私の読書日記 2020年7月
21.マスカレードホテル 東野圭吾 集英社
殺人現場に次の犯行場所を示唆する紙が残された事件が続き、4件目の殺人事件予定場所と目されるホテルに警察官が潜入し、ホテル側の協力、戸惑い、軋轢の中、いくつかの怪しい人物、できごとが続き…というサスペンス小説。
ホテル側のサービス業のあり方、客との関係・間合いの取り方、現在であれば「カスハラ」(カスタマー・ハラスメント)と呼ばれるであろう客側の無理無体なクレームの存在、そしてプロ意識とやりがい・達成感。他のサービス業にも通じるものと思いますが、いろいろと考えさせられます。
この作品では、女性のフロントクラーク山岸尚美を中心として描いていますが、ホテルの従業員を何の疑問も示さずに「ホテルマン」と書き表し続けています。ホテル業界では、そこ、疑問とされないのでしょうか。
末尾に「取材協力 ロイヤルパークホテル」と記載されていますが、作中の「ホテル・コルテシア東京」の所在地は、現実のロイヤルパークホテル東京の300mほど南の隅田川の中になっています。ここまでするのならロイヤルパークホテルの場所にしてもよさそうに思えますが、このあたりが落とし所なんでしょうかね。
20.世界でいちばん素敵な大和言葉の教室 吉田裕子監修 三才ブックス
季節に応じたものを中心に大和言葉を紹介し、言葉の意味、語源、使用例等を説明する本。
多数の写真が掲載され、美しくイメージしやすくなっていて読みやすい形になっています。写真については、クリアで色鮮やかなところが明るく感じられますが、大和言葉のもやっとしたぼんやりとした言葉の印象に合わせるには、より淡い色彩感のソフトフォーカスのものや場合によってはイラストにするという試みがあった方がよかったかも知れません。
心の中でのみ恋しく思うさまを「心恋」(「うらごい」と読むのですね。予想どおりATOKでも変換されませんでした)という(43ページ)とか、「おくゆかし」は「心が惹かれ、そこに行ってみたい」の意で「心の奥を知りたい」「距離を縮めたい」と思うほど心惹かれることを表している(149ページ:私の世代では「あなたを・もっと・知りたくて」薬師丸ひろ子のイメージですね)とか、ちょっと使ってみたくなります(あとがきで、「三度使えば、その言葉はあなたのものになります」と書かれていますが)。
19.追いつめられる海 井田徹治 岩波科学ライブラリー
地球温暖化に伴い海水温が上昇し海の熱波(以上高温域)の発生頻度が高くなってサンゴ等の生態系に影響し、海面上昇によって高潮・台風被害が深刻化する、二酸化炭素濃度の上昇により海水に溶け込む二酸化炭素が増えて海水が酸性化して生態系に影響が生じる、プラスチックゴミが海洋や海岸を汚染し、マイクロプラスチックが多くの魚介類に取り込まれて海産物を汚染し最終的には人体に取り込まれる、生活排水や農業廃水による富栄養化で大量発生するプランクトンの死骸の分解過程で酸素が大量消費されて低酸素水塊が増えてこれが海水表面の温度上昇により表層と深部の海水が混ざりにくくなる成層化が相まって低酸素領域が増えて生態系に影響し、さらに乱獲により漁業資源が枯渇するなどの問題点を指摘しつつ、洋上風力発電や潮力発電による再生可能エネルギー活用、藻場やマングローブ林、湿地などの保全拡大による二酸化炭素吸収量の増加、養殖の拡大と肉食から魚食への移行など「ブルーエコノミー」を推進すべきことを論じた本。
様々な点で絶望的な状況が語られ、私の感傷で言えば慶良間ブルーで知られる座間味島(42年前に行ったきりですが…)の海岸で採取した貝類からも大量のマイクロプラスチックが発見された(72ページ)など、悲しくなる話が多いのですが、最終段階での著者の提言は、危機感を煽るよりは、より建設的なというかある意味で楽観的なもので、ちょっと救われます。
