庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2022年6月

27.挑発する少女小説 斎藤美奈子 河出新書
 少女を主人公として多くの女性に読まれてきた名作(少年少女世界文学全集的な)少女小説「小公女」、「若草物語」、「ハイジ」、「赤毛のアン」、「あしながおじさん」、「秘密の花園」、「大草原の小さな家」シリーズ、「ふたりのロッテ」、「長くつ下のピッピ」を主人公の少女の側から見た闘いの物語として読み込み解読する本。
 私は自分のサイトで、娘が子どもだった頃に娘に読ませたい本を見繕いながら、「女の子が楽しく読める読書ガイド」という記事を書いていました。想定する作品の読者の年齢層は違っても、ある意味で似たような志向ではあるのですが、私なら残念だと評価してしまうようなエンディングでの主人公の挫折や無難な大人への「成長」をも、主人公の現実的でしたたかな戦略と読む読み込みと作者・読者への温かな目線に、そういう読み方もあるのかと感心しました。私は「あしながおじさん」は、強い元気な女の子に育つという観点からは読むに値しないものと見ていましたし、他方「長くつ下のピッピ」は手放しで賞賛してピッピの孤独やピッピを受け入れるアンニカとトミーのキャパを見るという視点は持てていませんでした。いろいろに目からウロコの思いをしました。

26.未来 湊かなえ 双葉文庫
 大好きなパパが病死し、時々調子のいい日は人間に戻るが大部分の日は人形状態のママと2人暮らしの10歳の佐伯章子に、20年後の30歳の章子からと書かれた励ましの手紙が届き、それを受けて返事を返す方法を思いつかないままに章子が30歳の章子への返事の手紙/日記を書き続けるところから始まる小説。
 「未来からの手紙」という謎を抱えたミステリーとしての体裁を保ちながら、児童虐待、性的虐待を主要な、容貌の美醜による周囲の反応・差別的対応を副次的なテーマとする問題提起型の作品の色彩を強く帯びています。
 「早く失せろ!このブサイクが!二度と、わたしの前に顔を見せないで」「あんたとヤッた時が、一番気持ち悪かったんだから」(455ページ)という言葉を「かばおうとしてくれたのではないか」(462ページ)と考える心情をどう読むか、そのときの感情を当事者はどう整理して折り合いをつけ過ごしたのか、またそれを読んだ者がどう受け止めるか、作者は敢えてそれを書かないことで作者らしい人間の卑小さ、人間への絶望感をより際立たせているように感じられます。

25.企業法務のWHYとHOW 竹安将 商事法務
 花王株式会社の法務・ガバナンス部門統括担当の執行役員である著者が、法務部の仕事とそのあり方、法務部員の心がけ等を論じた本。
 ふつうの発想/感覚では、会社では利益を生み出す製造・販売(営業)あるいは企画などが本体業務で、法務部はそのサポートというか、現場からはむしろ目障りだったり足かせと感じられる部署だろうと思うのですが、まえがきから「法務部が企業価値向上のために経営のど真ん中に居座る存在になるべき」と述べているところが、著者の/この本の真骨頂なのでしょう。
 一番分厚い第4章の「いま取り組むべき課題」はいかにも海外に子会社のある大企業ならではのあるべき論で、もちろんサプライチェーン全体のサステナビリティ(海外の調達先などでの児童労働等の人権侵害等をさせない)の推進に努めていただくのはけっこうなことですけど、私のような労働者側の弁護士の経験上、口先でコンプライアンスとかきれいごとをいいながら自社の労働者に対しては労働基準法・労働安全衛生法等の労働関係法規を遵守しない会社が多いこともあり、そういうところはなんだかなぁと思います。第2章の「法務部の戦略」や第6章の「法務部員に必要なスキル、能力、心構え」あたりが読みどころかなと思いました。
 実は、タイトルから、会社側の弁護士が日頃会社とやりとりしていることを書いた本かと思って手に取りました。法務部と社内のクライアント(相談に来る各部署)の関係は、両者がともに同じ会社に属し、縄張りや部署の利害を超えて会社の利益を最優先に考えることでスタンスが決まる(4~12ページ)という点で、会社と(顧問)弁護士の関係とは違うのだということを改めて考えました。弁護士の場合、依頼者の利益を考えその実現に向けた方策を考えますが、立場としては独立の法律家としてであって、依頼者と同じ組織に属していたり依頼者そのものではあり得ないしあってはいけないということが、利点でもありまた難しい点でもあるわけです。

24.介護職員を利用者・家族によるハラスメントから守る本 宮下公美子 日本法令
 介護事業者が、利用者やその家族による介護職員に対するハラスメントを防止したり、ハラスメントがあった後にどう対応するかについて論じた本。
 利用者によるハラスメントは、本来のセクシュアルハラスメントやパワーハラスメントと異なり、行為者が使用者の指揮監督下にないため、なかなか対応が難しいところです。ハラスメント防止・是正のための指揮監督の権限の問題に加えて、就労していない個人の場合には、社会経験がなく他人と協調できないタイプのすごく身勝手で視野が狭くそれでいて自分が正しいと思い込んでいる人が、往々にしているもので、そういう点でも対応の難しさがあります。弁護士として仕事をしていても、ときどきそういう相談者に遭遇しますし、人権相談とか無料相談とか銘打っているとそういう経験をする度合いが上がります。
 そういう対応の難しいことについて、どう書いているのかと期待して読みましたが、基本的には、経営者が利用者を尊重するのと同様に職員も守るという姿勢を示す、組織として対応する、ハラスメントがあったときにはサービス停止等ができるように契約条項等を見直すというくらいで、むしろハラスメントを受けた職員のケア、相談態勢、相談できる環境を整備するということの方に重点が置かれ、現実の対応に際してはケースバイケースなので慎重に聞き取り対応するといったところです。まぁ「正解」も「マニュアル」もないでしょうから、そう書くしかないんでしょうけど。
 他方で、個人利用者に対して、法人事業者が、組織として対応し、ハラスメントは許さないという姿勢で毅然として対応するという方針は、強い者が弱い者を力で踏み潰すということにもなりがちです。家族の分までの掃除・調理・洗濯とか窓拭きとかが「不適切なサービスの強要」だとして「精神的暴力」でありハラスメントとされている(14~15ページ)のを見ると、規則や契約上のサービスからはみ出しているということなんでしょうけど、利用者側から見たらそういう口実で業務を拒否してるだけじゃないかと思えるかも知れませんし、いずれにしてもそれは契約外のサービスなのでできないとか別料金だと言えば済む話で、それを「ハラスメント」と言うことには疑問を持ちます。まぁ、利用者側の要求の仕方にもよるでしょうけど。
 この本の本題ではありませんが、著者が「はじめに」でカウンセラーの仕事について「カウンセリングを受けに来るクライアントには、悩み事を解決する答えをカウンセラーに求める人もいます。しかし、カウンセラーが答えを示すことはありません。答えはすでにその人の中にあり、それをクライアントが自分で見つけられるよう支援するのがカウンセラーの役割です」と書いています。そうなんだ、と腑に落ちました。弁護士は、相談者の抱える紛争等について、解決のために何ができるか、そうした場合にどうなりそうかを答えるのが仕事です(最終的にどうするかを決めるのは本人ですが)。その意味でやっぱりカウンセラーとは仕事が違います。ときどき、特に自分が希望する答えがない(もともと無理な事案)ときに、弁護士にカウンセラーの役割を求めるというか、共感し慰めて欲しいという相談者(カウンセラーとしての資質がない弁護士には相談させるなとか)がいますが、それが欲しいならよそに行ってもらった方がいいなと思います。

