庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2021年3月

23.鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。 川上和人 新潮文庫
 森林総合研究所の研究員の著者が、小笠原諸島の無人島などでの野外調査や標本調査その他の調査研究や鳥類学の知識について書いたエッセイ集。
 無人島の調査、火山の噴火で溶岩が流入してできた既存の生物がいない地域の調査についての説明が、いちばん興味深く読めました。調査の困難さがわかり、学者の執念、好奇心と功名心が感じられます。
 外来種のガビチョウが日本の森林で野生化したのを知り競合するのはウグイスだと睨んで「ガビチョウは若干目つきが悪く顔が恐い。そんな鳥が日本のソウルバードに悪影響を与える可能性がある。これは由々しき事態だ。私はこのことを強く訴えて研究費をいただき、マスコミを通して勧善懲悪的な普及啓発を行った。『日本の在来種に悪影響を与える外来鳥類を許してはならない!』」(176ページ)って。いや、あなた、ウグイス、嫌いじゃなかったか?「3 最近ウグイスが気にくわない」ってタイトルで「私はウグイスと仲が悪い」って書いてるんだが(35ページ)。研究費のためならそこは関係なくなるのか、全然説明がない…
 研究発表の会議の効用について、未発表の最新成果や調査時の工夫など論文のみでは得られない情報に触れられる、他分野の研究に触れることで新たなアイディアが得られることが挙げられています(221ページ)。さまざまな人が集まって議論する機会には、同じように通じるものがあります。「よく聞くとツッコミどころ満載の発表も少なくない」(222ページ)とも書かれていますが。
 まじめな研究の話ですが、かなりコミカルに書かれていて(ちょっと濃すぎるかも知れませんし、感性によりズレてる、滑ってると感じるかも知れませんが)、親しみやすい本になっています。サブカルの引用が多数なされていて、ドラえもんとルパン3世は多数回明示的に引用されています。解説で著者の愛読者はと思いながら読み進めていたら終盤に入りその答が記されていた、アイドルはナウシカでしたかとされている(277ページ)のですが、この本は、「小学生時代に『風の谷のナウシカ』に感動し」(250ページ)に至る前に、「青き衣をまとって金色の野に降り立ってくれれば見つけやすいのだが」(48ページ)でマルセリーノの唄が脳内で響く読者を期待しているのでは?
 もっとも、そういった明示されない引用がどこまでわかるかは、読者の世代とオタク度にかかっていて、私は、「御蔵島のオオミズナギドリは、ドブネズミを背中に乗せて空を飛びイタチのノロイに挑んだ」(207ページ)は、見たときに当然何かのアニメだろうとは思いましたけど、わかりませんでした(「ガンバの冒険」らしい。私は見なかったのでしりません)。

22.聖の青春 大崎善生 角川文庫
 腎臓病を抱えながらプロ棋士となり8段A級まで登り詰めたが膀胱癌がさらに肝臓に転移し29歳で死亡した怪童村山聖の生涯を、「将棋マガジン」編集委員・「将棋世界」編集長だった大崎善生が書き綴ったノンフィクション。
 小6で森安棋聖(9段)に飛車落ちで勝ち(61~62ページ)、13歳にして当時の名人谷川浩司を倒すために今すぐ奨励会に入りたいと言い(70~71ページ)、プロデビュー直後新4段として4戦目で迎えた谷川浩司名人との初戦の角落ち戦で勝つ(177~179ページ:ただし、公式戦では9連敗し、10戦目で初めて勝つ306~308ページ)など、目を引くエピソードに事欠きません。
 「現代日本を読む ノンフィクションの名作・問題作」で、ノンフィクションは事実に基づくものではあるが、やはり「物語」であることが、繰り返し指摘されていました。この作品を読んでいて、基本的なストーリー、エピソードは取材による事実に基づいているとは思いますが、同時にディテイルや登場人物の心理描写はどこまでが事実でどこからが著者の想像・創造なのかを考えさせられました。そして、それはやはり物語としての想像・創造があればこそ、読み物として受け容れやすいのだろうとも。
 天才棋士が主人公でありながら、自分を超える弟子を持ってしまった師匠の生き様、弟子への思いも、読みどころとなっているように思えました。

