庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2022年2月

27.海神 染井為人 光文社
 岩手県中部の本土から船で5分程度に位置する天ノ島での東北地方太平洋沖地震・津波被災と復興支援金をめぐる4億円余の横領の顛末をテーマとした小説。
 震災の日に生まれるとともに父母を亡くした遺児千田来未、天ノ島出身の新聞記者菊池一朗、被災地の映像を見てボランティアとして天ノ島を訪れ2年近くとどまっていた東京の学生椎名姫乃、震災遺児のための養護施設「ナナイロハウス」の臨時職員堤佳代の視点からの2011年、2012年、2013年、2021年を交差させる形で話が展開していきます。
 震災で家族を失った人たちの心情に涙し、その流れで被災者を食い物にする犯罪者への怒りを持ちますので、感情移入しやすい読んでいて情動を揺さぶられやすいお話ですが、悪者が社会的背景を持たないチンケな個人と設定されている、その悪者にだけ米軍の「トモダチ作戦」を批判させ(94ページ)地元民はみんな米軍に感謝した挙げ句「沖縄から出ていけなんてとんでもねぇ。ずーっと居てもらっていい」などと言っている(83~84ページ)というあたりに作者の現状・現政権支持の立場性が見える(だいたい、何で岩手の離島の被災者の口を使って沖縄のことに口を出す?)など、被災の重い事実を使って書いたわりには何を訴えたかったのかなという疑問を持ちました。

26.最後に「ありがとう」と言えたなら 大森あきこ 新潮社
 父親の死の際に十分なことができなかったという思いから38歳の時に保険の営業から納棺師に転職し現在は納棺師の会社で新人育成を担当する著者が、納棺の際の遺族の希望や対応、死者と向きあう様子などを書き綴った本。
 著者の勤務する納棺会社では1人の納棺師が年間約500名の死者の納棺をし(108ページ)、1件あたり1時間~1時間30分で行う(22ページ)のだそうです。業務の内容が感情労働としてヘビーなものということを加味すれば、労働者として見ても、けっこうきついなと思いました。
 遺族の前で着せ替えを見せる会社は少数派で(125ページ)、納棺の儀式に遺族がどこまで立ち会えるかも葬儀会社によってさまざまだそうです(106ページ)。
 遺体の清拭や死化粧の実情というかテクニックはまとまった説明がなされていませんが、湯灌のエピソード(66~72ページ)や、やせて目がくぼんでいる遺体にヒアルロン酸注射を遺族に隠れてする話(102ページ)が印象的です。
 遺体の着せ替えをするかどうかは自由に選択でき(126ページ)、棺に何を入れるかも自由だけれども原則「燃えるもの」という決まりがあるので携帯電話は無理だとか(115ページ)。
 基本線は遺族の死者との関わり、心情のさまざまな様子を紹介して自分の家族が亡くなった場合を考えさせる本なのですが、端々に表れる納棺の実情のことの方に、そういうときにはそういうことに思いをめぐらせたり目を配る余裕がないと思われるだけに、興味を引かれました。

25.ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー ブレイディみかこ 新潮文庫
 アイルランド人でシティ(ロンドンの金融街)にある銀行をリストラされて大型ダンプの運転手として稼働する配偶者と、一人息子とともに、イギリス南端のブライトンの「荒れている地域」と呼ばれる元公営住宅地(サッチャー政権時代に民間に売り飛ばされた)に住む福岡出身の元「底辺託児所(と著者が呼んでいた)」保育士にしてライター稼業の著者が、息子が小学校時代は夫の親族の意向もあってカトリック校に通っていたが中学は近所の白人が圧倒的多数の元底辺中学校に通うこととなったのをきっかけに、息子のスクールライフを通じてイギリスの教育事情やレイシズムの様子などを報じた本。
 リッチな学校の方が人種的な多様性があり、底辺校にはホワイトトラッシュとかチャヴと呼ばれる白人労働者階級が通いレイシズムが酷くて荒れているという中で、あえて後者を選択したけれども、その中でも子どもは悩みながらもわりと軽やかに生き抜き自分の頭で考えて対処して成長していったというお話です。
 ニュース等からは見えないイギリス社会の貧困層の生活や意識/差別意識の実情といったストレートに書くと堅い話を、中学生の学校や友人との間のエピソードを通じてイメージしやすい読みやすい形で書いているので、すっと読み通せます。子どもを持つ親にとっては、子どもの友人やその親との付き合い、子どもの惑いつつも成長しいつの間にか大人びた考えを持つに至る様子など共感する点が多いことも、テーマの堅さを意識しないで読みやすい要素となっています。
 創設2年目のYahoo!ニュース本屋大賞ノンフィクション本大賞受賞作(本屋大賞にノンフィクション部門ができたことを、この本で初めて知ったのですが)

24.シリウスの反証 大門剛明 角川書店
 アメリカでDNA鑑定などにより冤罪を救済する活動として大きな成果を上げているイノセンス・プロジェクトに倣って日本でも冤罪をゼロにすることを願って立ち上げられた「チーム・ゼロ」が苦労して1件目の再審無罪を勝ち取ったところに送られてきた死刑囚からの手紙を受け、元弁護士の大学准教授東山佐奈の強いリーダーシップの下で、一家4人殺しの強盗殺人事件「吉田川事件」で凶器の包丁と指紋が一致した宮原信夫の再審請求に取り組む若い弁護士たちと事件関係者の軋轢を描いたミステリー小説。
 指紋が一致しているという絶望的な状況をいかに突き崩すかということがミステリーの肝になります。この作品で語られている話は、私は知りませんでしたし、どうなのかはわかりませんが、そういうことがあるのかと勉強になりましたし、何事にも疑問を持ち調査追求することの大切さを改めて感じさせてくれました。
 冤罪救済に取り組む弁護士たちの犠牲的精神に、同業者としては敬服しまた涙します。自営業者である弁護士にそれを望まれても現実的には無理があるのですが、しかし現実にそういう活動をしている弁護士がいて、世間が弁護士にそういったことも期待しているということの重みは受け止めていたいと思います。

