庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2021年4月

20.労働組合とは何か 木下武男 岩波新書
 ヨーロッパとアメリカで産業別労働組合が誕生し発展した歴史と日本で企業別労働組合や年功序列賃金が生まれた歴史を説明し、日本でも産業別労働組合を創るべきことを論じた本。
 欧米ではさまざまな「職務」に就く労働者の賃金はその熟練度が同等であればどの企業においても職務ごとに基本的に同じ賃金(「職務給」と呼ばれる)が適用され、企業横断的な産業別労働組合が経営側と労働条件を交渉し決定していく仕組みが基本的に確立されています。これに対して、日本では、かつては企業横断的な労働市場があり「渡り職工」と呼ばれる労働者が争議で中心的な役割を果たしていたが、これを嫌った経営側がうち続く大争議での勝利(労働組合側の敗北)を契機に工場委員会と企業内技能養成を進めて労働者を子飼い職工化し年功賃金で企業内に囲い込むという政策を進め、労働市場と労働運動が分断され、企業別労働組合が一般化し産業別労働組合が成長しなかったとされています。
 この本では、日本の労働組合(企業別労働組合)は本当の労働組合ではなかった、これからでも本当の労働組合を創るべきだと主張します。では、そのための戦略はということになりますが、現在の企業別組合が産業別労働組合に成長するということはあり得ないので、企業別組合はそのままで、非正社員、職種が限定されている非年功型正社員、昇給があってもすぐ頭打ちになる弱年功型正社員らの「非年功型労働者」=下層労働者が戦闘的な集団行動で産業別労働組合として成果を勝ち得た関生(全日本建設運輸連帯労働組合関西地区生コン支部)を見習って立ち上がれというのです。立て飢えたる労働者(失うもののない労働者)、関生を見よ/関生に続けというは、アジテーションとしてはいいでしょうし、実現できればいいなとは思います。しかし、巨大企業のセメント会社とゼネコンに挟まれた中小企業が多数を占める生コンの産業構造やストライキが功を奏しやすい労働内容と労働市場等の条件がなくてもそのような闘いができるのか、そして激しい刑事弾圧を受け続ける関生の姿を見てこれに続けと名乗りを上げられるものか、道はあまりに険しいと思わざるを得ません。
 産業別労働組合化の主張は、欧米型の職務給への転換を志向するものですが、果たして日本でこれから職務給への転換がなされた場合に、きちんと最初から生活できるような高賃金とできる(職務給では最初から高賃金でその後の昇給はない)でしょうか。日本ではむしろ日経連が職務給を主唱して拡がらなかった経緯があります。労働側の力量が十分でない状態で、十二分な警戒心を浸透させた上でなく職務給への転換をいうことが、経営側にいいように利用されて単に昇給のない低賃金化へと絡め取られないように十分に注意する必要があると思います。

19.学校、行かなきゃいけないの? これからの不登校ガイド 雨宮処凜 河出書房新社
 「あなたを大切にしてくれない場所にいてはいけない」というメッセージを発しつつ、不登校でかまわないことをさまざまな人の話を使って論じた本。
 著者自身が、10代には絶対に戻りたくない、人生で一番つらかった時はと聞かれたら迷わず中学時代と答える、今私はこの時期に不登校をしなかったことを悔いている、無理に無理を重ねて学校に行き続けたことによってしなくてよかった嫌な思いをしたことを私は今も悔いている、今私はあの頃の自分に「すぐに逃げろ!」と言いたい、いじめから約30年が過ぎ45歳になっても人が怖いし人間不信は消えていない、実家に帰っても決してひとりで外を出歩かない、いじめっ子にもし会ったらと思うとそれだけで目の前が真っ暗になるからだなどと語る「はじめに」(11~26ページ)のアピールが強烈に刺さります。
 世田谷区立桜丘中学校で10年かけて校則をゼロ(小テストはするが定期テストは廃止、宿題もなし、登校時間は自由でチャイムもなし)にしたという元校長の話、赴任直後に朝礼で生徒がざわつくと怒鳴る教師達に「もし生徒がうるさくしても、それは私の話がつまらないせい。だから生徒を怒鳴ることをやめましょう」といったというエピソード(59ページ)、授業中に生徒が寝ることも自由として教師に「授業中に寝ている子どもがいたら、起こさずにそのまま寝かしてあげなさい。もし自分の授業で寝られるのが嫌だったら、起きていたくなるような面白い授業をしなさい」といったというエピソード(66~67ページ)、なんだか力が抜けていいなと思う。区立中学でこういうことができたということが素晴らしいと思います。それはこの本では触れられていませんけど、「中学全共闘」で内申書裁判を闘った人が世田谷区長を務めているという事情と無縁ではないと思いますが。
 学校は以前より管理的になっている、他方で親も踏ん張れないような社会状況になっていて、不登校が増えている、それは2000年頃からそういう傾向が強くなった(105~106ページ)とか(2000年というと、森政権・小泉政権の頃ですね)、今コロナ禍で授業なんかオンラインでやればいいという人が多いがこの国にはパソコンやネット環境がない子もいる、そんな家庭があることの想像もつかない人が「オンラインで」というとき貧しい家庭の子どもたちは排除されている(88~89ページ)とかの指摘にも、なるほどと思います。個人的には、コロナ禍で何でもリモートだオンラインだZoomだという勢力に、とても反発を感じている天邪鬼なもので。
 大人のただの失敗談、その失敗を乗り越えたという自慢じゃなくてただ情けない失敗談を聞きたい(153~159ページ)というのも、そのとおりだなぁと思います。自分が話す側になるのは厳しいですが。