21.最期の対話をするために 玉置妙憂 株式会社KADOKAWA
 今後、自宅で看取るケースが増えることを指摘し、看取る側の覚悟と心がけを述べた本。
 病院は治療が終わると(これ以上治療ができなくなる、これ以上治療してもよくなる見込みがない)追い出され、緩和ケア病棟(医療用麻薬での疼痛コントロール等)は不足しているため癌とエイズの患者しか入れない上、癌でも余命3ヶ月にならないと入れないのに6か月待ちというケースもあるとかで、否応なく自宅で看取るしかないケースが増え、そもそも病院でも誰も気づかずに誰にも看取られない孤独死もあると指摘されています(18ページ、24~26ページ)。
 自宅でひとりで最期を迎えると不動産会社が嫌がるという問題があると指摘されています(33ページ)。生活の本拠として貸すのだから、そこで借主が死ぬことがあるのは、当然見込んでおくべきリスクだと思います。それを嫌がるのなら事業として貸す資格はないと私は思うのですが、そういった覚悟もなく家を持っているからそれで金儲けをしようという安易な気持ちで人の命よりも儲けしか考えない家主が少なくないのは、大変嘆かわしいことです。「看取りの家」の建設計画が周辺住民の反対で頓挫した(34ページ)とか、何て哀しい人たちだろうと思う。
 死の3か月前から予兆があり、出かけることがなくなりテレビや新聞も見たくなくなる、よく眠るが熟睡ではなく夢をたくさん見る(73ページ)って…まずい、最近の私は、どんなに寝ても寝たりなくて、でも頻尿気味で途中で何度か起きるし、テレビなんて見る気しないし…ほとんど当てはまってる。2か月前は食欲が落ちてやせる、1か月前は血圧や心拍数、呼吸数、体温などが不安定になる、痰が増えてゴロゴロと音がする、数日前は急に体調がよくなり、その後血圧や心拍数、呼吸数、体温などがさらに不安定になり、24時間前あたりから尿が出なくなり下顎呼吸(下顎を上下に動かして呼吸する)が始まり、医者はこれを見ると親族に集まってもらった方がいいと言い、最期には尿と便が一気に出て、目が半開きになり涙が出るのだそうです(72~82ページ)。なんだか、ここだけでも、読んでよかった気がします。
 余命があまりない人との接し方がいろいろと書かれていますが、私には、「人は他者に完全に共感はできない」、「わかり合えるわけないよね」というスタンスで共感する努力をする、それでも1ミリでも近くに寄り添いたいという気持ちを持つ、安易に「わかる」と言うよりは、「ごめんね、わかりたいとは思うけど、わからない」と正直に言った方が相手も理解してくれる(178~181ページ)という説明が、いちばん心に染みました。

20.たたかう免疫 人体vsウィルス 真の主役 NHKスペシャル取材班 講談社
 新型コロナウィルス感染が拡大する中で、ウィルス等と闘う免疫の仕組み、人とウィルスの関係、新型コロナウィルス対策の現状等を取り扱ったNHKスペシャル「人体vsウィルス 驚異の免疫ネットワーク」(2020年7月4日放送)を書籍化した本。
 医療関係者への感染を防ぐために新型コロナウィルス感染による死亡者の病理解剖を避けるべきだという勧告に従わずに、ハンブルグ・エッペンドルフ大学医療センターの医師たちが研究のために病理解剖を続け、その結果、新型コロナウィルス感染による死者には肺血栓塞栓症が多数生じていて、約3割では血栓が直接の死因となっていること、好中球の過剰な自爆攻撃が生じておりこれを防ぐ必要があることなどがわかったことが紹介されています(65~72ページ)。感染のリスクに曝されながら、治療や研究を続ける医療関係者の志には頭が下がります。
 新型コロナウィルスに感染した際に作り出せる抗体の質と量には大きな個人差があること、ロックフェラー大学の研究チームが新型コロナウィルス感染症から回復した患者149名の血漿中の新型コロナウィルスを無力化する能力のある抗体を調べたところ、33%の人は検出限界以下で、他方2人はずば抜けて多かったのだそうです(86~88ページ)。人の個体差は意外と大きいのですね。89ページにはその棒グラフがありますが、149名の患者の比較で棒が60本しかないのはなぜ?(33%が検出限界以下でも100人程度は数値があるはずなんですが…)
 人体のさまざまな活動、仕組みが、ウィルスが免疫の攻撃を防いだりウィルスが細胞に感染するのと似た機序で行われていることが紹介されています(110~116ページ)。胎盤は前者の一例、脳の長期記憶は後者の一例だそうです。生物の進化の過程で、ウィルスとの闘いと共存があったことを物語っていて、生命の神秘と世界の複雑さを改めて感じました。

19.新版 地図で見る東南アジアハンドブック ユーグ・テルトレ 原書房
 東南アジアの歴史、民族・言語・宗教等の多様性、政治、経済、国境等について、地図と統計資料を示しながら解説する本。
 面積(東南アジア:約450万平方キロメートル、ヨーロッパ:約440万平方キロメートル)でも人口(東南アジア:約6億5000万人、ヨーロッパ:約5億1400万人)でもほぼヨーロッパ(EU)に匹敵するのに、中国とインドという大国に挟まれているためか今ひとつ大きく感じられない東南アジアをいろいろな側面から紹介しています。1960年代に言語学者が東南アジア地域とその周辺で168のオーストロアジア語族と1268のオーストロネシア語族を採集したというエピソード(54ページ)には頭がクラクラします。
 インドネシアは、私が子どもの頃は日本と人口がそれほど変わらなかったのに、今や2億6800万人で世界第4位になっているとか、ベトナムはブラジルに次ぐコーヒー豆生産国、インドネシアはコートジヴォワールとガーナに次ぐカカオ豆生産国とか、地理の知識も更新していかないと、どんどん変わっていくのですね。