ただ著者自身は記者で科学者ではないこともあり、書かれていることがどの程度の検証を経たものかには注意を要するかも知れません。私が気になったところでは、クマノミのふ化直後の稚魚を二酸化炭素濃度が高い環境下で4日間飼育した後に捕食者のいる通常環境下に戻したときの生存率を調べた実験に基づいて、二酸化炭素濃度が高くなると敵を警戒したり避ける能力に影響するという研究チームの見解を紹介しています(45~46ページ)。元になった研究を私は見ていませんけど、クマノミの稚魚だけを突然二酸化炭素濃度が倍前後の環境に入れてその後また戻しているという環境の激変がクマノミを弱らせている可能性があり(二酸化炭素濃度以外のものでも環境が激変すれば同様の影響が生じる可能性は検討検証されたのか?)、ここで紹介されている限りでは、二酸化炭素濃度が低い環境に置いた場合の比較がなく、また捕食者も同様に二酸化炭素濃度が高い環境に入れたらどうなるのかの比較もなく、さらには二酸化炭素濃度を長期間かけて徐々に高くした場合の比較もありません。私には、ここで触れられている実験だけで二酸化炭素濃度の悪影響を言い、このままのペースで二酸化炭素濃度が上昇すれば(海洋の酸性化が進めば)ニモ(カクレクマノミ)がいなくなるかも知れないなんて言ってしまうのは、科学的な態度とは思えません。
18.写真の撮影・利用をめぐる紛争と法理 升田純 民事法研究会
写真の撮影と公表等の利用に関して、肖像権、プライバシー、名誉毀損、著作権(複製権、翻案権等)・著作者人格権(同一性保持権、氏名表示権、公表権)、パブリシティ等との関係で判断を示した裁判例を整理紹介する本。
私の業務的な関心(プライバシー関係は一応私も詳しい弁護士と評価されていますし)から裁判例の知識のアップデート目的で読みました。知らなかった裁判例もいくつかありましたし、まとめて読むと新たな発見もあり、勉強になりましたが、最近の裁判例の紹介はちょっと手薄に思えました。
分野分けはされているのですが、特に肖像権(第Ⅰ章)とプライバシー(第Ⅱ章)と名誉毀損(第Ⅲ章)と写真の撮影等をめぐる裁判例(第Ⅵ章1)は、多くの裁判例が重複していて、判旨(判決文抜粋)は省略されて、それでも「事案の概要」と「実務上の意義」(判示事項の整理抜粋と著者のコメント)はほとんど同じ内容のもの(分野に合わせて省略されたり加筆されている文もないではないですが、たいていはその分野以外の点もそのまま繰り返されています)が繰り返し掲載されています。分野分けするのであれば、判決文のその分野に関する判示を抜き出してメリハリを付けた紹介をしていただいた方が読みやすいですし、それがなされていないためにいたずらに分厚い本になっているように思えます。
判決文の引用紹介(判旨)の範囲が精選されておらず、「事案の概要」や「実務上の意義」で取り上げられている事項に関する部分が出ていないことも少なくなくて、読んでいて気になりました。例えば告別式で盗み撮りした遺影を写真週刊誌に掲載したことの違法性が争われた事件の判決(33~35ページ)で、肖像権等の人格権は死亡により消滅したが遺族の死者に対する敬愛追慕の情が著しく侵害されたとして損害賠償請求が認容されたことを紹介していながら、判決文は死者の人格権を認めることはできないという判示で終わっているとか、警察による監視カメラ設置の違法性が争われた事件の判決(55~57ページ)で監視カメラのうち1台はプライバシー侵害とされて撤去請求が認容されたことを紹介しておきながら(その判決の紹介が「警察が街頭にカメラを設置し、運用したことが肖像権の侵害にあたらないとされた事例」とされているのも不思議な気がしますが)判決文は原告らの容貌等を録画していると認めるに足りる証拠はないというところで終わっていて監視カメラのうち1台の違法性に関する判示はまったく引用されていないとか、読んでいる側には欲求不満が募ります。逆に、撮影した写真を勝手にアダルトサイトの広告に使用したことの違法性が争われた事件の判決(127~129ページ)では被告の1人である広告制作会社社長が写真入手時には社長ではなかったことから責任を負わないと判示した部分を紹介していますが、それは肖像権侵害の有無には特段の意味もなく著者も「実務上の意義」でまったく触れておらず、紹介している理由がわかりません。