23.現代の裁判[第8版] 市川正人、酒巻匡、山本和彦 有斐閣アルマ
 裁判所の仕組み、裁判を担う法律家(裁判官、検察官、弁護士等)、民事・刑事等の裁判手続と司法制度改革について概説した本。
 1998年に出版された初版から少しずつ改訂しているということからだと思いますし、まぁ確かに一回書いたものを大幅に書き直すのは面倒だとは思うのですが、この本のたぶん中心的な部分と思われる第4章の裁判の仕組みの記述が、「現代の裁判」と題して、何度も改訂され、この本自体は2022年の改訂版だということを考えると、ふさわしくないというか、「いつの話だ?」と首をかしげざるを得ないところがあり、最後に第5章で裁判をめぐる現代的課題という章を設けて司法制度改革の説明などをすることでお茶を濁している感があります。「民事訴訟に要する時間のかなりの部分が証人尋問・当事者尋問関係の時間であることは否定できない」(178ページ)って、今どき民事訴訟で複数期日にわたる尋問はほとんどなく、民事訴訟にかかる期間の大半は主張整理(準備書面のやりとり)だというのは実務家の間では常識だと思います。刑事裁判の仕組みのところではなんと裁判員制度には触れられていません。ここ10年で3回改訂されているのに、第4章の説明はそれ以前のままなんでしょうか。また、「争点整理期間、証拠調べ期間、判決言渡予定時期等を定めた審理計画の策定」(171ページ)って、民事訴訟法の規定はありますが、私は現実には全然経験ありません。医療過誤事件の設例で病院が倒産したので遺族が病院の債務を連帯保証していた院長に支払いを請求(184ページ)とされてますけど、医療過誤の事件(それも病院は過失を否定して争っている)で遺族に対して院長が病院の債務を連帯保証するなんてことがあり得るんでしょうか。
 そういったことなど、不用意に思えるところや裁判実務の現状と合ってないように思える点がありますが、日本の裁判制度全般をひと渡り理解するにはよさげな本です。

22.外国人労働相談最前線 今野晴貴 岩波ブックレット
 NPO法人POSSEが2019年4月に立ち上げた外国人労働サポートセンターでの外国人労働者からの相談と支援活動の経験を元に日本での外国人労働者の実情とその改善のためになすべきことを論じた本。
 行政書士事務所が、そこで働く外国人労働者からパスポートと卒業証明書を在留資格更新のためとして預かり更新手続き後も返さず、パスポート管理契約により保管しているとしてユニオンとの団体交渉でも返還を拒否し、そこまででも驚きですが、横浜地裁に2020年1月に提訴した裁判が2022年3月現在なお係属中(12~17ページ)というのは、なんて言ったらいいんだろう。こういう悪辣な企業を法律家が支え、生きながらえさせ、裁判を長引かせているというのも嘆かわしいところです。
 企業への不満を述べた外国人技能実習生を受け入れ先から追い出そうとし罵倒する監理団体(技能実習生を受け入れ先企業に送り出し、受け入れ先企業から毎月監理費を受け取る、国が許可する「非営利」法人)に対し学生ボランティアが中心となって団体事務所を訪れ、事務所前や駅前で情宣をして行政を動かした(監理団体許可取消等)というエピソード(42~45ページ)は、心強いものを感じます。近年、使用者側の弁護士が会社前での情宣についても裁判所の仮処分を駆使して排除を強めてていますが(前は社長等の自宅前の情宣以外はそれほどやられなかったのですが)…労働者側の健闘を期待します。
 著者は、その担い手となっている1995年以降生まれの「Z世代」と呼ばれる若者を「ジェネレーションレフト」と呼んでいます(45~46ページ)。日本の若い世代は、むしろ自民党支持者が多数派を占めていると見るのが昨今の通常の考えかと思いますが、希望を込めて、そう見ておきたい/であればいいなぁというところでしょうか。

21.格闘 髙樹のぶ子 新潮文庫
 何十冊と本を出し大成してルーフバルコニーのあるマンションに住む作家が、何十年か前に、全日本体重別選手権で1度だけ優勝したその世界ではある種奇人変人として知られた孤高の柔道家ハラショウこと羽良勝利の取材を続けて書いたが出版しなかった「格闘」と題する失敗作のノンフィクションを読み返し、取材当時を振り返るという体裁の小説。
 「夢道場」と名付けた小さな道場で柔道を教えている羽良勝利と「はらしょう」という飲み屋の女将康子と名前を名乗らぬ作家である語り手の絡みで持たせていく持って回った感のある恋愛小説です。
 この作者、ジーンズを穿くときショーツを着けないこともあるけど(150ページ)とさらりといいますけど、そういうものなんでしょうか。そして、ダンゴムシについて「身を守るすべが丸くなるだけという、卑しく浅ましい最低の生きものは、思い切って潰すことにしている」(30ページ)って、やっぱりちょっと歪んだというか変わった方のように思われるのですが。

