私の読書日記 2022年9月
28.紅だ! 桜庭一樹 文藝春秋
コリアンタウンの新宿区百人町の雑居ビル1階の潰れた韓国風チキン屋の後をそのまま借りて事務所にしている「道明寺探偵屋」で、創業者の道明寺葉が焼死した後残された、元テコンドーオリンピック選手の30歳真田紅とやせたイケメンの元警察官28歳黒川橡の2人の探偵が、紅はたまたま出会った何者かに追われている15歳の少女を守るという依頼を、橡は公安警察の先輩藤原から大量にATM入金されたATMを騙す偽札犯の正体を突き止めるという依頼を受け、振り回され調査を進めるうちに…という小説。
紅と橡のキャラ設定、探偵事務所の設定などは工夫されており、青春小説的には、楽しめると思います。しかし、ミステリーとして読むには、事件と事件関係者のキャラ設定、とりわけ事件の展開に連れた言動が荒唐無稽というか、そんなことどうしてペラペラしゃべる?とかこの場面でそんなこと言ってる/やってる場合か、そりゃないだろうと思うところが多く、無理が多い作品だと感じます。
冒頭(開始2ページ目)で少女が「ハイタカ」と名乗るのは、作者がアーシュラ・K・ル=グインのアースシーシリーズ( Book of Earthsea :邦訳では「ゲド戦記」という不適切に思えるタイトルが付されています)のファンだということなんでしょうか。
27.共感×つながり 人が集まるSNSのトリセツ 小桧山美由紀 総合法令出版
起業コンサルタントの著者が、自らが実践して成功したSNSによる集客方法について解説した本。
Instagram で写真や動画により感情に訴えて興味を持たせ、リンクでブログや You tube に誘導して自分の価値観や考えを見せ、それに共感した人だけを公式LINEに登録させて、そこから個別対応して納得した顧客に商品(サービス)を購入させる(36~39ページ)というしくみはビジネスとして合理的に思えます。それは著者(事業者)の価値観や考え方に合わない人、要するに顧客となる見込みがない人をふるい落とす過程と位置づけられます。自分の商品を買って欲しい客の具体的なイメージを「ペルソナ」と呼ぶ(53ページ)著者は、「ペルソナでない人は、本来お客さまにはならない人です」として、価値観や考え方が合わない人が来てしまわないような発信をすることを勧め(52~55ページ)、クレーマーが来るのは物腰の柔らかそうな人、この人なら何を言っても受け入れてくれそうと思われるからであり、自分は「『私はお客さまですよ。』といった態度の人には、まったく来てほしいと思っていません。むしろ私自身がお客さまを選ばせていただいています」という内容の記事を発信しているといいます(215~216ページ)。
確かに、ビジネスとしてみれば、客になる見込みのないピントはずれの電話をしてくる人、ジコチュウで思い込みの強い人などに応答する(食い下がられる)のは時間の無駄であり、疲れ消耗するだけでいいことはまったくないのですが…いろいろと考えさせられます。
著者は、自分の Instagram のプロフィールを「4児ママ起業 海外在住 小桧山美由紀」から始めて実績、略歴、「ごく普通の私」のことで構成していることを紹介し、同様のやり方を推奨しています(72~76ページ)。最近、Facebook でその種のプロフィールを書いた知らない人からの友だち申請が多くて辟易しています。著者は Facebook よりも Instagram を勧めています(34ページ)し、自分から売り込むなと言っています(31ページ)ので、そういう行動はこの本の著者の影響ではないとは思うのですが。
26.風と行く者 守り人外伝 上橋菜穂子 偕成社
30代の女用心棒バルサを主人公とするファンタジー「守り人シリーズ」の外伝。
「天と地の守り人」の新ヨゴ皇国とタルシュ帝国の戦の1年半後、戦で片腕を失ったタンダとともに暮らすバルサが新たに護衛の旅に出るところからスタートするこの本は、「天と地の守り人」で完結したはずの「守り人シリーズ」の「外伝」ではなく「続編」かと思いましたが、実は、この新たな旅が20年前のバルサがまだ16歳だった頃、父の親友だったジグロに連れられて就いた護衛の旅とリンクしていて、結局は大半がジグロとともに戦った過去の想い出の物語として語られます。続編として読み始め、実はエピソード0だったというところです。
これまでの作品に比しても厳しい戦いが続き、まだ16歳のバルサが傷つき殴られる描写には胸を痛めます(その感覚自体が女は弱い者、守られるべき者という偏見だと言われてしまえば、否定はできませんが…)。他方で、若々しくたくましいバルサの姿に爽快感も感じられ、バルサファンには読みたかった1冊と言えるでしょう。
25.反省記 ビル・ゲイツとともに成功をつかんだ僕が、ビジネスの“地獄”でつかんだこと 西和彦 ダイヤモンド社
パソコン雑誌の走りの「月刊アスキー」等を創刊したアスキーの創業者にしてアスキー・マイクロソフト社長だった著者が、パソコン黎明期にさまざまなパソコンをプロデュースしていった輝かしい経験の自慢話と、その後手を広げすぎて大赤字を出し銀行や出資者からリストラの指示を受けて再建に四苦八苦しながらも失敗や部下の造反等で結局は会社を追われた経緯についての恨み言等を書き連ねた本。
前半の不眠不休・即断即決で作りたいもの、ネットワーク化された高性能で低価格のコンピュータ作りを目指して、やりたいことを次々と実現していく話が、まぁ実際にはその頃も独裁者として周囲の労働者を抑圧していたのだろうけれども、読んでいて爽快感があります。これが、後半では裏切られた相手への不満・うらみと、それ以上に救済してくれた出資者等に対しての媚び・ヨイショぶりが目につき、経営者というのはそういうもの、そうでないとやっていけないところがあるとは思いますが、卑屈感に満ちていて息苦しくなります。前半があるだけに、後半を読むと、栄枯盛衰・諸行無常を感じるところが読みどころ、なんでしょうかねぇ…
