庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2017年8月

17.湯を沸かすほどの熱い愛 中野量太 文春文庫
 夫が蒸発し(愛人の元に走り)家業の銭湯を休業してパートで働いている「幸の湯」の女将幸野双葉が末期癌で余命幾ばくもないことを宣告され、高校でいじめに遭い抵抗できずにいる娘安澄、愛人に置き去りにされた9歳の娘鮎子と2人暮らししていた夫一浩らと「幸の湯」の営業を再開し、これまでの人生で積み残していた難題にチャレンジするという小説。
 同名の映画の原作、なんですが、2016年10月10日初版発行で文春文庫への書き下ろしというのですから、映画(2016年10月29日公開)を撮り終えてか撮りながら書いたはず。でも、映画で私の胸に刺さった、双葉が末期癌を宣告されてさすがに落ち込み「幸の湯」の浴槽で打ちひしがれ、安澄から「お腹すいた」と電話があり、わかった超特急で帰ってカレーを作ると答えたら、安澄から少し待てるから急がないで気をつけて帰ってきてと言われるシーンは小説には登場しません。また、映画では、繰り返し登場した思わせぶりな、幼子と必ず迎えに来るという母との会話も、小説では、ミスリーディングな用い方はしないで終盤にストレートに一度出てくるだけです。
 そういう若干の違いはありますが、基本的に、映画同様に、双葉の苦労の多い人生とその中でけなげに前向きに生きる姿に打たれる作品です。

16.乳房の科学 女性のからだとこころの問題に向きあう 乳房文化研究会編 朝倉書店
 乳房のしくみ(構造)と発達(加齢による変化)、乳がん治療と乳房再建/美容整形、授乳について、生物学的・医学的観点からの説明と一部文化的・心理的側面からの説明をした本。
 多数(合計21名)の分担執筆のため、説明のレベル、かみ砕きぶり、傾向にばらつきはありますが、総じて読みやすい本だと思います。
 私としては、「君の名は。」で三葉に乗り移ってついおっぱいを揉んでしまう瀧、つい先日読んだ「俺たちはそれを奇跡と呼ぶのかもしれない」でやはり女性に乗り移って目覚めて鏡を見ながらおっぱいを揉む(掴む)俺のように、もしそういうことがあったら(まぁないはずですが)やっぱりおっぱいを揉んでみたいと思う訳です。それは、「女体の神秘!」でもあるわけですが、おっぱいを触られる側(揉まれる側)はどう感じているのかという、決して男には体感できないことへの好奇心が抑えられない、と思うのです。その点、この本で、乳房の触覚の感度測定実験がなされているのはとても興味深く思えたのですが、測定点(乳頭、乳房4点=乳頭の上下左右、顔3点=額・ほお・唇、上腕、手指、首、腹、背中、尻、大腿部2点=前側・後ろ側、足の甲、足裏)の中で乳頭が最も鈍感で乳房の4点がそれに次いで鈍感という結果(87~89ページ)には驚きました。えぇ・・・乳首が足の裏より鈍感って・・・もっとも、この実験の被験者が「被験者は40歳の健康な女性である」(88ページ)と1人だけと読める記載があり、その次のページでは「今回の被験者は、授乳が終了した40代や50代がほとんどである」と書かれているなど、実験条件がきちんと書かれておらず、その精度の判断がつきませんけど。
 授乳関係では、母乳の授乳が医学的には母子それぞれにいいというのはわかりますけど、様々な条件や心情からそれを選択しない/できない女性もいるわけで、終章では「母乳育児にとって最大の危険は、母乳育児万歳的な言説だとも言われます」(172ページ)とも釘を刺していますが、ちょっと引っかかる書きぶりに思えました。
 全体を見ても、執筆者21名中女性は7名というのも、それでも学者・医師等の業界での女性の比率よりは高いということかもしれませんが、どうかなぁという気がします。

