庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2022年4月

30.知的文章術入門 黒木登志夫 岩波新書
 報告書・論文を想定して、文章の書き方、プレゼンの仕方、英語の学習と表現等について論じた本。
 文章術に関しては、「私は『簡潔・明快・論理的』を『知的三原則』と呼んでいる」(20ページ)等の名言もありますが、基本的にはあちこちで言われていることで、あまり新鮮味は感じませんでした。
 むしろ情報収集のところで、これも特に目新しい話ではないのかもしれませんが、ウィキペディアも日本語版は英語版に比べるとかなり貧弱(103ページ)という説明に、なるほどと思いました。誰でもが書き込め変更できるウィキペディアは良心的な多数の人々に支えられその信頼性を依存しているものですから、それぞれの言語ごとのネット民の質にそのレベルが左右されることにならざるを得ませんからね。「スマホ脳」にならないようにスマホを見る時間を短くする手段として「スマホの画面を白黒にする」(111ページ)というのがありました。目からうろこかも。
 終盤3章は英語の学習や表現なのですが、英語の「聞き(hearing)」(160ページ)、「ヒアリングの勉強」(167ページ)と、英語で/を聞くことを「ヒアリング」で統一しています。私たちやより年長の世代は、学生の頃、ヒアリングで習いましたが、今どきは「リスニング」が通常の用語法だと思います。英語を学習しようという本でそう書かれていると、大丈夫かと思ってしまうのですが。

29.イラスト図解 カラダの不思議としくみ入門 中島雅美監修 朝日新聞出版
 人体のしくみについて、細胞、運動器、神経系、感覚器、循環器系、呼吸器系、消化器系、腎・泌尿器、内分泌系、生殖器に分けて簡単に解説し、ありがちな疑問について簡単に回答する本。
 人体や健康について広く浅く知るための本。回答は、まだわかっていませんというものも少なくないので、欲求不満が残るところがあります。「視力低下を防ぎ、目がよくなる方法はある?」(60~61ページ)とかいう問いを立てて「いったん近視になってしまうと、元に戻る方法はほぼないといわれており」と言われると、期待させるような問いを作るなよとも思えますが、できないということも含めて、とりあえずはそういうことなのねと思えばというところでしょう。
 しかし、血液型の解説で、AB型とO型の両親からはA型かB型の子どもしか生まれない(174~175ページ)と今頃書いているのはいかがなものかと思います。昔はそう言われていて、その両親からAB型やO型の子どもが生まれると不貞が疑われましたが、AB型の中にシスAB型というタイプがあり(0.012%程度ということですが)AB型とO型の両親からでもAB型、O型の子どもが生まれうることが今では明らかになっています。少ないとは言え、日本でも4桁程度の該当者がいると考えられ、過去にそういう説明で不幸な目に遭った人がいる問題で、わりと知られたことだと思います。こういう説明を見ると、大丈夫かなぁと心配してしまいます。

28.私たちはいつまで危険な場所に住み続けるのか 木村駿、真鍋政彦、荒川尚美 日経BP
 近年増加・激化している大雨が排水能力を超えて生じる内水氾濫や河川の堤防が決壊するなどの外水氾濫、高潮・高波などによる水害、土砂災害の災害リスクに対し、防災・減災のための試みや技術を紹介し、災害危険地域からの撤退・移住を勧める本。
 水害・土砂災害の危険を広め、災害危険地域からの移住を勧めるという問題意識は理解できますが、まず日本では人口の約50%が洪水氾濫区域に居住している(241ページ)、日本の人口は2008年をピークに減少しているにもかかわらず浸水想定区域内の人口は年々増加している(242ページ、243ページグラフ)という現実に絶望的な思いを持ちます。そのような状況の下で、危険地域の情報を広めれば危険な場所から移住を進めることができるという発想はとてもナイーブなもので、裕福な人々は危険を回避できるでしょうけれども、危険を知らされても経済的事情から移住できない人が多いだろうと思います。そこでは、「自己責任」よりも行政の出番でしょう。
 災害の防止、減災のための様々な試みを紹介することは、展望を得るためにも有意義だと思いますが、どうも企業の宣伝臭を強く感じてしまうのは、私の「日経」ブランドへの偏見故でしょうか。

27.落花流水 鈴木るりか 小学館
 6歳年上の近所の名家の息子に恋い焦がれ、その息子が自分の高校の生物の教師となったのを見て自分も教師になって妻になりたいと思い詰める高校3年生の佐藤水咲が、その憧れのお兄ちゃんが下着泥棒で逮捕されてうろたえ冤罪と信じようとし悶え苦しむ日々を描いた小説。
 作者は中学2年生で作家デビューし、この作品は高3で書いたというのですが、これが高校生の感覚なのでしょうか。憧れの人が盗んだパンツ800枚が並べられたテレビ映像がトラウマになり「決めたっ、私、もうパンツは穿かないっ」って(86ページ)。みずみずしいセンス!なのでしょうか…そして驚いたことに、それを聞いた同級生が「『もう頬づえはつかない』、もうパンツは穿かない、ってか?」と突っ込んでいます(同)。いや、それ、私が学生の時の小説と映画ですよ。今の高校生が知ってますか? 海を愛する男が加山雄三だったり(74ページ)。
 この作品の問題じゃないんですが、「凜として」という表現が、この作品でも(12ページ)、この前に読んだ「世界は『 』で沈んでいく」(今月26.↓)でも(244ページ)、立て続けに出てきて驚きました。さらに前に読んだ「凜として弓を引く」(今月04.↓)ではタイトルでは使われていても作品中では一度も出てこなかった(私が見落としていなければ、ですが)のに。

