私の読書日記 2021年8月
15.青春とは、 姫野カオルコ 文藝春秋
昭和33年生まれで現在は東京に住むスポーツジムのインストラクターの乾明子が、シェアハウスの自分の部屋を掃除していて見つけた昔のものを見て滋賀県の公立高校時代の想い出にふけるという設定の短編連作。
現在の方は、話がカタツムリもビックリなほど進まず、この現在の設定は何のためにあったのかと思いました。
海原雄山もかくやと思わせる(作者、これ美味しんぼからイメージしたんでしょうね)厳しいというか身勝手な父親の支配下にあったという点はさておき、作者の1学年下で大阪の公立高校で過ごした私には、関西弁の感覚、当時の流行や世相が、実に懐かしくハマります。まぁ、秋吉久美子への憧れはともかく、明子が犬井くんから「ふつうの女の子が正しいと思うことを妥協しないでやってきたらここまで来ただけなんや」(46ページ)といって渡された本が、私には「20歳の原点」かなぁと思えたところが「わが愛わが革命」(重信房子)というのが、わずか1学年ながらに世代の違いを感じてしまいました。もっとも、出版時期は「20歳の原点」の方が古いのですが…
14.光まで5分 桜木紫乃 光文社
生まれ故郷の北海道東部に母をおいて15の歳に飛び出し那覇に流れてきて路地裏の「竜宮城」で春をひさぐ38歳のツキヨが、客に紹介されて訪れた元バー「暗い日曜日」で隠遁している闇歯医者「万次郎」と薄幸の青年ヒロキのところに転がり込み、訳ありの2人の生きようを眺める小説。
その住む世界から抜け出せない宿命感というよりは、本気で抜け出したいと思いもがくわけでもない安住感の方が勝っているような、そういうあたりが基調になっていると思いますが、無駄に暴力的な場面がなじめませんでした。無駄に性的な描写の方が多かったですが、こちらは雑誌連載のサービスなんでしょう。
13.人生後半をもっと愉しむフランス仕込みの暮らし術 吉村葉子 家の光協会
20代後半から40代前半の20年をフランスで暮らしその後20年近く東京(神楽坂)に住む著者の生活、ファッション、料理などについてのエッセイ。
基本的には好きなように生きましょうという、著者の話のどこまでが「フランス仕込み」でどこまでが著者の個性というか好み・信条なのかはわかりませんが、捨てなくていい、「終活」なんぞしているヒマがあるなら今を愉しもうという提案で始まるのが、ホッとします。
流行を追わず、モードは芸術なんだから観るものと弁え、自分が着るものは自分に似合う自分が気に入ったものを長く着続けようというのも、ファッションに無頓着で楽なスタイルが一番(単にものぐさなだけ)の私は、ホッとします。
5分間クッキングのブイヤベース(106~109ページ)とか、バゲット(いわゆるフランスパン)に板チョコを挟んだだけのバゲット・オ・ショコラ(134~137ページ)が、とてもおいしそうに紹介されているのを見ると、やってみたくなります。
基本は著者が自慢話や好きなことを書いている本なのですが、どこかホッとしたりやってみたくなったり、好感度の高い本でした。
12.鳥がぼくらは祈り、 島口大樹 講談社
中学生のときからつるんでいる熊谷在住の高校2年生のぼく、父親が自殺して1人住まいで映画を撮るといってカメラを回し続ける高島、漫才コンビでデビューするという池井と山吉の4人組の過ごす日常に池井を襲ったできごとからの展開を加えた小説。
一貫して「ぼく」と記述される「ぼく」は当初語り手であったのですが、いつのまにか「ぼく」の語りで他の3人の内心や過去の記憶が記述され、さらには「ぼく」がいない場面で他の3人が「俺」を主語に語るようになっていきます。山吉が高島が撮ったビデオ映像を見ながら「自分から抜け出して、自分ではない他人の肉体を通していつも見ている経験している世界を覗くことに好奇心が働いた。自分が自分から抜け出せないことがかえって苛立たしく感じられるほどだった」(96ページ)と思うところに象徴されるような人物間・友人間の境界の超越、幽体離脱のような実験が、テーマなのかと感じられます。同時に、過去の自分、さらには未来の自分との思いを重ね、時空を超えた想念の行き来を試みているのかなとも思えます。
