庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2022年11月

30.掬えば手には 瀬尾まいこ 講談社
 芸術家系の家族の中で何をやっても平均点で自分には個性がないと悩み、中3の10月に入学したときから不登校だった女の子が初めて学校に来たがクラスのみんなの前で固まってしまったのを見て学生服を脱ぎヨレヨレのドラえもんTシャツを見せて雰囲気を変えそれを機にその子がクラスに入れたことなどから、「人の心の中を読み取れる」能力があると自覚した19歳の梨木匠が、バイト先のオムライス店に後からバイトで入ってきた常磐冬香が完全に心を閉ざしその気持ちが全然読めないことをなんとかしたいと思い…という青春小説。
 人の心が読めると自負しているのに、大学で毎日必ずどこかで会う河野悠に、毎日出会うことを「これも奇遇だよな」と言い(125ページ)、「みんなはエスパーだとか、人の気持ちが読めるとかはやし立ててたけど、私はどこがだって思ってた」(81ページ)なんて言われるのは、梨木の天然キャラなのかと思いますが、読み手としてはもどかしさを感じます。

29.ひと 小野寺史宜 祥伝社文庫
 高2の11月に調理師だった父を交通事故で失い、鳥取大学の学食に勤める母を残して東京に出て法政大学経営学部に入学したが大学2年の秋に母が急死し、残された遺産200万円程度のところへ、遠縁の親戚から母に金を貸していたと言われて50万円をむしられ、大学を中退して下宿付近の砂町銀座商店街の惣菜屋に勤め始めた柏木聖輔20歳が、勤務先や商店街の人の人情、大学時代のバンド仲間との友情、東京で再会した高校のクラスメイト八重樫青葉が滲ませる郷愁と淡い恋心にほだされつつ、新たな人生に向かっていくハートウォーミング系小説。
 聖輔が経済的に恵まれない中で、父親の歩んだ道を振り返り偲びながら、節約した生活を送りつつ堅実な道を模索する姿が清々しく、金をむしるためにつきまとい続ける遠縁の親戚や、青葉に拒否されてもあきらめない高飛車な慶大生などのいやなヤツに悩まされても多くの善き人に囲まれて救われていく様に、わりと素直に入れ共感できました。
 最終ページ、めくって1行のレイアウトが印象的で心に残ります。1行なら真ん中にどんと置くというあざとさではなく、たまたま1行はみ出したかのようにプツッと終わっているのがいい感じだなぁと思いました。

28.建設業法のツボとコツがゼッタイにわかる本[第2版] 大野裕次郎 秀和システム
 建設業法の規制等に関する行政庁への届出等の総務サイドでの対応について解説した本。
 建設業が29の業種ごとに許可があり、経営業務の管理責任者、専任技術者(営業所ごと)、主任技術者・監理技術者(現場ごと)を置く必要があり、さまざまな書類の作成・提出義務があることが具体的に説明されています。施工体制台帳と添付書類(元請業者)、再下請負通知書(下請業者)など、建設業者が作成保存すべき書類(施工体制台帳はその一部は帳簿の添付書類として保存義務があるとのことです:278ページ)に何があり、何が記載されているかを知っておくことは、事件によっては、弁護士業務にも役に立つかもしれません。
 建設業許可の要件の1つに健康保険・厚生年金・雇用保険の法令上の適用事業所のすべてについて加入事業所として届出をしていることが挙げられ(建設業法施行規則第7条第2号)、公共工事の受注に必要な経営事項審査でそれら社会保険への加入状況に加えてワーク・ライフ・バランスに関する取り組みも評価されるというあたり、事業者に法令を遵守させるために行政はいろいろやっているのだなと改めて感心しました。
 細かい項目に分けたQ&A的な解説で、建設業法の規定やガイドライン等を示して(直接の根拠条文が示されないところもあり、ムラがある感はありますが)説明され、どうなっているかやどうすればいいかは読んでわかるようになっています(引用されている条文等は読む気になれないことも多いかと思いますが)。通読するには同じことの繰り返しが多い感じがしますが、それは必要な項目だけ拾い読みするのが普通の利用法だと思われますので仕方ないでしょう。
 丁寧に説明しているのだとは思いますが、例えば主任技術者・監理技術者に求められる資格一覧表というのが201ページと210ページに掲載されているのですが、下図の赤枠の部分は「4000万円以上」の間違い、青枠は分ける必要なく同じというのが、表自体を見てもわかります。


念のために、引用されている原典ではこの本のようにはなっていません。


 また、建設業法違反の指示処分例として「山梨県F社」(株式会社双葉電気)の処分原因を「無許可事業者等との下請契約」としています(332ページ)が、これは記載されている処分の原因を読めば、F社が契約した相手が無許可事業者であったことではなく、F社自身が特定建設業の許可を受けていないのに特定建設業者でないとしてはいけない金額・規模の元請業者としての契約をしたことが処分原因であることがわかります。
 単純なミスなのでしょうけれども、そして分厚い本の端から端までチェックするのは大変なのだとは思いますが、こういうところの雑さというか誤りに気がつかないところを見てしまうと、建設業法の規定について十分に理解されているのか、やや不安を覚えてしまいます。

27.企画書・提案書の作り方 100の法則 齊藤誠 日本能率協会マネジメントセンター
 相手に読まれ、理解され、採用される企画書を作成するための方法論と、自分で企画書を作成してプレゼンすることのビジネス上あるいはキャリアアップのためのメリットを述べる本。
 ビジネスや企画の情報源として「飲み屋を侮ってはいけません。隠れた情報源なのです」(86ページ)として、行きつけの飲み屋の常連などの人脈の活用をいうのは、おじさん世代の意地かなという気がします。
 プレゼンの練習の重要性を説き「ぶっつけ本番のプレゼンは絶対にやってはいけません」(224ページ)と言われています。う~ん、反省。で、「余裕の会場入り」ができなければ、プレゼンの質は落ちる(226ページ)と題して、著者の経験で札幌でのプレゼンで踏切事故のため「プレゼン開始ギリギリで会場に駆け込むといった状態で、あまりよいプレゼンができなかったことをいまだに覚えています」(227ページ)と述べています。もちろん、余裕を持って会場入りしようという心がけは大切ですが、事前に練習も十分しているのなら当日の会場入りがギリギリになっても余裕でピシッとしたプレゼンを決めてみせるのがプロじゃないかとも思えます。