判決文を紹介する際、判例雑誌からそのまま抜き出しているのでしょうけれども、2006年前後までの判決文では関係者の固有名詞がそのまま紹介されています。出版済の紙媒体は直しようがないのでしかたがないと思いますが、この時期に出版する本で、かつて出版された判例雑誌に実名が掲載されているということで、現在の感覚では仮名(記号)化されるのがふつうになっている関係者の実名をそのまま記載していいのか、プライバシーもテーマとなっているこの本でそれでいいのかという疑問が残ります。
なお、ロックバンド黒夢の写真集出版に関する判決の紹介で、ロックバンド名を「悪夢」としている(96ページ、427ページ)とか、ごく単純なミス・誤植も目に付きます。
テーマは興味深く、多数の判決が掲載されていることはありがたいのですが、様々な点で雑さが目に付くのが残念です。
17.3.11後の社会運動 8万人のデータからわかったこと 樋口直人、松谷満編著 筑摩選書
2017年に「楽天リサーチ」(現楽天インサイト)モニターに登録している東京・埼玉・千葉・神奈川在住者に対して行ったインターネットアンケート(回収数8万3732:有効回答7万7084。うち3.11後に反原発デモか反安保法制デモに1度でも参加したという回答1412)を分析して、過去(60年代、70年代)のデモ参加経験者と未経験の新規参加者、年齢、性別、支持政党、思想傾向等により参加の度合い、参加の動機・経緯、参加による本人の変化等を論じた本。
デモ参加経験が次の新たなデモへの参加のハールを下げ、また参加者自身のデモや社会・政治問題への意識を変えていくこと、現在3.11後のデモは沈静化し風化したように見えるがデモ参加経験が情勢の変化が生じたときにはまた新たな運動の基盤となり得ることが、ある意味で当たり前のこととも言えますが、読み取れました。
より支持者の多い反原発デモの高揚後、参加者の相当部分が退出したが、反安保法制デモではその退出分に相当する新規参加者が加わってピーク時にほぼ同規模となったことについて、より支持者が少ない反安保法制運動では運動支持者中のデモ参加者の割合が多かったことの理由がこの本の中ではうまく説明されていないように思えます。私には、反安保法制デモのときはSEALD'sなどの学生/若年層が注目され報道が多くなされまた好意的なニュアンスの報道が相当数あったことが未経験者の参加を誘った(好奇心を持たせた、参加しやすい印象を与えた)ものと、ごく単純に見えるのですが。
デモ参加者の社会意識(ナショナリズム、経済的自由主義、権威主義、文化的自由主義の4指標)の関係を論じているところ(60~63ページ)のグラフ(図2-5)で、凡例の記載が間違っていると思います。本文の記述に照らすと、凡例で「反権威主義」とされている細い実線が正しくは「反経済的自由主義」、凡例で「反経済的自由主義」とされている点線が正しくは「反権威主義」であるはずです。図が正しい前提で読むと、このデータでこういう分析をするのはあまりにも強引な解釈と感じてしまいます(最初そう感じて繰り返して見直して、図が間違っているのだと認識しました)。アンケート結果の分析、数値の評価が肝の本で、こういうミスは痛いと思います。
16.ラストライン2 割れた誇り 堂場瞬一 文春文庫
「ラストライン」の1年半後、南大田署配属の警部補岩倉剛が、北大田署が立件して無罪判決を受けた元被告人田岡勇太が周囲から嫌がらせを受け、殺害された女学生の恋人光山翔也に押しかけられたりするのを防止し保護する側で対応するうちに、河川敷で光山翔也の遺体が発見され、田岡勇太も襲われるという展開の警察小説。
主人公岩倉剛の設定は、「ラストライン」の当初は驚異的な記憶力という点がいちばんの特徴だったはずですが、そこはもう忘れ去られたようで、むしろ暴走する刑事にストップをかけて恨まれる役という点と、20歳年下の女優の愛人を持つ50歳のオヤジ刑事という点だけが特徴の小説になっています。
若い女性に惚れられる高齢男性主人公というのは、高齢男性である書き手にとっては自らの持つ幻想(妄想)の反映と読者ニーズへの媚びなんでしょうね。私も自分が書いている小説の設定からして他人のこと言えませんから (*^_^*)
15.ラストライン 堂場瞬一 文春文庫
