庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2017年7月

23.すごい進化 「一見すると不合理」の謎を解く 鈴木紀之 中公新書
 昆虫の生態で進化論(自然淘汰、性淘汰)からするとあまり合理的でないと思えるものについて、進化論の立場からどこまで説明できるかを論じた本。
 クリサキテントウが松ノ木につくマツオオアブラムシを捕食していることについて、マツオオアブラムシはアブラムシにしては動きが速く捕食しにくい上に栄養価も他のアブラムシと比較して高くなくコロニーが小さく、他方クリサキテントウの幼虫とナミテントウの幼虫を競合させて他のふつうのアブラムシを補食させてもクリサキテントウが十分生き残れる(餌の取り合いでナミテントウに負けるわけではない)から、ふつうに考えて、説明ができないところ、著者の実験で、クリサキテントウはナミテントウが多数派の場合、クリサキテントウの雌がクリサキテントウの雄と交尾できる可能性が相当低くなる(ナミテントウの雄がクリサキテントウの雌と交尾して圧倒してしまう:その場合子は生まれない/雑種も生まれない)ことがわかり(127~131ページ)、他のアブラムシを補食するクリサキテントウは共存することになるナミテントウの雄に圧倒されて子孫を残せず淘汰されてしまうため、幼虫の餌/生き残りの観点からは不利であってもナミテントウと競合しないマツオオアブラムシを捕食すると考えられるのだそうです。大変興味深い議論です。クリサキテントウとナミテントウが共存する場合に、なぜナミテントウの雌は同種の雄と交尾できてクリサキテントウの雌は同種の雄と交尾できなくなるのかはまだ詳しく解明されていない(135ページ)そうですが。
 進化論の議論をするとき、まるで個々の生物個体が、あるいは種全体が、一定の戦略を/目的を持っているような解説がなされがちです。この本でもクリサキテントウが松の木に固執しているなどの表現が度々とられていますが、進化論の議論を正しく説明するのであれば、松の木以外で産卵するクリサキテントウはナミテントウと競合する結果子孫を残せず、松の木に産卵するクリサキテントウが子孫を残せる結果として、松の木に産卵するクリサキテントウが多数派になっているというべきでしょう。
 クジャクの羽の長さや派手な模様は個体の生き残りには不利ですが、雄の生存能力(の余裕)を示すものとして雌に好かれて交尾の相手として選択され、その結果羽が長く模様が派手な雄が子孫を残せる(性淘汰)ためにそのような雄が多くなると説明されています(159~173ページ)。その説明、雄の側については理解できるのですが、雌のそういった雄を好む/選択する傾向というのは遺伝するのでしょうか(あるいは個体の遺伝を考えるまでもなくすべての雌がそういう選択をするということでしょうか)。羽の長さや模様のような体の特徴は当然遺伝するでしょうけど、好みといった言わば思考・思想にも連なる主観的要素が遺伝子の中に組み込まれているとすると、ちょっと哀しい/やりきれないものがあるので、そこはこだわるのですが。
 生物において無性生殖(雌が雌だけで言わばクローンを生み続ける)と有性生殖の優劣については、進化論的な考慮からは有性生殖が有利とは言い切れないにもかかわらず、現実には有性生殖によっている種が圧倒的なのは、雄が存在する限り、雄は雌と交尾しようとする(これは、本能でしょうね。そこは、わかる (*^_^*))ため、有性生殖が(メリットがなかろうが)不可避的に行われてしまい、その結果一定の割合でまた雄が生まれてくるので有性生殖が維持されるという説があり著者はそれが説得力があるとしています(194~204ページ)。う~ん。

