私の読書日記 2017年4月
20.グローバル・ジャーナリズム 国際スクープの舞台裏 澤康臣 岩波新書
タックス・ヘイブンの匿名法人を利用して不正蓄財や犯罪収益を隠匿していた政治家や財界人、犯罪グループを暴いた「パナマ文書」スクープを始め、各国での汚職や組織犯罪を暴く調査報道の事例、それらを担う新聞社や元編集者・元記者らがつくり寄付で運営するNPOの現状、調査報道の手法についてのジャーナリストたちの情報交換・経験交流などを紹介し、日本の現状について苦言を述べる本。
第1章の「パナマ文書」をめぐる世界各国の数百名に上る記者たちの連携と調査の遂行、そして調査過程で裏切者が出ることなく秘密と解禁日が守られたことには驚きと感動を覚えます。
第2章の各国で記者たちが圧力と迫害を受けながら汚職や組織犯罪を暴く調査報道をする様子も、興味深く読みました。もっとも、この章でイタリアの記者が警察と協力し警察から情報をもらい捜査に配慮している様子を、肯定的に描いているあたり、イタリアの記者に「警察官も他の取材先と同様に扱う」、「我々は警察の広報係じゃない」(96ページ、97ページ)と言わせてはいますが、どうかなと思います。安倍政権の提灯記事を書いている日本の記者だって、聞けば公平・中立だの我々は政府の広報じゃないというと思いますけど。
第3章で、地方紙の記者やNPOの調査衝動を紹介していますが、ここでも、オレゴン州の「革新知事」だったゴールドシュミットについて政界引退後にかつてベビーシッターとして雇った14歳の少女と性関係を持っていたことを暴いて叩き潰し州議会議事堂の歴代知事の肖像画からも撤去させその功績と歴史を消し去った地元紙のスクープをほめたたえています(125~138ページ)。リベラル/革新の政治家をその権力から離れた後に叩く、タブーへの挑戦ではなく、より大きな権力・保守系政党の利益に沿う行動です。この「スクープ」の情報は、もともとゴールドシュミットの政敵の上院議員からもたらされたものです(127ページ)。その経緯を見ても、リベラル/革新勢力を叩きたい権力者・保守系政党の思惑とリークに記者が踊らされ操られたということではないのでしょうか。
日本で調査報道がやりにくい事情として、裁判記録の公開の程度が低いことが挙げられています。アメリカでは裁判記録の全体(提出された書面や証拠書類も含めて)がネットでダウンロードできるというのを聞くと世界が違うというふうに思いますし、私も裁判に限らず日本の個人情報隠しは行き過ぎの感があり違和感を持つところはあります。ただ、本来の意味での一個人の情報は、権力と戦うことなどほとんどなく弱い者いじめに血道を上げる三流週刊誌(あえて言わせてもらえば「週刊新潮」とか)が跋扈する日本の現状を考えると、公開に反対したい気持ちが強くなります。
裁判の関係者の名前が判例集で隠されるようになったのは、ネットでの検索が一般的になるころからではなかったかと思います。日本でも、以前は判例集に当事者や関係者の実名が記載されていて、図書館で紙媒体の古い判例集をめくれば今でももちろんそれを見ることができます。私の専門分野の労働事件では、古くから事件名は使用者企業の名前で呼ぶのが通例で、今でも多くの事件はそうやって事件名がつけられます。しかし、企業や役所は企業名を出すことを嫌がります。情報公開法で、個人の情報と並んで「法人情報」も企業の競争に影響を与えるなどとして公開対象から外されているのは、企業の意向/利益を最優先したものと思います。労働事件の事件名の分野でも、日本経団連が発行している判例雑誌「労働経済判例速報」では、大企業でなければ企業名を隠す傾向にあり、ほとんどの事件が「X社事件」「甲社事件」とされて事件名を付ける意味がなくなっています。エルメス・ジャポンなどの有名企業でも「X社」とされます。労働事件関係の判例雑誌で一番メジャーな「労働判例」(産労総合研究所)でさえ、判例時報が当事者を「ホッタ晴信堂薬局」と書いている事件を「甲野堂薬局事件」と表記したり、海遊館と報道されている事件を「L館事件」と表記したり、企業の意向を忖度し遠慮して匿名化を図ることが多くなっています。2016年6月に弁護士会の研修で私がコメンテーターとしてしゃべったのが第二東京弁護士会の機関誌に収録された(NIBENフロンティア2017年4月号)際にも、私が「海遊館の事件で」と言ったのが、勝手に「L館事件で」と直されてたりします。個人のプライバシー保護を理由に一私人の情報を非開示とするというのとはまったく違う、権力者や企業の情報をそういった連中の意向により隠したがる傾向が進んできているのは、本当に嘆かわしいことだと思います。
権力の裏側を暴く調査報道には、敬意を表しますし、本当に大切なことだと思います。ただ、同時に、それがどこに向けられるのであっても真実を探し出す調査報道は/記者は正義なのだと、記者の調査を制約するのはすべて間違いであるかのように言われるのであれば、素直に支持できないものを感じます。
