私の読書日記 2019年1月
01.蜜蜂と遠雷 恩田陸 幻冬舎
日本の地方都市で開催されたピアノコンサートを舞台に、亡くなったばかりの巨匠が見いだしたコンサート経験0の天然の野生児、その巨匠に教えを請うていた審査員の秘蔵っ子、内外のジュニアコンクールを制してデビューしたが13歳で母の急死を受けコンサートに出ることができなくなった元天才少女、昔の夢を忘れられず28歳でチャレンジするピアノメーカー従業員らの人間ドラマを中心に、コンクールをめぐる悲喜こもごも・人間模様を描いた小説。
心象風景、感情・情動を描く表現力、イメージの膨らませ方、言葉の引き出しの多さに、やっぱりプロの作品は違うなぁと思わせられます。近頃自分も小説を書いてみたので、つくづくそれを実感します。私は、音楽系は、あまり素養もなくどちらかというと苦手分野といってもいい(カミさんとのデートも、主として映画か美術館とかの「ビジュアル」方向にさせてもらっています。コンサートとか、ましてやクラシックとかは寝てしまうのでパス)ので、音楽作品や作曲家をめぐるうんちく部分はよくわからないのですが、演奏を聞いた観客の情動・情念、曲想が、それでもみずみずしくイメージできる表現に心を掴まれます。冒頭に近い序盤で、元天才少女ピアニストで現在審査員とミステリ作家に、「文芸業界とクラシックピアノの世界は似ている」「どちらも食べていけるのはほんの一握り」「自分の本を読ませたい人、自分の演奏を聴かせたい人はうじゃうじゃいるのに、どちらも斜陽産業で、読む人聞く人の数はジリ貧」(16ページ)と言わせているのは、プロとしての誇り、でしょうか。先に述べたように、自分も書いてみると、思い知らされる言葉です。もっとも、その後では、「鳥は楽譜なんて読めない。でも、決して歌うことを止めないわ」(58ページ)という台詞も登場するのですが。
若くしてスターダムに上り詰めたが戦意を喪失して失意の日々を送っていた天才が、より破天荒な才能に出会って、復活を果たすというパターンは、私の年代には、カーロス・リベラに出会った矢吹丈を想起させます。
※ 読書日記は、2017年半ば頃までは、原則として読んだ本全部について何か書く/書くよう努力するという方針でやってきましたが、現在は、これは書いておこうと思ったときだけ書くことにしています。
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