驚異的な記憶力を持ち、それ故にサイバー犯罪対策課から脳の分析をしたいと求められ、しかもそれが別居中の妻が教授を務める大学と連携しているのに嫌気がさして断って、それ故に本庁の捜査1課から所轄への異動を希望して南大田署配属となった50歳の警部補岩倉剛が、初日から70歳の独居老人の殺人事件の捜査と新聞記者の自殺の調査に取り組む警察小説。
設定上、岩倉剛については驚異的な記憶力ということが強調されているのですが、それが事件の解決やメインのストーリーに持つ重みは必ずしも大きくはなくて、別居中の妻と高校生の娘を持ち20歳年下の劇団女優の愛人を持つ50歳のオヤジ刑事を主人公とする警察ものという位置づけで読んだ方がいいかなと思いました。
人の心とか行動の動機なんてものはきれいに説明できず理解できないところは残るとは思うのですが、私には結局新聞記者の動機・心情の説明はしっくりこないところがあり、読後感がスッキリしませんでした。
14.人はなぜ税を払うのか 超借金政府の命運 浜矩子 東洋経済新報社
税金の目的・趣旨を、ただ強い者が弱い者から収奪していた古代・中世から権利保障の対価という考えに変化した近代(フランス人権宣言、代表なくして課税なし)に至る歴史を解説し、現代では、課税は税金を払えない貧困層も含めた人々に対する公的サービスを実施する財源を確保するとともに所得の再分配を行うためのものであり、納税者は自分に対する見返りを求める「会費」的な思考ではなく「無償の愛」により納税すべきとした上で、ふるさと納税と日本版消費税を例に挙げて日本の税制の欠陥を指摘する本。
タイトルを見ると、納税者の社会心理的な問題がテーマのように見えますが、この本の内容からすれば、「人はなぜ税を払うべきなのか」とか「税制はどうあるべきか」などの方が適切に思えます。その観点からは、古代からの税制の解説に相当な紙幅を割いていることが、著者が主張している現在の税制のあり方が正しいという論証にうまくつながっているのか、やや疑問に思えます。
そして、この本の後半がほとんど日本版消費税批判に充てられていることを見ると、税制のあり方自体よりも、日本版消費税がいかにおかしいか、税の本来あるべき姿からいかにかけ離れているかが著者のいいたかったことなのかなと思います。著者の主張自体は、納得できますが、より正面から日本版消費税を論じ、税制のあり方も歴史の説明を延々とやらずに近現代政治・民主主義等から説いてまっすぐに斬り込んだ方がわかりやすく読みやすくなると思います。
13.労働法[第6版] 浅倉むつ子、島田陽一、盛誠吾 有斐閣
労働法の教科書。
自分の専門分野について、全般的なおさらいと最近の動向等について見落としていることがないかという、自分の知識のアップデート・ブラッシュアップ目的で、この手の本を見つけて時間があるときに読むのですが、法改正、制度改正関係は、特に裁判ではあまり使わない行政規制的な法令制度の改正や新設関係は、勉強になり、他方で新しい判例のフォローはあまりなされてない印象を持ちました。そのあたりは、学者の関心と弁護士の関心の違いなんでしょうね。新しい裁判例は、労働契約法第20条(現在はパート・有期法第8条)と残業代関係に注目してそこはフォローしたという感じで、その他分野はあまり見てないかなと思いました。労災保険から療養給付・休業給付受給中の労働者について打切補償をして解雇できるかという問題について、解雇制限(労働基準法第19条)の説明では、できないとした専修大学事件の東京高裁判決を紹介している(257ページ)のですが、この東京高裁判決が最高裁で覆されたことに気がつかなかったようです(判例索引でも専修大学事件の最高裁判決は漏れています:514ページ)。執筆担当者が違う労災保険の説明では最高裁判決の方を紹介している(368ページ)のですからクロスチェックが足りなかったということなんでしょうけど。
労働事件を日常的に取り扱う弁護士の意識からは、解雇の記述が、えっこれだけ?と思ってしまいますし、休職とか労災とかもずいぶんとあっさりしたものだなと思います。それは、労働法という法体系の中で、弁護士のと言うか、私自身の興味・感心が本当にごく一部に偏っているのだなという自己認識・発見でもあるわけですが。
12.ステップ 重松清 中央公論新社