24.5文字で四字熟語 すとうけんたろう 講談社
四字熟語を5文字で言い換え、その意味の説明と使い方等の若干の解説を付けた本。
5文字で言い換えるというアイディアが決め手の本です。「言語道断」が「話にならん」(28ページ)とか、「馬耳東風」が「聞いてない」(106ページ)とか、まぁなるほどと思います。「罵詈雑言」を「ばーかばか」(107ページ)とか、苦しんで無理をしてると感じられるものも散見されますけど。読みながら、自分ならどう言い換えるかを考えるうちに、「絶体絶命」(46ページ)を「百恵ちゃん」と連想してしまう私は…(^^;)
「波瀾万丈」の「瀾」は大きな波で、万丈は約30kmなんだそうな(56ページ)。「万丈が波の高さなら飛んでる飛行機が水をかぶる。」(56ページ)って、いや、飛行機が飛ぶ高度ってせいぜい10数kmですけど。
「酒池肉林」(140~141ページ)の肉は食べる肉なんですね。色欲にふけるとか、淫らなという意味合いから、裸ないし半裸の女性のことと思っていました。
何にせよ、猫のイラストがかわゆい。
23.快読「ハリー・ポッター」 ハーマイオニーとロンの結婚をめぐるローリングの“後悔”とは? 菱田信彦 小鳥遊書房
ハリー・ポッターシリーズについて、イギリスの階級社会や人種問題、性的少数者などがどのように反映/問題提起/戯画化されているかなどを考察し、学校物語文学との関係やダンブルドアやハリーの性的指向、ハーマイオニーの位置づけとロンとの結婚の意味などを論じた本。
あとがきで示されているように(212~213ページ)、英米文学を専門とする学者である著者が過去に発表した5本の論文に加筆修正して出版したものです。ハリー・ポッターの一読者である私には思いもよらない検討もなされていますが、タイトルから期待されるようなハリ・ポタファン向けの書物ではないように感じられます。
ハリーがロンに恋していて、「死の秘宝」でハリーがロンに「ハーマイオニーは妹みたいなものなんだ」と説明したときハリーはハーマイオニーをロンに渡したのではなくロンをハーマイオニーに渡してロンへの欲望を諦めた、ハリーが唐突にジニーと付き合い始めたのはウィーズリー家の一員となってロンに近づくためという考察(168~175ページ)は、「へぇ」とも「へっ」とも思います。また、ウィーズリー家がしもべ妖精を使っていないことが魔法世界では許しがたいことでありそれゆえに純血主義者たちからウィーズリー家が「血を裏切る者」呼ばれていた、だからハーマイオニーにとってロンはふさわしい結婚相手と評価できるという考察(186~205ページ)も、引用されている(193ページ)ようにモリーがアイロンがけをするしもべ妖精がいればと嘆いていることからしてもウィーズリー家が積極的な意思を持ってしもべ妖精を使わないことにしたとは考えがたいことなどからして疑問を持ちます。
そういった違和感はありますが、自分が考えつかなかった視点で改めてハリー・ポッターを考えてみることができ、参考になりました。
22.プロ司書の検索術 「本当に欲しかった情報」の見つけ方 入矢玲子 日外アソシエーツ
大学図書館でレファレンスサービスに従事している司書の立場から情報の探し方について解説し論じた本。
基本的に手堅い信頼性のある情報源からの情報収集を勧め、インターネットでの無料の検索の限界を示し、より充実した情報収集のために図書館を訪れ、司書に相談しながら、図書館で利用できる有料データベースも駆使して検索することを推奨しています。
ネットでの検索の方法や無料の情報源の使い方もいろいろと説明してくれているのですが、プロの司書はいろいろな探し方、情報を持っていて、司書に相談してもらうのが結局は速く深い情報を収集できるということを述べている第1章(「司書のアドバイスは総じて適切です。利用者にとって最大ではないものの最高のデータベースにもなれるでしょう。その力の源泉は、カンと先端性という二つです」:43ページ、「情報の最前線にいるプロだけが使える技術は現在でもあるのです。そのプロは、図書館のカウンターにいます」:48ページなど)、デジタル情報化のみに頼ることのリスクを語る第7章など、司書の存在感と自負を述べるところが、この本の眼目のように見えます。日本では司書が専門職と捉えられていないが、イギリス図書館情報専門家協会が2018年に行った「信頼できる情報を提供する専門家は?」という調査で図書館員の順位は法律家より高い4位だった(218~219ページ)、新型コロナウィルス禍の中で全国の図書館が「不要不急の施設」とみなされて閉館を余儀なくされたことははからずも図書館の魅力を際立たせた、早く再会してほしい、論文が書けない、勉強が進まないという声が溢れた(228ページ)などの記述に著者の思いが表れていると感じられます。
有料データベースの中で著者は「日経テレコン」を強く推奨しているので、基本使い勝手重視で勧めていると思いますが、人事情報では「WhoPlus」(日外アソシエーツ)を第1順位で挙げ(117~118ページ)、雑誌検索でも第1順位ではないですが「MagazinePlus」(日外アソシエーツ)を「広範な分野をカバーしています」と勧めていて(97ページ)、その本が日外アソシエーツの出版だというのは…
21.ボーイズクラブの掟 エリカ・カッツ ハヤカワミステリ文庫
ハーバード大学、ハーバード・ロースクール出で世界最大規模の法律事務所に入った新人弁護士アレックス・ヴォーゲルが、恋人にはワークライフバランスを考えてM&A部門は避けると言っていたのに、競争率の高さ、エリート意識を見せつけられてM&A部門を目指してハードな長時間労働競争にのめり込み、さらには接待のために深酒や薬物摂取も常態化して…というワーカホリック小説。