23.小説家になって億を稼ごう 松岡圭祐 新潮新書
 小説家は儲からないというのは嘘だ、実際に儲けている作家はいる、儲けている当事者は沈黙を守りがちだと言って、才能ある小説家志望者が夢を断念しないようにと小説の書き方と出版契約と交渉の注意点、デビュー後儲けるためになすべきことなどを説明した本。
 「作家で億は稼げません」(吉田親司、エムディエヌコーポレーション、2021年)(22.↓で紹介)が、この本に対抗して書かれたというので、この本も読んでみました。「作家で億は稼げません」が神をも恐れぬ挑発的なタイトルだとすれば、こちらは税務署をも恐れぬ挑発的なタイトルというべきでしょうか。もっとも、著者が売れている作家で儲けていることは公知の事実で、正しく申告しているのでしょうから、税務署など怖くないということでしょう。
 小説の書き方(表現のルールやゲラ校正のしかたまで!)から、編集者との付き合い方(売り込み方)、出版契約の確認や修正交渉、映像化のメリットとデメリット、テレビ出演に至るまで、売れた場合によりうまく効率的に儲けるテクニックが詳細に説明されていて、小説家志望の読者に、売れた場合にはこうすればいいんだという捕らぬタヌキの皮算用というか、幻想/夢想を誘っています。すべて、自分に売れる小説が書けたならという、一昔前の例えでいうと「ただし、イケメンに限る」とかいうことですが。
 売れている小説(そうでなければそもそも映像化の話が出ないわけですが)の場合、映像化のメリットは大してない、よほど宣伝費のかかった大規模な映像化でない限り原則本の売れ行きにはめざましい影響はない、逆に映像化された作品(その内容は原作とかなり違うこともありそれに原作者は基本的に文句も言えない)が商業的に失敗した場合映像作品と一緒くたにされて原作もダメだったと評価され売上が落ちる(216~236ページ)などの指摘は、たぶん経験者でないと語れないエピソードでしょうね。目からうろこです(まぁ、たっぷり儲けている作家は、ときにこういう事故/被害に遭っても、余裕でいい勉強になりましたですむのでしょう)。
 そういったタイトルに沿った話も充実していますが、実はこの本の一番の読みどころは小説の書き方として著者が「想造」と名付けた手法の紹介にあるように思えます。簡単にいえば、メインのキャラクラー7名とサブのキャラクター5名を設定し(好きな俳優の写真を割り当て、名前をつけプロフィールを設定する)、舞台を3箇所設定し、脳内でそれらを眺め絡んでいく様子を空想し続ける、うまく絡んでいかなければキャラクターを入れ替えるなどして結末に至るまで空想を続けるというものです。私も、自分のサイトで「その解雇、無効です!」というラブコメ仕立ての労働(解雇)事件小説を書いていますが、キャラクター設定をしてしまうと、ラブコメの部分は、このキャラとこのキャラがこういう場面に遭遇したらこういう展開になるよねというのは書いていればほぼ自動で頭に浮かんで来ます。そういうところからも、かなり実用的なやり方だろうと思います。もっとも、著者は結末までの空想ができあがるまで一切書き始めるなといっているので、私の経験とは違うことを勧めているわけですが。

22.作家で億は稼げません 吉田親司 エムディエヌコーポレーション
 小説で年収1億も稼ぐような天賦の才能に恵まれない小説家が筆一本で食い続ける(食いつなぐ)ためのサバイバル戦術を語る本。
 松岡圭祐の「小説家になって億を稼ごう」(新潮新書 2021年)に対し、素晴らしい指南書ではあるが、それができるのは、例えばイチローや大谷翔平のような天賦の才能に恵まれた者だけだと指摘して、そうでない者のやり方を語るべきだとして書かれた本。
 とにかく商業出版でまず1冊出版する(そのための近道は新人賞に応募し少なくとも最終候補に残ること)、1冊でも出版すればそれを名刺代わりに献本を続け売り込むことで各社の編集者に認識される、2冊目・3冊目が出ればそれも献本をし続けることで編集者にそこそこのレベルを書き続けられる筆が速い「便利な」作家と認識されることが基本戦略とされています。編集者が困ったとき(出版予定原稿が落ちた/当てにしていた作家が書けないときなど)に声をかけて来やすい状況を作るということですね。
 小説家としてサバイバルするためには書店の平台に置かれ続ける必要があり、平台に置いてくれるのは発売後せいぜい2か月なので、年間4~6冊の割合で新刊を出し続ける必要がある(104~105ページ)…そのためにも1冊発売が決まったらその発売前に続編の執筆を始める必要がある(127~130ページ)とか。それができること自体、才能か運に恵まれているというようにも見えますが。
 最近はノベルズの初版が6000部に減り、定価1000円でも手取り54万円、文庫はもっと状況が悪く、初版7000部刷ってくれたら御の字で4000部ということもある、定価が700円としても1冊書いて30万円にも届かないことさえある(22ページ)とか。商売として考えたとき、1冊書いて30万円にもならないというのはかなり悲惨な話。文庫って大量に刷るもので、文庫が出せれば安泰なのかと思っていましたが、そうじゃないんですね。驚きました。
 一太郎(ジャストシステム)は、小説執筆に特化し始めた(54~58ページ)って。そうだったのか。裁判文書が縦書き(それもB4袋綴じという世界的には特殊な仕様)だったころに使い始めてワードに乗り換えられないまま使い続けている弁護士業界のロートルはもう一太郎の主要なターゲットじゃないんですね。(-_-;)

