庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2017年5月

18.知のスクランブル 文理的思考の挑戦 日本大学文理学部編 ちくま新書
 日本大学文理学部を構成する人文系6学科(哲学、史学、国文学、中国語中国文化学、英文学、ドイツ文学)、社会系6学科(社会学、社会福祉学、教育学、体育学、心理学、地理学)、理学系6学科(地球科学、数学、情報科学、物理学、生命科学、化学)から各1人の教員が書いた文章を並べ、「この現実世界は、大学や学問分類によって切り取りやすくはできていない」「そこでは、文系・理系の区別も、どちらが役に立つかで評価されることもない。それぞれの学問領域から見える世界の違いをふまえつつ、世界を生きぬくための多様な知恵を身につける--それを文理的思考と呼びたい。」「本書は、この18学科で活躍している教員18名の知を結集したものである。それぞれ18の学問領域の専門的なトピックをわかりやすく説明し、研究の最先端の一部を紹介している。」(はじめに:10~11ページ)とする本。
 大仰な紹介とタイトルですが、実質は様々な学問分野の教員が各パートの関連性も特に考えず統一テーマもなく(あるとすれば、学生向けに自分の研究分野をアピールする、くらいでしょう)書いた文章を配列も全く工夫せず羅列したという、作る側にはお手軽な出版物で、通し読みしても、個別の読者の関心で引っかかるものは出てくるでしょうけれども(なんせ18ものバラバラの領域ですから、いくつかは関心がある領域があるはず)、1冊の本全体としては、いろいろな研究領域がありいろいろな教員(読者がわかりやすいように努力した跡がある人も、衒学趣味的な専門/特殊用語を並べて煙に巻こうとしている人も・・・)がいるのねという程度にとどまる感じがします。
 はじめにで「哲学研究の第一人者・永井均が自分の存在を追求し」(11ページ)と紹介されている「第1講 自分とは何か--存在の孤独な祝祭」では、前段で自分を識別する基準は何かと問い、「その体をくすぐられると実際にくすぐったく、その人の人生の苦しみが実際に苦しく、その人の思い出すことが実際に思い出される人」という基準を立て(24ページ)た上で「ここから1頁ほどの記述は少々高度な問題に触れている」などとした挙げ句、「だれもがこの基準を使って自分を他人たちから識別しており、それでうまくいっているのだとすると、だれもがこの基準を満たしてることになる。だれもがこの基準を満たしているのだとすると、そのだれもたちのうちから、あなたはどうやって自分を識別できているのだろうか。」(25ページ)と問うています。前段でした基準作りが観察者・判断者=知覚・感情・記憶の主体である場合が自分、観察者・判断者にとって知覚・認識の客体であるだけで主体でない場合が他人という、個別の観察者・判断者を前提とし基準としたものであったのに、後半ではそれを捨象ないし超越した(個別の観察者・判断者を前提としない)立場での問いかけをするというのでは、問題の立て方の次元が違います。そのように問いかけるのであれば、基準作りの時点で、観察者・判断者に依存しない、指紋とか、顔(顔認証システムが十分に個人を識別できるのであれば・・・)、DNAなどの客観的な識別指標を用いるべきでしょう。こういう議論は、哲学では、「アキレスは亀に追いつけない」などの「詭弁」の1つとして紹介すべきではないかと思います。他の専門分野との総合、編集する力をいうのなら、ニュートン力学の絶対時間・絶対空間などの概念に対し、観察者という視点を持ち込んだことで相対性理論へと議論が進んだ、観察者という視点を持つか捨象するかでパラダイムが変わる、くらいのことも指摘するべきなんじゃないでしょうか。

17.入門!進化生物学 小原嘉明 中公新書
 生物の環境(の変化)への適応の度合いに応じた生存競争による自然淘汰、生殖機会と繁殖の度合い(子の出産数と回数)による性淘汰、進化における利他性/利己性の位置づけ(理論的にはグループ内全員が利他性であることを確保できない以上は利己性が優位)と血縁淘汰(自己の子が出生・繁殖できなくても、血族の子が繁殖すれば同傾向の遺伝子が残る→血縁者に奉仕する利他性は遺伝子継承に優位)、中立進化(生存の有利不利に結びつかない形質の偶然的継承)、形質導入/形質転換(ウィルスなどの他生物からの遺伝子の直接の取り込み)など、進化論(この本では「進化説」)についての様々な議論と研究成果を紹介する本。
 この本でもそうですが、動物行動学系の本で進化論が説明される際、「繁殖戦略」という言葉がよく用いられます。この言葉は、またそれをめぐる書きぶりは、動物が自らの遺伝子を残す目的で、繁殖のための行動様式を選択していることを印象づけます。進化論は、環境適応/生き残りに有利な者が、また繁殖の機会が多かった者が、より多くの子孫を残し、結果的に多数派となっていくことを示しているだけで、個々の生物がそれを意図していることを意味していないはずです。私は、いつも違和感/疑問を持ちながら読むのですが、動物は自己の遺伝子を残そうという目的を持ち意識して繁殖行動を選択しているのでしょうか。また個々の動物にとって、その繁殖行動には選択肢(選択の余地)があるのでしょうか。例えば「イトヨという魚の雄は繁殖期になると腹部が赤く色づいて目立つようになるが、雌は腹部の赤さが異なる雄の中から、赤色の強い雄を選択し、これと生殖する。研究によると、雄の腹部は雄が寄生虫に寄生されると赤さが薄れるという。したがって雌は腹部の赤い雄と生殖することによって、寄生虫に寄生されていない雄を選んでいることになる。」とされています(130ページ)。この例も含め、著者は「雄または雌の好みや振る舞い、性的性質などが相手の繁殖行動の進化に影響を与えるのである。」(129ページ)と説明しています。このケースで、イトヨの雌が腹部のより赤い雄と生殖することは、選択が可能(腹部がより赤くない雄と生殖することも可能)なのでしょうか。もし可能だとすると、どちらでも選びうる中で腹部がより赤い雄を選択するという「繁殖行動」は遺伝するのでしょうか。つまり、言ってみれば「好み」が遺伝するのでしょうか。雌に選択が可能で、かつその繁殖行動が遺伝しないとすれば、「性淘汰」は進まないということになるのではないでしょうか。他方で、「好み」まで遺伝すると言われてしまうと、何か恐ろしい、さらに釈然としないものを感じてしまいます。少なくとも性的嗜好が遺伝するものであるとすれば、同性愛者は子孫を残せない以上、理論上は性淘汰により減少していくはずですが、事実がそうなっているようには思えませんし。このあたりの説明には、納得できないものがあります。
 そういうことをまた改めて考えさせられたりすることも含めて、刺激的な本ではあります。

