庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2022年1月

13.ボクはやっと認知症のことがわかった 長谷川和夫、猪熊律子 株式会社KADOKAWA
 認知症判定のスクリーニングに広く用いられている「長谷川式簡易知能評価スケール」を考案した認知症専門医が、88歳の時に自らが認知症と自覚して公表し、その経験でわかったことを過去の医師としての自分の経験・認識と照らしながら語る本。
 認知症になっても突然何もかもが変わるわけではなく今日は昨日の続きなわけだし、症状も固定しているわけではなくて朝は調子がよくスッキリしていても夕方になり疲れてくると混乱するとか、それも人によって違うとか、話は聞こえているし悪口を言われたり馬鹿にされたりしたときの嫌な思いや感情は深く残る、意見や意向はゆっくりと聞いて欲しい(こうしましょうねと言われると何も考えられなくなる)、一度にいくつも言われると混乱する、何もできなくなるわけではないので役割を奪わないで欲しいなど、実感のこもった言葉が並んでいます。
 転んで泣いている小さな子に、手を引いて助け起こすのではなく、傍らに自分も腹ばいになって横たわってにっこりと笑いかけ、しばらくして「起きようね」という子どもの話(79ページ)、アルツハイマー型認知症となった義父から「みなさまはどなたさまですか?どなたかわからなくて困っているんです」といわれ、「おじいちゃん、私たちのことをわからなくなったみたいだけど、私たちはおじいちゃんのことをよく知っているから大丈夫。心配いらないよ」と答えた娘の話(151ページ)が、認知症の人との付き合い方として示唆されていて、なるほどと思います。
 2004年の国際アルツハイマー病協会の会議が京都で開催されたとき、認知症患者が「もの忘れが始まって十年になる。病気になってほんとうに悔しい。よい薬ができてこの病気が治ったら、もう一度働きたい。妻にいままでの苦労のお返しをしたい」とスピーチした(141ページ)というエピソードは感動的であり、また考えさせられました。

12.ドガ ダンス デッサン ポール・ヴァレリー 岩波文庫
 ドガと交友関係があった著者がドガの近親者や唯一の弟子に取材して書いた美術・デッサン論、ドガ論の本。
 私は知らずに手に取ったのですが、著名な古典で、すでに邦訳も数点あるものを、原書の初版の豪華本(ヴォラール版:1936年)の復刻本が制作されたのを機に原書初版のデッサンの配置も再現して出版されたことが新しい本のようです。
 ドガのデッサンが多数掲載されているのですが、出版社の意欲にもかかわらず、掲載されているデッサンと本文の関係は読み取れません。タイトルからすると、ドガの踊り子のデッサンを示してその絵に絡めた解説がなされているかと予想しましたが、個別のデッサンの解説はほとんど(まったくと言い切ってもいいかもしれません)ありません。本文は、わりと抽象的な美術論・デッサン論(この部分は、「ドガ」でなくてもいいように思えます)と、それぞれの絵・デッサンを超えたドガ論が大半を占めています。
 ドガが、自分の作品に満足することがなく、過去の自分の作品を見ると手直ししたがり、購入して気に入っていた見事なパステル画をドガの求めに応じて渡すとそのまま返ってこなかった、ドガを追及すると手直しするために完全に解体してしまったといわれた話(200~202ページ)が印象的でした。
 ドガが、「コローは樹を描くのがうまいと、君は本当に思うかね?」「驚くだろうが」「コローは人の顔のほうがもっとうまく描けるのだ」といったという話(148~149ページ)、風景画家のカミーユ・コローの数少ない人物画「真珠の女」を「コローのモナ・リザ」と呼んでメインに据えた(ポスターにした)「カミーユ・コロー展」を開催した向きもありました(2008年、国立西洋美術館、読売新聞社・NHK。それについての私の感想はこちら)から、ひょっとしたら本気でいったんでしょうか。それともコローの樹が下手だっていいたかったんでしょうか。著者の書きぶりが全体にあまり素直でなくてわかりにくい点が多かったので、そういうところも真意は読めない感じでした。
 75ページに及ぶ訳者あとがきも、力が入っているのはわかりますが、やはり長すぎるように思え、通読がなかなかしんどい本でした。