15.俺たちはそれを奇跡と呼ぶのかもしれない 秋山文生 光文社
 主人公の「俺」がある日目が覚めると若い女の体に乗り移っていた、という今どきでは「君の名は。」パターンで始まり(やっぱり女に乗り移った男は鏡を見ながらおっぱいを揉んでしまう (^^ゞ)、その後眠りに落ちる/意識がなくなる度に別人に乗り移り別の日に目覚め続けるという設定で、それが殺人事件を機会に自分に課せられた事件を未然に防ぐためのミッションだと気がついた主人公が試行錯誤していくというSFサスペンス小説。
 荒唐無稽な設定で、もちろんなぜ他人の体に乗り移ることができる/いつの間にか乗り移ってしまうのかの科学的な説明は皆無ですし、入り口がいかにも「君の名は。」のパクりの印象で、その後しばらく連日の不条理な乗り移りの描写が続き飽きる感じがします。そこを乗り越えられるかが、第一関門というところでしょう。
 毎日別人に乗り移り続ける中で、自分は本当は何者かを悩み、そもそも自分とは何か、アイデンティティとは何かを相対化して考え、さらには別人の目で対人関係を世間を見ること、ついには別人の目から自分を見ることで、自我や対人意識、対社会の意識を見つめ直し、寛容と柔軟性を獲得していくところが読みどころだと思います。

13.14.ザ・原発所長 上下 黒木亮 朝日新聞出版
 福島原発事故の際に福島第一原発所長として事故対応をした故吉田昌郎氏を幼少期から東京電力への入社、本店でのコストカット(原発の安全対策の削減)、ひび割れ隠し(虚偽報告)問題などの福島第一原発所長となる前の経緯も含めて描いた小説。
 「本作品には、一部実在の人物や団体が登場しますが、内容はフィクションです」と断ってはいますが、ノンフィクションまたはモデル小説として、踏み込みにくいということなんでしょうけれど、福島原発事故前の担当部署で当然関わったはずの様々な問題での吉田昌郎氏の対応は、少なくとも吉田氏自身は手を汚さず筋を通したという記述になっています。東電の裏側/闇の部分を担う同期の総務畑の人物を配することで、東電の不正を匂わせてはいますが、主人公である吉田昌郎氏に関する限り、「英雄」の裏側をも描いたとは言いにくく、全体としては吉田昌郎氏の主張が正論であるという印象を持ちます。
 そうすると、福島原発事故時の対応は首相の器ではない菅首相は非常識で邪魔をしただけで、東電は全員撤退など一瞬たりとも考えたこともなく朝日の吉田調書報道は誤報であるという主張、また日本には運転中に配管等にひび割れが生じてもそのまま運転を続けることを認める維持規格がなかったことが不合理だ、東電のひび割れ隠しの発覚を契機に維持規格が採用されたことこそが合理的だという主張が、正しいものと印象づけられます。
 私は、自民党政権ならあの事故にも冷静に対処できたなどとはまったく思いません(同レベルのあたふたぶりでしょうし、少なくとも情報は民主党政権より隠されたと思います)し、撤退問題については何故かそのあたりの時間帯はテレビ会議の音声がないとされていることや吉田調書でも初期の調書では微妙な言い方もあり疑問を持っています。また電力会社側は維持規格があった方が都合がいいでしょうしまた技術者レベルでは維持規格が合理的なのだとしても、原発導入の際にはそのようなことはおくびにも出さず絶対安全と言い続け、ひびはまったくない前提で計算上の安全が確認される条件で法的に許可されている以上、そのルールを守ることこそが当然で、維持規格があって当然などと後から言うのはちゃぶ台返し・後出しじゃんけんで、卑怯なことだと思います。
 著者は、そこは私とは違う考えということになるのでしょうけれども、それにしても「週刊朝日」に連載した小説で、主人公に東電の立場を代弁させる、しかも遡ってみれば、原発裁判を扱い青法協や青法協にシンパシーを持つ裁判官(や弁護士)に正義があるように描いた「法服の王国」を「産経新聞」に連載した著者は、ずいぶんとひねくれ者のように見えます(私は、「法服の王国」の事前調査で取材を受けましたが、そのときは飄々とした印象だったのですが)。

12.学校では教えてくれない施工現場語読本 秋山文生 彰国社
 建築現場で使われている独特の用語(世間でふつうに使われているものもありますが)の語源・由来を調べて説明する本。
 建築ミステリーの次は、建築現場のお勉強、というわけでもないのですが・・・
 どちらかと言えば、語源よりも建築現場で用いられている用語の意味や施工方法などの方に興味を持って読みましたが、もともとは「建築の技術 施工」という専門雑誌の連載コラムだとか(おわりに)で、専門用語、現場用語自体は知っているという前提で書かれているようで、あまり一般向けの解説はなく、特に施工方法とかは名称が書かれるだけでその具体的な解説はほとんどなく、門外漢にはわかりにくい。
 この本の目的とする語源・由来の方は、あれこれ想像したり調べてみたけれど、結局はよくわからなかったというのがけっこうあります。
 語源を調べるという関心を持つことからして言葉遊びが好きと思われる著者のだじゃれ/親父ギャグが多いのも読んでいて力が抜けます。
 そういうあれこれの検討の過程を楽しみだじゃれで脱力するのが快感と思えるか、で評価が決まるというところでしょうか。
 20年前後前の連載が今頃単行本化されるという事情の方が調べてみたくなるかもしれませんが。