19.労働法実務解説8 高齢者雇用・競業避止義務・企業年金 大塚達生、野村和造、福田護 旬報社
日本労働弁護団の中心メンバーによる労働法・労働事件の実務解説書シリーズの秘密保持義務、競業避止義務(労働者が勤務先のライバル会社に勤務したりライバル会社を経営したりしない義務)、公益通報(内部告発)、個人情報保護、高齢者雇用、企業年金関係の部分。
2008年に刊行された「問題解決労働法」シリーズの改訂版です。「問題解決労働法」では、「社会の変化と労働」というテーマで、要するに近年新たに問題となってきているものを寄せ集めた巻になります。
第2章の競業避止義務は、主として使用者が退職する労働者に退職時に競業避止義務を負う契約書(誓約書等)を書かせている場合に、どのような場合にどの範囲でそれが有効となる(労働者が競業避止義務を負う)かについて、裁判例のばらつき(ブレ)が大きく、弁護士としては、相談を受けた場合に判断がとても難しい問題(分野)です。この本では、裁判例を多く取り上げそのばらつき加減(わからなさ)をあるがままに論じていて、現状での労働者側の解説としては割とハイレベルなものになっていると思います(それでも結局裁判例の「傾向」はすっきり説明できないのですが)。その契約書等での競業避止条項の目的(企業の秘密や独自に開発したノウハウを守る目的か、秘密と称していても一般的な知識にとどまったり競争排除目的にすぎないか)を重視して後者の場合には競業避止義務を容易に認めない一連の裁判例の傾向(とその問題意識をあまり持たない一群の裁判例)という説明の視点があった方が、私はよりよかったと思いますが。
第5章の高齢者雇用(定年再雇用)では、関連の行政規制の説明が多く、裁判実務で問題となる高年法(高年齢者等の雇用の安定等に関する法律)の経過規定で一定年齢(2017年4月現在では62歳)以上の労働者の契約更新の際に2013年3月末日までに再雇用制度を設けて労使協定を締結した使用者は労使協定で定めた再雇用基準(成績優秀とか、勤労意欲に富み周囲によい影響を与えているとか、使用者が更新拒否をしやすい内容であることが多い)により労働者を選別して更新拒絶できることに対して、労働者側でどう闘うかについての記述がまったくないのは、この本の性格からして大変残念です。
第6章の企業年金は、弁護士の多くにはなじみがなく、私もほとんど知らない領域なので、主として年金減額に対するものですが、裁判例を多く挙げて解説されていて、とても勉強になりました。
雑多なテーマの寄せ集めのため、通し読みにはあまり向いていないと思いますが、労働事件を多く扱う弁護士には読み甲斐と使いでのある1冊かなと思いました。
18.ITSUKI 死神と呼ばれた女 中島丈博 文藝春秋
中2の娘を持つ結婚15年の四十路の人妻斎が、夫を捨て娘も置いて家を出て、歌手志望だが芽が出ない26歳の派遣労働者でエロ本5冊を万引きした青年志田元春と、その友人で外資系製薬会社のエリート社員の薦田潮の2人の年下男と肉体関係を持ち、それに斎の生物学上の父の妻多鶴子が嫌悪感を持ち、多鶴子の娘で斎とは腹違いの妹の朔子が嫉妬し、当初は中立的だった朔子の娘でかつて潮に振られた梢がプライドを傷つけられて逆上し、潮の父親で斎の勤務先の経営者薦田と妻範子嫌悪感を持って斎の行動を阻止しようとし、斎の生物学上の母と斎の友人のアラフォーたちが斎を唆し煽るというような関係で進められる小説。
四十路の女が一回り年下の男2人を手玉に取り、2人から言い寄られて愛され、かつ2人が友人同士でそれを許容している「妻妾同居」ならぬ公認二股愛人関係という中高年女性の妄想炸裂小説です。こういう小説は、婦人公論とか女性週刊誌に掲載されるものかと思いましたが、これが「週刊文春」に連載されていたというのが驚きです。まぁ、「週刊文春」の読者層を見ると3分の1くらいが中高年女性なんだそうですが…
斎の生物学上の母の海老原会病院総師長浅妻徳美のキャラクター設定があまりにもエキセントリックで図々しく厚顔無恥で、到底共感できないことはもちろん、こういう人が総師長の立場についてやっていけるはずもなく、荒唐無稽に感じられます。そして朔子の意地悪さ/執念深さ、梢の嫉妬と逆上ぶりが、無理な過剰感があります。引き立て役を悪く描きすぎて、コミカルのレベルを超えて、うんざり感があり、読み味が悪くなっているように思えました。
終盤で、エンバーミング(遺体保存技術)についての蘊蓄があり、そこだけ少し上品に読める感じですが、通して読むと途中で気が向いてそういう話を入れてみたのねというとってつけた感があります。
16.17.汚染訴訟 上下 ジョン・グリシャム 新潮文庫
