庶民の弁護士 伊東良徳のサイト

  私の読書日記  2023年3月

07.スペースキーで見た目を整えるのはやめなさい 8割の社会人が見落とす資料作成のキホン 四禮静子 技術評論社
 ビジネス文書のうち、基本的には1枚紙で見せる資料とデータ集計作業に際してのワード、エクセルの使い方を解説した本。
 作成者が使う者の使いやすさを考えずに作った書式が配布され、その都度驚き呻吟する話は、「おわりに」でコロナ関係の助成金の申請書について著者が指摘しています(211~212ページ)が、私も、法テラスの申込書・報告書や裁判所が配布している(例えば破産申立て関係などの)エクセルの書式で、日常的に経験しているところです。
 そういう点で、著者の指摘は共感するところではありますが、では著者の推奨する方法でやってもらったらいいかは、また悩ましいところです。タイトルにある横方向のレイアウトについては、インデント(右側も含め)とタブと均等割付を駆使するよう指示がなされています(タブマークをドラッグで引っ張るな、数字で入れろということも強調されています)が、これはこれで慣れないとやりにくかったり、他人が設定したものをいじるのは面倒そうです。また著者は文字や行のはみ出しをその行のフォントを小さくしたりそのページの行数を変えて1枚に(そのページ内に)収めろというのですが、続きの文書で途中から文字サイズが変わったりページによって行数が違うことに違和感を感じない人はそれでいいのでしょうけれど、ちょっと美意識の違いを感じてしまいます(準備書面の書式は裁判所から12ポイント37字26行と指定されている関係で、実際にはそこまでうるさく言わないだろうとは思うものの、そういう対応はできないし、と思います)。
 エクセルの印刷でよく悩む、印刷切れ、とりわけプレビューできちんと表示されているにもかかわらず印刷したら切れているという事態については、期待したんですが対処方法は何も書かれていませんでした。まぁ、本来表「計算」ソフトのエクセルに単に表の形を作りやすいからと膨大な文字数の入力をして「争点表」とか「時系列表」等を作る/作らせられる私たちの業界の使用方法が間違っていると思うのですが。

06.ルポ動物園 佐々木央 ちくま新書
 動物園・水族館の管理者・飼育係の話を聞き、動物園・水族館の実情を報じ、そのあり方についての関係者の意見と取材を続け「生きもの大好き」という記事を共同通信から配信してきた著者の思いを述べる本。
 動物園についての記事よりもまずメディア側の対応への関係者の疑問と著者の自省が序盤で語られているのに気を惹かれました。横浜・ズーラシア園長の「最近の動物園の記事はつまらない。動物園から記者クラブに発表文と写真を提供すると、それを横並びに記事にするだけ。だからどの社も同じです。昔はみなさん、動物園に来ていた。現場をまわり、現場の人に話を聞いて、はっと思うことを書いていました。」(13ページ)、コウノトリの郷公園研究部長の「マスメディアの人と話すと、引いていないなと感じる。どうポップにするのか、どう歪めて面白くするのかを考えている」(26ページ)や、著者自身の「記者が事前に答えを予測し、やりとりを想定し、ストーリーを思い描くことはあってもいい。しかし、それに合わせて都合のいい言葉を引きだそうとすることは『当てはめ取材』と呼ばれ、否定される」(22ページ)、「編集綱領の『国民が関心をもつ』という中立的な姿勢から一歩進んで『国民に関心を持たせる』『関心をあおる』というところまで進んでいるのではないかと心配になる。」(82ページ)など、とても示唆的に感じられました。
 動物園での「展示」のあり方についてショー化や自然に反する展示に批判的な意見を述べている(140~164ページ等)著者が、旭山動物園の展示(例えばペンギンが「空を飛ぶ」とか)についてどのように評価しているかは興味深いところでしたが、まとまった考察はなく、テナガザルの展示について肯定的な記載が1箇所ある(216~217ページ)だけでした。取材先に対して批判的なことは書けないということか著者の考えがまとまっていないのかはわかりませんが、ちょっと肩透かしの感じがしました。

05.ウソをつく生きものたち 森由民著、村田浩一監修 緑書房
 動物の擬態と托卵などについて紹介した本。
 実際には毒がなく食べてまずいわけでもない種が毒があったり食べるとまずい種の警告色・模様と類似した外形を持っている「ベイツ型擬態」で、種の一部だけが擬態となっているケースについて、この場合捕食されずに生き残るのは捕食者が毒のある個体や食べてまずい個体を捕食して酷い目に遭ったという経験(学習)に依存(起因)するので、実は毒がなく食べてもまずくない擬態個体が増えると捕食者への警告が効果的になされず、擬態個体が生き残れないことになり、擬態個体の生存率と非擬態個体の生存率がバランスするという議論(59~67ページ)は、そうだろうなと思うとともに、それもまた1つの仮説であり、ちょっと知的好奇心を刺激されました。
 蝶のまだら模様の警告パターンについて、北アメリカ大陸東部に広く分布し捕食されると接着剤のような分泌物を出すヌメサンショウウオを捕食者の鳥や哺乳類が嫌い派手なまだらパターンが生存に有利なためではないかという学説もある(53~55ページ)というのも、学者というのはいろいろなことを考えるのだなと感心しました