18.19.20.21.ラブオールプレー【新装版】(1)~(4) 小瀬木麻美 ポプラ文庫ピュアフル
 中学時代から絶対の全国一の天才プレーヤー遊佐賢人と高校から遊佐を支えるダブルスパートナーとなった横川祐介、遊佐らの1学年下で中学時代はそこそこの戦績にとどまっていたが横浜湊高校にスカウトされてぐんぐん伸びて行く水嶋亮とその同期生の双子ダブルスコンビ東山太一と陽次の東山ツインズ、水嶋のダブルスパートナーとなる榊翔平、海外帰りの一匹狼松田航輝、参謀格の内田輝らの横浜港高校時代とその前後を描いた青春バドミントン小説。
 なんといっても最近までマイナースポーツだった男子バドミントンの世界を描いた数少ない作品なので、その存在を知り、一気読みしました。
 「ラブオールプレイ」(1巻:本にはどこにも巻数表示はないのですが、便宜上)は、水嶋亮を主体に水嶋亮の中3の終わりから高3まで(遊佐と横川の高1の終わりから大学1年まで)を、「ラブオールプレー 風の生まれる場所」(2巻)は遊佐賢人を主体に中3の終わりから大学3年の初めまで(水嶋らの大学2年初めまで)、「ラブオールプレー 夢をつなぐ風になれ」(3巻)は横川祐介を主体に大学3年の初めから4年の終わり(実業団内定後)までとそれ以前のエピソードを、「ラブオールプレー 君は輝く!」(4巻)は第1章が松田航輝、第2章が水嶋の中学時代の親友中野静雄の恵那山高校でのダブルスパートナー拓斗、第3章が東山ツインズ、第4章が水嶋の中学高校時代のライバルで大学でダブルスパートナーとなる岬省吾がそれぞれ主体の短編集となっています。
 天才プレーヤー遊佐賢人は、やっぱり桃田賢斗がモデル、なんでしょうね。初版の1巻が2011年4月に刊行されていることを考えると執筆時にはまだ高校1年生だった桃田を世界的なプレーヤーになると見いだしたとすると、作者はかなりのバドミントン通ということでしょうか。天才ではないけれども見いだされて無限に強くなっていく水嶋亮のモデルは、作者の年齢が公表されていないのでわかりませんが、私の世代だったら、「エースをねらえ!」の岡ひろみでしょうか。読んでいるとそんなイメージを持ってしまったのですが。
 試合でのゲームの展開やプレーヤーの心理等はそれなりに書き込まれているのですが、ラリーの具体的な展開や狙い、駆け引きなどを描写した場面がなく、競技経験者には少し物足りない感じもあります。もっとも、マイナースポーツだけに、あまり詳しく描写されてもほとんどの読者がついて来れないということでそうしているのかもしれませんが。
 作者の競技経験については、わかりませんが、遊佐とのシングルスの決戦の際に先輩から遊佐が右膝に爆弾を抱えていると教えられた水嶋が「覚悟を決め、俺は、27点目、遊佐さんの右膝を直接狙う」(1巻338ページ)って、いうのはどうかと思いました。私の競技経験はもう40数年前ですから的外れかも知れませんが、バドミントンで相手の右膝にダメージを与えようというなら、ネット際に落とす(右脚で前に踏み込まざるを得ない)+センターポジション以外への急な移動をせざるを得ないショット:相手がストレートのヘアピンで返してきたらクロスのネットプレー、そうでないときは相手の脇を抜くドライブでそれに飛びつかせるというあたりがふつうのプレーヤーが考える攻めじゃないでしょうか。格闘技じゃないんだから、右膝狙ってスマッシュ打ってもそれを打ち返すのは右手(右利きなら)とラケットで(トップクラスの選手がラケットも当てられないということは考えにくいですし)、膝にダメージ受けませんし、仮にシャトルが直撃してもちょっと痛って思う程度でケガするとかケガが悪くなるなんてこと考えられません(野球の硬球とは全然違いますので)。ちょっとこの記述を見ると作者は競技経験がないのかなと思ってしまいます。
 4巻第1章で松田は横浜湊高校での初めてのランキング戦で水嶋に負けたと書いています(4巻13ページ)。しかし、1巻では、水嶋が、初めてのランキング戦で松田は5位、水嶋は9位だった(1巻97ページ)、高1の11月時点の記述で、水嶋は松田には「初めの頃はまったく歯が立たなかったけれども、最近は校内の試合では五分五分になっていた」(1巻198ページ)とされています。また4巻第3章では、水嶋・東山ツインズらの高3のインターハイが青森で行われています(4巻171ページ)が、それは岩手だったはず(1巻346ページ、2巻99ページ等)。実際のインターハイの開催地は沖縄・糸満市(2010年)の次は青森・弘前市(2011年)なんですが、それに合わせて修正するのなら、新装版で「加筆・修正」する際に1巻・2巻の記述を修正して、ついでに沖縄の前が京都(1巻138ページ。土産は生八つ橋:1巻140ページ)というのも大阪市(2009年)に修正すべきでしょう。
 数少ないバドミントン小説ですし、陰湿なところ、重苦しいところがほとんど(まったくといってよいかも)なく、気持ちよく読めるという点では、バドミントンファンには貴重な作品だと思います。