リーマンショックのあおりを受けて企業側の巨大事務所からリストラされた弁護士経験3年のサマンサ・コーファーが、ヴァージニア州の田舎町の山地法律扶助協会で無給のボランティア(インターン)として、迫害された貧しい人々のための法律業務に、心ならずも従事する過程で、樹木を伐採して山を丸裸にし表土を剥ぎ取りそれらを谷へ投棄し岩盤を爆破して石炭の露天採掘を行い石炭を洗浄することで生じる重金属や有毒物質を含む汚泥を簡易な貯水池にためて地下水を汚染し時に貯水池が損壊して一帯を広く汚染すること、そして採掘労働者の塵肺を防止する対策を十分とらない上に塵肺の申告をした労働者に対して総がかりで異議手続を行い御用医師に塵肺ではないという診断をさせ労働者が死ぬまで手続を引き延ばすことに精力を注ぐ石炭会社とその手先の企業側弁護士と戦う弁護士ドノヴァン・グレイと出会い、ドノヴァンらの戦いに巻き込まれていくという、社会派サスペンス小説。
都会での生活にいつまでも未練を持ち、決して志の高くない、基本的にはわがままでプライドの高いサマンサが、いやいやながら2歩進んで3歩下がるような逡巡を繰り返しつつ、自分の事件への関与と将来について決断して、成長を見せるというのがメインテーマとなっています。
石炭会社の非道な行為とそれを支える企業側弁護士の悪辣さが、かなりストレートに描かれ非難され、それがサブテーマになっています。露天採掘による大規模な環境破壊とそれと戦うドノヴァンの姿は、日本人には/私には、足尾鉱毒事件と田中正造を思い起こさせますし、御用医師を使った公害もみ消しは水俣病問題を思い出させます。日本でも、決して他人事ではないと感じます。塵肺を申告した労働者に対する攻撃も、塵肺に関しては私はよく知りませんが、放射線被ばくによる健康被害をめぐって電力会社がやってきたことのように思えますし、今後さらに大掛かりに類似のことが行われると予測されます。
グリシャムとしては、久しぶりに大企業の悪辣な行為を告発し、虐げられた庶民へのまなざしを感じさせる作品で、「原告側代理人」「路上の弁護士」の時代に戻ったような、悪者から悪行の証拠をコピーして持ち出す過程が焦点となる点では「法律事務所」のような、さまざまな点で初期のグリシャム感を満喫させるテイストの作品と言えるでしょう(ネタに困って古いネタでパッチワークをしているとも… (-_-;)
15.モノの見方が180度変わる化学 齋藤勝裕 秀和システム
電池、レアメタル・レアアース、ガラス・液晶、食品と炭水化物・有機化合物、アルコール、食品添加物、薬品と副作用・毒物、農薬/殺虫剤、界面活性剤、繊維、金属・貴金属、プラスチックなど、身近な食品・製品の材料の化学特性や製造などを中学・高校レベルの化学と関連させて説明する本。
比較的わかりやすく、日常接するものと関連付けて説明していることは好感が持てますが、タイトルにある「モノの見方が180度変わる」は、私には全然実感できませんでした。
1945年生まれ(71歳)とはいえ、教育の世界に身を置いてきた人の本で、話のレベルを示すアイコン(4ページで説明)が、「中学理科」はネコの絵、「高校化学基礎」は女生徒の絵、「高校化学」は男生徒の絵というセンスは、今どき考えられない。
元素周期表(43ページ)でウランが「Ni」(プロトアクチニウムが謎の「PaU」で、Uが1列ずれたのでしょうけど。ちなみにその原子番号91のプロトアクチニウムの質量数が驚異の1.008=原子番号1の水素と同じとか、さらに原子番号87番「Fr」が「セシウム」と記載されている)という誤植、プリズムでの分光(60ページ)の説明で波長が長い(赤い)方が高エネルギー/短い(紫・青)方が低エネルギーとしているなどは、「図」の校正は著者校正に回らなかったのかもしれませんが、あまりにもお粗末。出版社の/プロの編集者の校正力への信頼感が「180度変わる」かもしれません。
14.勉強の技術 児玉光雄 サイエンス・アイ新書
臨床スポーツ心理学、体育方法学を専門とする著者が、効率の良い勉強法を解説した本。
記憶のしくみから繰り返し(分散)学習、就寝前の復習、睡眠時間の確保が必要/有効と説き、集中力の点から細切れ時間の活用、休憩時間の確保(学習開始時と終了時=休憩直前に能率が上がる)、そしてプラスの(自分はできる/能力があるという)自己イメージ、自己暗示、モチベーションの維持と一種のイメージトレーニングの有効性を論じています。最初はどうしてこの人が勉強法を、と思えたのですが、こうしてみると、スポーツトレーニングとの共通性が感じられ、なるほどと思いました。
問題が解けた時の快感を勉強のモチベーションにする(10~11ページ)、朝の元気な時の脳を有効活用して創造性開発の時間に充てる(26ページ)、1週間単位で何時間を勉強に充てられるかのスケジューリングを行う、その際難易度よりも重要度を優先してスケジュールを組む(難しい問題の先送りを避けるため:32~33ページ)など、仕事にも当てはまることがいろいろあり、参考に/戒めになります。
13.PTAグランパ! 中澤日菜子 角川文庫
大手家電メーカー「西芝」の営業統括本部長を務めた「モーレツ社員」だった定年退職者武曾勤と、3児の母でスーパー「トモエツ」のレジ打ちのパートタイマーの内田順子が、小学校のPTA副会長を押し付けられ、ゲームセンターのバイトの24歳金髪男の会長織部結真やママ友の主吉村雅恵らと織りなす軋轢・騒動を描いた小説。
