私の読書日記 2017年2月
22.恥をかかないスピーチ力 齋藤孝 ちくま新書
自己紹介、スピーチ、コメントのコツを説明した本。
スピーチの基本として、最初に時間感覚を強調しています。人の話に対してどのくらいの時間まで許容できるかについて、「三〇秒まで 余裕で耐えられる。一分まで 『この話は面白くないな』と思い始めても、『まあいいだろう』と平静に受け止められる。二分まで 『この話はつまらない』とはっきり認定し始める。三分まで 『まだ続くのか』と嫌気がさしてくる。三分超 怒りを感じ始める。」(19~20ページ)というのが、珠玉の言葉という感じです。
大きな会場で話すとき、聴衆のさまざまな人に視線を向けるということは、意識しますが、方向だけではなく距離感を持って、特定の人に声を届かせる、(後ろを向いていても声だけで)自分に話しかけられているように感じさせる、そのためにボールを投げるような感覚で(実際にボールを投げてみて練習するとも)(44~49ページ)というのは、思い至りませんでした。
後半は個別シチュエーションになり技術的になりまた新鮮味が失われるきらいはありますが、スピーチの内容以前のところでまとめられている前半に学ぶべき点が多いように思えました。
21.経済学のすすめ 人文知と批判精神の復権 佐和隆光 岩波新書
「経済学のすすめ」というタイトルながら、特に現在の日本の経済学者、大学の経済学部の現状を批判し、文学・哲学・歴史学などの人文学を基礎とし(それらの一般教養を前提に)批判的精神をもった「モラル・サイエンス」としての経済学を志向すべきという、「あるべき」または著者としては「本来の」経済学の繁栄/復興を期待したいという本。
行政や企業からの経済学者への委託研究は、企業行動を正当化し府省益にかなう結論を導く「研究」を期待するもので、計量経済モデルの予測の信ぴょう性はいたって心もとないが、しばしば悪用されてきた。温暖化対策をめぐる議論で通産省が珍重した炭素税の導入が経済成長率を有意に低下させるという計量経済モデルに関しても、「計量経済学のプロである私に言わせれば『低下させる』という結論を導くモデルを作れと言われれば作れるし、『上昇させる』という結論を導くモデルを作れと言われれば作れる。にもかかわらず、数式とコンピュータにたぶらかされやすいマスメディアの記者たちは複雑な数式の並んだモデルを見ると、一片の恣意性も入り込む余地のない『科学的』なシミュレーション装置のように思い込む。」(140ページ)という話、原発の安全性等をめぐる電力会社やメーカーの「解析」と共通性を感じます。
日本では「学会誌のほとんどが、また大学の紀要までもが『査読付き』を名乗るようになった。」「公募への応募者を評価する際に、業績(論文)リストに並ぶ各論文の掲載誌が査読付きか否かを記入することが、応募者に義務付けられる。」「こうした公募制と査読制の導入は、一見、教員選考をフェアにするかのようだが、実のところ、教員選考をアンフェアにする元凶となった、と私は見る。」「実際、名ばかりの査読付き雑誌が少なくない。」(133ページ)、「日本の経済学者には、思想信条に無頓着な者が多いため、また審議のテーマに関わる専門的(医療・エネルギー・環境等についての)知識が総じて乏しいため、法学部出身の官僚が無理やりつくる『カラスは白い』という屁理屈を鵜呑みにしがちである。」(145ページ)、「経済学者がテレビ番組に出演する頻度もまた、日本が群を抜いて多いだろう。そんなわけで、日本の経済学者には、老若を問わず、論考を世に問う機会がふんだんに、否、ふんだん過ぎるほど多く用意されている。査読付き専門誌に論文を書く暇もなく、多くの経済学者がマスメディアで自説を披露している。その大部分が、時の政権や産業界に媚びへつらう内容の論考である。」(195ページ)などの指摘は、興味深いところです。
20.ナミヤ雑貨店の奇跡 東野圭吾 角川文庫
当初は子どもたちから冗談半分の悩み相談を受け、その後大人からの深刻な相談もなされるようになり、それに答えるのが老後の生活の張り合いとなっていた1979年の雑貨店主浪矢雄治と、ナミヤ雑貨店に当時人生相談をした相談者たち、浪矢雄治亡き後32年たち廃屋となったナミヤ雑貨店に逃げ込んだ窃盗犯3人組のもとになぜか送られてくる1979年のオリンピック選手候補「月のウサギ」、魚屋を継ぐか音楽に賭けるかを悩む「魚やミュージシャン」、昼の雑用と水商売を掛け持ちし水商売一本にするかを悩む「迷える子犬」の相談の手紙が32年の時空を超えてつながるSF風短編連作小説。
子どもたちの悩みにとんちで答える(一休さんみたいな)やりとりをしていたら、大人の深刻な相談を受けるようになってしまい、自分が戸惑い悩む浪矢雄治の姿に共感を覚えます。人の悩みを受け止めて、自分が背負い込んでしまうことの責任感・重さは、独特のものです。私は、弁護士として、あくまでも法的に解決するのならば、裁判所ではどうなるということに限定して答えますし、その答えは法律や裁判に関する専門知識と経験に基づいていますので、その範囲である限り一定の自信を持てますが、素人が他人の人生についてその方向性を示そうというのですから、まじめな人であればそれこそ自分が悩み重圧に押しつぶされてしまうでしょう。その点について、真剣に対応しようとする浪矢雄治と、悩まない不良青年敦也らを対比させているのも、巧みに思えます。