17.おしゃべりな糖 第三の生命信号、糖鎖の話 笠井献一 岩波科学ライブラリー
 単糖がいくつも繋がってできた分子「糖鎖」がタンパク質と結合した糖タンパクとして生体内で活動し、その際に糖鎖部分が「糖コード」として情報伝達を担っているという近年の研究成果を解説した本。
 糖(糖鎖)を結合するタンパク質「レクチン」は糖鎖がはまり込むくぼみ(糖結合部位、鍵穴)を持っており、これが糖鎖とドッキングすることで情報が伝達される(39ページ)のですが、一般的なタンパク質の場合と異なり、ある程度構造が似ている糖鎖ならば受け入れるという特徴を持っているのだそうです(52ページ)。その結合の容易性とそれに伴う分離しやすさが一過性の調整的な仕事に向いていたり、想定外の敵の出現や環境変化に応じた対応に向いているため、柔軟性があり生命の持続性に貢献してきた可能性があるということです(52~56ページ)。ある種の「いい加減さ」が生存に有利に働くという話は、さまざまなことを示唆しているように思えます。
 ケガをしたりして異変が生じたとき、白血球が毛細血管内壁に着岸するのに血液内での猛スピードの流れから血管内壁のレクチンと白血球の糖鎖が結合しては離れというのを繰り返して減速してたどり着く(94~96ページ)とか、病原体を記憶したリンパ球がリンパ組織に戻る際にはリンパ球のレクチンと血管内皮細胞の糖タンパクの糖鎖が結合しては離れを繰り返している(97~98ページ)など、免疫でも糖鎖が重要な役割を果たしているのだとか。
 糖単体の働き・動きとは違う、タンパク質と結合した部分としての「糖鎖」の役割・働きの話なので、「おしゃべりな糖」というタイトルからイメージするところとはちょっと違う感じがします。
 全体としては、糖鎖の研究はまだ入り口でわかっていない方が多いということで、この本を読んでもわかったようなわからないような印象を持つことが多いですが、知的好奇心を刺激するものであることは間違いないと思います。

16.ノースライト 横山秀夫 新潮文庫
 インテリアプランナーのゆかりと離婚し、荒れた生活を送っていたが3年前に大学の建築科で同期だった岡嶋に拾われて再起しつつあった一級建築士青瀬稔が、信濃追分の80坪の土地に3000万円であなた自身が住みたい家を建ててくれという依頼を受けて北からの光(ノースライト)を採光の主役とする木の家を造り、のめり込んで作り込んだその家は大手出版社が出版した「平成すまい200選」にも掲載されたが、肝心の施主からは完成・引渡後連絡がなく、不審に思った青瀬が現地を訪れると施主吉野陶太が転居してきた形跡はなく、吉野とは連絡が取れなかった…という設定のミステリー小説。
 戦前にナチスの手を逃れて日本に滞在していたドイツ人建築家ブルーノ・タウトが製作したとおぼしき椅子が吉野邸に残置されていたことを手掛かりにタウトの日本での足跡を追う青瀬の調査と思考の動き、岡嶋設計事務所に降って湧いた地方都市が構想した地元出身の画家の記念館建築コンペへの参加と接待疑惑、熟練型枠職人だった父がダム建設現場を渡り歩いたのに連れられて転校を重ねた青瀬の少年時代、中学生になった娘日向子への思いと元妻ゆかりへの未練に揺れる青瀬の心情などを交差させながらの家族のルーツ、家族への思いをテーマにした作品です。
 あっと思わせるような謎解きのミステリーとはいいにくいですが、ほのぼのとした読後感を持てる作品だと思います。

15.メイド・イン・ヘヴン カマチ アメージング出版
 志田漱石を名乗る小説家が、交通事故で死んで天国で亡き妻と再会するという設定を題材とした小説。
 夏目漱石の「夢十夜」の第1夜の死ぬ間際に墓の脇で待っていてくれたらまた逢いに来る、100年待っていてくれと言い残した女のエピソードを繰り返し取り上げて思案し、自分や妻の若い頃の霊と出会うというイメージを繰り返し、不思議な独特の雰囲気を醸し出しています。
 しかし、最初は妻の咲子が死んだのは5年前で、娘の愛は仕事中で母の死に目に会えなかったという設定で(28ページ)、愛は母親の声を覚えている(45ページ)ということだったのに、最後には咲子は三十数年前に愛の出産の際に死んだことになっています(204ページ等)。天国の話であったり霊が登場する話でもあり、パラレルワールドまで示唆されている(75ページ)のですが、だからといって何でもありというのは、釈然としません。こういうやり方を鷹揚に受け止められる人にはいいのでしょうけれど、私は設定を大きく変えて説明もつけずにいるのには我慢がならないので、ぶん投げたくなりました。