11.建築士音無薫子の設計ノート あなたの人生、リノベーションします。 逢上央士 宝島社文庫
 鋭い観察力と建築物の来歴への執念深い調査に基づいて依頼者自身も気づいていない本当のニーズを発掘して住み手の悩みを解決する建築士音無薫子のシリーズ第2弾。
 前作が、特に後半は、音無建築事務所とインターン今西対建築アトリエフルールとエリート学生井藤、今西の元カノ喜多村伶の対立を軸に進めたのを、4作中3作では封印気味に、妻に去られた夫、犬と暮らす子どものない老夫婦、類似の店舗の開業を希望する隣り合った2軒の主婦といった依頼者の格別の事情で展開していますが、最後の第4話(Note04)でフルールの危機→フルールの誕生秘話を語っています。
 最後にライバルの秘密と過去を書いてしまい、もうフルールとの対立という材料は使えなくなったことからすると、シリーズは終了ということでしょうか。そっちの方は、ある意味ありがちな落としどころで、今ひとつでしたが、建築物に現れる依頼者も気づいていない本当のニーズという着眼はよく、そちらで続けてもらいたい気がします。

10.建築士音無薫子の設計ノート 謎あり物件、リノベーションします。 逢上央士 宝島社文庫
 寝起きの悪い年若い女性の設計士音無薫子と事務処理能力抜群のイケメンスタッフ月見里一からなる音無建築事務所にインターンとして迎え入れられた学生今西中が、以前のインターン先の人気建築アトリエ「Fleur(フルール)」とフルールのインターンで今西の元カノの学生喜多村伶と張り合いながら、建物の現状と過去の来歴を調査して依頼者自身も気づいていない本当のニーズを探り出して改装等によって住み手の悩みや問題を解決(リノベーション)するという音無薫子の活躍を目の当たりにしながら、見失っていた建築の道へのモチベーションを取り戻し成長するという短編連作小説。
 音無薫子の観察力と洞察力、建築物の来歴調査への執念、(あえて常識を外した)着想力を見せどころに、かつてフルールに所属しながら挫折した今西と、フルールのエリート建築士やフルールで頭角を現すエリート学生井藤との対立/確執、元カノでライバル的な位置づけとなる喜多村伶への未練などでストーリーを展開しています。
 依頼者の自分も気づかないニーズの発掘という幾分ミステリー仕立ての設定が売りですが、最初はその発掘/解明が音無薫子の鋭い観察力によっていたのが次第に調査の方にシフトしていくのは、現実的/実務的解決というべきか、観察力で解明するネタの限界か・・・

09.愛を振り込む 蛭田亜紗子 幻冬舎文庫
 服でも文房具でも男でも他人のものが欲しくなり同じものを購入したり略奪することに血道を上げその結果周囲から孤立するみず帆、独りよがりでできると思った仕事を求めて転職しまったく通じなかったことにショックを受け専業主婦になりうつうつとスーパーのパート店員に苦情を書き続けて憂さ晴らしをする思歩子、カフェ経営に失敗し失意の浪人中に好みとは正反対のむさ苦しいつけ麺屋失敗男といつの間にか意気投合して新規事業を夢見る絹代、売れない元アイドルで芸能活動の傍ら愛人として囲われていたが寄る年波に勝てず追い出されて廃業し高校生のときに憧れていた東大生の元家庭教師を追う頼子、勤務先の備品を持ち出してオークションで売り飛ばしネットの掲示板で売春し食費を極限まで切り詰めて貯金にいそしむ玲加、容貌の醜さに悩みかつてホストにむしられて横領を重ね今は弁当工場に勤めて極貧の状況をブログに書く男に更新の都度千円札を振り込むことでようやく自分を保っている穂乃花の無関係な6人が、札幌でくしゃくしゃになった赤い指紋付きの千円札で結ばれる短編連作。
 「女による女のためのR-18文学賞」受賞作ということもあり、女性主人公の屈折ぶりや性欲についての赤裸々な書きぶりが読みどころかと思います。

