私の読書日記 2020年1月
12.反原発運動四十五年史 西尾漠 緑風出版
1975年8月の第1回反原発全国集会からの45年間の全国各地の反原発運動を、1978年創刊の「はんげんぱつ新聞」(月刊)の記事を中心に振り返り構成したもの。
はんげんぱつ新聞の記事からの引用で構成しているため、それぞれのエピソードについてその後どうなっていったとか、どう影響していたかなどが読み取れず、一連の読み物として読めないのが、読みにくくまたもどかしいのですが、あの頃ああいうことがあったなぁとか、当時の時代の雰囲気を思い起こすことができます。1985年の弁護士登録とともに原発訴訟(東海第二原発訴訟)に巻き込まれ、以後35年近く関わり続けてきた(手持ちの原発訴訟が0になったことがない:原発訴訟って、特に私がやってる原発訴訟って、終わりませんから…)私には、亡くなった方も含めて、懐かしい名前が並びます。そういう、一部の人たちにとっては、ノスタルジーに浸れる本、という評価になるでしょうか。
11.法を学ぶ人のための文章作法[第2版] 井田良、佐渡島紗織、山野目章夫 有斐閣
大学の法学部、法科大学院(ロースクール)の学生が試験の答案やレポートを書くときの文章の書き方を指導する本。
冒頭で、「法律家はどういう文章を書くべきか」「普通とは違った文章が求められる」との表題の下、「まず、読者のみなさんには、ここで言葉や文章に対するイメージを根本的にあらためて、まったくゼロからスタートすることをお願いしたい。」「法律家が用いる言葉やその文章は、日常生活において私たちが用いる言葉や文章とも、そして文学者や哲学者の言葉や文章とも、質的に異なったものなのである。」(12ページ)と宣言されます。いったいどこに行き着くのだろうと、驚き、また期待しましたが、「文章作法」を論じるこの本でいちばん長いPartⅡでは、ひたすら普通の論文形式の文章の書き方の指導に終始し、より実践的な書き方に入るPartⅢも前半は同様で、後半の「3 組立を考えて書く」(148~154ページ)で事案を分析して問題点を抽出し、適用すべき規範(ルール)を発見し、それに当てはまる事実を抽出するということ、「6 根拠を示す」(167~170ページ)で根拠を示す際に「判例同旨」の濫用を戒めているとかに法律家向けの独自性が感じられる程度で、文章術、文章作法としての目新しさは今ひとつ感じられませんでした。
むしろ、法的思考について概説したPartⅠが、一般人に法的なものの考え方、思考の枠組みを学んでもらうのにいいかなと思いました。法的論証について「ごく一般的・抽象的にいえば、それが正しい法的解決といえるかどうかを判断する基準とは、その結論を支える論拠ないし理由付けの説得力の程度である。もし決まった答がないのに、それでも結論を出さなければならないとしたら、各自がその結論が妥当だと考える理由を述べて意見をぶつけあった上で、多くの人が納得できる結論を選ぶほかはない。」(30ページ)としているところなど、弁護士として読んでも学者さんとも通じ合える認識・感覚だと思います。もっとも、「実は、法的判断が高度の説得力という意味での合理性・正当性を有するための条件は、必ずしも一定の理屈で決まることではなく、当該分野の法律家の間においてこれまでの長い歴史を経る中で徐々に形成されてきたものである。それは、法律専門家の間において『文化』のような形で存在し、守るべき約束事は『作法』のようなものとして共有されている。そこで法律を学ぶ人は、時間をかけてこの専門領域の文化を学び、作法を身につけることを求められる。」(38ページ)は、例えば弁護士が裁判官を説得する場合にも当てはまり弁護士として実感するところでもありますが、業界人以外の読者は、そう言われてしまうと、読んでいて投げ出したくなると思います。
10.白いしるし 西加奈子 新潮文庫