26.世界は「 」で沈んでいく 櫻いいよ PHP研究所
 海沿いのひなびた町に引っ越してきた人付き合いが苦手な中学2年生の緒沢凛子が、なれなれしく話しかけてくる薄いオレンジに髪を染めたいつも笑顔の同級生和久井将暉に反発を感じながら、周囲との関係に悩み疲れ、本音をぶつけられる和久井に気を許していき…という青春小説。
 友達とは何か、1人でいることの意味などを考える作品ですが、自らが未熟で視野が狭く相手のことを考える余裕も力量もなく相手を傷つけているのに、自分が考える友達という定義・内容にピタリと当てはまらないものは友達ではなく価値がなく、100か0か的な見方で、周囲の者が完璧でないこと、さまざまな側面を持つことを許せず拒絶して孤立していく緒沢の姿があまりに息苦しい。この緒沢の行動パターンが、スタート地点は違っても、シリーズ初巻の「世界は『 』で満ちている」の間宮由加とほぼ同じで、ちょっと苦笑します。
 「世界は『 』で満ちている」では、不良グループ男子も「ふはは」(33ページ)、「っはは」(101ページ)、「はは」(88ページ、135ページ)、「ふは」(149ページ、234ページ)と少し力の抜けた笑い声を出していましたが、今作では笑い声が「ぶはは」(128ページ、148ページ)、「ぶははは」(135ページ)とパワーアップしています。不良男子グループのみならず、凛子のお友達だった香江子さえも「ぶはは」と笑っています(107ページ)。似たようなコンセプトと展開の2作でそこが違いだったのかも… (^^;)

25.世界は「 」で満ちている 櫻いいよ PHP研究所
 噂がすぐに広まる海が近い地方都市に住む、学校が楽しみで仕方がない「明日が来るのをいつも楽しみにしていた」中学1年生の間宮由加が、学級委員の優等生涼子といつも一緒に過ごし、涼子が疎ましく見る由加の幼なじみの今は髪をロイヤルミルクティー色に染めだらしない格好で歩き学校にもろくに出てこない宇賀田悠真とは距離を置いていたが、ある日涼子が由加が一目惚れしていたサッカー部の御笠と付き合い始めそれを機に涼子の取り巻きから疎まれるようになって孤立し、世界が大きく変わり…という青春小説。
 周りから見る像と、その人が抱えている問題や内実・性格、伝わる噂と近くにいて感じ取れるもののギャップとか、友情、人間関係というようなことを考えさせる作品です。友達とは何か、1人でいることの意味などを考える作品ですが、自らが未熟で視野が狭く相手のことを考える余裕も力量もなく相手を傷つけているのに、自分が考える友達という定義・内容にピタリと当てはまらないものは友達ではなく価値がなく、100か0か的な見方で、周囲の者が完璧でないこと、さまざまな側面を持つことを許せず拒絶して孤立していく由加の姿が、好意的に見れば切なく、好意的に見なければあまりに息苦しい。

24.まこつの古今判例集 中村真 清文社
 著者が、たぶん好みで、選んだ大審院・最高裁の著名ないしは割と知られた判例について、その事案を漫画と文章で説明した上で、1審、控訴審、上告審の判断を解説して著者のコメントをつけた本。
 法律実務家と法学部出身者・学生が、授業で習ったり聞いたことはあるけど、その判決ってこういう事案だったんだとか、実際の裁判ではそういうことが議論になったのねと思う、蘊蓄本という位置づけでしょう。選ばれた判例が特定の分野ということでもなく、現在の裁判実務上よく使われるとも限らないこともあり、実際に裁判実務をしていて、これは使えるという印象がないので、実質的には「趣味の本」だと思います。
 「古今」の名を用いていることからか、判決日を基準に春夏秋冬に分類された上、事案紹介末尾に歌が詠まれていますが、事件発生日と関係がないため、「春判例」で秋の歌が詠まれていたり(33ページ)、「夏判例」で弥生(3月)が詠まれ(71ページ:事件も2月29日から3月上旬)と、季節感を醸し出そうとした試みが滑っているように思えます。
 「今はただ反対。そんな気分だっただけ」「いつものように事前通告のない質問を」という「左派野党の党首」のヒロイン「瑞希」(235ページ、237ページ)って、私の同僚のことですか?

23.ヒカリ文集 松浦理英子 講談社
 劇作家兼演出家の破月悠高が主催していた学生劇団NTRで女優として活躍し、当時高い評価を得た「マノン・レスコー」で主役を演じ、多数の劇団関係者と次々関係を持ち去って行った「いい顔で笑う子」のバイセクシュアルのヒカリについて、十数年が経った今、2年前に死んだ破月悠高が残した戯曲にこと寄せるかたちで他の元劇団員たちが、今はどこでどうしているかわからないヒカリとの想い出、ヒカリへの追憶・賛歌を記した文集という形式の連作小説。
 寄稿者それぞれが、バイセクシュアルのヒカリと性的な関係を持ち、それが劇団の狭く濃密な人間関係の下で残した嫉妬、羨望、軋轢、諦念を今となっては甘酸っぱい想い出化して語る様子が、また複数の者からの語りを合わせることで事実にも人物にも別の側面が次第に見えてくるところが、読みどころとなっています。
 レズビアンの雪美と劇団の看板男優の裕がそれぞれにヒカリと関係を持ち、その間・その後に2人の間に生じる友だち以上恋人未満的な関係など、ほろ苦くも甘酸っぱくもある様々な人間関係に、魅力を感じますが、それもヒカリ不在の状況だからともいえ、ヒカリがそこに現れた場合には緊張が走ることになるでしょう。そういうことを考えると、ヒカリが行方不明という設定は巧妙なものと言えましょう。

22.わたつみ 花房観音 コスミック文庫
 東京の芸術系大学の映像学科を出て映画を1本撮り映画監督として生きていくことを志したが失敗して京都駅から特急に乗り2時間半の日本海に近い故郷の田舎町に戻り株式会社わたつみの海産物加工工場に勤める33歳の田嶋京子が、同僚の女たち、両親と3歳年下の妹らと間合いを計りながら暮らす日常を描いた小説。
 第1章から第4章では、前半(1)で田嶋京子の失意と諦めと煩悶の日々を、後半(2)でいずれも工場での同僚の、中学の同級生だったシングルマザーの青山美津香、東京の専門学校から夫と戻ってきて自然食カフェを経営している4歳年下の甲斐くるみ、管理者木下順平に淡い思いを持つ30歳過ぎの処女沼田千里、夫と3人子どもがあるが出会い系サイトで男を漁り続ける45歳の大久保幸子の嫉妬と鬱屈にまみれた性生活を描き、第5章以降、田嶋京子の話に集中していくという構成です。
 田嶋京子が東京から故郷に戻ることとなった原因が、私が悪い、全部、私が悪い、だからこれから罰を受けに行く(10ページ)、本当のことなどいえない(23ページ)、事故を起こして怪我をした(65ページ)、親を悲しませ、負担をかけ、自分自身も傷つき落ち込んで周りに対しても理由を明かせない(100ページ)…と抽象的なほのめかしを続けていて、謎として先送りされ続けますが…そうされると何かすごい種明かしを期待してしまいます。しかし、実際のところは、単に、明かすタイミングを失ってしまったという感じがします。
 主人公の田嶋京子よりも脇役の同僚たち、特に青山美津香の屈折した思いやたくましさの方が読みどころかもしれません。そういうところも含めて平凡に見える名もなき女たちの嫉妬とセックスをめぐるエネルギーを感じさせる作品です。