「昭和」な会社男的価値観の中で、正義感と孫可愛さから、正論をぶち邁進する武曾勤の浮き上がり/はた迷惑をコミカルに描くことを基調に、異端を許さぬママ友軍団のプレッシャーと息苦しさに息をひそめるように生きてきた内田順子が武曾家(娘で大手商社「角紅」課長のキャリアウーマンの都を含め)への反発/嫉妬から武曾勤の正義感にほだされて踏み出すのをはじめ、対立しばらばらだった登場人物の気持ちがほぐれまとまっていく姿/それぞれの成長がテーマになっています。
自らの現役時代は家庭をまったく顧みず娘の都の学校行事など出席することもなくわずかな家族での休日/旅行も常に途中で仕事に出て行っていた武曾勤が、孫の友理奈が都に同じ扱いをされ寂しそうにする(しかしけなげにふるまう)姿に都を叱責してしっぺ返しを食うシーンがたびたび登場します。何度地雷を踏んでも悔い改めない/自覚しない人物だから、現役時代もそうできたのだ、とも考えられますけど、そこまで学習できないものでしょうか…
ちょうど今月(2017年4月)からNHKBSでドラマ化され、放映中だそうですけど、全然知らずに読みました。相変わらず、テレビ見ない派なもので…
12.イノベーションはなぜ途絶えたか 科学立国日本の危機 山口栄一 ちくま新書
1990年代に企業が中央研究所を解体し基礎研究を捨て応用技術/製品化のみに走り、他方で科学者/ベンチャー企業を成長させるシステムがうまく働かない日本で、イノベーションがなくなり、エレクトロニクス産業の国際競争力が急落し、21世紀のサイエンス型産業の頂点に位置する医薬品産業でも国際競争から脱落したことを嘆き、イノベーションの衰退が日本社会にどのような悪影響を及ぼしているか、イノベーション復活のためには何をすべきかについての著者の主張を展開する本。
著者の基本的スタンスは、アメリカを見よ!アメリカに学べで、アメリカで1982年に導入されたSBIR( Small Buisiness Innovation Research )という、省庁に委託研究予算の一定割合(しかも年々その割合が上昇する)を拠出させて、省庁のイノベーションの目利きができる「科学行政官」が具体的な課題を出して募集し、応募して選抜された科学者・企業にまず最高15万ドルの賞金を出し、そのうちさらに高評価の科学者・企業に最高150万ドルの賞金を出してその技術の商業化をさせ、それが成功と評価されると投資会社を紹介するか省庁が新製品を調達(購入)して商業化を現実に支援する制度が成功を収めているので、日本でもこれを実現すべきだということです。科学者が、自ら起業家になれ、というのは、科学者の少なくない部分が、研究の源泉/動機/モチベーションは純然たる好奇心と考えているように思えることとフィットするのかという疑問がありますが…
著者が絶賛するSBIR制度は国がスポンサーとなり研究テーマを指定するものですから、必然的に研究開発のメインストリームが国により方向づけられ、政治の現実を見れば、軍事研究へと誘導されていくことが当然に予想されます。直近の2015年度の予算ベースでも内訳は国防総省が43%でトップとされています(79ページ)。アメリカの20世紀初頭の科学技術開発システムの第1の成功例がデュポン社によるナイロンの開発成功であり、第2の成功例がマンハッタン計画による原子爆弾開発の成功である(67ページ)という著者の姿勢からは、そういうことは気にならないのでしょうけれども。
JR福知山線の事故で半径600mのカーブを304mのカーブに変更し転覆限界速度が120km/時以下になったのにカーブに入る前の制限時速が120km/時としたままでATS-P(自動列車停止装置)の設置を怠ったこと、福島原発事故の際2号機と3号機がRCIC(原子炉隔離時冷却系)が作動してまだコントロール可能だった時点でベントと海水注入を官邸が求めているのに技術系の武黒フェローが海水注入を拒否し続けたことを、「技術経営の過失」として、著者は厳しく非難しています(160~174ページ)。著者が批判する、大津波が予見できたのに適切な処置を怠ったという検察審査会の議決も、「いつかは」事故が起こるという意味ではJR福知山線の事故で著者がいう「技術経営の過失」と同様にも構成できるとは思うのですが、著者の主張にも傾聴すべき点はありそうです。もっとも、その過失が生じたのは、JR西日本も東京電力もイノベーションを要しない独占組織だったからではないか(182ページ)というのは、そう言った方が受けはいいかもしれませんが、ずいぶんと乱暴な議論に思えます。イノベーターがいるベンチャー企業なら事故が防止できた、とは限らないと、私は思います。
11.頭痛女子バイブル 五十嵐久佳 世界文化社
頭痛専門医の著者が、頭痛の種類と原因、応急処置、予防法等を説明した本。