26.犬がいた季節 伊吹有喜 双葉社
 四日市市内の県内有数の進学校八稜高校、通称「ハチコウ」に迷い込んでいたところを拾われてそのまま校内で飼われることになった犬「コーシロー」の面倒を見る「コーシローの世話をする会」(略称コーシロー会)の中心メンバーの3年生時の様子を、昭和63年度、平成3年度、平成6年度、平成9年度、平成11年度そして令和元年度と飛び飛びに描いた短編連作。
 進学校の3年生、受験生の青春模様が描かれているのですが、それぞれの話の最初と最後がコーシローの目から見た描写になっていて、コーシローには人間には感じられない恋心が分泌する匂いがわかるという設定になっているところが秀逸です。年度ごとに主人公が交代して全体としては群像劇ではありますが、第1話の主人公のパン屋の娘塩見優花と国内最高峰の美大を目指す早瀬光司郎は、その後も少しずつ顔を出し、この2人のスッキリ踏み切れない切ない恋愛感情が通しテーマとも言えます。そのもどかしさと切なさが読みどころでしょうね。
 八稜高校は近鉄富田山駅の隣(10ページ、191ページ)というのですが、近鉄には「富田山」駅はなくて、近鉄名古屋線で近鉄四日市から4駅目の「近鉄富田」駅の隣に県立四日市高校(通称四高:しこう)という作者の出身校があります。作者は、1969年生まれという生年だけが公表され、遅生まれで一浪していれば第1話と同じ昭和63年度の高3生になりますが、いずれにしても塩見優花・早瀬光司郎とほぼ同じ時期・場所で過ごしていて、土地勘と時代の風潮がリアルに描かれ、思い入れも十分なのだと感じました。

25.探偵の現場 岡田真弓 角川新書
 総合探偵社株式会社MR代表者の著者が、不倫調査を中心とする探偵業務の実情について解説した本。
 事例の紹介が興味深いところですが、第1章「不倫する人の末路」で紹介されている7ケースのうち2ケースでは調査対象者は不倫をしていなかったというもので、これにそういうタイトルを付けるのは羊頭狗肉というべきでしょう。でも、そういう事例の方が読んでいて感じるところはあり、別のところで紹介されている帰りが遅くなることが続いて疑われた夫が実はお金がなくて妻を新婚旅行に連れて行けなかったことを負い目に思っていて知人のバーの店主に頼まれたのを機会にバーテンのバイトをして金を貯めて妻にサプライズの旅行をプレゼントしようとしていた(112~114ページ)なんて話は胸が熱くなります。当然、この本では触れていませんが、それを疑った妻がその調査にかけた費用が夫が妻のためにとバイトで稼いだ額を大幅に上回るであろうことに思いを致せば、もっと泣けてくるわけですが。
 探偵調査の実際として、張り込み(151~162ページ)、尾行(163~170ページ)、聞き込み(171~174ページ)などの様子が書かれていて、ふ~んというか、ご苦労様だなと思います。探偵が使うスマホ用のガジェットランキング(根拠はなし)第2位に「ソーラーパネル付きリュック」が挙がっているあたりも、大変なんだろうなと思いました。
 関係ないでしょうけど、この著者の名前、あと掛布とバースがいたら1985年のタイガース日本一の「ニューダイナマイト打線」やん、と関西出身者としては、思ってしまいます。

24.世界標準のデータ戦略完全ガイド バーナード・マー 翔泳社
 データの収集・分析技術が飛躍的に進化した今、企業は、自社の業務の進め方や運営方法を「なぜ」変えるべきか(データ戦略の目的)をきちんと意識した上で、意思決定プロセスの改善、顧客と市場の理解、より優れたサービスの創出、より優れた製品の創出、業務プロセスの改善、データの収益化の6つの領域/活用目的を検討して、データの活用に向けて戦略を立てるべきだと論じた本。
 基本的に企業にデータ活用戦略を勧め、すでに(既存の顧客等から)取得している内部データに加えて外部データの購入等による活用、担当者の育成またはスカウトなどを論じていますが、最後の章ではSDGsに絡めて、企業でない個人にとっても重要だととってつけています。
 企業側でない一個人の読者にとっては、すでにさまざまな事業者がデータを分析して提供し、あるいは企業のデータ利用のために提供しているサービス内容の紹介と、今ではネットを利用するだけで、スマホを持っているだけで、Apple Watchを付けているだけで、さらにはネットにつながれた「スマート家電」(テレビであれ冷蔵庫であれ洗濯機であれトイレであれ)を利用しているだけで、いかに詳細で大量の個人情報を気づかぬうちに収集されているかの説明が勉強になりました。Facebook や Instagram にアップした写真は、顔認識システムや製品認識システムで誰がいつどこでどのような状況でその製品を利用したかの情報として把握されるとかいう説明には、認識を改めました。
 アマゾンが2019年にリストラをする際に生産性の低い従業員をAIにより特定して解雇した(人間による修正はなかった)というエピソード(38ページ、177ページ)、あるIT企業(企業名は紹介されず)の契約社員が人事部のミスで解雇扱いとなり自動システムで解雇処理がされてそれを上書きする手段もなかったためにその契約社員は退職することになったというエピソード(254~255ページ)が衝撃的でした。一体労働者をなんだと考えているのか。
 著者は具体的な導入へのプロセス・方法を説明しているつもりのようですが、私には抽象的な話に見え、今ひとつイメージできませんでした。表紙見返しには「大企業も中小企業も実行できるデータ戦略の決定版教科書が上陸!」と書かれ、その下の第2パラグラフで「アイスクリーム店を例にデータ戦略を考えることで、戦略の基本から策定、実践方法まで一気に学べます」とされているのですが、アイスクリーム屋の例は16に及ぶ章のうち第9章で触れられた後は忘れ去られているようです(忘れた頃に再度言及するのかと思って読んでいましたが、最後まで顧みられませんでした)。

23.トコトンやさしい下水道の本[第2版] 高堂彰二 日刊工業新聞社B&Tブックス
 下水道のしくみ、下水を運ぶ装置(下水管、汚水ます等)、下水を浄化する装置・処理方法、下水道の運営システム、下水道システムの有効活用、災害対応等について解説した本。
 原則として1項目を見開き2ページ(右側がテキスト、左側がイラスト等)で説明しています。下水道については、私は汚水(し尿、生活排水、工場排水)と雨水は一体で扱われている(合流式)と認識していたのですが、最初の方で「昭和30年代までの下水道は」合流式下水道による整備が進められてきたが、昭和45年に水質汚濁防止法などができ、汚水と雨水を別の下水管で流す「分流式下水道による整備が進められてきました」(14ページ)とあり、えっそうすると今では雨水と汚水は別が主流なのかと思い驚きました。しかし、合流式で下水道網をつくった地域で簡単に分流式にできるということはなく、例えば東京は今でも合流式ということになります。そういった点に象徴されるように、概念的な説明はあるのですが、では具体的にどこはどうなっているという説明がなく、今ひとつ実情がわかった気持ちになれません。
 新しい技術や今後の計画の話が多く説明されているのですが、下水道に関していえば、老朽化した下水管の工事だとか、トイレの排水管の詰まり(ぼる業者の跳梁)、排水ますや下水管の所有関係・利用関係をめぐる近隣の紛争などの現実に困った話だとか、近年のゲリラ豪雨等での雨水氾濫だとかの現状で対応できていないところが目につき気になるところで、それなのに将来の夢みたいな話ばかりされても読んでいてピンときませんでした。この本でも、「湖沼や三大湾(東京湾、伊勢湾、大阪湾)などの閉鎖性水域では、いっこうに水質改善が進んでいません。令和2年度の水質基準(COD:化学的酸素要求量)の達成率は。湖沼で52.8%、三大湾で63%とたいへん低い水準となっています」(126ページ)というのですし、もっと、今できていないところ、切実に問題になっているところを、どうしてそうなっているのか、現実にどう対応しているのかについて、地道に書き込んで欲しかったなと思います。