21.6Bの鉛筆で書く 五味太郎 ブロンズ新社
 1945年生まれの著名な絵本作家の著者によるエッセイ集。
 統一的なテーマはなく、思いつくところを書き綴ったという風情です。著者の得意のイラストはなく(イラストだと絵本になってしまうからでしょうね)、著者が海外で撮影したモノクロ写真が、文章の内容とはあまり関係なく配されていて、そこが渋い味わいです。
 ゴッホの「カラスのいる麦畑」が著者にとっては重要な絵で、その原画を初めて、それも所蔵しているアムステルダムのファン・ゴッホ美術館ではなくニューヨークの美術館で見たことに、「何でお前ここに居るんだ?」とものすごく混乱したというエピソードが書かれています(60~62ページ)。私はゴッホなら「夜のカフェテラス」の方が好みですが、まぁそういうきれいな絵よりも「カラスのいる麦畑」とか「星月夜」なんかの方がゴッホらしいですもんね。
 東南アジアの屋台で自分はサッパリ・フォーが好きだから定番調味料はあえて遠慮してかけずに食べていたら運んできたおばさんが見かねて戻ってきて塩や砂糖や酢やたぶんナンプラーを勝手にかけ、パクチーも山盛りにしたり、小さな女の子が著者が作った絵本をしたり顔でめくって仕掛けを教えてくれたりするのに、何も言えずににっこりする(41~43ページ)のも、外国での話がたくさん書かれていても、やはりいかにも日本人らしいよなと思ってしまいます。

20.元銀行支店長弁護士が教える 融資業務の法律知識 池田聡 日本実業出版社
 銀行の融資担当者が融資や条件変更、債権回収などの際に考慮すべき法律等について解説した本。
 あくまでも銀行の側から、銀行にとってのリスクや法的手段等を説明したものですが、借り手側から見て参考になる情報もあります。法令ではないものの日商(日本商工会議所)と全銀協(一般社団法人全国銀行協会)が事務局を務める経営者保証に関するガイドライン研究会発表の「経営者保証に関するガイドライン」が中小企業が破産等の法的手続または準則型私的整理手続(再生支援スキーム、事業再生ADR等)を行っていいる場合の経営者である個人保証人について「華美でない自宅」と一定期間の生活費に相当する現預金(経営者が45歳以上60歳未満の場合462万円、60歳以上の場合363万円がめやす)等を手元に残せる(220~223ページ)とか。もっと実際の運用について詳しく教えてくれるといいのですが。銀行が不良債権回収の段階に入った場合、利息より先に元本に充当する(実際には「不良債権」になったら系列の保証会社に代位弁済させて銀行の手を離れるので、あまり意味はないですけど)のは、債務者/借主のためじゃなくて「そのほうが不良債権を減少できるからです」(245ページ)って。なるほどです。
 著者はみずほ銀行に長年(興銀時代と通算して24年)勤務していたとのことですが、融資先に法令違反があるときの例として「利息制限法に違反する高利の貸付を行っている消費者金融業者へのバックファイナンス」を挙げた上で「法令違反が絡む投資へのバックファイナンスとして融資をしてはいけません」と述べています(27ページ)。少なくともみずほ銀行の支援を受け今はみずほフィナンシャルグループ企業となっているオリコが「利息制限法に違反する高利の貸付を行っている消費者金融業者」であったことは言い逃れの余地はないと思いますが(まさか、オリコは「信販会社」だから「消費者金融」ではない、とか言いませんよね。いくら何でも)、そこは「よく言った」と評価しておきましょう。
 離婚の際の住宅ローンへの対応について、居住する方の収入で返済が無理な場合は、夫婦間の協議結果に関わりなく銀行としてはローンの組み替えはもちろんのことローン支払いの継続にも応じないで売却をすすめるとしています(190~192ページ)。事業者でない個人には徹底して回収優先の冷酷な姿勢ですね。銀行の本音が見えます。
 弁護士の書いたものとしては、期限の利益の喪失について「銀行が期限の利益を喪失する」「銀行が期限の利益を喪失した」という表現が出てきたり(例えば100~101ページ)(銀行は借主の期限の利益を「喪失させる」のが通例ですし、もし銀行側の期限の利益についてなら「放棄する」が通例)、「分割会社に対し債務の履行をできる債権者」(183ページ)(「債務の履行を請求できる」か「分割会社から債務の履行を受けられる」だと思いますよ。常識的には)とか、意味わかってる?って疑問に思う表現が見られます。他人に/素人のライターに書かせて弁護士が「監修」してるのなら見落としかな(それでもこういうの見落とすかな)と思いますが、弁護士が自分で書いてこういう言葉使うか?と思いました。