頭の片側や両側に強い痛みが発作的に起きズキンズキンと痛む片頭痛と、鉢巻をしているように頭全体がギューッと締め付けられるような痛みの緊張型頭痛、そしてそれを両方とも持っている人が多いって(16~21ページ)、で、緊張型頭痛は強いストレスがかかっているときに起こりやすく、片頭痛はストレスから解放されてほっとしたときに起きやすい、詳しい理由はわかっていないとか(34~35ページ)…う~ん、頭痛持ちでない身には、そう言われても区別がつきにくいような。それで、片頭痛なら痛むところを冷やせ、緊張型頭痛なら首や肩を温めろ(102~103ページ)って言われても…
片頭痛持ちの10人に1~2人に稲妻のような光が見えキラキラとした閃光が拡大していって一時的に視界の一部が見えなくなる「閃輝暗点」という症状があるのだそうな。片頭痛の症状の一部でそれ自体が深刻な病気ではないと書かれています(30~31ページ)が、そういう症状、不安でしょうね。そう書きながら、その症状がある人はピルを飲むと脳梗塞の危険が高まるとも書いてありますし(48ページ)。いろいろ大変そう。
頭痛予防の基本食材はビタミンB2、B6、マグネシウムだとか。と言われても、何を食べればいいか、すぐ忘れてしまうのですが。
10.系外惑星と太陽系 井田茂 岩波新書
太陽系外の惑星が1995年に初めて見つかると、その後は恒星の近くの軌道を回るガス惑星(ホット・ジュピター)、偏心した楕円軌道のガス惑星(エキセントリック・ジュピター)が次々と発見され、近年は木星よりはるかに小さな岩石惑星と思われる「スーパーアース」、さらには地球サイズの惑星「アース」の検出も可能になり、今では銀河系内に地球のような惑星はあまねく存在すると言われている状況を説明し、それを踏まえて惑星が誕生するプロセス/太陽系の形成モデルを再検討し、生物が居住可能な惑星の成立条件を論じようとする本。
太陽系外の惑星を発見/観測する手法/技術の進展の説明が、地味ではありますが、私にはむしろとても興味深く思えました。恒星と惑星が共通重心を中心に回るため恒星がわずかに軌道を描いて回り、その際に地球から遠のく動きと近づく動きを周期的に繰り返すことによる発光波長の変化(ドップラー効果)を観測する視線速度法(短周期の方が観測しやすいので公転周期が短くなる恒星に近い惑星が発見しやすい)で変動周期から軌道半径を求めるとともに波長変化から速度→質量を推測、惑星が恒星の前(地球側)を通るときの「食」から観測する「トランジット法」(食を起こす頻度から考えてやはり恒星に近い惑星が発見しやすい)で惑星の大きさを求めるとともに大気を推測するなど、地道な観測が知識を広げてゆくところがいいなと思います。高校生の頃にいっときそういう道に進んでみようかという思いを持ったことがあり、こういう話は夢があっていいなと。
太陽系の成り立ちに関するモデル/理論のところは、太陽系の惑星は今ある軌道で別々にそれぞれできたのではなく地球型惑星(水星、金星、地球、火星)は地球軌道ないしその少し内側でまとまって形成され跳ね飛ばされて軌道が移動した、ガス惑星(木星、土星)と氷惑星(天王星、海王星)も同様という新説(100~101ページ、104~106ページ)を始め、さまざまな仮説/説明が加えられ、ほとんどのテーマでまだわかっていないということが繰り返されるのは、意外であり、また刺激的です。
地球と太陽系以外のさまざまな惑星の成り立ちと環境条件を考察することで、宇宙と生物の生存条件についていろいろなことを考えさせてくれる本です。
09.不要なクスリ、無用な手術 富家孝 講談社現代新書
元開業医で病院を倒産させた後、医療コンサルタント、医療ジャーナリストとなり、自身も冠動脈バイパス手術を受け、糖尿病で降圧剤を飲み続けているという著者が、高血圧で降圧剤を常用している人のほとんどが無駄な医療費を払っている、がんの多くは手術や抗がん剤でむしろ死期を早めている、現在日本で行われている医療は医療費という点から見ると8割は無駄ではないかと思えるなどと論じた本。
この本のテーマに関する点では、医者・病院がいかにして稼ぐかを論じている点、日本ではCT、MRIが諸外国に比べ異様に多数購入され(保有台数世界1位だとか)その減価償却のため被ばくのリスクも無視してやたらとCT、MRIによる検査がなされる(71~73ページ)、人工透析は高い診療報酬でリピーターになるので病院にとっては「定期預金」で、しなくてもいい人工透析をさせられている患者が増えている(108~111ページ)などが興味深いところです。
2016年1月に国立がん研究センターが初めて公表したがん患者の10年生存率を見ると、すべてのがんの全臨床期で見ると58.2%、大腸がん、乳がん、胃がんは10年生存率が比較的高く、手術、抗がん剤治療が必要かはよく検討すべき(189~198ページ)というのも、考えさせられます。