16.好奇心のパワー コミュニケーションが変わる キャシー・タバナー、カーステン・スィギンズ 新評論
 企業の幹部へのコーチングを業とする著者母娘が、企業幹部が部下に接する際に感情的になり一方的に命令するのでは部下に無能だというメッセージを発して部下のやる気をそぐことになる、否定的で相手を責める接し方ではなく、相手に好奇心を持ち理解しようとする姿勢を持つことで部下とのコミュニケーションをとりましょうと薦める本。
 第2章で論じられる「今、ここ」に集中するということ、つまり話す相手に何かほかのことをやりながらとかほかのことで心ここにあらずの状態で接するのではなく、ほかのことを中断して相手に向き合うということは、著者が母親としての経験で述べている、子どもとの接し方で実感できるように、対人コミュニケーションの上でとても重要なことだと思います。
 著者は、責めるのではなく「好奇心にあふれたオープンな質問は、困難な状況を乗り越える際に役立つ」としていますが、その例として挙げられている年間5日以上休まないように部下に徹底するように言い渡された上司が、過去1年間に25日休んだ部下に「これから1年間、休みを大幅に減らす方法を考えることができますか?」と聞き、部下が「自信がありません。風邪を引いてなかなか治らなかったり、息子が風邪を引いて、夜の間私が看病をしなければならず、疲れきって仕事に来れなかったりしたときもありました。それ以外に、何があったのかは思い出せません。」と答えたら、「息子さんの世話で大変なときもあるようですね。年間の休みを減らすためにどんな方法が考えられますか?」と聞く(108~110ページ)というように、自分の望む答えが出るまで聞き続ける(問い詰める)のでは、「責めている」のと同じで、嫌がらせと見えます。企業の幹部側のコーチングはどちらにしても部下を企業の意向に沿わせられればいいということなんでしょうけど、これでは自己満足の域を出ないのではないかと、私には思えます。
 著者自身は、これまで相手の仕事が忙しいときにその子どものお迎えをしてあげていたママ友が今日はあなたの子どもの迎えをするというので喜んで仕事を入れたところお迎えをドタキャンされてしまいその日の夕方に入れた仕事をキャンセルして自分の子どものお迎えに行ったという経験をして、その際に家族のニーズを第一にするという「限度」を設定し、数日後にそのママ友が子どものお迎えを頼んできた際にはその日はお迎えをすることも可能だったが自分の子どもと学校帰りにアイスクリームを食べる約束をしていたのでそのママ友に「ノー」ということに躊躇しなかった、そうしたことでとてもよい気分になったとしています(165~168ページ)。自分の子どもとの約束を優先したと言っていますが、裏切ったママ友への復讐/意趣返しをするのが快感だと言っているようにしか思えません。感情を抑えて相手に敬意を払い好奇心を持てというこの本の全体のメッセージとはそぐわないように思えます。

15.情報を活かす力 池上彰 PHPビジネス新書
 元NHK記者の著者が情報収集とその評価・活用について論じた本。
 情報収集では、誰かに説明するつもりで(アウトプットを意識して)行うことで、きちんと理解し、知識が自分のものになる(20~22ページ)、取材は現場でどんな原稿になるのかを考えながら行うことで情報の漏れを防ぎ情報の確度(どこまでが確認が取れた情報で、どこからが推測や意見なのか)を判断する癖がつく(194~196ページ)、ネットでの情報収集では信憑性の関係で数をあたる(検索上位の記事数件で判断しない)、自分と同じ意見ばかり見ていないか気をつける(83~85ページ)、ウィキペディアは間違っている可能性を常に考える(85~87ページ)等を頭に置いておきたいところです。
 私には、人から話を聞き出す取材・インタビュー術の第2章が、仕事がら気になるところです。漠然とした聞き方をせずにきちんと検討した上で仮説をぶつける(それに対する反応を見る)、その際にも謙虚な姿勢で聞く:素人なので間違っているかもしれませんがという姿勢で聞く、相手の話を聞きたいという気持ちを態度で示す、目線は相手の目線の高さに合わせる、教えを請うという姿勢で聞くなど。今ひとつ自分には向いていないというか、なかなかできないんですが、頭には入れておきたい。質問をよく練る、みんなが聞きたいことは何かを意識する、聞きにくいことは世間にはそう思っている人がいるがとかそういう意見についてあなたがどう思っているかを聞きたいという形で聞くなども、参考になります。
 情報発信では、書き上げた原稿は寝かせる(226~228ページ:書いた時点では高揚感や達成感でいい文章に見える)、必ず一度プリントアウトして推敲する(230~233ページ)、も鉄則だと思います。「プリントアウトすると、まさにそれは“他人の文章”になるのです。客観的に眺めることができます」(232ページ)といえるかはなんともいえないものが残りますけど。