「鳥がぼくらは祈り、」という日本語のルールを無視したタイトル、まぁ「モーニング娘。」とかいうネーミング以来、コマーシャリズムでは何を見ても驚かなくなりましたが、にも表れているように、独自の文体が、否応なく目に付きます。句点や改行がいかにも不自然に唐突になされていて、作者としては意図的であり推敲しているのでしょうけれども、文章の構成やつながりをろくに推敲することもなく、口述筆記で書かれたような、ただ息継ぎで句点を打ったり改行をしているような文章が何よりも気になり、作品としてのストーリーや展開など二の次に思えて、短い作品なのに読み続けるのが苦しく思えました。
話法というか語りのスタイルや文体についての実験小説という感があり、そちら方面の関心を持てればいいのでしょうけれども。
11.Phantom 羽田圭介 文藝春秋
外資系の食品会社の千葉工場で経理畑の事務職として働く32歳の華美が出費を切り詰めて配当中心の長期株式投資での財テクに励む様子と、同僚のセフレの直幸が出費をケチって無駄に時間を使うより現在の楽しみを優先すべきと言う様子、さらには直幸がカルト集団にはまっていく様子を描いて、お金を貯めることの意味、使うことの意味などを考える小説。
小説自体は、後半、オウム真理教めいたカルト集団が中心になっていって、お話としては展開させて盛り上げてるんでしょうけど、いかにも借り物っぽくて急速に興味を失いました。むしろ、1985年生まれ30台半ばの作者が、オウム真理教のみならず連合赤軍事件とかにこだわりを示すのはなぜということに興味を惹かれてしまいます。
38歳のサーファー女優というのが、繰り返し話題になるのですが、これは作者の深キョン推しなんでしょうか。この作品が初出の「文學界」に掲載された翌月に、適応障害での活動休止が発表されたのは、作者とともに悲しむべきなのでしょう。
10.風よ僕らの前髪を 弥生小夜子 東京創元社
現役を退いた元弁護士立原恭吾が早朝犬を散歩中に立ち寄った公園で絞殺され、妻の高子から、大学在学中に司法試験に合格した養子の志史を疑っている、志史を調べて欲しいと依頼された恭吾の甥で一時期探偵事務所の手伝いをしていた若林悠紀が、志史のアリバイを調べ周辺と過去を調査するうちに…という推理小説。
語り手の若林悠紀のトラウマがやや消化不良のままに残されているのは、世の中謎はきれいにわかるもんじゃないよということなのか、続編のために残したのか、本筋の謎解きよりそちらが気になりました。
同業者として、弁護士の描かれ方に着目してしまうのですが、やはり弁護士は人格的にはよくは描かれず、世間ではそういう印象なのかなと感じてしまいます。
09.植物のいのち からだを守り、子孫につなぐ驚きのしくみ 田中修 中公新書
植物が自らの命を長らえ、繁殖する様子と仕組みについて解説した本。
植物が他者との交配によって多様性のある子孫(種)を作る仕組みとして、1つの花の中のおしべとめしべが熟する時期が違う(雌雄異熟:そのためめしべは別の花の花粉を受粉し、おしべの花粉は別の花のめしべに付く)、自家受粉の場合はめしべに付いた花粉は花粉管を伸ばせない(自家不和合性)などがあるそうです(132~138ページ)。花の構造を見ると、自家受粉の方がふつうに起こりそうですが、そういうことがあるのですね。
もちろん、すべての植物で、他者との交配が支配的というわけではなくて、花がしおれるときに自家受精する仕組みになっている植物(他者との交配ができないときには自家受精して種を作るという仕組み)や、最初から自家受精する仕組みの花、単為生殖や無性生殖をする植物も多数あると説明されています(143~167ページ)。人間が食料として栽培するものでは、接ぎ木や球根栽培などの無性生殖が利用されることが多いのだそうです。要するに他者と交配するとせっかく品種改良で人間にとって都合のいい性質を揃えているのに、それと違うものができてしまうからです。チューリップを種から栽培すると栽培に時間がかかる上に自家不和合性があるので自家受粉できず花の色や形等がバラバラになってしまうので、種ではなく球根から栽培する、イチゴを種(イチゴの表面にあるつぶつぶが「果実」で、種はその中にあるそうです)で育てるとやはり味が違うものになってしまうので、匍匐茎(ランナー)と呼ばれる茎を採ってそれを植えて育てるなどが紹介されています(162~167ページ)。