19.これだけは知っておきたい「性病」の症状と予防法 蓮池林太郎 セルバ出版
 性病の症状と感染リスクについて解説した本。
 「ヘルペスウィルスは、粘膜と粘膜の接触で感染することがあり、キスはもちろんのこと、同じコップで飲み物を飲む『回し飲み』の行為でも感染するケースが報告されています」(24ページ)、「ヘルペスは、感染当初は無症状で、数年後に再発するというケースもあります」(83ページ)って。え~っ、私らの世代では、回し飲みなんてごくふつうだったけど。昔のそれが原因で今頃なんてこともあるのか…
 「性病は単純な性行為だけでなく、様々な要因が重なって発症することもあり得る病気なのです。まだまだ研究途上で、ブラックボックスのままはっきりしていない部分もたくさんあります。おまけに、病原体がさらなる進化を遂げて、現状では予想もしない経路で感染するウィルスや細菌が誕生してもなんら不思議ではありません。そういうわけですから、性病が発覚したからといって、安易にパートナーの浮気を疑うのは、正しい判断ではありません」(84ページ)というのも、そういうものかとも、そう言われてもとも…
 「HIVに感染していながら、感染対策を講じずに、不特定の人と性行為をしている人がいる」「当院での治療経験令(ママ)から考えても、決してその数は少なくありません」(96ページ)というのも恐ろしい。
 温泉で体質に合わないボディソープで性器を洗いすぎてしまい細菌が入り込んで細菌性亀頭包皮炎にかかってしまったという症例の紹介(72ページ)や、ウォシュレットでの洗いすぎやトイレットペーパーでの拭きすぎで粘膜に傷ができて細菌やウィルスの侵入の危険が生じるという指摘(98~99ページ)も、性病というのとは違うんでしょうけど、気をつけようと思いました。

18.野口整体を40年探求してきた医師が教える 素晴らしい「介護と看取り」 三角大慈 KKロングセラーズ
 高齢者が自然に枯れるように安らかな死を迎えられるような健康法・生活習慣を論じた本。
 「はじめに」では、悲惨な介護殺人のことを紹介し、悲惨な介護を解消するための方法を語るとし、その方法としては25人の高齢者が共同生活をしてお互いに協力しながら看取る「二十五三昧講」の実施を進めているように見えるのですが、この本全体としては、前半で介護殺人事件の哀しい事例、終末医療の問題などを述べた後に、自然死とそれを受け入れていた過去の日本の文化や野口整体の考え方などを紹介した上で、後半は老化を防ぐ健康法を説明し、むしろそちらに焦点が行く作りとなっています。
 その中で、「病気が治るイコール健康ではない」「病気をしないことが健康でもない。風邪をひくような状態に体がなったら風邪をひくのが整った体です」(106ページ)、「治す力があるからこそ病気になり、病気は治るのが当たり前となります」(107ページ)というのは驚きでした。「春の季節の変化にあわせてひく風邪は、冬の間に溜め込んだ栄養や老廃物を排泄する脱皮のようなものだと考えることもできます」(167ページ)、「九月にひく風邪は、夏の疲れの清算という意味合いがあります」(178ページ)って。おぉ…でも、歳をとるにつれて、一度風邪をひくと長引くんですよね。
 「冬の間に溜め込んだ皮下脂肪や余計なものを、春になると体外に排泄します。その際、下痢になることがよくあります」「それ故、春先の下痢は薬で止めてはいけない」(169ページ)と。人間は、ときおり病気になるのが自然で、人間の体は病気を活用しているというのです(109ページ等)。う~ん、でもそう言われてもそこまで達観できないなぁ。
 健康法でもいろいろ書かれていて、すべてを実践するのは難しそう(例えば1か月小麦を絶てとか:126~130ページ)ですが、空腹感を感じる食生活をし(始終食べるのではなく食間を空けるということですね)、お腹がすいたら(お腹がすいてから)食べることを実践する(120~123ページ)のは、私はすでにしています(平日はふだんお昼抜き:健康法の本ではあまり好感されていないようですけど)。睡眠2時間前にはパソコンの使用はやめる、寝る前に本を読むのもよくない(141~143ページ)は、私には無理でしょうね。

16.17.面白い物語の法則 上下  クリストファー・ボグラー、デイビッド・マッケナ 角川新書
 「ハリウッドの虎の巻」とも呼ばれ創作講座などでも教科書として採用されていた映画、脚本等の創作テクニックを紹介するロングセラーを出版したものだそうです。
 そういう紹介を見て、またタイトルに惹かれて読み始めると、今ひとつつかみは弱いしすでにどこかで聞いたようなことがくどくど言われている感じで、残念に思えました。
 神話学研究者のジョーゼフ・キャンベルが書いた「千の顔をもつ英雄」が分析したヒーローズ・ジャーニーの展開:日常世界→冒険への誘い→冒険の拒否→賢者との出会い→戸口の通貨→試練、仲間、敵→最も危険な場所への接近→最大の試練→報酬→帰路→復活→宝を持っての帰還が繰り返し語られてストーリーテリングの基本とされ、ロシアの研究者ウラジミール・プロップがおとぎ話を分析して論じたキャラクターの類型化(敵対者、贈与者、支援者、姫君と父王、派遣者、主人公、偽の主人公/偽の主張者/第二の敵対者)や31の「機能」(ヒーローズ・ジャーニーの12ステージより詳細な31の段階)、レスボス島出身のアリストテレスの弟子テオプラテスの「キャラクターたち」に記載された30のキャラクター類型(皮肉屋、へつらい屋、無駄口屋、粗野な人間、お愛想を言う人間、無頼の人間、おしゃべり好き、噂好き、恥知らず、けち、いやがらせをする男、タイミングの悪い人間、おせっかい、愚か者、へそまがり、迷信深い人間、不平屋、疑い深い人間、不潔な人間、無作法な人間、見栄っぱりな人間、しみったれ、ほら吹き、横柄な人間、臆病者、独裁者(権力好き)、年寄りの冷や水をする人間、悪態好き、悪人びいき、貪欲(欲深)な人間)など、この本で創作の基本とされ、また面白そうなアイディアは、いずれも過去のあまり読まれていなかった文献から抜き出したものです。
 まぁ、創作と言っても一から作れるものは少ないですし、過去の研究・知見は公共の財産(パブリック・ドメイン)ですから、いいと言えばいいのですが。ディズニー映画などを手がけたハリウッドの人の著作と聞くと、ディズニーでハリウッドな手法だねと妙に納得してしまいます。