14.メタボから糖尿病にならない方法 角田圭子 WAVE出版
 食事療法と運動療法で糖尿病を未然に防ぎましょうという本。
 適正エネルギー量(必要なカロリー数)を適正体重(BMI値22で計算:身長×身長×22)×身体活動量(「ふつう」だと30、運動量が低いと25)で計算して、脂肪(油脂)や炭水化物(糖類)を減らして食事の摂取量をその範囲にするというのが基本ですが、そうすると私の場合で1日のカロリー数は1600kcalくらい・・・そんなに少ないんだ。昔家庭科で習ったときは2500kcalくらい必要と聞いたような気がして、それが頭に残っているので、その落差に驚きます。そのためには残す勇気を、というのですが、子どもの頃、食べ物を捨てるなんてもってのほかと教育された世代には、とてもそんな・・・
 空腹で胃が空っぽになる時間を習慣的に作ると「廃用性萎縮」で胃が小さくなりドカ食いができなくなり食事量を減らせるとされています(85~87ページ)。30分から1時間程度だけ空腹を我慢する時間を作るだけでも効果は期待できる(87ページ)というのですが。う~ん・・・私は、昼休みをとるよりもその間仕事してできるだけ早く帰った方がいいという考えで、ふだんは昼ご飯を食べず、朝食から夕食まで12時間以上(その間ふつうはお茶・紅茶だけ/時々3時にお菓子)という日が多いのですが、夜ドカ食いできましたけど。むしろ、相撲部屋は1日2食なんて聞きますし。もっとも、最近は、年のせいで少し食が細くなってきた感じはしていますけど。

13.日本のカニ学 川から海岸までの生態研究史 和田恵次 東海大学出版部
 日本の潮間帯、特に干潟に住むカニについて、生息場所別(淡水、汽水域、干潟、塩性湿地、マングローブ湿地、砂浜海岸、転石海岸、岩礁海岸、川と海を往来)に、これまでの様々な研究者の研究をレビューしつつ著者の研究を紹介した本。
 海中に住むカニが除外されているので、食べるカニが含まれていないのが残念ですが、こんなにいろいろな種類のカニがいて、それぞれに特徴があるのだと知ること自体、驚きがありました。
 コメツキガニでの研究で、複数の雄と交尾した場合最後に交尾した雄の子だけが生まれる(放射線投与により不妊にした雄と健康な雄とを順番を変えて交尾させて、その順番に応じて受精卵がどうなるかを見たのだそうです:10ページ)、観察しているとわずか14分で3個体の雄と4回交尾した例があった(57~58ページ)とか、アシハラガニでは雄が雌に近づいてそのまま両者が対面姿勢となり、雌が上位になって交尾する(81~82ページ)とか・・・感心してるのは交尾の話ばかりかって (^^ゞ
 チゴガニは、近隣個体の巣穴の横に砂泥を積み上げてバリケードを作ったり巣穴を砂泥で塞いだりといった嫌がらせをし、嫌がらせをされた側は加害者を避けるようになるという行動をとるのだそうですが、著者は、チゴガニがこのような狡猾な行動をとることに気がついたのは、チゴガニを野外で研究対象にしてから実に10年もたってからであった、研究のためにデータをとるときにはその研究目的に縛られ対象となるもの以外には目がいかなくなるのだろう、何の目的もなくチゴガニを見に干潟に出たときにこの行動の存在に気がついた、ある目的のためにその対象を見続ければその目的に合う面しか見なくなり新たな現象の発見を得る機会は失われると、反省しています(62ページ)。ほかの場面にも通じることだと思います。心しておきたい。
 著者は、理論先行ではなく、現場記載から始まる研究をしてきたことが成果を生んできたと自負し、近年の成果対応型の研究費支給体制の下では現場記載から始まる研究は生き残りが困難になっていると嘆いています(162ページ)。研究や大学というもののあり方も含め、世知辛くおおらかさがなくなった日本社会/政治の現状の方を見直すべきだろうと思います。

