話をすることでさまざまな情報を引き出し、その表情や声の調子、会話の「間」なども意識しながら相談者の話の行間を推測してさらに質問をして事実関係を見極めていくという作業をしています。そういう観点からも、メールで済まそうとせずに、現実に関係書類を持って面談した方が、遥かに深く効果的な相談ができるもので、顔を合わせてのコミュニケーションの大切さは、人間のことを扱う業務では共通しているなぁと実感します。

03.抱く女 桐野夏生 新潮社
 1972年秋冬の吉祥寺界隈を舞台に、雀荘とジャズ喫茶などで無為に過ごすノンポリ貧乏学生三浦直子が男尊女卑的な世相/文化の中での女の生きづらさ、居場所のなさを嘆き愚痴る姿を通して、時代の雰囲気を描いた小説。
 三浦直子が関係を持った友人たちの言葉に激しく憤慨する「公衆便所」という言いぐさに男尊女卑的な価値観/ダブルスタンダードがあることは、そうだと思いますし、私も、自分が関係を持っておいてその相手を「公衆便所」だとか「ヤリマン」だとか呼ぶ人には、少なくとも好意を持ったから関係を持ったのだろうしそうでなくてもしたかったからしたわけで「お世話になった」相手にそういう言い方はないだろうと、そういう人自身に人としての卑しさを感じます。ただ、この作品のタイトルにもなっている「抱かれる女から抱く女へ」というかつて人気のあったスローガンが、「性革命」「自由な女」同様に男に都合のいい女像へと誘導する利用のされ方をした側面があったとしても、この思想自体は主体性の問題で、多数の男と(手当たり次第)関係を持つことを勧めているわけでも前提としているわけでもないし、多くの場合「公衆便所」などというのは一度関係を持てば「俺の女」意識を持つ俺様男が相手が別の男とも関係を持ったことを知って負け惜しみでいうのでしょうから、そのようなレベルの低い相手の他者からの評価など気にせず受け流す態度が、主体性を持つ「抱く女」「自由な女」にふさわしいと思います。三浦直子のように日常的に会うマージャン仲間の中で3人と次々と関係を持てば、自分は特別と思っていた男が失望して文句を言い、仲間内で評判が下がるのは、ごく当然の流れでしょう。その背景に男尊女卑的なダブルスタンダードがないとは思いませんが、でも、男が彼女とその友だちとも肉体関係を持ちそれが発覚すれば、具体的な言葉はさておいても、その女性間でその男はより厳しく断罪され軽蔑されると思いますけど。
 三浦直子が、中ピ連のコミューン開所の集会に参加して、自分が「公衆便所」といわれたことを憤慨して、差別だ、絶対にこういう言葉を許してはいけないなどと発言し、それが受け容れられなかったことを「リブの女たちも優しくはなかったし、フェアでもなかった」(152ページ)としていることには、強い疑問を持ちます。運動の一つの結節点と位置づけられる集会に、それまでの運動に何一つ貢献せず関係もなかった人物が参加して、集会の趣旨と関係もない自分の鬱憤晴らしの発言をして、それが受け入れられなかったから、その運動に対して非難するというのは、井の中の蛙以上に視野の狭いジコチュウの八つ当たりにしか見えません。作者がどういうつもりで、実在した運動団体をこのような極めてアンフェアなやり方でやり玉に挙げているのかわかりませんが、良識を疑います。連合赤軍事件で山岳ベースへの参加に際して指輪や化粧などをしていたことを革命戦士としての覚悟が足りないと追及された遠山美枝子は、山岳での振る舞いについて認識がなかったとしても赤軍派内で活動経験を積み人望がありました。まったく運動に参加せず、突然集会に参加して場違いな発言をして受け容れられないことを憤慨するお手軽なジコチュウの三浦直子に「またか。自分は『遠山美枝子』なのだ。」(158ページ)などと語らせるのにも、辟易します。
 1972年を学生として過ごした人が、学生運動とかに関わっていた学生ばかりじゃない、その周辺で澱んで行き場のない学生も多かったんだという事実を遺したいとか、時代の雰囲気を描きたいということで書き、そして読むという、その限りの作品だろうと思います。