22.女たちのポリティクス ブレイディみかこ 幻冬舎新書
 イギリス在住のコラムニストの著者が、2018年~2020年にかけて、話題になった女性政治家や女性に関わる政治情勢を取り上げて、現在のトピックス、経歴あるいは経緯を紹介し、コメントしたもの。
 取り上げられた政治家や情勢は、テリーザ・メイイギリス首相(2回)、アンゲラ・メルケルドイツ首相、ニコラ・スタージョンスコットランド自治政府首相(スコットランド国民党党首)(2回)、アレクサンドラ・オカシオ=コルテスアメリカ下院議員、マリーヌ・ル・ペンフランス国民連合党首ら右派勢力のトップたち、ジャシンダ・アーダーンニュージーランド首相、女性政治家への罵倒・威嚇、トランプアメリカ大統領(に非難された非白人女性議員たち)、キャロライン・ルーカスイギリス緑の党初代党首、ルース・デイヴィッドソンスコットランド保守党党首、エリザベスイギリス国王、イギリスの女性議員の事情、サンナ・マリンフィンランド首相、稲田朋美自民党幹事長代行、蔡英文台湾総統らコロナ禍対応で成果を上げた女性指導者たち、ブラック・ライブズ・マター運動を立ち上げた女性たち、小池百合子東京都知事、マーガレット・サッチャーイギリス元首相、カマラ・ハリスアメリカ副大統領。読んでいると改めてさまざまな女性政治家が台頭し、活躍していることを知ることができます。著者がイギリス在住であることからイギリスの政治家と政治情勢が中心となることは当然なのでしょうけれども、庶民層・貧困層を基盤とし、反緊縮の立場から新自由主義に批判の声を上げ続けている著者が日本の雑誌に書いたもので、取り上げられている日本の政治家が稲田朋美と小池百合子だけで、野党側、リベラル側の登場人物ゼロというのは、寂しいところです。

21.理数探究の考え方 石浦章一 ちくま新書
 2018年の高校学習指導要領改訂で新たに「理数科」という教科が設けられ、「理数探究基礎」「理数探究」が選択科目として登場したのを機に、その教科書の1つの編集委員長をしている著者が、理数科教育の必要性を説いた本。
 理数科教育が有用だというのはわかるのですが、理科4科目のどれか1つでも学ばないままに高校を卒業させることは危険だ(57ページ)とか、大学入試は全科目必須が目標(53ページ)、大学入学試験というのはなるべく多くの科目を使って筆記試験をすることが最良のいい人を選ぶものだということになる(55ページ)、理科を専門にした(博士号取得者の)教師をつくれ/増やせ(58ページ)と言われると、理数系学者の利害に偏った主張に聞こえますし、他の国との比較を論じるようにいっている(12ページでは)第2章「日本の理科教育あれこれ」も外国の紹介はあまりなく日本の現在の理科教育がダメだと文句を言うところばかり目につきます。私としては、そういうことは大幅にカットして、もっとタイトルの「理数探究の考え方」自体についてより具体的な事例・問題に即して積極的に展開して欲しかったと思います。著者としては、十分に具体例を挙げてちゃんと説明してるだろうといいたいのでしょうけれども。

「老人社会とはどういう状態か」と題して、上の表を「国立社会保障・人口問題研究所が推計したわが国の人口の変遷です」と紹介しています(94ページ:私が国立社会保障・人口問題研究所のサイトで確認した限りでは、2016年9月19日のプレスリリースは見当たらず、将来推計人口の報告書も2017年発表のものはあっても2016年版というのは見当たらず、何が原典なのか私にはわかりませんが)。そこで「この図の『扶養』というのは、働き盛りの(15歳~64歳)の1人が高齢者を何人扶養できるか、という数字です」と書かれています(95ページ)。その説明だけ聞いても逆(正しくは、高齢者1人を働き盛り何人で扶養しなければならないか)だということは、普通に理解できるでしょうし、数字の意味を考えれば、「扶養」欄の数字が15~64歳を65歳以上で割って出したものですから、65歳以上1人あたりの15~64歳の人数であることは明白で、数学の素養があれば間違いようがありません。それに年を追って数字が減っていくのですから、著者のように考えれば、働き盛りがどんどん楽になることになってしまいます。この表の数字を一体どう読んだらこの説明が出てくるのでしょうか。理数科では統計が必要(59ページ、72ページ等)という人に統計数字をこの程度に扱われると、信用性を疑ってしまいます。
 小学校の入試問題の紹介で、軽い順にタヌキ<猫<花=犬=猿<ウサギと判断できるときに「3番目に重い動物」を問う設問について著者は「3番目に重いのは猫になります」と何ら疑問も呈することなく述べています(89ページ)。いや、犬と猿が2番と3番で(どちらも2番ということでしょうけど)、猫は4番目でしょうって、私は思います。こういうの、問題作成者のミスだと思いますし、この設問で、戸惑いながら「犬」か「猿」と答えた小学生にこの人は躊躇なく間違いだと言い放つのでしょうか。それが見えないとしたら、問題作成者側の視点だけでものを見て受験者側の視点に立てない、とても視野の狭い教育者だと感じます。
 学会発表は「まだ論文になっていないと書いてあったら、信用度はガクッと落ちます。また単なる宣伝であることも多いのです」(163ページ)、「まだ論文として未発表のデータを知り合いの研究者から聞いた(こういう時には、『ビックリするようなデータで、あなただけに教えます』と言うのが常套手段です)、などというのは最低の信頼度です」(164ページ)という、学者情報の評価は、なるほどと思いました。