12.死刑捏造 松山事件・尊厳かけた戦いの末に 藤原聡、宮野健男 筑摩書房
 日本の刑事裁判史上3件目の死刑事件再審無罪となった松山事件の経過、救援活動、家族らの闘いと運命、再審開始決定→再審と無罪確定後の元被告斎藤幸夫さんと家族の人生などについて、共同通信記者がとりまとめた本。
 冤罪により、罪もない24歳の青年が警察官に無理強いされ(同房者にそそのかされ)警察の示すストーリーに沿った自白をし、科学を装ったずさんな「鑑定」が有罪証拠となり、裁判官は真実を見抜いてくれるという幻想は(当然に)破れて死刑判決を受け、再審で無罪となるまでに29年を要し53歳となり、青春を奪われ、人間不信になり死刑執行の恐怖に怯え続けさせられた経過は、読むほどに戦慄し、また強い憤りを感じます。それとともに、冤罪によって本人だけでなく、家族、両親も兄弟姉妹も、あるいは雪冤のための救援活動に半生を費やし、あるいはその活動と生活に財産の大半をつぎ込むために進学を諦め、夫婦間の対立を生じて離婚し、と大きく人生を狂わせられたことも胸を痛ませます。権力者/官僚の恣意/出世欲/怠惰と保身が、庶民の生活と人生を踏みにじる様が、いつの世にもあることながら、腹立たしい。そういう生々しい悲しみと怒りを呼び起こす本です。
 それとともに、救援活動に私財を投じ人生をかけた人々の存在に心洗われ、弁護団の苦心と努力に頭が下がります。
 松山事件の控訴審判決言渡の公判(1959年5月26日)はテレビ放映されていたのですね(124ページ)。私は、著名事件での開始前の代表カメラによる固定・無音の頭撮りしか知らない世代なので、日本でも法廷のテレビ中継があったということは、頭にありませんでした。現状が唯一のあり方でないことは、常に頭に置くべきで、そういう点でも刺激を受けました。
 斎藤幸夫さんは2006年に死亡、救援活動に奔走した母ヒデさんも2008年に死亡して、それからさらに年を重ねた今頃、どういう経緯でこの本がまとめられたのかはわかりませんが、ときの話題/タイミングとは関係なく、たまたま手にできてよかったと思います。

11.労働法実務解説6 女性労働・パート労働・派遣労働 宮里邦雄、古田典子、秦雅子 旬報社
 日本労働弁護団の中心メンバーによる労働法・労働事件の実務解説書シリーズの女性労働(性差別の禁止、母性保護、育児・介護休業)と非正規雇用(ただし、有期雇用を除く)関係の部分。
 2008年に刊行された「問題解決労働法」シリーズの改訂版です。
 全体として、制度、法律、指針・通達類の説明のため条文等を羅列した部分が多く、ことがらの性質上そうなりがちではありますが、読み進むのがしんどい。
 派遣法の部分もどうしても法技術的な解説が多くなるのですが、構成(項目の順序)が、労働者側から読むのに適した形に組まれていて、作り具合になるほどと思いました。
 第7章の「業務請負」「業務委託」で働く労働者をめぐる問題は、近年、労働法の規制を回避するために小ずるい経営者が業務委託契約の形態をとり、それが紛争になる事件が増えているので、そのあたりを様々な事例を取り上げて説明してほしいところですが、あっさりした説明で、ちょっと残念です。
 このシリーズ全般に感じられることですが、誤植の類が目につきます。項目ごとに、最初に「POINT!」というまとめがあるのですが、第6章派遣労働の「12 『均衡』待遇の確保1~賃金」の「POINT!」が「■ 解雇に対する規制として最も重要なのは、合理的理由、社会的相当性の有無により解雇の有効性を判断する解雇権濫用法理(労働契約法16条)である。■ その他にも、個別法令による解雇制限がある。」とされている(171ページ)というのは、あまりにもお粗末(全くの見当外れ)。パートタイム労働者の差別取扱禁止(パート法第9条)の「通常の労働者と同視すべきパートタイム労働者」の要件から無期契約やこれに準ずる場合であることが外されたと説明している(120~121ページ)のに、127ページの表では「無期or反復更新により無期と同じ」が要件になっている、派遣中の労働者に関する派遣元・派遣先の責任分担の表(200~201ページ)の左側の「派遣元」に対応する右側は当然「派遣先」であるはずなのに何の間違いかすべて「均等待遇」という的外れな記載になっているなども、図表は著者校正の対象になっていないのかなと思いますが、あんまりかなと思いました。

10.ルポ中年童貞 中村淳彦 幻冬舎新書
 現在はノンフィクションライターの著者が、高齢者デイサービスセンターの経営をしていた時代に雇用した労働者の勤務態度、仕事/介護/入所者や同僚に対する姿勢・言動が勘に障り、その労働者が中年童貞であったことから中年童貞を問題視し、ほかのタイプの中年童貞をも取材して出版した本。
 あとがきで著者が、第6章の「中年童貞の受け皿となる介護業界」を依頼を受けて翌日には書き上げて、その原稿がほぼそのまま「幻冬舎plus」に掲載され、直ちに炎上し「偏見、ヘイトスピーチ、中年童貞に親でも殺されたか?と批判を浴びたが」自分は正しいと強弁しています(224~226ページ)。率直に言って、この第6章は、読むに耐えません。私には、ネットでの批判のほうが正しい、少なくとも著者の言い分より圧倒的に共感できます。中小零細企業の経営者は、思うに任せない/気に入らない労働者がいると極端な言動に出がちです。この労働者の言動が、真実著者のいうとおりだったとしても、それはその労働者が置かれた労働環境や経営者側の処遇/仕打ちと相関することでありましょうし、そうでないとしてもその労働者の人柄や性格の問題で、それを「中年童貞」であることが原因だとみることには無理があると思います(少なくとも、この本に書かれている材料からそう判断することは「科学的態度」ではありません)。
 著者は、2次元オタク、AKBファン、新興宗教信者の研究職、ネトウヨ、ゲイで偽性同一性障害といった「中年童貞」の仮名のインタビューを掲載していますが、それらの人々は、著者が最初からそういう人に中年童貞がいるだろうと決めつけて、それで人選しています。取材対象の取捨選択に客観的な基準もなく、仮名の1人か2人くらいのインタビューで、類型別にでも「中年童貞」の一般的な傾向など把握できるはずもなく、これらのことからいえるのは、世の中にそういう人もいるのねというだけです。それを、何か中年童貞の実像だとか、ましてや問題点だなどというのは、取材、分析・検討、執筆のあらゆる段階で客観性を欠く恣意的なものといわざるを得ません。
 自分が雇用していた労働者以外の中年童貞に取材して様々な問題があることに気づいたという著者は、それでも「中年童貞」であることが問題であり、また取材を受けた人々が抱える問題が「中年童貞」であることに起因するということは疑いません。それぞれが抱える問題の様々な局面が見えたのであれば、そこでそれが「中年童貞」であることに起因するのか、また共通した問題といえるのか、自分の出発点自体を再検討するのが、「ノンフィクションライター」としての誠意だと思うのですが。