22.7200秒からの解放 レイプと向き合った男女の真実の記録 ソルディス・エルヴァ、トム・ストレンジャー ハーパーコリンズ・ジャパン
 1996年11月にアイスランドのレイキャビクで酔い潰れた16歳のソルディスを部屋まで送った18歳のトムがソルディスのベッドで服を脱がしてそのまま2時間(7200秒)にわたりソルディスをレイプしたことについて、ソルディスが2005年5月にオーストラリアに移住していたトムに対して非難する電子メールを送信したことをきっかけに2人が文通を始め、過去を振り返り、2013年3月27日から9日間南アフリカのケープタウンで行動を共にして語り合い、トムが過去を反省し、ソルディスが赦すという過程を記録した本。
 恨み続けることに未来はないと、基本的に赦すことを目指してケープタウンミッションに臨んだソルディスが、トムのちょっとした言動、さらにはトムに直接関係ない街で目にした様々な言葉や光景に一々いらつき傷つきトムをあるいは男性一般を心の中で罵り僻む心情や言動が繰り返し書き連ねられていて、文章としての読み心地はあまりよくありませんが、それは、被害者が犯罪被害により傷つきその度合いや傷つき方が一様ではなくその被害との向き合い方立ち直りが一様でなく簡単でないことを読み取るべきところで、むしろそこはこの本の読ませどころと受け取れます。
 しかし、レイプ問題の専門家となり、様々なところで講演等をこなしているソルディスが、見知らぬ男によるレイプは一般的ではないと言い、デートレイプへの注目を求めた上で、自己の、この本に書かれている事例をレイプの典型のように言うことには疑問を持ちます。
 ことがらの性質上、具体的事実関係の詳細を明らかにしたくないという心情はわかりますが、2人の人生の事件前・事件後のエピソードを紹介し、その時々の思い・考えを語ることに多くの紙幅を裂いているこの本の性格に照らし、また事件からかなり長い年月が経過して初めてソルディスがトムにレイプを非難し始めたという事情を考えれば、この本に示されている事件とその前後の2人の言動についての記載の程度には、読者としては不満が募ります。特にそれが初期に明らかにされないことには、読んでいて、持って回った書き方だなというフラストレーションがたまりました。この本の記述によれば、ソルディスとトムは1996年11月16日に6時間にわたりいちゃつき続けて性交しソルディスは「ただただ・・・素晴らしかった」と感じた(54~56ページ)、その次の夜(56ページ)または1996年12月17日の夜(187ページ)、ダンスパーティーでソルディスはラムを飲んで酔っ払い、トイレで吐き続け、介抱に行ったトムの前で床に倒れ込んで動かなくなり、トムはソルディスを抱えてソルディスの自宅まで連れて帰りソルディスの部屋で服を脱がせて、その後ソルディスを2時間にわたりレイプした(163~168ページ)、ソルディスは頭ははっきりしていたけれど体が言うことを聞かなくて向きを変えたり体をよじったりするのは無理だった(167~168ページ)、2日後トムはソルディスに別れを告げた(170ページ)、その後ソルディスは完全に気がおかしくなり友達や家族を避けるようになり、その後(時期は何か月後か明示されていないが)自傷行為をするようになった(170~171ページ)、オーストラリアに移住したトムが2000年の夏にアイスランドに帰ってきた際、トムとソルディスは、シャワー室で、2階のベッドで、車の中でセックスした(179ページ)、ソルディスは2013年3月30日にトムから指摘されるまでそのことを忘れていたが、あのときはトムを傷つけたかったのだと思い、「あなたの心をめちゃくちゃにしたかったから、あの夏あなたを誘惑したの」と答えた(179~180ページ)、トムが2000年夏の音楽祭で酔っ払い坂を転げ落ちて頭を割り何針か縫われて立ち去ろうとしたときにソルディスは後を追い、そのとき初めて「よくもわたしをこんなふうに扱えるわね!レイプしたくせに!」と言った(115~117ページ)とされています。2000年夏のことについては、トムの指摘でソルディスが自分がトムに誘いかけてセックスしたことを思い出した後、その話はやっぱり明日にして欲しいと言って(183ページ)その後この事実関係が具体的にされることなく(269ページで抽象的には触れていますが、具体的な事実は出てきません)終わっています。
 レイプ被害者は何度も様々に傷つき、その心理を世間の常識で量り決めつけてはいけないと言われますし、その心理と心情に寄り添え、世間の常識を振りかざした追及はセカンドレイプだというフェミニストの声が聞こえてきます。しかし、ソルディスが2000年夏に自らが誘いかけてトムとセックスしていたことを忘れていたこと、この本でそのことを含む2000年夏の事実の解明が避けられていることを考えると、1996年のレイプに関しても2時間性交をし続けた(2時間ぶっ通しで太ももを殴られているようだった:169ページ)ということ(トムはコンドームをつけていた:173ページ)があまり現実的でないことと合わせ、トムをレイプ犯と決めつけて断罪するほどに明らかなレイプであったのか、疑問も残ります。
 ソルディスが、トムを赦し、和解するために、恋人と幼子を残してケープタウンまで行って、レイプ犯と断罪する元彼と9日間を過ごすことも、ソルディスの心情の上では必要なことだったのでしょうけれども、多くのレイプ被害者にとっては、希望しないことだと考えられます。ソルディスのケース・試みは、そういった努力に意味があることがあるということを示すものではあっても、レイプ被害者に望ましいとかあるべき姿として受け取るべきではない(レイプ被害者にプレッシャーを与えるべきものではない)と考えます。

21.夜の谷を行く 桐野夏生 文藝春秋
 山岳ベースに招集されて参加した革命左派の女性兵士たちが、連合赤軍の結成、山岳ベースでのリンチ殺人事件を生き延び、裁判を受けて受刑した後、知人との連絡も取らずにひっそりと暮らしている姿、革命左派のリーダーだった永田洋子の獄中死(2011年2月)を機に関係者が接触を図ってきてかつての同士の消息を知り様々な思いが去来する様子などを描いた小説。
 凄惨な歴史的事件に関わり、それだけで世間の厳しい/厳しすぎる目にさらされて親族郎党に迷惑をかけ、世間からも親族からもつまはじきにされて細々と生きてきた、しかし自分が生きてきたその選択に一定の自覚と自負を持つ事件当事者が、時が過ぎてようやく平穏な生活を手にしたと思いきや、事件の傷/世間の冷たい視線はなお収まっていないことを自覚し、かつての同士とも屈託なく/腹蔵なくは付き合えないことを感じる寂寥感、諦念、いらだちなどがテーマとなっていて、そこは読ませる感じがします。
 山岳ベースへの招集について、革命左派では、山岳ベースで子どもを育て次世代の革命兵士を育てようという構想を持っていたという、世間ではほとんど知られていないエピソードが、当事者の思い、意地として語られています。そういうあたりは、関係者への取材の努力も感じられます。
 死亡者と今なお獄中にある人物は実名、それ以外の当事者は仮名ではありますが、実在の事件ですので、仮名の当事者も特定できてしまいます。ただ、作中でのそれぞれの人物の刑期が、実際の事件でその人に該当する人物の刑期と全然違うのは、作者が調べずに適当に作ったのか、あえて実在の人物との関係を錯綜させるためにそうしてるのか(でも、山岳ベースでの各人の行動を特定している以上、モデルの人物は、事件を知る人には否応なく見えてしまいますが)。

20.伯爵夫人 蓮實重彦 新潮社
 アメリカ・イギリスへの宣戦布告直前の東京で、入試を控えた(旧制)高校生二朗と、二朗宅に止宿している怪しげな「伯爵夫人」が、ホテルの茶室に同伴して過ごす間に様々な回想・妄想を拡げる観念的妄想的官能小説。
 蓮實重彦というと、私には昔の記憶で仏文というかフランス現代哲学とかの類いの難しげなことを書いている学者さんというイメージだったのですが、こういう放送禁止用語満載の小説を書いていたのですね。そこにまず驚きがあります。装丁はおとなしいのですが、大半のページに性器を示す言葉が書かれているので、電車の中で読むのは、かなり恥ずかしい。といって、文体のせいか、荒唐無稽な妄想系のエピソードが多いせいか、それほど性的な興奮を感じるわけでもない。どこか中途半端な宙ぶらりんな読中感・読後感を持ちます。
 文芸誌(「新潮」)に連載ではなく一気に掲載されたようですが、繰り返しが多い。老人の話がくどい、ということではなくて、童話的な繰り返しパターンがとられているのだと思います。ホテルの回転扉が「ばふりばふり」と回る、快感を得ると「ぷへー」とうめいて果てる/達する/失神するなどの繰り返しが、次第に快く感じられます。
 時代・場所・謎の伯爵夫人という設定、荒唐無稽な/「シュール」な幻想の展開による「異界」感を、癖のある文体で味わうというところが売りなのだろうと思いますが、私には、それに飽きずに付き合うには半分くらいの長さの方がいいかなと思いました。