20.未払い残業代請求の法律相談 杜若経営法律事務所 青林書院
 労働者が使用者に対して未払い残業代の請求をしたときに、使用者側でそれを争うのにどのように対応すればよいかについて、裁判例を踏まえて論じた本。
 専ら使用者側の立場に立つ弁護士による説明ですので、主張内容や裁判例の読み方等について、私とは見解を異にする場面はありますが、まぁ使用者側の弁護士ならそう言うだろうなという範囲で、比較的オーソドックスな実務書だと思います。実務的な関心としては、第6章の「業種別対応」での労働時間立証の材料やその使い方、タクシー業界の特異な賃金制度などの解説は、とても参考になりました。
 はしがきで、以前は労働者側は日本労働弁護団や自由法曹団に所属する弁護士が担当することが多く和解は困難であったが近年はさまざまな弁護士が担当し「実は労働基準法などの計算に拘らずに柔軟に和解による解決を図ることがあり」などと書かれており、残業代請求金額について自ら算出しない弁護士もいてそういうときは使用者側で法的に成り立つもっとも有利な方法で計算して金額を提示し主導権を持って進行することが必要(75~76ページ)などと書かれています。私は、労働者側の弁護士と相手方になることはないのでわかりませんが、労働事件に詳しくない弁護士が労働者側について請求して、舐められてるということなんでしょうね(まぁ、こちらも、労働事件に詳しくないというかまるでわかっていない弁護士が使用者側について楽に闘えるというケースもときどき経験しますけど)。労働者本人が弁護士を付けずに出てきたら、使用者側としては相場より低めの金額を提示して、この金額を提示できるのは交渉段階だけ、回答期限までに承諾の返事がなければこの提案はなかったことになると伝えようということも言っています(100ページ)。そりゃそうなんでしょうけど、そんなこと書いちゃいますか…

19.俺と師匠とブルーボーイとストリッパー 桜木紫乃 株式会社KADOKAWA
 16歳で釧路の場末のキャバレー「パラダイス」の下働きとして働き始めて4年の名倉章介が、1975年末に興行のためにやってきた半年前に妻を亡くしてから舞台でまともにマジックができなくなったマジシャンのチャーリー片西、ごつい体躯で女装のシャンソン歌手ソコ・シャネル、訳ありのセクシーダンサーフラワーひとみの3人と荒れ果てた倉庫上の「寮」で寝食をともにして交流を深めていくという小説。
 クセのある登場人物の言動で読ませていく話ですが、ラストの位置づけはどういうことなのか、やはりこの3人あるいは4人が組み合わさったからこそのしたたかさであったということなのか、ちょっと読み取りにくく思いました。
 2020年に書かれた小説ですが、なぜ1975年なのか、釧路が舞台なのは作者の出身地で土地勘と愛着があるからでしょうけど、1975年は作者はまだ小学生で、経験とか記憶によるこだわりがあるとは思えないのですが。読んでいてそこが気になってしまいました。

18.プチプラで「地震に強い部屋づくり」 辻直美 扶桑社
 大地震のときに家具類の転倒によって下敷きになったり物(テレビとか壁に掛けた包丁とか)が飛んできたりして怪我をしないように、あるいは割れた物を踏んで怪我をしたり脱出・避難路がなくならないように、当面の生活ができるように、基本的にあまりお金をかけずに備えるための実践的な方法について解説する本。
 下駄箱には靴は入れずに防災リュックと備蓄品を入れるようにしている、部屋から出る/脱出するときに通る玄関にあれば逃げるときに取り出しやすいし、外から戻る場合も部屋の中まで行かずに持ち出せるから、日頃履かない靴はベッドの下や押し入れでいい(91ページ)というのは、いわれてみればなるほどと思います。ふだんの生活にも役立つ話で、使おうとして探すと見つからず「あれどこ?」と聞かれがちな物(鋏やボールペン、糊などの文房具類、印鑑、耳かき、爪切りなどが例示されています)を「あれどこ?ボックス」を作ってそこにまとめて入れておく(94~95ページ)というのは名案だと思いました。
 食器をしまうときに、下から中皿→大皿→小皿の順に重ねるのが、揺れても飛び出したり割れたりしにくいそうです(66ページ)。なんだか腑に落ちませんが、実験したらそうなんだと書かれています。へぇ~~ですね。
 下着やパジャマはまとめて入れることにして、たたまずに放り込むことにした(89~90ページ)という著者の目線で書かれているのが、何となく自分もできるかもと思わせてくれます。

17.元公安捜査官が教える「本音」「嘘」「秘密」を引き出す技術 稲村悠 WAVE出版
 元警視庁公安部捜査官の著者が、公安が協力者を作るやり方、相手方から情報を聞き出す技術などを解説した本。
 弁護士としては、こういうタイトルを見ると、尋問で使えるかななんて期待もしながら読んだのですが、情報を聞き出すテクニックとしては、自分が先に情報を出す(相手は信頼して話してくれたと思い、自分も言いたくなる)、あえて誤った推測をぶつける(間違いを正したくなる)、沈黙し納得していない様子を示す(相手が気まずくなり、あるいは嘘がばれていると思い込み、説明したくなる)というようなところで、ふだんの会話用で、証人尋問とかでは使えそうにありません。
 第5章で「あなたの大切な情報を守るために」として外国のスパイや詐欺師の手口を紹介し、気をつけようというのですが、そこで書かれている手口はすべて第4章までに著者がやってきたこととして書かれていることです。同じことを日本の公安が行えば正しいテクニックで、外国のスパイや詐欺師が行えば悪意に満ちた危険な罠というのです。この本をまともに読んでいれば、第5章がなくても、それが自分に向けられるときのことを考えて気をつけようと思うでしょうから、第5章は丸々ページ数稼ぎ以上の意味はないと感じました。
 元公安捜査官の肩書きをSNSのプロフィールに書いていたら Facebook でハッとするような美女の写真を貼ったアカウントから友だちリクエストが来た→ハニートラップ未遂だ(190~192ページ)というのですが、Facebook では元公安捜査官でなくてもこういう友だちリクエストは日常茶飯事でしょう。それが元公安捜査官と書いているから狙われたと思うのならネットリテラシーが怪しいと思います。

16.湖の女たち 吉田修一 新潮社
 琵琶湖西湖地区にある老人介護施設もみじ園で人工呼吸器を付けていた100歳の老人が心肺停止状態で発見され死亡した事件をめぐり、施設の看護師、介護士らと警察、雑誌記者が錯綜するミステリー小説。
 人工呼吸器に誤作動・アラーム不作動などあり得ないというメーカー側を崩せないために、当直の介護士を責め立てて犯人に仕立てようと強引な取調を続け、一方で妻の臨月・出産直後の時期に取調対象の介護士を夜間に呼び出して慰みの道具にする警察官濱中圭介というグロテスクな存在を、相手の介護士豊田佳代のマゾヒスティックな性向を描き出すことで被害・加害色を薄め、全体として正当化して行くことに、大きな違和感・不快感を持ちました。
 時代がモンスターを生んで行くような気持ち悪さが書きたいテーマで、濱中のような人物はむしろその中で小物という位置づけなのでしょうけれども、公権力の濫用に我慢がならない身には印象の悪い読み物でした。

