庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2023年2月

21.17万人をAI分析してわかった最強チームの条件を1冊にまとめてみた 越川慎司 大和書房
 著者が経営する会社が「数千万円を投じて」815社17万人の行動履歴を収集し、それを4種のAIサービスと専門家で分析し、成果を出し続けている社員や組織に共通のコミュニケーション・パターンを見出し、うまくいっていない組織でも再現確率が高い方法を抽出して、職場で試してみて「意外に良かった」と思ったら続けてみることを提唱する本(はじめに:4~5ページ)。
 著者自身がそういう位置づけをしているのですし、また書かれている内容からしても、この本は、結果を出せていないチームが結果を出せるような人間関係を作るためのtips(ヒント)集というようなタイトルがふさわしく、「最強チームの条件」というのは違うように思えます。
 たくさんのデータを検討分析したという話が繰り返され、数字は出てきてもその裏付けデータはほとんど書かれていない(まぁ数千万円投資した情報資産ということですからね)のですが、大量の会議データ(2.7万時間の会議と繰り返されています)を分析した結果、「東京五輪組織委員会の元会長が『女性がいると会議時間が延びる』という旨の発言していましたが、そのようなデータはありませんでした」(240ページ)と断言しているのが爽快かなというところです。

20.ルポ副反応疑い死 ワクチン政策と薬害を問いなおす 山岡淳一郎 ちくま新書
 新型コロナワクチン接種後異変を生じて死亡する「副反応疑い死」について、事例と統計等からワクチン接種との因果関係を検討し、医師や行政、製薬会社の対応等を取材し論じた本。
 副反応以前に、新型コロナワクチンの感染予防効果について、変異株の発生により、その効果は薄れ、なんと30~49歳、65~69歳では、未接種者の方が、2回目接種済・3回目接種済の者よりも10万人あたりの新規陽性者数が少なくなっているというのです(33ページ)。厚労省は、発症と重症化の予防には効果があると説明している(33~35ページ)ようですが、そうだとしても、感染が防げないなら他人にうつすリスクの低減にはならないわけで、ワクチン接種はあくまで自分が重症化しないためということになります。ワクチン接種を拒否する人を、他人のことを考えない我が儘な者のように言い立てるのは、少なくとも誤りということですね。
 大学の法医学教室で解剖され解剖医が原死因を「ファイザー社製新型コロナワクチン接種」と判断して死体検案書に記載した事例について、独立行政法人医薬品医療機器総合機構(PMDA)が因果関係について「情報不足等で評価できない」(γ判定)としたケースが紹介されています(54~67ページ)。PMDAがワクチン接種との因果関係を否定できない(α判定)とした死亡例は2022年10月末現在1例もなく、99%以上がγ判定、残りは因果関係を否定したβ判定なのだそうです(71ページ)。そのPMDAの収入の82%以上が製薬会社からの収入だとか(86ページ)。できすぎで笑えますね。
 新型コロナワクチンの有効性や、接種後の死亡者の厳密な意味での死因の科学的検証については、判断しかねますが、それをおいても、行政が自己の政策・方針の妨げとなったり責任追及されかねない都合の悪い情報は無視し隠蔽するという体質、それに企業の利害が絡むときのわが国の実情の救いがたさは実感できます。

19.「情報自由法」で社会を変える! 情報開示最強ツールの実践ガイド ジョン・ミッチェル 岩波ブックレット
 沖縄タイムズ特約通信員でもあるイギリス人ジャーナリストの著者が、自らの取材の過程でアメリカの政府機関に対して情報自由法(FOIA : Freedom of Information Act)による請求を行ってきた経験に基づいて、情報の開示を得た実例を紹介し、日本のジャーナリストと市民に対して、情報自由法を利用してアメリカ政府に対する情報公開請求を推奨する本。
 アメリカでも官僚たちの抵抗はあり、請求する側の工夫と強い意志と粘り強さが必要であることが、著者の請求の実例の紹介から読み取れます。日本の情報公開法も、アメリカの情報自由法と規定自体はそれほど変わらないのですから、情報公開請求の実践でアメリカ並みの開示を求めていくことが必要なのでしょう。著者はそういうことも言っているのだと思いますが、日本の市民に対してもアメリカの情報自由法を武器にしようと呼びかけているのは、ジャーナリストとしての実践でも日本政府への請求はあまりに労多くして実りなしという判断でしょう。
 著者の情報開示請求で明らかにされたケースに、福島原発事故時に福島原発付近で作戦行動した米軍車両が放射能で酷く汚染されたが、除染は被災地から遠く離れた米軍基地で行われ、米軍は三沢基地と厚木基地で放射能汚染水を基地の下水道に捨て、そのことを地元自治体に通知しなかったということなどがあるそうです(46~47ページ)。トモダチ作戦の裏側ですね。
 著者は、自分の経験に基づき、情報公開請求をする際の工夫や注意点を繰り返し助言し、巻末には請求の書式も掲載しています。英語に抵抗がない/自信がある人ならやってみたくなるかもと思います。