02.わたしの神様 小島慶子 幻冬舎文庫
 同じテレビ局の事業部に勤める夫村上邦彦との間で子どもができて出産・育児休暇に入って報道番組のキャスターを降板する佐野アリサ、佐野アリサの後任のキャスターとなったバラエティ番組で人気の若手美人女子アナ仁和まなみ、番組の低迷で特集コーナーを任され女子アナには報道は任せられないと息巻く記者立浪望美の3人を中心に、プロデューサー藤村、邦彦と不倫関係を続ける事業部員野元裕子、総務職員金井、行方不明の元アナウンサー滝野ルイらが絡んでテレビ局での番組とスキャンダルや不倫関係をめぐりそれぞれの思惑がぶつかる群像小説。
 こんなにもそれぞれがプライドというか高い自己評価を持ち、他人を見下しあるいは他人に嫉妬し、成功しているように見える他人の足を引っ張り不幸を願うものかと慄然とするような描写が続きます。このような作品を元女子アナが書いているという事実が、テレビ局とそこに群れる人々の本性というか生態・性向を如実に現しているという心情を持たせ、テレビの世界はなぁという驚きとどこか溜飲が下がる思いを持たせる作品かなと思います。しかし、考えてみれば、それはおそらくはテレビ局や女子アナ、報道関係者の世界だけではなくて、人間社会ではどこでも、というのが言い過ぎでも、スポットライトが当たる場面があり成功・合格者とそうでない者の区別が比較的見えやすい(例えば弁護士業界のような…)世界ではありがちなことのようにも見えてきます。そう考えた上で、改めて、でも、こういうこと考えてるの、怖いなぁと感じる作品です。
 特に仁和まなみの容姿・容貌の美しさとそれを利用することに躊躇しない言動、美しさではなく実力を標榜する佐野アリサと立浪望美の言動から、女の争い、女たちの生きづらさがテーマと読めるのですが、たぶん、これも対岸の火事の高みの見物ではいられなくて、ジコチュウで自分だけがかわいくて思い上がりの甚だしい人々が、組織や組織外からの圧力で踏みつけられながら生きていく様子とその中でのわずかな成長といったあたりを読み取るべきなのだろうなと思いました。

01.RED 島本理生 中央公論新社
 2歳半になる娘の妊娠中からセックスレスで姑との同居に息苦しさを感じる専業主婦の村主塔子が、友人の結婚披露宴で再会した10年前の不倫相手鞍田の誘いに乗り鞍田が関係する会社に勤めるようになり同僚のSEに強引に口説かれて気を持ち、当然の展開として鞍田と肉体関係を持ち、といった展開の官能小説。
 姑との同居、セックスレスで自分は塔子に口での奉仕をさせて1人満足し塔子の求めにも応じない夫、娘の体調不良や送り迎えへの対応もせず塔子を叱咤する夫、誰にも気遣われず大事にされないことへの不満といった塔子の不満は、通常であればそれが塔子の不倫の動機、背景事情とみられるでしょう。しかし、この作品を読んでいて、私が、この主人公にまるで共感できなかったのは、塔子の中にそういった不満が積もってそれがはけ口を求めてというよりも、塔子が目の前の男と浮気をしたい羽目を外したいという気持ちが先行しその言い訳を探すうちにそういった不満が形をなしてくるように見えるところに原因があります。現状に100%満足している人間はまずいないわけですから、現実にはどれほど人間的にできた夫であっても、この人物は浮気の原因として何らかの夫への不満を見つけ出すのではないかと思えてしまいます。
 ジコチュウでマザコンの夫が割を食うのは、まぁ致し方ないとしても、この作品でさらに疑問に感じるのは、レイプの描き方です。10年前の不倫相手と再会し酒場のトイレに押し込まれて「やめて」「本当に、やだ」といったら腕を捻られて後ろから押し入られ、「ひど、い」「もう帰る」といいながら、鞍田が「…そんなに嫌なら、やめるか」というのに対して「…気持ちいいから、やめないで」って(35~38ページ)。そういうデート・レイプのような展開の後、その鞍田が関係する会社への就職を誘われて、ほいほいと話に乗った塔子は、自意識過剰でジコチュウな同僚小鷹に職場での1次会の後強引に居酒屋に連れて行かれて突然キスをされると「だんだん頭がぼうっとしてきて、自分でもどうしていいか分からないくらい、生まれて初めてキスを気持ちいいと感じていた」(146ページ)となり、それまで嫌っていた小鷹がその後会社では素っ気ない対応をするのが気に入らず塔子の方が小鷹を追いかけるという展開。これ、典型的に、「嫌よ、嫌よも好きのうち」っていう表現だと思います。夫とのセックスレスに対して塔子が欲求不満に陥り、夫に求めても応じてもらえず不満に思うシーンも含めて、女にも性欲はあるんだという自己主張、そういう思いを持つ女もいるし、またそういうときもあるという主張、なのかも知れません。しかし、現実にこういった表現がもたらす影響としては、勘違いセクハラ男を増長させ増殖させるリスクの方が遥かに大きいように思えます。作者がこれまでにレイプ問題を深刻なものとアピールしてきた作品の存在を考えると、この作品のような描き方は、日経新聞での渡辺淳一のような描き手を欲しがった媒体側への迎合に過ぎるように思えるのですが。
 長期連載ということもあり、最初の方と終盤では人物像や設定にズレを感じます。それで前半に塔子に感じた人物としての嫌らしさ、底の浅さ、身勝手さが薄れ、終盤では何となく受け容れてしまうというところは、それが作者の狙いなのかもしれませんが。

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