独立に無関係に登場したかのような人々が、次第に密接に絡んで来て、あぁこういう布石というか関係だったのかと味わい深く思えるという趣向です。東京まで電車で(特急でも)2時間かかる小さな町の寂れた雑貨店に相談の手紙を直接持ってくる人たちなのですから、まぁ狭い世界の住人であることは当然で、互いに知り合いでももともと不思議はないわけですが。
映画化されるという情報があったので(映画の公開予定は2017年9月でまだ7か月も先ですが)読んでみて、短編連作と知ってどうなることかと思いましたが、最終的に全体が絡まり、いろいろしんみり余韻が残るので、映画にするのはそれほど困難ではなさそうです。とりあえず期待しておきましょう。
19.オードリー・ヘプバーンの言葉 山口路子 大和文庫
著名な女優であり、晩年はユニセフの特別親善大使として活躍したオードリー・ヘプバーンの生きざまに焦点を当て、オードリーの言葉を紹介しその背景を語った本。
6歳の時に両親が離別し父親に捨てられたことを「父に捨てられたことは、私の一生で、最もショッキングな事件でした。」(118ページ)と語るオードリー。栄養失調になりやっと生き延びた戦時の苦難やバレリーナになる夢破れた挫折、(さらには2度の離婚)などを超えて、父親が見捨てて去ったことが打撃を与えたということを見るにつけ、父親の責任の重さを痛感します。
そして、オランダで第二次大戦期を過ごしたオードリーが、「私たちはすべてを失いました。家も、家財も、お金も。でもそんなことはどうでもいいのです。肝心なのはただひとつ。私たちは生きのびた、ということです。」(124ページ)と述べ、その体験から「ナチスに関しては、聞いたり読んだりする恐ろしいことを、割り引いて考えてはいけません。それは、想像をはるかに超える恐ろしいことなのです。」(120ページ)と語り、のちに「私は、ユニセフが子どもにとってどんな存在なのかはっきり証言できます。なぜなら私自身が、第二次世界大戦の直後に、食料や医療援助を受けた子どものひとりだったのですから。」(162ページ)と言い、湾岸戦争中のユニセフの会議で戦争が終結したらイラクの子どもたちに何ができるかが議論されているとき、戦争が終結したらでは遅い、「このような戦争を引き起こした不正に対して抗議するのがユニセフの義務ではないでしょうか。」と発言した(176~177ページ)というエピソードと構成は素晴らしい。この国を戦争へと駆り立てようとする連中が政権を取りマスコミを牛耳って黙らせている今、このような本が多くの人に読まれるといいなと思います。
18.新築マンションは買ってはいけない!! 購入前に知っておきたい8つのリスク 榊淳司 洋泉社新書
「住宅ジャーナリスト」の著者が、欠陥/手抜き工事問題をはじめとするマンション購入のリスク、今後の住宅事情を考えると賃貸マンションの供給過剰等により賃借料の低下・マンション価格の大幅な下落が予測されることなどを理由に、今新築マンションを購入することへの注意を喚起する本。
施工ゼネコンの子会社であることが多いマンション管理会社が、欠陥工事が発覚した場合に、施工ミスを認めずに有償の追加工事を提案し、抗議する管理組合やマンション購入者に対し「あまり問題を大きくすると、このマンションで欠陥工事があったなどという、あらぬ噂が世間に広がります。そうなれば、資産価値に悪い影響が出ますよ。みなさんの大切なお住まいの査定価格が下がってもいいのですか?」という必殺の決めゼリフで抑え込むというエピソード(26~29ページ)、手抜き工事をしても大手ゼネコンは「優秀な弁護団を擁して」いずれも住民側が敗訴というエピソード(31ページ)、やはりそうかと思います。大企業のやりたい放題と、それを支える企業側弁護士の暗躍は腹立たしい限りですが。
著者が勧めるマンション選びで、新築ではなく築10年あたりのマンションを選ぶ、その理由は築10年たって不具合が露見しないマンションは工事の精度が高いことが多くその後20年、30年しっかりした状態が保全されることが多いから、そして不具合が露見していないかは、マンション管理組合の総会議事録過去10年分を閲覧する、問題があれば総会で議論になっているはずだし、管理費の決算が赤字かどうかで管理費の滞納が多くないか、管理会社の言いなりか(管理費の水増し請求も)などがわかる(186~195ページ)というのは、なるほどと思います。
17.医者が自分の家族だけにすすめること 北條元治 祥伝社新書
形成外科医の著者が、自分の「家族が…したら」という形で50のケースについて、自分の選択を説明する本。
「自分の家族だけにすすめる」というタイトルに合うかはわかりませんが、解離性大動脈瘤で担当医から手術を強く勧められた80歳の父に対して「高齢者の開腹手術は、人体に計り知れないダメージを与えます。医師としてはそれでもすすめるべきなのかもしれませんが、家族として、息子として、私は手術をすすめることはしませんでした。本人が望まない手術は、よほどのことがない限り、本人の意思が尊重されるべきだからです」(134~135ページ)というあたりは考えさせられます。
「病院の内部では、手術を失敗することが多いのは、『心づけをもらったとき』『紹介患者』『肉親の手術』と言われています」(243ページ)は、驚く半面、なるほどと思います。失敗できないと思うと冷静な判断ができなくなり、やらなくてもよいことをして失敗するのだそうです。弁護士の場合は、前2者(お金をたくさんもらったとか、誰かの紹介)はそういうことはまずないと思いますけど。「自分が当事者の場合は、冷静な判断ができなくなる」というのは、業界でよく聞きますが。