髄膜炎で急死した妻朋子の1周忌を終え、2歳半の娘美紀を抱えて、トップセールスマンの過去を振り切って総務部に異動してもらい復職した武田健一が、美紀を引き取ろうかという義父母の申し出を断り、周囲の人々に助けられながら美紀と2人で暮らす様子を描いた短編連作小説。
幼い娘を育てる奮闘記的な部分は必ずしも多くなくて(この種の作品ではほぼ必ずある子どもが病気になるシーンがないのが象徴的です)、子どもとの心理的な交流、すれ違いの方に重点が置かれ、また再婚を巡る本人の心の揺れや義父母の心情、義父母との関係にも紙幅が割かれ、妻の死を起点とした人間関係・親族関係を描く小説という色彩も強くあります。
私自身、娘を持つ父親として、子どもの頃の娘に投影してしまうのですが、健一が再婚を考える相手奈々恵を引き合わせた時に美紀がハイテンションで奈々恵と接していたのにうちに帰ると食べたものを吐いてしまうことを繰り返し、もう奈々恵とは会わない、2人で会ってくれと言い出した後、健一が日曜日の朝奈々恵を自宅に呼んで美紀と朝食をとらせる場面があり、その後は度々自宅を訪れる奈々恵に美紀もこだわりなく接し馴染んでいるような描写になります。健一の視点で書かれている関係上、美紀がどう奈々恵を受け容れどう折り合っていったのかは描かれていないように思え、私には読み取れませんでした。人間関係は理屈ではないし、折り合いを付けていくものでしょうけれども、これでいいのかとちょっと納得できないものを感じました。
11.リスクの正体 不安の時代を生き抜くために 神里達博 岩波新書
2014年秋から「朝日新聞」に連載されたコラム「月刊安心新聞」を整理して出版したもの。
新技術をめぐる方針の決定に関して、専門家の判断と民主主義の調整、「専門知を備えた第三者」の存在の重要性が繰り返し語られています。例えば、ドローンの功罪を巡り、「新しい技術が現れた時、それがどのような経緯で誕生し、功罪含め、いかなる社会的影響を及ぼしうるかについて、調査し評価することが求められるはずだ。当然、それは中立的であることが望ましい。また専門的な観点と、市民社会的な眼差しの両方から、丁寧に検討される必要がある。だが、そんな役割を果たすことができる者は、どこにいるのだろう。科学技術に関する理系的な知識と、法や倫理に関する文系的な素養の両方を、バランスよく兼ね備えている人物。そして何よりも、検討すべき対象と直接の利害関係がなく、公益を基準にフェアな判断ができる人物。結局、そういう人材や職業を育てることを、この社会が怠ってきたことが、種々の問題の本当の原因ではないか」と論じています(77ページ)。もんじゅと豊洲市場の安全性(91~93ページ)、AI利用(85ページ)、量子コンピュータ(117ページ)でも同趣旨の記述があり、それはなるほどねと思います。コンピュータ好きで工学部に進学したが文転して科学史を専攻した著者(244~245ページ)のような人物がそういう人材だと主張しているのではないでしょうけれども。
高齢ドライバーの事故に関して、統計上むしろ高齢の歩行者が圧倒的に交通事故の被害者であり、加害者としては10万人あたりの死亡事故率は全世代が4.4件に対し65歳以上は5.8件と平均より高いが、一番高いのは16歳から24歳の7.6件ということを示して冷静な議論を求めている(157~159ページ)あたり、好感が持てます。
10.文豪の悪態 皮肉・怒り・嘆きのスゴイ語彙力 山口謠司 朝日新聞出版
明治時代から戦前にかけて活躍した文豪たちが他の作家等に向けて書いた悪評等を紹介する本。
扱われている言葉には、タイトル通りの悪口、憎まれ口が多いのですが、必ずしもそういうものでないものも紹介され、さらには本文では、紹介されている言葉が発せられた経緯や背景事情の説明ももちろん書かれていますが、印象としてはそれ以上に当時の世情やさらには登場人物の紹介に紙幅が割かれている感じで、全体としては、著者が紹介したい文豪に関するそれほどは知られていない話を書きたくて書いた本かなと思います。
「はじめに」で最近は世の中に、特に大学に「変な人」がいなくなったという嘆き、昔は大学の先生にはいろいろな変人がいて面白かったのにという嘆きが冒頭に書かれていて、そっちの方が本文よりも私の胸にストンと入りました。それが何故なのだろうと「はじめに」で著者は問うているのですが、もちろん、本文ではそれは解き明かされません。