08.社労士がこたえる社員が病気になったときの労務管理 古川飛祐 税務経理協会
 従業員が病気になったときの健康保険からの傷病手当金(休業補償)、高額療養費等の保険給付、休職と復職、復職できずに退職したときの保険(健康保険の切替や傷病手当金の継続給付、雇用保険の受給)、家族が病気になった際の介護・看護休暇や介護休業中の雇用保険からの介護休業給付、(使用者に実施が義務づけられる)健康診断、障害者雇用(法定雇用率)等について、会社の人事労務担当者向けに解説した本。
 健康保険関係の給付関係だけでも、ずいぶんと細かい場合分けがあり、正確に理解するのはたいへんだなぁと実感します。もともと社会保険関係、特に医療保険と年金関係の法律は条文も複雑で読みにくく改正も頻繁なので、多くの弁護士にとっても苦手分野ですが、こういうのを読むと、ますます質問には詳しくは社労士なり健康保険組合、年金機構に聞いてくれといいたくなります。頻繁に「顧問社労士がいれば」とか「社労士に相談してください」と書いているように、社労士の営業拡大を意図して書いているのでしょうけれど。
 タイトルからして「労務管理」と銘打っているように、あくまでも使用者(経営者)側での対応を説明した本です。Q&Aの形式をとり、Qの多くは従業員ないしその家族側からの質問になっているので、従業員・労働者側からの読み物とも錯覚してしまいますが、実質は、会社が従業員からそういう質問を受けたらどう回答するか、基本的には(法律を守りつつ)会社の利益を守るためにどう従業員等を説得するかという観点で書かれており、そういうものとして読むべきだと思います。労働者の健康管理義務が強調され(4ページ、5ページ、17ページ)、「病気にかかったことを会社に伝えると解雇されるという話を聞きましたが、本当ですか」という質問に対して「いかにもありそうな噂ですが、よく考えてみましょう。結果的に退職になるケースがあるとしても、病気の種類も、重さも、個人差があります。(中略)配置転換や時間短縮をすれば、続けて勤められるかもしれません。もちろん、しばらく休業して様子を見る場合もありますが、会社は、その間にあなたの代わりに仕事をする人を、早急に手配しなくてはなりません。このようなことを踏まえて、早めに会社との話し合いを始めるのが、あなたの義務といえます。」などと答えています(18ページ)。後者などまったく会社側の利害だけしか考えていません。労働者の立場(質問者の立場)に立つならば、病状の程度(どの程度就労が可能か)、病気の原因、休業制度の有無・内容とこれまでの運用などにより解雇ができない(解雇されても裁判等で闘える)場合があることを検討して答えることになりますし、病気に関する情報の提供義務に関しては、この本でも紹介されている(180~181ページ)東芝(うつ・解雇)事件最高裁判決が「上告人が被上告人に申告しなかった自らの精神的健康(いわゆるメンタルヘルス)に関する情報は、神経科の医院への通院、その診断に係る病名、神経症に適応のある薬剤の処方等を内容とするもので、労働者にとって、自己のプライバシーに属する情報であり、人事考課等に影響し得る事柄として通常は職場において知られることなく就労を継続しようとすることが想定される性質の情報であったといえる。」としていることからしてこの本の回答(労働者に病気の情報の告知義務がある)は問題があるといえます。