X線検査、MRI、超音波検査などの読影能力は医師により異なるから経験の乏しい医師が人間ドックを担当すると非常に多い画像の中から情報を読み切れないだろう(223ページ)、内視鏡手術は医師の技量により手術結果が左右されることが多い(240ページ)としながら、「患者さんが病院内部の医療水準を知ることは困難と言わざるを得ません」(236ページ)。まぁ、そういうものでしょうね。弁護士業界も、そう言えば、そうとしか言えませんし…
手術の際の局所麻酔で、硬膜外麻酔ならば手術後の痛みを感じることなく副作用の心配もほとんどないが、通常の麻酔よりも30分くらい時間がかかるので手術が多い大病院ではあまり行われていない、「もし、私や家族が腹部の手術を局所麻酔で受けるとしたら、必ず硬膜外麻酔を選択します」「もし、病院側が拒否するようなら、病院を替えてもいいとさえ思います」(240~242ページ)というのは、この本のタイトル通りの感じの情報ですが、そういうことがあるのですね。
医療業界側の利害に沿って書いているように思えるところもあり、全部文字通りに受け取るべきかは疑問がありますが、健康問題・医療問題を少し冷静に見るのに読んでみて損はない本かなと思いました。
16.フィールドで出会う哺乳動物観察ガイド 山口喜盛 誠文堂新光社
日本における「幻の動物とその生息地(Fantastic Beasts & Where to Find Them)」。日本に生息する野生の哺乳類について、種別に、生息地、形態・特徴・他種との見分け方、生態(夜行性・昼行性、食性:草食系・肉食系・雑食系等、営巣場所・環境、繁殖など)、観察(どういうところで、どういう時間帯に観察しやすいかなど)、生息を確認できるフィールドサイン(食痕、糞、足跡など)などを解説しています。
日本のモグラ分布図(23ページ)で、「モグラ類の種間競争は激しく、ふつう同所的に生息せず分布域は重ならない」「西日本に分布するコウベモグラと東日本に分布するアズマモグラは、勢力争いの真っただ中にいる。先に日本に広く分布していたのはアズマモグラだが、大型で体力のあるコウベモグラが後からやってきて、アズマモグラを駆逐しながら西から東進を続けている」「今後もコウベモグラは全国制覇に向かってさらに東進、北上していくと考えられている」って…暴力団の縄張り争いみたい。地中生活中心のモグラが、そんなにぶつかったり追い出されるものなんですかねぇ。ちょっと意外です。
ニホンノウサギ、ユキウサギは、休息するときは、そこまで歩いてきた足跡上を数メートルか十数メートル戻って、そこから別の方向に横っ飛びして進み、その先で休むそうな(それを「止め足」というようです:119ページ)。動物アニメのような行動パターンですが、捕食者を欺くための知恵(進化論的には、そういう行動パターンをとる/習性を持つものが生き延びて子孫を増やしてきた)なんですね。
トウキョウトガリネズミは、北海道の一部にしか生息していないのに、なぜその名がついたか。「発見者がエゾ(蝦夷)をエド(江戸)と書き間違えたことによる」(11ページ)って… (-_-;)
15.パフォーマンス・ブレークスルー 壁を破る力 キャシー・サリット 徳間書店
職場でのリーダー的な人物とその上司や部下、同僚の人間関係・コミュニケーション上の不調・トラブル・行き詰まりや、営業担当者などの顧客等へのアプローチなどについて、別の役割・キャラクターを演じることで改善するというプログラムを提供している著者が、事例を基にその実践を解説する本。
現代社会では何でも知っている知識人であることに大きな価値が置かれ、わからないということは悪であるかのように扱われているが、知らないことがあるという自覚を受け入れることが現代のリーダーに求められることであり、それはリーダーはチームを未来に導くが未来に何が起こるかは当然誰も知らないから(63~67ページ)という説明には、うならせられます。知らないと認識するからこそ学びと成長のチャンスがあるわけですし。そして、デートに度々遅刻する夫に対し、遅刻したらその罰として5分間二人でダンスをするというルールを提案したアリシアのケース(142~143ページ)には目を開かせられます。遅刻を非難していらだつのではなく、自分が楽しいことをして二人で愉快になろうという発想の転換は、ほほえましくも素晴らしい。これぞ夫婦和合の秘訣。
多数の改善事例を読んでいると、職場でのトラブル・不満のかなりの部分を占める職場での人間関係について、こうして改善していけたらいいのになぁ、と思えるのですが、紹介されている改善事例の具体的にうまくいったものには、著者らのチームが会社からあるいは上司側から依頼を受けたものが多く、上司側が態度を変えアプローチを変えることで改善しているというパターンが大半を占めています。おそらくはかなり高額の(弁護士以上の、かも)コンサルタント料を取る著者らのチームに依頼できるのは経営者やかなり高給取りのマネージャー・リーダーが大半を占めるという事情によるのでしょうけれど、上司と部下がうまくいかないときに、上司側が部下に配慮し変化するのであれば、部下側が上司を受け入れずに反抗を続けること自体難しいわけで、うまくいきやすいのはある意味で当たり前といえます。
特に、「難しい場面での会話」と題する第9章(208~231ページ)では、冒頭に並べられる問題事例は多くが一労働者の立場での問題提起に思えるのですが、本文に入ると、一労働者の側で問題解決に挑むケースがあまり見られません。