19.イアリー 見えない顔 前川裕 角川書店
 原因不明の難病で妻を失ったばかりのアメリカ文学専攻の大学教授広川の周辺で、近隣では妻を訪ねてきた不審な女性、その夫の自殺、ゴミ集積場での死体の発見、病人を抱える向かいの家人たちの失踪など、不可解な異常事態が続き、勤務先では総長選挙をめぐり、学内政治好きの策士の友人石田に頼まれて付き合いで会議に出るうちに選挙に巻き込まれ、亡き妻の妹であり勤務先の大学の専任講師の水島麗をめぐり事件が起こりという展開のミステリー小説。
 ミステリーの謎解きでは、ラストシーンでも現実には真実など簡単にはわからないということを示唆しているように、必ずしも明快とはいえず、苦し紛れに近いところもありますし、キーパースンとなる水島麗の心情、水島麗をめぐる事件の経緯と動機など、説明されてもストンと落ちず、いやぁ無理があるでしょと思います。
 広川の心情ですが、う~ん、妻の妹に欲情し、やっちゃうかなぁ。それも妻が死んですぐ。私は、弁護士になったはじめの頃からセクシュアルハラスメントの問題とか意識してたこともあって、例えば依頼者として出会った女性は、最初から気持ちの中で別扱いしている(セクシュアルハラスメント防止の観点から一番有効なのは、職場の同僚等は仕事をする仲間で、性的な関心の対象ではないと、最初に割り切ってしまうことだと思う)ので、仮にどれだけ魅力的であっても、依頼者に性的な関心を持ったことがありません。妻の親族とか友人も、そういうところで性的な関心から遮断するものじゃないのかなぁ・・・そうでない人が現実には割といるから、いろいろ問題が起きているわけではありますが。

18.虹色のコーラス リュイス・プラッツ 西村書店
 バルセロナの移民集住地域の荒廃した小学校に、定年2年前に突如異動を命じられたフランス人音楽教師ジョルジェット・コリニョンが、他の教師のように子どもたちに高圧的に振る舞うのではなく、優しい声で物語を語り頑張った子は大いに褒め教室で美しい音楽を聴かせ、子どもたちの問題を解決するためにあちこちと掛け合い、次第に子どもたちの心を捉えていき、受け持ちのクラスでコーラス隊を結成して練習を始めたが、心臓が弱っているために入院することになり、病状が思わしくないことを聞きつけた子どもたちがコリニョン先生のためにサプライズ・コンサートを開くと決意し、教師や親たちを始め周囲の大人たちを巻き込んで計画を進めていくという小説。
 コリニョン先生の若き日に別れた元彼が世界的なピアニストで今も世界を股にかけて活躍中とか、クラスで埋もれていたディスレクシア(読字障害)のミレイアが一流オペラ歌手並みの幅広い音域と美声を持つ天才だということがわかったとか、ちょっと作りすぎのところはありますが、褒めて伸ばす子どもに理解のある熱心な教師の物語、落ちこぼれと見られてきた子どもたちの奮起と成長の物語として、共感でき、手軽で読後感のいい読み物だと思います。

17.裸の華 桜木紫乃 集英社
 公演中に左脚を骨折して引退した四十路のストリッパー「フジワラノリカ」が、20歳のときデビューした今は廃屋となっているすすきのの元劇場の近くで、若いダンサー2人とバーテンダーを雇ってダンスシアター「NORIKA」を開業する経緯と顛末を描いた小説。
 何の用意もなく札幌に舞い戻ったノリカが、偶々立ち寄った不動産屋の営業担当者の紹介で技術の際立つダンサーみのりと技術的には今一歩だが華があるダンサー瑞穂、さらにはバーテンダーもそろえてトントン拍子に開業にこぎ着けるというのは、小説にしてもできすぎの感がありますが、他方で、客が目を見張るようなダンスを踊れるダンサーと、「銀座の宝石」と呼ばれたバーテンダーがサービスをして(しかもそのプロたちに1日6000円しか日給を支払わずに済んで)いるのに、家賃と従業員の給料程度しか売り上げがなく、経営者の生活費が出ないという個人自営業者の悲哀の描写が、もの悲しい。そこそこ客が入っていてもそのレベルの売り上げという、ビジネスモデル自体の問題を感じつつも、キャパを増やす(店の箱を大きくする)のも値上げをするのも現実的でないときの、経営者の先行きへの不安と焦燥感は、同じく客商売の個人自営業者としてよくわかります。弁護士の場合でいえば、キャパを増やす/客を増やすことで1つ1つの事件での手間のかけ方/仕上げの丁寧さが落ちないか、すなわち仕事の質を維持できるかという問題、費用/報酬を上げるのも、企業ではなく個人を依頼者としている私のような弁護士(企業の客を取らないというのは弁護士の世界ではごく少数派ですが)には限界がありますから、収益構造を劇的に好転させるのは難しい。勤務弁護士を多数雇って自分は看板(客集め)に徹することにするか、企業側の弁護士になれば、そういう悩みは少ないかもしれませんが。
 バツイチの訳あり腕利きバーテンダーを憎からず思いながら、あくまでも性欲は女性用風俗店「ラブアロマ」での性感マッサージで満たすというノリカの選択は、サバサバした独立志向の女としての一貫性を保とうという作者の意思と、恋愛は面倒という判断と割り切りによるものでしょうけれど、何だかなぁ・・・