18.世界の美しい地図 MdN編集部編 エムディエムコーポレーション
 主として中世から近世にかけて作成された地図を紹介する本。
 よく言われることではありますが、紀元前2世紀の頃ローマ帝国時代のエジプト・アレクサンドリアで活躍したプトレマイオスが地球が球体であることを前提にそれを地図に表す方法を論じていて(13~14ページ)、その著書は最も古い写本でも13世紀のものしか残っていないためプトレマイオス自身が地図を作ったか否かは定かではありませんが、それでもプトレマイオスの著書を元に作成された世界地図(24~25ページ)を目にして、他方で中世のヨーロッパではキリスト教の原理の下いわゆる「TO図」(平面にアジア・ヨーロッパ・アフリカの3大陸がナイル川・タナイス川(ドン川)・地中海に分割されて描かれる)が作られ続けた(14~15ページ、20~22ページ等)のを見せられると、文明・文化というのは決してまっすぐに進むのではない、過去よりも現在の方が科学的真実に近づいているとは限らない、過去の人たちよりも私たちの方が賢いとは限らないということを改めて実感します。
 掲載されている地図の選択は、編集者の趣味によるものと思われ、著名なものが網羅されているわけではなく、見たこともないものが多数見られて、その点がいいと思います。個人的には、初見ですが、クラース・ヤンス・フィッセルの16~17世紀のオランダをライオンの姿に描写した「レオ・ベルギクス」(121ページ)が一番気に入りました(ちょっと癒やされる)。

17.旅が教えてくれた人生と仕事に役立つ100の気づき 小林希 産業編集センター
 旅作家の著者が、これまでの自分の旅と仕事について綴ったエッセイ。
 「はじめに」にも「おわりに」にも初出などの記載がないので、書き下ろしなのかなと思うのですが、お話がつながっているところもありますが、全然関係ない話に飛んだり、特に中盤はブツブツだったり1~2ページの断片的なものが多く、100にするのに苦しんだのかと感じます。
 スケッチブックを持っての旅(65~66ページ)は、かつて私も憧れていましたし、今どきでも/今どきだからかえって、いい感じに思えます。
 アジアの街角というか貧民街/スラム街で出会う貧しい人たちを見てかわいそう、不幸と思う自分にどこか違和感を持っていたことに、著者が編集者として関与した元新聞社写真記者の本のエピローグの指摘から、自分は自分より不幸な人たちがいるはずと思って不幸を見つけようとしていたのではないか、そういう卑しい心を持っていたと気づかされたというエピソード(70~72ページ)には、ハッとさせられました。

16.夫が知らない家事リスト 野々村友紀子 双葉社
 家事には掃除、洗濯、炊事、育児というような大括りの見えやすいものの他に細々とした雑用が無数にあって終わりがないこと、それを家事を主として受け持たない相手方が理解していないと腹が立つということをアピールする本。
 そういう嫌みを言うために家事を書き出し始めたら止まらなくなって148項目のリストを作って夫に突きつけたら夫は「離婚届突き付けられるより怖かった」と思ったとか(6ページ)。そうでしょうね。こんなにたくさんやってて大変だねと思うよりも、こんなに私は大変なんだと言うために148項目も書き連ねる執念・怨念におののくでしょう。たとえば「洗濯」の中で「洗濯洗剤を買ってきて詰め替える」「柔軟剤を買ってきて詰め替える」「漂白剤を買ってきて詰め替える」が別項目として1つずつカウントされて列挙されていたり、「お風呂場の掃除」の中で「浴槽を洗う」「壁・ドア・鏡・手すりを洗う」「フタを洗う」「洗面器・椅子などを洗う」「床を洗う」「取れるパーツを外して洗う」「排水溝を洗う」「排水溝のフタを洗う」が別項目として1つずつカウントされて列挙されていたりして(14~21ページ)、そういうことを積み重ねて148項目だ211項目だと言われたら、まぁそういうやり方なら211項目といわず、すぐに1000項目にでもできるでしょうから、挙げられた項目の多さよりも、とにかくそうまでして自分は大変だとアピールしたい心理状態なんだな、怒っているんだなということは理解できると受け止めるしかないでしょう。
 料理は「水面下で24時間稼働している家事」「基本的には主婦はいつも頭の片隅で常に献立を考え、足りない物を買う段取りを、自分のその日の行動の流れに取り組みながら動いているのだ」と書かれていて(51ページ)、それはそういう面があると思いますが、文字通りいつも頭の片隅にあるというのも言い過ぎでしょうし、仕事はある程度そういう面があるものではないかとも思います。よくニュートンがリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見したという逸話があるが、それはニュートンがずっと引力・重力のことを考えていてそれがたまたまリンゴが落ちるのを見て頭の中でひらめいたというか整理されたのだという解説がなされます。ニュートンも文字通り四六時中引力のことを思い詰めていたということではなく、疑問に思い時々・思い起こして検討していたのだと思います。弁護士の仕事でも、それぞれの事件の自分と相手の主張、証拠、類似のケースの裁判例などを頭に入れた上で、今ひとつモヤモヤしていたものが、あるとき何かの拍子でいい理屈、いいフレーズが思い浮かんだり、すっと頭の中で整理されることがあります。そういう形で多くの事件について、頭の中で発酵させているというか、おぼろげに潜在的に考えています。他人の指示に機械的に従う肉体労働でない限り、仕事というのはそういう性質をある程度持っているものだと思います。この本の著者は放送作家だということですから、本業では当然いつも頭の片隅で仕事のことを考えているのだと思います。そちらについてはいつも頭の片隅で考えているんだと偉そうに言ったり文句を言ったりはしないでしょう。そこは、家事が楽しくないから、評価してもらえないという怨みを持っているからそう言いたくなるということなのでしょう。
 家事のありよう、現実の対応は夫婦・家庭によりさまざまなところでしょう。著者は「はじめに」では、家事の項目ごとに担当者を決めない、どちらかできる人がやればいいと述べています(8~9ページ)。しかし、使った物は元の場所に戻せというところで、「テーブルやテレビ台の隅とかに、ずーっと置きっぱなしの細かいものがあると、『いつ片づけるねん』とイライラしてしまうのだ。え?住所が決まってるのなら私が帰らせて上げたらいいんじゃない?だと?なんでやねん!それやってもうたら、こっちの“負け”やろ!今後ずっと帰らせるのは、私の役目になるかも知れないのは嫌なんじゃー!」と主張しています(111ページ)。妻がこう考えている場合、夫が妻がやって欲しいと思っていることをやらない心理も同じなんじゃないかと思います。
 と言っても、夫婦関係は理屈を言えば悪化するもの。世の妻の(たぶん)多くは、こういうふうに思い憤懣を募らせているのだ(こういう本を読んで共感しているのだ)と認識する好材料ではありましょう。