07.安全基準はどのようにできてきたか 橋本毅彦編 東京大学出版会
 航空機と運航システム、船舶と航海の安全性、消防、治水(河川堤防)、原子力発電所(確率論的リスク評価)、食品安全基準(水銀含有量)、労働安全衛生(適性検査)、医療機器と臨床試験、労働安全衛生基準の国際統一等の各種安全基準の形成の歴史について解説した本。
 安全基準の内容の方はさらっと触れる程度で、安全基準が歴史的に、どのような当事者が関与し、どのような利益が考慮され(どのような利害対立があり)、形成され現状に至っているかの方に重点が置かれています。
 安全確保のためにといいながら、経済的合理性を追求し、業界団体の圧力や保険会社のリーダーシップなどの下に安全基準が形成されてきたことがよくわかります。この本では、それを市民の命と安全を守るという観点から批判的に捉えることはなく、当然のことと位置づけています。分担執筆なので、執筆者の考え、価値観に若干の違いが見られ、水準もばらけた感じです。医療機器について医薬品のような厳しい臨床検査を求めることは不合理だと繰り返す第8章は医療機器メーカー出身者が執筆しているなど、全体として事業者・メーカーの利害の方に傾いた姿勢と見られます。
 日本における消防署の配置に当たり、木造家屋が密集している平均的なモデル市街地では火災が消防に通報するような規模に達してから約8分で風下側隣接家屋の壁に着火するという経験値を元に8分以内に消防隊が放水に着手できること(通報まで2分、出動準備に0.5分、放水準備に2分として、駆けつけ走行時間が3.5分)を基準にする「8分消防」の考え方(95~98ページ)などは、基準としてもわかりやすく、過去の経験の蓄積から説得力があります。しかし、いったん大事故が起こればその被害があまりにも重大な原子力発電所で、経験値が少ない(大事故の経験値を重ねることができない)にもかかわらず曖昧な(信頼性が確証できない)要素を積み重ねた確率論的リスク評価を導入することを同列に論じることは許されないと考えます(この本でも、批判的な言い回しではありませんが、確率論的安全評価の利用は「原子力のリスクが他のそれに比べてきわめて低い(「一般的に無視できると考えられる」)ことを示すという目的が念頭に置かれている」(156ページ)と指摘しています。本来は相対的にリスクが高いものを評価して安全性向上に役立てるためのものが、推進側によってただの安全宣言の材料とされているわけです)。
 魚介類の摂取による水銀中毒のリスクが通常考えられているよりもかなり高いことを論じた第6章はなかなか興味深いです。「おわりに」でこの本の元となった共同研究で講義を受けた専門家が列挙されていて、その中には放射線被曝をテーマとする人が2人もいるのに、この本では放射線被曝の基準が採り上げられていないという経緯も関心を持ちますが。

06.これを知らずに働けますか? 学生と考える、労働問題ソボクな疑問30 竹信三恵子 ちくまプリマー新書
 元朝日新聞記者の著者が大学教授として授業をする中で、学生の労働問題に関する認識のなさ加減に驚き、学生のトンデモ質問に対してどこが間違っているかを講義した講義録を元に働く人を守る基礎知識を解説した本。
 まず挙げられている学生の質問(「ソボクな疑問」)が、あまりにも経営者側、それもかなり原始的で強欲な経営者目線の感覚であることに驚きます。こういう感覚がどのように教育され形成されてきたのかに興味を持ちますが、こういうことだから、大半が労働者(勤労者)である若者層が労働者の敵(経済界の代弁者:表面的にはそれが労働者のためにもなるかのように述べることもままあるのですが)の政治家に投票するという自分の首を絞める投票行動が広くなされているのだと、悲しいことですが、理解できます。
 著者の解説は、労働者側(日本労働弁護団の多くの弁護士より徹底した労働者側)の弁護士である私の目からは、経営者側への遠慮が感じられますが、概ね妥当に思えますし、わかりやすく説明されていると思います。学生向けのワークルールの解説として読みやすい本だと評価できるでしょう。
 ただ、私の専門分野ですので見過ごすわけにも行かず、不正確に思える点を少し指摘しておきます。
 懲戒解雇の(有効)要件を「①就業規則に何が懲戒の対象になるのかを、合理的に定めており、②それが周知されており、③処分が正当な手続にもとづいており、④処分内容が似たような例と比べて過度に重いなど平等性を欠いていないこと」としています(194ページ)が、実務上、懲戒解雇が無効とされ労働者が勝訴するケースの多くは、具体的事情の下で解雇理由とされたことが解雇するほど重大でない(解雇が相当でない)と評価された場合です(他の事例との比較・平等性ではなく、当該事例での事実の重大性と処分の重さの比例・均衡の問題)。著者の説明では、実務上一番重要な要件を説明できていないことになり、懲戒解雇が有効となる場合を裁判実務より大幅に拡げて見せてしまいます。
 「対価型セクハラ」の定義で、上司等が部下等に性的な関係を迫り「それに従えばプラスの評価(昇進など)」の場合を含めています(174ページ)。著者はアメリカのセクシュアル・ハラスメントの取材・研究の経験が深いのだと思いますが、この点は、アメリカで発展したセクシュアル・ハラスメントの概念を日本に導入したときの混乱の残滓です。アメリカでは、公民権法第7編(Title7)の差別禁止規定を根拠としてセクシュアル・ハラスメントに関する訴訟が提起されてきた、つまり「差別」だから違法とされてきました。だから、「利益」を与えても「不利益」を与えてもいずれも差別として問題になるわけです。これに対して、日本では、最初のセクハラ裁判とされた福岡セクハラ訴訟で人格権(性的自己決定権)侵害の不法行為としてセクシュアル・ハラスメントの違法性が構成され、認められました。その後の裁判等でも同様で(安全配慮義務違反:債務不履行の構成が取られることはあっても)差別だから違法だという構成はとられていません。その法律構成では、(そもそも「対価型」と「環境型」を分ける実益もないのですが)どう頑張っても「利益」を与えたときは人格権侵害になりようがありません。その後均等法が使用者のセクシュアル・ハラスメント防止義務(11条)を定めた際にセクシュアル・ハラスメントの定義を対価型と環境型に分類しましたが、その際、対価型の方は「職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け」として、「利益」を与える場合は除外しています。ということで、日本でのセクシュアル・ハラスメントを議論する限り、「対価型」の定義を論じる際、「利益」を与える場合は判例上も法令上も含まれません。