近年の私の好物のキウイフルーツについて、雌雄異株で(129ページ、140~141ページ:そうすると、商品としては同じ味を出し続けるのは何か工夫がいるのでしょうね)、タンパク質を分解するアクチニジンとシュウ酸カルシウムの針状の結晶によって虫等にたべられることを防いでいる(だからたくさん食べると舌がチクチクするって。私はそういう思いをした覚えがないのですが・・・舌が鈍感?)(107~109ページ)ことが説明されています。興味深いところです。
進化論がらみの話を書いている本の多くで見られるのですが、植物が自分の意思でそうしているとかそういう戦略を持っているという類いの表現が多く見られます。「果実をつくる植物たちは、『動物に果実を食べてほしい』と思っているはずです。そのために、おいしい果実を準備するのです」(58ページ)、「いろいろな性質を持った子どもをつくるために、オスとメスに性が分かれた多くの植物は、自分のメシベに他の株に咲く花の花粉をつけようとします」(131ページ)などなど。子どもが生まれるに際しての突然変異で様々な性質の子どもが併存する中で、生存と繁殖に有利な性質を持った者が次世代で多く子孫を残し、結局、現在そういう形質の者が生き残り繁栄しているというのが進化論の説明のはずで、生物個々の意思やましてや集団的意思のようなものによって左右される話じゃないと思うのですが。
08.移民の世界史 ロビン・コーエン 東京書籍
人の移動をテーマとしていくつかのトピックを論じた本。
「移民の世界史」というタイトルから、移民や難民の歴史を体系的に学習できる本と思い込んで読み始めました(東京書籍に教科書出版社のイメージがダブったこともあります)が、体系的・網羅的にはなっておらず、著者の好みでエピソードをつまみ食い的に並べたという印象です。それはそれで思いもかけないテーマにも出会えていいという面もありますが。
「世界の島の約80%は東京、ジャカルタ、ピトケアン島を結ぶ三角形のなかにおさまっている」(36ページ)という言葉(他の文献の引用ですが…)が、実は一番印象に残ったかも。移民のエピソードではありませんが。
移民・難民のテーマと並べてリタイアメント移住や観光旅行の章を置き、気候変動による移動・台風被害による避難を紹介しています。そういうものも人の移動としてテーマにするのなら原発事故による避難や核実験による居住禁止なんかもテーマに挙げればいいと思うのですが、そこにはまったく目が向かないようです。
07.法解釈の方法論 その諸相と展望 山本敬三、中川丈久編 有斐閣
法解釈について、各分野の学者が自己の専門分野での過去の論争を紹介したり最高裁判例等が取っていると見られる手法や態度を分析するなどした論文を並べた本。2018年の民商法雑誌の特集に掲載された論文6本(法学全般・法哲学、民法、行政法、商法、知的財産法、国際司法)に追加して経済法(実際は独占禁止法)、刑事訴訟法、民事訴訟法、労働法、租税法、刑法、憲法の分野での論文を掲載しています。
それぞれの法分野での法解釈の手法の違いが読めるという趣向かと思いましたが、それぞれの法分野での論争の歴史の違いと、それ以上に執筆者の思考と力の入れ方ないし分析の程度により、かなり向いている方向も読みやすさ・読み甲斐もバラバラに思えます。
論争史が長い民法は、ほぼ学説論争史に尽き、誰が何を言ったの紹介で終わっていて、裁判所の解釈の分析や学説の論争が裁判にどう影響したかには届いておらずそこは読めません。逆に法解釈論争が熟していない刑事訴訟法は、法解釈論争を客観的に解説しようという姿勢が見られず著者自身の主張を正当化し対立する学者への批判に終始していて、法学者の内部ではそれに興味を持てるのかも知れませんが部外者の目にはコップの中の論争を一般向けに出版されてもという戸惑いを感じます。これらは、かなり学者さんの業界内向けのもので、業界外の人が読むのはかなりつらいかと思います。