14.医療倫理超入門 マイケル・ダン、トニー・ホープ 岩波科学ライブラリー
 幇助死(安楽死)や生殖医療等についての倫理問題を論じた本。
 安楽死・幇助死問題についてのレトリックとして「ナチスのカードを切る」論法が論じられています。幇助死に反対する論者が、幇助死を支持する者に対して「あなたの見解はナチスとそっくりだ」→「したがってあなたの見解は不道徳きわまる」とするものですが、この論法はナチスが支持した見解が「すべて」不道徳きわまることを前提とすることになり、それが「真」であるかが問題となると論を進めています(14~18ページ)。最近も含め、しょっちゅう話題となる議論ですが、それは議論・論理というよりは、感情・情動に働きかけるレッテル張り・印象づけで、そのような論法に頼ることこそが主張の弱さを物語っているように思えます。
 生殖医療で、聴覚障害者のカップルが聴覚障害者の子を選択して出産しようとすること、医師がそれを幇助することの倫理的是非を論じ、生まれる子が聴覚障害者となる可能性がある(高い)ことを理由に医師が生殖補助を拒むことはほとんど常に間違っていると結論づけています(75~80ページ)。聴覚障害を持って生まれた子が健常者よりも不幸であるとか、親が聴覚障害者の子を持ちたいと考えそれを実行することが誤りである(許されない)と決めつけるのは障害者差別であるという主張をされると、簡単には反論できないところはあります。しかし、そうは言っても、健常者から聴覚を奪う行為がなされればそれは傷害罪等になるわけです。受精卵・胚のうちに薬品で聴覚を奪うことと比して、複数の受精卵・胚から聴覚障害を持ったものを選択して受胎させるという場合は、論理的には傷害を与えるわけではないですし、胎児の聴覚に障害を与える副作用がある薬品の処方はいつまで許されるか、妊娠確率がどれくらいなら許されるかという議論になると論理的には難しい問題になるでしょう。しかし、命の重さを序列化すべきでないとしても、また生まれてくる子の「不幸」を決めつけるべきではないとしても、生まれてくる子にとって大きな足かせとなることを「意図」して行うことには抵抗を感じますし、他方で子への影響の可能性が高くないときに万が一のことを論って親の行動を制約することにも疑問があります。現実の人間と社会の選択は、純理論のみならず、現実の人生の状況・条件の下でさまざまな要素を考慮してなされていくものです。これらの問題は、純論理的な捉え方で、100か0かで議論すべきことかに疑問を感じます。
 その他の問題も含めさまざまな問題提起があり、知的好奇心に訴える本だと思います。

13.古代ローマ 饗宴と格差の作法 祝田秀全監修 株式会社G.B.
 古代ローマの歴史、市民社会と奴隷制度、職業や教育、服装、結婚、住居、風習、飲食、浴場、娯楽、賭博、観光、無礼講、軍隊、武器、戦法などについて紹介した本。
 ローマ市民には食料(パン)は無償で提供され(20~21ページ)、パン屋は国家管理され国から給料をもらう国家公務員のような存在(62ページ)だったが、飢饉によって食糧が不足することがありそれが身長の低さに繋がった(22~23ページ)、上水道は安定していたが下水処理はいい加減でそのまま川に流すだけだったので衛生状態は劣悪でそれがローマ市民の死亡率を高めた(48~49ページ)、ローマは最盛期には人口100万人を超え、土地不足で高層住宅が建てられ、5階以上は木材などで建築されて壊れやすく火災もよく発生した、貧しい者ほど上の階に住んだ(40~41ページ)など、興味深い指摘が多々ありますが、174ページに列挙されている参考文献を眺めると、どれくらいの根拠に基づいて書いているのかには一抹の不安を覚えます。
 古代ローマについての小説等でよく登場する「百人隊長」。80名の兵士を指揮する小隊長と説明されています(130~131ページ)。いや、80名と決まっているのなら(この本では「約80名」ではなく80名と明記されています)なぜ80人隊長ではなくて百人隊長なんですか。そういうところがまったく説明されないのはなぜなんだろう、そういう説明の掘り下げというか深めた跡が見えないのが残念です。

12.永久保存版 みんなのスヌーピー ペン編集部編 CCCメディアハウス
 2018年3月に発行された雑誌「Pen」のスヌーピー特集を単行本化した本。
 「ピーナッツ」の連載の歴史、トピック、作者シュルツ(2000年2月没)の言葉や制作態度などのエピソード、関係者のインタビュー等の紹介は、「ピーナッツ」を味わう上で参考になりまた興味深いところですし、人物相関図(70~77ページ)は細切れにしか読んでいない身には初めて見る登場人物も含めそうだったのかと思う(この相関図を見てもなお区別がつかない人物もいますし、ウッドストックの仲間たち:ビーグル・スカウトなど描き分ける意思もないように見えますが)のですが、商品・店舗のあからさまな宣伝やよく知らない人たちの自分にとってのスヌーピーとかましてや自作の披露とかされても興ざめするよねと思います。そこが、雑誌らしいところとも言えますが。
 作者が死んでも、遺志を受け継いで新たな作品が制作され続けている(82~83ページ)というのが、読者/ファンにとって喜ばしいことと考えるべきなのか、著作権ビジネス・キャラクタービジネスで儲ける事業者たちの商魂たくましさを憂うべきなのか、悩ましいところです。