11.無敵の読解力 池上彰、佐藤優 文春新書
 元NHKアナウンサーにして近年は選挙特番での政治家に忖度しない質問から「池上無双」と呼ばれる著者と、かつて「外務省のラスプーチン」と呼ばれた元外務官僚の著者が、最近出版された本と古典を切り口にして、政治・経済情勢等について語る対談・放談本。
 アメリカ人と中国人を比較しているところで、中国人で人類が月面に到達していないとか地球が平面だと思っている者はほとんどいない、近代科学と対立するような発想を持っている中国人ってあんまりいないんじゃないか、アメリカの方が極端な考えに走ってしかもそれに固執してしまう人が多いように思うと指摘されている(102~105ページ)のは、いわれてみればそうだなと思います。
 日本の政界や官僚のエリートの世界は諸外国から見たら低学歴、国際基準で見ると日本の政治家と官僚はまるで教養がないし頭が悪いと思われているんじゃないか、外務省は職員が学位を取ろうとしても取らせない(198~201ページ)というのも、そうなんだと知りました。
 そして、日本の政府と市民の関係について、「ロシアと較べてもデモが起きない。プーチン政権も羨むぐらいの見事な統治。」(170ページ)は、情けないですが、ホントそのとおりだと思います。

10.社長、借金は返さなくていいお金です 公門章弘 現代書林
 銀行が貸してくれるお金はどんどん借りて手元資金を潤沢にしましょうと勧める本。
 売上が増えて事業が拡大している間は銀行がどんどん追加融資してくれるので、実質は返さなくていい、現状の資産とキャッシュフローでいつでも返せる状態を維持すれば心配はない、それなら借金する必要がないじゃないか、利息分損でしょという疑問には、手元資金が潤沢で経営に専念できるのは大きなメリット、利息分くらい事業で使う限り稼げるというロジックです。
 付き合う銀行は最低3行、競合させることで多少でもイニシアチブを握る、借りる時期をずらすことで順番に借りて返して資金を循環させる(109~113ページ)、取引銀行を増やすときは税理士・経営者つながりで紹介してもらう(自分から飛び込みで銀行に行かない:金に困っていると警戒されるから。114~116ページ)などして、融資額が増えると銀行はずっと融資してくれる(融資先の企業が潰れたら担当者には負の実績だし継続的に利子を得るチャンスも失う)、企業と銀行が一度この関係になってしまったら、両者は一蓮托生であり、一心同体のようなもの(40~43ページ)というのですが、自分の会社の状態を数字で客観的に把握して定期的に社長レターを提出して担当者にアピール(118~128ページ)って、著者は税理士だから得意でしょうけど面倒そうですし、そういうふうに頑張っても経費を削減して利益は増えていても売上が減少すると銀行は態度を変え融資の話をお願いしてもなぜかいい顔をしなくなった(90~91ページ)となると、しんどい思いをして銀行の機嫌をとっても経営が少しでも悪くなると手のひらを返されるのだし…と思いますよね。もともと著者のやり方は経営が順調に拡大していないと奏功しないのですし。

09.マンガ脚本概論 漫画家を志すすべての人へ さそうあきら 双葉社
 京都精華大学マンガ学部で「竹宮惠子先生の後任として」脚本概論を担当してきた著者が、マンガの脚本の創作に当たっての考え方を論じた本。
 読み切りマンガを想定していることから、よい問題提起(読者の関心を惹く・身につまされる問題等)からいくつかのハードルを乗り越え問題解決へとつなぐ、読者の関心を惹き続けそらさないシンプルなストーリー(モデルは「はじめてのおつかい」!)をよしとしています。なるほど、ではありますが、長編や小説ではそうは行かないかなとも…
 キャラクターの成長のパターンは、弱い人間が強くなる、バカが利口になる、悪い人間がよくなるの3つしかない(276ページ)、テーマは宇宙・世界とは何か(人間「外」の問題)と人間とは何か(人間「内」の問題)の2種類の根本的な問題に繋がるものであり、すべてのフィクションの使命は「世界とはなんだろう」「人間とはなんだろう」という根本的なテーマに新しいものの見方を提供すること(365~368ページ)などの言い切ったまとめが、示唆的に思えました。