多くの論文では、法解釈の手法・学説は、文理解釈か政策判断・目的的解釈かというような対立軸で論じられているように見えますが、文理解釈が強く要請される租税法(租税法律主義)、刑法(罪刑法定主義)の分野では、文理解釈から離れられるか自体がポイントになって最高裁判例が分析され、労働法では労働法の独自性(民法等の市民法法理との乖離)を示すかあくまでも(同じことを)市民法の法理によって導けるかがポイントとされて最高裁判例が分析されています。そういう学説対立よりも判例分析に重点が置かれた論文が、学者でない私には読みでがありました。最高裁判例の行政事件での解釈手法を、文理解釈、それが妥当でないときに趣旨目的解釈、それでも妥当な結論を導けないときに上位法適合的解釈、最後の手段として立法過程史解釈が取られている(87~88ページ)として判例分析をする行政法の論文が、意外にも、私には最も興味深く読めました。
まぁ、そのあたりの評価は、私が弁護士だからで、法哲学や法社会学が好きな人はもちろん別の評価をするのでしょうけど。
06.眠れないほど面白い『枕草子』 みやびな宮廷生活と驚くべき「闇」 岡本梨奈 王様文庫
予備校講師による枕草子の解説・学習のお勧め本。
著者が選んだ段を、「超現代語訳」、解説、原文、現代語訳を並べ、最後に登場する言葉や風習などの「ワンポイントレッスン」を置く構成で解説しています。くだけた「超現代語訳」が、売りというかアイキャッチなのでしょうけれども、その点では、その昔「桃尻語訳枕草子」(橋本治)というもっとぶっ飛んだ本が出ているので、新鮮さを感じられませんでした。枕草子でいうと、「はしたなきもの」…といったらあんまりでしょうか。「超現代語訳」を最初に置きながら、原文の後にもう一度現代語訳を配しているのは、くどいようにも見えますが、あくまでも冒頭の「超現代語訳」はつかみで、その段に興味を持ってもらうだけのものと位置づけ、原文と現代語訳を読んで欲しいというのが目的なんでしょうね。原文を読んだ後、やっぱりその次に現代語訳があるのを続けて読もうとわりと素直に思えました。その点、枕草子自体を読ませようという予備校講師の術中にはまった感じです。
タイトルの「眠れないほど面白い」はさすがに無理な印象です。シリーズタイトルだから仕方ないのでしょうけれども。サブタイトルも「みやびな宮廷生活」の方はいいですが、「驚くべき『闇』」はどこに?という感じがします。
137段、山吹の花びらに「言はで思ふぞ」と書かせ給へるってどうやって書くのと思う。極細筆?墨はちゃんと乗るのかとか、気になります。
私はなぜか、枕草子というと3段の「舎人の顔のきぬもあらはれ、まことに黒きに、白きものいきつかぬ所は、雪のむらむら消え残りたるここちしていと見苦しく」が印象に残っているのですが、そこは選ばれていませんでした。数少ない知っている段の解説がないとちょっと寂しい。
05.ケアとは何か 看護・福祉で大事なこと 村上靖彦 中公新書
著者(学者なんですが、専門は現象学的な質的研究って、何をしている人か今ひとつわからない…)が、祖母・祖父の入院経験からの自己の知見とケアを行う援助職へのインタビュー、当事者や援助職の文献上の発言等に基づいて、ケアとは何かについて論じた本。
前半、コミュニケーション能力の減退・欠落によりコミュニケーションが難しい患者の出すサインを読み取り、精神的・心情的に発言ができない/発言していいと思っていない当事者に働きかけて発言を引き出すなどの実践例が並べられ、ケアの場面での当事者・患者本人の意思を聞き取ることの重要性が語られます。しかも、著者は、聞き取り/カウンセリングの際にマニュアルによくある「受容」の応答の「あなたは○○だと感じられるのですね」というような機械的な応答をすることに批判的で(168ページ)、聞き取りをする者の誠実な対応を求めています。当事者/ケアを受ける側からすれば、そのとおりで、またそうして欲しいと思うことでしょう。しかし、ALS(筋萎縮性側索硬化症)患者のヘルパーが眼球さえほとんど動かせない状態の患者に文字盤で文字を指して眼球の動きで Yes/No を聞いていき3時間かけて10文字ぐらい読み取るというエピソード(6~11ページ)を美談として(実際、美談でしょう)挙げられても、それはそれだけの時間をかけられる条件があってその意思を持ったヘルパーができるということで、ほとんどの援助職には現実にはできないことだと思います。こういうエピソードを理想化し持ち上げることは、ケアを行う者/援助職/専門職に無限の犠牲を求め/強いるものと言えるでしょう。
