庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2019年12月

04.万引き家族 是枝裕和 宝島社
 クリーニング店のパートタイマーで出された衣類のポケットの金品をくすねている信代、怠け癖のある日雇いの建設作業員で万引きを続ける治、元夫の後妻の息子のところに通い暗に金をせびる年金生活者の初枝、両親の愛情を妹に奪われたと思い家出して初枝を慕い風俗店でバイトする亜紀、学校に行かず治と万引きを続ける祥太、両親に虐待されて家に入れてもらえずにいたところを祥太と治に拾われた「りん」、行き場のない血のつながらない6人が下町の片隅で肩寄せ合って暮らす様子を描いた小説。
 社会の底辺での収入も乏しく安定しない生活、それもすねに傷を持ち現在も違法な行為を続けることで成り立っている生活、そして血縁もなく共同生活する義務もないところで、自主的にたくましく楽天的に続けられる共同生活を描くことで、家族や人生のあり方に疑問なり問題を投げかけています。この生活が、愛情・好意に基づくものだったのか、金のためだったのか、初枝が死んで亜紀は悩みますが、愛情・好意だけというきれいごとでもなく、といって金のためだけだったともいえないのでしょうし、そこは突き詰めなくても、さらにはどっちでも、まるっと飲み込んで、まあいいじゃないといっているような気がします。その意味で大きく包み込むような肯定感を示しているようですが、しかし同時に作者は、犯罪を基盤とする、寄せ集めの「家族」がいつか崩壊し、悪事を働いた者は処罰されることを描き、決して、この家族を肯定も是認もしていないという姿勢も見せています。それは作者の引き気味の姿勢なのか、批判者へのエクスキューズなのか…
 信代と治のセックスレス夫婦が久々にセックスする場面が微笑ましい。映画で見たときに、美しい描写ではないのですが、安藤サクラがとてもセクシーに思えた場面で、セックスレスの多さや亜紀のバイトする風俗店での不器用なオタクたちなどの社会風俗を描写しているという面もあるかも知れませんが、映画にしたときの売りを作る商売っ気だなとも思いました。先に指摘した「犯罪者」家族を肯定するのかという批判にきちんと逃げ道を残していることも併せ、是枝監督は、やはり商業映画の監督なのだなと感じさせる点です。もちろん、商業映画の世界で社会問題が採り上げられることに意味があり、是枝監督の存在は貴重だと思うわけですが。

03.日の名残り カズオ・イシグロ 早川文庫
 かつてはイギリスの政治家がドイツの高官と密談し国際政治の裏工作を行っていた館の執事の一人語りの形で、イギリスの伝統、イギリス型生活様式、過去の栄光へのこだわりなどを紹介しつつ、その事大主義と尊大さ、栄光を失った現在を戯画的に描いて皮肉った小説。
 伝統ある館に勤め続けた執事の誇りとこだわりで、イギリスの伝統と、貴族らの栄華、上流階級のかつての生活様式を語り、持ち上げながら、次第にその滑稽さ、栄光を失い時代の変化に追従せざるを得なくなってきている現状にシフトして行き、結局は過去の栄光などへのイギリス人のこだわりを皮肉り、しかし最後にはむしろ哀感を漂わせる手腕が冴えています。
 ある意味では、外国人だから書けた作品といえるのでしょうけれど、こういった作品にブッカー賞を与えたイギリス文学界の姿勢は、余裕なのでしょうか。それとも日本人にもありがちな、外国人へのおもねりなのでしょうか。