18.感情教育 中山可穂 河出文庫
 横浜の産院で国吉喜和子と名乗る妊婦に産み捨てられて乳児院で育ち、建具職人田川菊男と運送会社でパート勤めの田川千代夫婦の養女となり、養父の酒乱・暴力に苛まれて高校卒業後デザイン専門学校に行き建築の仕事をこなしながら、中学以降無数の男たちと肉体関係を続け、7つ年上の施工業者水沢耕一に求められるままに結婚して娘れいを産んだ水沢那智と、愛知県豊田市内の寺の住職の娘だが寺を嫌ってホステスを続け次々と男を替えていく池田喜和子に産まれ、ヤクザの親分や寺に預けられながら育ち、物心ついたときから同性に恋心を抱き男性には性的関心を持てないフリーライターの池田理緒が、理緒の取材の過程で出会い、恋に落ちるという官能恋愛小説。
 親の愛に恵まれない子ども時代を送ったということが背景事情となっているのだとは思いますが、那智にしても理緒にしても、とりわけ2人が出会ってからの感情、思い込みが強すぎて、引いてしまいます。恋愛小説、恋愛感情は、第三者から見れば理解できない、引いてしまうくらいでこそ、のめり込めるのでしょうけれども。恋愛小説というよりも官能小説と位置づけた方がいいほどに性的なシーンがふんだんに出てくるので、そういう系統の雑誌に連載した(毎号何か性的な描写が欲しいというニーズがあった)のかと思いましたが、書き下ろしらしい(ネット情報、裏付け確認してません)というので驚きました。

17.激変する弁護士 文系エリートの実態と失敗しない選び方 宮田一郎 共栄書房
 弁護士経験30年以上の匿名弁護士が弁護士業務と弁護士業界の実態について説明し、「失敗しない弁護士選び」と題して弁護過誤について著者の思うところを述べた本。
 「経済的には弁護士の収入の多くが、社会的強者や『勝ち組』からの収入であって、弁護士の業界を経済的に支えているのは、社会的強者や『勝ち組』である。社会的弱者や『負け組』の代理人になる弁護士の仕事は収入につながりにくく、それらだけでは法律事務所を維持することが難しい。」(36ページ)というのはそのとおりです。私は「庶民の弁護士」を名乗り、基本的に企業・事業者からの事件依頼は受けないことにしています(ただし、法テラス事件を除いて、庶民だから弁護士費用を特別に安くするということはしません)が、そういう弁護士はほとんどおらず、現に事務所経営は苦しいです。この議論は、ふつう、それでも自分はもっぱら社会的弱者のために頑張るという方向ではなくて、従来は別の事件で稼いでその余力で社会的弱者の事件をやっていたのに、マスコミと経済界が主導した「司法改革」で弁護士が増えてその余力がなくなったという方向で議論されます。
 弁護士は裁判が終わればその事件には無関係となるからやってられるのだし、依頼者と同じレベルで悩んでいたら神経が持たない(37~38ページ)というのもそのとおりで、弁護士が依頼を受けるのは事件についての裁判や交渉で、その人の人生を引き受けることはできません。ときどき自分への同調や共感を求める(重視する)依頼者がいますが、依頼者と同じ感情を持ったら事件を見誤ります(第三者として冷静に見て見通しをつけるのが弁護士の仕事であり能力です)し、つきあいきれない(実際、そういうことを求める人ほどとても共感できない事件であることが少なくない)ので、私はお断りしています。
 このようにほぼ同じ経験年数の弁護士として、納得できる内容も多々ありますが、他方でこの著者の書きぶりには違和感を持つ部分が多くあります。弁護士が他人事として受けるからやっていられるという上記の記載を「弁護士の無責任」と題したり、「失敗しない弁護士選び」と題して書かれている弁護過誤の多くの部分が現実に弁護過誤というには無理があったり少なくとも弁護士に責任追及しても認められる可能性がないものと思われるのに、弁護士に対して何らかの不満を持つ者が読めば自分も弁護過誤の被害者に違いないと誤解するような書き方がなされています(少なくとも弁護士の目からはそのように見えます)。著者が匿名にしているのは、弁護士業界の内情を暴露したから弁護士業界で村八分になりかねないからではなく、この本を読んで自分も弁護過誤の被害者だと言ってくる相談者の相談や依頼を自分は受けたくないからではないかと思います。こういうミスリーディングな本をあえて書く以上は、それを読んで被害者感情を募らせた読者への応答も自分の責任ですべきではないかと思います。それを逃げるために匿名で書くのは、無責任だと、私は思います。
 30年以上の弁護士経験があるという著者の記述で、弁護過誤関係以外の日常業務に関しても、いくつか弁護士としては違和感があります。前半では弁護士にとって金にならない事件として労働事件が挙げられていますが(後半ではその列挙の中から労働事件が省かれていますが)、労働事件は、私が(多数)経験するところでは、とても労力がかかる事件ではありますが、勝訴した場合に報酬が取れない/少ないと分類する事件ではないですし、労働者側で勝訴する割合が低い事件でもありません。「弁護士は書面の量が多い方が依頼者から報酬をもらいやすい」(87ページ)、「弁護士が作文に費やす時間が多ければ多いほど、それは弁護士費用の額に反映し、弁護士に依頼する市民の経済的負担が大きくなる」(91ページ)というのですが、会社側の弁護士はタイムチャージ(1時間いくら)のことが多く、書面を厚くすれば報酬が増えるし、私の経験上会社側の弁護士がムダに分厚い書面を出してくることに辟易していますが、一般市民の依頼で受任する弁護士は最初に決めた着手金と結果に応じた報酬金をもらう契約がふつうですから、書面をどれだけ分厚くしても弁護士費用は増えません。この著者は、自分は町弁だという装いをしていますが実は会社側の代理が中心なのか、それとも一般市民からもタイムチャージで報酬を取っているのでしょうか。とても不思議です。逆に、国や自治体は基本的に争うから弁護士においしい仕事を提供してくれる(76ページ)というのですが、私が(敵方の弁護士からですが)聞く限りでは行政の出す弁護士費用はとてもけちくさいようなんですけど。さらに交通事故の加害者側からの依頼は「金にならない」から(被害者向けに派手な広告をしている)弁護士が広告をしない(166ページ)というのですが、交通事故の加害者側は保険会社が弁護士をつけるので広告する意味がないから広告しないもので、保険会社の依頼は1件単価は低いけど数が多く経営が安定するのでやりたい弁護士が多いがすでに特定の事務所が握りしめていて食い込めないのが実情だというのが弁護士業界にいればふつうの理解だと思います。これらは、ふつうに長年弁護士業務をしていればわかっているはずのことですから、弁護過誤についての書きぶりと合わせて、著者が何かやさぐれて弁護士全体か一部の弁護士に変に怨みを持ったのか、読者に誤解を与えることも意図してかあるいは意図したのでなくても注意を払わずに書かれているように見えます。
 また、刑事事件で「上告理由書」の提出を忘れた弁護士の話が紹介されています(190ページ)が、刑事事件で提出するのは「上告趣意書」で、「上告理由書」は民事裁判の用語です。民事裁判で控訴理由書の提出期限について裁判所から連絡は来ないと明記されています(190ページ)が、私の経験上、東京高裁からFAXされてくる期日調整の照会書には、それまでに控訴理由書が提出されている場合以外は必ず、控訴理由書の提出期限は○月○日ですと記載されています。「大都市と田舎の両方で30年以上弁護士をし、さまざまな経験をした」(244ページ)著者のいる/いた地方では高裁はそれを書かないというのでしょうか。控訴理由書の提出を忘れれば重大な弁護過誤であり(221ページ)というのですが、民事裁判の控訴理由書の提出期限については、それに遅れても、上告理由書とは異なり制裁はなく、控訴却下にはなりません。私は期限は厳守していますが、私の経験上(こちらが被控訴人で、相手方が控訴理由書を出すとき)、控訴理由書の提出期限に遅れて出してくる弁護士は少なくありません。どこまで本気で書いているのかわかりませんが、悪いけど、弁護士経験30年以上の弁護士が書いたものとしては雑に過ぎる印象です。