部下側から上司へのアプローチの事例は、新任の上級副社長マイケルが上司のカーソンに話しかけるという場面(244~247ページ)で自信を持ち間を取れというようなことや、無口なタイプのエドが攻撃的なシニアパートナーのウィリアムと話す場面(259~261ページ)でジョン・ウェインの物まねをして威張った態度をとることでリラックスするくらいで、一般の労働者の参考になると言えるかは疑問があります。後者などそのケースではたまたまうまくいったかもしれませんが、上司との関係をかえって悪化させかねないように思えますし。その他に労働者側で使えるかもしれないと思うのは、教師とモンスターペアレントの事例(232~242ページ)、セールスパースンと見込み客の事例(116~120ページ、243~244ページ)、コンサルタントとクライアントの幹部(223~228ページ)くらいです。
全体として、労働者側が職場の人間関係上のトラブルに向き合うときに有効に思えるケースは少ないですが、そこにあまり期待せずに、うまくいかない人間関係一般の改善に向けたチャレンジとして読むと、何か使える場面があるといいなと思い、少し得した気分になれるかなという本です。
14.雑学の威力 やくみつる 小学館新書
本業は漫画家だが、現在はテレビコメンテーター、クイズ回答者として知られる著者が、雑学の身につけ方、活かし方等を論じた本。
「例えば、『遺伝子工学』について知っているよりも、雑学的知識のひとつとして、道端できれいな花を咲かせている植物の名前を知っていたほうが、人との会話を盛り上げるという点でははるかに有用です。もしくは、「宇宙工学」に精通しているよりも、夜空の星座に関して詳しいほうが周囲の人からのウケはいいでしょう」(5ページ)。確かに。言われている側の学問をしている人は悲しいでしょうし、今どき「夜空の星座」を見ることができる人が、少なくとも都会に、どれだけいるかは疑わしいところではありますが。「雑学の最大のいいところは、『人を傷つけない』ところです。仮に、話をしていて相手を不機嫌にしてしまうなら、それは雑学ではありません。その点だけは絶対に押さえておきたいポイントです」(36ページ)も、なるほど、とは思いますが、この書きぶりは何か嫌な経験があるのでしょうね (^^;)
雑学を収集する作業を飽きずに継続するコツのひとつが、知識を得るたびに「あー、今日もひとつ頭が良くなったよね」と声に出して言うことで(78ページ)、「不思議なもので、実際に毎日のように繰り返して口にしていると、脳がその言葉を信じ込んでしまうのか、着実に一歩前進したような気になります。同時に刷り込んだ新たな知識の内容をそばにいるカミさんに伝えることで、より確実なものにできます」(126ページ)だそうです。なるほど。
自宅で見つけたテントウムシが「ムーアシロホシテントウ」だったとか、クモが「アダンソンハエトリ」だったというエピソードで「日本の一般家庭に、外国からムーアさんやアダンソン博士なんていうお客さんが来ることはまずないでしょうから、虫とはいえ、しっかりと歓待してあげないと礼を失するというものです」(72ページ)って…『日本産原色クモ類図鑑』が常備されている「一般家庭」の方が珍しいんじゃないかと。
「漫画を描いていればネタ切れはしょっちゅうですが、ネタが出てこないからといって連載を飛ばしたことは35年間一度もなく、最終的には必ず切り抜けることができているのです」(188ページ)は、ご立派。締め切りのある書面を多数抱え続ける仕事をする者として、その苦しさはよくわかります。博識の自信がそうさせるということとして書かれていますが、むしろ逆にそういう人だから雑学の収集を継続しひとかどの者になれるのではないかとも思います。
全体としては、ビジネス書にありがちな、出版のコンセプトは明確でわかりやすいが書ける方法論に限界があり次第にページを増やすための水増し・こじつけが続き終盤にはだれてくる、ページ数をもっと減らしてコンパクトに抑えた方がいいのにねという読後感ではありますが、趣旨はなるほど感があります。
13.エロティック日本史 古代から昭和まで、ふしだらな35話 下川耿史 幻冬舎新書
日本の性の通史をつくるという企画で、日本史の中での性にまつわるエピソードを紹介した本。
混浴について、「エロの歴史」というくくりで位置付けています(56ページ等)が、出雲風土記のころから(それ以前も)を論ずるのに、混浴だから大行列だったと評価するのはどうかなと思います。その頃そもそも男女別の風呂があったのか、混浴だからではなく、温泉自体が珍しく人気だったということではないのか、疑問に思えます。ペリーの報告書で「ある公衆浴場での光景だが、男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる…」と「侮蔑」しているとされています(249~250ページ)が、入浴者が「互いの裸体を気にしないでいる」のならば、入浴者は「エロ」の気持ちを持っていないということではないのか、周りが、お上が、後世の人間が、勝手に淫乱だ、けしからんと言っているだけなんじゃないかとも思えます。