15.見えない地下を診る 公益社団法人物理探査学会 幻冬舎ルネッサンス新書
 地下の構造や資源等の存在を、地表面から地震波や重力、磁気、電気等を測定しその測定結果を解析することによって調査して行く手法について解説した本。
 第1章が、何を測定することで何がわかるかというような話、第2章が物理探査がどのような場面でいかに役に立つかの話、第3章がそれぞれの探査方法の説明という構成です。一応理屈として別の話なんでしょうし、立場上物理探査がいかに価値があるかを言いたい(サブタイトルにもその興奮・高揚が表れています)のもわかるんですが、結局第1章と第3章はずいぶんと被る感じがします。むしろ地下の何を探査するためにはこういう調査方法があって、それがどういうふうに役に立っているということを括って説明した方が読みやすく理解も深まるんじゃないかという気がしました。それで何ができるって自慢話だけじゃなくて、このあたりが現状では技術的・コスト的な限界で、それをどうやって補っていて、今後技術の進歩でどういうことが予測されるとか、測定方法のもっと具体的な話とか取れる生データはこういうものでそれをどう処理して分析してるなんてところまで書いてくれると(第1章、第2章、第3章に分けたために無駄にかぶってるところを省けばそれくらいの紙幅はできそうに思えます)よかったんだけどと思いました。

14.枳殻家の末娘 高橋三千綱 青志社
 1年前に死んだ若者たちの心をつかんだロック歌手小諸初とセックスしていた17歳の女「キリコ」を、妹を殺した人物を殺害した過去のあるムショ帰りの中年ライター小暮京一郎がインタビューして手記を書くという設定の官能小説。
 京一郎とキリコの会話というか掛け合いで進む冒頭から第4章1まで(99ページまで)とキリコのひとり語りの形式になる第4章2から第7章まで(233ページまで)、京一郎視点の形式に戻る第8章以降で印象が大きく違います。キリコひとり語りの部分は、17歳の女性の語りとは思いにくく、文体も乱れ、官能小説としてみても、ふつうの小説としてみても入りにくく退屈な感じがします。このあたりはなんか、雑な仕事っぽい。ここは中年男が話を聞いて手記にまとめたから語りとして今ひとつでおじさんぽさが出るという趣向であえてこういう文章にしてるというつもりかもしれないけど、そうとしても滑ってるように私には思えます。ふつうの小説としても、官能小説としても、読みどころは第4章1までと第9章以降でしょうね。
 作者が2021年8月に亡くなったのを見て、1993年の28年も前のスポーツ紙連載を急遽単行本として出版というのは、「まこと素晴らしき英断」(西村賢太の寄稿文:339ページ)なのか、出版社の商魂たくましさなのか…

13.あなたの愛人の名前は 島本理生 集英社文庫
 3歳年上の幼なじみで今では「気の合う親友のよう」で「ほとんど体を重ねない」夫がいるが友人の澤井から紹介された女性用風俗に通う石田千尋、ハルちゃんに拾われなついているが赤ん坊が生まれると冷たくされて悲しむ猫のチータ、同棲している婚約者がいるがバーで一緒にいた美人の友人江梨子に声をかけてきた男浅野を自分から誘ってセックスのための逢瀬を続ける瞳、仲の悪い母と妹との関係に悩みつつ瞳との関係を続ける浅野、通い客の教師鈴木絵未に名前も聞けないまま思いを寄せるバー経営者黒田、中学時代の友人絵未に連れられて黒田の店に行きそこで黒田の友人友永と出会う浅野の妹藍の6編の短編連作。
 女性たちの夫や婚約者は善良な男に見え、それでも不満を持たれている設定に、男の目からはやるせないものを感じます。
 石田千尋の「足跡」は、妻がいても性風俗に通う夫が責められない(近年はどうかと思いますが)社会へのプロテストとして妻の性風俗通いを描き、それに違和感を持つ者に夫の場合との比較/ダブルスタンダードに思い至らせる狙いがあるの、かもしれません。しかし、そうだとしても、というかそういう狙いであるとすればますますというべきか、夫が結婚する大学の後輩と結婚式のスピーチの打ち合わせをすると聞いていて(夫は隠してもいない)喫茶店で話しているのを見つけて、「夫はテーブルを挟んで、誠実な距離を保ったまま話していた」(37ページ)というのに、それを見た石田千尋がその場で携帯で性風俗の予約を入れるというのは、どうかと思う。夫がただ喫茶店で女性と話している、それもそのことを隠し立てもせずに伝えてそうしているということと、自分は夫に隠れて性風俗の店に行くということが、等価だというのでしょうか。「目には目を」ではなくて、自分が目をやられたら相手には死を望むという姿勢に見えます。まぁ人間そんなものだから、それを抑えるためにハムラビ法典ができたというのですが。

12.兇人邸の殺人 今村昌弘 東京創元社
 「屍人荘の殺人」でゾンビ軍団に襲われてから、その生物兵器開発の黒幕とおぼしき「班目機関」を追う新紅大学ミステリ愛好会の剣崎比留子と葉村譲が、班目機関の研究成果を奪いたい企業幹部に誘われて班目機関の研究者だった者のアジトに乗り込み、例によってそこで殺人事件が発生し窮地に陥るというミステリー小説。「屍人荘の殺人」のシリーズ第3弾。
 オカルト的な研究にも手を出していたという班目機関の絡みで、やはり無理がある設定に思えますが、そこを乗り越えられれば、丁寧な展開と謎解きに感心します。研究の被験者/犠牲者となる者への視線にも共感を覚えました。
 前回に続き、ラストで「続く」を強くアピールしています。それも、次作の書き出しを強く拘束しそうなエンディングです。すでにもう書けているというならわかりますが、そうでない限り、執筆の自由度がなくなって苦しむだけだと思います。
 「屍人荘の殺人」(剣崎比留子2年生の8月)から第2弾「魔眼の匣の殺人」(剣崎比留子2年生の11月末)まで、お話の中では3か月余、現実世界では1年4か月余、その後「兇人邸の殺人」(剣崎比留子2年生の3月)まで、お話の中では3か月余、現実世界では2年5か月余が経過しています。次作は、「兇人邸の殺人」末尾の予告がそのまま活かされるなら「兇刃邸の殺人」の直後ノータイムになります(でも現実世界では果たして…)。剣崎比留子が大学を卒業するまでに、これまでの3か月おきで第10巻か11巻、ノータイムで続けなら ∞! その間に実世界では浦島太郎ほどの年月が流れるか…