事務所・弁護士とクライアントの関係、幹部・パートナーとアソシエイトの関係、新人弁護士の意識等、企業側の大手法律事務所の内情がさまざまに描かれているのが、業界人としては参考になり興味深いところです。作者自身が、匿名(仮名)ではありますが、大手法律事務所勤務の弁護士ということですので、相当程度信憑性があると見ていいのでしょう。
もっとも、構成としては、冒頭から主人公のアレックスが所属事務所の最大手のクライアントが被告の民事訴訟の訴訟前証言録取(ディスカヴァリー手続)を受けているという過程で、その証言内容なのか回想なのかという形でストーリーが進行し、それがどのような裁判なのか、その中でアレックスはどのような位置づけ・関係を持つのかに関心が向くという意味での「サスペンス」となっているのですが、そこに関しては、同業者として疑問を持ちます。ネタバレになってしまうかもしれませんが、まず、626ページで「無罪」という言葉に呆然とします。いや、これ民事裁判じゃなかったのか? そして、同じページで「わたしの証人尋問が決め手になると信じていた」って、何ですか。アレックスの証言はいわゆる「悪性格の立証」に過ぎず、そんな証言は本来裁判で重視されてはならず、裁判官も陪審員もそれに依拠しないよう心がける類いのものでしょう。弁護士が書いた作品で、主人公の弁護士がそんな素人みたいな判断をしてるというのでは、他のところがよくできていたとしても、そこでもうがっくりしてしまいます。
20.点滅するものの革命 平沢逸 講談社
多摩川河川敷で賞金狙いで殺人犯が遺棄した拳銃を探す父ちゃん(オノダ)とその娘の未就学児ちえ(ちーちゃん)、雀荘を経営している元麻雀プロの鈴子さん、掘っ立て小屋に住む糖尿病で左足を失ったクボヤマさん、蒲田の居酒屋で失恋して飲んだくれていて父ちゃんと知り合った大学生のレンアイことワタナベら、多摩川河川敷で顔を合わせる面々の過ごす夏の日々を描写した小説。
これらの人びとの憂鬱、停滞、倦怠感を基調としつつ、ひとり突き抜けた感のある鈴子さんの姪の大学生ユッコさんが明るさとふつうの展開・進行の要素を持ち込んでいて、それがスパイスなのか、全体として何を書きたいのかを不明瞭にしているのか、今ひとつ見えにくく思えました。
また全編を未就学児のちえの視点で書いているのですが、ちえが知り得ない描写も見られ、そこが意識的な「破」なのか、一貫性の追求の甘さなのか、定かでありません。そもそも未就学児の視点で、セックスとかも含め大人の会話や事情が、自分にはよくわからないなどの前置きや評価を付けずにごく当然のように述べられていること自体、設定に無理があるように感じられるのですが(「じゃりン子チエ」みたいにませてひねた子どもという設定でもないわけですし)。
煙草の煙と麻雀の話題の多い作品を書いているこの作者が1994年生まれというのも、ちょっと驚きました。
19.カインは言わなかった 芦沢央 文春文庫
著名な芸術監督誉田規一率いるHHカンパニーの新作バレエ「カイン」の主役に抜擢された藤谷誠が公演2日前に音信不通となり、誠の行方を追って関係者や実家を探し求める恋人の嶋貫あゆ子、誠の代役となるべくスタジオに泊まり込んで夜を徹してカインのパートの練習に励み続ける誠のルームメイトの尾上和馬、3年前にHHカンパニーの「for Giselle」の主役を直前に降ろされ休日にスタジオで自主練習していて熱中症で倒れ死亡した松浦穂乃果の父親松浦久文、藤谷誠の父違いの弟の画家藤谷豪と交際中またはセフレの不動産会社勤務の皆元有美らの視点から「カイン」の公演までの様子を描いたサスペンス小説。
誉田規一の非情さ、その指導/しごき/いじめを受けながら誉田に認められようと耐えて修行のような練習を続ける団員たちの情熱あるいは渇望の凄まじさが印象に残ります。今どきでは、誉田規一の言動はパワハラと指弾され、団員は狂信者と評価されるでしょうけれども、他方において、私たちは芸術やスポーツなどの世界で傑出した技を求め、それはそういった常軌を逸した厳しさ、さらに言えば通常の社会の感覚では律しきれない者たち、規格に収まらない者たちによって担われてきたものであろうと思います。超人的なプレイを求めつつ、その練習等の過程でのパワハラを非難する、さらには人格的にも模範生であることさえ求めるという、昨今のメディアや観衆のありようについて考えさせられる作品でもあります。
この作品では、そしてHHカンパニーの公演「カイン」では、神が弟アベルを寵愛したことに兄のカインが嫉妬してアベルを殺害し「人類最初の殺人者」となったという旧約聖書のエピソードを採り上げています。このエピソードは安倍元総理殺害事件を契機に自民党との癒着ぶりが広く報道された統一教会の教理のとても重要な部分となっています。私は、1990年代初めに裁判で霊感商法は統一教会が信者にやらせているということを論証する準備書面をひと夏かけて書き、その際に統一教会の教理解説書(統一教会では「経典」とは言いません)である「原理講論」を読んでその内容を検討しました。もちろん、もうあまり覚えていませんが、そのとき、「原理講論」の内容を強引に一言で表すとすれば「アベルとカインの歴史は繰り返す」だと、確か書いたと記憶しています。原理講論は、前半では聖書に独自の解釈を施しているのですが、その中で、カインは、神により愛されたアベルに対して従順に屈服すべきであったのにそうせずにカインを殺害した、それが人間の罪/原罪だと評価しています。そして原理講論の後半は、その後の歴史をやはり独自の視点で解説しているのですが、そこでは歴史上の事実をことごとくカインの犯した罪などになぞらえて人間はこのように罪を重ねてきたと繰り返しています。通し読みしていると、人間は神に救われる機会があったのに何度も過ちを犯し罪を重ねてきたと、絶望的な気持ちになります(端から疑ってかかって読んでいる私でさえ、そう感じました)。そして、その罪深い人間を救ってくれるのが「再臨のメシア」文鮮明なのだとされていました(文鮮明の死後どのように説明がされたのかは、私はその後関わっていないので知りませんけど)し、その先祖の犯した罪を日本流に翻訳すると殺傷因縁であったり色情因縁であったりという霊感商法のトークに繋がっていくわけです。こういう時期にアベルとカインの話を読んで、ずいぶんと久しぶりにそういうことを思い出しました。