「性」の問題とは別に、「庶民の生活史という点からいえば、源平の争いが始まった時から徳川幕府が成立するまでの400年以上、ズーッと戦国時代であった。なぜならその400年間、庶民の家は焼かれ、田んぼは軍勢が移動する際に踏み荒らされて、まるで津波に襲われた後みたいに使い物にならなくなったからである。」(167ページ)として、勝った軍勢が庶民から強奪し家を焼き払い人さらいをして奴隷として売り飛ばした様子(167~168ページ)、多くの日本人が奴隷として海外に売られたこと(182~183ページ)などが紹介されています。日本史の英雄として位置づけられている戦国大名たちが、庶民を虐げ強奪する残虐で小汚い権力者だという視点を持たせてくれるという点で、興味深いところです。
12.過ぎ去りし王国の城 宮部みゆき 株式会社KADOKAWA
目立たない個性に乏しい友達の少ない中学生尾垣真が、銀行の掲示板に張り付けてあった中世の城のようなものを描いた風景画に引き寄せられる感覚を持ち、仲間外れにされ孤立している絵がうまい元同級生城田珠美に、その絵の中にツバメや人間の絵を描かせてそれをアバター(分身)として絵の中に入り込み、絵の世界と絵の成り立ちの謎に挑むという設定のファンタジー。
「絵のなかに人が入ってしまうって話は、珍しくない」(88ページ)と、城田に言わせていますが、やっぱり「ナルニア国物語」第3巻のイメージかなと思いますし、別の世界にアバターを送り込んでそれと接続した外界で体が眠り込んでいるというのは映画の「アバター」のイメージで、どこかで見たようなアイディア・イメージのつぎはぎ感があります。それで1冊書けるのも才能ではありましょうが…
主な登場人物3人の中で、語り手の尾垣真が一番未熟で狭量でわがままというのが、ある種の新鮮さを感じさせるか、読者に入りにくさ・違和感を感じさせるか、も読後感・作品への評価を左右しそうです。
11.新しい労働者派遣法の解説 派遣スタッフと派遣先社員の権利は両立できるか 中野麻美、NPO法人派遣労働ネットワーク 旬報社
専門性の高い業務について派遣労働を認める→専門性の高い業務についてだけ長期間の派遣利用を認めるという労働者派遣法制定以来の基本的な考え方を投げ捨てて、「専門26業務」という区分自体をなくしてすべての業務について派遣先企業は過半数労働者の「意見を聞く」(過半数労働者が反対意見でも構わない)という手順を踏みさえすれば無限に派遣労働を利用でき、他方、派遣労働者は(無期雇用の派遣労働者を除き)一律にすべての業務で3年で派遣切りをされることになった2015年の派遣法改正後の労働者派遣業法について、派遣労働者を支援する側から解説した本。
労働者側からの解説なのですが、2015年派遣法改正の悪口(私が↑で言っているような)は言わず、政府・官僚側の建前を述べつつ、そういう建前なんだからこうすべきだよねという姿勢で論じています。
基本的には、労働者が、経営者と自ら、または労働組合を通じて交渉するときに、労働者・労働組合側が主張を組み立てるに当たってこういった視点・考え方で行けばいいんじゃないかというものとして読むのが適切な本だと思います。弁護士の目からは、裁判所ではその主張は通りそうにないし、弁護士や裁判所を通じて実現するのは難しいとかコストが見合わないと感じる点が多々あります。この本を持って、弁護士に相談に来られても、なかなか難しい、けど労働組合(地域合同労組など)を通じて団体交渉で実現する/実現に向けて頑張るということなら、これくらいのことを言ってもいいでしょうねって…
そういう観点では、参考になる点も多々あります。派遣先が事前面接をしている場合(派遣法は派遣先の労働者「特定行為」を禁止しています)派遣先の雇用責任を追及できる可能性がある(64ページ)とかは、チャレンジしてみたい気がしますし、妊娠・出産関係の第4章、育児・介護休業関係の第5章は、派遣労働に限った話ではありませんが、さまざまなことがコンパクトに解説されていてわかりやすい。
登録型派遣の更新を繰り返した場合の雇止めに合理的な理由が必要か(合理的な理由がなければ雇止めできないか)については、登録型派遣については更新を繰り返しても派遣法の「常用代替防止」の立法趣旨から「雇用継続の合理的期待」を認められないという判決があり、そのことはこの本でも繰り返し紹介されている(24~25ページ、27ページ、200ページ等)のに、有期派遣契約が繰り返し更新されていれば雇用継続の合理的期待があり雇止めをするには合理的な理由が必要と無前提に書かれていたり(196~197ページ、198~199ページ)するのは、大丈夫かなぁと思ってしまいます。
旬報社の本に多く見られることではありますが、「てにをは」がおかしいところや誤植が目につきます。
10.貧しい人々のマニフェスト フェアトレードの思想 フランツ・ヴァンデルホフ 創成社
メキシコ南部のオアハカ州山岳地帯の先住民コーヒー農民とともに働き、生産協同組合を組織して仲買人(中間搾取者)を排除し消費者と直接農民が生活条件を向上させ環境の改善ができるような最低価格を合意して取引するフェアトレードの枠組みを構築した労働司祭によるフェアトレード運動のためのパンフレット。
著者の主張は、農民(庶民)にとって必要なことは、尊厳を持って生きることであり、そのためには施しではなく農民の労働(生産物)が正当に評価されること、それを確保するシステムこそが必要だということです。著者は、チャリティは不要で、有害だと述べています。「チャリティは、他者を主体的存在または生活者としてではなく、対象物として扱う。このことは、人々の暮らしを支えることに不適当である。他人にお金を乞うことは、この世で最も屈辱的なことだ。」(61ページ)、「途上国にやってくる大抵のNGOは、活動が行われる地域において、最も貧しい人々が何を必要としているかを問わずに、地域住民にとってよいことについて、あたかも住民よりよく知っているかのごとく振る舞っている。」(62ページ)、「結果として、NGOのメカニズムは、自由主義システムを正当化する大量破壊兵器のようなものになってしまう。長期的なプログラムあるいはプロジェクトにおいて、NGOはドナーから優先事項を監視されており、地元のニーズに基づいて機能するわけではない。3~5年間プロジェクトを実施し、その後のことは考えず、バトンを持ったまま帰ってしまったNGOを私自身どれだけ見てきたことか。」(63ページ)など、上から目線の施し(チャリティ)を非難しています。