20.専門家から学ぶコミュニケーション力 吉弘淳一編著 晃洋書房
 スクールカウンセラー、保育・介護職など(弁護士も含む)でのコミュニケーションについてのあるべき論やノウハウを解説した本。
 第1部「理論編」が15章構成でほぼ200ページ、第2部「実践編」が執筆者15人で19ページというのは何なんだろうと思いました。実践編は1人1~2ページで、内容もさまざまではありますが、なんといってもあまりに短すぎて、多くは自己紹介や、一言、決意表明(こうやっていきたい)で終わってしまい、何のために書いてもらっているのかわかりません。理論編の方も学者さんが心理学の講義みたいなことだけ書いている(そういうのも、まぁ「専門家から学ぶ」ということにはなるんでしょうけど)ものや、まさに実践から学んだこと、経験から学んだことを書いているものが混ざっていて、私は後者の方が専門家から学ぶというにふさわしいようには思えますが、なんだか本の構成としてあまり考えられていない印象を持ってしまいました。各章の役割分担・調整も徹底されていなくて、同じことが重複しているところが多々ありますし。
 相手に対する第一印象での判断や固定観念に引きずられないようにという指摘(19~20ページ)と、しかし「このアプローチは『本能』を無視してはいけないという認識と、釣り合いを持たせる必要がある。本能的に、人はなんとなく、特定の人物に対して用心しなくてはいけないと感じる場合があり得る」「強い不安をもし自身が感じた場合は、この反応を大切にし、注意を払うべきだと考えられる」(20ページ)という記載。そうなんですよねぇ…
 後半で繰り返されるあるべき論、心がけ論よりも、第2章のノンバーバルコミュニケーションとしての服装、アイコンタクト、顔の表情、態度・動作、距離、声、第3章の話すときには高低アクセントをはっきりさせるとかの方が実践的に意味がありそうに思えます。疲れそうだし、内容と関係ないところで印象をよくするために頑張るというのは、ある意味では相手を低く見てる感じもするのですが。

19.若者の性の現在地 林雄亮、石川由香里、加藤秀一編 勁草書房
 1974年以来概ね6年おきに実施されている青少年の性行動全国調査のデータを中心とするアンケート調査の分析と関連する論考を組み合わせて若者の性行動の変化・推移とそれをめぐる社会側の受け止め等を論じた本。
 前半の調査データの分析は、主として統計学的な処理と分析によって論じられています。その部分の執筆担当でない編者が「おわりに」で触れているように(240ページ)、「今までに性的なことに関心をもった経験があるか」という問いにイエスと回答する割合が1999年調査以来減り続けているということを、単純に若者の性に対する関心の低下、「草食化」と決めつけてよいのか、つまりこの質問に対する回答者の受け止め、「性的なこと」の意味内容が時代を通じて同じなのかといった、統計処理をする前に考えるべきことがきちんと検討されているのかの方に、私は疑問を覚え、統計学の知識がない者には正しいのかどうか判断できない技術的な分析には今ひとつ関心を持てませんでした。
 デートDV被害についての質問で、高校生と大学生を合わせ、被害経験ありの回答が、2011年調査で女子の24.6%、男子の20.9%、2017年調査で女子の21.3%、男子の17.9%とされています(73~74ページ)。この分析を担当した執筆者は、一般成人を対象とした調査や10代の若者を対象とした調査では、男女の加害経験や被害経験が同程度になりやすいとも述べています(71ページ)。本当ですか? 回答者がDVとか「被害」をどういうものと受け止めて回答しているのか、ちゃんと確認なり検討しないでいいんでしょうか。この回答を統計的に分析すれば真実・実態が明らかになるんでしょうか。
 学校の委託を受けて性教育の出前授業をしている人がコンドームの模擬装着をしたら、生徒の一人から「コンドームなんか見たくない」「スクールセクハラだ」と言われたという話(165ページ)。こういう風潮、こういう声が出たらそれに過剰に反応する風潮、とても嘆かわしいと思う。
 そういったことなど、いろいろと考えさせられる本でした。

18.世界裁判放浪記 原口侑子 コトニ社
 弁護士である著者が休業して世界を放浪中にその地の裁判所を訪れた際の裁判所・法廷の様子、裁判官の雰囲気(スケッチもあり)、垣間見た裁判の審理の様子などを綴ったエッセイ。
 外国の裁判所について紹介した本はたいていは研究者が文献等で研究したその国の裁判制度の枠組みを説明し、裁判所に訪問を申し込んで裁判所の幹部や裁判官等と意見交換や質疑を行い、その様子を説明するもので、そういった本は制度を正確に理解し、統計的なことや通常の審理などを把握するのに適切だと思われますが、他方で、基本的に裁判官・裁判をする側の見方による情報に偏りがちです。この本は、その国の司法制度を調べてもいない著者が、調査の目的ではなく「放浪する」ために滞在している国で、現地の言葉もよくわからないままに傍聴席で見た裁判官や被告人、審理の様子を、近くで傍聴している現地の弁護士などに話しかけて説明してもらったりした限度で紹介しているもので、制度の正確な理解は期待できませんが、傍聴席から見た印象に徹底していて、そこが売りなのだと思います。
 124か国を回りながら裁判所に足を運んだのが30か国(264ページ)で、入国してすぐに裁判所に行くといったケースはあまりなく滞在後1か月とかそれ以上経ってようやく裁判所に行くことを思い立ったり、サンクトペテルスブルクと成都では外国人は許可なく傍聴できないと言われてあえなく追い出されていたりと、裁判所訪問はついでで、たまたま訪問したケースを書いてますという感じが強く出されています。それぞれの国での説明も、いきなり裁判所訪問から入らずにその地の風物、飲み食いしたものなどを書いて、地域の雰囲気をつかんでから裁判所のことが書かれることが多く、そういう国で、こういう裁判所ねと読めるようになっていて、基本的には、紀行文の中に裁判所の様子もあるという緩い読み物です。たぶん、まさにそこに、この本の価値があるのだろうと思います。
 弁護士として、もう一言すると、著者が日本の弁護士であることで、単なる傍聴者よりは裁判当事者に思いが及びやすく、裁判傍聴は他人の人生がかかった手続を「あっちの世界」としてエンターテインメント化するいやらしさがつきまとう(180ぺーじ)とか、自らが法廷の時間を「秘境ツーリズム」的に消費しているうしろめたさ(192~193ページ)を意識している点が、ただの物見遊山にとどまらない質を確保させているのだと思います。