18.医療崩壊 真犯人は誰だ 鈴木亘 講談社現代新書
世界一の病床大国と言われ、世界に冠たる日本の医療などと自画自賛されていたにもかかわらず、しかも世界的に見て桁違いに少ない感染者数・重傷者数にとどまっているにもかかわらず、コロナ禍が始まって2年以上もたつのに、感染者数が少し増えると医療崩壊の危機などと声高に言われ、入院もできずに自宅で亡くなる(自宅待機という名の下に放置され見捨てられる)コロナ患者が続出し、政府は医療体制の充実は二の次で人流抑制策(自粛要請、国民の自由の制限)にばかり頼り続けるのは何故かという、まったくそのとおり、そこが聞きたいと思う疑問をテーマとした本。
病床数は世界一だが医師数は少ない(2018年時点で人口1000人あたり2.5人。OECD加盟国平均は3.5人:40ページ)、高齢の開業医による民間小規模病院が多くそのような病院はコロナ患者を受け入れにくいし受け入れない、大病院にコロナ重症患者を集中させてコロナ患者以外や軽症コロナ患者は中小病院に移すことが効率的だが、大病院もコロナ重症患者を受け入れているところは少なく東京大学医学部附属病院でさえコロナ重症者病床はわずか8床しか確保されておらず(82~91ページ)、病院間の連携・協力関係が決定的に不足していて(商売敵なわけですから)患者の転院・移送・配分がうまくゆかない(100~116ページ)などが指摘されています。
政府のガバナンス不足については、「おそらく多くの読者が想像していた通りの『本命』の容疑者」(138ページ)、「まさに『主犯級の犯人』と言えるでしょう」(153ページ)とされているのですが、今ひとつ追及に情熱が感じられず、手ぬるい感じで、読んでいて溜飲が下がらないというか納得できない感が残ります。最初の緊急事態宣言の際に、人流抑制で感染拡大が自然に治まることは考えられず、あくまでも医療体制の崩壊を防ぎ医療体制を充実するための時間を稼ぐことが目的だと言っていたのに、その後どんなに時間がたっても医療体制の充実を進めず、いつまでたっても外出制限・行動制限などの国民の権利を制限することだけに血道を上げる政治家と官僚は、医療体制の充実などまったくやる気がなく、ただ国民の権利を制限する権力を行使したい、国民が権利制限に慣れてくれれば自分たちに都合がいいと思っているのではないかと、わたしには思えてなりません。政府の審議会委員等を務めている著者に政権に対して厳しい発言を求めるのは無理なのかと思いますが、せっかくこのような問題意識を持って本を書くのなら、政治家と官僚はもっと手厳しく評価して欲しかったと思います。
17.ニュートン式超図解 最強に面白い!! 理科 武村政春、今井泉、和田純夫、縣秀彦監修 ニュートンプレス
中学と高校で学ぶ理科(生物、化学、物理、地学)の重要項目を1冊に凝縮したという本。
生物、化学、物理、地学を各11~12項目見開き2ページ(それも半分はイラスト!)の分量で概説しようという意欲的な(ふつうに考えれば無謀な)企画です。これだけわかればいいんだ!と、そうか、それでいいんだと感激できればいいんですが、う~ん、どうだろう…
動物の分類の項目(5ページ)で、「脊椎動物は、五つに分類される」という見出しと「『恒温動物』は、体温がほぼ一定」という見出しがあるのですが、恒温動物の体温が一定だということは最初の項目(脊椎動物は、五つに分類される)の中に書かれていて、後半の『恒温動物』は体温がほぼ一定の項目には、恒温動物のことは書かれていません。この部分の中身に合わせたら見出しは「無脊椎動物には、昆虫や甲殻類などが含まれる」の方がいいと思います。見出しを書く人と本文を書く人の連携がうまくいっていないのか、ちょっと気になりました。
また、79ページの吸盤がくっつく仕組みのイラスト、左側(中央と言うべきか)の吸盤の形状はミスリーディングに思えます。やはり右側がフラットな絵(曲面側が気体分子に押されている絵)にすべきでしょう。
16.世界の発光生物 分類・生態・発光メカニズム 大場裕一 名古屋大学出版会
発光生物について、バクテリアから魚類までの分類(門・綱・目・科・属等)ごとに発光種の有無、代表的な発光種の分布・生活域、発光の態様(発光する部位、発光の色、発光液の放出の有無等)、発光のメカニズム(発光バクテリアによる「共生発光」か、酵素基質反応(ルシフェリンールシフェラーゼ反応)か発光タンパク質(フォトプロテイン)によるものか、発光物質は餌から得ているのか等)、発光の役割(海生の場合に腹側を発光させることで見上げた海面の明るさと同期して捕食者に発見されにくくするカウンターイルミネーション、捕食者を幻惑したり煙幕として逃げる、発光によってより上位の捕食者に捕食者の存在を気づかせる防犯警報機能、食べてもまずいという警告、求愛等の種内コミュニケーション、餌の誘因、自らの視界の確保等)について解説した本。
基本的に研究者向けに、これまでの世界中・歴代の研究発表・報告を集大成する形でとりまとめたもの。深海魚など、実物(生存中の)を見た者がいない/ほとんどいない報告例で、その後発光の報告がないものも多々あり、その場合に本当に発光したのかが疑わしいと書くか、報告者が信頼できる人物だから間違いないだろうかと書くか、まさに業界内の人でないと書けない類いの本です。