15.イラスト&図解 知識ゼロでも楽しく読める!エネルギーのしくみ エネルギー総合工学研究所監修 西東社
 生活や産業のために必要なエネルギーに関することがらを見開き2ページ(基本的に左がテキスト、右がイラスト)で説明する本。
 基本的に、どのエネルギーについても重大な問題点の指摘や批判はしないというスタンスが取られています。原子力発電については、絶賛はしていないものの、批判めいたことは一切するまいという姿勢が顕著です。読んでいて驚くことには、原子力発電について説明する部分でさえ、一度として福島原発事故に触れていません。まるで福島原発事故などなかったかのようです。福島原発事故後の原発の運転停止に触れているところでは「2011年に東日本大震災後に原子力発電を停止したことで、2014年には稼働する原子力発電所が17からゼロに。この年度のエネルギー自給率は、わずか6.3%にまで落ち込みました。しかし現在では、原子力発電の再稼働がはじまり、再生可能エネルギーの導入もあって2019年度には自給率が12.1%に増えています」(122ページ)と、ここでも福島原発事故という言葉を避け続けた挙げ句、再稼働がいいことだと主張しています。さらに再生可能エネルギーについても「とくに太陽光発電や風力発電は、天候の影響を大きく受けます。そのため、再生可能エネルギーの発電で不足した電気は、電力の調整が比較的簡単な火力発電や、発電量が安定している原子力発電で補う必要があるのです」(112ページ)と、原子力発電なしには立ちゆかないかのように述べています。そして、原子力発電の危険性については「現在の日本では、原子力発電所を稼働させるためには、原子力規制庁による厳しい安全審査を通過する必要があります。そのため、周辺に大量の放射性物質を拡散させる事故が発生するリスクは、極めて低く抑えられています」(84ページ)としています。福島第一原発も、当時の規制当局の「厳しい安全審査を通過」していたにもかかわらず大事故が発生したことには、見向きもされません。
 ダムの貯水量の計算について、25mプールの貯水量を536.25m(立方メートル)として、「徳山ダムの約6億6000万mを約536mで割ると123万1343mとなります」という記述がなされています(90ページ)。体積(m)を体積(m)で割ってなぜ答がまた体積(m)なのか、当然答は単位のない「個数」なり「倍率」であるはずなのに、これを書いた執筆者も監修者も違和感を覚えなかったのか。ごく単純なミスではありましょうけれど、一体どういう人たちが書いているのかと疑ってしまいます。

14.それでも俺は、妻としたい 足立紳 新潮文庫
 年収(月収ではない!)50万円を切る売れないシナリオライターの柳田豪太が、カード会社の苦情対応係として勤務する妻チカの実質専業主夫として過ごしながらヒマと性欲を持て余しているが、愛想を尽かした妻からセックスを拒否され、なんとか妻とセックスしようと苦心惨憺するという自虐的ダメ男小説。
 タイトルが健気さと哀れさを感じさせ、主人公に共感できるかと思ったのですが、息子の保育園友だちママに欲情し、現にやっちゃうという展開で、誠意とか健気さとか全然感じられません。そして、「ほぼ実録」(裏表紙)とか言われると言いにくいのですが、この主人公の仕事に対するいい加減さ、プロ意識がまったく感じられず、向上心もないのに、ただプライドだけはあって見栄を張り続ける姿が、致命的に共感を呼び起こしません。かつて医療系のバラエティの脚本の仕事を受けてディレクターとともに医者の説明を聞いたがまったく理解できないと言って素人の妻に丸投げし、また同じ仕事が来たのを最初から妻に丸投げするつもりで断らずに受けてすべて妻に丸投げ、それでもあくまでも自分がやってる、大事なところは自分がやってると言い張る。最初の方、妻の主人公に対するあまりの言いよう、口汚さに閉口し、いくら何でもこれは酷いと思うのですが、読んでいるうちに妻がこう言いたくなるのもよくわかると思えてしまいます。
 新潮社刊なんですが、妻が読んでる週刊誌はすべて「週刊文春」。そのあたりは圧力はかからないものなのですね。

13.線は、僕を描く 砥上裕將 講談社
 17歳の時に両親を交通事故で失い、多額の保険金等により生活は保障され、大学へはエスカレータで進学したが、悲しみと虚しさを湛えて前に進めない大学1年生の青山霜介が、唯一の友人古前に頼まれて押し込まれた展覧会場設営のバイトの際に、会場で聞かれて述べた感想から、水墨画の巨匠に見出されて水墨画を始めることになるという青春小説。
 超絶技巧を極めてどんなに写実的で緻密な作画をしたとしても、写真という技術が生まれた以上、写実性・精密性では絵は写真を超えられず、感心はされても感動・感銘を与えられないということではありましょう。また、2年にわたり内にこもり自問自答を続けることが、洞察を深め哲学的な思索に繋がったということもあるかもしれません。しかし、そうは言っても、対象の本質を描き出すことは、相当程度の技術を身につけた上でなければできないでしょうし、本質を見る力も単に無気力に過ごすことで得られるとは思えません。
 もっとも、青山霜介には、映像記憶能力があるようで、師匠が目の前で一度描いて見せたのを、後からその一挙一動をどこに力が入りどのように筆を動かしたかなどを詳細に思い出して再現して自分の技として身につけています。そこが普通の大学生ではなくて実は「天才」なのかもしれませんが、でも、動きがわかったからできるものでもないと思います。
 作者は水墨画家ということですが、素人が、絵と画題を視る力を持つことで高度な作品をものにして行くという構想・ストーリーは、作者の夢なのでしょうか、それとも自虐・悲観なのでしょうか。

12.2020年の恋人たち 島本理生 中央公論新社
 交通事故で急死した母が開店を準備していた店を引き継ぐことにした32歳のキャリアウーマン前原葵が、スタッフ急募の張り紙を見て応募してきた31歳の厨房経験者松尾還二と千駄ヶ谷でワインバーを始め、やりくりしながら店舗を運営しつつ、さまざまな男と絡んでいくという展開の小説。
 う~ん、何というか、「婦人公論」連載だし、時折折に見せ場を作らなきゃならないということはあるんでしょうけど、主人公の男性関係の、考えがあるようなないような行き当たりばったり加減が、読んでいて楽しいような悲しいような情けないような、そういう小説です。「振り返った過去の中に、今も自分が手にしていたいと思うものは一つもなかった」(256ページ)という心持ち、相手に対しても「どうして男の人は今目の前にいる私ではなく、過去の私にばかり気を向けてしまうのだろう」(255ページ)と訝しく思い、といって今が幸せと思っているのでもない、それがこの主人公の哀しい性というか、どこまでも満たされない昏さを示しているように思えました。