04.みがわり 青山七恵 幻冬舎文庫
 デビュー作で文芸誌の新人賞を取ったもののその後2年新作長編が書けずにいて、その間に友人の画家とともに書いた絵本が出版されて、テレビのインタビューを受けた鈴木嘉子というペンネームの新人作家本名園州律に、テレビで見て亡くなった姉如月百合とうり二つだと言って会いに来た九鬼梗子から、姉の物語を書いて欲しいという依頼があり、200万円の報酬で毎週水曜に九鬼家に通って原稿を書くという約束をし、苦悶しながら書き続けるという設定で始まるミステリー小説。
 如月百合をめぐる事実から始まり、その周辺の人間関係の探索と真相のありかといったところでお話を進行させ、終盤には設定というかお話の構造が入れ子になっていく、そこを読ませる作品です。
 主人公というか、話者・視点も変転を見せ、誰の視線で読んでいくかもある種の混乱・困惑を伴いますが、私は、冒頭では小学校4、5年生くらいだろうかとされる(51ページ)年のわりには大人びた少女沙羅に惹かれてしまいました。
 ミステリー作品としてよりも、子どもの頃仲がよかったけれどもふとしたことでこじれて素直になれない家族関係のちょっと切ない物語と読んだ方がいいかもしれません。

03.調べる技術 国会図書館秘伝のレファレンス・チップス 小林昌樹 皓星社
 国会図書館でレファレンス業務に従事していた著者が、問い合わせを受けて調べ物をする際のコツを文書化した本。
 まずはネットで(Googleで)多くの情報を得ることができるようになった現在でも、検索で埋もれて見えにくいもの、そしてまだデータ処理されずに図書館の倉庫等で死蔵されているものなど簡単には行き着けない情報が多々あり、現在のそういう条件下でできるだけ答を見つけるための経験的な手法がいろいろと紹介されています。
 著者の関心と、著者が経験した問い合わせ・調査実例からと思われますが、人文系(基本的に理系の問題は書かれていません)の、人物・会社の存在・プロフィールや風俗・できごとを中心とする近世から戦前の時期の情報を調べるときのことが対象となっているので、そういう対象の調べごとには縁のない私には、そうかいろいろたいへんだなぁとは思うものの、これは便利というイメージは持てませんでした。
 Googleブックスなど、書物をデータ化したデータベース等の利用に際しては、誤変換が多々あることを考慮して検索しろと注意されていて、そこでは「大使館」を調べるのに念のために「大便館」も検索する(120ページ)というのは、そうかプロはそういう工夫をしているんだと感心するとともに、そんなこと教えられても素人には実践できないよと思いました。

02.心をラクにすると目の不調が消えていく 若倉雅登 草思社
 心療眼科医という著者の専門、経験に基づいて、眼球に機能上、検査上異常が見られない目の疲れや痛み、不快症状が精神疾患や脳の制御系のアンバランス等によって生じる場合があり、目だけでは解決できず生活環境の改善や心の健康からアプローチする必要があることを論じた本。
 目の感受性はさまざまであること、現在の日本はどこへ行っても明るすぎ、日本では『暗いところで本を読むと目が悪くなる』と言われるが、欧米では逆に『明るすぎるところで本を読むのは目によくない』と教えられるということ(ただし、どちらも強い科学的証明はない)(67~68ページ)は、なるほどと思いました。
 近くのものを見るときは寄り目になる(輻輳運動というのだそうです)が、近くのものを見続けるとそれを止めてもなかなか目が元の状態に戻らなくなるとされています(57~60ページ)。それはパソコンでの作業か本を読むことを続ける実験で確認されていて、そうか、パソコンだけじゃなくて、本を読むというのも同じように目を疲れさせる行為なのだなと改めて認識しました。まぁ、どちらも止められませんけど。

01.漂流 日本左翼史 理想なき左派の混迷 1972-2022 池上彰、佐藤優 講談社現代新書
 元NHK記者と元外務官僚が、あさま山荘事件/連合赤軍事件後弱体化してゆき漂流する様子を対談で概観する本。
 著者らが序章で左翼史を語る意味を、危機の時代に思想に踊らされない真の教養を身につける(16ページ)ことにあるとしているように、この本では運動の歴史ではなく思想の歴史を重視し、基本的には政治家の人の歴史が語られている感があります。著者らが作成したのではないのでしょうけれども、第1章では、70年代後半以降の新左翼は三里塚ぐらいでしか存在感を発揮する場所がなくなってしまったといいながら(47ページ)第1章関連年表(24~25ページ)では三里塚関係は管制塔占拠の1項目だけ、この時代は労働運動へ焦点が移っていった時代、日本の労働運動はかつてない高揚期を迎えた(62ページ)というのに第2~3章関連年表(60~61ページ)では労働運動関係はスト権ストの1行だけというのはなんなんだろうと思います。
 この本は過去の左翼の失敗から何らかの教訓を引き出す(169ページ)ことが目的の1つといい「対立する陣営に対して自分たちが優位に立つ、あるいは自分たちの優位性を第三者に見せつけるためにする論争を排し、代わりに実りのある発展性のある議論に結びつけるにはどうしたらいいのか」(169ページ)と問いかけています。批判が批判のための批判にとどまらず、議論が議論のための議論にとどまらず、生産的な営為でありえているかは、絶えず意識し続ける必要がある重要な問いだと思います。

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