網羅的に発光生物と発光に関する各項目が整理されて記述されていて(それも、著者によれば、「書かれていることはどれも、日本語の書籍には一度も登場していない事柄ばかりであることだけは請けあおう」とのことです:20ページ)、学術書として素晴らしいものだと思いますが、専門外の読者には、分類についてのゲノム解析等による近時の再考の反映等の記述の専門的難解さ、発光のメカニズムがわかったものについての化学物質の同定や反応の説明の化学的記述の難解さ、他方で発光の役割については生きたまま捕獲できた場合に周囲の明るさを変化させてそれに応じて腹側の発光強度の変化を観察できた場合のカウンターイルミネーション機能以外は概ね推測にとどまることなどから、読み通すには相当な忍耐力を要します。
四足動物にはこれまで発光種は見つかっていないが、海生生物ではむしろ発光しない生物の方が少ないのだそうです。バミューダ沖中深層(水深500~700m)の魚類を網で集めて調べた結果その81%の属、66%の種、96.5%の個体が発光種だったという報告もあるとのことです(313ページ)。カリフォルニア沖の表層から超深海までを無人探査船でつぶさに調査した27年分の記録をまとめた論文によると表層から超深海まですべてを平均しても確認された生物個体の76%が発光種であったそうです(同ページ)。生物に対する見方を改めて考えさせられました。
15.おとなの教養3 私たちは、どんな未来を生きるのか? 池上彰 NHK出版新書
著者が、日本と世界の未来を考える上で重要なポイントとなると考える6つの問題、気候変動、ウィルスと現代社会、データ経済とDX(デジタル・トランスフォーメーション)、米中新冷戦、人種・LGBT差別、ポスト資本主義について解説した本。
多くは大体想像できる内容でしたが、やはり知らないことも多々あり、勉強になりました。「スペイン風邪」って、元凶は米軍で、米軍がヨーロッパに広めて各国で大流行し、ただ各国がそれを秘密にしていたのにスペインだけが流行を報道されたために「スペイン風邪」になった(70~72ページ)んですね。冤罪だ、冤罪だ…それから、アメリカでは公式統計では発表されない(公式統計がない)が新聞社やNPO団体の調査によれば毎年およそ1000人が警察官によって殺されている(167~168ページ)って。
14.母の国、父の国 小手鞠るい さ・え・ら書房
今はマサチューセッツ州で弁護士のシャーロットと共に児童福祉・支援団体の電話相談のボランティアをしている日本生まれの黒人女性夏木笑美理が、母親に捨てられ義理の伯母に育てられた日本での少女時代を回想する小説。
アメリカ東海岸を舞台に黒人女性の語りで始まるこの話を、アメリカではなお根強い人種差別が続いているから…と受け止めると、作者自身、読者がそう受け止めることを期待し、見越していると思いますが、自らの思い違い、思い上がりを恥じ入ることになります。このお話は、徹底して、日本社会でいかに外国人差別、とりわけ黒人差別がなされているかをテーマとして紡いでいるものです。作者もそこから着想したのかもしれませんが、テニスの全米オープンで優勝して大坂なおみが注目を浴びた後のネット世論などの暗いいやらしさを思い起こしました。
明るく強い子どもだった笑美理が翼をもがれていく様は、人種差別であれ性差別であれ、痛ましく思えます。かなりストレートな固さを持っているため小説として楽しめるかには疑問がありますが、問題提起としては成功していると思います。
13.with you 濱野京子 講談社文庫
県下トップの公立高校に進学しそこでも努力を続けてトップクラスにいるできのいい兄を持ち、外に女を作って出て行った父をさほどは責めずに非常勤公務員として市役所に勤めて福祉関係の業務に携わる母にも兄と違って期待されていないと、勝手に僻んで自分だけが不幸だとやさぐれる視野の狭いジコチュウの中学3年生柏木悠人が、夜の公園でブランコに座り沈んでいる少女富沢朱音に関心を持ち夜の公園に通うようになり、朱音が父の単身赴任中に母が病気となったために幼い妹を抱えて家事と看護に追われていることを知り、朱音や周囲の友人たちが自分よりも大変な苦労と思いをしていることを知っていくという展開の青春小説。
親の病気等のために家庭責任を負わされている子どもたちを「ヤングケアラー」と呼び、その実情と支援の必要性を訴えるため、苦労している朱音ではなく、むしろ恵まれた境遇にいながら僻んでいるジコチュウ少年の視点で語らせるというところが巧みです。
文庫版のあとがきで、作者は、「『with you』はヤングケアラーをテーマにした物語だと見なされることが多く、それは間違っているわけではないのですが、あえてどんな作品かと一言で言うならば、中学生を主人公とする恋愛小説です」(233ページ)と、もっと恋愛小説として読んで/評価して欲しいと訴えているのですが、ちょっとそう読むには直球の問題提起に寄っていて固い印象があります。恋愛小説と読むよりは、僻み少年の成長物語と読む方がよさそうです。
12.修羅奔る夜 伊東潤 徳間書店
東京に出てアニメーターになるという夢破れて派遣社員として不満を抱え不安な日々を送っていた工藤紗栄子34歳が、郷里の青森で畳職人をしながらねぶた師として大賞を目指す兄春馬が脳腫瘍を患ったと聞き青森に戻って、ねぶた制作を続けると言い張る春馬を手伝い、次々と降りかかる問題に翻弄されつつ対応して行くという生きがい発見小説。
春馬が、正義は阿修羅の側にあるが阿修羅が相手を許す心を失ったがために天界を追われたという挿話をテーマにする理由を聞かれて、「ネット大衆は、目立ちすぎた者や何かに失敗した者、つまり攻撃対象を見づけると、皆で情け容赦なく攻撃すべ。集団で石を投げづけで、自分たちは正義の側にいると確かめ、安心すとる。つまりネット社会は複雑性を嫌い、善悪の二元すかねえ。だはんで、もっと相手を許す心を持だねばなんねと主張すだいんだ」と答える(47ページ)ところに作者の思いが表れているということでしょうか。