11.採用獲得のメソッド 転職者のための面接突破術 坂本直文 マイナビ出版
 中途採用求職者の面接の準備と面接時の心得について説明した本。
 表紙カバー見返しに「痛いところをついてくる質問など、採用担当者の意図と具体的な答え方を、実例とともに解説!」とあります。解雇事件を得意分野とする弁護士としては、解雇された労働者から裁判中の他社就労について聞かれることが多く、解雇された労働者が生活費のために他社で働くのは問題ないと答えていますが、じゃあその採用面接でどうするのというのは弁護士としては答がなく、関心のあるところです。しかし、定番質問の「前の会社を辞めた理由を聞かせてください」への対応(64~65ページ)では解雇された場合はまったく触れられず、職種別質問への答え方の中でサービス・販売関連職に関して「これまでに接客トラブルの経験はありましたか」という質問について「会社を解雇されるようなミスやトラブルでない限りは、正直に話すこと」とされ(106ページ)、「面接を突破する弱点別質問への答え方」の「前職を短期間で辞めた場合」(134~135ページ)では「辞めた理由が、会社の経営不振による人員整理、契約内容と実情に重大な相違があった、など本人に責任がないものであれば、正直に伝えて構いません。ポイントは、客観的に簡潔に伝えること。前の会社の批判にならないように気をつけるとともに、言い方にも注意してください」とされています。解雇されたことや退職の理由が労働者に責任があるものの場合は、正直に言うな、会社の側に責任がある解雇(不当解雇)でも会社批判はやめておけということですね。具体的にどう対応するかは、やはり表だっては言えないと…
 ところで、2021年8月31日発行で「マイナビ転職2023オフィシャルBOOK」っていうのはどういうことなんでしょう。雑誌業界では先日付が慣習化/横行しているとは言え、1年半もの先日付って…

10.「無罪」を見抜く 裁判官・木谷明の生き方 木谷明 聞き手:山田隆司、嘉多山宗 岩波現代文庫
 裁判官として30件以上の無罪判決を出し、それがすべて確定した(上級審で覆されることはなかった:そもそも上訴されたのが1件だけ)という実績を残して東京高裁刑事部部総括裁判官を最後に退官した元裁判官に対して元新聞記者と元裁判官・弁護士が聞き取りをした自叙伝。
 裁判所の内情に関して最高裁刑事局の局付時代の話で裁判官会同のことが出てきます。最高裁による裁判官への締め付けの場と評価されているものですが、各地の裁判所から出された問題について刑事局の課(1課~3課)で検討して局付が局議で報告して他課の人や局長からこてんぱんにやられ、会同の場では大先輩の裁判長クラスが議論した後に「刑事局の見解」をペーペーの局付が述べる、今考えたら恐ろしい話ですと局付側からは見える(87~90ページ)。当事者(担当者)の目からは裁判官支配・裁判官への締め付けなどとんでもないということになるのでしょうけれども、制度・政策というのは一担当者の主観を超えたところで動き進められるものだと見ておく必要があるでしょう。
 判例雑誌への判例の提供が裁判所側でなされ、判例時報や判例タイムズの解説は現役裁判官が書いているという、業界で囁かれていることについても、「高裁の判例係」をして公刊物に載せた方がいいものがあったら出版社に送っていた、そういう判決を素材に若手判事補と勉強会をして発表者にコメントを書かせて出版社に送っていたと明記されています(296ページ)。裁判所全体が組織的にやっているというのではないようですが。
 著者・聞き手の主目的の刑事事件の審理の実情とあり方、その中で著者が何を考え実践してきたかということはもちろんですが、それ以外でも裁判所の内情に触れる点がいろいろあって、興味深い本です。

09.ヒンドゥー教10講 赤松明彦 岩波新書
 ヒンドゥー教について、ヒンドゥー教の歴史と地理、信仰の形(礼拝・儀式)、死後の観念(生天:天界に生まれると解脱)、現世拒否の宗教(苦行、宗教的禁欲生活)、不死の探求(死を克服する方法としてのヨーガ)、帰依と信愛(バクティ観念)、象徴と儀礼(タントリズム、密教)、シヴァ教の歴史、ヴィシュヌ教の歴史、ヒンドゥー教の誕生の10のテーマに分けて論じ、解説した本。
 当然ではありましょうが、インドの哲学・宗教の長い歴史の中で、さまざまな概念・主張、宗派が生々流転して現在に至っており、専門の研究者がそこに分け入って説明を展開しているのですから、概念自体の理解、違いの理解、宗派の違いなど、想像した以上に難しく、難渋しました。
 タントリズムの説明で、空海がわずか3か月にも満たない短期間に4度の灌頂の儀式を受け、入門の儀礼から最高位の「伝法」の儀礼までを一気に終えた(164ページ)ことが淡々と描かれていますが、そう言われてしまうと、空海や密教に対する考え・評価に、今までの受け止め方でよかったんだろうかという思いも生じます。
 全然関係ない話とも言えますが、インドでの、ヒンドゥー教の概念で「マーヤー」というのが世界と身体を作り出している原物質(194ページ、199ページ)、神の力(215ページ、217ページ、237ページ)などの意味を持つそうです。私の小説の主人公の名前に何気なく使っているのですが、そういう由来も今後かぶせてみましょうか (^^;)