16.暮らし・お金・老後…おひとりさまの心配ごと、すべて解決してください! 上谷さくら 学研プラス
 独身女性が、職場・仕事、恋愛・結婚、生活、家族、老後などで遭遇する心配ごと、困りごとについて、関係する法律や制度を挙げて若干の説明をして考えるヒントというか入り口を示す本。
 冒頭で予想外のトラブルが起きたときどうしたらいいのかなと思案するところに「大丈夫、そんなときに味方になってくれるのが法律や制度です!」(2~3ページ)と登場したわりには、法律や制度を超えた領域に口を出してみたり(例えば災害への備え:127~129ページ、保険選び:186~187ページ)、紹介されている相談者のケースでは法律が味方になりそうにないものが多々あります。後者の点は、著者がわりと堅実な回答をしていると評価できますが、「おひとりさまの心配ごと、すべて解決してください!」というタイトルも含めたこの本が読者に与える期待とはズレている感じがします。項目ごとに「あなたを守ってくれる法律」という囲みで条文が引用されていますが、本文に照らしてその条文が相談者を守ってくれないことも少なからずありますし、難しい条文もかみ砕かずにそのまま引用されているのも不親切な感じがします。著者の回答を前提に本作りをするなら、法律と制度で心配ごとをすべて解決できるかのようなキャッチとコンセプトではなく、おひとりさまが堅実に心配ごとを減らして生きるために法律と制度を正しく学びましょうというような体裁にすべきでしょう。編集者の企画と著者の意向にずれが生じたのを編集者が無視して自分の考えを押し通して出版してしまったのではないかと思います。
 著者の回答は比較的穏当な線のものが多いのですが、相談者にとって解決になっていないものも多くなっています。私の専門領域の労働問題が最初に出てきますが、そこでの回答は、法的には闘えない、諦めるか会社と相談してみろというニュアンスで終わるのがほとんどで、まぁ挙げられているケースからすればそういう答になるとは思いますが、それならなんのためにこの本を書いているのか、労働者のためではなくて会社のために書いているのかと思ってしまいます。冒頭の漫画(18~19ページ)を見ても「女の敵は女」みたいな問題設定なのも気になりましたし。