18.難訳・和英オノマトペ辞典 松本道弘 さくら舎
 日本語のオノマトペ(擬態語・擬音語)の英訳を検討し、その中で日本語の文化や世間の話題、英語文化等を論じた本。
 著者が、同時通訳の経験から、受験英語・教科書英語(著者は「静脈英語 : venous Englsh」と名付ける)ではなく、ネイティヴに通じる現代的な口語の英語(著者は「動脈英語 : arterial English」と呼ぶ)を使えるようにすべきだと、繰り返し述べ、英訳の参考には映画の台詞と字幕が度々引用されています。英語の方の文献では、他に The Economist や Sex and the City もよく引用されていました。
 日本語のオノマトペについても英訳についても語感(例えば、ガ行の音は縄文的な力強さがある:84ページとか。ここで、「『ぐ』という濁音が官能小説に多いことは証明された」って書いてますけど、本当ですか?)が重視されていますが、そこは、日本語でも英語でも共通なんでしょうか。読み物としては面白いけど、相手にはどう伝わるんだろうと考えてしまいます。まあ、言葉、話し言葉というのは、どこまでいってもそういう問題から逃れられないとも言えますが。
 absolutely true は100%、probably true は80%以上、plausible は50%以上70%以下、possibly true は20%以下だとか(167ページ)。やはり、possible はかなり怪しいのですね。かつて、裁判で大企業が科学論文の it may be possible を、「と考えられる」と、まるで著者がその結論を証明したかのように訳してきて、いや、これはそのような可能性もあるかも知れないレベルだろうと反論した覚えがあります。英語のニュアンスって、なかなかわからないところがあるので、この種の説明は興味深いです。

17.リボンの男 山崎ナオコーラ 河出書房新社
 新古書店でアルバイトをしていたが妻の出産を機に退職して主夫となった「妹子」こと小野常雄と、書店店長の小野みどり、2人の子の3歳のタロウの日常生活を描いた小説。
 世間が求める夫婦像や、金になるかでものごとの価値を計ることへの疑問がテーマになっています。
 鳥を見ながら、「つい、カワセミやサギ科の仲間を見ると盛り上がり、カラスやハトには冷たい視線を送ってしまうが、カラスやハトのかわいさも見つけてあげたい」(15ページ)と思う妹子、「相手が大きくて強いからって、何を言ってもかまわない、ってことはないと思うんだよ」(70~71ページ)というみどりのやさしさで成り立っている物語なのだと思います。
 背中の毛が薄くちょっと血がにじんでいるタヌキを見つけて、動物病院に行って、それを話だけして薬を処方してくれという妹子に、獣医は診ていない動物に対して薬を処方できないと拒否します。専門家の立場としては、そうだよねと思う。弁護士やっていると、具体的な事実関係をきちんと話さずに(もちろんそれを裏付けるどういう資料があるかも言わないし見せもせずに)抽象的なことだけ(たぶん、自分に都合のいいことだけ)言って、法的にどうなると聞いてきたり、それこそ自分のことじゃないので具体的な事実関係はわからないけどとか言って聞いてきたりする人が時々いますけど、それできちんとした答ができるはずもありません。それと同じかなと思いました。
 無職の男性とか、SARS以降目の敵にされているハクビシンとか、異端の存在へのやさしい視線にホッとします。

16.彼女のスマホがつながらない 志駕晃 小学館
 パパ活女子大生の殺人事件をめぐるミステリー。
 「スマホを落としただけなのに」シリーズ(もう3作も書かれているとか)の著者でこのタイトルですから、関連作品かと思いましたが、特にスマホや携帯デバイスがポイントになるわけではなく、ふつうのミステリーです。
 パパ活の背景に、莫大な奨学金の負債を抱える学生生活、さらにはその親たちの経済力の低下を示唆し、政府の新型コロナ感染拡大防止対策の貧弱さを指摘しているあたりには、社会派的なニュアンスも感じます。しかし、奨学金に関していえば、確かに(高利ではないですが)単なる金貸し・取立屋になっている日本学生支援機構の姿勢は問題ですが、そもそも給付型(返済不要)の奨学金があまりにも少なく奨学金のほとんどが貸与型(返済義務あり)という制度設計/政治選択こそが批判されるべきであるのにそこには触れず、親たちの経済力の低下も実質賃金が下がり続けている安倍・菅政権下の経済政策の問題には触れずに、政策/税金の使途が高齢者支援に偏っているなどと、政府・財界と庶民ではなく高齢者と若者の対立のように描いてみせるなど、政権の問題に直接斬り込むことを避けているように思え、これが近年は政権批判を躊躇しない「女性セブン」に連載されていた(したがって、読者は政権批判を歓迎している)ことを考えると、むしろ及び腰と思えます。なぜかジャニー喜多川を持ち上げていたり(135~137ページ)、ニッポン放送の関連会社役員という作者の立場が反映されているのかなと感じてしまいます。