11.カウンターセックス宣言 ポール・B.プレシアド 法政大学出版局叢書ウニベルシタス
 異性愛を普通/当然のものとし、男女の性を2分する/男か女かの識別を重視する社会と考えに対するアンチテーゼを論じた本。
 前半では性的指向/嗜好と性行為をめぐり、生殖技術の発達により子孫を残すために異性間の性交が必要だという主張は虚妄となっている、義肢・移植・ディルド・ポルノ・薬物などのテクノロジーの進化により生殖器による快感が至上のものとは言えなくなっている等を根拠として論じています。先端技術への礼賛ぶりにちょっと違和感というか危うさを感じますが、性的嗜好であれ自己認識/性自認であれ生き様であれ、自分の思うように生きやすいようにすればいいというのは、今ではそれほどの抵抗感なく受け入れられるのではないかと思います。国民の幸せを守るために国があるというのではなく国民が国家のために献身すべきと考えるような政治家や官僚相手の議論でなければ、今はもうそんなに力を入れて言わなくてもいいだろうという気がします。この本は1990年代に書かれて2000年にフランスで出版され、それが2018年になって英訳され、その英語版を底本に今回和訳されて出版されたものだそうですが、そのあたりがちょっと時代が違うかなと思いました。あえて挑発的に書いているんでしょうけれども、カウンターセックスの実践としてディルドのアナルへの挿入等を提示している(70~74ページ)のも、セクシュアリティというか各自が何を好むか何で快感を得るかは自由だという論調とはむしろ乖離するもので、かえって説得力を落としているようにさえ感じてしまいます。同様に、カウンターセックスの実践として緊縛/調教/サドマゾヒズム(BDSM)を挙げている(53~56ページ)ことにも、果たして被虐者はそれが自由なのか、性革命を煽られてフリーセックスに参加していったものの不本意だったと思う女性たち(左翼にもバリケード内にも性差別/性抑圧があったという不満感からフェミニズム運動に邁進していった人にはそういう人も多いと思うのですが)の轍を踏むことにならないのか疑問に思えました。
 後半は、現代フランス哲学業界へのお付き合い的な叙述が続き、論旨も読み取りにくくなっていく感じです。
 訳注が50ページにもわたり、人物紹介が中心ですが、フェミニズム系の知らない人もわりとでてきて、勉強になるというか、読みでがありました。

10.月の満ち欠け 佐藤正午 岩波書店
 小学2年生の秋に高熱で意識が混濁する状態となった娘瑠璃が回復後別人のようになって自らの経験・学習によるとは思えぬことを話すようになり18歳となったときに妻の運転する車で移動中に妻共々事故死して、その7年後にシングルマザーの荒谷清美と交際し始めた小山内堅が、妻子の死後15年目に瑠璃の同級生で今では女優となった女性から呼び出され、瑠璃の生まれ変わりだという7歳の娘と面談するという枠組みで、瑠璃の想い出、執着、思いとそれに起因する行動とそれにより引き起こされる顛末を綴った小説。
 生まれ変わりを題材・前提とする小説なので、理屈を言っても仕方ないですが、生まれ変わりなら、どうして小学生で高熱にうなされて初めて記憶がよみがえるというのか、もともと記憶があるということにはならないのか、ちょっと疑問に思いました。
 瑠璃の前世からの思い・執着(死んでももう一度会いたい)がテーマとして進むのですが、その中でラス前(「午後一時」)の展開が巧くて胸が熱くなりました。最後の章(「13」)がある方が当初からのストーリーの落ち着きどころにはなるのでしょうけれども、私は最後の章なしで、ラス前のひねりで終わらせる方がよかったんじゃないかなと思いました。

09.BATNA 交渉のプロだけが知っている「奥の手」の作り方 齋藤孝 プレジデント社
 交渉の際に、合意ができない(交渉が決裂する)場合に自分が取ることができる最良の選択(Best Alternative To a Negotiated Agreement)を常に検討・準備しておくべきこと、それがあることで交渉を合理的に進めることができるという考え方(ハーバード流交渉術)を紹介し、それを交渉の場面以外の日常生活でも広く意識しようと説く本。
 学者(専門は身体論)と弁護士の共著ですが、著者間で議論のポイント・方向性にズレを感じました。
 弁護士の著者は、まさに交渉の場面を想定して、この交渉により実現したい利益と、それを実現するための交渉を成立させるための/交渉の枠内での選択肢(これを著者は「オプション」と呼んでいます)とBATNA(交渉の合意をしない場合)を比較して合意するか否かを決める、BATNAがあるのにないと誤解していると不本意な合意をしてしまう、BATNAが客観的にはないのにあると誤解していると成立させるべき合意をふいにして失敗する、とにかくよく検討するべきだ(準備、準備、準備)としています。
 これに対し、学者の著者は、人生観というか日常での対処に重点を置いて、「これしかない思考」の危うさを指摘し、BATNA(を考える/持つ姿勢)と対極のものとして戒めることを重視し、他方で「いくらでもある思考」をBATNAがないのにあると誤解している場合と同視してそれでは決断できないから「これも縁」と考えてとりあえずやってみようと言っています(59~61ページ)。後者も、著者にとっては、「これしかない思考」の反対の柔軟な姿勢ということでBATNA(を考える/持つ姿勢)と一致するということのようです。しかし、深く考え込まずにとりあえずやってみるというのは、「準備、準備、準備」とは対極の姿勢とも言えます(この著者も「『一か八かやってみよう』という思考はかなり危険であり、そう考えて行動してもほとんどがうまくいきません」、「『玉砕思考』と〈BATNA〉思考は対極的です」とも言っています:199ページ)。人生論への応用をいうあまり、私には、ちょっと違うんじゃないかなという方向に走っているように感じました。

08.新たな法学の基礎教育 論理的に読み・書き・議論するための基本 福澤一吉編著 弘文堂
 法学ないし法律を専門的に学ぶ前に修得しておくべき「論理的に読み・書き・議論するための基本」を学ぶための教科書として執筆された(「はじめに」冒頭)本。
 使用する例文には法学系統の本や裁判所の判決等が用いられていることが多いのですが、基本的には、法学・法律学の本ではなく論理学の本です。練習問題とその解答が62ページに及ぶ(本全体の3割くらい)というところも、教科書的な印象です。
 ある前提となる根拠から何らかの結論/主張を導き出すことを「論証」として、その論証を論理的に行うための方法論を論じ、法学の世界では前提(経験的事実)に含まれない結論を導く、したがって結論の導出において「飛躍」のある帰納的論証にこそ意味がある(前提事実=根拠自体に結論が含まれている「演繹的論証」は論理的に正しいが、論証の意味がない)という説明(56~62ページ)は、読んでいるとホーッと思いました(論理の飛躍があっていいんだ…)。しかし、弁護士実務での問題は、「飛躍」があっていいとして、どこまでの飛躍が許されるのか、その飛躍をどう裁判官に説得できるか、言い換えれば、事実認定での推測では「経験則」の範囲、論理の組立・流れでの推論ではその合理性をどのように考えるかにあります。どういう「飛躍」と論証が説得力を持ちうるのか、そちらの方には全然踏み込まれていないのが残念です。
 この本では、論証の論理構造、考え方と、それをいかにシンプルに表現するかが論じられ説明されています。後者は、端的に言えば、論証に論理的に必要ないことは書かない、骨だけ書けという、どこか昔の司法研修所の要件事実教育を思い出させます。まぁ、その方が論旨はわかりやすいでしょうけど、裁判実務では事実関係はシンプルじゃなくて、主張すべきことも、相手の主張との絡みがあって、論文みたいに明快な論点だけで済まないので、そうも言ってられないところがあります。