これまでに何度も恋に落ちのめり込んでは失恋することを繰り返し、今は恋人もおらず新宿3丁目のバーでアルバイトをしながら絵を描いている32歳の夏目が、友達づきあいが長い不遜な態度の写真家の瀬田から紹介されて作品展を見に行った画家の間島昭史の白い大きな紙に白い絵の具で描いた富士山らしき絵に強烈に惹かれ、間島にのめり込んでいくが、間島には道ならぬ関係の恋人がいてという恋愛小説。
夏目も、瀬田も、そして間島も、ある種まじめなところがあり真摯にものごとなり恋愛関係を突き詰めているが、その陰にある種の異常性があり、「ふつうの」ほどよい恋愛ができずに、破滅的で凄惨な結果に突き進んでしまう、そういった暴走を描くことで恋愛の持つ狂気をえぐり出してみせる作品です。
ちゃらんぽらんであったり怠惰であったりするが故にダメなのではなくて、まっすぐでありまっすぐすぎるが故に周囲とうまくやれなくなり傷ついてしまう。それもたやすく慰められるようなレベルでない凄まじさで。登場人物たちがそのように打撃を受ける様子を見て、衝撃と、自分にはもう/かつてもそんなエネルギーがない/なかったことの切なさを感じてしまいました。
09.黒い巨塔 最高裁判所 瀬木比呂志 講談社
著者が民事局局付であった1980年代半ばの最高裁を舞台とした最高裁内での権力闘争をテーマとした小説。
冒頭及びあとがきで繰り返しうるさく純然たるフィクションであり創作であると謳いつつ、当時の最高裁事務総局内の各ポストにいた人物の経歴や人となり(基本的にすべて悪口)とさらにはその後の昇進等にまで言及しているところが、著者の執念深さと憎悪の程度を示唆しているように思えます。
内容は大部分が、誰が見ても矢口洪一最高裁長官としか考えられない須田謙造長官による裁判官統制と原発訴訟に対する厳しく徹底した介入、原発訴訟をテーマとした裁判官協議会と原発差止を認容しそうな裁判官の左遷と言論弾圧をめぐるものです。当時の最高裁は、ここで書かれているほど露骨かどうかはさておき、政府が国策として推進している原発に対して裁判所が設置許可を取り消したり(行政訴訟)、差止を認める(民事訴訟)ことには否定的な考えを持ち危機感を持ち、現場の裁判官に圧力をかけていたと見えます。しかし、福島原発事故後の最高裁は、私には、最高裁が原発の設置許可を取り消したり差止を認めることはまず考えられないものの、下級審レベルで原発の差止を認める判決が時折出ることまで統制しようとは考えていないのではないかと思えます。現在の世論からすれば、原発の差止を認めない判決一色よりは、ときには原発の差止を認める判決も出る方が、裁判所の存在感を示せていいくらいに思っているのではないかと。ある意味で、この作品で描かれている硬直し短絡的な姿勢よりも、したたかとも言えますが、私は、最高裁が今はその程度には懐を深くした大人の対応をしていると、希望的観測と冷めた諦念を持ちつつ、感じています。
08.いつかすべての恋が思い出になる はあちゅう 角川文庫
アラサー女子の視点からの恋愛エッセイ集。
あまり辛口のコメントはなく、ドン引きされるような「赤裸々な本音」って感じのものもなく、安心して読めます。先日読んだ「崖っぷちパラダイス」の本音度と比較すると、お上品な優等生っぽさが感じられます。アラサーがアラフォーになって焦燥感と開き直りが進むということかもしれませんが。
神様が現れて今から理想の男性と会わせてあげるから絶対必要な条件を挙げろと言われてそのとおりの男性が出てきたとして、その人と「恋に落ちられるか?」という問題提起(146~148ページ)は、なるほどと思います。しかし、別れた相手とはその後の人生で自分が上でないと気が済まないというような執念(34~36ページ)とか、へぇぇぇ~と思う。これじゃあ、いつまで経っても「思い出」にならないじゃないの。まぁ、連載のノルマもあって、とにかく書かなくちゃっていうのもあるかも知れませんが。
07.崖っぷちパラダイス 谷口桂子 小学館
40歳前後の女性をターゲットとする雑誌「クワランタ」のフリーランススタッフで洋酒会社の社員からライターに転身した毒舌家の日野原翔子、上背があり色黒で大仏と呼ばれるコーディネーターの西恵、カメラマンの夫と離婚して財産分与で得た渋谷のマンションに住むスタイリストの藤田友美、21歳年上の弁護士と不倫の関係を続けるモデル出身の「カメラマン」志賀ルミの4人のアラフォー女性の仕事と男性関係、先行きへの不安、焦燥感などを描いた小説。