16.小説秒速5センチメートル 新海誠 角川文庫
 アニメ映画監督の作者が、自ら監督制作したアニメ映画を小説化した青春小説。
 親の転勤による転校で同じ私立中学を目指していた幼なじみの篠原明里と引き裂かれ、さらに自らが種子島に転校となることになった中1の遠野貴樹が、大雪の日に約束に大幅に遅れてたどり着いた最後の逢瀬の思い出を綴る第1話、種子島に転校した高校生の貴樹に恋い焦がれるジモティのサーファー澄田花苗の片思いの心情を綴る第2話、東京の大学を出てシステム・エンジニアとなった貴樹が学生時代にバイトの同僚2人、社会人になって勤務先の同僚水野理紗と交際するが疲れて別れてゆき、いかにも予想される結末ではあるが幼き日の篠原明里との逢瀬を思い出すという第3話の短編連作です。
 トップエリートではないものの、進学は思い通りに行き、仕事でも評価が高く、モテモテの貴樹が、それでももつ喪失感・虚無感、幼き日の初恋への幻想的な美化も含めたノスタルジーがテーマと思われますが、恵まれた人生を送る男の贅沢な悩みに読者がどこまでついてくるのかは興味深いところです。
 入籍前日の女性が「あの男の子との想い出は、もう私自身の大切な一部なのだ。食べたものが血肉となるように、もう切り離すことのできない私の心の一部。」(168ページ)と言い、中1のときに書いた渡せなかったラブレターを保存して「いつかもっと歳をとったら、もう一度読んでみようと思う」「それまでは大切にしまっておこう」(175ページ)と思うでしょうか。いかにも男性サイドのノスタルジーに思えるのですが。

15.男はなぜこんなに苦しいのか 海原純子 朝日新書
 心療内科医で産業医の著者が、メンタルヘルス上の疾患のために診療に訪れた男性のケースを挙げながら、そういった「アイデンティティの危機」を契機に自分の思考の癖や習慣を意識的に変化させ発想を変えることで、「『男は強く、動じず』という男らしさの神話の呪縛から抜け出し、困難さからの回復力を持ち、人の痛みを感じ取れる新しい生き方」ができるようにすることを勧める本。
 人事評価制度が変更され低い評価(5段階で下から2番目)を続けてつけられてやる気をなくした営業部担当者の例で「一つは、人事評価が相対評価であり、SからDまでの5段階で人数の枠が決まっていたことである。(略)相対評価は本来ならばまずまずという業績の人をランクを落として評価することにもなり、これが社員のモティべーションを失わせたり、プライドを傷つけてしまうことになる。第2の問題点は、目標設定をしてその目標をクリアしているにもかかわらず、それを認めずに次の課題を出して評価を与えなかった、という点である。」(74ページ)と述べられています。裁判になるケースを見ていると、企業での人事評価が、客観的な目に見える指標ではなく曖昧で主観的な基準でなされ(客観的な業績を上げているケースでも協調性だとか意欲だとか業務や社の方針の理解度だとか、どうとでもいえるような項目で点数を下げるなど)、上司の好き嫌いレベルで評価されていると思われるケースがよく見られます。こういった人事評価自体、客観性を装った誰かへの言い訳のために導入されているのだと思いますが、その実態は経営者と中間管理職の自己満足に過ぎず、こういうことに血道を上げる企業はすでに衰退への道をたどり始めているのだろうと私は思います。
 「職場でも大学でも自分に合わないから、とすぐやめてしまう人もいる。一方、自分に合わないから、と葛藤し適応障害で体調を崩し、やめてしまう人もいる。しかし、自分にぴったり合って居心地がよい場は、大学でも職場でも見つけることはまず困難だろう。居心地が悪い場から逃れて別のよりよい場所を見つけられればそれでよいが、そうはいかない場合、居心地の悪い場で少しでも自分の本来の気持ちが満足いくように工夫をしていくことが、ストレスからの回復につながる。ようは『嫌だからやめる』『嫌だけれど我慢』という二つのパターンがほとんどであることが問題なのだ。『嫌な中で自分の居場所を見つけていく。自分の居心地をよくする』ように考え方のベクトルを変えるという選択も必要だろう。」(163ページ)と、自分が変わること、自分の側の受け止め方を変えることが勧められています。
 ストレスを乗り越えるためには、まず「深呼吸、適度に体を動かすこと、睡眠、気持ちを話せる仲間や家族、自然とのふれあい」を整え、「あなたがほっとできてリラックスしていい気分になれること。あるいは集中して嫌なことを忘れられること。そんな気分になれる場所やことをリストアップしてみてください。ただし、お酒、タバコ、ギャンブル、歓楽街以外で」(248~250ページ)と提案されています。
 その上で、自分が変わる(考えを変える)というのですが、ストレス要因があっても「こういうことは起こりうることで、しかし自分はなんとかやっていけるはずだし、このことは大変でも意味があることだ」と思い、挑戦だと受け止めて乗り切っていけるような資質が大事(257~259ページ)という一般論はいいと思います。しかし、著者が産業医を務めている企業で休職からの復職に際して向いていない元職から別の業務に異動させたりトップが先頭に立って改革をして成功例が紹介されている(260~266ページ)のは、本当にうまくいけばいいでしょうけれども、トップの自己満足にとどまり、トップの気まぐれで希望しない業務に配転されて苦しむ労働者が増えるだけということにもなりかねません。それを我慢するのが労働者が「変わること」で「柔軟性」だ、なんていうのでなければいいのですが。

14.総選挙ホテル 桂望実 角川書店
 業績不振の老舗ホテルに、大学教授が投資ファンドから送り込まれて社長に就任し、ホテルの人員を20%減らして各部署での残留者・異動者を全従業員による選挙で決めるという実験を行い、従業員たちは戸惑いながらも選挙運動や、新しい体制の下での業務を続けるうちに客へのサービスやチームワークに目覚め・・・という小説。
 落下傘経営者の思いつきに翻弄され、ほとんど知らない縁のない部署にまで投票するシステムの下での選挙結果を理由に労働者が解雇され、残留した従業員も絶えざる競争に追い立てられるという、無責任で冷酷な経営者による、経営不振の労働者へのしわ寄せを、競争を生きざるを得ない労働者が自分を鼓舞しポジティブに捉えようとする仕事・お客様サービスへの「目覚め」で覆い隠しあるいは正当化する「やりがい搾取」が美談化された展開です。それが微笑ましく共感を呼ぶような筆致で書かれているのが憎らしい/困ったところです。