08.世界がわかる比較思想史入門 中村隆文 ちくま新書
 哲学・宗教・思想史を、ギリシャ・ローマ文化、ユダヤ教・キリスト教・イスラーム、インド思想、中国思想、日本思想、近代の哲学思想、現代思想に分類して説明し、異文化への理解を深めようと説く本。
 異文化への理解という点では、古代ローマとその影響を受けた西洋思想のバランスモデル・契約モデルの説明で、犯罪・被害に対してはまずは刑罰ではなく損害を埋め合わせる民事的な賠償が優先され、「人は殺したけど、ちゃんとお金払って埋め合わせたんだから、もういいじゃないか」という考え方が当たり前となる、欧米社会が「契約社会」「個人主義社会」であるその根幹には、そこでの正義が、損失と補償のバランス、つまり天秤のつり合いをもって個々の自由人の共存を可能としていることがあるようにもみえる(38~40ページ)、日本人には理解しにくいが、正義や法に関するその歴史は我々日本人が積み重ねてきた思想の歴史とは異なるがゆえに我々が赦せないものを彼らが寛容にも赦すことがあることはおさえておくべきだろう、我々と異なるパースペクティヴからすれば日本人が求めることこそがむしろ行き過ぎな正義として集団リンチにみえていたり理性を失った感情的な反応にみえてしまうこともあるかもしれない(40~41ページ)というあたりが、一番刺激的でまたわかりやすい指摘でした。
 さまざまな思想・哲学を説明した上で、著者は、自己の思想の優越性認識・自負故に他者を見下したり排除する暴力性・支配性から自由であるために、自身の死を意識し残り時間を意識する中での自らの人生の残り時間で何をすべきかを考えるべきことを提唱しています(227~232ページ)。それが悟り・涅槃に行き着くものか、心の欲するところに従えども矩を踰えずになるのか、自分自身の生き方に社会性を求める者はどうなるのか、簡単ではないように思えますが。

07.ヴィジュアルを読みとく技術 グラフからアートまでを言語化する 吉岡友治 ちくま新書
 ヴィジュアルを題材に友人・知人というかデートの相手と会話を膨らませるということをテーマとして取り上げつつ、著者の近現代美術についての評論を示した本。
 ヴィジュアルと言語化するための方法論がテーマとされてはいますが、汎用性を持つようには私には感じられず、方法「論」として展開できているかということも、今ひとつわかりかねました。基本的には、著者が取り上げた近現代美術作品について感じまた認識した評価を論じたもので、各章末尾にそれを会話に落とし込んでいるところで、ヴィジュアルを題材に会話を弾ませるという試みに立ち戻っている点で方法論というよりもとりあえずこういう実践例を示しますという姿勢が示されています。まぁ、先ずはやってみましょう、試行錯誤しましょうということなんでしょうね。
 「グラフからアートまで」ということでヴィジュアル全般に手を伸ばしているようには見えますが、グラフは付け足しっぽくて、主眼は美術作品の評論と見えます。
 公共空間での「落書き」について、「公共の場を汚す行為」として排除することは企業による公共空間支配に加担し、市民を抑圧するしくみにコミットしていることになる、公共の空間に自分の発言を書き込むのはむしろ市民みんなの権利だ(168~169ページ)という主張には、勇気づけられる思いをしました。

06.日本のサンショウウオ 46種の写真掲載 観察・種同定・生態調査に役立つ 川添宣広 誠文堂新光社
 日本に生息するサンショウウオ全46種について、飼育されているものではなくすべて生息地で写真撮影して紹介した本。
 学者ではなく雑誌編集者を生業とする著者が、一部は専門家や愛好者に案内されて同行しつつも、多くは適当にあたりをつけて試行錯誤して全種の探索をしていく苦労話(4~36ページ)が圧巻というか、読み応えがあります。素人装備で急峻な沢・崖地、雪山に挑み、自身が冷水に落ち、車がぬかるみにはまり、命の危険を冒して撮影を続ける姿が痛々しくも美しい。著者自身、マネしないようにと書いていますが。
 サンショウウオというと、清流水に住んでいるとイメージしがちですが、オオサンショウウオ以外は産卵と幼生時以外は森林の落葉・下生えや岩の裏に生息していて、むしろ降雨時の道路で発見することが多いくらいだそうです。
 著者自身が同種のサンショウウオでも個体差・地域差が大きいと感じていることからできるだけ多数の個体の写真を掲載するように努めています。その結果、同種に分類されているサンショウウオでも微妙な色合い、斑点の有無・分布が異なる写真が掲載されていて、結局何が基準で種を分類・同定しているのか、見た目がほとんど同じ別の種に分類されている個体とどう違うのかがわからないという思いを持ちます(サブタイトルにある「種同定」に役立つかというと、素人には、かえって迷うことになるという気がします)。
 掲載されているサンショウウオの写真が、両生類の特徴ではありますが滑らかで光沢がありみずみずしく、美しい。両生類が生理的にダメという人には楽しめないでしょうけれども、その写真の希少価値と美しさだけでもいい仕事だなぁと思います。

05.宗教図像学入門 十字架、神殿から仏像、怪獣まで 中村圭志 中公新書
 諸宗教に関連する図像や場所・空間等の舞台配置を、十字架と法輪(代表的なシンボルマーク)、偶像禁止、三位一体と三神一体(絶対神をめぐる教理)、降誕、開祖の生涯、死と復活、開祖と預言者、聖人と宗祖、聖なる母、天界の王族、異形の神々、瞑想の中の救済者、絶対神の眷属、求道の路程、大宇宙と小宇宙の照応、神と悪魔・陰陽、聖なる文字、神殿と聖地、祈りと修行の場、塔、深山・桃源郷、神獣、世界の成り立ち、死と終末等のテーマに絡めて論じた本。
 宗教や宗教概念等の中での図像の位置づけや意味を論じ、あるいは宗教的な図像の宗教を超えた共通点を考察すると見える部分もありますが、どちらかといえば、図像を用いてさまざまな宗教を説明しているという趣の部分の方が多いように思えました。
 取り上げられる宗教と図像もそのテーマに応じて一定ではなく、マヤ・アステカとか北欧とかはたまにつまみ食い的に使えるときには出てくるという印象があり、体系的にではなく著者が興味を持ち説明したいことを説明しているというものと受け止めた方がいいでしょう。
 明王(密教界の如来の部下)の中で降三世明王(五大明王の中で不動明王に次ぐらしい)はいつもシヴァとその妃のカーリーを踏みつけているのだそうです(120ページ)。宗教闘争の歴史が今なお脈々と生きているって。降三世明王なんて存在も知らなかったので、そういうのは勉強になりました。
 全体として、タイトルや体系を気にせず、宗教雑学の本として読むのがよいと思います。