「解説」の中で、国民1人当たりの2013年のフェアトレード製品購入額が、スイスが5930円、イギリスが4407円、カナダが669円、アメリカが131円、そして日本が74円と紹介されています(156ページ)。フェアトレードの浸透力、フェアトレードへの関心の差が歴然としています。
「解説」の中で、本書は2009年頃に執筆されたと思われる(124ページ)とされていたり、「京都、モントリオール、コペンハーゲン」という本文の記載に一連の気候変動枠組条約締約国会議(COP)のことだと思われると注記されている(111~112ページ)のは、どうしたものかと思います。翻訳者は不明な点を著者に確認しないのでしょうか。著者が会いに行くには大変な場所に住んでいることは170~178ページで書かれてはいますが、著者もインターネットを駆使していることが明記されており(23ページ)、どうしてメールで聞かないのかといぶかしく思います。著者が翻訳を了解している(了解していなかったらこの本の出版自体著作権侵害になるでしょう)以上、翻訳上の質問には答えてくれるはずだと思うのですが。66ページの「1.21セント」は「45セント」の3倍だというのですから、当然「1.21ドル」の誤りでしょうし、固有名詞の不統一など誤植と思われる記載が目につきます。世に問う価値のある本と考えて出版しているのでしょうから、もう少し丁寧に作って欲しかったなと思います。
09.科学者と戦争 池内了 岩波新書
軍事研究の歴史を概観し、戦後、日本学術会議や大学レベルで「戦争を目的とする科学の研究には絶対に従わない決意の表明」(1950年、日本学術会議第6回総会)など軍事研究を拒否する平和路線を標榜した日本の科学者たちが、近年、軍事利用と民生利用ともに可能な「デュアルユース」を口実に米軍やその傘下の研究所、防衛省などの資金を受けて研究を行い、軍楽共同が進展している様子を報じた本。
研究者が、研究を続けるために研究費を獲得することが必要で、大学の教授らの仕事のかなりの部分が研究費の獲得(パトロンの発掘)に費やされている/かかっているという実情からは、平和で民主的な研究の予算/研究費をどう確保するかが、科学者が軍事研究を拒否し続ける基礎となります。科技庁の研究予算の多くが原子力研究に注ぎ込まれる中では原子力研究/原子力推進が学会のメインストリームとなり、ソフトエネルギー研究が進まないように。研究費が確保できなくても志を捨てるな(武士は食わねど高楊枝)というのも、わかるけれども、何とかできないものかなぁと思います(懐を潤してくれるパトロンもない/楽に稼げる事件もないのに、貧しい人々が正義を貫けるように頑張れ、と期待を寄せられる/叱咤される身には、他人事に思えなくて…)
米軍から日本の大学やNPOに2008年から2016年の9年間に8億8000万円の研究費がばらまかれていたことが報じられている(朝日新聞では2017年2月9日朝刊)今、流れを知り考えるのにタイムリーな本だと思います。
08.淡雪の記憶 神酒クリニックで乾杯を 知念実希人 角川文庫
VIPが秘密裏に治療を受ける秘密のクリニックの一癖も二癖もあるメンバーたちが患者に関する事件の謎を解くミステリー「神酒クリニックで乾杯を」の続編。
都内で発生したビル爆破事件と、その爆弾製造に関与したと目される記憶喪失の謎の女性をめぐり、神酒クリニックの面々が得意の能力を発揮します。今回は、看護師一ノ瀬真美がスピード狂のほかに美術(印象派)オタクであることが判明します。
キャラ設定のコミカルさ、ストーリー展開の軽快さなど、手慣れた感じで、読み物としては快く読めますが、ミステリーとしては、もともと予想しやすい筋の上に、第1作を読んでいると、クセも読めるので、先がだいたい見えてしまうのが少し残念。先が読めても、キャラの味わいと会話のコミカルさで、まぁそこそこ楽しめる作品だとは思いますが。
07.さよならインターネット まもなく消えるその「輪郭」について 家入一真 中公新書ラクレ
レンタルサーバー事業や各種のウェブサービスの会社を経営しインターネットのプラットフォームを提供する側に立ち、2014年には東京都知事選挙に立候補しネット選挙を展開した著者が、インターネットの過去・現在・未来を語る本。