09.深読み!絵本「せいめいのれきし」 真鍋真 岩波科学ライブラリー
 絵本「せいめいのれきし」(バージニア・リー・バートン、石井桃子訳、1964年:原書は1962年)の改訂に当たり、改訂版の監修者の著者が、絵本には盛り込めなかった知識や研究成果などを加えた解説をする本。
 地球の歴史の様々な時点においてどのような生物がどのように生存していたかの概要を読むことで、私たち人間が持ちがちな、生物が「霊長類」「人間」に向けて「進化」してきたのだという考えが誤りであることを認識させてくれます。
 例えば、2足歩行をするようになったことで人間は手(前肢)が自由になり道具が使えるようになり、また脳を大きくすることができ、文明を発展させることができた、人間のみが2足歩行をするようになった、というような言説をよく目にします。しかし、恐竜を例にとると、「最初の恐竜は二足歩行であったと考えられています」(27ページ)、「最初の恐竜は二足歩行だったのですが、後ろあしの2本の柱で体重を支えるより、4本の柱で体重を支えたほうが有利ですから、体の大型化とともに、四足歩行に『戻った』ものが現れました」(31~32ページ)とされています。
 また、食物がふんだんにある時代は体の大きいもの、速く動けるもの(恒温動物)が競争上有利でも、食物が少ない時代、気温が低い時代には少ないエネルギーで生存できるもの(体の小さなもの、変温動物)が競争上有利だということも示されています。
 生物は、特定の方向に「進化」するのではなく、様々な種が併存する中で、その時々の環境に応じて、より適応できた種が繁栄する(多数生存できる)、つまり環境への適応で体の構造や特性が変化すると考えるべきなのでしょう。人間が「進化」の「頂点」なのではなく、単に現在の地球環境の下での競争に勝っているだけと考えることが、素直にできる、というかそういうことを考える材料になる本だと思います。

08.最新 映画産業の動向とカラクリがよ~くわかる本 [第3版] 中村恵二、荒井幸博、角田春樹 秀和システム
 映画産業の市場の動向、映画ビジネスの関係者の業務・分担、タイアップなどについて説明した本。
 「カラクリ」などという言葉がありますが、裏話的な話や掘り下げた話は見当たらず、表面的公式見解的なことを淡々と書いているように思えます。
 「第2章 日本のアニメ産業の動向」「4 海外市場の動向」では、「まず北米市場において、これまで最も多くの興行収入を上げた日本のアニメ映画は『ポケットモンスター ミュウツーの逆襲』(一九九九年公開)で、興行収入は八五七四万ドルになっています。また『ハウルの動く城』(宮崎駿監督)が二〇〇五年に公開され、四七一万ドルの興行収入を上げています。同じスタジオジブリの『千と千尋の神隠し』もヒットするなど映画の本場ハリウッドでの日本アニメに対する評価は高くなっています。」(44ページ)と書かれています。「クールジャパン」とかいって日本のアニメは外国でも高く評価されていると喧伝されていますが、こういう書き方はどうなんでしょうか。日本のアニメ作品をその物語性や作画の丁寧さなどの面から高く評価する人は、ハリウッドにも当然にいるでしょうし、私もそういう点で日本のアニメ作品を貶めるつもりはありません。しかし、こういう書きぶりでは、「クールジャパン」とかいっている連中と同様、読者は日本のアニメ作品がアメリカでも大ヒットしたかのように誤解し、アメリカでヒットした故に日本のアニメは高く評価されていると誤解してしまうのではないでしょうか。アメリカでこれまで一番ヒットした日本のアニメ映画「ポケットモンスター ミュウツーの逆襲」(Pokemon : The First Movie)は、アメリカ歴代ランキングでは200位圏(1億8000万ドル台の上の方)もほど遠く、1999年公開映画のランキングでようやく25位です。2番目にヒットした「ポケットモンスター 幻のポケモンルギア爆誕」(2000年)(Pokemon : The Movie 2000)の興行収入4376万ドルは2000年公開映画のランキングで59位、ジブリアニメの中でアメリカでの興収が最高の「借りぐらしのアリエッティ」(2012年)の1919万ドル、「崖の上のポニョ」(2009年)の1505万ドル、「千と千尋の神隠し」(2002年)の1006万ドルのいずれも公開年のランキング100位(大抵は2000万ドル台の上の方)にも届いていません。日本のアニメ映画で、アメリカで大ヒットした作品はなく、せいぜいポケモン2作品がふつうレベルで「ヒット」したという余地があるという程度という客観的な認識をまず持つべきだと、私は思います。逆に、日本での興行成績を見ると、もちろん、日本のアニメ映画が上位を占めているのですが、その中で「アナと雪の女王」(2014年)が歴代3位(「君の名は。」は、結局、これを抜けないようです)、「ファインディング・ニモ」(2003年)が歴代21位、「トイ・ストーリー3」(2010年)が歴代26位など、アメリカのアニメ映画作品が相当に受け入れられています。外国市場でヒットしているという点からすれば、日本のアニメ作品はアメリカのアニメ作品に遠く及ばないとみる必要があるでしょう。
 こうした客観的なデータ(今どき、私のような素人でも簡単に探すことができます)を掲載しないで、日本のアニメ映画がアメリカ市場でヒットしているかのような誤解を与えるような文章をプロが書くことには強い疑問を持ちます。それも、2007年の初版より後のアニメ作品の情報が全く入っていないのも不思議です(初版出版の少し前の「ハウルの動く城」を取り上げて、その後それより数倍の興収を挙げた作品を紹介しないというのでは、フェアでもないでしょう)。
 予告編の制作で、「ときには本編にない映像を作るなど、観客に期待を持たせるために、様々な工夫が要求されます。」(113ページ)って、それは「工夫」じゃなくて、「だまし」「詐欺」だろうと思うのですが、映画業界人は、観客に対する誠実さというのは気にもかけないものなのでしょうか。そういう感覚だから、上述のように客観的な事実を無視して日本のアニメ映画がアメリカでヒットしているかのような書き方も平気でできるのかと思ってしまいます。