13.ダ・ヴィンチ絵画の謎 斎藤泰弘 中公新書
 レオナルド・ダ・ヴィンチの絵画のうち、「モナリザ」と「聖アンナと聖母子と子羊」を中心にレオナルドの意図等を、レオナルドが残した膨大なメモ類からレオナルドの自然観・地球観・絵画観などを読み取ってそこから論じた本。
 レオナルドの父親が公証人で様々な裕福な宗教団体の代理人を務めていたため大口の注文があったがレオナルドが悪戦苦闘した挙げ句にすべてを未完成のまま放棄し、債務不履行のため信用を失い、フィレンツェを離れミラノに移住した(51~54ページ)、ミラノでも契約通りに完成できず何年も放置して訴えられた(59ページ)、「南半球の水の重さが大地を押しているので、北半球のユーラシア大陸とアフリカ大陸が海面から突出したと考えている」(73ページ)などの説明は、天才・偉人のレオナルド像を見直させるもので興味深く思いました。
 大地の隆起(それ自体は、現在は、プレート・テクトニクス、ホットプルームによる造山運動として理論づけられるわけではありますが)についてのレオナルドの考えから、「モナリザ」「聖アンナと聖母子と子羊」の背景、特に遠景の切り立った岩山、その崩落、川の流れなどとのつながりはいえるのでしょうけれども、そこに示された意図については、著者も必ずしもすっきり説明できていないように感じられますし、「モナリザ」の制作経緯に関する推理はロベルト・ザッペリの仮説(155ページ~)に依拠しているので、著者が見事に謎を解いてくれたという読後感を持ちにくいのが哀しい。

12.陽性 中尾明慶 双葉社
 21歳のトップアイドル上原なつきの妊娠をめぐり、交際相手の売れない俳優、おつきのヘアメイク、スタイリスト、マネージャー、事務所の実力者の陰のオーナー、相手の俳優のマネージャー、ライバル女優、芸能記者、郷里の両親などの反応・対応、右往左往と思惑・対立関係などを描いた芸能界内幕系のアイドルの恋愛・出産を考えさせる小説。
 最初の方でなつきの出自に関してさらっと謎めかして放置される情報があり、ずっと気になっていましたが、それはラストで回収され、もうひとつのいかにもぶら下げた布石というか謎の「ティンカー・ベル」も、途中でわかりますが、最後にはご丁寧に解説され、様々な点でひととおり謎が説明された感がある結末です。(130ページの足のあざは・・・? (^^;) それくらいは大目に見よう)
 青春小説として読んでも、芸能界内幕ものとして読んでも(通には中途半端感があるのでしょうけど)、ミステリーとして読んでも、そこそこに納得感がある作品かなと思います。

11.あせらず、たゆまず、ゆっくりと。93歳の女優が見つけた人生の幸せ 赤木春恵 扶桑社
 森繁劇団での舞台女優活動と「渡る世間は鬼ばかり」などのテレビドラマで活躍し、2013年に「ペコロスの母に会いに行く」で89歳にして映画初主演し「世界最高齢での映画初主演女優」としてギネスブックに登録された著者が語る思い出と人生論。
 この本の執筆の動機として、娘から「ママ、辛いだろうけど、繰り返してはいけない戦争を、“本当に心底ダメ”と言えるのは、そのときを生きた人しかいないのよ。その人からしか生まれない言葉なんだから、断ってはダメ」と背中を押されたことが挙げられている(3~4ページ)こともあり、戦争経験には思い入れが見られます。
 終戦直後満州でソ連兵と対峙し、発疹チフスに罹って死線をさまよい、ひたすら歩き続け、衰弱しきった次兄を見つけて軍と交渉して取り戻し日本に帰り着いたがすぐ次兄が死亡した(26~34ページ)という語り、「戦後、満州からの引き揚げのとき、ソ連の軍隊が迫る間際、急きょ乗り込んだトラックで、自分たちはわずかな乾パンだけを持っていました。一緒に乗り合わせた日本の軍隊の人たちは食料をたくさん持ち込んで食べていました。私たちは大人も子どもも、ひもじさを抱えて、彼らの食事をただ眺めていました。それは、とてもつらいものでした」(46ページ)、「戦前戦中戦後と、自分が食べたいときにろくすっぽ食べられなかったので、一緒にいる人全員のお腹の具合が気になって仕方がないのです」(45ページ)、「戦時下では思想的な偏向は教育だけにはとどまらず、芸術、演劇、芸能、スポーツなどに広くおよびました。どこにいても軍部の思想チェックが入り、戦意高揚に消極的だったり、少しでも左翼寄りと見なされると容赦なくパージの対象にされる時代。私がロマンティックな映画が好きなのは、そんな暗い時代の記憶を忘れさせてくれるからかもしれませんね」(151~152ページ)、「青春時代と呼ぶ年ごろを戦争のなかですごした私にとっては、50代からが青春だったかもしれません」(169ページ)などの記述は、実感がこもり、味わい深いというか、日本を再び「戦争のできる国」にしたがっている連中にかみしめてもらいたいところです。
 「俳優の仕事とは、先がまったく見えないものです。『一』はなかなか『二』にならないし、努力しても仕事が来るようになるかどうかはわからない。実力のある人が必ず、日の当たる場所に行かれるとも限らない。ひと作品終えるごとに失業者、一生、次の就職活動です」(188ページ)。自営業者にとっては、身に染みる言葉です。