本来のテーマとは、違うところかと思いますが、厚労省・安倍政権の進める医療費の患者自己負担の引き上げ、それも含めた高年齢者の医療費負担の増加の説明にけっこうページが割かれています。あまり知らなかったのですが、ひどい話で、老後の不安が強まり、暗い気持ちになります。
08.脳外科医マーシュの告白 ヘンリー・マーシュ NHK出版
イギリスを代表する脳神経外科医の著者が、脳神経外科医となった経緯、若い頃の手術と反省、失敗した手術の記憶、患者との事前面会・説明の重苦しさと手術中の興奮・喜び、脳神経外科医の苦渋とやりがい、イギリスの医療制度への苦言等を語った本。
手術中のわずかなミス(血管や神経の損傷等)、頭蓋を開いて見ないとわからない腫瘍の血管等への癒着の程度等の予測を誤ったために生じる手術をするという判断のミス、さらには運・不運が、患者の命を奪うこととなり、また患者が生き永らえても深刻な障害(意識を失う、言葉を失う等)を負うことになる、脳神経外科医という仕事の過酷さと、それと裏腹の仕事の尊さ、やりがい、達成感を生き生きと/生々しく描いています。著者が脳神経外科医になりたいという希望と決意を語るのを聞いたベテランの脳神経外科医が2人とも最初に聞いたことが「奥さんはこのことをどう考えているか」だったというくだり(107~108ページ)も、脳神経外科医の日々の過酷さを象徴しています。
人生の重大事を扱いその仕事の結果で他人の人生を大きく左右することになり、どんなに腕が良くて精いっぱいやっても救えない事例があり、また明らかに能力の差があって下手な者の仕事を見ていられぬ思いをし、といって人間だから腕が良くてもしくじることが皆無とは言えず、うまくいったケースでは他人を幸せにできた喜びを感じ、うまくいかなかったケースに自責の念を持ち説明に苦しい思いをする…のは、弁護士の仕事にも通じます。読んでいて開頭手術や各種の脳・神経系の病気の情報・ディテールに新鮮な驚きを覚えるとともに、著者の心情面には、共通する思いを持つところが多くありました。
07.今日のハチミツ、あしたの私 寺地はるな 角川春樹事務所
売上の悪いカフェにテコ入れに行って回る塚原碧29歳が、相性の悪い店長との確執があり仕事に行き詰まりを感じているとき、職場に1年も勤められずに職を転々とする同棲相手安西渉29歳が父の会社を継いだ兄の下で働くと言い出して故郷に帰るのを機にプロポーズされて、仕事をやめてついていくが、安西の父から怒鳴りつけられてダメ出しされ結婚も拒否されて、近くでアパートを借り、いじめられていた中学生時代に通りがかりの女性からハチミツを渡されて励まされた思い出に惹かれて養蜂を習い始め…という青春小説。
金持ちの安西の父が離婚し再婚相手とも別居しつつ若い女を転々とした挙句お手付きの息子の同級生を息子に押し付けようとするとか、その息子は根気も覇気もないダメダメ男で、大地主令嬢の羽島麻子は浮気をして離婚し娘に嫌われと、わがままな金持ちたちが描かれるのと対照的に、養蜂一筋に取り組む不器用な黒江、黒江に養蜂を習いながら自活の道を探る碧、スナックをカフェに改装するあざみらの庶民層の逞しさ・粘り強さが書き込まれていることに好感を持ちました。
世の中は、わがままで嫌な金持ちたちが我が物顔して不条理ではあるけれども、懸命に生きてればいいことあるさと、背中を押してくれるようなほのぼのとした爽やかさを感じさせてくれる作品です。
06.名医が教える 足のお悩み完全解決バイブル 高倉義典 誠文堂新光社
足部疾患の診断治療を専門とする整形外科医の著者が、痛む場所別の各種の疾患の説明と治療法、足のケア・マッサージ・ストレッチなどの足のためによい日頃の生活習慣などを書いた本。
痛む部位別の疾患の一覧(24~30ページ)を見て、足の疾患(けがを含む)にもいろいろなものがあるなぁとまず感心します。もっともこの一覧のうち3分の1強は解説がないのが、かえって気になってしまいましたが。
「足の捻挫は、整形外科の外傷のうちでもっとも頻度が高く、日本では1日に1万2千人が捻挫をしているといわれています。」(94ページ)って、すごい。学生の頃はたびたび捻挫しましたけど、それほどとは…
靴の減り方と疾患の関係で、「内側が減るのは、扁平足変形の場合に起こります。」(129ページ)って…私は革靴を履くとかかとの内側が極端に減るのですが…扁平足って言われたことないし、土踏まずはきちんとあると思うのですが。「かかとの外側だけが大きく減るのは、中年以降の男性に圧倒的に多く認められます。これは足のつま先を外に向けて歩く『外輪(そとわ)』歩行、すなわち足を広げて威張ったような姿勢で歩くため靴の外側が減るのです。」(128ページ)に当たるよりいいようには思うのですけど…
05.イエスの幼子時代 J・M・クッツェー 早川書房