この種の問題は、誰の視点で語るかにより、状況が変わるものだと思います。ケアを受ける側から語れば、先ずは患者の意向を聞き取れ、そのために最大限の労力を尽くせ、その上で患者の意向が治療上望ましくない/明らかに病状を悪化させるものであったとしても、本人がしたいことなのだから実現させろということになります。著者は明らかにその線でこの本を書いています。この本ではそれで良かったと見える例のみが記載されていますが、そうしたために病状が急変したり、患者本人はしたいと言うが家族は反対している場合はどうするのでしょう。病状から望ましくなく家族が反対している状況で、本人が希望しているから希望どおりにして急変して死んだら、家族から訴えられるんじゃないでしょうか。
あとがきでは「本書の内容が『~すべきだ』というふうに、何かをケアラーの皆さんに教えようとしたものではないことは強調したい」とされています(229ページ)。あとがきでそう断られても、この本を読む援助職の人には、こういった努力・奉仕・犠牲が求められているのだと感じられるでしょうし、良心的な人ほどそうあらねばと思ってしまうことは、著者も十分にわかっていると思うのですが。
04.死ぬまで噛んで食べる 誤嚥性肺炎を防ぐ12の鉄則 五島朋幸 光文社新書
2000年頃から胃ろうが普及して誤嚥性肺炎を起こすと病院で禁飲食になり「一生口から食べてはダメ」と宣告されて胃ろうを増設される人が増えた(4ページ)ことに対し、口腔ケアや生活習慣の改善によって、医者に禁飲食を宣告された患者が口から食べられるように回復させたり、誤嚥性肺炎を予防して口から食べ続けられるようにすることを目指して、その方法を解説する本。
永久歯に生え替わった後も、虫歯菌が食べ物の糖分を元に酸を作って歯の表面を溶かしても唾液に含まれるカルシウムが徐々に取り込まれて修復(再石灰化)されたり、内側の歯髄の血管から栄養が供給されて象牙質が作られるなどの新陳代謝が行われているのだそうです(25ページ、76ページ)。昔は、歯は自力では回復しないと教えられたものでした。何で?と疑問に思っていたものですが、やはり人間の体はどこであれ、新陳代謝をし回復していく力があるのですね。その再石灰化のためには飲食と飲食の間に十分な時間がないといけない(そうでないと再石灰化が追いつかないうちにまた歯が溶け出す)というのですが、一番いけないのがペットボトル飲料のダラダラ飲みなんだそうです(24~26ページ)。糖分を含む飲料だけじゃなくて、カフェインも血管を収縮させ唾液の分泌が抑えられたり歯茎の血行が悪くなるため虫歯や歯周病の大きな原因の一つだとされています(26ページ)。ショック…
年をとるにつれ、象牙質が増殖して歯髄腔が小さくなったり歯髄が繊維化して萎縮したりして密にあった神経や血管がなくなっていき、要するに生き物だった歯が、単なる構造物に変わっていき、こうなると虫歯になっても痛くないって(77ページ)。そうすると、高齢者の歯は結局自力では回復しないということなんでしょうか…
この本のテーマの誤嚥性肺炎は寝ている間の唾液の誤嚥が主な原因で(88ページ)、そのときに口の中が汚れている(細菌が多い)と気管から肺に入った細菌によって肺炎を起こしやすい(19ページ)、だから口の中を清潔に保つために唾液をたっぷり出すことと寝る前の歯磨きが重要だということです(20~21ページ)。そういった点も含め、人間の体・健康は、いろいろなことが繋がっているのだなぁと考えさせられます。
03.薬物売人 倉垣弘志 幻冬舎新書
田代まさしへの覚醒剤譲渡で逮捕され実刑判決を受けた元売人が売人として活動していた頃の話、逮捕前後と刑務所での生活、出所後の生活等について書いたノンフィクション。