10.転職に向いている人転職してはいけない人 黒田真行 日本経済新聞出版社
 転職サイト「リクナビNEXT」の元編集長で転職支援サービス事業を運営する著者が転職求職者向けに転職市場の実情などを説明する本。
 転職市場では年齢が35歳、40歳、45歳で事情が大きく変わり、転職により収入が増える可能性は年齢が上がると小さくなる(35~38ページ)、3回以上の転職は特に年齢が若いほど不利に評価される(40~41ページ)といったことに加えて、「1件の求人に対して、人事担当者が受け付ける応募者は(職種や地域によってかなり幅がありますが)約30人存在すると仮定しておきましょう」(39ページ)と説明されています(30倍の根拠はまったく説明されていません。「仮定しておきましょう」でその後はまるで既成事実のように話が進められます)。転職市場は求職者が思っているよりも厳しくライバルが多く市場の評価は自己評価より低いのだから、あれこれと慎重な検討をするよりもまずは応募してみて条件も高くしすぎずに妥協することを勧めることに通じます(反面で、転職市場で魅力のない人物は転職など考えずに現職にとどまった方がいいということにもなりますが)。
 大企業の事務系の管理職など、自社での経験はその企業の風土や恵まれた業務環境、企業のブランド、支えてくれた部下の質などによる部分が多く、過去の成功も(自己評価とは異なり)自身の力量による部分は多くなく、他社で使い物になるかは疑問があるということは、よく言われることで、過去にやってきたレベルの努力を続ければ他社でも自分にニーズがあり過去の待遇水準をキープできるという幻想を持つ求職者に対して「会社を超えても通用する競争優位なスキル水準を獲得するために、これまでの2倍、3倍の努力が必要になる」(81ページ)と諭すことはいいと思うのですが、同業種・同職種にこだわる転職者にまったく未経験の分野への転職の成功例を挙げて煽るのもいかがなものかと思います。
 たぶん、その成功例の陰に、やっぱり失敗したという例が多数あるのではないかと思いますし、求職条件をエージェントのすすめに応じて柔軟にしろ(妥協しろ)というのは、エージェントにとってとりあえず成約させるのが容易になる(エージェントの利益になる)話ですから、そこは割り引いて聞いておくべきだろうと思います。

09.ブラックバイト[増補版] 体育会系経済が日本を滅ぼす 大内裕和、今野晴貴 POSSE叢書
 学生を安く買い叩きながら責任を負わせ長時間労働を課しノルマまで課して自腹を切らせたり罰金を科するなどの身勝手で強欲な経営者たちが蔓延して学生らが食い物にされている近年の日本社会の実態・病理を告発する本。
 労働者側の弁護士である私としては、ブラックバイトの実情を説明する第1章とその違法性を論じ、解決方法を示す第8章に強い関心を持ちました。解決方法は、確かに使用者側への請求額がかなり低い場合が多いために弁護士が代理して事件化するには依頼者が弁護士費用倒れ(解決によって得られる経済的利益より弁護士費用の方が高い)になりかねないケースが多いと思われ、弁護士の感覚では労基署を利用するとか本人申立のあっ旋(労働局や自治体等)を勧める場合が多くなると思いますが、著者の他団体との関係もあり労働組合(地域ユニオン等)による団体交渉による解決が強く推奨されています。
 この本全体としては、ブラックバイト被害のパターン検討(分析)(第2章)や被害の調査(第3章)、ブラックバイトが蔓延する背景・原因の分析(第4章~第6章)、ブラックバイトの定義(第7章)など原因の検討と改善への政策的な方向性を追求することに重きが置かれている感じがします。
 原因の検討で、日本の奨学金制度が世界的には異例の「貸与制」中心で学生に負債を負わせていること、日本学生支援機構(旧日本育英会)は有利子の奨学金を貸し付け回収するただの貸金業者に堕していることについては、まったくその通りと思います。日本学生支援機構の奨学金は近年は貸付の際に2人以上の収入がありかつ別世帯の保証人を要求し、それが満たせないときは保証業者を付けて5%の保証料を徴収するなど、やってることは本当にただの金貸し、学生・貧困者を食い物にする金融ビジネスとしか思えません。また、近年企業側が年功賃金を切り下げるために言い出して流行った「成果主義」などというものが、本来企業・経営者が負うべき経営責任を末端労働者に責任転嫁・丸投げするものだという指摘(190~192ページ)もなるほどと思います。そういう経営者が本来負うべき責任を末端労働者に押しつけ、それが以前はそれなりの賃金を支払われる正社員レベルだったものが、近年は最低賃金レベルの非正規労働者・アルバイトにまで平気で押しつけられるのがブラックバイトの過剰な組み込み(過剰なシフト:授業にも出られなくなる)やノルマ、自爆営業だというのです。まったく日本の企業・経営者がどこまで身勝手で強欲で恥知らずになれるのか、それを許すように「労働の規制緩和」などを推し進める政治家たちがのさばる様は目を覆いたくなります。
 私たち弁護士は、そういった法規制が進まずむしろ企業がやりたい放題にできるよう緩和されていく中で、個別の事件でよりよい解決をしていくしかありません(その意味で第1章と第8章に興味を持ちます)。しかし、全体としては、企業・経営者の身勝手で強欲な行動を規制するような、また日本学生支援機構の横暴を抑制し給付制の真の意味での奨学金が広がるような制度改正こそが必要です。その意味でこういった本が広く読まれるようになるといいなと思いました。