基本的に、著者の経験談で自伝的エッセイという感じです。インターネットの初期、電話回線でその都度接続・切断し、モデムの「ピーヒョロヒョロ…」を聞いていた世代としては、懐かしい話が見られ、またSNSで「友達」からの投稿やシェアで送られてくる情報が基本的に方向性が同じで、それを見ていると世の中を見誤る(私の経験でも選挙など特定の陣営の側にいると身内の情報が多数流れてきているのに漬かっているうち勝っているように錯覚してしまうことが多々あります)というような話は、そうだよねと思うのですが、だからインターネットの利便性が減少したわけでも特に危険になったわけでもないと私は思います。確かに送られてくる情報だけ見ていたら心地よい幻想の世界に浸ってしまうのでしょうけれども、そもそも自分で積極的に情報を求めることで自らの知識や検討・検証能力を高めることができるのがインターネットの大きな魅力だと思うのです。近年のSNSの発達などにより、インターネット環境が誰もが顔なじみの田舎町のようになり、どこへ行っても知り合いに出くわし、監視されているような窮屈さを感じるとして、そこから外へ(リアルの世界へ)飛び出すことに救いを求めようというのは、著者がそうするのは自由ですし、ネット社会で息苦しさを感じている人にそういう道もあるよと示唆するのはいいと思うのですが、推奨すべき方向性と言えるか疑問を感じます。
06.世界で大活躍できる13歳からの学び 髙橋一也 主婦と生活社
課題に対する答えをレゴブロックを使うなどして「見える化」し、その後調査して得た情報と課題に答えた時点での考えを比較して話し合い、それらの過程や結果を映像化してネット上遺してアーカイブ化して振り返ることができるようにするというような方法論で中学の英語教育を行い、日本で初めて「グローバル・ティーチャー賞」の最終候補となった著者が、教育論を語った本。
日本の教育は、知識を「知っている」ことを目指し、「答えがすでにある問題」について速く正解を出すことには向いているけれども、世界では「理解すること」が重視され、学んだ知識をどう使うか、どう判断するかを聞いてくる、現状を分析して自分が知っている知識をフル活用して「最も正解に近い仮説」を立て、それを相手が納得するように伝えることを求めている、言い換えれば、日本では「勉強」に力を入れ、世界は「学び」を求めているというのです(46~47ページ、94~97ページ)。
これって、法律相談について新聞・雑誌やネットでの「法律相談」と称する記事を見て一般の人が持つ誤解と、弁護士が現実に行っている(少なくとも私が行っている)法律相談の違いみたい。ときどき、法律相談を、文書で質問したら、それに対して既にある法律知識を当てはめてそれで回答が来るものと思って、手紙やメールを送ってくる人がいるのですが、本来の(少なくとも私がする)法律相談は、現実の紛争の具体的な事実関係とそれを裏付ける証拠を検討して、相談者にとってより望ましい解決をするために、仮に裁判になったら裁判官にどういう事実を説得できるか、その事実にさまざまな法律や裁判例、その他の知恵を出して、どういう結論が妥当だと裁判官に説得できるかを考えて、その見通しの下で、相手や相手方の弁護士に何を説得できるかなどを考え、どのように進める可能性があるか、そのために今後準備するべきことは何か等を考えていくものです。前提となる事実をどう考えるかでも具体的な証拠を検討し評価する必要がありますし、使えそうな法律や裁判例を考えるときも事実関係の細部まで検討しないと見誤る危険があります。最初から決まった1つの答えがあって法律の知識を当てはめればそれがわかるという性質のものでは、全然ありません(新聞や雑誌・ネットでの「法律相談」と称する記事の多くは、本来「法律豆知識」とでも呼ぶべきもので、とても「法律相談」などと言える代物ではありません。その手の記事のおかげで、どれだけ多くの人が法律相談を誤解しているか…)。この本で、勉強は一方的な個人プレー、学びは対話だと言っている(100ページ)のと同じで、対話のない(手紙とか。メールもそれに近い感じがします)法律相談なんて、私の感覚では、あり得ません。
05.イノセント 島本理生 集英社
性的虐待を受けて育ち優しい夫と死に別れた薄幸の美貌の美容師徳永比紗也と、函館で比紗也を見初めた軽薄なモテ男のイベント会社社長真田、回転ドアで手を挟まれたところを比紗也に救われた自らの「内なる声」と過去の罪に悩む神父如月が、すれ違い絡み合う恋愛官能小説。
見た目のよい中身はなく軽薄で身勝手な「俺様男」と、誠実に尽くす押しの弱いタイプの男に追われ慕われという設定は、ありがちな韓流ドラマのよう。そして、そういう場合、ヒロインは、押しの弱い性格のいい誠実な男ではなくて、性格の悪い俺様男を選ぶというのも、ありがちなパターン。男性読者には、やるせない思いがあります。
性的虐待等の過去のためではありますが、心を開かず、見てくれがよく男好きがするという同性からは嫌われるタイプのヒロインと、軽薄で中身がなく外見がよくてモテる俺様男というやはり同性からは嫌われるタイプの男の組み合わせは、男性読者からも女性読者からも受けが悪いのではないかと思います。
性的虐待を受けたヒロインの行く末は、希望を持てるというべきなのか、如月の普通にはあり得ないような献身があって初めてそのような結末に至るというあたり、むしろ現実には絶望的というべきなのか、類似の経験を持つ読者はどう感じるのか、気になるところです。作者が、性暴力をめぐりその作品ごとにその扱い・評価に大きな振れ幅を見せているように、私には感じられます。「RED」に続き、官能小説的な色彩が強くなってきているその表現とあわせて、作者の姿勢とターゲットが気になります。
04.真夜中の約束 リサ・マリー・ライス 扶桑社ロマンス
「真夜中の復讐」のラストでローレンとジャッコの前に重傷を負って現れ「助けて、オビ=ワン・ケノービ。あなただけが頼りなの」と言って意識を失ったローレンの命の恩人「フェリシティ」と、ジャッコの同僚の元アメリカ海軍特殊部隊(SEAL)の衛生兵でかつて深手を負い骨の相当部分が金属で置き換えられている「メタル」が、惚れあい、爛れた関係を持ちながら、メタルが勤務先の警備会社ASIのメンバーの協力を得て、フェリシティを狙う敵と戦うアクション官能小説。