15.タコのはなし その意外な素顔 池田譲 成山堂書店
 タコの生態等についての解説書。
 タコについての研究は進んでおらず、著者自身も元々の研究対象はイカであったが同じ頭足類として興味を持ち、イカ以上に研究者が少なく研究の必要性を感じて研究するようになったと書いています(まえがき、あとがき)。
 タコは海中で生活しておりその自然界での観察が容易でないこと、250種ほどのタコがいるのに、研究の中心は欧米の学者により主としてチチュウカイマダコ(マダコは世界中に分布していてすべて同一種と考えられていたが、日本のマダコはマダコの標本種とは別種と判明したのだそうな:31~32ページ)について行われてきたため、これまでに研究で明らかになったことやタコの特性と考えられてきたこと、例えば視覚の発達、学習能力、触覚の機能、単独性等が多くのタコに共通するものなのかについても再検討の必要性があるとのことです。
 著者は、タコの社会性/単独性について、さまざまな実験・研究を示し、タコが必ずしも他のタコと別行動をしたり他のタコを排斥しようとしない場面を挙げつつ、それが種の特性によるのか、実験環境の特性によるのかなど、まだ判断できずにいることを述べています。アメリカで通常は同種同士の接近行動が観測されないカリフォルニアツースポットタコにMDMA(いわゆるエクスタシー)を投与すると近隣の同種他個体に腕を伸ばして触ろうとする行動が見られた(151~152ページ)などという先進的な/ラディカルな実験結果も紹介されています。全体としては、身近に思われるタコについてもその生態等はほとんどわかっていないということを再認識するという本だと思います。

14.英語談話標識の姿 ちょっとまじめに英語を学ぶシリーズ5 廣瀬浩三、松尾文子、西川眞由美 ひつじ書房
 英語表現で、話し手が聞き手に対して自分の発話の内容・趣旨を正しく理解するように、文脈に応じて話し手の態度表明、感情表出、情報価値、談話構造、対人関係等に聞き手の意識を向けさせる合図と位置づけられる「談話標識」、多用される言い回しとしては、actually、after all、all right、also、anyway、at least、by the way、frankly、furthermore、however、I mean、in addition、incidentally、in conclusion、in fact、in other words、kind of、look、mind you、nevertheless、now、of course、OK、on the contrary、on the other hand、so、sort of、still、then、therefore、well、you know等(5ページの例示)などの使い方とそのニュアンス等について解説し論じた本。
 学者による研究という体裁ですが、言葉、それも現代の口語表現のことですので、それほどきちんと整理しきれるものではなく、どちらかと言えば、こういう使い方もある、同じ言葉でもいろいろなニュアンスを込められるということを例文を読みながら感じ取るというか、ふ~ん、そういう表現があるんだねと感心するという本だと思います。
 例文は現代小説と映画が多く、体感的には小説ではシドニー・シェルダンとエリック・シーガルが多く、映画では「プラダを着た悪魔」が多く引用されているように思えました。私の好みとしては、ジョン・グリシャムがわりとあって、あぁこの場面かなと思えるのが楽しく、そういう点ではハリー・ポッターシリーズからの例文がまったくないのが残念でした。
 ところで、同じ例文が複数回引用されているのに、違っているのはどうよと思いました。同じ引用文中の「~was, well, a story」が26ページでは「1つの作り話だ」と訳され、126ページでは「1つの物語になっている」と訳されています。話されている文脈のなかでの微妙なニュアンスを検討する本で、その前提となる文脈・文意の理解にズレがあるとしたら、その検討が適切か不安を感じます。同じ引用文の英文が、56ページでは「 " I must (略)as you know well.」で、164ページでは「"Yes, I must(略)as you well know.」とされています。原典からの引用が、少なくともどちらかは間違いなわけで、原典のチェックがその程度となると、他の部分の引用の精度にも疑いが生じます。例文自体が正しくなかったら、その中での「談話標識」のニュアンスの解釈にも影響しかねません。私が発見したのはごくわずかな箇所ではありますが、ちょっと大丈夫かと思ってしまいます。

13.消費者法 宮下修一、寺川永、松田貴文、牧佐智代、カライスコス・アントニオス 有斐閣ストゥディア
 当事者対等を前提として契約関係等を規律する民法に対して、事業者・企業等との間で知識や情報収集力・交渉力等で圧倒的に弱い消費者の契約関係や商品・サービス利用における安全性の点で消費者を保護する一連の法体系について解説した本。
 消費者法の分野は、労働法と並んで、当事者の力関係に差があることを理由として民法原理を修正する必要があるもので、庶民の弁護士としてはよく知り使いこなさなければならないものですが、新規立法や法改正が頻繁にあり、付いていくのがたいへんな分野でもあります。久しぶりに領域横断的な本を読んで、知らなかった法改正が多数あることを知り、勉強になるとともにちょっと冷や汗でした。
 それにしても、当事者対等、自己責任を基本原理とする民法を修正する必要があるから制定整備されている消費者法の分野でも、自立支援なる概念が導入され、電子取引の進展から世間的には納得されやすいにしても特定商取引法の各種の書面交付義務が「電磁的方法」(電子メール等)でよいこととされていく(2021年改正法:施行は2023年6月15日を超えない範囲で政令で定める日、現時点で未定)などは、事業者側の便宜を優先して消費者保護を後退させるもので、嘆かわしいところです。
 5人の分担執筆ということから、その自立支援を好ましく評価したり、判断力が弱い者に投機的取引などのリスクの高い取引を勧誘することを違法とする適合性原則の強化を顧客の自己決定の機会を奪い取引から排除するものとする評価をする者とそれと反対の価値観を持つ者の論調の違いを感じます。まぁそれはそれで興味深く読めますけど。