02.マチネの終わりに 平野啓一郎 毎日新聞出版
 中年になりスランプを感じつつある天才ギタリスト蒔野聡史と蒔野より2歳年上のパリ在住のジャーナリストで世界的に有名な映画監督の娘小峰洋子が、出会いの日の会話から互いに強く惹かれ合いながら、もどかしい行き違いを繰り返す恋愛小説。
 映画の方を先に見たので、予告編でも採用されている蒔野聡史(福山雅治)が2度目に会った小峰洋子(石田ゆり子)に言う「もし洋子さんが地球のどこかで死んだって聞いたら、僕も死ぬよ」という台詞(小説では「地球のどこかで、洋子さんが死んだって聞いたら、俺も死ぬよ。」:111ページ)の印象が強く、40歳近い蒔野聡史の観念的で思い込みの強い人柄(私の世代には、「愛と誠」の岩清水を思い起こさせます)にやや呆れていたのですが、小説では蒔野聡史の内心等がより丁寧に説明されて、天才故の孤独、周囲に溶け込むためにあえて馬鹿話をする蒔野聡史の気遣いと気苦労から蒔野聡史が小峰洋子との知的な会話に快感と憧憬を深めて行く姿(知的な会話が日常的に求められるようになったときの息苦しさというのもあるでしょうけど、そこは見ない/見えない)に、たった2回・3回しか会っていないのに強く惹かれてゆくことにはそれなりに納得できますし、蒔野聡史が2人を騙して引き裂いてその妻に収まった三谷早苗から2年余を経て真相を聞いた際に、どんなに必死でその嘘のメールを書き送ったかを想像し、妻を憎むことができなかった、それほどまでにはすでに妻を深く愛していた(361ページ)という記述に蒔野聡史の成長を見ることができます。この部分にきれいごとを感じるかリアリティを見るかは見解が分かれるかも知れませんが、私はそこにこそ夫婦生活の、男女の機微のリアリティを感じます。そうしてみると、この作品は、人は40を過ぎても恋に迷え、そして成長できることを謳っているのではないかと思えるのです。
 映画では、ラスト近く、蒔野聡史がニューヨーク公演に向かうに際して、三谷早苗が娘とともに実家に帰ると伝える、小説にはないシーンが挿入されています。このシーンが挟まれることで、ラストの印象が大きく変わっているように思えます。どちらにしても明言はされないのですが、小説では蒔野聡史は三谷早苗と別れることはないという印象のエンディングを、映画はその反対を示唆しているように感じられます。私は、小説の方が、円熟味を感じられてよいように思うのですが。

01.ニワトリをどう洗うか?実践・最強のプレゼンテーション理論 ティム・カルキンス CCCメディアハウス
 企業の従業員が上司や幹部に対して行うプレゼンテーションのあり方やテクニックについて論じた本。
 メインタイトルの「ニワトリをどう洗うか?」は、慣用句の類いや理論から来たものではなく、著者自身が8歳の時に始めて行ったプレゼンテーションのテーマで、プレゼンの後半でニワトリを使って実演を試みたところニワトリが抵抗して逃げ回り悪戦苦闘し大騒動になったが、聴衆の興味を引き退屈させず最高点をもらったというエピソード(11~15ページ)から取られています。他方、サブタイトル「実践・最強のプレゼンテーション理論」は、原書では " Mastering the Business Presentation "とされ、「最強の」は、邦訳で独自に盛ったものです。
 プレゼン資料の作り方についても論じていますが、この本は、そもそもプレゼンは何のためにやるのか、自らの提案を上司に受け入れさせるためだというところにポイントを置き、むしろプレゼンをやるべきでない場合や、プレゼン前の根回し(事前の売り込み)、プレゼン後のフォローなどにも紙数を割いています。おぉ、「根回し」は日本独自の文化ではなかったのかと感銘を受けてしまいました。
 準備は徹底的に行え、しかし内容を暗記しようとするな、スライドはシンプルに、いくつもの情報を詰め込むな、しかしスティーブ・ジョブズのように1語だけのスライドを社長に見せたら戸惑われるだけだなど、さまざまなアドバイスが並び、一読すれば直ちにプレゼンがうまくなるということではなく、試行錯誤しながら身につけていくべき点が多いでしょうけれど、学ぶところが多い本かなと思います。

 読書日記は、2017年半ば頃までは、原則として読んだ本全部について何か書く/書くよう努力するという方針でやってきましたが、現在は、これは書いておこうと思ったときだけ書くことにしています。

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