15.医者は患者の何をみているか プロ診断医の思考 國松淳和 ちくま新書
 内科医・臨床医である著者が、診断のあり方、診断の際の思考方法などについて論じた本。
 検査をする前の医師の見積もりが重要で、その際にそれぞれの可能性に入れ込まない(1つの可能性に突き進まずにさまざまな可能性を考えておく)方がいい、闇雲に検査をしてもいけない(くも膜下出血のCT検査ですら、くも膜下出血を疑って医師が読影しても見逃すようなくも膜下出血もある。ならば、くも膜下出血の疑いも持たずにとりあえずCT検査をするというようなことをしたらなおさら見逃す)などの説明(14~19ページ)は、なるほどと思います。
 素人とプロの違いについて、素人がネットで調べて思いつくくらいのことはプロはすでに検討済み、プロの思考、視野は素人が見ているものとは広さ、桁が違う、プロと素人の差は圧倒的、草野球と大リーガーくらいの差がおそらくある、プロが本来のパフォーマンスをするためにしている努力は素人に言われなくても平素やっているわけで素人はプロにとってnoisyになるようなことはあまりしないほうがいい(43~54ページ)という著者の言には、別領域ですが、同感することはよくあります。しかし、内心そう感じ、うっとうしいなぁと思っても、ここまではっきり言い切るのは、この著者がよほど自信家で短気なのだなぁとも思ってしまいます。
 診断を向上させるために、自分の経験だけでなく症例報告を多数読み込みそれを元に考えるクセを付ける(198~203ページ:弁護士の場合だと裁判例の雑誌の要旨ではなくて事実認定とそれに基づく評価部分の読み込みと応用思考ですね)、頭の中に師匠の視点と監視を想定する(205~207ページ)などの提言は、別の分野でも使えそうです。
 後半になると、時間圧とか四次元とか説明が観念的になり、独自の世界に入っていく感じでよくわからなくなり、投げ出したくなるのが、残念ですが、いろいろためになる思考方法が語られていたと思います。

14.百人一首うたものがたり 水原紫苑 講談社現代新書
 百人一首のそれぞれの歌を解説し、時代背景や作者の他の歌などを紹介する本。
 歌そのものの解説はごく簡単にして、歌人である著者の感想・感覚が語られていて、そちらの方が読みどころかと思います。かの有名な阿倍仲麻呂の「天の原…」の一首を望郷の歌として紹介することに疑問を示し、妻とHして、いや「妻と優しい営みを交わして眠りに就こうとした時」、妻の寝顔を眺めた後、ふと窓の外の月の光に涙して詠んだ(27ページ)という想像力には感嘆しました。
 選者の藤原定家が、なぜこの歌を採ったのか、この歌の次にこの歌を配したのかについての著者の言及も度々あり、ライバルにはもっといい歌があるのにそれを採っていないなどの指摘に、考えさせられます。
 百人一首には採られなかった歌として紹介されている歌が多数あり、凡河内躬恒の「わが恋はゆくへも知らずはてもなし あふを限りと思うばかりぞ」(71ページ)とか、権中納言匡房の「つねよりもけふの暮るるを惜しむかな いまいくたびの春と知らねば」(159ページ)とか、小説で使ってみたいと思いました。