12.虚ろな革命家たち 佐賀旭 集英社
 学生運動を知らない世代1992年生まれ30歳の週刊誌記者である著者が、50年前の山岳ベースリンチ殺人事件(連合赤軍事件)の中心人物であった森恒夫の足跡をたどるというノンフィクション。
 本の装丁からは小説かと思いましたが、週刊誌記者らしく、現地を訪ね(ただし、50年前のことであることと、事件記録ではなく出版物や手記類を頼りにしていることから、現地を正確には特定できずに終わっている)、関係者にインタビューして(やはり50年前のこと故、事実についての言及はあいまい)、手探りで森恒夫の経歴、人柄や性向を描き出し、事件当時の考えや心情を推測していくスタイルのノンフィクションとなっています。
 描かれている理論的ではあるが人を引っ張っていくタイプではなく責任感はある体育会系というような森恒夫像は、事件関係者の間ではもともとそのように受け止められていた(事件記録を読んだ私もそのような印象を持っていた)ものですが、世間というか、否定的に描きたいマスコミによって異常性あるいは未熟さ(あるいは「狂気」)が強調されてきたなかで、若い記者が取材により描いたという点で新たな価値があるのでしょう。

11.炎上回避マニュアル 新田龍 徳間書店
 悪評が立った企業のレピュテーション(評判)改善を業とする著者が、企業の炎上事例を紹介し、悪い対応とよい対応を解説した本。
 過去の企業の炎上事例を紹介するなかで、ディズニー公式アカウントの炎上事例を「不謹慎狩り」「自粛警察」という項目立てで、ディズニーは被害者で批判する側に問題があると位置づけている(71~80ページ)ことに、私は強い違和感を持ちました。この本で読むまで私は知らなかったケースですが、ことは2015年8月9日にディズニーの日本公式 twitter アカウントが「なんでもない日おめでとう。」と投稿し、これに非難が集中したというものだそうです。長崎に原爆が投下され今でも毎年慰霊祭が行われ報道されている日に、原爆を投下したアメリカを代表する企業が、被爆国日本の国民に向けて、今日は「なんでもない日」だというメッセージを発したのです。これは「不謹慎狩り」と呼ばれるような単に災害や不幸がある時期に楽しいイベントをするのがけしからんとか自粛しろということとはまったくレベルが違います。この投稿は単に今日は/今日も楽しもうよというのではありません(そういう投稿が批判されたのなら、確かに「不謹慎狩り」でしょう)。大量殺戮がなされた日に、犠牲者の無念と悲しみに思いを至らせ、悲劇を忘れない、繰り返さない/させないと決意を新たにしている人びとに対して、ことさらに今日は「なんでもない日」と言い放つことは、その人びとの思いを否定し踏みにじる行為です。これを批判することが「不謹慎狩り」だと言い、ディズニーを被害者だという著者の姿勢には、私は到底賛同できません。電通やパソナやJTBが利権をむさぼっているのは「まったくの誤解」で、政府や各省庁に無茶ぶりをされているといい(127~128ページ)、「バイトテロ」が発生した企業についてそれが起こるのはバイトが劣悪な労働条件で酷使されているからではないかというのは「根拠のない思い込みによる批判」という(138~139ページ)のも合わせ(大企業でも「昭和的価値観」のシニアなどに対して批判的に述べているところはありますが)、著者のスタンス、センスが表れているところかなと思います。
 終盤で、炎上を生じさせた発信者に対する懲戒処分について論じているところは、弁護士の監修もあってか、企業側スタンスの本としてはわりと穏当に書かれていますが、懲戒処分を安易にすると「『不当労働行為』だとして、従業員側から損害賠償を請求されるリスクもある」(276ページ)という記述はお粗末。おそらくは世情言われる「不当解雇」という言葉から、解雇以外の懲戒処分も合わせていうのにそういう表現をしたのでしょうけれど、「不当労働行為」という言葉は労働組合差別や労働組合活動に対する嫌悪による不利益行為を意味するもので、労働組合が絡まない懲戒処分には使いません。せっかく弁護士の監修を受けているというのに、弁護士や労働問題に少しでも造詣のある読者には、この一言で、画竜点睛を欠くものとなってしまいます。

10.ネットショップ初心者でも売れる商品写真の基礎知識とつくり方 黒葛原道 玄光社
 通販サイトやネットショップを運営する個人や企業担当者向けに商品の写真の撮り方・調達方法、掲載のアイディアなどを解説した本。
 写真撮影の技法よりも、閲覧者によい印象を与え購買意欲を起こさせるための写真のポイントに重点が置かれています。商品写真は「引いて」撮れ、引いた写真は後で必要部分だけトリミングできるがアップの写真に後から余白をつけることはできない、コピー(テキスト)を書き込むスペースがない写真はサイトでもSNSでも使いづらい(52~53ページ)とか、商品写真はまわりに黒い紙等を置いてその黒を写り込ませることで商品の輪郭を際立たせ(黒締めというそうです)切り抜いて(トリミングして)使う(黒が望ましくないなら商品と同系のより濃い色を使う)とよい(54~55ページ)とか、人物写真とテキストを並べるときには人物の視線の先にテキストを置く(56~57ページ)とか、レスポンシブサイト(閲覧する側がPCかスマホかによって自動的に表示を変えるサイト)では両方での見え方を確認すべきだが、両方で見やすくするには正方形に近い写真がよい(58~59ページ)とか、サイトの画面上、動きは左から右が自然に感じられ、人物の向きも右向きがポジティブ(左向きはネガティブ)な印象を与える(106~107ページ)など、へぇ~っと思うことがたくさん書かれていて参考になりました。