15.医学論文査読のお作法 大前憲史 特定非営利活動法人健康医療評価研究機構
 医学論文について、学術雑誌に掲載するに当たって編集者が他の研究者に依頼して行う査読(peer review)の実施のしかたについて解説する本。
 論文の査読については、部外者にはうかがい知れないところがあり、その実情が読み取れるところが興味深く読めました。「一つの論文を精読して評価し査読コメントを書くためには8時間以上もの時間を要する」という記載が何か所かにあります(17~18ページ、28ページ等)。他の研究者が学術雑誌に掲載するつもりで書いた論文を検討して評価する作業というと、私の感覚ではもっとかかるんじゃないかと思っていました。しかし著者が「8時間以上もの時間」という書き方をしているところを見ると、学者の世界では査読に8時間もかかるなんてびっくりということなんでしょうか。むしろ、そちらに驚いたのですが。他方で「査読作業は原則ボランティア」(17ページ)、「多くの場合、査読者に対して何の報酬も支払われない」(18ページ)というのも…まぁ、考えてみたら、マスコミの記者は何時間も取材で話を聞いてもただが当然と思っているのが通常ですから、著名な学術雑誌の編集者もそういう意識なんでしょうね。「トンデモ査読」がけっこうあると著者自身も経験していると書かれています(13ページ)。査読は論文著者よりも格の高い人がするのかと思っていたこともあり、意外に思えましたが、現実にはやはりいろいろピンキリなんでしょうね。
 査読の方法論のところは、自分が査読をするということでなくても、論文の信用性を検討するときに参考になりそうです。ただ、この本では、医学論文に特化しているので、医学研究特有のパターン、研究方法、統計処理の説明が多く、そこは門外漢の私には読んでもわからない部分が多々ありました。

14.はじめての催眠術 漆原正貴 講談社現代新書
 意識的にではなく腕が上がっていくとか両手が開くとか手に持った振り子が指定した方向に揺れるとか、腕が曲がらなくなるとか椅子から立てなくなるとか、ペットボトルが好きになる(手から離したくなくなる)とか自分の名前を忘れるとかの催眠術について、実施のしかたを解説した本。
 催眠術は、かける側に特殊な能力があるということではなく、したがって基本的に誰でもかけることができる、他方でかかりやすい人・かかりにくい人はいて、むしろかけられる側(被験者)の能力(催眠感受性、被暗示性)の問題というのがこの本のスタンスです。著者が自分で実験した結果(サンプル数60名)では、手の降下は78.3%、手の接近は58.3%、腕の不動は50.0%というように体の動きに関係する暗示は反応率が比較的高く、音が聞こえなくなるとか何かが見えなくなるという暗示は10%というように反応率が低い傾向にあるとされています(38ページ)。物事に集中しやすい人は催眠術にかかりやすい、カフェやレストランで隣の人の会話が耳に入ってこない(隣でこんな話をしていたねと同席した人から後で聞かされても全然聞いていなかったのでわからない)ような人がかかりやすい、飲み会で他の人のグラスが空になっていることに気づかないとか考えごとをしていて電車を乗り過ごすことがよくある人がかかりやすいのだそうです(78ページ)。
 催眠術によっても、本人がイヤなことは実現されず(18ページ)、本人が何か変化が起こるという期待があったときに実際にその変化が生じる(22ページ)のだとか。本人の意思に反して、やりたくないことでもやらせることができるというわけではないのですね。それは、安心というか、逆にそれならそれほど面白い技術ということでもないということになってしまいそうですが。

13.カザアナ 森絵都 朝日新聞出版
 平安時代末期、八条院暲子内親王のお抱えの「風穴」と呼ばれた異能の徒、空読、石読、虫読の子孫天野照良(テル)、岩瀬香瑠、虹川すず(鈴虫)の3名が、近未来の日本(「東京五輪の景気効果が肩すかしに終わり」…日本が起死回生をかけた観光革命に打って出て、約15年後:145ページ)で、景勝特区に指定されて家屋を純日本風に維持することを指導され、外国文化が排斥される東京の辺境の町藤寺町に現れ、フリー記者の入谷由阿、その娘の中学生里宇、息子の小学生早久らと絡む小説。
 ドローンカイトによる空からの監視や手首に付けた「MW」認証による行動管理等、行政による個人の行動監視が進み、伝統文化の維持と海外文化の排斥の圧力が強くなった近未来の日本社会の圧迫感・閉塞感の下で、日本政府に抵抗する地下組織ヌートリアがハッキングや鳥を用いたテロ活動を行うが、主人公となる入谷一家は行政の圧力に反感を持ちつつもヌートリアにも共感できずにマイペースで生きるという構図で、日本で急速に進行している監視社会化、国粋・排外傾向を批判的に描きつつも、それと闘うグループも好意的には描かないという立ち位置の作品です。「風穴」の子孫たちも、超能力があり、地域とは利害を持たない少し引いた第三者的な意識で対応していますが、現代にタイムスリップしたのではなく現代に生まれた子孫なので、文化的な断絶があるわけではなく、まったく違う価値観を提示する存在にはなっていません。その意味で平安時代とつなげる意味は、それほど大きくはないように思えます。
 現代日本の、政治・行政に生きぐるしさを覚えつつ、政権交代を積極的に希望していない一般人の意識・感覚を示しているのではありましょうけれど、よそからの超能力者の助力に期待するという方向性を持つというのも、哀しく思えます。