11.心の病気にかかる子どもたち 水野雅文 朝日新聞出版
 高校生と教師、保護者向けに、精神疾患への罹患はむしろ若い世代に多いことなど、精神疾患についての知識を持ってもらうために説明した本。
 2022年4月から新学習指導要領に基づいて高校の保健体育で精神疾患が教えられることになったことを機会に教科書に併せて理解を深めてもらうために書かれたそうです。
 第1章で「心の病気」にこんな思い込みをしていない?として7つの思い込みを書いているのですが、最初の3つは答ではっきりと否定されているのに、後の4つ「精神疾患の人は危険」「精神疾患にかかると治らない」「精神疾患になると人生をあきらめなければならない」「精神疾患の人に周囲ができることはない」の答はあいまいであったり話をそらせているような感じがして、今ひとつスッキリしません。簡単な問題ではないということではあるのでしょうけれども、あえて「思い込み」といってQ&Aを作るのなら、もう少しはっきりした答を書くか、少なくともはぐらかされた感のない答を書くべきなんじゃないでしょうか。
 精神疾患別の総患者数の推移のグラフが31ページに掲載されています。入通院者数なので、実際の罹患者数とは異なるのでしょうけれども、近年でも認知症よりも統合失調症の方がまだ多いのですね。ちょっと驚きました。

10.医療情報を見る、医療情報から見る エビデンスと向き合うための10のスキル 青島周一 金芳堂
 一般的に流布されているものや学術論文も含め、医療に関する情報を評価する際に頭に置いておいた方がよい、医学情報というものの性質、実験・研究が持つありがちな偏りや限界などについて解説した本。
 がん治療に関するインターネット情報の信憑性について検討された日本の研究によれば、検索上位に表示される情報は、信憑性の高い情報サイトよりも科学的根拠に乏しい有害なサイトの方が多いことが示されているそうです(2ページ)。いくつかのキーワードで検索上位20位までのサイトを評価したところ、有害な情報を提供していると考えられるサイトは3割を超え、信頼できる情報を提供しているサイトの割合(紹介されている研究結果では1割台)よりも、遙かに多いという結果だったんだそうです(3~4ページ)。
 え~っ。エビデンスと向き合う姿勢で検証してみようと思うのですが、ここで紹介されているとおりに「がん治療」でGoogle検索した上位20サイトの運営者を列挙すると
1位:国立がん研究センター
2位:ファイザー製薬
3位:日本癌治療学会
4位:小野薬品工業・ブリストルマイヤーズスクイブ
5位:北海道大野記念病院札幌高機能放射線治療センター
6位:兵庫県立粒子線医療センター
7位:日本癌治療学会
8位:がん研究会有明記念病院
9位:新緑脳神経外科横浜サイバーナイフセンター
10位:国立病院機構東京医療センター
11位:国立がん研究センター
12位:がんプラス(医療メディア)
13位:SBI損保
14位:免疫療法コンシェルジュ(医療法人珠光会の患者有志)
15位:日本がん治療医認定機構
16位:厚生労働省
17位:アフラック
18位:株式会社エース・フォース(がん治療費.com)
19位:静岡県立静岡がんセンター
20位:JA広島総合病院
でした(2022年4月10日実施)。これで3割が有害な情報を提供しているサイトだったら、心底怖い…
 すべての米国人に良質な医療が無償で提供されたとしても、早期死亡を減らすことができるのは10%にすぎないと言われている、医学的介入がもたらす健康への影響よりも、患者の健康関連行動や社会的環境が占める割合の方が大きいと紹介されています(95~96ページ)。また、薬が飲んだ人すべてに効くように思っているのはある種の錯覚、考えても見てください、副作用は薬を飲んだ人すべてに発生するわけではありません、有効性についても同じことなのです(130ページ)というのも、なるほどと思います。そこで説明されている平均的な心血管リスクを有する50歳の男性に対して心血管死亡が30%減るような医学的介入(例えばスタチン系の薬剤の投与など)を行うとその後の獲得余命は平均して7か月と見積もられた研究の実際の内容がその治療を受けた集団の7%が平均99か月の余命を獲得し残り93%の獲得余命は0ということ(129ページ:一定の効果があるといわれる治療法が実は大半の人にはまったく効果がない)はちょっと衝撃的ですが。
 統計的に有意差があると考える基準とされる5%は「経験的に」用いられている、言い換えれば何か決定的な根拠があって5%とされているわけではなくある意味で「恣意的」な基準(120~121ページ)という説明も、目からウロコの思いです。以前からなぜ5%(95%)なのかというのは疑問に思ってはいたのですが、はっきり恣意的なものといわれてみると、ストンと落ちます。
 製薬会社から医師に食事(お弁当)が提供されると医師の処方行動が変化する、たった1回の食事提供でも医師がその製薬会社の薬剤を処方する割合が有意に増えたとか(114ページ)。人間って哀しいですね。
 さまざまな点で気がつかされ刺激されることの多い本でした。

09.歌うサル 井上陽一 共立スマートセレクション
 1999年3月にボルネオ島北部のマレーシア領サバ州ダナムバレーの熱帯雨林を訪れてその魅力にとりつかれてテナガザル研究を始めた著者が、20年余にわたり観察し続けたテナガザルの生態、特にその鳴き交わす歌について解説した本。
 縄張り内で家族単位で生活し、一生家族以外と接しないものも少なくないという生活様式、縄張りがありながら縄張りを侵されても相手を傷つけるような攻撃はしない平和な社会性、イチジクを中心とする果実食の食生活など、歌以外にもなかなかに興味深いところです。
 高校の地学(生物ではない)教師だった著者が、40代の時に、春休みに「地球の歩き方」で見て原生林を訪ねたことをきっかけにサル研究者になったという著者の経歴・転身には、人生いろいろ、40代でも新たな道に踏み出せるのだなと、感心させられました。