04.心理学×物理学×色彩学の研究でわかった!なるほど「色」の心理学 都外川八恵 総合法令出版
 色による印象と錯覚を自己アピールとビジネスに利用しましょうとアピールする本。
 引っ越し屋の段ボールが最近は白が多用されているのは、軽く感じさせることで労働者の疲労感を軽減し作業効率を上げるためだそうです(16ページ:もっとも著者は研究者でもないコンサルタントということもあり、「を狙った結果とも言われています」という書き方ですが)。なるほど、経営者が労働者を錯覚させてより効果的に働かせることに「心理学」が利用されているということですね。
 寿司桶や惣菜のパックに黒が多用されるのも、シャリの明るさや艶を際立たせネタの色味を際立たせて新鮮でおいしそうに見せるため(49ページ)、ミカンは赤いネットに入れることで赤く熟れておいしそうに、オクラは緑のネットに入れることでいつまでも青々と新鮮に見せることができる(51ページ)とか。消費者は易々と事業者の戦略に踊らされるということですね。また、色は面積が大きくなるほど明るく鮮やかに感じやすい(64~65ページ)ので、実物より小さなサンプルで判断すると失敗しやすいそうです。
 そういった色彩の心理・錯覚を説明した上で、この本の売りはあなたのバースカラーを診断しますというのですが、これが何と、①氏名(本名)、②旧姓、③生年月日、④出生地、⑤出生時間、⑥性別、⑦血液型、⑧利き手、⑨母親の生年月日、⑩母親の出生地、⑪父親の生年月日、⑫父親の出生地の12項目から算出するというのです(176~178ページ)。「心理学」「物理学」「色彩学」という学問を称した挙げ句に結局は姓名判断か占星術ですか?というような可愛げのある話とも思えず、著者の運営するサイトでこれら12項目を入力するというのですから、個人情報収集が目的のビジネスと見るべきでしょう(その診断が会員登録して料金先払い、それもけっこう高額なので、この強気の設定でビジネスとして成立するのかには興味を持ちますが)。

03.認知症そのままでいい 上田諭 ちくま新書
 認知症には根治療法はなく、85歳以上になればほぼ2人に1人が認知症なのであるから、認知症を特別な病気と見ることは間違いで、加齢によって「ボケた老人」が増えることを当然のこととして家族や地域社会が受け止めていくべきであることを論じた本。
 高齢者が一時的に身体状態が悪いときに起こる一過性の精神状態の悪化により場所や時間がわからなくなったり幻覚が見えたりする混乱を認知症と間違えたり、疾病や苦痛によって思考力、集中力、覚醒度が低下して認知症と間違えられること(127~128ページ)、認知症の兆候は急に現れることはなく、先週までしっかりできていたのに今週から急におかしくなったというのは認知症ではない(139~143ページ)など、診断の難しさ・安易な決めつけへの戒めが指摘されています。医療機関に対しては、他の病気ならばできないことを前提に対応を考える(足を引きずって歩く患者に速く歩けないのは困るとはいわないだろう)のに認知症患者が説明したことを理解せず忘れることを前提にした対応をしないのはおかしい、覚悟が足りないとも(129~133ページ)。
 認知症患者の徘徊について、場所や人がわからなくなった見当識障害のある重度の患者ではなく会話ができる中程度の患者が出かけた先でうろうろしているのは、出かける意思もあり出かける動機もあるはずで、頼りにしている家族に注意や叱責をされて寂しくつらい気持ちになって家にいたくなくて外出してしまうというのが実態ではないか、過剰な監視や制止が認知症患者の生きる力や意欲を蝕むのではないかと指摘しています(98~106ページ)。人として接することの重要性の指摘ではありますが、もう少し具体例を挙げてどのような対応が考えられるかを敷衍してもらえるとよかったかなと思います。

01.02.民事保全の実務[第4版] 上下 江原健志、品川英基編著 金融財政事情研究会
 東京地裁民事第9部(保全部)の裁判官たちによる保全(仮差押え・仮処分)の実務についての専門書。
 ふだん考えない/考えたこともないことまであれこれ書かれていて、裁判官はこういうことまで検討しているのかと思うところが多々あり、勉強になるとも言えますが、ふつうの事件では考えなくてもいい問題を細かく言われてもなかなか興味が持てないという面もあって、読み通すのはなかなかしんどい。特に下巻に入ると、かなり技術的な色彩が強い担保取消、さらには登記嘱託など、弁護士の立場でも読むのがつらいです(実務上は、下巻についている書式集が一番必要になりますが…)。
 実務的な関心としては、仮差押え等の申立て時の保全の必要性(仮差押えで言えば、差し押さえ対象物を処分される可能性)をどのように説明・疎明するのが裁判官の心に訴えるのかとか、担保決定の基準とかがより詳しく書かれているとうれしいのですが、そこはケースバイケースということであまり具体的な記述がされていないのが残念です。
 自分が経験のない領域では、現在東京地裁保全部に来る仮の地位を定める仮処分の8割弱を占めるという(上巻384ページ)インターネット関係の仮処分(発信者情報開示・発信者情報消去禁止・投稿削除)と、DV防止法の保護命令関係が少し詳しめに書かれていて勉強になりました。

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