07.【完全版】社外プレゼンの資料作成術 前田鎌利 ダイヤモンド社
 主として新規の顧客に対して営業をかけ商談をまとめるためのトークの際に使用することを想定したプレゼン資料の作成方法について説明した本。
 プレゼンをセールスではなく裁判等での主張の説明や講演会での話のために行う私の場合、パターンや視点は大きく違い、そのままでは利用できませんが、問題意識を共有していない相手、聞く姿勢を持たない相手に話す以上、感情に訴え、最初に相手の心をつかまないと聞いてもらえない、相手の興味・課題を知り相手の目線で話をすることが大事だというのは、あらゆる場面で意識すべきことだと思います。
 プレゼン資料では、表紙にイメージが湧く画像を入れる(81~82ページ)、キーメッセージは13字以内(87~89ページ)、スライドに飾り(社名とか。私の場合だと準備書面や講演会のタイトルなど)は入れず全画面を使う(79~80ページ)、ネガティブイメージはモノクロ写真+赤字明朝体、ポジティブイメージはカラー写真+青字ブロック体(95~96ページ、132~133ページ)などのテクニカルな指摘もさまざまな場面に当てはまりそうです。うまく活かして行くには一工夫いると思いますが、頭には置いておきたいなぁと思いました。

06.その言い方は「失礼」です! 吉原珠央 幻冬舎新書
 ビジネスシーンを中心としてさまざまな場面での発言・態度による相手の受け止め方等について論じた本。
 人間、自分の言動よりも(それは棚に上げて)他人の言動について否定的な評価をし、失礼な態度だなどと憤慨しがちなものです。そういうことを改めて実感させ、他人は、あるいは世間には神経質で他人に厳しい人が多々いるものだからそういう人は、こういうふうに思っているのだねと考えさせられる本です。
 イメージコンサルタントの著者は、「人から頼まれ事をしたときのポリシー」の④として「相手の頼み方で違和感を覚えた場合は断る」という(109ページ)ですが、そういうときはどのように「失礼のない」断り方をするのか、そっちの方を書いておいて欲しかったと思います。その直後に父親に対しては平気でずけずけと断っている様子が紹介されてはいますが、ビジネスシーンではそうも行かないでしょうし。
 正社員に対して何でも質問してくる派遣社員に対する応答として「ご存じかと思いますが、○○さんのご質問は、マニュアルのこのページに記載があります(マニュアルを一緒に見ながら)。私の説明よりも数倍わかりやすく解説してありますので、ぜひもっとこちらのマニュアルを活用してみてください!そのほうが○○さんも、何度も席を立たずに済みますし、私以上に答えが的確ですので、次回からはまずマニュアルで確認をお願いします!もし、初めての事例の場合でも、『事例集』というページが最終章にありますので、とりあえずマニュアルを開いていただけると助かります。私は課長や周囲の人に何度も質問するのが申し訳なくて、『事例集』を未だに活用しているんですよ」という対処方法をお伝えしました(138ページ)という経験を書いているのですが(長文の引用失礼します!)、これは失礼というか、とても嫌みで慇懃無礼というか、著者が呆れる「傲慢無礼」(191ページ)にすら感じてしまいました。これがイメージコンサルタントの著者が模範的な例として得意げに語るものなのでしょうか。「お客さま」には気を遣っても、派遣社員に対する態度としてはそれでいいという感覚なんでしょうか。
 いろいろな意味で、人の振り見て我が振り直せを実感させる本でした。

05.あなたもきっと依存症 「快と不安」の病 原田隆之 文春新書
 さまざまな依存症を紹介し、依存症が他人事ではないことを指摘し、依存症について巷間言われ信じられている誤解について論じた本。
 依存症は脳が快をもたらした経験に過敏に反応しコントロールがきかなくなった状態で、依存症患者は繰り返しにより次第に「快」は感じられなくなってもやめられず、その状態では本人はすでに「好き:Like」だからやっているのではなく、ただ「脳が欲している:Want」からやめられない、本人がやめたくてもやめられないのだというのです(21~29ページ)。言ってみれば依存症は「快」にまつわる「記憶の病」で(26ページ)、その結果、治療は「かつての快の記憶が消えるまで」続けなければならず、「より科学的な答として、脳の中で活動をやめたドパミン・トランスポーターが再生を始めるまで、少なくとも二年間はかかる」のだそうです(246ページ)。
 この本では、アルコール依存症、ニコチン依存症、薬物依存症、ギャンブル依存症、オンラインゲーム依存症、糖質依存症、性的依存症をとりあげ、「実はわが国で最も多い病気の一つが依存症である」(5ページ)、「依存症やその予備軍は『国民病』あるいは『現代病』と言っていいほど、現代の日本社会に蔓延していると言っても過言ではないだろう」(6ページ)と述べています。その中で著者は、タバコやアルコールの依存性が違法薬物に引けを取らず覚醒剤より強いこと(56ページ、67~68ページ)、薬物を摂取したからといって多くの人が依存症になるわけではなくヘロインで35%程度、覚醒剤で20%程度、アルコールは4%程度に対しタバコは80%以上が依存症になる(98~99ページ)と指摘しています。それでも、著者は、国連薬物犯罪事務所(UNODC)に勤務し(112ページ)法務省矯正局に勤務していた(254ページ)こともあってか大麻やMDMAの解禁には反対しています。ただ、厳罰化したり自己責任をいっても治療・回復できないので、認知行動療法などによる治療を勧めることが現実的だというスタンスです。
 依存症の治療は、単に薬物等を「止める」苦行ではなく、より楽しいことを知り実践することだ(ラットの実験でさえ、麻薬(モルヒネ)漬けにされたラットでもたくさんの遊具を用意し多数のラットと同じ檻に入れるとモルヒネには見向きもしなくなる:93~95ページ)という依存症の治療の章のまとめ(265~269ページ)が印象的で、考えさせられました。まわりで関わる人びとの心労・心痛は並大抵ではないでしょうけれど。