08.違法捜査と冤罪 捜査官!その行為は違法です。 木谷明 日本評論社
 元裁判官の著者が、基本的には判決で無罪が確定した冤罪事件について、事件の内容、逮捕・起訴に至る捜査の問題点、有罪とした判決の問題点、冤罪を晴らせた(再審が認められ、また無罪判決を勝ち得た)経緯とポイントなどを分析し、紹介し、捜査と関与した裁判官・弁護士の問題点を論じた本。
 それぞれの事件についての事情やポイントがコンパクトにまとめられており、勉強になりますし、読み物としても読みやすくできています。
 違法捜査の追及への著者の信念・執念も感じさせますが、最高裁調査官を務め、東京高裁部総括判事(裁判長)として退官したという経歴を見れば超エリートというべき裁判官がこのような意見を持ち(この本では書いていませんが、著者は裁判官として30件無罪判決を出したそうです)本を書いていることには勇気づけられます。
 最高裁が松川事件では10日間にわたる弁論を行った(27~28ページ:1959年に有罪判決を破棄差し戻し)、八海事件でも第2次上告審でも第3次上告審でも3日間にわたって弁論が行われ(66ページ:1962年の第2次上告審は無罪判決を破棄差し戻し、1968年の第3次上告審は有罪判決を破棄自判して無罪)第3次上告審の主任裁判官が弁護人と直接面談に応じていた(71~72ページ)、仁保事件でも最高裁は2日間にわたる弁論を行った(119ページ:1970年に死刑判決を破棄差し戻し)など、昔の最高裁の裁判官の意欲と存在感が紹介されており、著者も調査してみて驚いたと書いています(71~73ページ)が、隔世の感があります。東住吉事件の上告審で主任裁判官の滝井繁男裁判官が破棄差し戻しの意見書をまとめていたのに最高裁が滝井裁判官の定年退官を待ってその1か月後に上告棄却決定をしたというエピソード(188~189ページ)が象徴的であり、印象的です。

07.ハラスメント裁判例77 君嶋護男 労働調査会
 パワハラ、セクハラに関する裁判例を紹介し、著者のコメントを付した本。
 パワハラについては、円卓会議提言以来の6類型(身体的な攻撃、精神的な攻撃、人間関係からの切り離し、過大な要求、過小な要求、個の侵害)に沿って分類しつつ、6類型は提言段階では概念を明確にする意義があったがその後の膨大な事例の蓄積から6類型に収まりきれない新たな類型を構築すべきという著者の意見(25ページ)から「退職強要、解雇その他の処分」「不当な人事考課に基づく降格等」「正当な権利行使の妨害」の3類型を追加して検討しています。パワハラについては、6類型の概念への該当性と裁判官が違法と判断する要件ないしレベルの関係が、実務上問題となります。従来、ほとんどの裁判例で、6類型への該当性と不法行為の成立(違法性)は切り離して判断されて来ましたが、6類型に該当するということからすなわち違法とする裁判例も見られ、それが時の流れとパワハラ防止法でどう変化するのかしないのかが興味深いところです。時期的には難しいタイミングかとは思いますが、そういう観点での検討があると、弁護士にはうれしかったのですが。
 セクハラについては、指針の類型(対価型と環境型)とは別に、事実認定の問題、使用者責任、懲戒処分などを検討しています。対価型と環境型は、もともとアメリカでは公民権法(タイトル7)の性に基づく差別か否かが違法判断の分岐点だったために議論されたもので、「差別」ではなく人格権侵害が違法性の本質と扱われる日本法では意味のない分類で、行政にアピールする際には指針のセクハラに該当すると主張するために使えるというだけですので、裁判例を検討する際には有用な概念ではありませんから、そういう扱いでよかろうと思います。しかし、取り扱う裁判例が少ないこともあり、そういう裁判例もあるくらいにとどまっています。
 類似ケースでの違法性判断(違法とされるかどうか)、慰謝料額(何がポイントとなりどれくらい認められるか)、退職に追い込まれたとか精神疾患との因果関係(どういう事実が認定されると因果関係ありとされるか)の検討分析、時代を追っての変化がわかるととてもうれしいのですが、そのような分析は弁護士業界でも難しいところです。そこまでは望めませんが、裁判例を続けて読んでさまざまなものがあることを実感できたのはよかったと思います。