本文の方は、関係者の紹介等が多くて少し冗長に思えますが、田山花袋が「蒲団」で蒲団と夜具に残る若い女の匂いを書いたそのモデルの実在の人物岡田美知代の主張とか、太宰治と中原中也の取っ組み合いのけんかとか、菊池寛が実在のカフェの女給杉田キクエを口説く様を小説に書かれて中央公論社の編集者を殴りつけるが作者の広津和郎は友達だからといって抗議せず困った広津和郎が中央公論社の社長に告訴をやめないと連載を打ち切るといって仲裁したなどの話は興味深く読めました。
09.40代からでも波に乗れる はじめてのサーフィン 市東重明 株式会社KADOKAWA
サーフィンの入門書。
「40代からでも波に乗れる」「いいオヤジが最短でいい波に乗る方法教えます!」という表紙の言葉につられて、これでおいらもサーハーの仲間入りなんてノリでめくる本です。写真が多く字は少なく、その写真が、プロサーファー44歳の著者の写真ではありますが、茶髪じゃない黒髪短髪のおっさんということで、おじさんにも安心して読める感じがします。
サーフボードにワックス塗るのねとか、そういうところから感心してしまう門外漢には、10分以上の波チェック、波を観察することがサーフィンの第1歩というあたりで、そうかぁと海辺に座り込み、ふむふむと納得して、そこで終わってしまいそうですが。
08.新版 英語対訳で読む科学の疑問 松森靖夫、スティーヴ・ミルズ監修 実業之日本社
宇宙、地球、生物、人体、その他日常生活上の科学に関する疑問79問について、英文と日本語の見開き2ページで解説する本。
内容が興味が持てて、短く、英文を読む機会を持つにはとてもいい本だと思います。
ただ英文は、「英語対訳」とタイトルにあるように、日本語から作られたためか、ちょっとくどいというか同じ表現の繰り返しが多く、そこが英語っぽくない印象を持ちました。
英文の方にも単語や熟語等にアンダーラインを引いて和訳が付いているので助かりますが、 buoyancy という耳慣れない単語に「重力」と振ってあり(52ページ)、重力は gravity じゃないかという疑問に加えて、これを「重力」と訳すとどう考えても話が合いません。日本語訳の方を見ると「浮力」となっていて、そうだよなぁと思いましたが、そういうところチェックが甘いかなと感じました。
07.ボーダレス 誉田哲也 光文社
高2の夏休みにクラスで群れずに一人ノートに小説を書き続ける片山希莉と希莉に興味を持ち小説の内容と小説の取材で盛り上がる森奈緒、格闘家の父が正体不明の黒ずくめの人物に襲われ視覚障害者の妹圭とともに山中を逃げ歩く八辻芭留、オリジナルのコーヒー「究極の静男」「渾身の静男」「最強の静男」「休日の静男」が評判の喫茶店「カフェ・ドミナン」を経営する市原静男・緑梨夫婦と音大を目指したが果たせず失意の帰郷をして喫茶店を手伝う長女市原琴音と琴音を無視し続ける次女叶音、屋敷内に閉じ込められテラスで読書をしながら近くをよく通る女性に憧れていたらその女性から迫られて知らなかった性愛の世界に溺れる少女らの4つの世界が順番に進行しながら、いずれもカフェ・ドミナンに行き着いて事件になる、サスペンス小説。
4つの話とも、比較的若い世代の女性がストーリーを引っ張るので、青春小説っぽい読み味です。
ところで、仕事がら、気になったのは、「1年もあれば、最近は裁判の結果も出る」(316ページ)というフレーズ。被告人が控訴もしなかったという争う気もない被告人の刑事事件なんて、大半が1年どころか1月2月で終わってるのが日本の刑事裁判の実情だと思うのですが。長引くのはごく一握りの事件なのに、その報道に引きずられて日本の刑事裁判は長いって思い込んでいる人が多い。警察小説とか犯罪が出てくる小説を多数書いてるんだから、そこ、もう少し調べて欲しいなと思います。
06.あの夏、二人のルカ 誉田哲也 株式会社KADOKAWA