07.図説 紅茶 世界のティータイム Cha Tea 紅茶教室 河出書房新社
 紅茶の歴史、茶葉の産地、淹れ方/飲み方、世界の紅茶事情などを解説した本。
 5月から6月に摘まれるダージリンの「セカンドフラッシュ」のマスカット(マスカテル)フレーバーは、ウンカが大量発生して茶葉の柔らかい部分から汁を吸い、ウンカに噛まれた葉が治癒しようとして作り出す「ファイトアレキシン」の香りだとか(43ページ)。ウンカは「害虫」じゃなくてウンカのおかげでダージリンの商品価値が上がるんだ。
 茶(緑茶・ウーロン茶を含む)の1人あたり消費量の上位3国は、トルコ、アイルランド、イギリスで、トルコの1人あたり消費量は日本の3倍以上、イギリスは日本のほぼ2倍だそうな(49ページ)。
 イギリスでは紅茶に入れるミルクは新鮮な冷たい低温殺菌牛乳(イギリスで流通している牛乳の8割が低温殺菌牛乳。高温殺菌牛乳がほとんどの日本とは事情が違う)だそうです(66ページ)。「コーヒーフレッシュを使用したミルクティは日本独自の文化です」(67ページ)って。そして、ロシアには紅茶にジャムを入れる習慣はない!(108~109ページ)のだそうです。
 ちょっと意外なトリビアが楽しめました。

06.ニッポンが変わる、女が変える 上野千鶴子 中公文庫
 福島原発事故前は、原発については「これは触れないでおこう」と戦略的に黙っていた(14ページ)という著者が、原発再稼働に向かう政権への危惧、特に橋下維新の勢力拡大とその後の総選挙での安倍政権の成立・暴走に対する危機意識/絶望を背景に、各界の先行者と著者が評価する女性たちと、3.11後の日本社会のあり方を語る対談集。「婦人公論」2012年4月号から2013年3月号までの連載のため、前半は、民主党政権のだめさ加減と橋下維新のポピュリズムへの危機感、後半は原発推進戦犯の政権復帰と安倍政権への危機感が表れています。2013年10月の単行本出版から3年余を経て出版された文庫本では、12名のうち8名から「文庫化に寄せて」が寄稿され、その後の状況に対するフォローと感想が記されていて、そこも対談者の思いが表れていて感慨深い。
 第8章の歴史学者の加藤陽子さんとの対談では、畑村洋太郎東京大学名誉教授の失敗学も今回は難しかったはずですとして、政府事故調の報告書でも「電源喪失が地震段階なのか、津波段階なのかという点も不明のまま。」、(上野)「事故が引き起こされた原因についての解明も、できていませんね。」、(加藤)「国会事故調では、津波の前の地震段階ですでに電源喪失していたとの判断をしています。」(149ページ)と論じていただいたのは、その部分を担当した国会事故調協力調査員としてはうれしく思います。
 今後の日本のあり方について、縮小経済に見合った社会、肩の力を抜いて排除することのない上手な分かち合いをする「老いらく社会」(138~140ページ。第7章:経済学者の浜矩子さん)、「人口と地面の大きさに見合うくらいの小さな国になる」「こぢんまりとした、しかしよその国が『あの国はいいな』というような国。競争に負けても、最後には『やっぱりあなたたちが正しい』と言われる国になれればいい」(235ページ。第11章:ノンフィクション作家の澤地久枝さん)というのが、心に染みました。

05.広域警察極秘捜査班BUG 福田和代 新潮社
 航空機墜落の実行犯とされて死刑囚として拘留されていた天才ハッカー水城陸が、アメリカと日本などで構成する環太平洋連合(PU)の刑事警察である「広域警察」から偽装死刑執行/助命と引き換えに無令状で盗聴その他の内偵等を行う極秘捜査班「BUG」に組み込まれ、墜落した航空機に搭乗して死んだはずのブティア博士の動向を探り通信を傍受することを命じられ、内偵を続けるうちに、水城陸が冤罪を主張する航空機墜落事件の真相、水城陸が逮捕されて絶望して自殺したとされていた父の死の真相に迫るという近未来サスペンス小説。
 悪役と被害者がはっきりとして、誰が犯人/黒幕かではなく、いかに事件解決に至るかを楽しむタイプの作品です。そういう点で安心して読める感じで、わかりやすく爽快感があるのですが、直接の悪役の動機/背景・上部組織は明確にはされず、そこには欲求不満が残ります。シリーズ化を目論んでいる様子の終わり方ですから、続編で展開するつもりなのかもしれませんが。
 水城陸から北浦教授へのメール、留守を任されたチェック担当者が削除した(156~157ページ)とされているんですが、そのメールを仲間が知らせてきた(168ページ)というのは・・・