基本的に、前作「真夜中の復讐」のジャッコとローレンをメタルとフェリシティに置き換え、女性の境遇の設定を変え、敵をスケールアップしたもので、おおむね同じテイストの作品だと思います。
03.真夜中の復讐 リサ・マリー・ライス 扶桑社ロマンス
アメリカ海軍特殊部隊(SEAL)隊員だったメンバーが設立運営している警備会社ASI(アルファ・セキュリティ・インタナショナル)の幹部社員ジャッコが、ASIの社長の妻であるインテリア・デザイナーのスザンヌがお気に入りにしている画家ローレン・デアに一目惚れし、欲情し、ローレンが人目に付くことを避け続ける原因となっている過去を探り、ローレンを付け狙う悪役と戦うという、アクション官能小説。
肉体派で下半身が先行するマッチョ男が、美貌のインテリ女性に一目惚れし、高嶺の花と思われたが、執念深い敵に追われ逃げ続け他人(男)と深い関係を持てなかった事情もあり、相手も憎からず思い、思いを遂げるという、ガテン系男性読者の憧れ/妄想を満足させる作品というべきか、深窓の令嬢系の女性が逞しい男と肉体関係を結び、守ってもらいたい願望と性的満足/恍惚感を得るという女性読者のお姫様的願望を満足させる作品というべきか…
ローレンの知的水準の高さを強調し、ジャッコがローレンを尊重する前半は、フェミニズム色も意識したかと思えましたが、終盤でローレンの致命的ともいえる判断ミスを設定しているあたり、知的な女性も結局は十分な判断力を持たないと言っているようで、基本は男性読者向けかなと思えました。時にはミスを犯す私をそれでもきっちり守ってくれる頼れる男性、への願望を満たすという意味で女性読者を狙っているのかもしれませんが。
02.参勤交代の真相 安藤優一郎 徳間文庫カレッジ
江戸幕府の大名統制制度の参勤交代について、その実情、費用、制度化と幕末の消滅の経緯などを解説した本。
一方で莫大な支出に苦しみながら、大名行列の規模や衣装、先頭の槍持ち奴のパフォーマンスなどによる大名の格の誇示に執着し、国元と江戸では行列の人数を増やし衣装も派手なものとするなどしていた様子や、大名行列が重なるときのトラブル(格下側が譲歩させられプライドを傷つけられる)を避けるための配慮、天候、特に増水による川留めによる宿泊・人足費用の増加や宿の手配・キャンセル費用など、悲喜こもごもの様子が興味深く読めます。
江戸城で大名が将軍に拝謁する際、将軍が現れる前に先払いの御坊主衆が「おー」とか「しー」と声をかけ、それであたりが一瞬のうちに静まり、この場面に遭遇した欧米人はカルチャーショックを受けたとか(169~170ページ)。「しーっ」って、そういう歴史のある言葉だったのか…
参勤交代の大名行列の費用だけで藩の支出の5~10%を占めたとか(197ページ)。それが江戸と宿場町・街道筋に与えた経済効果も大きかったと考えられ、特異で合理性に欠ける制度ではあるものの江戸の経済を支える仕組みになっていたり、いろいろ考えさせられるところがありました。
01.「あきらめる」のが上手な人、下手な人 斎藤茂太 角川文庫
過去の経緯や決定、他人との比較や意地から方向転換ができないことの愚かさを説き、「あきらめ」て損害を最小限にとどめて出直すなどした方がいいということを勧める人生論・処世術の本。
過去の努力や投資が無駄になることを恐れて方向転換ができないという事態は、よく見られます。ここまで頑張ったんだからと、引き返せなくなって傷を深めるというやつ。損切り・見切りができるかという話ですね。私は、基本的に、これまでにどれだけのものをつぎ込んだかよりも、これから先続けることのメリットとデメリットを重視して決めることにしていますので、これから先続けるのがものすごく疲れるもので、続けることで得られるメリットが少なくて自分の価値観としてそれほどの意味を見いだせないことなら、過去にどれだけの労力をかけていても関係なくあっさりやめます(仕事だと、契約した範囲はよほどのことがなければ終わりまでやりますけど、その範囲が終われば、次の契約をするかの段階では過去には囚われません)。そういうあたりの話では、著者の意見と同感ですし、実践できていると思います。
しかし、ビジネス書にありがちですが、「あきらめる」というキーワードで多くのものというか何でもかんでも語ろうとしすぎて、メッセージがごちゃごちゃしているような印象もあります。「あきらめる」のは、何かを実現するためで、大きなものをあきらめないために、目の前のものをあきらめるということであったり、二兎を追えないから片方はあきらめろということで、そこでは「あきらめない」ことに意味が見いだされたりしているわけです。その何をあきらめ、何をあきらめないかの選択が大事なのに、そこがきちんと語られていないというか、ポリシーが見えにくいように感じるのです。
また、女性については結婚か仕事かの二者択一を論じたり、正しいことの自己主張をするのではなく長い物には巻かれろと諭したり、旧世代の支配構造に都合のいい傾向を持つ本でもあります。
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て妻としたしむ」という啄木の歌を引いて、足るを知るを説くのは共感します。友がみなわれよりえらく見ゆる日以外でも、妻と親しみたいと思いますけど。
**_****_**