バンドをクビになってそのバンド連中を見返してやりたくてメンバーを物色していたドラマーの佐藤久美子が、女子高の同級生の蓮見翔子と隣のクラスの谷川実悠を誘い出して父が経営するスタジオでギターとベースの練習をさせていたら、実悠の同級生真嶋瑠香が練習を聴きに来るようになり、さらに瑠香が転校生の森久遙(ヨウ)を誘い込んでガールズバンドRUCASを結成し、遙の歌唱と歌作りが注目されて演奏は熱狂的に支持されたが…という高校時代の話と、14年後のメンバーたちの話を交差させて進める青春小説。
「武士道ジェネレーション」(2015年7月)では、青春小説までも「自虐史観」批判の材料とした作者のネトウヨ志向は、それが見られなくなった「歌舞伎町ゲノム」(2017年空き~2018年)と並行して書かれたこの作品でも見られず、その次の「ボーダレス」でも見られないので、卒業されたように見えます。長編第5作「硝子の太陽 R-ルージュ」と第6作「ノーマンズランド」をネトウヨ的政治宣伝に捧げてしまった姫川玲子シリーズも次は更生できるといいのですが。
05.リスからアリへの手紙 トーン・テレヘン 河出書房新社
手紙を宙に放りあげると風が配達してくれる世界で、動物たちが互いに手紙を出し合うという童話。
登場する多数の動物たちの中で、哲学的な思索にふけり思い悩むリス君、木に登ったりカタツムリの殻の上で踊りたがる身軽な象さん、ケーキ、特に蜂蜜ケーキを食べることしか考えていない熊君が、印象的で微笑ましく思えました。
1996年の作品で、訳者が2016年に死亡しているのですが、何故今出版されたのでしょう。あとがきその他の説明がまったくないので、そのあたりの経緯がわかりません。童話の世界の不思議さよりも、そちらが不思議に思えてしまいました。
04.紫式部ひとり語り 山本淳子 角川ソフィア文庫
紫式部の若き日、結婚、夫の死、源氏物語の執筆、中宮彰子の女房としての出仕、宮廷と彰子の実家(藤原道長邸:土御門殿)での日々等を、「紫式部日記」「紫式部集」等の文献を元に、紫式部自身の独白という形式で綴った本。
紫式部が源氏物語を書きその文才を評価されて中宮彰子の女房に取り立てられて宮仕えを始めたが、周囲に馴染めず、自身も馴染もうとせずに同僚たちが冷たいと敵視して数日のうちに(正月だったこともあり)自宅に戻って数か月にわたって引きこもった(122~126ページ)後、職場復帰に際して惚け知れを演じておっとりしているという評価を得て周囲に馴染んでいく(126~132ページ)様子、初期にはまわりに煽られてかつて弘徽殿の女御の女房だった左京馬の落ちぶれた姿をからかういじめを実行した様子(238~255ページ)が描かれ、その後紫式部が彰子の女房としての自覚を持ち後宮の体面を保つべく心得る姿(成長する紫式部…)、死してなお高いイメージを保つ定子の後宮へのライバル意識とそれに大きく貢献した枕草子と清少納言への思いなどが興味深く読めました。
紫式部自身のことだけではなく周囲のことや当時の様子も書かれています。疫病の脅威におののく様子、それに伴う人心の乱れなど、たまたまですが今の世相とも重なる思いがします。
百人一首で「名にしおわば逢坂山のさねかずら人に知られで来るよしもがな」が取られている曾祖父の三条右大臣藤原定方が、「昨日見し花の顔とて今朝見れば寝てこそさらに色まさりけれ」と詠んでいる(32ページ:この人はエッチの歌ばかり詠んでいるのか?)なども味わい深いところです。
紫式部日記等からの古文の引用がそれなりにあり(当然ですね)、古文ってなまじ日本語なだけに今の言葉との類似を見て意味を推し量ってしまいますが、全然違う意味のことが多く、あぁやっぱり古文は難しいと再認識してしまいました。
03.逆流する津波 河川津波のメカニズム・脅威と防災 今村文彦 成山堂書店
津波のメカニズムや性質、特に内陸部への遡上の危険性と被害防止のために何をすべきかについて説明し論じた本。