09.いい写真を撮る100の方法 鹿野貴司 玄光社
 スナップ写真を想定して、いい写真を撮るために考えること、意識すべきことを説明した本。
 いい写真というときにどのような写真を想定するかは人それぞれで、美しい写真、広告に使われるようなキャッチーな写真を想定すると、この本は、いや違うでしょ、自分はこういう写真を撮りたいわけじゃないということになりそうです。スナップとして、「味わいがある」写真という方が、この本のイメージに合うのではないかと、私は思いました。
 写真家(著者は「あとがき」では、「自分では写真屋だと思っている」と書いていますが)に対しては、写真を撮るのが好きで、いつもカメラを持ち歩き、撮影の機会を狙っている人というイメージを持ってしまうのですが、「好きな写真を撮る人というのも、たぶん少数派だ。『仕事じゃないのにカメラを持ち歩くなんて酔狂だね』と同業者に言われたこともある」(222ページ)と書かれているのにハッとしました。仕事は仕事としてやっているのがふつうで、業務時間外にはできれば仕事のことは考えたくない(実際には考えてしまうのですが)のが人情なのに、写真家は別と考えるのは偏見ですよね。もちろん、人それぞれですけど。

08.キリンのひづめ、ヒトの指 郡司芽久 NHK出版
 キリンを中心に他の動物の体の構造や臓器(肺、手足、首、皮膚、角、消化器官、心臓、腎臓、呼吸器)が人間とどう違うかを比較して、それぞれの形態、機能がどのような環境/条件でどのような点で利点があるかを論じ、生物の進化やその中での生物の位置づけなどを解説した本。
 キリンの特徴を足がかりにしつつさまざまな器官についての動物による違い/あり得る選択肢とそのメリットについて書かれていて、字数のわりに情報量が多くいろいろなことに気付かされた印象です。いくつかの仮説を並べた上で、結局、理由・原因はわかっていないということも多いのですが。
 進化論について、何か生物の進化が一定の条件に適応できるように目的的になされたかのような論述がなされたり、より合理的効率的に進化して行く/来たかのような捉え方をするものが少なくないのですが、この本では、一番合理的効率的でなくても生き残れる程度に適応できれば子孫を残せる、生存にとってある面では有利でも別の面で不利なことは案外多く変化のプラスマイナスの評価は困難(さまざまな制約があるなかで、デメリットを受け入れたうえで、「それでもなんとかうまくやっていける」という妥協点を探る過程が、進化の本質なのかもしれない:213ページ。もっとも「受け入れ」「探る」という書き方は進化が目的的であるかのような誤解を与えかねないのですが)というような説明がなされていて、私としては、自分が理解している進化論とフィットしているように感じられました。

07.鹿狩りの季節 エリン・フラナガン ハヤカワポケットミステリーブックス
 アメリカネブラスカ州の田舎町ガンスラムで女子高生ペギーが行方不明となり、ペギーに思いを寄せていた知的障害のある青年ハルが疑われ、ハルを牧場で雇い親代わりにように世話をしていたバス運転手のアルマと牧場主クライルの夫婦は、友人とともに鹿狩りに行っていたはずなのに車のフロントをボコボコにし血をつけた状態で戻ってきていたことをすぐに知らせなかったハルの不審な態度に疑念と不安を持ちながらハルをかばい続け、ペギーの不在に改めて姉への思慕を募らせる弟マイロの思考は千々に乱れ…というミステリー小説。
 ミステリーとしてより、ハルへの疑惑・疑念をめぐる心理描写、田舎町での濃密で錯綜する対人感情と人間関係の描写を読む作品なのだろうと思います。なかなか事件というか、真相・謎の解明が進まない重苦しい雰囲気の中での心理描写というのが楽しめるかどうかが作品に対する評価を分けることになりそうです。

06.日本を味わう366日の旬のもの図鑑 暦生活 淡交社
 1月1日から12月31日までの日々に、旬のあるいは行事・習わしとして飲食するものをあてがい、各1ページで写真と紹介・説明文をつけた本。
 日付には、その日の意味があるものもありますがて食文化を再認識して味わう本と位置づけるべきでしょう。
 冬瓜は実は夏の野菜(8月9日:225ページ)とか、八朔(8月1日の意味)は冬から春が旬で旧暦8月にはまだ小さくて青くて食べられない(2月21日:55ページ)なんて人を食ったような話ですし、そもそもカステラ(5月3日:127ページ)やコロッケ(5月6日:130ページ)に旬があるとも思えません。
 旬や食文化にも関係なさそうですが、ドドメ色というのが「土留め色」で桑の実の黒に近い紫なのですね(6月21日:176ページ)。謎の色だった(といって、調べてみる気にはならなかった)のですが、初めて知り、また写真で実感できました (*_*)