六本木のバーを経営しながら覚醒剤、コカイン、マリファナなどを仕入れて客に売りさばいていたときの様子、摘発されないようにどういうことに注意していたか、などの描写が読みどころかと思います。「シャブは注射器でキメるのと炙りでキメるのとでは、効き目は一緒だが依存度がまったく変わってくる。炙りだと肺を通してゆっくりジワジワと効くが、注射だと血管から一発ドカンと速攻で効いてくる。炙りだと物がなければないで我慢できるが、注射だと物がなくなれば駆けずり回ってでもシャブを追い求める者がいる。注射器でシャブを喰う者は危険だ。シャブ欲しさに、少し間違うと何をしでかすか分からない」「注射器を求めてくる客には、シャブを売らないようにしていた」(210ページ)というあたり、なるほどと思います。どんな稼業でも長く続けるためには頭を働かせる必要があり、コツがあるものです。
出所後、釜ヶ崎(大阪市西成区)のドキュメンタリー映画「解放区」の撮影に協力して、その中で監督から撮影現場で本物の覚醒剤をキメてみたいと言われ(252ページ、258ページ)、出演者に注射した(269ページ)というのは、書いて大丈夫だったんでしょうか。
02.理系研究者の「実験メシ」 科学の力で解決!食にまつわる疑問 松尾佑一 光文社新書
研究者にして「理系小説家」の著者が、家庭でできる実験レベルで、遠心力でフィルターを使用せずにコーヒーを入れる(粉とコーヒーを分離する)、太陽熱でご飯を炊く、家電の放熱で納豆を作る、インスタントラーメンののびても食べられる(まずくならない)時間の限界を測定する、ポケットに入るサイズの調理機器でポップコーンを作る、自転車に乗った際の振動で生クリームからバターを作る(ホエーとバターに分離する)、クックパッドのレシピの平均値と料理本のレシピで作ったガレットの味を比較する、超音波で泡盛を熟成させる、たくあんを自動製造する機械を作るということにチャレンジした過程と結果を綴った本。
著者も言うように、夏休みの自由研究のノリで読む本です。
試行錯誤の過程を書いているのですが、ペットボトルを振り回すのに1mの紐付きは無理だろうとか、自転車をこぐ揺れ(背中にしょったリュックの中に入れておくだけ)で生クリームがバターにならないくらいは、やってみるまでもなくわかると思うのですが…
専門店で食べたスパイスと水だけで作るカレーを再現しようとレシピも調べて忠実にやってもできず、「さんざん失敗作を食べた後、ある忙しい日の夕食時に、嫁と1袋100円ほどのレトルトのカレーを食べた時、あまりの美味しさにショックを受けた。自分は何をやっていたんだと涙が出そうになった」(224ページ)というのが、実感がこもっていて哀しい。料理の実践には、そういうことがありがちというかつきまとうものです。
細かいことですけど、「N2+3H2→2NH3」の化学式を示して「二つの窒素分子(略)と三つの水素分子が反応して二つのアンモニア分子ができる」(183~184ページ)って、何とかなりませんか。どうみても一つの窒素分子(と三つの水素分子)なのに、専門の人が、それも科学では数量が決まっていて曖昧なことは許されないという趣旨の話をするときにこういうことを言われると何だかなぁと思います。
01.半逆光 谷村志穂 角川書店
次男が就職して家を出、夫婦2人の生活を始めるときに、夫真崎儿のパソコンに届いたメールから夫が子どもができた頃から何年かにわたり北海道出身の銀座のクラブのホステスだった玲季と不倫の関係にあったことを知った真崎香菜子が、過去のメールのやりとりを追い、玲季が書いた小説を入手して夫の過去の不倫の過程を読み込んで行く様子と、玲季側の事情と思いを入れ替えながら書き綴った小説。
香菜子-儿ないし香菜子の次男・旧友裕美の現在、玲季-儿の過去、玲季-編集者岡崎の過去~現在、そして玲季が書いた小説が、入れ替わり、当初は香菜子の側の憤激・苛立ちに、後には玲季側の羨望・嫉妬・寂しさに焦点が当てられます。その入れ替わり、焦点の移動は、雑誌連載による作者の気持ちの変化なのでしょうか、当初からの計画なのでしょうか。
玲季の書いた小説「四分の一の心で」は「不倫小説の最高傑作とも評価された」(53ページ)とされており、作中作としてその小説を展開することこそが、作者の自負と書き甲斐だったんじゃないかなと思いました。
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