13.時代を撃つノンフィクション100 佐高信 岩波新書
 著者が、会社国家のタブーへに挑んだ(おわりに:208ページ)ノンフィクション100冊を紹介した本。
 おわりにで、「あまり知られていないけれどもドキドキするような作品を選んだつもりである」と述べられている(208ページ)からいいのかも知れませんが、100冊のうち4冊しか読んでない (-_-;)
 採り上げた作品またはその著者の紹介が半分くらいで、その話に絡めた著者自身の経験や意見が半分くらいという感じです。
 「田中角栄」では、「ロッキード事件の時などには私も田中の金権政治を批判した。しかし、その後、小泉純一郎などが登場し、彼が主要敵とした田中と比較してみた時、ダーティかクリーンかという軸のほかに、ハト派かタカ派かというモノサシで政治家を測らなければならないのではないかと思うようになった」「具体的に言えば、小泉純一郎や安倍晋三が(比較的)クリーンなタカであり、田中角栄がダーティなハトの象徴になる」「たとえば軍人などクリーンなタカの典型と言ってもいいが、それよりはダーティでもハトのほうがいいという視点を得て、私は田中を見直すようになった」(110~111ページ)とか、まぁそうだと思いますけど、岸信介をこの本でも繰り返し批判する著者が、小泉純一郎が出てくるまでハト派かタカ派かというモノサシを重視していなかったのか、大丈夫かと思ってしまいますし、採り上げたノンフィクション自体がどういうものかほとんど紹介されていないように感じます。
 「鞍馬天狗のおじさんは」の嵐寛寿郎が戦時中に前線を巡業して関東軍のエライさんが毎晩のように芸者を抱いて遊んでいるのを見て戦争は完全に負けだと思ったという下り(126ページ:あえて孫引きすると「戦争こんなもんか。“王道楽土”やらゆうて、エライさんは毎晩極楽、春画を眺めて長じゅばん着たのとオメコして。下ッ端の兵隊は雪の進軍、氷の地獄ですわ」。伏せ字にしないとエロサイト認定されるかも)や「米軍ジェット機事故で失った娘と孫よ」で米軍のファントムが住宅地に墜落した際の犠牲者の幼児の今際の際の言葉を紹介し(ここ、目頭が熱くなります)海上自衛隊が米軍兵士の救助を優先して被害者は無視し証拠品も米軍が回収し得て警察には手も触れさせずパイロットはまったくお咎めなしで帰国したことに言及する(158~159ページ)など、軍に対する批判は読んでいて共感します。

12.あなたがはいというから 谷川直子 河出書房新社
 市立病院の院長の娘として生まれ何不自由なく育ち、親の要望に背いて文学部(比較人類学類)に進学し、クラスの懇親会で浴びるほど酒を飲んで気を失い学生寮の部屋まで運んでくれだ飲んだくれの同級生和久井亮と恋仲になるが、和久井がバイトや先輩の研究の手伝いで部屋を空けることが多くなると、和久井の友人で隣の部屋に寄宿する男とデキてしまい、その男とも別れて学生寮を出てアパートに移ってそこへやってくる同級生の男に積極的に告白してつきあい飽きると別れるということを繰り返し、大学を卒業すると医者を婿養子にとって予定どおり院長夫人に収まって、専業主婦としてブランド品を買いあさり優雅な暮らしを続けていた柊瞳子が、作家になった和久井亮の講演会を機に行われたプチ同窓会で和久井と37年ぶりに再会し、自分は半ば強制的に結婚させられた、夫も息子も医師として忙しくて構ってくれない、自分は空っぽなどと不満に思い、和久井に言い寄るという小説。
 恵まれた境遇にあり、和久井と別れたのも自分が今達成したものや打ち込めるものがないのも自業自得というしかないジコチュウの主人公に、還暦を過ぎて、私は空っぽなどと不満を言って自分探しをされても、わがままな金持ちの贅沢な悩みとしか見えず、全然共感できません。どんなに恵まれた生活をしている人にも悩みはあるでしょうし、世の中には自分が一番不幸で大変な思いをしてると思い込んでいる人がたくさんいるのは理解してはいるつもりですげ、それにしても…という読後感です。
 主人公の目からは、冷酷さが前に立ちますが、むしろ和久井亮と、柊進(瞳子の夫)の方に誠実さを感じてしまうのは、私が男だからでしょうか。
 恋愛ものの仕立てですが、作者の意図はむしろ、文学とは何か、文学で何ができるか、というテーマの方にあるように思えます。
 作者が同い年のため、大学入学がキャンディーズが解散した年だとか、東海大に原辰徳がいたとか、学生時代に山口百恵が引退し、ジョン・レノンが銃殺された、「ルビーの指輪」と「恋人よ」が大ヒットしたとか、ノスタルジーを感じます。そういう読み方ができるのは特定の世代だけですけど。

11.ケースブックアメリカ経営史[新版] 安部悦生ほか 有斐閣
 独立後近年に至るまでのアメリカの主要産業とその頂点をなす企業の栄枯盛衰をたどりながら、企業の組織・戦略を紹介し論じた本。
 企業組織のあり方(特に集権的か分権か)、商品・サービスの提供の範囲(多角化か、選択と集中か)、商品のラインナップ(製造の合理化を優先してコストダウン・低価格化を進めるのか、顧客のニーズ・マーケティングを優先して商品・サービスをそろえるか、ハイエンドかローエンドかフルラインかなど)が議論のテーマですが、その点が中心的に書かれているのではなく、大企業の沿革・社史と経営者の伝記を読まされる中にそういう検討分析もあるという感じで、アメリカの「偉大な経営者」にあまり関心がない私には、読むのがなかなかに辛く思えました。
 その中で、J.P.モルガン、アマゾン、アップルに対しては、比較的はっきりと批判がなされています。「富豪の中で、ジョン・ピアポント・モルガンほど、その傲慢さ、尊大さ、エリート主義のゆえに、一般大衆から憎まれ、非難され、怨嗟の的になった人は少ないであろう」(153ページ)、「アップルで『週に80時間働く』という標語があったように、アマゾンも仕事に関して猛烈主義である。採用試験で、ワーク・ライフ・バランスを口にしたものはそれだけで不合格だった」(243ページ)、「従業員は低賃金、配送センターにおいては過酷な労働環境(たとえば12時半に家を出て、帰宅は深夜零時)という状況がある。かつてウォルマートが、最低賃金をも下回る低賃金、健康保険などが与えられない劣悪な労働環境によって社会的批判を浴びていたのと類似した状況である。その後、ウォルマートは若干改善され、同社に対する批判は緩和した感があるが、それに代わってアマゾンの労働環境の酷さがたびたび指摘されるようになった」(253ページ)、アップルにジョブスが復帰した後のアウトソーシング先のアジア企業について「そこでの労働条件は過酷で、09年には自殺者が相次ぎ、大きな社会問題、国際問題となった、また、環境にも負荷をかけすぎていると言われている」(320~321ページ)などの記述は、ダラダラとした社史・経営者の伝記の記述で眠くなったところで目が覚める思いがしました。基本は企業と経営者を持ち上げる本の中でこれらの企業が批判されているのはよほど悪辣だからなのか、特定の執筆者が勇気をふるっているからなのか…