12.表現の自由に守る価値はあるか 松井茂記 有斐閣
 ヘイトスピーチ(の規制)、テロリズム促進的表現(の規制)、リベンジ・ポルノ(の規制)、インターネット上の選挙活動の解禁(しかしまだまだ残る制限)、フェイク・ニュース、「忘れられる権利」の6つのテーマについて、表現の自由(日本国憲法では第21条)との関係でどこまで表現の自由の制約が許されるか、現行法や司法判断が妥当かを論じた本(論文集)。
 いずれの問題についても、著者は表現の自由を守る立場から、規制は必要最小限にとどめるべきであり、現在の法規制や司法判断の多くがあまりに広汎(一般的)な対象について必要以上の規制をしている、そもそも新たな立法前の法律で多くは対応できたのではないか、より緩やかな手段で足りたのではないかと、現在の法規制や司法判断の多くが行き過ぎで、憲法違反ではないかと論じています。
 ある意味では挑発的な、諦め気味のひねたタイトルは、「あとがき」の「ヘイトスピーチ、テロリズム促進表現、リベンジ・ポルノ、フェイク・ニュース、『忘れられる権利』、いずれについても国民の多くは表現の自由の制約を支持している。政府はそういった国民の声に押されて、表現の自由を制約しようとしているものといえる。多くの国民は、これらの表現の自由は、いずれも行き過ぎであり、保護に値しない行為と受け止めているものと思われる」(383ページ)という著者の認識に由来しています。
 歴史的経緯を重視し(忘れず)権力者/政府による人権侵害への警戒心を持ち、政府に価値のある表現とそうでない表現、何が真実で何が虚偽かなどを判断/選別させることを忌避する著者/伝統的な憲法学者の立場と、現実社会での迫害を政府による規制で防ごうとする運動の立場の相違/対立が鮮明に感じられます。弁護士としては、私が若き日(1980年代末から1990年代前半)に日弁連広報室にいて、人権委員会や刑事法系の委員会(前者の立場で政府/権力の横暴を抑制することを目指す)と民暴対策委員会、消費者委員会、女性の権利に関する委員会(後者の立場で政府の政策で現状の是正を図ることを目指す)に挟まれて、これが1つの組織なのかと呆然としたことを思い出します。悩ましい問題ですが。
 アメリカの法制度と司法判断、カナダの最高裁の判決、ヨーロッパのEU指令と裁判所の判断等を紹介した著者の議論は勉強になりましたが、ヘイトスピーチ規制に関して平等権(日本国憲法では第14条)が根拠となり得ないとするところ(47ページ、51~52ページ等)は、アメリカではセクシュアルハラスメントが性差別と位置づけられて禁止されているので職場における女性差別的発言や女性従業員を不快にさせるような性的表現はたとえ表現であっても性差別として禁止の対象となり表現の自由を侵害するものではないと考えられている(44ページ)こととの関連/相違をもう少しきちんと説明して欲しいと思いました。日本では、セクシュアルハラスメントは性的人格権/自由を侵害する不法行為として(あるいは職場環境整備義務違反として)位置づけられて、性差別としては位置づけられず、これを専ら性差別としてその違法性を基礎づけるアメリカの議論はほとんど知られておらず理解されていません。セクシュアルハラスメントが性差別である故に女性差別的発言の禁止が正当化されうるのであれば、ヘイトスピーチ禁止もヘイトスピーチを差別と位置づけて平等権から正当化する余地がないのか、それが可能と考えるにしても、無理だと考えるにしても、差別と差別是正/差別禁止をめぐる歴史をひもといた考察を読みたいところです。

11.たおやかに輪をえがいて 窪美澄 中央公論新社
 飲料メーカーの課長の夫俊太郎と大学2年生の娘萌と暮らし、ホームセンターでパートタイマーとして働く52歳の酒井絵里子が、夫の風俗通いの疑いを持ち、夫にも親族にも勤務先の同僚や友人にも相談できずに悶々としていたが、同窓会で大胆にイメージチェンジをしていた旧友内藤詩織と会いその仕事や私生活に驚き知らなかった世界を知って行く中で考えと態度を改めて行き…という展開を見せる小説。
 52歳で自分を見つめ直し、新たなスタートを切れる、現実世界でそのような条件がどの程度満たされうるのか、疑問も問題もあるとは思いますが、そういうことを考えに入れることができるだけでも、人生と日常生活に張りが出そうです。そういう読者ニーズに合わせたものではありましょうけれど、背中を押してくれる、少し元気が出そうな(夫側で読むと萎れそうですけど)作品です。