章ごとに中心人物をずらせる短編連作のように見えつつ、恵の怪しい男の誘いに乗ったロシア行き、翔子のメンタル不調、友美の母親介護、ルミの長すぎた不倫と年下男とのアバンチュールなどの事件をつないでさまざまなエピソードを絡め合わせて一つのお話の体裁を保っています。
アラフォー女性の結婚への願望と失望、男との間合い、親の介護と自分の老後への不安とともに、フリーランス=自営業の矜持と悲哀が大きなテーマになっています。零細自営業者としては、身に染みる/身につまされるところがあります。
女性のフォトグラファーが主要登場人物の作品で、「カメラマン」という言葉が使われるのは今どき珍しい。男中心の業界への皮肉なんでしょうか。
06.競技かるた 永世クイーンが教える必勝ポイント 監修:渡辺令恵 メイツ出版
競技かるたの永世クイーンである監修者が、札の並べ方、15分間の暗記時間の使い方、前の歌の下の句から次の歌に移る時間の集中と最初の音/半音の聞き取り、ゲーム運び、送り札の選択戦略などを解説し、過去の対戦を振り返り実戦でのポイントを論じた本。DVD付きで、タイトルは「DVDでわかる百人一首 競技かるた 永世クイーンが教える必勝ポイント」という(あしびきの山鳥の尾のしだり尾の)長々しいものです。DVDでは、前の歌の下の句から次の歌に移る間合いの体勢と速さが体感できます。
上級者は100枚すべてについて定位置を決めているから、競技時に自分の手元に来る25枚を定位置に配置するので迷いなく置けて、その結果その都度左右・上中下段の枚数が変わってくるのですね。15分間の暗記時間で完全に覚えてしまうので、裏返しにしたままでも試合ができる(18ページ)とか、決まり「字」の前に半音で捉えて例えば「た」で始まる6首のうち2字目が「か」(高砂の~)、「き」(瀧の音は~)、「ご」(田子の浦に~)の3首は「K音」なのでこれを片方の陣地にまとめると速く取りに行ける(28ページ)とか、さらには1秒間の音の波形がない空気の中で次の歌の最初の音の波形を脳で捉える(22ページ)、詠み手の息の吸い方や唇に当たる摩擦音を聞き分ける(52ページ)、詠み手が詠む構えをした瞬間の子音にならない軽い息を感じて札がわかるときもある(25ページ)とか、その道のプロ、上級者には、常人にはわからない極めた者だけが達する境地があるのだと言えます。しかし、終盤の送り札は札の流れを読み、詠まれそうにない札を渡す、「出る札を自陣に残せるように全身全霊を傾けて挑みましょう」(29ページ)となると、もう実力/修練でどうにかなるものではないように思えるのですが。
05.クレーム対応「完全撃退」マニュアル 援川聡 ダイヤモンド社
元警察官で「困難なクレームを解決し、企業の危機管理を援護する」として設立された((株))エンゴシステム代表取締役の著者が、「あらゆる業種の、あらゆるクレームに対応し、理不尽な要求を断ち切る『完全撃退マニュアル』の必要性を感じるようになりました」(「はじめに」8ページ)として書いた本。タイトル全文は「対面・電話・メールまで クレーム対応『完全撃退』マニュアル 100業種・5000件を解決したプロが明かす23の技術」というとっても長いものです。