08.坂の途中の家 角田光代 朝日新聞出版
 2歳児の娘を持つ専業主婦里沙子が、8か月の娘を水のたまった浴槽に落として死なせた児童虐待死事件の補充裁判員に選ばれ、公判が続く10日間、娘を日中夫の両親に預けて審理に加わり、その過程で、娘や夫、夫の両親らとの軋轢、行き違いを生じ、次第に自らを被告人の女性に重ね合わせていくという展開の小説。
 何でも気軽に話せる友人を持たない孤独な子育てママが、夫や夫の母の善意を圧力と感じ、夫が相談するメールを覗き見て夫の浮気を疑い、夫の母の訪問も保健婦の訪問も断り、心理的に追い詰められ子どもに暴力を振るい、虐待して行く姿を、他の裁判員が身勝手で冷たい女と評価するのに対し、主人公が、自らに重ね、あり得る姿、自分だったかも知れない姿を見いだしていくというパターンです。
 私が疑問に思うのは、作者が、この主人公をどのように位置づけているのか、どのような読者層を想定しているのか、この主人公は、多くの/普通の子育てママにとって、自分もありうるものと感じられ、共感できるのか、です。夫や夫の母らの言葉を素直に受け取らず猜疑心を持ち続け悪意に解釈し苛立ち続ける姿は、多くの読者に、「あるある」と思われるのでしょうか。ぐずり続ける子どもに苛立つことは、普通にあっても、その子が夫や夫の義母には泣かずに甘えているのを子どもの悪意と受け取るでしょうか(子どもの態度、機嫌は、親の態度・感情を反映していることも多いと思いますが)。人気の無い夜道でぐずった子どもを置き去りにしたことを夫に見とがめられて批判されたのを「誤解」だと正当化することに執着する姿は、子育てママの共感を呼ぶのでしょうか(暗い夜道で置き去りにされた子の恐怖感には想像が及ばないものでしょうか)。夫の長期にわたるさまざまな言動をすべて自分に劣等感を植え付けるためだと断じ「相手を痛めつけるためだけに、平気で、理由も意味もないことのできる人間」と評価し、子どもを夜道で置き去りにしたのを見つけた夫は「小躍りしたい気分だったのではないか」とまで考える姿(369ページ)に共感する妻は多数いるのでしょうか。自分の娘を死なせた妻に対し離婚するつもりはない、罪を償ったあとはあらたに2人で歩んでいきたいと語る被告人の夫の言葉を聞いて、絶望を感じ「この妻は、子どもまでなくすほど虐げられたこの妻は、その罪と向き合ってもう一度世間に戻っても、あの夫から逃げられないのか」(373ページ)と思う主人公と同じ感想を持つ妻が多数いるのでしょうか。
 私には、ジコチュウで視野狭窄で周囲の人物の善意を素直に受け止めず殊更に悪意に評価し自分だけが苦しい思いをしていて自分は正しく起こった問題はすべて周囲の人間のせい(その悪意によるもの)と考え続けるこの主人公が、子育てママの多くと重なったり共感を得るとは考えにくいのですが。そういう思いは、子育てママの立場に立ったことがない男の偏見だと、世間では受け止められ、また作者はそう考えているのでしょうか。

07.不倫女子のリアル 沢木文 小学館新書
 フリーランス編集者の著者が、自分の周りで探したりつてをたどってインタビューした9人の「不倫女子」の事例を並べた本。
 経済的に自立し、不倫を謳歌している人を選んでインタビューしています。9名のうち年収が最低の人が400万円(28歳、契約社員)で、450万円1人、500万円2人、600万円3人、約800万円1人、1000万円1人ですから、これだけで十分平均像からかけ離れたラインナップだということがわかるでしょう。そういう余裕のある人々が不倫を謳歌しているという本です。まぁ、弁護士のところに来る不倫のケースは、悲劇となり事件化してから来るわけですから、私が目にする不倫カップルたちも、当然にこの本とは別の方向に平均像から外れていると思いますけど。
 それにしても・・・登場する女性たちの「経験人数」が、既婚者では「結婚前2人/結婚後15人以上」「結婚前10人/結婚後5人」「結婚前5人/結婚後5人」「結婚前3人/結婚後10人」「結婚前5人/結婚後8人」、シングルは「15人」「約35人」「約40人」「約20人」って。謳歌している人たちだからなんでしょうけど、すごいというか、かわいげがないというか、あっぱれというか・・・

06.貧困女子のリアル 沢木文 小学館新書
 フリーランス編集者の著者が、自分の周囲で探したりつてをたどってインタビューした11人の「貧困女子」の事例を並べた本。
 著者自身が、「貧困女子といえば、メディアで報道されている家族関係や健康問題に端を発し性風俗産業などで搾取され、家もない女性というイメージがある。シングルマザーの貧困も問題になっている」(3ページ)などとしつつ、この本ではそこそこの中流家庭に育ち大卒・短大卒の「貧困女子」が選ばれてインタビューされています。そういう人でも貧困に陥ることをある種の驚きを持って読ませようという意図でしょうし、実在する事例ですから当然に「リアル」でもあります。しかし、それが現代日本社会の「貧困女子」の全体像とマッチしている保証はなく、著者にそれを示そうという意思もないでしょう。そういった意図的に方向を決められた特定パターンを読まされているということは意識しておく必要があります。
 貧困の背景には労働問題があり、この本でもそのことに触れてはいます。「彼女たちの貧困の背景は大きくふたつある。ひとつは非正規雇用だ。裁量も与えられず命じられるままに薄給で仕事をこなしていると、突然雇い止めになる。まさに期間限定の“使い捨て”。ふたつめは、ブラック企業や男性社会でこき使われ、燃え尽きること。厳しく辛い環境下での労働は、うつ病などの発症にもつながりかねない。就職氷河期にやっとの思いで就職し、パワハラやセクハラを受け、会社の言いなりになってこき使われ、挙げ句の果てに解雇される。実に報われない。」(5ページ)。いや、報われない、で止めないで、更新を繰り返した後の雇い止めや十分な理由のない解雇は無効になり得る、闘えるよって、そういう問題を書くのなら、ちゃんと説明して欲しい。正社員を減らして非正規雇用に切り替えて安くこき使おうという企業・経営者の強欲さ/身勝手さを追及するスタンスは、この著者には見られません。終盤で非正規労働者が増えたことを論じているページでも、経営側の問題点を言うのではなく、「余談になるが団塊世代が再雇用されたことで、派遣先から雇い止めを受けたという人も少なからずいる」という言葉で結んでいます(157ページ)。高齢者が再雇用されても、それは前から勤務している人が定年前に続けて雇用され続けるだけで人員は増えず大半の(強欲な)経営者の下では定年後は同じ仕事をさせながら(だから職場の仕事量も減らない)給料が大幅に減る(だから経営者の元にむしろ金が余る。結局再雇用の前後で状況は何も変わらずただ経営者に残る金が増えるだけ!)というわけですから、派遣労働者を切る方向に働く要素はまったくありません。仮に経営者がそんなことを言ったらそれは別の理由で派遣労働者を切るのにそういう口実を使った(どう考えても嘘)ということのはずです。それなのに、そういう洞察力もなく、全然理由にならない派遣切り(雇い止め)を経営者の問題を指摘することもなく紹介し、派遣労働者と高齢労働者を対立させ分断させるような文章を書くような人物がいるのは、実に嘆かわしい。
 自己破産についても、弁護士費用が20~30万円かかると、なぜか「公認会計士」に説明させています(101~102ページ)。司法支援センター(法テラス)を利用すれば15万円程度で月5000円とか7000円の分割払いで済むことは、どこにも書かれていません。この人が知らないのか、困った人にも破産を諦めさせたいのか、私の目にはとても不親切な説明に見えます。どうして弁護士費用や破産制度の説明を弁護士にさせないで、公認会計士にさせるのかも含め、著者のノンフィクション執筆の姿勢にまで疑問を感じてしまいました。