17.科学のトリセツ 元村有希子 毎日新聞出版
 毎日新聞の科学記者が、科学系の話題を題材に書き綴ったエッセイ。
 週刊誌(サンデー毎日)の連載コラムで、1つ900字内外(1行40字で19~23行)なので、軽く読める反面、物足りない/書き足りないきらいがあり、たいていは同じ話題で続けて2~4回書いています。連載ものとはいえ、次回に請うご期待みたいな読み切りでない書きぶりがある(146ページなど)のは、反則っぽく、コラムの長さの取り方に問題があるのかもと思ってしまいます。
 「水にインクを垂らすと、やがてその色が薄まって透明に戻るね。なぜだと思う?」と聞いた養老孟司に対し、ハキハキと「そういうものだと思っていました」と答えた女子学生。それを聞いた養老孟司が「目の前で起きていることに疑問を持たない姿勢、すごいよね」と嘆く図(75ページ)。いや、世の中にはいろんな人がいるんです。科学の問題に限った話じゃなく。質問に対して予想もしない答が返ってくるギャップ、私も日々疲れながら実感しています。
 「日本の研究者が地球から50億キロ先にある半径1.3キロの小天体を、市販の望遠鏡で見つけたという話題は、すごい成果を格安で上げちゃったという意味でビックリした」(59ページ)という振りで始まったコラム。格安がいくらかというと350万円というオチ。約100万円で市販されている口径28センチの天体望遠鏡2台を駆使してというのですが、「市販」「格安」という言葉から庶民はそういうことはおよそ想像しないと思います。通常は10億円かけるプロジェクトだからそれに比べれば遙かに格安ということなんですけど(60ページ)、こういうこと書かれると、住む世界が違うからねと思ってしまいます。

16.検察審査会 日本の刑事司法を変えるか デイビッド・T・ジョンソン、平山真理、福来寛 岩波新書
 検察官の不起訴処分について審査する6か月任期の11人の一般人からなる検察審査会について学者の立場から検討し解説した本。
 検察審査会は戦後すぐ検察官改革としてGHQが、アメリカ同様の大陪審(一般人からなる大陪審が起訴・不起訴を決定する)と検察官公選制(検察官を選挙で選ぶ)を提案したのに対し日本の官僚側が猛反対して、その妥協の産物として不起訴処分だけを審査ししかもその議決に拘束力がない検察審査会という世界に類を見ない日本独自の制度が創設されて発足したのだそうです(47~52ページ)。
 その検察審査会が、経済界の要求に沿った「司法制度改革」の機運と犯罪被害者の権利運動、さらには福岡高裁判事の妻のストーカー事件で検察官が被疑者の夫である裁判官に捜査情報を流したというスキャンダルの影響で、議決による強制起訴を認めるという法改正が成立して権限が強化され、これまでに10件(14人)の強制起訴がなされているのですが、有罪となったのは2件だけということが紹介されています。この本では、福島第一原発事故について東電元幹部3人が強制起訴された事件などを挙げて刑事事件として無罪になってもこの手続がなければ闇に葬られていたことが多数明らかになったことなど、強制起訴の意味はあったと評価しています。
 ただ、華々しく報道される強制起訴の事件の陰で、初期と比較すると、近年、検察審査会の職権による審査開始事件が減少し、検察審査会のもう一つの権限である検察に対する建議・勧告が激減し(87~91ページ)、検審バック(不起訴不相当、起訴相当)の件数・割合は大幅に減っている(94~101ページ)、つまり検察審査会は権限が強化されたものの現実には以前よりも慎重で消極的になってきているというのは気になります。著者らは、検察官が検審バックされた案件を起訴する(判断を変える)割合が高くなっているとか、さらには検察審査会が存在することでそれを考慮した検察官が起訴するケースが多くなっている(それを検証することはできないが)ことが検察審査会の重要な意義と評価していますが、起訴件数が増えればいいのかという疑問とともに、本来の仕事を地道に行う点でマイナス傾向なのを「プレゼンス」で正当化するという姿勢でいいのかなという思いを持ちました。

15.新版 大学生が知っておきたい生活のなかの法律 細川幸一 慶應義塾大学出版会
 大学生向けに、日々の生活や今後の人生で関わりを持ちそうな法律について取り上げて説明した本。
 さまざまな領域での法律問題を解説していて、法律に関心を持ってもらうという点で適切な本だと思います。
 他方で、一人で幅広い分野を書くことには限界があり、疑問に思う点や著者の好みによる偏りが出てくるのは、致し方ないのでしょう。私の専門分野の労働問題についていうと、「契約社員(有期雇用の労働者)」の説明で「期間の定めのある労働契約は、労働者と会社の合意により契約期間を定めたものであり、契約期間の満了によって労働契約は自動的に終了することとなります」(34ページ)と書いて、それ以上に契約更新に関する説明がなされていないというのは困りものです。民法の原則では有期契約は期間が満了したら終了するのはそのとおりなんですが、この本でも繰り返し書かれているように当事者対等を前提とする民法の原則は労働者を保護するために修正されており、そのために労働法があるのです。有期労働契約が繰り返し更新されるなどの事情により労働者が契約更新を期待することが合理的と言える場合には使用者の契約更新拒絶は制約されます。そこを説明しないで、読者の学生が、有期契約(契約社員)は契約期間が来たら打ち切りで文句も言えないんだと思い込んでしまうと困るのですが。
 また、著者の専門は消費者法ということで、入学しなかったときの前納学費の返還にも言及している(11ページ)というのに、借金に関する説明(59~61ページ)で、クレジットと住宅ローンの説明はしても奨学金に関してまったく触れないのはいかがなものでしょう。大学生が知っておきたいという観点では、住宅ローンより絶対身近な問題なんですが。保証人問題の説明でアパートの賃借(14~15ページ)、就職時の身元保証(33ページ)は説明しても、学生にとっては悩みのタネになる奨学金の親族保証や保証料問題にはまったく触れていません。日本学生支援機構に何か負い目でもあるのかと思ってしまいます。