08.やがて海へと届く 彩瀬まる 講談社
 都内のホテルのダイニングバーに準社員として勤める湖谷真奈が、東日本大震災のとき東北を旅していてそのまま3年行方不明の友人卯木すみれを忘れられずときおり衝動的に逢いたくなり苦しく思うが、すみれの彼氏だった遠野がすみれの持ち物を処分したいと言い出したことに動揺し、すみれの実家を訪ねて違和感を強めといった展開の小説。
 湖谷が周囲との間で、またすみれとの想い出を挟みながら進んでいく話(奇数章)と固有名詞を回避した「私」のいつ果てるともない昏い彷徨い(偶数章)が交互に続き、やや不気味さというか重苦しさを感じ読みにくく思えました。
 湖谷の回想のすみれは、自分のことを深く深く愛してくれる男を選ぶ、「フカクフカク。世界中で、私のことだけを選んでくれる人。そして私も、同じ質問をされたらその人だけを選ぶの」(16ページ)という、純真なような「天然」っぽい明るさに満ちていて、その人が被災して行方不明というシチュエーション、そしてこのタイトルは、切なく哀しい。
 友だちって何? 逢えなくなった/死んだ喪失感とどう向きあえばいい? そういうことを改めて考えさせられました。

07.階段ランナー 吉野万理子 徳間書店
 中学時代水泳を頑張ってきて憧れのプールがある高校に入学したが家庭の事情で2か月で帰宅部になった高校2年生の奥貫広夢と、小3から卓球クラブチームに所属して高1で全日本選手権にも出場したがその3回戦で突然腕が動かなくなりイップス(心因性の筋肉硬化)と判定された三上瑠衣が、階段にハマり「階段おじさん」のブログを書いている社会科教師高桑曜太郎の縁で親しく話すようになり、母の介護のために京都に移住した高桑に引っ張られてJR京都駅ビル大階段駆け上がり大会に出場するという青春小説。
 基本的に広夢と瑠衣の視点での交互の語りで、母親に悩まされる素直でよいこの広夢の瑠衣への憧れと、イップスに悩まされ怒りを示しながら「怒らない」広夢に興味を持ち淡い思いを感じる瑠衣の気持ちを交差させていく、ほのぼの系の読み味の作品です。
 裁判等がメインの作品ではないのですが、弁護士監修を経ているらしい(末尾に協力者として弁護士名が入っている)のが、弁護士としては好感します。

06.ママ婦人科医による「生理」と「セックス」を子どもに正しく伝えるための本 宮川三代子 PHP研究所
 親が子どもにどのように性教育を行うべきかについて説明した本。
 マスターベーションのことを「本書ではいい意味が含まれるセルフプレジャーで統一しています」(13ページ)というのですが、恥ずかしくない言葉で子どもに説明するのなら日本語にならんかなと思います。
 子どもがおちんちんを触っているのを親が見て、「汚いから触っちゃダメ!」と嫌そうな顔をして言うと、子どもは「自分のおちんちんは汚いものなんだ」(略)と思ってしまいますと言いつつ、「まずは、『おちんちんは触ってもいいけど。触る前と後では手を洗うこと。バイキンが入ると腫れて熱が出たり、痛くなったりするからね』と優しく教えてあげてください」(46ページ)って。あ・の・お~、触る前に手を洗うのはバイキンが入ると困るからとして、触った後に手を洗うのはどうしてなんでしょう。それってやっぱりおちんちんは汚いものって言ってるんじゃないですか? 映画「くれなずめ」で、小便した後で手を洗うじゃないですか、それってちんちんに失礼じゃないですかというような台詞(正確には覚えていないのですが)があったのを思い出しました。
 女性ホルモンは、コレステロール(脂質)を原料につくられますので、激しいダイエットをすると材料がなくなるので脳が飢餓状態だと判断して、女性ホルモンの分泌を止めてしまいます(107ページ)と。体重減少性の無月経ってそういうことだったんですか。なるほど。
 性行為の同意を紅茶に置き換えて説明してください、紅茶を入れてあげても飲む飲まないは相手の自由ということですが(167~170ページ)、同意するしないが自由という説明としてはわかりますけど、紅茶を飲む飲まないはその人がすることで、性行為は2人ですることですからちょっとニュアンス違うような気もします。ストレートな説明がしにくい人には使いやすい例えかとは思いますが(元は日本人じゃなくてイギリスの警察が作った動画だそうですが)。

05.10代で知っておきたい「同意」の話 ジャスティン・ハンコック 河出書房新社
 基本的に友人・知人・恋人関係での行動についての選択、食べるピザや見る映画、挨拶(握手、グータッチ、ハグ等)、セックス等の場面での各人の主体性、選択の自由、相手の意向・同意の確認について論じた本。
 相手の意思を尊重しよう、積極的な同意を得ようという姿勢が貫かれて、考えとしてはそうだろうと思いますが、「“ノー”はどんなときでもまちがいなく“ノー”であって、“ノー”と言われないからといって、それは“イエス”ではない。」(7ページ)、「相手が『イエス』とも『ノー』とも言わない場合、その人の答は『ノー』です。」(47ページ)、「相手の気持ちがわからない時は、『する』より『しない』を選びましょう。」(67ページ)っていうと、面倒になって人付き合いしないという方向に流れませんか。しかも挨拶の仕方を一々聞いてわからなかったらしないを選ぶって…まぁイギリスの人なんで挨拶にハグやキスが選択肢としてあるからということからですが。
 10代の読者にイエス、ノーをはっきり意思表示しようという提案をするとき、登場する場面が友人・知人・恋人だけなのはどうしてなんでしょう。相手が教師とかアルバイト先の経営者という場面はどうすればいいのか、著者は触れたくないとかノーアイディアなんでしょうか。

04.凜として弓を引く 碧野圭 講談社文庫
 名古屋から東京西部の街に引っ越してきたばかりの矢口楓が高校ではテニス部に入部するつもりでいたが近くの神社の森を散歩していて通りかかった弓道場で矢を射る姿に見とれ、それよりもさらに目の前を通った美少年に体験教室に誘われて心ときめかせて、未体験の弓道の世界に入り込んでいくという青春弓道小説。
 まったくの初心者が部活ではなく地域の弓道会に通い、それももともとは弓道自体にはそれほど思い入れもなく、少し引いた気持ちで入っていくというスタイルで、スポーツ根性ドラマではなく、人間関係を描く青春ものです。
 タイトルの「凜として」はどこから取ったのでしょう。それほど注意して読んだわけではないので見落としたかもしれませんが、小説中にはそういう表現はなかったように思います。弓道小説の先行作品に「凜の弦音」があるのを意識して、なのかまさか知らないのか、ちょっとモヤモヤしました。