10.あのこは貴族 山内マリコ 集英社
 渋谷区松濤の豪邸に住む開業医の末娘として生まれ、カトリック系の名門女子校を出て、豪商の名家に生まれた慶応内部生出の企業法務弁護士の青木幸一郎と結婚する榛原華子と、地方小都市出身で慶応大学に入学したものの親からの仕送りがストップしてドロップアウトし水商売からなんとか東京で職を得て生き抜いている時岡美紀が、青木幸一郎をめぐって邂逅し交流するという小説。
 一見階級差がないように見える日本社会が、実は厳然たる階級社会で東京の上層はその中で、地方出身者はその中で、互いに近い生まれの者としか交わらず出会わないという状況を描いています。
 その階級/グループを超えて邂逅した華子/逸子と美紀が、近松門左衛門の「心中天網島」を題材に、女同士の義理を語り、女同士を分断する社会と価値観、女同士を分断して闘わせる男を批判する下りが、この作品の真骨頂に思えます。
 映画の方を先に見たのですが、映画はそこが薄められ、美紀の格好良さ/魅力を損ねているように思えました。原作の方がテーマが明確だし、美紀がカッコいいと感じました。

09.専門医が教える声が出にくくなったら読む本 渡邊雄介 あさ出版
 声の不調の原因や治療法、音声障害の専門医の探し方などを説明した本。
 喉の不調を治す上で止めるべき9つの習慣というのが書かれています(170~180ページ)。タバコを吸う、過度な飲酒、咳払いするクセ、頻繁に裏声を使うはいいとして、早口でしゃべる、甘いものや脂肪分の多いものを食べ過ぎる、しゃべりすぎるは止められそうにありません。「体の血のめぐりが悪い」は改善法として上半身を少し上げて寝る、「口呼吸をしている」は改善法としてマスクをしたまま寝るか口に絆創膏を貼って寝るって…ますますできそうにない。
 声帯の手術方法がいくつか紹介されています。声帯を手術すると声の高さを好きなように変えられるんですね(102~110ページ)。手術で声紋を変えて完全犯罪とか…

07.08.ミレニアム5 復讐の炎を吐く女 上下 ダヴィド・ラーゲルクランツ 早川書房
 2005年から2007年にかけて話題を巻き起こした3部作を作者の死後別の作者が引き継いだ後の第2作。
 第4巻で命を狙われた少年アウグストを救うためにした行為が罪に問われ、短期間刑事施設に収容されたリスベット・サランデルが、後見人の老弁護士ホルゲル・パルムグレンの面会をきっかけに自らの幼少期のことを思い出して刑事施設のパソコンを乗っ取って調査を始め、国の研究機関による双生児研究の秘密に迫り、他方で刑事施設内で虐待されていたバングラデシュ出身の少女ファリア・カジを助けたことから刑事施設を牛耳っていたボス女囚ベニート・アンデションとイスラム原理主義者に追われるハメになるという展開を見せます。
 女性に対する差別と虐待の告発、国家的陰謀との対峙という前3部作のテーマを、イスラム原理主義者による女性虐待との対決、ナチスばりの優生思想に染まったスウェーデンの学者・研究者たちの独善的な研究の遂行とその隠蔽という設定で書き抜くスタンスは、新作者へのわだかまりを持つ前3部作からの読者にも相当アピールできたものと思われます。
 また、リスベット・サランデルのエピソード0の追求も、前3部作からの読者への訴求力があったと思います。その伴奏にもなるレオとダンの物語が冗長感がありましたけど。
 唐突にミカエル・ブルムクヴィストの「元恋人」として登場するマーリン・フルーデのとってつけた的な都合のよさと、それなりの重みを持たせている設定のはずなのにその軽さは、ちょっと違和感を持ちますが、まぁ前3部作からミカエル・ブルムクヴィストも含めて下半身方面の軽さはこの作品の真骨頂とも考えられますので、それはそういうものかと。
 でも、タイトルの起源の雑誌「ミレニアム」は作品の中ではもうどうでもいい位置づけになっていますね。