04.新版 うつ病をなおす 野村総一郎 講談社現代新書
 うつ病のさまざまな種類に応じて典型例を挙げて説明し、治療法の進展(多様化)とうつ病の原因についての著者の見解を説明する本。
 生真面目で几帳面な性格の人が発症して全面的に落ち込み気力(エネルギー)がなくなり自分を否定し追い込んでいくこれまでの典型的なうつ病(著者は「メランコリー型うつ病」と呼ぶ)が、周囲の同情を集めるのに対し、近年は仕事の場では元気がなく出社できないがレジャーはできてその時は元気、自分を責めることはなく周囲に責任があると主張する新しいタイプのうつ病(世間では「新型うつ病」、著者は「現代うつ病」と呼ぶ)は欠勤/休職をめぐり使用者(企業)側からは詐病を疑われ、労働者側の弁護士から見ても悩ましいところですが、著者は、こだわりを持つ凝り性のところは同じでかつてのような儒教道徳的な倫理観ではなく西洋的な合理主義のもとで育った者が学校で甘やかされ企業で厳しく扱われる落差に適応したのが現代うつ病ではないかと説明しています(62~64ページ)。挙げられている症例のようにリワーク活動にもともと凝り性の性格ということもあって熱心に参加し復職できた(62ページ)というようなことだと、なるほどやはりうつ病だったのねと理解しやすいところでしょうけど。
 「気分変調症」として挙げられている症例で、アドバイスが欲しいというのでアドバイス的なことを言うと「そんなことは自分にもわかっている。でも、できないから仕方がない。」と居直り、次回の予約を決めるときにも朝は起きれないから夕方にとか平日は道が混むから土曜日になどと要求が多く、そのくせしばしば予約の無断キャンセルをするというケース(71~72ページ)、法律相談の相談者にも時々います。そういうのは、病気と考えるべきなんですね。とっても困ったちゃんですが。
 治療法で、生活療法(休養→日常生活記録、運動)を優先するとしたうえで、薬物療法のさまざまな薬を紹介し、次いで通電療法(電気ショック)を紹介しています。通電療法は効果があるのに感情的に否定されてきた、通電療法が残酷な感じがするからやるべきではないというのは、人間の体をメスで切り刻むなど残酷だとすべての手術を禁止するようなもの(165~169ページ)、と著者はいうのですが…
 うつ病の原因を、ゆううつになり行動を止める(強敵に無意味に戦いを挑まない)ことが生き残り上有利、負けたときにあきらめることで復讐の連鎖が回避され安心して子孫が残された、落ち込むことが周囲の援助を誘い生き残り上有利という進化生物学的見地から、ゆううつになる者の遺伝子が残されてきたが、それが社会の変化により意味が変わったために病気と評価されるに至った(198~207ページ)としています。興味深い主張ではあります。

03.科学報道の真相 ジャーナリズムとマスメディア共同体 瀬川至朗 筑摩新書
 STAP細胞問題、福島第一原発事故(炉心溶融していたか否か)、地球温暖化問題(温暖化への懐疑論)についての報道をとりあげて日本のマスコミの科学報道が大本営発表になりがちな現状について検討し苦言を呈する本
 STAP細胞に関する報道では、最初の段階で、そもそもまだ最初の「発見」であり科学的には仮説にすぎずこれから他の研究者の追試・再現による検証を経てようやく定説となるべきものを、まるでノーベル賞受賞のように確立された功績のような扱いで報道したことの誤りが指摘されるとともに、マスコミの「ネイチャー」の権威への寄りかかりがその根本にあったこと、そして「ネイチャー」がいったんは査読者が拒否した論文を再掲し騒動後も自己検証していないことと「ネイチャー」の責任を問う報道が見られないことを批判しています。
 福島第一原発事故では、いったんは保安院の担当者が炉心溶融に言及し、それに応じてマスコミも炉心溶融を報じた(結果的にそれが正しかった)にもかかわらず、その後東電と保安院が事故を小さく見せるために炉心溶融に言及せず「炉心損傷」と欺瞞的な表現をするようになる(この本では言及していませんが炉心溶融を認めた保安院の広報担当者は更迭された)とマスコミの報道がトーンダウンした様子を、かなり退屈ではありますが、見出しや記事の定量分析で追い、いかに「大本営発表」報道に陥っていたかが指摘されています。
 地球温暖化問題では、地球温暖化への懐疑論(そもそも本当に温暖化しているのか、温暖化しているとしてそれは人類の行為が原因ではなく自然現象ではないか)について、欧米ではバランス論の立場から比較的紹介されているのに対して日本のマスコミではほとんど紹介されないことを指摘しています。ここでは、懐疑論は科学者の間ではごく少数説であるが、欧米では懐疑論が存在することからバランスを取ろうとしていることが果たして適切かという疑問を提起し、その意味では日本の報道の方が適切かもしれないが、日本の報道が懐疑論をほとんど紹介しないのはIPCC(気候変動に関する政府間パネル)という公式の国際組織の権威にほぼ盲従しているからという指摘がなされます。
 これらの権威に依拠した、批判的な自己検証(調査報道)がほとんどない日本のマスコミの報道姿勢は、科学報道に限ったことではなく、記者クラブ体制での発表報道を中心とし、記者と取材者の固定的で利害共通(発表者は自己の利益に沿った報道を、記者は情報の入手を)の関係、特ダネ(取材対象との強固な関係が必要)を尊び特落ちを恐れマスメディア共同体内での評価を優先する姿勢から強化されていくことが指摘され、科学報道においては、検証と取材対象からの独立性こそが重要だとされています。
 そのとおりと思い、日本のマスコミも権威と発表者への疑問と検証に、少しは奮起してくれるといいなと思いました。