難民キャンプからスペイン語圏の架空の町「ノビージャ」にたどり着いた初老の男シモンが、船中で知り合った母親探し中の5歳の少年ダビードとともに住処と仕事の割り当てを得て、ダビードが知り合った近隣の少年フィデルの母親エレナに言い寄って肉体関係を結び、近隣で見かけた独身女性イネスにダビードを押し付けながら、イネスがダビードを気に入って独占すると疎外感を感じて不平を言い募って干渉し、イネスが無頼漢のセニュール・ダガに惹かれると嫉妬してあいつとは付き合うなと説教するという中で、ダビードは読み書きも算数もできるのにできないふりをしたり奔放/気まぐれにふるまって周囲の大人から睨まれて…という展開の小説。
この作品は、「イエスの幼子時代」というタイトル(原題もそう)からして、ダビードの成長過程がテーマのはずですが、シモンの視点で描かれているため、ダビードの内心は不確かで、ダビードは天真爛漫/天衣無縫というか気まぐれで奔放にふるまい、シモンやイネスに対しても嫌いと言ってみたリ好きと言ってみたり一貫性を感じにくく、「成長」したのかどうかもわかりにくくなっています。そして語り手ともいうべきシモンが、前半では、周囲の人々がみな鷹揚に親切にふるまう中ただ一人不平不満ばかり言い募り気難しく自尊心ばかり強い嫌な奴で、身勝手な要求・ふるまいを続けているくせに、ダビードの奔放なふるまいには突如秩序を重んじるように言い募りそれも権威主義的に上から目線で言うことを聞かせようとし、しかも他人(教師、カウンセラー、役人)がダビードとシモンに法と秩序を守るように求めるや今度はそれが気に入らないと文句を言いだすという、他人に厳しく自分には甘い、他人の権威主義には反発しながら自分は弱いものに対しては権威主義的という、どうにも共感しがたい人物なので、読んでいて、私は不快感がずっと付きまといました。人間って、こういうわがままでしかも自分がわがままとは気が付かない愚かな存在ですね、というのがテーマと読めばいいのかもしれませんが。
この作品自体では完結せずに、続編の「イエスの学校時代」が刊行予定ということですが、「訳者あとがき」がいう「こんなに続編を読みたいと思った小説はない」(374ページ)という心境には、私は程遠いです。
04.徹底解剖 自衛隊のヒト・カネ・組織 福好昌治 コモンズ
自衛隊の募集、入隊、昇格、定年、再就職、給与、手当、組織等についてQ&A形式で説明した本。
募集では、「国防の意義を訴えて、自衛隊への応募を勧めるのではなく、4年勤めれば退職金200万円をもらえる、大型自動車やクレーン車などの免許がとれる、働きながら大学にも進学できる、給料がもらえて衣食住がタダだから借金も返せる、といったことが 売りになる」(17ページ)、現実の人員では曹(旧軍の下士官)クラスは充足率が高い(97.8%)が士(旧軍の「兵」)クラスの充足率が低く(80.0%)、定年まで勤める曹が非常に多く平均年齢が高くなっていて2014年の全体での平均年齢は36.0歳、曹の平均年齢は38.3歳だとか(12~13ページ)。
冷戦終結とソ連の崩壊でソ連の北海道侵攻という有事シナリオに現実性がなくなり、自衛隊の生き残りのために新たに見いだされたのが島嶼防衛という任務で2004年12月に策定された「防衛計画の大綱」で防衛力の役割の1つと明記された。「島嶼防衛は中国の軍事戦略を分析したうえで導き出された構想ではなく、陸上自衛隊が生き残り戦略として勝手に想定しているに過ぎない。本土侵攻の可能性は低いのに、なぜ敵は島嶼部に侵攻してくるのか、逆に、なぜ敵の侵攻は島嶼部だけにとどまるのか。こうした疑問に陸上自衛隊は答えていない。」(88~89ページ)。なるほど。そういう事情で、近年やたらと領土問題として無人島の防衛が強調されるわけですね。
日本有事の際には、陸上自衛隊、海上自衛隊、航空自衛隊は一体的に作戦を展開しなければならないが、実際には独自に発展してきたというかむしろ海上自衛隊は米軍の第7艦隊と一体化されていて、例えば、沿岸防衛に当たる陸上自衛隊の地対艦ミサイル部隊と洋上監視に当たる海上自衛隊のP-3C哨戒機は今でも通信を直接行うことができない(108~109ページ)って…
03.硝子の太陽R-ルージュ 誉田哲也 光文社
姫川玲子シリーズの長編第5作。
長編第4作「ブルーマーダー」の後、警視庁本庁の捜査1課に復帰し、元姫川班のメンバー菊田とともに主任(警部補)として殺人犯捜査第11係に所属する姫川が、家族3人がいずれも股間に銃弾を数発撃ちこまれその銃創から手を突っ込まれて内蔵を破壊された無残な死体で発見された祖師谷一家殺人事件の捜査を担当するお話です。
以前から続く人間関係は、そのまま維持されて展開していますが、この作品では、姫川玲子の特徴的な部分(人柄、特異な直感とか、引きずっている過去)はあまり発揮されておらず、独断専行するところはあるもののふつうの刑事っぽい印象です。
「硝子の太陽N-ノワール」と2冊セットで、姫川玲子シリーズと「ジウ」シリーズというべきか「歌舞伎町セブンシリーズ」というべきかあるいは「東弘樹シリーズ」というべきかよくわからなくなっていますが、その2つのシリーズの「コラボ」として売られ、この作品自体のラストは、いかにもまだ続編を書くぞという意思表示で終わっています。作品自体の中身でよりもシリーズを続けることでファンを維持しようという売り方が強まり、いやらしさが感じられます。