06.お墓の建て方・祀り方、墓じまいまで 主婦の友社編 主婦の友社
 墓地の種類と選び方、墓石の基本と建て方、納骨堂・樹木葬・散骨・手元供養、法要と祀り方、お墓の承継・改葬・墓じまいなどについて説明した本。
 民営墓地を選ぶときは必ず現地に行って確かめる、「重要な内容ほど、こまかい文字で書かれていることもあるので、書類のすみずみまで、しっかりと目を通しておくことがたいせつです」(48ページ)などと説明し、石材店を選ぶのも実際に店に足を運んで確かめることがよい判断につながるでしょう、仕事に自信を持っているか、石材やお墓についての知識は広いかなど、話しているうちに伝わってくることも多いはず、何軒かたずね比較することも重要(84ページ)としてチェックポイントも挙げています(85ページ)。素人/消費者が業者と契約するのには、そういった心がけ/注意が必要なことはそのとおりだと思います。ただ、この本を読んでいると、民間墓地業者と石材店に厳しく、まぁ問題がある業者も多いということでしょうけど、他方において、お寺にはずいぶんと甘くて、自分から気をつかって心付けをするように、相場がわからなければ「皆さんと同じようにさせていただきたいのですが、皆さんはどうなさっていますか」と聞け(43ページ)と書かれています。お寺に睨まれたら大変だ、めんどうだということでしょうけど、強い者には巻かれろ/媚びろと言われているような気がします。
 「永代供養」墓って、一定期間(33回忌までとか)過ぎたら遺骨・遺灰は合祀されてしまうのが大半なんですね。そういうのを「永代」という名前を付けて売るの消費者のミスリーディングを狙ってるとしか思えないんですが。
 あまり突っ込んでいない入門的な本ですが、ふだん気にしないことがいろいろ書かれていてためになりました。

05.101歳。ひとり暮らしの心得 吉沢久子 中公文庫
 歳をとっても快適に暮らす秘訣や心得を語るエッセイ集。
 2冊の単行本(「100歳になっても!これからもっと幸せなひとり暮らし」2015年10月KADOKAWA、「100歳の100の知恵」2018年4月中央公論新社)を編集したもののためか、ダブりや体裁のバラバラ感があります。
 歳をとることでできなくなることを受け容れ愚痴らない、自分ができないことが増えていくことを知ることでできることの量も一人一人違うのだと理解できる(他人ができないことに寛容になれる…といいね)、体の不具合や病気に対しても好奇心を持つなど、老化を受け容れて前向きに捉えていくこと、無理をしないことが、繰り返し語られていて、当たり前のことではありますが、歳をとって生きていくということはそういうことなのだなぁと納得します。
 もっとも、怠けているとどんどん動けなくなるから少しぐらい無理しても動けとも書かれていますが(130~131ページ)。
 「60代はまだ十分に元気なのですから、これからの自分自身の生き方を考える時期だと今にしても思います」(217ページ)という101歳の方のお言葉を、61歳になった者として、噛みしめておきたいと思いました。

04.フェルメール最後の真実 秦新二、成田睦子 文春文庫
 オランダの風俗画家フェルメールの現存する作品(と推定されているものを含む)37点の解説と、フェルメールの絵を外国に/日本に持ち込ませるためのキーパースンとフェルメールの絵を売りにした展覧会実施のための苦労話を書いた本。
 本の内容としては後者(フェルメール展実現の難しさ)に重点が置かれていて、フェルメールの絵を楽しみたい読者には、一応ひととおりの図版と解説はそろっていますが図版の画質は悪いとまでは言えないものの光沢紙ではないので十分とは言えず、絵の解説も突っ込んだものはないので物足りなさがあるでしょう。
 展覧会を企画実施する側の苦労は大変なんでしょうけれども、現実に行われて「成功」した展覧会は、特に東京のものは見る側からは人が多すぎてよく見えなかったりゆっくり見れないことになります。著者が苦労して実現した2008年のフェルメールを7点も集めた展覧会「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」、私が見たときの感想(こちら)を読み返しましたが…立場の違いは如何ともしがたいところがありますね。

03.性からよむ江戸時代 生活の現場から 沢山美果子 岩波新書
 江戸時代の庶民の性の営み、不貞、出産と堕胎、売買春と私娼の取締等を文献に現れた事例に基づいて解説した本。
 俳人小林一茶が記した「七番日記」の記述によれば52歳で結婚した一茶がその2年後、54歳の時の妻との交合が9日間で30回(14ページ)って…「夜五交」とか6日続けて「三交」でその次の日も「四交」って…54歳ですよ。それも平均寿命が30歳代だった時代に(まぁ、乳幼児死亡率が高かったことが平均寿命を大幅に下げているので、生き残った人の寿命はそれなりに長くなってたのでしょうけど)。著者は「連日連夜の一茶の交合は、子宝を求めての交合といって間違いない」(15ページ)と判断していますので、「精をとぢてもらさず」(養生訓:151~152ページ)でもない。そして、著者はその一茶の交合をふつうのことと受け止めて流して書いています(嘘だろうとも、驚くべきこととも扱っていません)。ここにあまりこだわるのも何ですが、驚きます…え…世間ではこれがふつう?
 寛政の改革期の米沢藩では人口増加政策のため、村役人が結婚を斡旋し、藩で結婚資金を貸与したり、新婚夫婦に家を作るための建築材料を与え、休耕地や耕作が放棄された土地の所有権を与え、3年間年貢を免除し、貧困者には申し出によりおむつ代として最高金1両(現在の価値は、米価を基準とすると約6万円、大工の賃金を基準とすると約35万円だそうな)の手当を出していたことが紹介されています(54~55ページ)。少子化を嘆く現在の政府よりも力を入れた政策がとられていたのですね。行政サービスは本当に昔よりよくなっているのか、まじめに考えてみる必要がありそうです。