14.引力の欠落 上田岳弘 角川書店
 会社の目標や計画を粉飾して銀行から多額の融資を受け上場させて株価が高騰したところで売り抜けて経営者を大儲けさせて自分も多額の金を抜いて会社を渡り歩く行方馨をメインキャラクターとして、それに高い能力なり運を持つとされる多数のキャラクターを絡ませる小説。
 それぞれのキャラクターが自分語りするエピソードがあまり収斂せず、そのキャラクターが集まってもポーカーをするとかいう場面があるだけで、全体としてはキャラクターを作って集めてみましたというところで終わっている感があります。
 メインキャラの行方馨が、金儲けのために会社等を道具とする、労働者など好き放題に首を切るコストカッターというだけでも、労働者側弁護士の私にとってはとても嫌なヤツですし、傲慢でジコチュウなので、まったく共感できず、他のキャラクターはあまり踏み込まれず並べられているだけに近いので、興味を持てず、私は入り込めませんでした。

13.あちらにいる鬼 井上荒野 朝日新聞出版
 作者が自分の父井上光晴(白木篤郎)と瀬戸内晴美・寂聴(長内みはる・寂光)の関係、それを見つめる母(笙子)を描いた小説。
 帯にも「小説家の父、美しい母、そして瀬戸内寂聴をモデルに、〈書くこと〉と情愛によって貫かれた三人の〈特別な関係〉を長女である著者が描き切る、正真正銘の問題作」とうたわれ、実話だというのが売りになっています。両親とも没後、瀬戸内寂聴の承諾を得て、インタビューの上で書いたということですが、こういうことまで書いてしまえるというのが、作家なんですね。こうやって書くのも愛と言えるのでしょう。
 瀬戸内寂聴は、何でも書いていいと言って話したが書かれなかったことも少なくないと話しています(百歳 いつまでも書いていたい 瀬戸内寂聴という生き方)が、作者が瀬戸内寂聴から聞いた中でも井上光晴がソ連の作家同盟の招待で訪ソしたときに口説き落とした女が来日してきたのを瀬戸内晴美を連れて見送りに行って渡されたプレゼントが使用済みのズロースだったというエピソード(113~119ページ)を書いているのがすごい。父親にこんなに厳しくなれるのかと思いました。もっとも、その後ももっと酷い話が出てくるので、作者からしたら、実態を知ればその程度は厳しいうちに入らないと言いたいかもしれませんが。

12.百歳 いつまでも書いていたい 小説家・瀬戸内寂聴の生きかた 瀬戸内寂聴 NHK出版新書
 2021年11月9日に99歳で死去した瀬戸内寂聴のラジオ番組での語り・対談を出版した本。本来は2022年5月15日の100歳の誕生日に合わせて刊行する予定だったと「はじめに」に書かれているのがせつない。
 1998年に「源氏物語」の現代語訳を出版した話が最初になされ、すでに与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子の現代語訳があるのにさらに現代語訳をしたのは、「戦後五十年が経ちまして、国語力が低下したのでしょうか、みなさん、それらの訳が読み切れないと言っております」(12ページ)ということからなんだそうです。その優しくした瀬戸内源氏10巻本も手に余り、私は、その前に書かれた「女人源氏物語」しか読めていませんが…
 井上光晴と妻と瀬戸内寂聴の三角関係を書いた「あちらにいる鬼」(井上荒野)は、「なんでも話してあげるから」と言って、だいぶ話してあげたのを書いたのだそうです(163~164ページ)。「モデルにされたわたしがほめるんだから、この小説はいい小説ですよ」って。「あれは絶対に賞を取りますよ」(164ページ)というのは外れたようですが。でも、まぁそう言われると読んでみようかと思います。映画化もされるようですしね。

11.カラー版 春画四十八手 車浮代 光文社知恵の森文庫
 菱川師宣の「表四十八手 恋のむつごと四十八手」を紹介し、それに合わせてその後の春画を紹介した本。
 元来相撲の決まり手であった四十八手が性的な意味を持つようになったのは1679年に刊行された菱川師宣の「表四十八手 恋のむつごと四十八手」と翌年の続刊「裏四十八手」からなんだそうです(3~5ページ)。オリジナルでは、性行為の体位だけじゃなくて、シチュエーションを挙げたものが多く、第1図は「逢夜盃」で遊廓で初顔合わせした遊女との恋の始まり、第2図は「思比」で両思いの相手と初めて致す前のときめき(手を握ってる)、第3図は「明別」で一夜をともにした後夜明けに別れを惜しんで接吻する姿、第4図が「ぬれなづけ」で思い人と致した後の恥じらう姿(…「ぬれ」の意味は…)と続き、第5図の「四手」(本手取り:いわゆる正常位、男性上位)で初めて体位が登場するとのことです(10~24ページ)。
 併せて紹介されている後の春画に比べて「恋のむつごと四十八手」は絵があっさりしていてほのぼの感が強い。より細密でリアルな後の春画も併せ、江戸時代の庶民の文化・風俗のおおらかさを感じます。