10.まるわかり給与計算の手続きと基本 2021年版 竹内早苗 労務行政
 月次給与と賞与の計算、明細書や関係書類の作成、所得税の源泉徴収・住民税の特別徴収、社会保険料の徴収・計算、年末調整のしかた等について解説した本。
 税金の徴収(所得税源泉徴収、住民税特別徴収)と社会保険料の徴収のためにどれだけ多くの書類作成や注意が必要とされているか、社会保険料に関しては資格取得・喪失・特定年齢に達した達してないで徴収するしないがけっこう複雑に規定され(月次給与は前月分徴収のため前月末日基準、賞与は当月末日基準、資格喪失は退職日の翌日=末日退職ならその月は資格ありで徴収される、年齢は誕生日前日に加算など)1日の違いで扱いが変わるなど、法律の規定というか役所の都合に総務担当者がいかに翻弄されているかがよくわかります。
 給与計算の実務というのは、手引類を見ながら機械的にやっていくしかないのかな、内容を理解した上で頭にたたき込むのは、その分野のプロならともかく、雑学知識として習得するのにはハードルが高すぎるなと思いました。
 基本給の決定基準は作成義務がないから開示要求に応える必要はない(19ページ)、遅刻して所定終業時刻後も残業した場合に当然に遅刻分を差し引いて労働時間を計算する(136~145ページ等。90ページで「完全月給」の場合は不就労控除/欠勤控除をしないと説明しているのですが、計算場面ではそういうケースは想定しないようです)など、使用者に有利に有利にというスタンスが感じられます。労働者側弁護士の価値観からすれば、そう見えるということなんでしょうけど。

09.マリッジカウンセリングブック 吉池安恵 出版芸術社
 心理カウンセラーの著者が、夫婦げんか、浮気、セックスレス、DV等のマリッジカウンセリングの事例を紹介しながら、夫婦の行き違いの原因や解決方法などを論じた本。
 ゲーリー・チャップマンの「愛を伝える五つの言葉」を引用し、どういうときに愛を感じるかを、肯定的な言葉で伝える(褒めたり感謝することを口に出して言う)、無言の献身(不言実行、口先よりも態度)、贈り物(無形のものではなく物が欲しい)、一緒に至福の時を過ごす(物よりも一緒にいることや体験)、肌を触れあう(スキンシップ)を挙げ、自分はどうかということ、そして相手はどうかということを考えるように勧めています(182~194ページ)。他人から自分がされたいことを他人に対して行えという黄金律じゃダメなんですね。自分がされたいことを、相手もされたいと思っているわけじゃないと…
 妻からDVを受けているが子どものためを思うと別れることもできずに耐えているという夫からの相談もある(94~95ページ)というところ、もちろんそれが多数派というわけではなく全体像としては夫からのDVが圧倒的とは思いますが、離婚訴訟では妻側が圧倒的に優位にあることを背景に妻側がかなり横暴な姿勢と主張を示すケースも見られ、そういうこともあるのだろうなと思います。

08.建築家になりたい君へ 隈研吾 河出書房新社
 著者が建築家を目指したきっかけ、学生時代に考え学んだこと、これまでの経験やそこから建築について考えることなどを語った本。
 小学生の頃に丹下健三の国立代々木競技場に憧れて建築家になろうと思った(18~19ページ)著者が、当時とは時代が変わったとは言え、コルビュジエの国立西洋美術館にはガッカリさせられた(25ページ:実は、私も、みなさんが褒める国立西洋美術館の建物、どこがいいのかわからないなぁとかねがね思っていましたけど)とか、高1のとき大阪万博で見た丹下健三のお祭り広場は大きな工場のような退屈で殺風景な空間だった(58ページ)とか思い、安い素材で「低い」とか「小さい」を意識していくというというあたりが、読み物として面白く思えました。
 「プレゼンテーションで一番大事なのは、相手を引き込み、のせてしまうような強力なタマがあることです。それさえあればリスクつぶしは後からいくらでもできます」(91ページ)というのは、忘れがちですが、大切なことだと思います。
 建築家の仕事は、ある意味で相手を説得する仕事ですと、著者は何度か語っています(44~45ページ、200~201ページ等)。クライアントを説得してOKをもらう、近隣の住民に説明して説得する、そういう場では、相手から逃げずに、相手と正面から向きあって、堂々と、正直に説得することが大事だといいます。同じように、依頼者の人生がかかった場で、人を説得することを生業としている者として、そこはそのとおりだなと思います。説得する主な相手が、裁判官なのか、依頼者なのかというところは、弁護士によって、あるいは事件によって変わってくることにもなりますし、その説得のためのテクニックはちょっと違ってくるかも知れませんが。