この作品でも、「武士道ジェネレーション」に続き、「自虐史観」批判が登場し(206~207ページ)、「GHQによって作られた憲法」をいまだに一字一句変えないとは驚きだなどと述べ(205ページ)、沖縄の反米軍基地闘争を左翼がでっち上げたデマに煽動されたものという設定をし(172~175ページ)、作者は右翼の伝道師のような姿勢を取り続けています。この作品では、米軍兵士に「自虐史観」批判をさせた挙句に、日本人は実に勤勉で自ら規律と秩序を守る、尊敬に値する、自衛隊は世界最高水準、「本気で戦争になったら一番怖い民族」などと言わせ(80~81ページ)、アメリカ人にとって日本人は尊敬に値するし、むしろアメリカ人は日本人を怖がっていると印象付けています。日本人が自尊心/誇りを持つために過去の過ちを直視することを避けようとする姿勢はそれ自体誤りだと思いますが、そこは置いても、日本人の誇りは自らの努力と実績に基づいて実感すべきことで、外国人/アメリカ人に日本人をほめさせて(小説なのですから、架空の、幻想/妄想によって)自己満足するというのは、むしろあまりにも卑屈でいじましいと思います。
02.プラージュ 誉田哲也 幻冬舎
覚せい剤使用で有罪判決を受け執行猶予中の元旅行代理店営業担当者が事件を機に失職して収入を失い火事で焼け出されたために、前科者にも貸してくれるシェアハウス「プラージュ」に移り住み、部屋にはドアもそしてもちろん鍵もないその奇妙なシェアハウスの1階でカフェを営むオーナーの朝田潤子やそれぞれに訳ありの住人たちと過ごす日々を描いた小説。
多くの作品で、残忍でグロテスクな犯罪を描きおよそ共感する余地のない身勝手な犯罪者への憎しみを煽りその犯罪者が逮捕されたり殺されるカタルシスを読ませている作者には珍しく、前科者に徹底的に冷酷な日本社会の問題をテーマとし、罪を償った者に対しては受け入れる姿勢を示すべきだと論じ、前科者の事情や成長、個性と長所を描き出しています。率直に言って、この人にもこういういいお話が書けるんだと驚きました。
作品のテーマとなっている社会派的なメッセージを度外視しても、失業した元旅行代理店営業担当者貴生の青春恋愛小説としても、「記者」の成長物語としても、ふつうに楽しめる作品です。
出版時期は2015年9月15日で、作者が「自虐史観」批判を展開する右翼の伝道師へと踏み出した「武士道ジェネレーション」(2015年7月30日発行)よりも後ではありますが、この作品は雑誌「パピルス」2014年6月号(2014年4月28日発売)~2015年2月号(2014年12月28日発売)に連載されたために執筆が「武士道ジェネレーション」(初出が「別冊文藝春秋」2015年6月号:2015年5月8日発売+書き下ろし)以前なのでしょう。この作者の右翼的プロパガンダのない、残念ながら「最後の」作品ということになりそうです。
01.歌舞伎町ダムド 誉田哲也 中公文庫
「歌舞伎町セブン」の続編。「歌舞伎町セブン」で新たな構成で復活した歌舞伎町セブンが殺害する予定だった相手が、何者かに先に殺され、ジウの後継者を気取る「歌舞伎町ダムド」と呼ばれる殺し屋の存在が浮かび上がり、他方、ミサキは「新世界秩序」のミヤジの後継者を名乗る謎の人物に息子を人質に取られ身動きできない状態にあり、その状態で何者かが東弘樹警部補の殺害を多方面に依頼し、「歌舞伎町ダムド」が動き、さらにはミサキもミヤジから東殺害を命じられるが、歌舞伎町セブンは東の保護を決意し…というアクション小説。
「歌舞伎町セブン」で関係者を歌舞伎町の暴力団と商店・風俗店経営者、警察官等にほぼ限定した結果、話自体も悪役もしょぼくなったことへの反省か、ここでまた「ジウⅢ」の枠組みに戻って、風呂敷を広げています。そのため「ジウⅢ」同様の非現実感・荒唐無稽さが強くなりながら、この作品のタイトルにまでなっている殺し屋の「歌舞伎町ダムド」が読んでいてまったく共感できないとことんまで自己中で残忍でしかも小者感全開のキャラである上終盤もあっけなく、作品としてのまとまり、収めどころが悪く、フラストレーションがたまります。
権力に根を張る「新世界秩序」などという存在を遺し敵役として展開してしまってどう収めたらよいのか、作者にもわからなくなっているのかなという気がします。さらに続編の「硝子の太陽N-ノワール」(2016年5月)でも話を収められずに、「武士道ジェネレーション」(2015年7月)以降、右翼の伝道師へと踏み切ったきらいがある作者は沖縄の米軍基地反対闘争は本土の左翼犯罪者の陰謀というストーリーを描き、さらにはその背景には外国人がいると示唆しています。その先、まだこれから書かれるであろう続編までついていくのはかなりつらいなぁと思います。
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