津波というと、沿岸部での直接的な被害を想定しますが、この本では、特に東日本大震災のときの津波の実例を中心に、津波が河川を逆流して遡上し、河川上は陸上よりも摩擦抵抗が少ないために速い速度でかなり上流まで遡上し(北上川では50km近くまで遡上した例がある)予想外の被害に遭う危険があることを強調しています。沿岸部から陸上を遡上したり、河川上を遡上して堤防を決壊させたり越流して市街地に流れ込んだ津波が建物の隙間に流れが集中したり複数の流れが合流・縮流して速度を上げるという予想外の動きをして(通常は陸上に遡上すると次第に速度は落ちると考える)複雑な流れ、双方向からの流れで避難が困難になる事態も指摘されています(47~51ページ)。さらに、東日本大震災の際には海底のヘドロを削り取り巻き込んだ「黒い津波」が、破壊力が強く(比重が大きいことで津波自体の破壊力が増す)、巻き込まれた人の視界を奪い生還が難しくなる、吸い込んだときに重度の肺炎を引き起こす(津波が収まった後も粉塵となって舞い上がり同様に肺炎を引き起こす)など、被害の拡大につながったことも指摘されています(52~54ページ)。
津波に襲われたときの生還には、日頃の備え(現実的で有効な避難場所や避難経路の検討等)、臨機応変で柔軟な判断力と行動力が重要になります。言うは…言うだけでも難しそうですが、実例を示して言われると、被災例も多々あり悲しいところですが、考えておかないと、と思いました。
02.僕はロボットごしの君に恋をする 山田悠介 河出文庫
AIロボット研究所に勤務して人間と見分けが付かない精巧な人型ロボットを遠隔操作してパトロールし警備する業務に就いている大沢健が、研究所のエリート研究員天野陽一郎の妹の咲に恋愛感情を抱き、業務を装って人型ロボットを佐藤と名乗らせて咲に近づき、ロボット越しに会話をして疑似デートを楽しむが、次第に咲がロボットと知らずに「佐藤」に恋心を抱き、大沢は佐藤に嫉妬し始めて悩み…というSF的青春小説。
前半、容姿にも体力にも恵まれない大沢健が、ルックスも良く作られ怪力で不死身のロボットを操作して、規則に反して様々なことにロボットを使って得意になるようすは、デジャブ感があります。何だろうと考えてみると、ドラえもんにおねだりして魔法のようなおもちゃを出してもらい得意になって振り回すのび太ですね、これ。それが、のび太の場合のような微笑ましさを感じさせないのは、大沢健が28歳の社会人だから。子どもがやるのなら許せるけれども、大人になってこれでは許されないし、見ていてむしろ不愉快に思えます。ロボットや未来の機械でなくても、何らかの権限を手にすると自分勝手に振り回したくなるプチ権力者(もちろん大人)が世の中には少なくありませんが、そういう存在の醜さをも象徴しているのなら、あっぱれと思いますが。
後半は、ロボットが恋愛感情を抱けるか、ロボットに恋愛感情を抱かせることが、技術的倫理的にできるかというある種哲学的な問題がテーマになります。
第2章(「プログラム2」)から第6章(「プログラム6」)の冒頭にメインストーリーとは別立てのほのめかし的な短い文章が入っていますが、これは、ない方がいいんじゃないかなぁって思いました。もうひとつひねりを用意しているからそこは見せておいていいという判断なのでしょうけど、それなしで第6章で一気に展開した方がダイナミックだと思います。
01.魔眼の匣の殺人 今村昌弘 東京創元社
「屍人荘の殺人」の続編で、屍人荘の殺人の3か月後、明智恭介亡き後ミステリ愛好会会長を引き継いだ葉村譲と奇怪な事件を引き寄せる体質を持ち数々の謎の事件を解決してきた剣崎比留子が、娑可安湖畔事件(屍人荘の殺人)の鍵を握る秘密組織「班目機関」を追ううちに班目機関の超能力研究所の存在を知り、山奥の真雁地区にある「魔眼の匣」と呼ばれる建物にたどり着いたが、これまで予言を外したことがないというサキミが「11月最後の2日間に、真雁で男女が2人ずつ、4人死ぬ」と予言していることを知らされ、その後他地域との唯一の通路の橋が燃え落ちて11人の男女が魔眼の匣に取り残され…というミステリー。
屍人荘の殺人と同様、設定には無理があり、ややわざとらしくクセのある言い回しも気になりますが、それに慣れてしまえば、謎解きの誠実さ丹念さ、最後までひねろうというサービス精神に感心します。
この作品でも班目機関の現在の活動に関する情報は得られなかったとした上で、最後に数か月後にまた事件が起こることに言及して続編を予告しています。葉村が大学1回生、剣崎が2回生という設定も考えると、数か月おきに事件が起こるなら、剣崎の大学卒業までに10巻くらい行けてしまいますが、作者はそこまで続けるつもりなんでしょうか。
**_****_**