02.美しすぎる地学事典 渡邉克晃 秀和システム
 火山の噴火や造山運動、浸食、風化などによって生じた地形の美しい写真を掲載し、その地形が生まれた経緯等を解説する地学への導入テキスト。
 1項目4ページ構成で最初に丸1ページの写真、2ページ半くらいの解説文と半ページくらいの2枚目の写真が掲載されています。
 美しい写真はその対象への関心を引き寄せ、地学という学問への夢を感じさせてくれます。74ページに透き通る緑色のカンラン岩の写真が掲載されていて、地殻の下の上部マントルはこのカンラン岩でできていると言われると、何か地球という星への親しみや敬虔な気持ちが生じます。
 世界一深い湖として知られるバイカル湖がプレート境界にあり中央海嶺のような裂け目のために3000万年前から湖であり続けているとか、湖底に熱水噴出口がある(107~109ページ)というのも、興味深い話です。
 私は、高校生時代に地学に興味を持ち、その道に進もうかなぁと考えていた時期がありましたが、将来の職業像が見えにくくなって、それもあって文転したのですが、こういう美しい地学事典を作る人がどういうキャリアを経てきたのかを見ると、原子力安全基盤機構(JNES)や原子力規制委員会で高レベル放射性廃棄物の処分という「鉱物学者が社会貢献できる素晴らしい研究テーマ」に取り組んできた(あとがき:213ページ)って…やはり文転してよかったのか…

01.あぶない法哲学 住吉雅美 講談社現代新書
 現存する法体系や法理について疑いの目を持ち現行法が正しいのか必要なのかをいくつかのテーマに沿って論じて見せ、法哲学という領域、思考方法を紹介した本。
 現行法や常識を当然の前提とせず、その正当性を議論することは、思考の幅を拡げ、柔軟性を持つために有意義なものと言えます。
 しかし、純理論的な「頭の体操」であることを忘れてしまうとかえって視野狭窄に陥るリスクも、実はあるものです。例えば、クローン人間の作成について、著者は「生まれ方がどうであれ、生まれた存在を単なる手段として扱わず、その意思の自由を尊重しつつ独立した人格として育ててゆくならば、クローン人間を作成しても構わないのではないか?」と論じています(59ページ)。純然たる理論で見れば、そう言えるかも知れません。でも、こういう議論はやはり学者さんだからできるのだと思います。弁護士にはとてもできません。クローン人間の作成にはいったいどれだけの費用がかかるでしょうか。育てるコスト、労力はどれほどかかるでしょうか。クローン人間の生活や教育を守ってくれる人はどこにいてその人はいったいどのようなモチベーションを持つのでしょうか。セックスの結果として自然に生まれてきて、産んだ者としてその赤子にこだわりや愛情を持ち育てようとする人がふつうにいるふつうに生まれた人間とは違い、クローン人間には作成する人の動機が必ずあるはずですし、他方クローン人間に無条件の愛情を持ち守ろうとする人がふつうにいるとは考えにくいところです。多額のコストをかけてクローン人間を作成する者の動機は、ふつうに考えれば、臓器提供か新薬等の開発の実験材料か、兵士か性奴隷等の、端的に言えば肉体そのものに大きな付加価値がある利用をするためと考えられます。コストをかけて育てて独自の考えや人格を身につけさせて、それを尊重し保護しようなどと考える人が出てくるなど、現実には考えられません。それを純理論的には正当化できる場合があると論じることは、現実にはやましい動機を持つ者、多くの場合は金持ち、権力者の野心を覆い隠し、不当な立法に道を開くことにつながりかねません。
 この本では、権力者が嫌がりそうな論理もそれなりに展開しており、著者に権力者に味方する意図はないと思いますが、この種の議論にはそういうリスクもまたつきまとうことを常に頭に置いていた方がいいと思います。
 法律の知識の重要性を指摘する中で、「過去にグレー金利の金融から金を借り、払う必要のない金を払っていたとしたら、出資法を知らないと過払い金は取り戻せない(別に弁護士事務所の宣伝をしているわけではない)」という記載がなされています(18ページ)。出資法は高金利に刑事罰を科す法律で、これに違反していると「グレー」ではなくてもうアウトです。グレーゾーン金利は、出資法には違反しないが利息制限法違反となる範囲の金利を言い、過払い金を取り戻す根拠法は利息制限法です。出資法を知らなくても過払い金は取り戻せます。本に書くのならそれくらいは調べて書いて欲しいなと思います。
 そういったところ、まぁ面白いのですが、学者さんと弁護士では感覚や思考方法が違うなぁと思います。

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