05.橋を渡る 吉田修一 文藝春秋
 才能を感じられない独りよがりの新人画家朝比奈達二の作品展示を拒否した画廊経営者新宮歩美と元カノを呼び出して復縁を迫る歩美の夫明良、セクハラヤジ問題で知らぬ顔を続け事業者との癒着を深める都議赤岩広貴と広貴をセクハラヤジの犯人と疑いつつもそれを聞けずマスコミがほかのニュースを大きく報道してセクハラヤジ問題が忘れられればいいと願い続ける妻篤子、人造人間の研究者佐山教授を取材しつつ和太鼓サークルのリーダーだった既婚者の結城と不倫を続けていた薫子を結城から奪って婚約にこぎ着けたジャーナリストの里見謙一郎、そして人造人間たちが便利に使われている70年後の日本の4話からなる小説。
 全体を通じて、あそこで流されないで自分の志を保ち続けていれば、あそこでほんの少しの勇気を持ち正しいと思える行いをしていれば、という思いを描き、ほんの小さなことであっても、流されずに実践・実行しようというメッセージを発しています。
 しかし、都議会のセクハラヤジ問題を始め現実の事件を多数書き連ね、70年後の世界から振り返って2014年を「平成の新政」としつつ(330ページ)、集団的自衛権を容認する閣議決定等にはまったく言及せず、日本社会が悪化/劣化したエポックメイキングなできごとをぼかしているところが腰砕け感があります。

04.イラッとされないビジネスメール ○正解×不正解 平野友朗 サンクチュアリ出版
 日本ビジネスメール協会代表理事が書いた、受取人に「イラッと」されないビジネスメールの書き方の本。
 「件名(タイトル)がわかりにくい」という指摘は、私も日々感じているところです。
 宛名(CCも)を必ず本文に入れる、送信者名はフルネーム+所属を書く、署名に住所・電話番号・FAX番号・メールアドレスを入れるなどは、相手の都合を考えるとその通りかなと思います。もっとも、最初と最後に挨拶も含め、メールが長くなる方向ではありますが。
 文が長すぎる、改行がないと読みにくい、メールの印象が白くなるようにこまめに空白行を入れる、思いつきで書かない、などは・・・う~ん、改善が難しい感じ。
 1メール1要件、メールは基本的に何かをお願いするもの、その目的に即して書くというあたりは、あぁそういうものなのかと思います。私は、何かをお願いするというよりは、単純に報告だったり、問い合わせに回答するということでメールを書くことが多いので。
 自分のメールを顧みると、特に報告系のメールは長文になることが多いですし、こまめに改行とか空白行を入れるとかしてませんし、署名も名前しか書かないし、受取人に「イラッと」されているのかなぁと思いつつ、日々の業務の実情を見ると、改善もあまりできないかなぁと思ってしまいました。