10.春画 早川聞多 角川ソフィア文庫
 江戸時代以前の肉筆春画から江戸時代の浮世絵春画に至るまでの代表的な作品をカラー図版で掲載し紹介した本。
 男女の(男男、女女もありますが)交合の様子を、特別な場面としてよりも、日常的に、ところ構わずという風情で描き、仲のいい庶民の夫婦、新婚夫婦のみならず中年の夫婦や老年の夫婦の性行為がしばしば描かれているのが日本の浮世絵春画の特徴なんだそうです(58~68ページ)。江戸時代の記録からは、女性も春画を楽しみ、春画を恥ずかしいものとしてではなく宝物として堂々と扱っていたとわかるというのです(126~131ページ、252~254ページ)。なんだか微笑ましいですね。図版を見ても、「ひわい」ではありますが、「いやらしい」という印象よりは、微笑ましく思えるものが多いと感じますし。
 江戸時代の享保の改革、寛政の改革、天保の改革での好色本の発禁令では、春画本は取り締まられても肉筆の春画は取締対象ではなかったとか(46ページ)。大衆向けは禁止でも大金持ちしか買えないものはOKなのか、「芸術品」は別扱いなのか…
 歌川国貞「吾妻源氏」上巻裏扉絵の陰毛(227~229ページ:閲覧注意)の例で、密集した箇所では1ミリあたり3本は彫られていると紹介されています。技術レベルにも目を見張ります。

09.「隠しアイテム」で読み解く春画入門 鈴木堅弘 集英社インターナショナル新書
 江戸時代の春画の中に描き込まれている道具や食べ物、動物、着物等の文様などから、描かれているシチュエーションや絵師の狙いを解説し、併せて江戸時代の生活・風俗等を紹介する本。
 もっとも、春画そのものに描き込まれた物等の解説は、「はじめに」で取り上げているものを除けば詳細ではなく、春画を題材に風俗、世相を紹介するという趣が強くなっています。
 江戸時代の婦女には「四徳」:貞操を守る「徳」、口数を控える「言」、裁縫上手の「功」、容姿を整える「容」が求められていたけれども、著者は「いつの時代の女性も、四徳のすべてを身につけている者など、ほとんどいないでしょう。一つぐらい欠けていたほうが、女性としては魅力的です」と述べています(87ページ)。春画の世界では「徳」の欠ける場面が次々出てきていますが…
 「江戸中期には煙草を吸わない者は百人のうちに二、三人ほどしかいなかったそうです」(88ページ)、「江戸時代は煙草の吸引は無害とされ、子供も煙草を好んで吸ったようです」(91ページ)っていうのはビックリでした。
 男女の(男男もありますが)交合がおおらかに微笑ましく描かれていますが、大手出版社がこれだけモロの描写をしたものを販売しているところ、時代は変わったなと思います(もちろん、ネットではそれこそ絵レベルじゃなくてモロの動画が流れているのですから問題にもならないと思うのですが)。その昔、40年くらい前ですが、バイロス画集の出版に関連して生田耕作先生が京都大学を去られたことを思い起こすと隔世の感というか、胸にさまざまなものが去来します。

08.ヒポクラテスの悔恨 中山七里 祥伝社
 テレビ番組「医学の窓」に呼ばれて「死体の声を聞こうとしない警官や医者が多過ぎる」と発言した光崎に対し、テレビ局のサイトに「親愛なる光崎教授殿。インタビューではずいぶん尊大なことを言っておられたが、ではあなたの死体の声を聞く耳とやらを試させてもらおう。これからわたしは一人だけ人を殺す。絶対に自然死にしか見えないかたちで。だが死体は殺されたと訴えるだろう。その声を聞けるものなら聞いてみるがいい」という書き込みがなされ、埼玉県警は疑わしくもない死体を次々と法医学教室に持ち込んで、法医学教室は多忙を極め、予算は逼迫しという展開の「ヒポクラテスの誓い」シリーズ第4作。
 「ヒポクラテスの試練」(シリーズ第3作)で初めて長編にしたかと思うと、今作品は再び「ヒポクラテスの憂鬱」(第2作)と同様の最初に課題を示した短辺連作の線、それも第2作とほぼ同様のコンセプトに戻しています。全体を通したコンセプトの違いは、この作品では、それを光崎の過去と結びつけ、光崎もそれを意識しているというところです。
 解剖をめぐる攻防はだいぶパターン化してきた感じですが、解剖による謎解き(死因解明)はまだネタ切れにならないようです。どこまで続けられるか、お手並み拝見というところでしょうか。

07.ヒポクラテスの試練 中山七里 祥伝社文庫
 60代の傲岸不遜で解剖の腕は超一流の光崎藤次郎率いる浦和大学法医学教室を舞台とする「ヒポクラテスの誓い」シリーズ第3作。シリーズ初の長編作品です。
 MRI画像診断で肝臓がんとされた死者に直近までの検査で肝臓の異常がなく自覚症状もなかったことから死因に不審を抱いた光崎が遺族の反対を強引に押し切って病理解剖したところ、突然変異体のエキノコックス(寄生虫)が発見され、さらに類似症例がでてきたことから、その爆発的拡大を阻止するために、光崎に叱咤されて准教授のキャシー・ペンドルトン、助教の栂野真琴、埼玉県警捜査1課の古手川和也らが感染経路・感染源の究明に奔走するという展開です。
 これまで死体と解剖、それによる死因の解明にしか興味を示さなかった光崎が、この作品では感染拡大防止に強い意欲というか使命感を見せるのですが、光崎の心境については謎のまま残されます。そこは読後に不満足感がありました。
 エキノコックスを追って何故かニューヨークに飛ぶためにキャシーが地元で、その人脈を駆使して活躍する、キャシーファンにはうれしい作品です。
 ところで…最初の患者/遺体の権藤要一の唯一の相続人である甥の出雲誠一の殺人容疑に絡む「動機」として、権藤が再婚したいと言い出したらしい、「もし婚活でもされて後添えが決まってしまえば、出雲は相続権を失う」(49ページ)というのですが、結婚しただけでは、先に死んだ弟の子として代襲相続する甥は、相続人であることに変わりありません(妻とともに相続することになって、相続分は4分の1になりますが)。子どもができたら、相続人ではなくなりますが、そうでなければ、「相続権を失う」ことにはなりません。相続分が大幅に減るからそれが動機となるというならわかりますが、そういうところは、ちゃんと調べて書いて欲しいなと思います。