06.夏物語 川上未映子 文春文庫
 子どもの頃酔って暴力を振るう父親が失踪した後祖母も母も早く死に姉巻子とともに大阪で貧しいバイト生活を続けていたが東京に出て小説家を目指す夏子が、2008年夏に小学生の娘緑子を連れて豊胸手術をしようとして訪ねて来た巻子と語らう第1部と、2016年から2019年にかけて、小説家として身を立てた後にセックスは体が受け付けず交際している男もいないが子どもを産みたくなり周囲と摩擦を起こしながら人工授精での妊娠に向けて試行錯誤する第2部からなる小説。
 第1部は、貧しさの中(始まりが「その人が、どれくらいの貧乏だったかを知りたいときは、育った家の窓の数を尋ねるのがてっとりばやい。」である:10ページ)、2人暮らしの母親巻子に反発して口をきかず筆談をする緑子の、苛立ちと母親への思いがとても切なく思えます。語りは基本的に夏子の視点、巻子側の視点でなされているのですが、それでも第1部は緑子の気持ちの方に入れてしまう、それは、幼い娘を愛しく思う、男・父親の感性故かも知れませんが、私にはそのように読めました。
 しかし、その第1部が、第2部ではほとんど生きてきません。緑子はもう高校生で、ふつうにやっていますし、なんといっても夏子が一応小説で喰えていてハングリーなところがなく、生活がそれほど楽というわけではなくても、いろいろ勝手なことを言うのがどれも何を贅沢なこと言ってんのと言いたくなります。長期連載ならともかく、「文學界」の2019年3月号と4月号の2回で一気掲載している小説で、どうしてこれほどにつながらない「第1部」と「第2部」という構成なのか、不思議です。
 全体を通じているのは、男へのうらみ・反発・拒否感でしょうか。性欲のために女を利用しようとする男は徹底的に醜く描かれ、しかしそれを気持ち悪いと感じる夏子自身が男を単に精子提供者と捉えていることは軽く流されています。男の中で一番重視されているはずの逢沢は、人工授精で生まれたことを知らされて騙されていたと驚き「本当の」父親を探し続け、後になって死んだ育ての父に「ぼくの父はあんたなんだ」と言えなかったことを悔やみ、そう言った後で自分は精子提供者としてその子と暮らさない道を選ぶという、統一性のない、こいつ何考えてんだという感想しか持てない存在として描かれ、端的に言えば人物像がきちんと考え込まれてない感じがします。男なんていらない、どうでもいいと思って書いてるんだろうなと思えてしまいます。

05.世界で一番美しいアシカ・アザラシ図鑑 水口博也 創元社
 世界各地に生息するアザラシ、アシカ、セイウチ(鰭脚類)の写真を掲載し、体長・体重・生息域・特徴・生態・レッドリストのカテゴリー(低懸念、危急、危機、準絶滅危惧等)のデータを紹介し、生態等についてのいくつかの論考を掲載した本。
 世界一美しいかは私には判断できませんが、著者がそう自負するのも納得できる数と水準の陸上・氷上・海中でのアザラシ・アシカ・セイウチの写真が掲載され、愛らしさ、ふてぶてしさなどさまざまな顔を見せてくれます。愛らしい顔をしたアザラシ・アシカの写真には、ほのぼのと癒やされます。また、データ中に切手の図柄も掲載されていて、アザラシやアシカの図案の切手がこんなに発行されていたのかと、改めてアザラシやアシカが人々に愛されていることを実感します。
 掲載されている論考の中では、集団でキハダマグロを浅瀬に追い込んで狩るガラパゴスアシカの話(116~121ページ)が興味深く読めました。

04.星のように離れて雨のように散った 島本理生 文藝春秋
 修士論文として父親をモデルとした小説を、副論文として「銀河鉄道の夜」の改稿を題材に宮澤賢治の晩年の宗教観を扱うことにしている大学院生原春が、体育会系・理系の彼氏と交際しながら踏み込まれると戸惑い、同じ研究室の同期生から紹介されて父親世代の売れっ子作家の元でアシスタントのアルバイトを始め…という青春小説。
 進まない小説、「銀河鉄道の夜」の第1稿から第4稿をめぐる解釈と議論を通じて、作者の小説論・小説観が展開されまた垣間見させられ、その産みの苦しみであったり、幼年期のトラウマを抱えているらしき主人公の苦悩や癇癪がストーリーの主軸にあることで、苦しさが強く感じられる作品です。
 同年代の男とつきあいながら、年上の父親世代に惹かれていくというパターンは、作者の習い性なのか、掲載誌の読者層を意識したものか…
 春の彼氏亜紀の側から読めば、愛してるとか結婚しようと言ったら疑われ不機嫌になり壁を作られ、それでありながら自分の考えが足りなかった、春と向きあっていなかったなどと反省させられ、作品の展開上それが当然のように描かれていくのは、時代の趨勢なのかも知れませんが、とても不条理に思えます。