07.現代アートをたのしむ 人生を豊かに変える5つの扉 原田マハ、髙橋瑞木 祥伝社新書
 元キュレーターの作家と元学芸員で香港のアートセンター館長の2人が、現代アートとその魅力について語った本。
 「現代アートって何?」と題する歴史の話の場面では、そこそこ知っている画家(アーティスト)が登場しますが、個別の紹介になる「ふたりが選ぶ、いま知っておきたいアーティスト」になると、アンディ・ウォーホルしか知らん…私、少なくとも学生の頃は美術好きで美術館にもけっこう通っていた方なんですが…やっぱり「現代アート」は敷居が高い。
 興行側の著者たちが美術館に足を運んで現物を見に来いと誘うのは理解できるものの、特に東京では、美術館は、最近だと1回1900円も取られた挙げ句に、特に新聞社・テレビ局主催・後援だと大宣伝でたくさんの人が押しかけて行列を作り人の頭しか見えなかったりへたすると立ち止まって見てたら注意されたりするような、とても文化の香りがしないところに見えます。平日の午前中と週末の昼前後が最も混雑する、閉館30分前を狙えというご指導(219ページ)はありがたく受け取っておきますが、それで見に行こうと思えるのはよほど気に入った作品に限られると思います。近年の日本の美術展には、何としても見たいと思うような作品はあまり来ないように思えるのですが。
 著者(原田マハ)が、自分は国立近代美術館の熱心なファンだと言って、「騎龍観音」(原田直次郎)、「裸体美人」(萬鐵五郎)、「生々流転」(横山大観)、「第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家達を導く自由の女神」(アンリ・ルソー)を是非見て欲しいと紹介しています(225~226ページ)。国立近代美術館は、私の事務所から歩いて行ける圏内なので時々平日の昼間に時間ができたらぶらりと行っていました(コロナ禍後、予約制になってしまい、面倒に思えて行かなくなりましたが)。「生々流転」以外は常設展でたいてい展示されていますので何度も見ました。ルソーは、他の作品でも植物・樹木の描写が巧みで、私は好んで見ています。「騎龍観音」は少し奇をてらった構図ですが、見惚れます。でも「裸体美人」は何度見てもどこがいいのかわかりません。「現代アート」が、このあたりの作品のことだったら、わかりやすくていいのですが…

06.他者を感じる社会学 差別から考える 好井裕明 ちくまプリマー新書
 差別について、原理的・哲学的な観点からの考察や、著者の経験やこれまでに見た各種の作品を通して考えたことなどを解説し論じた本。
 他者をカテゴリーに当てはめるという日常的な認識自体が差別を必然的に生じさせかねない、つまり自分が差別をするということは、常時「あり得る」という認識が度々語られます。差別など自分とは関係ない、別世界のこと、他人事と捉えるべきでないという主張は、わかるのですが、同時に、誰もが差別をしかねないという認識が、確信犯的な差別、悪質な差別を相対化してしまいかねないというリスクもまたあるような気がします。もちろん、著者にはそういう意図はないでしょうけれども、人間、自分もまたやりかねないと思う行為に対しては甘く(寛容に)なるという面はあると思うのですが。
 ネット(スマホ)でのやりとりについて、匿名性が相手を傷つける行為を成立させる大きな要因であるというだけでなく、やりとりの速度に慣れていくうちに向こう側に人間がいること、自分と同じ人間がいることを忘れて機械(スマホ)を通したやりとりに没入していることが、他者を差別し排除できることにつながりやすいという指摘が「はじめに」にあり、そちらにハッと引きつけられました。つかみが結局はいちばん頭に残るというのは、ビジネス書の類いではよくあることですが。

05.女であるだけで ソル・ケー・モオ 国書刊行会
 父親に売られたメキシコ先住民ツォツィル族出身の娘オノリーナが、オノリーナを買った夫フロレンシオから激しい暴行を受け、さらには夫に金を払った夫の友人との性交を強要された挙げ句に夫を殺して懲役20年の刑を受けるが、薄給の人権委員会で働く若き弁護士デリアが恩赦を求めて奔走し…という展開の小説。
 カバーの見返しでは「史上初のマヤ語先住民女性作家として国際的脚光を浴びるソル・ケー・モオによる『社会的正義』をテーマに、ツォツィル族先住民女性の夫殺しと恩赦を、法廷劇的手法で描いた、《世界文学》志向の新しいラテンアメリカ文学×フェミニズム小説」と紹介されているのですが、法廷のシーンはありません。デリアと検察官、裁判官とのやりとりの台詞はあっても、それは法廷でというよりも法廷外でのやりとりのようですし、証人尋問の場面もありません。「法廷劇」と言われれば、ふつうは証人尋問や被告人質問をはじめとする法廷シーンがあり、緊迫感のあるやりとりを期待するはずで、そこはちょっと出版社の姿勢を疑います。
 虐待を受けた先住民女性を救い出すために、若い女性弁護士が頼まれもしないのに報道を見て弁護を買って出て弁護士費用も取らずに(まぁ本人からは取れないでしょうけど)持ち出しで献身的に活動するのに、本人からはさして感謝もされません。出所したらしばらく自宅に住まわせるというのも何か当然のように受け止められています。弁護士に対する高い期待があると受け止めるべきなのでしょうけれども、こういうのを読むと、弁護士というのは実に報われない存在だなと、暗い気持ちになります。