03.凜の弦音 我孫子武丸 光文社
 翠星学園弓道部所属の高校生で中学時代に弐段を取った篠崎凜の弓道生活を描く短編連作。
 帯には「ひとりの少女の成長を活き活きと描く傑作長編。」とあり、話は続いていくのですが、季刊雑誌での連載ということもあり、基本的に1話読み切りスタイルなので、短編連作と捉えた方がいいと思います。
 最初の3話は、凜の師匠の弓道場での殺人事件、同期生が突然辞めたいと言い出した経緯、部活の最中に先輩から託されている高価な竹弓が行方不明となった事件を、凜が弓道の知識を駆使して解明するミステリーで、後半4話はミステリーではなく、凜の周りに新たな弓道指導者やライバル美少女が現れて凜の弓道への確信を揺さぶりながら凜が弓道の基本に立ち返り自分の姿勢を改めて追求していく弓道青春小説になっています。そういう構成なので読み通すと趣が変わってくるのですが、最初の軽めのタッチから次第に熱を帯びていくのが、終盤に感動を覚えて意外にいい感じの読後感です。作者が最初からそれを狙ったということではないだろうと思いますが。

02.写真と動画でよくわかる!はじめよう弓道 原田隆次、五賀友継 ベースボール・マガジン社
 弓道(和弓)の弓の引き方、稽古、道具、競技大会などについて解説した本。
 弓道の世界は知らなかったので勉強のために読んだのですが、和弓の弓の長さは221cmが標準(長い!)でそのため弓の下部から3分の1のところに握り部があり(18ページ)、矢を放った際に下部が先に元に戻るので矢の発射角度が上を向いてしまうから、弓の上部を的に倒すような力を弓を握る左手で加える必要がある(67ページ)そうです。また、矢を弓の右側に番えるので無作為に矢を放つと矢は弓にぶつかって右に飛んでいってしまうから矢をまっすぐ前に飛ばすためには弓を上から見て反時計回りに押しねじる(弓を握る左手の親指の付け根(角見)で弓を引き込んだ後矢離れまでに弓の右角を押し込む)必要があるとされています(同)。後者は、ある意味で必然の話だと思うのですが、前者は体格に合わない長い弓を使うからそういうことになるわけで、どうして標準が221cmなのか、武道としての合理的な理由があるのか何か歴史的な事情なのか説明がなく、今ひとつ理解できませんでした。
 弓道では左手で弓を握り右手で弦を引っ張る右利きの用具が原則となっていて「左利きは、一般的には認められていません」(18ページ)って。いかな「武道」とは言え、今どきそんな世界があったとはと思います。競技人口は「男女比がほぼ同じで、ジェンダー差(男女間の差)が最も少ない武道種目」(10ページ)というのに、基本体は立ち姿勢は男性は両足を約3cmの間隔で平行に開く、女性は両足が接するように閉じる(54ページ)、腰掛けた姿勢は女性は足を閉じ、男性は軽く間隔を開けてそろえる、正座でも膝頭を男性は拳1つ分ほど開け、女性はなるべくつける(55ページ)、歩くときは2mを女性は4歩半、男性は3歩半を目安に歩く(57ページ)というのはいかがなものかと思いました。

01.データで読む日本政治 日本経済新聞社政治・外交グループ編 日本経済新聞出版
 日本経済新聞連載の「チャートで読む政治」を軸に出版したもの。
 この本は「印象に流されがちな政治についてオープンデータを用いながら傾向を読み解き、政治の流れをつかむ試み」(はじめに、5ページ)だそうですが、その「はじめに」では「日本の一部にある空想的な平和主義では現実の危機に対応できない」と断じ(9ページ)、そのすぐ後で「中国の蛮行」という仰々しく感情的な言葉を使っているように、中国の脅威が繰り返し語られます。「日本の輸出入を合わせた貿易総額は中国がトップとなる」(208ページ)とあるように客観的なデータは日本が中国とうまくやっていくことが不可欠であることを示しているというのに、日本経済を重視するはずの新聞社はいつの間にこれほどまでに自民党タカ派におもねり政治的でイデオロギッシュな主張に偏したのでしょうか。
 国家公務員の懲戒処分は減少傾向にあり2021年は過去最少となっていることを説明しながら、アンケートでは国家公務員の倫理観が悪くなっていると感じていることについて、「処分される公務員が減ったからといって、国民が公務員に抱く印象がよくなるわけではない。日本の刑法犯は戦後最少にまで減ったものの、世論調査に表れる国民の『体感治安』は改善していないのと似ている」と述べています(196~199ページ)。客観データでは懲戒処分数が減り犯罪数が減っても公務員に対する印象が悪化し体感治安が改善しないのは、マスコミが偏向報道して煽っているから、で、その点で共通しているんだと思います。データに基づいて議論すると言いながらそういうことは完全無視なんですね。日本は他国に比べて政府への信頼度が低いことを紹介する項目(296~299ページ)で、アメリカの会社の調査では政府を信頼していると答えた人の割合は日本は37%、調査対象の11か国で一番低いと書いています(296ページ)。その項目で日本経済新聞社が実施した公的機関への信頼度を尋ねる調査が紹介されているのですが、その調査で『マスコミ』が信頼できるはなんとわずか9%で国会議員の13%よりさらに低かったことが299ページの表からわかります。ところが、本文でも見出しでもそのことにはまったく触れていません(296~299ページ)。新聞社が行った世論調査でマスコミが一番信用できないという結果は衝撃的でかなり重いものだと思うのですが、どんな客観データが出ても自分のことは頬被りですか。
 さまざまなデータが紹介されていて、参考になる点も多々あるとは思いますが、こういう姿勢を見せられるとデータの評価には気をつけないとねと思ってしまいます。

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