03.Web選考は「準備」が9割! 田中亜矢子 自由国民社
 信用金庫人事部で5年間採用と人材育成を担当し、現在は社会保険労務士として採用に関するコンサルティング業務や採用面接官への研修等を行っているという著者が、就活、特にWeb面接にどう対応すべきかを解説した本。
 動画は見た瞬間にダメだと思ったら先は見ない:最初の15秒が勝負(13ページ)、画面には顔と上半身が1対1に映るようにする、カメラが目線より下にならないように(上から目線にならないように)アングルを調整する(61ページ)、身振り手振りではカバーできないので表情で笑顔をアピールする(67ページ)、体の揺れは画面を通すとより目立つ(72ページ)、画面の相手の顔を見て話すと目が合っているように感じない、目線はカメラに向ける(134ページ)、音声に時差があるので、相手の話が終わったことを確認するために一呼吸おき、1、2秒待ってから話し始める(135ページ)、キーボードを使うとその音が耳障り(137~138ページ)、何か(カンペ等)を見て話すと目線でバレる(138ページ)等の指摘は、勉強になりました。リアル面談とは違う特徴として、アピール動画作成やWeb面接(Web会議)では気をつけたいところです。
 Web面接に限りませんが、焦らずゆっくりとしたスピードで間をとりながら話す(71ページ)、1文は40字以内(99~100ページ)、途中で話を遮らない(135ページ)等の指摘は、わかってますけど、私は苦手項目です…改めて心したいと思いますが。

02.鳥類のデザイン 骨格・筋肉が語る生態と進化 カトリーナ・ファン・グラウ みすず書房
 鳥類の生態と骨格等の関係を説明した本。
 鳥類の生息地、営巣場所、餌の種類、採餌行動、飛行特性、歩行・遊泳の有無・形態、繁殖行動等に応じて、その骨格、頭蓋骨や眼窩、舌、頸骨、胸骨と竜骨突起、脚、趾、爪がそれに適した形態になっているかについて、文章と、骨格標本・皮を剥いだ死体・羽をむしった死体のスケッチで詳細に説明しています。この鳥のこういった行動特性は、このような構造に支えられている、こういうしくみの体でないとできないということを説明されて、はぁ、なるほどと思うところが多い本です。
 本の体裁・センスとしては、統一感があるスケッチであり、スケッチ自体が作品として位置づけられていることはわかりますが、わかりやすさという点からは、外形の(羽根・羽毛もついたままの)写真かイラストも欲しいですし、文章での説明の箇所(骨とかの名前やそこに筋肉や羽根がつく様子だとか)がスケッチのどの部分のことなのか、示していただいた方がよかったと思います。
 著者が鳥類学者ではなく博物館学芸員で、25年かけた本ということから、鳥類の分類等について、最近の研究では違うと考えられているという監訳者の注がたくさんあるのも、読んでいて不安になります。
 動物の体の構造について、感心し、関心を持つための、わりと趣味的な本として読むのが適切かなという気がします。

01.少年法入門 廣瀬健二 岩波新書
 少年の刑事手続についての日本での運用の実情、諸外国の制度と運用、少年法の制定の経緯と改正等について説明し論じた本。
 刑事裁判官として少年審判に携わり、少年法改正の議論のため最高裁から派遣されて諸外国の制度の調査を行い、法制審議会委員として少年法改正に関与したという著者の経歴・属性から、基本的には現行制度はうまくいっており、実現した法改正は妥当な線というスタンスで論じられています。
 少年審判への検察官出席について、裁判官が自ら証拠を収集・発見すると自らが収集・発見した証拠への思い入れが強くなり評価が偏りがち、少年に有利な証拠を裁判官が審判で批判的に吟味したり少年を追及したりすると少年に不信感を持たれて最適な処分をしても効果が思うように上がらない恐れがある、検察官の出席はそういう観点から必要なもので、これを厳罰化というのは的外れだと主張しています(58~61ページ)。そういう見方もあるかもしれませんし、裁判官(に限りませんが)が自ら発見したことには過剰な思い入れを持ち冷静・客観的に判断できなくなるということはそうだろうと思います(判決を読んでいてそう思うことは時折あります)が、検察官の出席をそう評価するのもちょっとこじつけっぽく思えます。
 調査官による試験観察の成功例、補導委託の成功例の紹介(64~67ページ)は、まさに少年法・少年審判実務の醍醐味というべきですが、試験観察は調査官の、補導委託は民間の篤志家の、熱意と負担に大きく依存するもので、なかなか実施ができなくなり実施例が減っているというのが哀しいところです。

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