04.不法行為法[第6版] 吉村良一 有斐閣
 不法行為法の「標準的な教科書ないし参考書を目指して執筆された」本。
 民法の規定(条文)は少なくシンプルなものでありながら、裁判で争われることが多く多岐にわたる論点がある不法行為の領域について、全体を扱う教科書的な本を読むのは、ふだん目配りしない問題での知らない判決の存在などに気がつき、大変勉強になります。
 弁護士業務では裁判で通じるかどうか、裁判官をどう説得できるかばかり考えているので、学説には関心を向けないのですが、現実の事件と被害救済を考えて学者がさまざまな理論を構築しているのだなということを改めて認識しました。基本は大学での講義用ということもあって、主として人身被害(生命・身体・健康の侵害)を想定して、名誉毀損とか取引上の不法行為とかはあまり意識されていないところが、弁護士の目からはやや物足りないという感想は持ちますが。
 時効・除斥期間問題では、じん肺・アスベスト被害に加えて、旧優生保護法による強制不妊手術問題でも起算点(時効等の進行開始時)について被害救済に配慮する判決が出ているのですね(大阪高裁2022年2月22日判決:206ページ)。頭に置いておきましょう。
 不法行為の領域で共同不法行為については、学生の頃も読んでもなんだかよくわからないという印象でしたが、弁護士になった今読んでもやっぱり今ひとつわからない。実際にそれが問題になる事件をやらないと具体的なイメージなり問題点が見えにくいんでしょうね。

03.猫弁と幽霊屋敷 大山淳子 講談社
 ペットに関する訴訟を始め割に合わないもめ事の解決を依頼されて断れずに受けてしまう「猫弁」こと百瀬太郎が、25年来借主なく幽霊屋敷となっている空き家の処理を依頼され、他方で事務所で預かっている猫たちを懇意の獣医師柳まことが「にゃんにゃんお見合いパーティー」に参加させたところお見合い成立した猫が宿泊していたペットホテルで立てこもり事件が生じて百瀬法律事務所の主のような存在だった黒猫ボコまでもが人質ならぬ「獣質」になり、その解決のために百瀬が奔走するという小説。
 猫弁シリーズ8作目または「第2シーズン」3作目にあたります。
 今回、初めて障害者問題に触れ、LGBTにも間接的に触れているのは、作者がよりマイノリティ・弱者の視点を持つようになったことを示唆していると感じられ、私には望ましい方向性に思えます。シリーズの今後に期待したいと思います。
 シリーズ第1作で独立5年目(「猫弁」文庫版33ページ)で39歳(同36ページ)だった百瀬太郎は「第2シーズン」開始の「猫弁と星の王子」で独立7年で「今年41歳になる」とされ(同文庫版44ページ)、この作品は「猫弁と星の王子」の1年後(正水直は翌年の受験をし:27ページ、「猫弁と星の王子」冒頭で百瀬が赤ちゃんを預けられた11か月後:158ページ)という設定です。百瀬法律事務所が1階に入っているビルは、シリーズ第1作から「猫弁と星の王子」までは一貫して「ひびだらけの三階建て」だった(「猫弁」文庫版26ページ、「猫弁と透明人間」文庫版21ページ、「猫弁と星の王子」文庫版34ページ)が、その後1年間のうちに「今にもくずれそうな三階建て」(「猫弁と鉄の女」文庫版16ページ)、「傾きかけたビル」(「猫弁と幽霊屋敷」7ページ)とみるみるうちに老朽化しています。作者の気持ちの変化があるのかもしれませんが、ちょっと違和感を持ちました。
 弁護士が主人公の作品なので、裁判シーンを避けても法律の話題は出てくるのですが、「国選弁護人は国費を使うため制限があり、活動が制限されている。逮捕から勾留が決定されるまでのあいだは本人に会えないのだ」(214ページ)は、そうではなくて被疑者国選弁護人は勾留請求されて初めて請求できるから勾留請求前は国選弁護人が選任できないということで、国選弁護人が選任されていても会えないかのような書き方は誤解というほかありません。「現行犯逮捕ということもあり、勾留は一日で決まり」(同ページ)というのも、逮捕状逮捕でも現行犯逮捕でも逮捕から勾留請求までの時間制限は同じですし、他方勾留請求されてから勾留決定まで何日もかかることはまず考えられません。売れているシリーズなのだし、弁護士に法律チェックくらいしてもらえばいいのにと、しみじみ思います。

02.猫弁と鉄の女 大山淳子 講談社文庫
 ペット絡みの事件に追われ、事件関連で預かったり引き取ったりした猫が事務所にたむろしている通称「猫弁」と呼ばれている弁護士百瀬太郎が、迷子の大型犬を世話できずに困っている老婦人の依頼、多摩のもえぎ村の杉林を伐採してスギ花粉を減少させ花粉症対策とすることを公約に選挙運動を始めた二世代議士宇野勝子から伐採のためにもえぎ村の伝説の木こり「もりりん」こと森林蔵と交渉することの依頼を受け、解決に向けて奔走するという小説。
 シリーズ第7作、「第2シーズン」第2作にあたります。
 あらゆる登場人物が最後には絡んでくるある意味で見事、ある意味で強引なストーリー展開は健在というかあいかわらずですが、シリーズとしては、第1作からの百瀬太郎が7歳の時に母に捨てられたことのトラウマに一定の答が見つかり(第1作の設定からこういう展開を考えていたのでしょうか)、第1作の終盤以降進展が見られなかった大福亜子との関係がようやく進みそうな兆しが見え、やきもきしていたファンにはいい展開かと思います。

01.猫弁と星の王子 大山淳子 講談社文庫
 ペット関連の訴訟で有名になり「猫弁」と呼ばれる弁護士百瀬太郎が、猫の「五美」の世話をする者に屋敷の使用権を認め「五美」の存命中は相続人は屋敷を売却できないという公正証書遺言を残した上で行方不明の占い師の子どもたち(法定相続人)からの依頼、早稲田大学法学部の入学金等の振り込め詐欺に遭った少女からの依頼を受け、解決に向けて奔走するという小説。
 「猫弁と魔女裁判」でシリーズ完結した後6年後の再開ですが、作品の中では「猫弁と魔女裁判」の直後から始まる設定のようです(最初の事件の犯人が捕まり少年審判も終わった終盤で、シュガー・ベネットの裁判終了・収監から2か月とされています:333ページ)。
 この作品では、庶民層の受験生正水直が比較的重要な登場人物として出てきたり、自衛隊の海外派遣を「積極的平和主義」と語ることを批判して戦争がないだけでなく貧困や格差などの社会構造的な暴力をなくす働きが積極的平和主義だと述べる(252ページ)など、「第1シリーズ」ではほとんど見られなかった問題意識が感じられ、庶民の弁護士には好感できます。

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