全編青森弁が飛び交うこの作品を読んで作者のプロフィールを見ると横浜生まれで早稲田大学卒業というのは…
11.目からウロコ マンション管理のトリセツ [改訂版] 増永久仁郎 幻冬舎メディアコンサルティング
マンション管理業界では標準管理契約書を多少リメイクしているだけなので管理業務のサービスはどこの管理業者でも大して変わらない、大手の方が人件費が高いだけ、そしてマンション管理業務自体はさほど儲からないので管理会社は大規模修繕工事を自ら請け負うことで儲けており、マンション住人・管理組合はする必要もない大規模修繕・計画修繕を管理会社のいいなりで高い工事代金を払ってやらされている、もっと法令や業界の実情を勉強すればコストを下げてよりよい管理・マンションライフを送ることができるのに…というようなことを述べる本。
タイトルからは、もっと実務的な解説を期待しましたが、どちらかというと少しだけ断片的に書かれている著者がマンション管理士となりNPO法人(マンション管理者協会)を立ち上げて管理会社と戦い失敗し敗れた経験談の方が読みでがあるかも。もっともそこはあまり詳しくないので、読み物としてはそちらのエピソードを深めてくれた方がよかったかなと思いました。
管理会社への批判はよくわかるのですが、他方でではどうすればいいのかというと、著者が代表のNPO法人ではこうしている、こちらにお任せあれと言われると、実際にそれが良心的にやられているのかもしれませんが、どこかセールスの匂いを感じてしまいます。
10.ありのままの自分に気づけばうまくいく 夫婦と家族の「心の傷」の癒し方 石川裕理 知道出版
臨床心理士である著者が、夫婦のコミュニケーションの問題解決について論じ説明した本。
タイトルは一世を風靡した『アナと雪の女王』の Let it go よりは、著者の、夫婦間の相手の真意や状況についての誤解/無理解からの悪循環を断ち切るために、まず相手を変えるというのは無理なので自分が変わろう、その一つのバリュエーションとして素直な自分を知り、それを見せようというあたりによるものかと思います。
男は弱音を吐けず、また問題は対話によってではなく能力で解決するものと信じているので悩みを相談しない(66~67ページ)、子どもは親が幸せになることをいつも願っており夫婦間に問題があるときに子どもが問題行動を起こすとそれで夫婦が一致団結してそれを解決しようとするので子どもは問題を起こすことで両親の危機を救おうと無意識に目論んでいる(70~71ページ等)、心の傷を癒やそうとするのではなく心の傷も含めて相手を受容することが大事(130~132ページ)など、一概にそう言えるかに少し疑問を残しつつも、そういうものかもと思います。
とりあえず変えられる方から変えていく(167~168ページ)という著者のアプローチは、一面で大丈夫かなとも思いますが、それが実践というものともいえます。
ストッキング・フェチで、ずっと妻にストッキングをはいて欲しいと思いつつ言えなかった夫の話(192ページ)。微笑ましいというべきか、身につまされるというべきか…
09.きときと夫婦旅 椰月美智子 双葉社
子どもがいないときには夫とは挨拶もなし、会話は最低限の連絡事項のみ、まともに目を合わせることもしばらくしていないという家庭内別居状態の全国チェーン書店本部勤務の47歳安納みゆきと、1歳年上の出版社で書店営業をしている夫安納範太郎が、中3の息子昴が学校をサボって富山に引っ越した小学生時代の友人の元を尋ねたことを知って慌てて連れ戻しに行くが、息子から今来たらもう絶対帰らない、来るなら日曜日にしてくれと言われて、仕方なく富山で観光をして過ごすという展開の小説。
倦怠期の夫婦関係を扱いつつも、実質富山観光紹介のような作品ですが、範太郎が濃い鉄道ファン(その同僚の尾形は輪をかけて濃い鉄ちゃん)という設定で、取り上げる観光スポットが鉄道ファン目線の独特のものが多く、興味深くもあり、ついて行けなくもありという感じでした。少し前まで、富山地裁の事件を抱えていたので、そのときに読んでいれば、観光の一つもする気に…なったかな。
08.お役所仕事が最強の仕事術である 秋田将人 星海社新書
公務員歴30年余の著者が、どれだけミスをせず責任を取らずに済むか、減点主義社会でトラブルやクレームを乗り越えて生きるための公務員の話し方、交渉術等を解説した本。
資料作成にあたり、A4判1枚でまとめ、冒頭で全体を把握させる概要と、資料の目的、相手にして欲しいことを書き、次いでその理由等を論理的で簡潔にまとめ、ビジュアルも活かして一読してわかるようにする(60~63ページ)。国会議員向けの説明資料を作るとき、そういうふうに作れといわれた記憶がありますが、議員に限らず役所の上司や住民向けにもそうすべきだということなんですね。
話す時間を聞き手が不快を感じない程度にする(42~45ページ)というのは、なるほどと思います。興味のない話を長時間聞かされるのは苦痛ですし、忙しいのに長々と会議をするなということはあるでしょう(しょっちゅう思う)。他方であまり短いと呼んでおいてそれだけかと怒られる。もっとも、時間設定を決められるということ自体、自分が主催者側、呼びつける側だからとも言え、それ自体役所の論理と感覚なのかもしれません。
モンスタークレイマー対応も、じっくりと聞き取り、順次対応者を変え、気力を削いでいく(何度も繰り返し説明をさせガス抜きをさせ疲れさせ興奮を冷ましていく)、いつまでも帰らないときは結局は警備担当者、最後は警察に任せるというところにとどまっています(160~171ページ)。役人の経験からもっと踏み込んだ解説があるのかと期待しましたが、組織(人員)とたっぷり使える時間、最後には実力行使/警察力があって成り立つ話では、民間人、特に私のような個人自営業者には参考にはなりません。役所が相手だからと無理難題をふっかけるクレイマーに対応させられることがままあることには同情しますが、そういったリソースが潤沢にあるのは羨ましいなぁと思います。