06.ヒポクラテスの憂鬱 中山七里 祥伝社文庫
 埼玉県警のサイトの掲示板に「修正者:コレクター」を名乗る者が「すべての死に解剖が行われないのは、わたしにとって好都合である。埼玉県警は今後県下で発生する自然死・事故死において、そこに企みが潜んでいないかどうか見極めるがいい」という書き込みがあり、埼玉県警は本来なら解剖しない遺体を次々と浦和医大に持ち込み、法医学教室は多忙を極め、予算は逼迫しという展開の「ヒポクラテスの誓い」の続編、第2作となる短編連作。
 「ヒポクラテスの誓い」では、布石や謎を残しておいて、最終話で全体をつなげて謎解き・帳尻あわせをしたため終盤に高揚感のある読後感でしたが、この作品は最初に全体テーマというか課題を示して長編作品かと思わせつつ、やはり短編連作でそのために中だるみ感もあり、「ヒポクラテスの誓い」が最後に鮮やかに感じられた分、続けて読むと少し感動が落ちます。
 解剖率の低さを問題にする姿勢は、海堂尊ワールドかという印象もありますが、こちらではAI(死亡時画像診断)でも足りないというスタンスなのでさらに徹底しています。ますます現実の解決にはほど遠いということですが。

05.ヒポクラテスの誓い 中山七里 祥伝社文庫
 メス捌きの技量、豊富な知見、判断の正確さを持ち合わせ圧倒的な能力を持つが傲岸不遜を絵に描いた性格と相手を選ばず歯に衣着せぬ物言いをする60代半ばの解剖医光崎藤次郎が率いる浦和医大法医学教室に、指導担当の津久場教授の指示で押し込まれた研修医栂野真琴の語りで、異状死体の解剖を低予算で依頼ししかも光崎の手により予想外の死因が発見・確認できて救われることが再三ならずの埼玉県警が光崎に頭が上がらず言いなりになるという構図で、事件性が認められない死体を光崎が関心を持つと強引に解剖に持ち込み、その結果予想外の事実が発覚するというストーリーの短編連作。
 光崎は60代半ばで白髪のオールバック、背丈は真琴と同じくらいかやや低い(12ページ)、足の遅さに閉口した(25ページ)、と語り手の栂野に評されています。年代と背丈から、私的には親近感を持ちます。光崎の能力に感銘を受けてコロンビア大学からやってきた准教授キャシー・ペンドルトンは「お世辞にも美人とは言いかねる。意志の強そうな太い眉と鰓の張った頬。意地の悪い言い方をすれば、名前と指先の綺麗さだけが彼女の女らしさだった」(5ページ)と栂野に評されています。私は、キャシーのスッキリとした正義感とサバサバした態度にとても好感が持て、ウジウジと内心で愚痴ばかり言っている栂野(この作品では本文では容姿の描写はありませんが、表紙のイラストでは整った顔ではあるものの不満げな仏頂面。第2作で「若くて可愛い娘」(ヒポクラテスの憂鬱文庫版267ページ)とされていますが)よりもよほど惹かれます。
 若者が専門性の高い分野や訴訟リスクの高いもの、多忙だったり緊急性の高いものを避けたがることを批判する光崎と、選り好みして何が悪いと居直る栂野の会話(14~17ページ)。どこの世界でも似たような状況ですね。弁護士の場合も、近年は労働者側で労働事件を扱う弁護士が減り、若手はほとんどが会社側=使用者側をやりたがります。そういう風潮なんですよね。

04.いきたくないのに出かけていく 角田光代 角川文庫
 旅についてのエッセイをまとめた単行本に、他で書いたエッセイを追加して文庫本化したもの。
 旅好きな著者が、まぁ旅の仕事は旅ができると喜んで受けるがほとんど仕事に時間を取られ食べ物すら好きなようには食べられないと、十年以上混乱した後、ほんの数年前、「旅の仕事は旅ではなくて、仕事だ」と悟った(129~130ページ)というのですが、それにしても、「いきたくないのに」というタイトルは、見栄なのかある種自分ながら呆れているということなのか。
 聖地(アニメのとかじゃなくて、宗教上の)を訪ねたり、マラソン大会に出たりの旅を始め、さまざまな目的で旅に出続ける姿は、本人は面倒くさいとかも書いていますが、実に元気で活動的で私には若々しく思えます。
 猛烈に仕事が忙しくなった時期に、新幹線にも仕事を持ち込むようになったが、つい窓の外を見てしまい、結局持ち込んだ仕事には手をつけず、子どものように車窓を眺めているうちに目的地に着いている(199~200ページ)という話。ありそうにも思えますが、新幹線の中では、私は、仕事の書類をざっと眺め、最低限眺めたら、気力が続けば読書、でも最近は眠ってしまうことの方が多い。やっぱり疲れてるというか、新幹線で移動すること自体に疲れてしまうところに、年齢を感じています。

03.長野まゆみの偏愛耽美作品集 長野まゆみ編 中公文庫
 編者の書いた耽美的な短編小説集(であるかのようなタイトルではありますが)ではなくて、編者が選んだ短編小説・随筆・詩歌の作品集。
 この手の作品集は、30年あまり前、私が「アラサー」だった頃に「ちくま文学の森」というシリーズが出版されて、その頃には物珍しく、興味を持って何冊か読みましたが、私にはそれ以来という感じです(近年は、短編集自体をあまり読まなくなっているということもあって)。
 さまざまな書き手の作品が並ぶと、文体や描写・書き込む深さ・こだわりなどのクセの違いが目につき、通読がしんどい。続けて読もうと思わずにゆったり時間をかけて味わえばよいのでしょうけれど。
 幸田露伴の「雲のいろいろ」が、読んでいると「枕草子」を想起させます。明治期の文学は、私にとってはもう平安時代と同じくらいの過去・異世界ということかも。