03.04.05.地球の歴史(上)(中)(下) 鎌田浩毅 中公新書
 太陽系と地球の誕生から現代に至るまでの、地球の変化、生命の誕生と進化・盛衰について解説した本。
 非常に長期間の大きなスケールでの大きな話が語られ、知的好奇心をそそられまたある程度それを満たすことができるという点でも、読み物としても、興味深い本です。
 私の関心としては、プレート・テクトニクス(大陸移動)が地球に(特に陸上に)生命をもたらしたという説明/主張に大いに興味をそそられました。海洋プレートが大量の水を含んだままマントル内に沈み込むことで海洋の(プレートより上の)水を減らして海の深さが現状程度にとどまり陸地が相当程度(現在地球表面の約3割)存在できている、当初はマントル上部と下部で別々の2層の対流だったものが水で冷やされた海洋プレートが沈み込みを続けるうちに28億年前にマントル下部までまとまって崩落するに至り(コールドプルーム)マントル全体での(1層の)対流が生じ、外核(液体金属)上部を冷却して外核内での対流を生じてこれが地球の磁場を発生させ、この磁場によって太陽風などの宇宙線が地表に届かなく(届きにくく)なり陸上でも生物が暮らせるようになった、またコールドプルームの下降流に対しマントル内での上昇流ホットプルームを生じてこれがマグマを噴出させて大きな大陸を作っていく、というような話です。
 興味深いエピソードが多数ありますが、同時に、どの程度実証されていることなのか、数字を挙げて見てきたように言われると、そんなことまでどうしてわかるのか疑問に思えます。12万3000年前までの氷期に人類の総人口は1000人を切るほどまで減ったと推定されている(下巻216ページ)、7万4000年前のトバカルデラの大噴火では人類が総人口は約1万人から3000人まで減少した(下巻233ページ)なんて、ミトコンドリアのDNA遺伝子に関する調査によるとか言われるともっともらしいけれど、そんなところまで本当に特定できるのかなと思ってしまいます。

02.AV出演を強要された彼女たち 宮本節子 ちくま新書
 「ポルノ被害と性暴力を考える会(PAPS:People Against Pornography and Sexual Violence)」と「NPO法人 人身取引被害者サポートセンター ライトハウス」が行っているAV被害者相談支援事業の経験から、相談事例と筆者らの活動、弁護士を介した交渉事例などを紹介した本。
 相談者自身が資料・証拠をほとんど持っておらず、思い出したくない内容だというような事情もあって記憶の方も曖昧な部分があるということがあるのでしょうけれども、内容のわりに、業者の行為を違法だと断言せずに、慎重なというか遠慮したというか筆者の戸惑いためらいが感じられる書きぶりです。
 弁護士としての感覚でいうと、契約書にサインし、いったんは合意したということだとしても(どこまで説明されているか、理解したかは怪しいと思いますが)、裸体をさらしましてや性行為を行うという内容の契約を本人が(気が変わって)いやだと言っているのに履行させる/拒否したら違約金を支払わせるという契約は、公序良俗違反で無効と言ってしまっていいと思います。少なくとも、性行為とその撮影の拒否は、契約書にサインしていても、後から気が変わったという主張でも、全然問題ないし違約金請求が来ても支払わなくていいと思います。そこは遠慮した書き方しなくてもいいんじゃないかと。撮影までしてしまった後の販売禁止請求とかは、そう簡単ではなくて、いろいろ工夫がいるだろうとは思いますが。
 プロダクションとの解約交渉で立替金等の出費100万円の返還請求をされ和解に至らずうやむやに終わったケースで、本人が音信不通となったのに「弁護士への弁護料の支払いが、着手金以外に残っていた。弁護士からクレームが来た。」(69ページ)って、書くかなぁ。組織的な力もない運動体の持ち込む困難な事件にお付き合いして、こういうふうに書かれるの、弁護士の側からしたら泣きたくなると思うんですが。それも「ヒューマンライツ・ナウ」の「I弁護士」って・・・ヒューマンライツ・ナウにほかにも「I弁護士」がいるかもしれませんけど、13ページでは「手探り状態の私たちが連携を求めたヒューマンライツ・ナウの事務局長伊藤和子弁護士」と書いていることを見たら読者100人のうち100人が同一人物だと思うんじゃないでしょうか。

01.みんな、ひとりぼっちじゃないんだよ 宇佐美百合子 幻冬舎文庫
 悩んだとき、落ち込んだときに、気持ちを切り替え、見方を変えて、また頑張ろうと思えるような「ひと言」とその説明を見開き2ページでつづるショート・エッセイ。
 私が強く感銘を受けたのは、次の2つの項目です。著者は、「心躍る日々はあなたにしか創れない」(120ページ)と題して、「同じ環境にいても、ハツラツとしている人とそうでない人がいる。それは、その人のときめきはその人にしか生み出せないからだ。自分で自分の心に火をつけない限り、人生は絶対におもしろくならない!」と述べた上で、そのために「義理のお付き合いを断る」「先のことを心配して過ごさない」の2つを実行した、その代わりに今やりたいことを気の済むまでやったら、あっという間にウキウキするおもしろい人生になった(121ページ)と語っています。著者は、局アナをやめてフリーランスになった後仕事をもらうのに放送局を回った経験を吐露し、「仕事をもらうために自分ができることは、あの人に依頼したいと思われる実力をつけることだけだ」と痛切に感じたとも述べています(109ページ)。個人自営業者として、前者の義理のお付き合いは断るとか先のことを心配して過ごさないというのは、なかなかハードルが高く、後者は至言ではありますがなかなかに厳しいものを感じます。私には、個人自営業者(フリーランス)経験を持つ著者がそれを語ることの重さが感じられ、そういう項目に味わいがあるように思えました。

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