冒頭にチェックリストがあり、クレーム対応のあり方として正しいものにチェックすることを求め、その中で「クレーマーも『お客様』だから、顧客満足の視点を忘れてはならない」という選択肢を、クレーム対応において「やってはいけないこと」と断じているところが、この本の特徴だと思います。クレーム対応について書かれた本では、クレームは改善意見の宝庫であり、クレーマーはファン予備軍であり(その商品に期待しているからこそクレームを寄せる)真摯なクレーム対応を通じてリピーター化できるというように書かれていることが多いように思われます。ある意味でクレーマー性善説ともいうべきものですが、この本は、それによりクレーム対応担当者が疲弊し退職していくことが企業のリスクであり、現在は一般市民(暴力団関係者ではない)が鬱憤晴らしやあわよくば金品をせしめようとして理不尽な要求を繰り返す大衆モンスターとなることが多くなっているとして、クレーマーを選別し、悪質な者に対しては毅然として跳ね返すべきことを勧めています。端的に言えば、最初の5分は決してクレーマー扱いせずに言いたいことを言わせ相づちを打って話をつなぎ謝罪(相手のクレーム内容を認めるのではなく、不愉快にさせた/不便な思いをさせたことなどについての謝罪)の姿勢を見せ、30分間までは事実関係の把握に努め予め定めている範囲の解決案を提示する、それでも納得せずにそれを超えた要求をする者に対しては、要求を拒否し警告し放置するというような形です。
ある意味で常識的でわかりやすい話ですが、これで完全撃退できるということではないと思いますし、企業側に問題があるときにそこを見落として/あるいは棚に上げて、組織防衛/責任回避をする言い訳に使われるリスクもありそうです。
04.安倍官邸vs.NHK 森友事件をスクープした私が辞めた理由 相澤冬樹 文藝春秋
NHK大阪放送局で司法担当キャップとして森友事件の取材を続けていた記者が、森友事件取材の初動から記者を外されて退職するまでを書いたノンフィクション。
森友事件報道初期の著者が書いた原稿とデスクが直した原稿が対比され、クローズアップ現代での報道内容に報道局長が介入してくる経過などが生々しく書かれていて、NHK幹部の官邸・政権への忖度が読み取れます。しかし、この本のタイトルとなっている官邸からの圧力については具体的な記述はまったくありません。NHK幹部の行動の背景には当然に官邸の圧力があったのでしょうけれども、この本に書かれている事実自体は、官邸対NHKの闘いではなく、NHK幹部(報道局長)対大阪社会部/司法担当記者の闘いで、このタイトルは読者にとってミスリーディングでしょう(著者の気持ちは、このタイトルに表れているかも知れませんが)。
私にとっては、森友事件関係そのものよりも、取材に当たっての対象者との人間関係の作り方(事前準備・調査や口論した後のフォロー等)、対象者への質問の仕方(聞きたいことをいきなり直接聞くのではなく、対象者が話したい/聞きたいことから入って行き間合いを詰めてから当てる等)などの記述が、とても興味深く読めました。相手が話してはいけないと構えている自分が聞きたいことを聞き出すときに何をすべきか。法廷で行う尋問の場合とは違っても、考えるべき材料と示唆があるように思えます。著者が評価するデスクが言う「考えて考えて、頭が禿げるほど考え抜いてから取材に行け!」という「金言」も…
03.ブロードキャスト 湊かなえ 角川書店
中学3年生の駅伝大会で惜しくも全国大会出場を逃し、その悔しさをバネにスポーツ強豪校に入学した町田圭祐が交通事故に遭って走れなくなり、周囲から腫れ物に触るようにされていたところ、数少ない同じ中学出身の放送作家志望の宮本正也から、声がいいと言われ、放送部に入部することになって、ラジオドラマ制作で全国大会を目指すという展開の青春小説。
高飛車で自己チュウの先輩たち、いじめを受けている同級生と性格の悪い同級生などに囲まれて、引っ込み思案だった主人公が積極的に自己主張していくというあたりが読みどころで、読み味スッキリの作品です。
なんだ、いやミス以外も書けるんじゃないと、言わせたくて書いたのかも知れませんし、そういう先入観が裏切られる快感が、売りかなという気がします。作者名を気にせずに読んでも、悪くないできだと、思いますけど。
02.ユートピア 湊かなえ 集英社文庫