07.ゴジラS.P〈シンギュラポイント〉 円城塔 集英社
アーキタイプと通称される「シミュレーション上は安定して存在するが、現実世界での合成方法は不明」な分子により構成され、尋常ではない速さで進化・変化して行く、既存の生態系とは異なる系統/傾向の怪獣たちが次々と現れるという設定のSF小説。
最新の宇宙論に依拠しているのか、その議論の雰囲気を利用しているのか、その議論をパロディ化しているのか、私には判断しかねますが、難解・晦渋(かいじゅう)な文章が続きます。怪獣の話だけに…なんちって、とかいう雰囲気ではありません。
プロローグから、たとえば「《それ》は絶えず自らのはじまりをはじめ、自らの終わりを終わらせ、はじまりをはじめることを終わらせ、終わりを終わらせることをはじめ続けていた」(8ページ)とか、「それは、《それ》にとって終わった過去で、知らない過去で忘れた過去で、起こりえなかった過去であり、これから起こる過去だった」(9ページ)みたいな文章が続いています。このあたりでもうクラクラしてしまう人には、辛い作品です。やたらと指示代名詞が多い文章を、健忘が進んだ老人との会話には慣れていると思って読めれば大丈夫かもしれません(違うか)けど。
06.寝ても覚めてもアザラシ救助隊 岡崎雅子 実業之日本社
子どもの頃からアザラシに夢中で、日本で唯一のアザラシ保護施設「オホーツクとっかりセンター」(紋別市)の飼育員となって10年の著者が、アザラシの飼育と保護の経験を語った本。
子どもの頃からアザラシ一筋の著者がやりたい仕事に就く、夢を叶える物語としても読めますが、やはりこの本は基本的にはアザラシに癒やされる人向けです(私も、水族館等でアザラシをボーッと眺めているのが好きなもので…)。
とっかりセンター(とっかりは、アザラシのアイヌ語だそうです)ではゴマフアザラシが多くなりすぎてオスとメスでプールを分けているけれども、そうするとオス同士、メス同士の恋が始まる、なぜかオス同士では相思相愛のペアが多いがメス同士ではほとんどの個体が片思いだとか(162~163ページ)。ワモンアザラシのペアは、オスがメスの尻に敷かれることによってうまくいくようになっているのではないかと思う(168ページ)など、たまに眺めているだけではうかがい知れないアザラシ事情が興味深い本です。
05.プリズム ソン・ウォンピョン 祥伝社
ソウル中心部の繁華街のビルの13階の玩具メーカーに勤務する27才のイェジンと、イェジンがランチタイムにテイクアウトのコーヒーを飲む空きテナント脇の階段スペースをやはりひとときの憩いの場にしていた同じビルの地下のスタジオで映画の音響ミキシングの仕事をしている元ミュージシャン35才のドウォン、パン屋でバイトを始めて数か月の25才の人付き合いに醒めた25才のホゲ、別れた元夫とセックスパートナーのそれだけの関係を続けるパン屋の店主34才のジェインの4人の絡みあう1年を、夏・真夏・初秋・冬・早春・夏の6つに切り分けたそれぞれの視点からの各4パート合わせて24のパートで描いた小説。
最初の4パートの「夏」で、いずれも共感しにくい4人の様子に疲れ、読み進めるうちにそれなりに人となりや背景が描き込まれて馴染んでいくものの、まぁ小説なので読み始めたらこの人たちはどうなるのだろうという関心は持ちつつ、何となく最初の「夏」でおおかたの流れが見えてしまう感じがして、そういう予想に沿った展開が心地よいかどうかで好みが分かれるかなぁと思いました。
04.この1冊で「考える力」が面白いほど鍛えられる!思考実験BEST50 笠間リョウ 総合法令出版
さまざまな思考実験を紹介し、思考実験を通じて、観察力、発想力、論理的思考力を無理なく、自然にトレーニングできる方法を紹介する(6~7ページ)という本。
思考実験として歴史的に有名なもの(アインシュタインの相対性理論に関するものとか、シュレディンガーの猫とか)とともに、思考実験というよりもクイズ本でよく見るような頭の体操的な問題も並べられ、「BEST50」という選択の基準はまったく不明ですし、紹介した思考実験での論理的考察についての踏み込んだ説明は乏しく、羅列的な紹介にとどまっているように思えます。「思考実験」を売りにするのであれば紹介する思考実験をもっと絞って1つ1つを丁寧に解説した方がいいし、思考実験と位置づけるには無理があるクイズの類いは捨てるべきでしょう。
思考実験や練習問題で、読者に向けて質問がされているとき、設問の前提や質問の趣旨があいまいにされているために解答にたどり着けないという印象を持つことが度々ありました。論理的に考えさせることよりも、読者が用意されている解答をできないことを重視しているのかなと思いました。
そういうことを真面目に受け止めずにパラパラと雑学的に読むことが期待されているのでしょうね。
03.こんな日のきみには花が似合う 蒼井ブルー NHK出版
8月7日に花火をして告白した湯乃渚が名草かえと付き合った日々を、日記のようなポエムのようなスタイルで綴ったもの。
恋する純情男子の心情と、熱々カップルの行いの描写が微笑ましく、読んでいてもほんわかした幸福感を味わえます。おうちデートでゲームで対戦し負けた方がキスをする:勝っても負けても結局キスする(17ページ)とか。頭を洗いあうときに「かゆいところはありませんか?」と言いあって、「下半身がかゆいです」というカレシ(67ページ)も…
ベッドの下にパンツ(下着の)穿き忘れて帰る彼女って(39ページ)実際いるものだろうか。
冒頭に「湯乃渚と名草かえが歩んだ一年の記録」と書かれているのですが、微妙に1年より長い。エンドから1年遡ると、それは(その言葉はないけれど、流れからして明らかに)初Hの日。やっぱり、そこからカウントですか…(*^_^*)