03.女性社労士の着眼力 知ったかぶりの社会保険 田島雅子 中央経済社
 健康保険と厚生年金(勤労者)、国民健康保険と国民年金(自営業者等)の加入、脱退、選択、保険料、各種の給付について、様々な問題点を説明する本。
 医療保険と年金の問題は、法律の規定が複雑でわかりにくく、多くの弁護士にとっては面倒でよく知らない領域です。各種の手続の窓口や提出書類、保険料の計算等があれこれ説明されていて、ある意味で親切な本ですが、これを見ると、結局、やっぱり複雑で思わぬミス/損をしそうな分野だな、やっぱり社会保険労務士に任せた方がよさそうだと思ってしまいます。そういう営業的な本なのかも。
 死者の内妻と長らく別居していた法律上の妻が遺族年金の受給資格を争い、著者が内妻側について社会保険審査会(再審査請求)で逆転して受給資格を取ったというエピソード(102~105ページ)、これはなかなかそう簡単ではなくて(現に最初の決定と審査請求では認められていないわけですが)、実務は法律婚の妻優先で動いています。そこは、著者の頑張りに拍手したいところです。

02.医療者が語る答えなき世界 「いのちの守り人」の人類学 磯野真穂 ちくま新書
 入院患者に対する管理、高齢者に対する(ベッド)拘束、手術室にまつわるルールとその合理性、ワルファリンやDOACなどの抗凝固薬の薬効・副作用と医師によるコントロール(処方の微調整)の是非、根拠に基づく医療(Evidence - Based Medicine)と漢方、治すことと患者の意思・選択、認知症の意固地な人の在宅復帰、失語症とリハビリという8つのテーマを題材に、医療者が何を考え悩んでいるかをインタビュー等によって描いた本。
 医療者側の都合で患者を機械・材料のように扱うこと、患者の納得や選択よりも「治す」ことを優先する医療への疑問を、それに疑問・迷いを持つ医療者の言葉から浮かび上がらせようとしています。患者を人間として扱えという話を、患者・家族・遺族側からするのではなくて、心ある医療従事者側の自戒・心情で語る点にポイントがあるわけですが、他方で、そんなことを言っていたらとても(他の患者のケアも含めて)仕事が回らず、医療従事者が過労で倒れるだけという怨嗟の念を持つ者も多数いると思います。そのあたりの困難さを考える素材としてはいいかなと思います。
 ただ、血液をさらさらにする薬のDOACに「直接経口凝固薬」って振ったり(93ページ:血液をさらさらにするんだから「凝固薬」じゃなくて、「抗凝固薬」でしょ)、EBMについて Evidenced Based Medicine とか(110ページ)、ちゃんとわかって書いてるのか不安になります。医療の分野じゃないけど、181ページの賃貸マンションの例では「賃借人」と「賃貸人」逆だと思いますし・・・

01.しろいろの街の、その骨の体温の 村田沙耶香 朝日文庫
 「光が原ニュータウン」に住む谷沢結佳が、習字教室で一緒のサッカー好きのうぶな少年伊吹を「おもちゃにしたい」と思い、戸惑いためらう伊吹に強引なキスを繰り返し、屈折した思いを募らせてゆく青春小説。
 小学4年時のクラスの中で光る同級生「若葉ちゃん」への憧れと仲良し3人組の中で少し疎ましく思っている信子ちゃんよりも若葉ちゃんに好かれているという優越感を持ち、奥手の伊吹を支配していることへの満足感に満ちていた結佳が、中2になり、貧乳で下半身はぶくぶく太ったことに強いコンプレックスを持ち、クラス内での女子の厳しい人間関係と序列の下で下から2番目のグループに甘んじ、かっこよくなって女子の人気を集める伊吹に対しては屈折した/ねじくれた思いを持つ様子が対照的に描かれています。トップグループの女子のご機嫌取りに励む若葉ちゃん、一番下のグループに位置づけられて空気を読まずに我が道を行く信子ちゃんと、分断された3人組の変容も描かれ、クラス内の陰湿な人間関係が強烈に印象に残ります。
 あっけらかんとしたうぶな伊吹から交際を求められながら、容姿への強いコンプレックスとクラス内の序列からいじめを恐れて否定的な態度をとり続ける結佳の姿には、哀れと人間関係・いじめの恐ろしさ・凄まじさを感じます。少女漫画的な、「ふつう」の少女がモテモテ男子から好かれて顔を赤らめてみたいな、白馬の王子様が迎えに来るような妄想の世界を、夢見ることさえ許されぬ厳しさに、少しおののきます。
 少女の性の目覚めを描いた作品ではあるのですが、どちらかというとそれよりもクラス内での人間関係の陰湿さ・厳しさの方が目につき、そちらに気圧されてしまいました。

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