太平洋を望む美しい景観を持つ港町鼻崎町の新興住宅地「岬タウン」に移り住んだ陶芸家星川すみれ、商店街で昔から仏具店を営んでいた義父の後を継ぎ店番をして長らえている当地生まれの堂場菜々子、夫の転勤で鼻崎町に来て雑貨とリサイクルの店を経営している相葉光稀が、商店街の15年ぶりの祭りの実行委員となったことから出会い、すみれが、菜々子の娘で交通事故を機に歩けなくなって車椅子生活を続けている小学1年生の久美香と光稀の娘で久美香に優しく接する小学4年生の彩也子を、自分の作品を広めるためのシンボルとして車椅子利用者を支援するブランド「クララの翼」を立ち上げて、光稀の知人の雑誌に採り上げられて評判となるが、周囲の嫉妬を含む反応、ネット民の反応等から亀裂を生じ…という展開の小説。
ミステリー仕立てではありますが、そこよりも、かなりあからさまに自分本位のすみれと、比較的常識的に振る舞いつつも自分の子どものことになると視野狭窄気味になる菜々子と光稀の思惑、すれ違いが読みどころです。すみれの自分勝手ぶりに呆れつつ、しかし菜々子や光稀も子どものことになるとかなりバイアスのかかった考えと行動を示す様子、さらには当事者の事情などお構いなしのネット民の反応やマスコミ報道が並べられるのを見て、自分も菜々子、光稀レベルには自分本位かも、いや、すみれが身勝手に見えるのは自分もネット民やマスコミのようにその人の事情が見えていないで無責任に論評しているからで、置かれた事情によっては自分もすみれのように考え行動するかも、と思えてくるところにこの作品の真骨頂がある気がします。
01.屍人荘の殺人 今村昌弘 東京創元社
神紅大学ミステリ愛好会会長にして「神紅のホームズ」と呼ばれることもある明智恭介とその助手の葉村譲が、過去に数々の事件の謎を解き解決に導き、今回は映画研究部の友人から部室に「今年の生け贄は誰だ」と書かれた紙が置かれていたと相談を受けたという文学部2回生の剣崎比留子の申し出により映画研究部の合宿に参加し、バイオテロ事件とそのただ中で敢行された連続殺人事件に巻き込まれるミステリー。第27回鮎川哲也賞受賞をはじめ2017年から2018年にかけてミステリー関係の賞を総なめした作品。
映画の方を先に見たのですが、映画では、バイオテロの犯人等には何ら触れず、舞台となる紫湛荘が2階建て(原作は3階建て)、宿泊者が学生だけではなくロックフェスティバルから避難してきた観客(言い換えれば知らない人)も含まれる、語り手である葉村が事実上の傍観者に徹している、剣崎と葉村の関係がどちらかといえば葉村の方が剣崎に好意を持っている、OBの立浪が剣崎にナンパの対象として関心を示している、脅迫状/怪文書の作成者が違う、明智と葉村の迷探偵ぶりのエピソードが創作されて揶揄されている、明智の再登場の時期が違うなど各所で設定が違っています。ストーリーや謎解きの根幹には影響しないものですが、人間関係の描写でけっこうニュアンスが違ってきます。
私は、奇をてらっているという感じもしますが、第五章の一(192ページ)のような仕掛けがあって、この作品がより生きてくるというか味わいがあるように思えたので、映画でそこが削られて葉村の人物像がシンプル/淡泊になっているのは残念です。
ミステリーの本筋ではないのですが、愛する人/近しい人が破滅的な結果に至る感染力の高い病気に感染してしまったときにどうするか/どう行動すべきかについて、葉村の苦悩を通じて考えさせられました。この作品では非現実的な設定ですが、同様のことは、かつては結核やハンセン氏病(実際には感染力は弱かったのですが)、比較的近年ではエイズやSARSで現実に発生し、現在でも例えばエボラ出血熱や鳥インフルエンザが身近で発症すれば直面させられることになります。そのとき、自分は、新藤のように行動する/できるのか、高木や静原のようにあるいは剣崎のように行動する/できるのか、それをどう評価するか、あるいは葉村のように懊悩するのか/悩まないのか…
他方、バイオテロの説明は、極左ならテロをやる、理解不能なことをやるレベルのもので、左翼に対する偏見が露わですし、これくらいなら書かずに飛ばした方がよさそうです(映画ではそういう判断でパスしたのでしょうか)。
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