02.暮らしのムダをなくす がんばりすぎない家事の時短図鑑 田中ナオミ エクスナレッジ
家事を効率的に行うための気構えと道具立て、住まいの設計等を提案する本。
ムダをなくす、時短とうたっているのですが、それよりも家事を気持ちよく行うための心がけや準備の方にポイントが置かれているように思えます。
例えば「そのひと時の手軽さのために、長いスパンでの使い勝手を見落としてしまわぬように素材を選ぶ必要がある。手入れが面倒だと敬遠されがちな自然素材は、磨けば味もツヤも出る。工業製品より高価な場合も多いが、手入れをして使い続ければ長持ちするので、トータルで見れば安価とも言える」(126ページ)、「住まいをていねいに扱うと、器や家具をはじめとする身のまわりのものへの意識も高まり、本物と暮らしたくなる。そしてそれらを扱うことで、所作もていねいになる。ラクをすることで手放すものの代償は大きい。時間に追われるギリギリの生活を見直して美しく暮らしたいものだ」(135ページ)というあたりに著者の基本的な志向が表れています。家事についても、「毎日拭く、という小さな手間の積み重ねがきれいな床を守る。それはまわりまわって、自分をラクにすることでもある」(68ページ)といった具合。そういう方向性に共感し憧れるか、自分にはムリと思うかが評価の分かれ目となるでしょう。
著者自身が描いたイラストもほのぼのとして、読んでいると、自分でもそういう生活をしてみたい、リタイアしたらそういうのもいいなぁと思えてくるのですが、実行するには、生き方についての意識も含めてけっこう決意を要しそうです。中途半端にマネしようとしていろいろ買い込んだ挙げ句に放り出すのが関の山という感じがして、そういうところが「キケン」な本かなと思います。
気持ちよく家事を行う、効率的な動線を実現するための住まいの設計・リフォーム案が随所に見られるのは、一級建築士の著者ならではのアイディアの提案でもセールスでもあるのでしょう。
そういう点も含めてみても、パラパラとめくるのに楽しく、手元に置いてみたい本です。
01.儀式をゲーム理論で考える 協調問題、共通知識とは マイケル・S-Y.チェ みすず書房
人は他の人々が支持するものを支持しがちであり、人の行動を動機づけるのは、自分が受け取ったメッセージを他の人びとも受け取っただけではなく他の人びとがメッセージを受け取ったということを他の人びとも知っているということを知ること、他の人びとの知識についての知識/メタ知識/共通知識である、その共通知識を作り出す優れた方法/過程が式典や集会などの公共的儀式であることなどを論じた本。
著者は、政府への抗議行動への参加の動機付けとして、誰もが逮捕されたり警官に制圧されたりしないくらいに抗議者の数が多い場合だけ政府への抗議行動に参加したいと思っているかもしれない(5ページ)、「協調問題」と呼ばれる状況下では他の人びとも同じように参加する限りにおいて自分もある共同的行動に参加したいと思っている(12ページ)、体制に反抗することは協調問題である(16ページ)などと、反体制運動作りを志向するかのような雰囲気を漂わせています。しかし、この本で挙げられ論じられていることの多くは、むしろ権力者が人びとの支持を得熱狂させ反抗など思いもよらぬ体制を構築する様であったり大企業のマーケティングであったりで、私にはそれほど志のあるものには見えませんでした。
著者は、協調問題では「他の人びとの知識についての知識」(5ページ)、「他の人びとが知っているということを人びとが知っていること」(13ページ)、「集団の中で、ある事象あるいは事実について、皆がそれを知っており、皆がそれについて知っていることを皆が知っており、皆がそれについて知っていることを皆が知っていることを皆が知っている」(14ページ)ことが大事であり、ポイントになることを繰り返しているのですが、著者自身の言葉が足りないのか翻訳の問題なのかわかりませんが、違うだろうと思います。行動あるいは行動しないことの動機付けには、他人が何を「知っているか」の知識ではなく、他人がそれを受けて何を考えているかの評価とどう行動するかの予測、それが自分の考えと一致するのか一致しないのかが問題であり、それを言葉以外からも判断・評価するために多数の他者が目の前にいる状況=集会、行進、「内向きの円形構造」(42~46ページ)、公共的儀式が重要であり有用なのでしょう。著者が言っていることもそういうことに思えるのに、まとめる言葉は「知識」「メタ知識」「共通知識」というどこかズレたところにフラストレーションを持ち続けました。
この本の原書は2001年に出版され、それが日本でその年のうちに新曜社から出版され、アメリカで2013年に「2013年版へのあとがき」が付されただけの2013年版が出版され、そのアメリカの2013年版に「新版へのまえがき」が付されただけで日本でみすず書房が改題した新訳本として出版したものだそうです。つまり中身は2001年に出版されたもののままとのことです。これを今出版することの意味はどこにあるのでしょう。SNSがなかった頃に書いたものを、「2001年に先取りで考察していた本書を、新たに『序文』『あとがき』を加えて刊行する」(裏表紙)よりも、SNSが、LINEの既読が、Facebookのいいね!が、Retweetが、著者の言う「メタ知識」「共通知識」の形成にどう影響するのか、著者が重視したアイコンタクト、「私たちは経験的に、共通知識が顔を向き合わせて会うことによって形成されることを知っている」(100メージ)という認識が変更/変容されるのか、SNSが代替しうるのかについて論じるべきではないのか、この状況で著者がなぜ無害な短いあとがきやまえがきしか書こうとしないのか、訝しく思います。
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