04.震災風俗嬢 小野一光 集英社文庫
 東日本大震災後、早期に営業を再開した性風俗店に勤める風俗嬢や、震災のために勤め始めた風俗嬢へのインタビューにより、震災が人々の意識と生活に与えた影響を考察した本。
 男性の場合、弱音を吐くな、人前で弱みを見せるなと言われて育つことが多いため、震災で地震や家族が被害に遭っても、避難誘導や救助活動で悲惨な光景を目にしても、それで強い衝撃を受けても、それを人に素直に話せないということは、ありそうなことで、そういう日頃人に言えずにいることを、肌を合わせ、そして日常生活で会うことはない風俗嬢にだけ、漏らす、愚痴るということもありそうなことではあります。そういう意味で、被災者の本音を風俗嬢へのインタビューで知るという方法はあるのかも知れません。しかし、取材者としてインタビューを生業とする者であれば、そういう相手でも話させるのが仕事であり技であり、正面から直接聞いても話は取れるはずじゃないかと思います。風俗嬢経由では、話は伝聞で不正確になるでしょうし、具体性を欠き、もっと聞きたいというところも確かめようがありません。そこは、方法論としては、やはり無理というか限界があり、著者が風俗嬢インタビューが得意というか好きだからそうしたという方が素直だと思います。
 風俗嬢自身の経験の部分は、直接のインタビューですが、人数が少ないこと、その後も仕事を続けている人で、インタビューに応じてくれた人の話ということでの偏りがあると考えられ、ごく少数の個人的な経験として、そういうこともあるんだという読み方をすべきでしょう。
 どうしても抽象的な話の断片にはなるのですが、いくつかの断片が組み合わさることで、震災による被害、人の生活や人間関係への影響には、いろいろなことがあり、頭では想像しきれないなぁということは、感じられました。

03.記者のための裁判記録閲覧ハンドブック ほんとうの裁判公開プロジェクト 公益財団法人新聞通信調査会
 刑事裁判及び民事裁判の記録閲覧の法規定と実情、閲覧のためのノウハウ等を説明した本。
 実際に記者が(取材とは言わずに)刑事確定記録の閲覧を申し込み、検察からほぼ機械的に求められる「関係者の身上・経歴等に関する部分を除く」の記載を拒否して全部不許可の決定をされ、裁判所に準抗告して閲覧を勝ち取った経験の報告(10~31ページ)がいちばん読みでがあります。
 執筆者らは、憲法と法律の規定の原則、そしてアメリカとの違いなどを挙げて、日本の裁判所・検察庁の運用を強く非難しています。私も、日本の裁判に関しての個人情報の扱いは、ちょっとやり過ぎに感じてはいます。しかし、アメリカの情報公開は、裁判手続の中でも相手方に手持ち証拠を開示させるディスカバリーなどの制度の存在と運用や、適正手続が重視される裁判観などの背景の下でなされているのだと思います。そこだけ取り出してもなぁという思いもないではなく、制度運用はそれぞれの国の社会情勢と切り離しては論じられないところがあります。日本では、いまだに、「裁判沙汰」「訴訟沙汰」などと言われ、裁判を起こすことや裁判の当事者になること自体が恥であるような価値観が幅をきかせています。この本で、東京地裁での民事訴訟の情報について「J-SCREEN」がデータベースを作り当事者名を検索できると紹介しています(79~80ページ)。記者である執筆者は、この会社が何のためにそういうデータベースを作っているか、まさか知らないのでしょうか。この会社のサイトのトップページ(こちら)にもこの会社のサービスとして「採用調査」が上げられ、「東京都民事訴訟」のサービスにも使用目的として " employee vetting " (採用調査、身元調査)が明記されています。裁判を起こすような輩は採用しないという企業がそれを選別するためのサービスとして、裁判所が受付と法廷前で開示している裁判当事者情報をデータベース化しているのです。被差別部落出身者の採用差別を目的として作成された「地名総監」を今発行することは許されないでしょう。被差別部落の出身者と、裁判を起こす人というのは意味合いもレベルも違うかも知れません。しかし、これもある意味で思想差別なのではないでしょうか。私には、こういうことをする会社があるのでは、またそのようなニーズを持つ企業が多数ある状況では、裁判所が裁判当事者の個人情報の公開に非常にナーバスになるのも致し方ないようにも思えてしまいます。こういう会社の存在を肯定的に紹介し利用を促すようなセンスの記者に、裁判所の姿勢を非難されると、先にも述べたように、私自身、今の裁判所の扱いはやり過ぎだと感じてはいるのですが、今ひとつ心情的には反発を感じます。
 巻末に、執筆者の1人が、検察が関係者の身上経歴関係を墨塗して開示したのに対して最高裁に特別抗告までして争った際の特別抗告申立書が全文掲載されています(資料8~29ページ)。流し読みしてみましたけど、言っていること自体はおかしいことを言っているわけではなくわかるのですが、くどくて長い、と感じました。裁判官を説得するという観点からはもっと短く煮詰めるべきだろうと感じました。もっとも全文掲載までするくらいだから、これで勝ったのか、まさかと思いましたが、最高裁は三行半で棄却しています(資料32ページ)。ただ、考えてみると、字数としては裁判所用書式(1行37字26行)に換算して25枚半です(インデントがないので実質は27枚程度かも)。私は、上告理由書、上告受理申立て理由書は、基本的には20枚未満にするようにはしていますが、25枚程度になることもときにはあります。他人が書いた文書を読まされる側には、25枚半ってこんなにも読むのが苦痛で冗長に感じられるのかと、改めて反省しました。