05.KAROSHI 過労死 過重労働・ハラスメントによる人間破壊 過労死弁護団全国連絡会編 旬報社
 過労死についての事例報告と関連論文からなる過労死についての啓発書。
 過労死・過労自殺の事件は、事例として個別性が強くまた通常長期の時系列があってのことなので、なかなか事例の紹介、読む側で言えば事例の把握に労力がかかり、判例雑誌等に掲載された判決を読むときもかなりの長文であることから少し力を入れてと言うか覚悟して読み始める必要があります。そういうことからして、たくさんの事例を紹介するのは難しいのですが、過労死弁護団の著作ということからはもう少し多数の事例を読みたかったなぁと思います。
 その点、代表の川人弁護士の論文の中で、「現在においても、個別事案解決文書作成にあたって会社が事件に関する守秘条項の導入を強く主張し、事件が公にされないことがしばしばあり」(81ページ)としていることが目を引きました。まぁ個別事件の解決という観点からは当然のことと言えますが、多数の事件で記者会見を開き公表している印象からつい見逃しがちなところです。
 2021年5月に公表されたWHOとILOの共同論文で、2016年には世界全体で推定74万5194人が長時間労働(週55時間以上の労働)による虚血性心疾患と脳卒中で死亡したとされていると紹介されています(86~87ページ、100~101ページ)。週55時間以上の労働というのは、概ね月65時間以上の時間外労働を意味しています。それによってそんなにも多くの人が過労死している/するのだとすると本当にたいへんなことで、驚きました。論文は公開されている(こちらのページでダウンロードできます)のですが、英語なので読む意欲が湧きません。どこかに和訳がないものかと思うのですが。

04.アスリート盗撮 共同通信運動部編 ちくま新書
 スポーツ選手の競技中やその前後の胸や下半身などをアップにするなど性的な意図を持って写真や動画を撮影しインターネットで拡散する行為について、実態を取材して共同通信が配信した記事をベースに実情をレポートし被害防止の必要性をアピールした本。
 弁護士の立場からは、赤外線透視カメラでの撮影やスカートの中を撮るようなまさしく「盗撮」というべき撮影はもちろんのこと、この本で中心的に取り上げられているユニフォームの上から胸や下半身をアップにして撮影し、それをそのままないしは性的なコメントをつけてネットにアップする行為は、それ自体が肖像権侵害(コメントによっては名誉毀損・侮辱)となり違法とされていることをまず指摘しておきたいと思います。著者の選手に対する選手のインタビューで「肖像権が自分にあったわけでもないので」というのがまったく否定されないままに掲載されています(219ページ)が、それは誤りです。業界では有名な判決として「『街の人』肖像権侵害事件」とか「ドルチェ&ガッバーナ事件」と呼ばれているものがあり(こちらのサイトで判決全文を読むことができます)、一般人が銀座でドルチェ&ガッバーナの胸部に大きく「SEX」と書いたシャツを着て歩いていたのを本人の承諾を得ずにアップで撮影してWebサイトに掲載したことが肖像権侵害とされて損害賠償(35万円ですけど)が認められています。この判決の基準からすればこの本で問題とされているような撮影とネットへのアップは、おそらくすべて民事上違法なものと評価されます。一選手には肖像権がないかのような誤った記述を放置するのではなく、まずはこのことを明記して欲しかったと思います。
 私がこの問題について以前から疑問を感じているのは、例えば陸上競技で何故女子選手がヘソ出しのユニフォームを着ているのかということです。「どんなユニフォームでも性的な画像やコメントをネットに拡散される筋合いはない」(71ページ)、「被害を受ける側が対策を講じ、従来の衣装を変えなくてはならないというのは本来おかしな話」(109ページ)というのはそのとおりで、私はそういう格好をしている選手が悪いというつもりはまったくありません。しかし、果たして本当に選手が望んでそういう露出度の高いユニフォームを着ているのでしょうか。日本陸連のアスリート委員会の委員長のインタビューでは「例えばセパレートのユニフォームも機能性を求めている面もあるので一概に否定せず、嫌なのであれば違う選択もできることが重要」(71~72ページ)と、選手が自発的に選択しているという前提です。セパレート(ヘソ出し)が機能的(例えばそれで記録が伸びる)というなら何故男子は誰もセパレートのユニフォームを着ないのでしょう。規則で強制していないとしても何らかの圧力が本当にかかっていないのでしょうか。元バレーボール選手のインタビューで、2005~6年頃に女子ゴルファーがヘソ出しで話題になり「その流れで女子バレーも、となって、急にユニフォームの丈が短くなって、スパイクを打つときに、おへそが見えるようになりました」、自分はそれがすごく嫌だったということが書かれています(241ページ)。しかしここでインタビュアーは選手が嫌だったというのに誰がどのようにそのへそが見えるようなユニフォーム着用を求め進めたのかについて聞きもしないし何ら問題にもしません。水泳で体を覆う水着が流行ったりハイレグでなくなると途端に隠し撮り被害が減少したと書かれています(48ページ)。競技団体と、そしてマスコミが、女性選手の性的な側面を利用・強調して、競技そのものよりも性的な面への興味で群がる人びとを呼び寄せたことが、この本が取り扱うようなアスリート盗撮被害を増やしたという側面は、きっとあると私は思うのです。競技団体やマスコミの問題点にはまったく触れずに、ただ撮影する個人とWebサイト運営者の問題(もちろん、この人たちが悪いのはそのとおりで、免罪するつもりもその必要もないのですが)だけをいうことには、私は違和感を持ちます。
 被害を取り上げて報じることは大切なことだと思うのですが、競技団体とマスコミの問題にはまったく触れず、盗撮罪の創設と処罰を性急に求めるという姿勢には、警察権力の拡大に賛成し、権力者や大組織には楯突かずに、権力のない者を批判非難しておこうという志向を感じます。もちろん著者たちはそういう意識で書いているのではないでしょうけれど、共同通信にはもう少し権力を監視する矜持を持っていて欲しかったなと寂しく思えました。