02.海を照らす光 M・L・ステッドマン 早川書房
 孤島の灯台守と3度目の流産をしたばかりの妻のもとに男の死体と乳児を乗せたボートが流れ着き、妻は報告の信号を送ろうとする灯台守を制止し、流れ着いた乳児を自分の子として育て、2年後に本土を訪れて夫と乳児を失いあきらめきれずにさまよう材木商の娘の存在を知り、逃げるように孤島に戻る妻と良心の呵責に耐えきれない灯台守の言動とその行く末を描いた小説。
 偶然に自らの手元に流れ着いた乳児を育てるという人道的な行為に始まった育ての親子関係が、数年の時を経たのちに、生みの母の存命と生みの母がなお乳児を探し求めているといった状況を知った場合、人はどうすべきか、子どもにとってはどうすることがよいのか、育ての親と生みの母の心情と人生観からはどうかという、重いテーマを投げかけています。
 あわせて、子の生死、子を手放すことと夫婦の愛情/関係、夫婦関係の強さと脆さもまた、さらに重いテーマとなっています。
 数週間とか数か月程度であれば、単純に生みの親に戻せばいいと思いますが、数年を経て育ての子としっかりとした関係/絆ができてしまうと簡単ではなく、私はむしろ血縁よりも共に過ごした月日の重さの方を尊重したくなります。そこは再会した生みの親側の子との関係の作り方もあって、この作品で言えば祖父セプティマス・ポッツと叔母グウェンの懐の深さで子の心を開いていく過程の大切さが沁みるところでもありますが。
 逆に、他の者たちの狼狽しながらも相対的に落ち着いた言動に比して、育ての母(灯台守の妻)イザベルと生みの母ハナの頑なで気短なふるまいは、女性/母をステレオタイプに貶める描き方とも見えます。
 提示された重いテーマについて、「決断」に至るまでの葛藤は描かれますが、「決断」したのちの苦しみ、葛藤はあっさり飛ばされています。あまり引きずって重苦しくしたくなかったのかもしれませんが、そこももう少し描いて欲しかった気がします。
 この作品を原作とした映画「光をくれた人」が2017年5月26日から公開されます。そのために原作を読んだのですが、夫婦で見に行くのが重い作品だなぁと思いました (-_-;)

01.サーモン・キャッチャー 道尾秀介 光文社
 郊外のベッドタウン「図図川町」で、釣れた鯉の点数に応じて景品と交換する釣り堀「カープ・キャッチャー」でアルバイトをしながら人気の黒人歌手「ムキダス」が話すアフリカの少数言語「ヒツギム語」のレッスンに夢中の春日明、健康ランド「ジョイフル図図川」に寝泊まりしつつ「何でも屋」で何とか食べてる明の父大洞真実、「カープ・キャッチャー」で神と呼ばれる釣りの名手だがボロアパートで年金暮らしの河原塚ヨネトモ、量販店でバイト中の対人恐怖症のフリーター内山賢史と心霊ものDVDファンの妹智、裕福な中年女柏手市子らが、「カープ・キャッチャー」周辺で織りなす群像コメディ。
 プロローグでバラバラに羅列される登場人物が、「カープ・キャッチャー」で出会い、実は他の人物を介して現在や過去の関係があり、という形で収斂してゆくという、舞台が「図図川」「図図川町」なる特定の場所ですから、最初からそうなるだろうという展開で、ドタバタして進みます。
 登場人物中、柏手市子という中年女性が、裕福なのに物欲しげで意地悪で身勝手な共感ができないキャラで、しかもプロローグの紅葉の「手品」「奇跡」がまったく回収されないままに終わり、どうしてこの人物を登場させたのかもよくわからない印象です。他の話は、かなり無理してつなげているのに、性格の悪い柏手市子とその息子はいかにも浮いたままで、全体のドタバタ感(登場人物とエピソードのつなぎ方がスムーズでない)とあわせて、あまりうまくないなぁという読後感です。
 架空の言語「ヒツギム語」が終盤で爆発しますが、これも、こういうのを好む読者には「面白い」のかもしれませんが、私はあまりついていけない思いです。とりわけ、終盤まで、なぜ「カープ・キャッチャー」の話が「サーモン・キャッチャー」なの?という疑問を持たされ(ふつう、終盤はもうそこが読者の関心/疑問になると思います)た挙句、ラストは、それはないだろうと思います。ヒツギム語で「兄」が「タツヤ」、「弟」が「カズヤ」(314~315ページ)というのに、ああこの作者「タッチ/あだち充」で育ったんだという感慨は持ちましたが。

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