02.実務家のための労務相談 民法で読み解く 野田進、鹿野菜穂子、吉永一行編 有斐閣
 労働事件でよく問題となる論点について、民法の原則と労働法での修正(特則)を比較し、関連する判例・裁判例(ところどころで用語法が違うところもありますが、原則として最高裁の判決、さらに限定すると「最高裁判所民事判例集(民集)」に掲載されているものが「判例」、その他の判決、特に下級審判決は「裁判例」)を解説した本。
 実際に適用されるのは労働法なので、民法ではどうだという議論をしても実務的にはそれほど実益があるわけでもなくて、ましてや民法の条文の順番に並べるというこの本のコンセプトは、民法学者さんの自己満足という印象があります。それでも、日頃あまり意識しない民法の規定との比較をすること自体は、頭の整理にはなりますし、通常とは違う順番でものごとを見るのも、少し新鮮な気持ちにはなりますので、労働事件慣れしている弁護士にも一読の価値はありそうです。
 判例・裁判例の紹介がそれなりになされているので、知識・記憶の再確認にも役立ちます。判例・裁判例をどこまで紹介するかについては、執筆者によってレベルというか深さがまちまちですし、どの判決を紹介しどの判決に触れないかが、執筆者により(労働者側弁護士か、使用者側弁護士か、学者か)バイアスが感じられます。裁判例の傾向について、自分とは違う見方があることは、意識しておいた方がいいとは思いますが。
 少年(18歳未満)について法定労働時間(1週40時間、1日8時間)を超える定めは無効となり無効部分は労基法が適用される、その時賃金部分の定めは無効にはならないという説明がなされて橘屋事件・大阪地裁昭和40年5月22日判決が引用されています(44ページ)。これ、要するに、例えば1日の所定労働時間10時間で日当1万円という契約の場合に、8時間を超える所定労働時間が無効になって労基法どおり8時間となるが日当は1万円のままという意味なんですが、それは成人労働者の場合も同じです。書いていることだけを見たら(少年についてそうなること自体は)間違いではないんですが、読んでいると成人労働者は違うように錯覚しかねません。こういう解説を書かれると、この人わかってるのかなと不安になります。
 任意法規(契約で別の定めをすれば法律の規定と異なる扱いができる)と強行法規(契約で法律と別の定めをしても無効で、法律の規定どおりに扱わなければならない)の説明で、時間外・休日割増賃金や休憩時間について労基法の規定が適用されない「管理監督者」を定める労基法41条2号について「当然ながら強行法規となります」と説明されています(84ページ)。そうでしょうか。労基法上の「管理監督者」に当たる場合でも使用者がその労働者に対して時間外・休日割増賃金を払うのは自由です。だから労基法41条2号が強行法規と考えるのではなくて時間外・休日割増賃金や休憩時間を定める労基法37条、34条等が強行法規だから自由に適用除外できない、法律が定める例外でないと適用できないということと考えるのが自然だと思います。
 「民法96条2項は、第三者による詐欺の場合、相手方が善意・無過失であれば、意思表示は取り消すことができないとされ、同条3項では、第三者による詐欺による意思表示の取消しは善意・無過失の第三者に対抗できないと規定しています。」と記載されています(96ページ)、これも、それ自体は間違いでないとしても、こう書くと、まるで相手方による詐欺を理由とした取消なら善意・無過失の第三者に対抗できるかのようにも読めます。こういう説明の文書を書くときに、そういうことが気にならないのか、ちゃんとわかってるのかなと疑問に感じます。
 大学教員の就労請求権について、就労請求権ではなく、労働契約上の付随義務として図書館の利用の請求権だけ認めた判決が1つあるに過ぎないかのような説明がなされています(154~155ページ)。学校法人共栄学園(鈴鹿国際大学)事件・最高裁平成19年7月13日第二小法廷判決が「何ら業務上の必要性がないにもかかわらず、教授として最も基本的な職責である教授会への出席及び教育諸活動を停止する旨の業務命令」について、業務命令の無効確認を求める訴えを適法として、確認の利益を認めたことは、実質的には就労請求権があると考えているとも評価できますし、この最高裁判決についての判例時報の解説は、学説上「一般論として、大学教授が就労請求権を有するか否かについては、これを肯定する見解がむしろ多数であるように見受けられる。」とし(判例時報1982号156ページ第4段)、下級審裁判例についても「大学教授の就労請求権を一般的に肯定するものが多数を占めている」(同157ページ第1段)と紹介しています。私は、大学教員については、近年は就労請求権を認める潮流がだいぶはっきりしてきていると評価しているのですが。

01.腸すっきり!スーパー快便力 山名哲郎 主婦の友社
 便秘と便漏れを治す方法について説明した本。
 よりよいトイレ習慣として、「考える人」のポーズで排便する(洋式トイレに座り前傾姿勢で両肘を太腿の上に置き踵を上げる:49ページ。考える人はそういうポーズじゃないように思えますが…)、腹式呼吸で、いきまないということを勧めています(47~50ページ)。便秘の人は、「スッキリするまで」「便を出し切るまで」トイレにこもってはいけない、便が出なくても3分をめやすに諦めろ、そうでないとうっ血して痔になるとか、悪くすると心筋梗塞などを引き起こすとかも、書かれています。
 便失禁の治療法として、体内に心臓のペースメーカーと同じ形の装置を埋め込みリード線を介して仙骨神経に微弱な電気刺激を与えて便失禁を改善させる「仙骨神経刺激療法」が紹介されています(120~123ページ)。電流の強さは医師が調節し患者がリモコンで調整操作するとか。体内に機械を埋め込むということが命の危険までは行かないQOL改善目的で行われる時代なんですね。それが可能なら刺激する場所を変えて、バイアグラいらずなんて手術、それもリモコンで自由自在なんてことになったら、需要はかなり多いと思うのですが。

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