02.一問一答 令和3年改正プロバイダ責任制限法 小川久仁子編著 商事法務
 名誉毀損等の権利侵害となるインターネット上の書き込み等の発信者情報の開示に関して、従来よりも迅速に対応できる新たな裁判制度の創設等を定めた「特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律」の改正について、所管行政庁である総務省総合通信基盤局電気通信事業部消費者行政第二課の課長らがQ&A形式で解説した本。
 書き込み等の発信者を特定するためには、まずコンテンツプロバイダ(書き込みのなされた掲示板等の管理者)に対して、当該書き込みのためのアクセスの際のIPアドレスとタイムスタンプ等の開示を求める仮処分を行い、開示されたIPアドレスから経由プロバイダ(書き込み者等の利用者に通信サービスを提供しているプロバイダ)に対し(消去禁止を求めた上で)発信者情報開示請求の訴訟を行って勝訴する必要があるけれども、これを1つの裁判所での一連の非訟手続にまとめ、まずコンテンツプロバイダに対する「発信者情報開示命令」の申立てと「提供命令」の申立てを行い、裁判所が提供命令を発するとコンテンツプロバイダは申立人には経由プロバイダを教え、申立人がそれを受けて経由プロバイダに対する発信者情報開示命令を同じ裁判所に申立て、それを受けてコンテンツプロバイダが経由プロバイダにIPアドレスとタイムスタンプ等を(申立人には知らせずに)開示し、申立人の申立てにより裁判所が経由プロバイダに発信者情報の消去禁止命令を発し、裁判所が審理の上で発信者情報開示命令を発すると経由プロバイダが保有している発信者情報を申立人に開示するという制度が設けられたというものです。
 次々と新しいサービスができ、そこで通信サービスの関連事業者がどのような形で情報を保有しているか等が異なっているなどのためではありますが、法律の条文の記載がめちゃくちゃわかりにくい。私自身、初期の頃には間接的な関与をしていたのですが、もう条文を読んでもよく理解できませんし、そもそも読む気にさえなれない状態です。もう少し読んでわかるような法律にできないものかと苦々しく思います。

01.裁判例にみる自転車事故の損害賠償 北河隆之、長島光一 保険毎日新聞社
 自転車(運転者)が加害者となる交通事故についての裁判例を整理して解説した本。
 私は、交通事故は専門としておらずあまり取り扱っていない(事務所の同僚の伊藤まゆ弁護士が交通事故の専門家なので、相談が来たら回してしまうため…)ので、基本的に一般教養のつもりで読みました。しかし道交法の自転車の通行場所の規制、駐停車の規制(4~9ページ)は、複雑でよく知られていない(私もよく知らない)し、実情に合っていない気がします。それでも事故になり裁判になるとそれを守っていないことが過失とされるのですから、自転車の運転でも慎重にしないといけないなぁと改めて思いました。
 自転車と歩行者の事故(101~136ページ)では、基本的には自転車側に損害賠償責任が生じるのですが、自転車(加害者)側の過失相殺の主張(歩行者にも過失がある)とその判断がなかなか興味深い。夜間(午前3時頃)酒気帯びで下を向いて(前方不注視)時速15~20kmで走行していた加害者が、視力障害者(両眼とも0.01)が一人で懐中電灯も持たずに外出したことが過失だと主張して否定され(101~103ページ:東京地裁2013年3月27日判決)、夜間無灯火で下り坂を携帯電話を操作しながら片手で時速約20kmで走行していた加害者が、歩行者が対抗者とすれ違うために道路中央に出たことが過失だ主張して否定され(105~106ページ:横浜地裁2010年4月14日判決)、時速約25kmで減速しないまま黄色信号で交差点に進入したとみられる加害者が、歩行者が青信号になった途端に駆け足で横断歩道を渡り始めたことが過失だと主張して否定された(120~121ページ:東京地裁2011年7月6日判決)などをみると、加害者が自分の重大な過失を棚に上げて被害者の過失を主張することには厳しい視線が向けられることがわかります。時速約20km(秒速5.6m)は自動車なら低速度なのでしょうけれども、自転車としては相当速い速度だと評価できます。近くに歩行者がいる状況ではこの速度自体危険があるということだと、私には思えます。自分のことを棚に上げて相手を非難する姿勢が裁判所の心証を害することは、自転車事故の裁判に限らず民事裁判一般にも通じるところと思え、弁護士としては心しておきたいところです。そうはいっても主張すべきことは主張しないわけにもいかないので、なかなか難しいところではありますが。
 自転車同士の事故(137~179ページ)については、自動車同士の事故と似ていますが、少し違う評価要素もあるようです。自転車同士の事故については、走行方向や位置関係が図示されていないと読んでいて直感的に理解できません。手間がかかるとは思いますが、それをつける親切が欲しいところです。また、追い越しの事案では、基本的に追越車両側に過失が大きく、被追越車両の過失はゼロが基本と明示する判決がある一方で被追越車に単純な注意義務をあげるだけで過失を認定しているものもあり、被追越車が二人乗りをしていた(なお追越車はイヤホンをつけて走行)ということで被追越車に60%の過失を認めた例(152ページ:東京地裁2010年1月12日判決)など、これが評価のブレなのか、具体的な事案の条件によるものなのか、もう少し事案の事実関係、過失(割合)の判断を左右した事情を踏み込んで解説して欲しいと思いました。
 歩道上を2台並んで走行していた自転車の後方を走行していた自転車が、並走車に気を取られて対向車に気付かず接触して車道に転倒させ、そこを別の自転車がさらに衝突したという事故で、衝突しなかった並走車それぞれに20%の過失を認めた(最初に衝突した加害者に35%、その後に衝突した加害者に15%、被害者に10%)という事例(171~173ページ:東京地裁2012年6月20日判決)など、ふつうに考えると衝撃的(自分は事故を起こしていないのに歩道を並んで走行していたというだけで損害賠償責任が認定されている)です。こういう事例は、何故そう判断されたのか、どういう事実関係がポイントになったのかを詳しく解説して欲しいと感じます。
 そういうところは、事件で使うのなら自分で判決文に当たって調べろということでしょうけれども、書籍として読むには、疑問を感じつつもそこまで調べる気にもなれないので、そうか、いろいろあるんだなぁという読後感で止まってしまいます。まぁ、その意外にいろいろあるんだなぁとわかること自体に価値があるのでしょうけれども。

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