03.オーディションから逃げられない 桂望実 幻冬舎
 都心から電車で1時間くらいの温泉がある観光地で、美味しいパンを作るパン屋ワタナベベーカリーを営む父渡辺洋介の背を見て育った三姉妹の長女渡辺展子が、自分は一生懸命やっているのに思うように結果を出せないと苦しみながら生き過ごしてきた半生を語るスタイルの小説。
 展子の自分はこんなに頑張っているのにという思いが周囲への目配りを欠き展子が力んで空回りする様子が描かれ続けますが、この作品では展子は現実に頑張っているだけに、なかなか切ないところがあります。周囲の人が自分と同じようにできると思って自分の尺度で評価し断罪してはいけない(その人ができる面を見つけてそれを評価すべき)というのは、言うは易しですが…やはり肝に銘じておくべきでしょう。
 序盤で中学高校時代に際立つ美人の渡辺久美と親友として付き合い、周囲の男たちが美人の渡辺久美にラブレターを渡して欲しいと言ってくるのに呆れ、自分が好きだった山本徹までが久美にしか興味を持たない様を見せつけられて、久美を羨み美人に生まれなかったことを不満に思う展子が、意外にも久美との友情を育み続け、久美は久美で思うに任せぬ人生を歩みながら展子とはまた違った強さを示すという展開に、味わいがあります。
 展子が母を交通事故で失い、中学生以降父子家庭であったためとは思いますが、パパッ子で中学生でも高校生でもそして40代になってさえ父を慕い敬い続ける様子が、娘を持つ身には羨ましく思え、好感度大でした。

02.お探し物は図書室まで 青山美智子 ポプラ社
 東京都「羽鳥区」にある小学校に併設されている「羽鳥コミュニティハウス」内の図書室で司書をしている「穴で冬ごもりをしている白熊」を思わせる、「ゴーストバスターズに出てくるマシュマロマンみたい」、「ベイマックスみたい」、らんま1/2の水をかぶるとパンダになる早乙女玄馬みたい、「正月に神社で飾られる巨大な鏡餅のよう」な小町さゆり47歳から、「何をお探し?」と聞かれてリクエストしたところ、リクエストとは関係なさそうな本が1冊最後に書かれているリストとさゆりが作った羊毛フェルトの「付録」を渡された5人、仕事にやりがいを感じられず転職を漠然と考えていた総合スーパーの婦人服販売員藤木朋香21歳、アンティークショップを開く夢を抱えつつくすぶり悩み続ける家具メーカー経理部勤務の浦瀬諒35歳、産休明けに資料部に異動されて雑誌編集部に戻れないことと夫の育児・家事分担が少ないことをぼやく出版社勤務の崎谷夏美40歳、ニートで周囲に不満を持ち続ける菅田浩弥30歳、定年退職して社会とのつながりを失ったと喪失感を持つ元菓子メーカー勤務の権野正雄65歳が、それを契機に生き方を考え直すというハートウォーミング系短編連作。
 みんなから好かれる高卒1年目の図書館員森永のぞみがまず応対した後で小町さゆりが登場するというパターンが採られているのは、小町さゆりの特異性を際立たせるためですが、全話でそれを繰り返していると、様式美という印象も出てきます。
 すべての話で小町さゆりが共通して出てきますが、小町さゆりは中盤で狂言回しのように出てきてその言葉と勧めた本や渡した羊毛フェルトが大きな影響を与えるものの、登場する場面は多くはなく、基本は、それぞれの話の主人公となる5人の仕事や人生に対する見方、考え方の変化がテーマの読み物です。

01.クロコダイル・ティアーズ 雫井脩介 文藝春秋
 東鎌倉の駅前商店街に自社ビルを持つ老舗の陶磁器店「土岐屋吉平」を営む店主の久野貞彦と女将の久野暁美夫婦の息子康平が、妻の想代子の元彼に刺殺され、暁美の姉東子が想代子が康平の遺体の脇でハンカチで目元を押さえていたがどう見ても涙が出ていなかったと述べたことや裁判での被告人の発言などから、暁美は想代子に疑念を持ち続け、康平の死後店を手伝うようになった想代子の言動に神経をとがらせ…というサスペンス小説。
 タイトルの「クロコダイル・ティアーズ」は嘘泣きの意味で、作品全体が想代子の態度をどう見るべきか、想代子の真意は何処にあるのかをめぐって展開してゆきます。
 さまざまなことがら・疑問に思われることについて、最後に語られてはいるのですが、今ひとつストンと落ちないというか、スッキリしないものが残るように、私には思えました。

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